2007年11月27日火曜日

18. C'est la vie.

八月の巻

 月が変わって、梅雨も明け、東京は連日の猛暑に見舞われている。クリーンアップ予定日の五日も高気圧の勢いそのままに、朝から強烈な日射が燦々。荒川は水をたっぷり擁しているので涼し気に見えるが、こうも高温だと湯水になっているのではあるまいか。上流からは低温の水が流れてくるはずだが、流すうちに茹(ゆだ)ってしまうんじゃ「たまらない」。さっさと海へ流したい、というのが川の本音だろう。南実からは今回見送りの連絡とともに、いつものように定刻の十時だと潮がまだ高いかも、との一報を事前に受けていたので、モノログ上にも臨時掲示板情報として、今日の開始は十時半と打っておいた。石島姉妹は家族で旅行中との報を桑川姉弟から聞いていたし、業平には別件でメール連絡しておいたので、この日はあわてて出かける必要もなかったのだが、そこは素直な千歳君。早めに現地で待っていれば、リーダーも早々に現われるだろう、という読みでそそくさと宅を出る。温水(ぬるみず)を流したい一心なのかどうかは不明だが、どうも流れが速い感じの荒川。その流速に比例するように、今日はノロノロではなく、軽快にペダルを漕ぐ千歳だった。

 時同じくして、千住姉妹はと言うと、どうもいつもと様子が違う。
 「櫻姉、ほんとに行かないつもり?」
 「バテちゃったみたい。千さんには八月病だって、言っといて。うぅ...」
 「はいはい。お大事に」
 確かに暑さ厳しい折り、わからなくもないのだが、夏風邪なのか、夏バテなのか、はたまた「何が八月病よ。恋わずらいでしょ」と姉想いの妹はあっさりと分析してみるも、特に心配する風でもなく、小気味良さげなのであった。姉の自転車を借り、颯爽と風を切る。橋に入ってからは速度を落とし、干潟を一望する。まだ誰の影も見当たらない。千歳は伸び盛りの草陰にいるので、彼女の視野には入らなくて当然である。徐行気味に走る蒼葉。その後を追うように路線バスが近づいてきた。車窓から干潟方向を眺めていた一人の少年は、ここで憧れのお姉さんを見つけて大慌て。「あ、蒼葉姉ちゃんだ!」 誰かさんみたいにおばさん呼ばわりしたりはしないが、姉ちゃんてのも考え物。ちょっと馴れ馴れしい気がしなくもない。
 自転車とバスは抜きつ抜かれつで並走していたが、六月が停留所を降り立った時には、お姉さんの自転車は彼方を走っていた。「どこ行くんだろ? 干潟に用があるとも思えないしぃ」 実姉が一緒ならケータイ一発で確認できるところ、その姉を振り切るように飛び出してきた手前、ちょっといたたまれない六月君なのであった。「一緒に来りゃよかったかなぁ。でも、プログラミングがどうとかでいそがしそうだったし...」 今日のクリーンアップはどうやら少人数になりそうである。
 干潟へ通じる細道の周辺は、掃部(かもん)先生が人知れず刈ってくれたらしくスッキリしていて、その切り口からは熱に煽られてか夏草の薫りが漂っている。そこへ新緑というか青葉というか、また違った色香を秘めた女性が乗り付けてきた。人には雰囲気というものがあるが、蒼葉の場合、それは人一倍強いようで、鈍いというかスローなあの人もすぐに気付いた。
 「あ、蒼葉さん!」 自転車は徐々に近づいてくる。「どーもっ!」
 時は十時十五分。ようやく潮が後退局面に入ってきた感じ。干潟から去ろうとする水の流れはやはり熱を帯びたようにまどろんでいる。もっと早く退いてくれてもいいのだが、本流の勢いとは裏腹にこの辺はどうもバテ気味のようである。
 「あれ、お姉さんは?」
 「もし本人が今日来なかったら、あとで事情をお話しします」
 「どこか具合でも?」
 「八月病... あ、いえ何でも、アハハ」
 退潮の動き同様、何ともまどろっこしい話し振りである。
 リーダーが来るのか来ないのかハッキリしない中ではあったが、ひとまず道具類の点検などを始める千歳。払底していたと思われた四十五リットル袋は、ベランダの収納庫に眠っていた分が発掘され、今回はバッチリ。小型バケツに二リットルの空ペットボトルにマイカップにデジカメ... 水筒代わりに使っている別のペットボトルには発泡性のミネラルウォーターを入れて来た。持って来ていないのは、クリップボード、受付台帳、太ペン、カウンタといったところ。蒼葉の方は、持ち主がわかった例のK.K.絵筆の他、鉛筆画に必要な道具類と簡単な画用紙、それと軍手、ケータイ。二人の持ち物を寄せ集めれば何とかなりそうな気はするが、道具以上に重要なのはコーディネート役、だろう。一抹の不安がなくもないが、「今日は参加人数も少ないし、十時半開始予定なので、今ある程度準備しておけば大丈夫かなって」 発起人は気楽に構えている。

 見慣れない三十男が向こうからやって来て、左に折れた。今日はサングラスをしていて、チョイ悪な印象。RSB(リバーサイドバイク)ライダーのあの人である。小六男子はちょっとビビったが、そのライダーの後にできた轍を追うようにグランド脇を歩いていく。外野ではカラスの小集団が羽を休めているが、熱吸収の良い己の黒さが恨めしいようで、どの個体も羽をジロジロ見るばかりで鳴き声ひとつ上げない。こういう光景も不気味ではある。開始時刻まではあと十分ほど。
 図らずも同じような格好をしている二人の男女を見て、業平君が後ろから声をかける。
 「あれ? いつもと違うご両人。ペアルックてか?」
 「あ、業平さん... ですよね? この間の掃部先生みたい。ハハ」
 サングラスをかけてる点が先生と共通ってだけで、風貌は全然違うのだが、こう言われちゃ笑うしかない。いつもながら漂着ゴミが押せ押せになっているのだが、まだ全容は掴みきれていない。先の自由研究クリーンアップで大袋などは回収しておいたので、幾分減ったような気はするものの現実は現実。ただそれを真に受けて沈鬱になっていても仕方ない。そう、笑う門には何とやら、である。だが、蒼葉に言わせるとズバリ「C`est la vie」なんだそうな。そこまで達観しなくても良さそうだが、「そういうものなのよ」と屈託ない。
 水も汲んできたし、ひとまず見通しも立ったことなので、三人で干潟へソロリソロリ。そこへ小六の彼が駆け下りてきた。
 「お、六月選手、来たね。一人?」
 「へへ、自由研究の続き、と思って... あ、蒼葉さんだぁ」(萌えモード?)
 「元気してた? でも、夏休みなのに鉄道旅行しなくていいの?」
 少年はすっかりのぼせたようになってしまって、言葉が出ない。前回の威勢の良さは影を潜め、俯き加減。千歳は「まぁ、そういうもんだ」(これもセラヴィの発想?)と自分を見ているように傍観している。業平はちょっかいを出すのかと思いきや、「少年、どーした? お姉さん、コワイかい?」と来た。助け舟を出しているようなそうでないような。
 「あれ、もしかして、Mr. Go Heyさんですか?」
 サングラスを額にずらしていたので、写真で見た人物とやっと一致した模様。先刻はビビったが、今は内心「なぁんだ、あの三枚目さんか」となる。少し正気に戻ったようだ。
 「一応、自己紹介しますか」 千歳は蒼葉から画用紙を一枚失敬して、太目の鉛筆で名前を走らせていく。千歳→蒼葉→六月→業平の順だったが、蒼葉から六月というところがポイント。鉛筆を受け取る時もドギマギ状態の少年は、「じゅ、18きっぷの旅はお盆が終わってから、ですね」というのがやっとこさだった。「そっか、あの桑川女史の弟さんかぁ。今日はお姉さん来ないの?」と業平は何の気なく尋ねていたが、蒼葉はちょっと不服なご様子。「弥生ちゃん来ると、業平さんタジタジでしょ!」 今日の人間模様も目が離せない。

 十時半を回った。水位が下がるのに引きずられるように、干潟を這う水の流れが目に留まる。流れを辿ると何たることか、崖地から滲(にじ)み出す細い水脈に行き当たった。晴天続きながら時に激しい雨が降ることが多かった八月。グランドなどに浸み込んだ雨水が出口を求めて、この干潟に注ぎ出してきた、ということらしい。ちょっとした湧水が幾重もあり、支流の態を成している。支流はやがて本流へと束になり、本物の荒川へと注ぐ。その紋様、そのうねりは小細工ながら実に精巧で、「生き物としての川」というのを認識させてくれる。四人はしばし細流(せせらぎ)を追っていた。そして、千歳はデジカメ、蒼葉はケータイでその模型を撮ろうとした時、毎回恒例のサプライズは起こったのである。

(参考情報→湧水は干潟を通り川へ

 「あぁ、ここだここだ」
 「八(ba)クン、待ってぇ」
 蒼葉よりも小柄だが、背丈はそろって同じくらいの男女が現れた。男の方は千歳がよく知る人物。女性の方もどこかで見たような見ないような...
 「隅田さん、やっと見つけましたよ。どうして教えてくれなかったんスか?」
 「手当出ないし、日曜くらいはゆっくり休んでもらおうかな、って」
 八クンと呼ばれていた彼、そう、あの宝木八広君である。いわゆる就職難の煽りで、正規の就職が叶わず、職業を聞かれれば今はフリーターと答えるしかない二十代中盤のこの青年。幸い、その多彩な職業経験が買われ、遍歴なんかを手記にしつつ、千歳が関わる市民メディアの小会社で編集の手伝いなどをしている。最近は千歳の記事のサポートに回ることが多く、独特のフットワークを活かして、自転車で走り回ったり、おなじみのセンターに顔を出したり、という日々。短髪、眼鏡、無精ヒゲ、が特徴である。そんな八広君の傍にいる時はデレデレ観のある彼女の方は、四人と顔を合わせるや否や、心なしか無愛想な相貌に。ここにやって来た面々の中では初めてとも言えるツンツン系キャラである。タンクトップにフリルブラウス、長めのティアードスカート、そして鋲入りのサンダル。これまでの女性達と違い、首、腕、腰などにチャラチャラと装飾品が多めなのがまた異色。弥生も初音もネイルアートは少しばかりしていたが、このお方は足の方もしっかりアートしていて、要するにちょっと突飛な印象な訳である。
 「こちら、奥宮舞恵(おくみや・まえ)さん。一応、彼女です」
 「一応って何よぉ。あ、皆さんヨロシク...」
 異色キャラにどう対処していいか、戸惑う三人+少年。接客係の櫻がいない分、負担が大きい。だが、千歳つながりではあるし、最地元でもあるので、
 「じゃ、受付名簿にお名前をどうぞ。名前が書いてあるのが今ここにいる四人です」
 と千歳が仕切り役を買って出て、場の空気を作る。新たに登場した強面(こわおもて)のお姉さんに面食らった六月だったが、彼氏の方には親近感を持ったようで、
 「宝木さんて、下の名前は何て読むんですか? 京成線のやひろと同じ?」
 「やつひろ、ってんだ。でも、八広なんてよく知ってんね」
 「この間、花火大会の時に久しぶりに乗って荒川を渡ったら、水際とかゴミだらけでした。ちなみに昔は八広駅じゃなくて『荒川』駅だったんですよ」
 てな感じで臆せずやっている。顔と名前を一致させる時、こんなエピソードを交えてだったら、よりしっかり覚えられるというもの。それにしても、八広が荒川だったとはねぇ。

(参考情報→荒川駅

 「何かおめでたい名前ですね。お宝に八で末広がり...」 蒼葉としては初対面かも知れないが、
 「あの、蒼葉さんて、六月五日、センターにいらっしゃいましたよね?」
 「え、あの日いらしてたんですか。こりゃ失礼しました」
 背丈の都合で、八広は蒼葉をちょっと見上げる感じになるが、その目線はどこかデレとしていて、正の彼女はそれをすかさず察知すると、
 「こら、八!」と、ハチ公呼ばわりで小突いたりしている。ま、仲のいい証拠だろう。

 「でも、この日この場所ての、何でわかったん?」
 「センターのページ見てたら、何やら『届けたい・・・』て新コーナーが出てて、その中をさらに見たら『漂着モノログ』のリンクが張ってあって... その掃部さんの講座に行って干潟の話聞いてたんで、ヒマを見つけては場所を探してたんスよ。で、モノログの写真見てピンと来て、あと今日十時半から、て載ってたから。それにしても、ヨシだか何だかが背高なもんだから、行き着くのに苦労しましたよ」
 「いつもの自転車じゃなかったんだ」
 「ルフロンと一緒にバスで」
 櫻のブログが動き出したのはわかっていたが、まさかセンターのホームページから辿れるようになっていたとは! 本人がそこまでやるとは思えないから、おそらくはお節介なあの女性(ひと)の仕業だろう。二人のやりとりが目に浮かぶようで、ニヤリとする千歳だったが、今日はあいにくそのブロガーご本人は不在。本当のところはわからない。
 「『届けたい・・・咲く・ラヴ・log』とか出てましたけど、あれってどなたのブログなんスか?」 レポートをまとめるのも相応レベルだが、それ以上に、コピーライティングのセンスを自負する八広としては、その秀逸なタイトルがまず印象深かったようだ。
 「ま、そのうちわかるよ。今日も本当は来るはずだったんだけどね」
 それにしても「咲く、ラヴ」って櫻さん、どうしちゃったんだろう?と不可解に思う千歳であった。開設したての時は出てなかったから、ここ数日の間に書き加えた、ということか。今日のお休みと何か関係があるのかどうなのか...
 お互いの紹介が済んだようなそうでないようなハッキリしないままだったが、画用紙に書いた名前はそれぞれ認識できたようなので、今は思い思いにバラつき気味。クリーンアップ開始前のウォーミングアップといったところか。少年はサングラスの三十男を連れて、前回の自由研究時の様子などを解説している。
 「銘柄調査とはよく考えたね」
 「でも、ラベルが剥がれてたりでメーカーがハッキリしないのも多くてさ。バーコードのところは結構無事なんだけど」
 「バーコードかぁ。ウーン」
 とまた何かを思いついそうな業平君である。この二人、どこか似ている気もする。
 蒼葉は鉛筆を片手に構図を練っているような素振り。三人とは付かず離れずの位置にいる。不意に八広のケータイが着信音とともに振動する。ドラムソロの着メロってのも珍しい。が、千歳には一本のストラップの方に気が向いた。確か某銀行のでは?
 「あのストラップ、銀行で配っている一品ですよね」
 「えぇ、私から彼に」
 これで千歳の疑問は解けた。同時にルフロンさんも何かを思い出したような顔つきになった。
 「隅田千歳さんでしたね?」
 「えぇ、三月に窓口で。いろいろいただいて、ありがとうございました」
 「あぁ、やっぱりあの時の...」
 窓口の時と同様、無愛想だった彼女だったが、これで少し表情が出てきた。世間は狭いというか、妙味で満ちているというか、とにかく仰天である。つい粗品についての礼を述べてしまったが、この行員さんにはもっと違った意味で御礼を言わなきゃいけないところだろう。櫻が今ここにいたら、サプライズを喜びそうな予感はあるが、話がややこしくなる可能性もある。今日不在なのは何かの思し召しということか。

 「間違い電話だった。人騒がせな」 その場を外していた八広が戻って来た。思いがけず舞恵が薄笑いしているので、珍しいこともあるもんだと訝ってみる。
 「そうそう、奥宮さんて何でルフロンなんですか?」
 「名前が『まえ』なんで...」
 「隅田さん、フランス語でね...」と八広が割って入ると、そこへフランス在住歴のある絵描きさんがさらに首を突っ込んで、画用紙にサラサラと綴り出す。
 「le front...男性名詞なんでle これでルフロン、ね?」
 楚々清々とした蒼葉に対し、その装飾品の様から錚々(そうそう)とした感じの舞恵。対照的な二人だが、実は同い年。にこやかに問いかけたものの、所作が気に入らなかったらしく、
 「東海道線の某駅の前にあるのと同じ」と軽く交わし、また無表情に。
 「ま、宝木君は別として、ここでは奥宮さんでいいですよね」 千歳は冷や汗。あぁ櫻さんがいてくれたら。

 何だかんだで十時四十五分になった。コーディネートというのは憚られるも、プロセス管理と言い換えれば、千歳の得意とするところ。要は流れというか段取りを組み立てて、その進行を円滑にすればいい、ということである。
 「では、皆さんそろったところで分担を決めましょう。六月君は自由研究の続きを兼ねて、飲料容器とフタ専門でいいかな。あとは男女一班で上流側と下流側ってことでお願いします。足りない道具はないですか?」
 軍手と袋の予備を新参のお二人に渡しつつ、
 「宝木氏、こういうの初めて?」
 「街頭ではやったことありますけど、川とか海は初めてス」
 「ぬかるみと波と、あと釣り針が落ちてることあるから、そういうのに気を付ければ大丈夫。奥宮さんもムリしないでね」 サンダルがちと気になる千歳。
 「あ、ハイ」 同じく足元を見遣る舞恵。彼女の立ち位置はさっきまで水が浸かっていた。そのまま佇んでいると、段々と凹んできたりする。その感触を楽しんでいるようだ。まぁいいか。
 千歳は初参加の二人を何となくフォローしつつ、記録係に徹することにした。いつものバッグは肩に担いだまま移動する。少年は、憧れのお姉さんとご一緒したかったが、干潟の奥に溜まっている各種容器に目を奪われ足が止まる。パッと見たところ、フタはあまり転がっていない感じだったが、前回のさばっていた巨大な草がなぎ倒されていて、あらゆる漂着物に手が届きやすくなっている。ここは小回りが利く男子の出番である。早々とポイポイやり始めた。千歳は現場の証拠写真を押さえる。

 期せずして同じ組になった蒼葉と業平。気乗りしている時は二人とも饒舌な口だが、なぜか今は黙々と除去作業に集中している。下流側は、まだ水位があって積石の方までは足が伸ばせない。カニの巣穴を覆っている大きめの袋ゴミを除けたり、埋没している腐食缶を引っこ抜いたり、淡々とこなしている。石の隙間が露出してきたのを見計らって、業平はさらに先へ。漂着物に対する嗅覚とでも言おうか、その勘は大したもの。早速、異物を発見した。
 「蒼葉さーん、これ見て」
 あわてて出てきたため、日焼け止め対策が十分でなかったモデルさんは、ヨシ群生の日影でゆっくり作業していたかったが、ちょっと気になるお兄さんにこう呼びかけられては行かない訳にはいかない。
 「え? 燈籠、ですか?」
 台座の方はすでに溶けかけていたが、蝋燭を囲む紙の筒はまだふやけている程度で、それが紙製の灯篭であることはひと目でわかる。蝋燭は溶けきったのか、それとも台座の一部とともに流れてしまったか?
 「荒川でも灯篭流しするんですね。流れきれずに漂着して、こうして原形をとどめてる、って。これは灯篭として本意なのかどうなのか」
 記録係がノソノソやって来た。「あ、紙燈籠?」
 「千ちゃん、これ知ってんの?」
 「今は灯篭流しって、すぐに回収するように指導されてんだってね。無粋かも知れないけど、できるだけ人目につかないところでボート出して網とかで掬うんだと。でも、これ見ると必ずしも掬いきれてない、ってことだね。ハハ」
 「救われない? フフ」 姉と同じような反応をする妹君。すかさず「そのまま溶かしちゃうと川が汚れるとか? CODでしたっけ」
 「へぇ、お二人ともよくご存じで」 業平は感心するばかり。
 「矢ノ倉さんに前に聞いたことがあって。でも、これ本当に溶けきるんでしょうかね?」
 「持って帰って、いずれ先生に聞いてみますか」
 当の掃部先生は、正にその灯篭の件で真相を確認中。ここより上流の某所で平和を祈念する音楽会と併催で灯篭流し行事が行われたはいいが、その回収が十分でなかった、というのを先生独自の地域ニュース網で聞きつけ、現物を捜し回っていたのである。彼等がいる干潟まではまだ到着しそうにない。

(参考情報→水溶性紙燈籠

 「そうか、掃部先生も今日はいらっしゃいませんねぇ。来れば話早いのに」
 「K.K.」イニシャルの絵筆を手に、蒼葉は溜息。千歳は漂着時の様子を克明にデジカメに収め、それが終わると発泡水を呑み出した。業平はさらに下流側へ向かっている。
 「水、私にも」 それなら、とマイカップを渡そうとするが、すでに口をつけて飲んでいる。姉の上を行く小悪魔蒼葉。肘袖の白Tシャツにクロプトのデニム。すでに結構日灼けしていて、夏女風である。この大胆な感じは姉とはちょっと違う。フランス帰りゆえ、なのか。
 七夕の時はサラサラ程度で済んでいたが、今はザワザワする感じ。心理面もそうだが、実際にヨシ群が熱風を受けて音を立てているんだから仕方ない。まんまと効果音に躍らされてしまった。しかしこの風、何と表現したらいいのか、暑苦しいという以上にちょっとした不気味さを含んでいる。午前十一時。まだ遠方だが、入道雲が出てきた。着実に高さを増している。

 六月もヨシのザワザワを嫌って、下流ではなく上流側に歩を進める。水嵩の脅威はこの日も感じられ、崖地途中から生えるヨシには、根元ではなく中腹くらいにゴミが絡んでいる。少年の目線からはちょっと上に当たるが、その絡んだ一塊の中に何かの魚の白骨骨格が飛び込んできた。「わぁ!」
 容器包装系ゴミをガサガサやっていた無愛想姉さんは、集めた袋を彼氏に預けると、六月のもとに近寄ってきた。彼にとっては二重の恐怖か?
 「どったの、眼鏡君?」 六月は無言で指さす。さすがのルフロンも目が点。
 「八クン! HELP」
 デレデレならぬベタベタで彼氏にくっついている。ここのヨシ集落も三人を嘲笑(あざわら)うようにサワサワ、いやセラセラか。
 「モノログで見た通り。いろんなもんがあるんねぇ」 年長の方の眼鏡君はケロっとしている。こわばった顔をしていたルフロンさんだったが、少年に悟られないように表情を戻す。そのヨシの根元には百円ライターが一つ。まだ使えそうな一品である。
 「あ、ルフロン、ダメだよぅ」
 チャラチャラな上にスモーカーな舞恵嬢は、トートバッグの脇から舶来タバコを取り出すと、その漂着ライターを点火。見事、着火させ一服やり出した。
 「火が点かなかったら吸わなかったワ」 これでサングラスでもかけさせたら、チョイ悪姉さんてとこか。「暴発しなかったからよかったものの...」 彼氏は気が気でない。
 咥(くわ)えタバコの姉さんは、大風のせいで無残な姿になって棄てられてしまった傘の柄を拾い上げると、六月がポイポイ放り出して集まった空き缶の類をカンカン叩き始めた。泥砂の入り具合で音程が変わることがわかると、振ってみたり、並び替えてみたり、試行錯誤している。程なくカウベルのような響きを持った音階ができ、ちょっとした演奏が始まった。
 「へへん、眼鏡君、どうよ?」
 蒼葉に対しては「萌えー」な六月君だが、舞恵さんに対してはどうだろう。(まえー、じゃ芸が無いし) タバコの煙を見ていると正に「燃えー」な訳だが、何とも名状し難い。そのリズム感、テンポの良さには、鉄道の疾走感に通じるものが感じられ、ただ心地良い、そんなところだった。が、この時、同じ憧憬でもまた違った感情があることを知ったのは確か。小学生最後の夏休み。多感な少年はこうして大きくなっていくのである。 タバコはさっきの紋様模型(消火用の湧き水ではないのだが)のところでもみ消され、付き人が差し出したケータイ灰皿で処理された。忠実な彼が時に「ハチ」と言われる所以である。

2007年11月20日火曜日

17. 届けたい・・・


 様々な銘柄の飲料容器をひと洗いしつつ、手を洗う七人。スーパー行きは毎度の如く日光浴。四十五リットル一つに収まりそうだ。九十リットル級の大袋には、再資源化に向かなそうなペットボトルや軽めの不燃系がいくつか。あとは、小梅の自由研究ネタの袋類が入ったのが一つ。レジンペレットなど微細系は南実が回収済み。臨時イベントなので、こんな按配である。
 ペットボトルの類は思う存分、陽光を浴びてもらった方がいい。逆にそうは言ってはいられないのが夏の河川敷利用者である。若い姉妹と男二人は帽子を被っていない。見るからに暑そうである。一・二・四の女性三人はしっかり着帽していて、無帽の四人を気にかけつつも涼しげな顔をしている。「いやぁ、こんなに日が照ってくるとは予想できませんでした」 初音は気象予報士のようなことを言いながら、RSB(リバーサイドバイク)の前カゴをそのまま取り外して、一同のもとへ持って来た。
 「え、初音さん、そのバスケット...」
 「店長が気前いいもので。今朝作って持って来ました」
 「お姉ちゃん、スゴイ!」
 日替わりデニッシュを一週間分まとめたような豪華ランチパックが出てきた。櫻もデリやら白物でないパン類を多めに持ち込んでいたので、この時点で相当量に。さらに最年長女性がここぞとばかりにお荷物を広げる。「この間の大雨でどうなるかと思ったけど、ホラこの通り」
 ご自慢の自家製野菜が顔を出す。弥生にもおなじみのニンジンとキュウリのスティックの他、そのまま食べて全く差し支えなさそうなトマトとトウモロコシ。旬の地場モノである。ある程度スッキリした干潟、幾分透明度が回復した川の流れ。心地良い風景とこの健康的な昼の膳。正にピクニックである。弥生と六月はバスに乗る前にバタバタと調達したおにぎりが数個。「本当は何か用意しようと思ったんだけどぉ、へへ」 ちょっと株が下がった姉を横目に、弟は早速トウモロコシにかぶりつく。「そう言えば千さん、お弁当は?」 弥生のツッコミが飛んで来た。
 「櫻さんにお任せしちゃってて、その...」
 「まぁ、妬けるというか灼けるというか」
 櫻は蒸し暑いんだか、照れてるんだか、とにかく赤らんだ顔で、話を逸らそうとする。
 「今日はこの出番、なかったわ」
 「あ、櫻さん、そのカウンタ...」
 「私、カウンター係ですから」
 いつもセンターで繰り広げられている掛け合いが始まった。
 「収穫前のトマトを数えるのに使おうと思ったら、見つからないんだもん」
 「なぁんだ、チーフだって私用じゃないですか」
 「カウンタとしては、ゴミの傍でカチカチやられるの不本意なんじゃないのぉ」
 「トマトくらい自分で数えろって、言ってますよ」
 若い姉妹はそのトマトを齧(かじ)りながらククク。千歳も笑いを止めるのにひと苦労。
 「そうそう、先生と研究員の分、とっとかないと。初音さん、櫻さん、この辺のいいかしら?」 用意のいいチーフはラップを取り出すと、まだ手付かずの分を適当にくるんでキープ。こうして、多めと思われたランチ一式は消化されていった。サスティナブルな会食である。ちょっと落ち着いたところで、千歳は思い出したようにバッグをガサゴソやり出す。
 「はい、これは桑川さんの分。石島さんは二枚」
こ「あ、ありがとうございます」
や「千さん、ポイント稼ぐのうまいなぁ。今、何点?」
 妹は姉に、姉は弟にそれぞれ今日来られなかった人物について話をしつつ、ケラケラやっている。文花も「この人が噂のGo Hey氏?」と首を突っ込んでみたり。櫻は優しいお兄さんにウインク。今度は千歳が紅くなっている。

 「小梅さん、さっきのマップ、も一回見せて」
 「まだ下書きなんだけど」
 「字も上手いけど、絵はもっと上手なのねぇ」
 実姉は複雑な心持ちだったが、妹が目を輝かせる瞬間を目の当たりにして、気持ちが変わった。話術というか呼吸というか、そういうものを少しは見習おう、と。櫻はいいお手本だった。

 さて、ちっとも戻ってこない釣り人と俄か助手はと言えば、
 「先生、あの自然再生の本てどのくらい浸透したんでしょうか」
 「さぁね。お役人が少しでも読んでくれれば御の字なんだけどな」
 「私、先生が止めさせた造成地(再生事業地)とか実際に行ってみて、『人が余計なことをしなくても自然は還ってくる』て本当だなぁ、ってつくづく...」
 いい読者がいてくれたものである。加えて言うなら「自然には自然の都合がある。それを人の都合で恣意的に変えてしまっていいようはずがない」という一節。自分で言葉を継いでいた掃部先生は感極まったか、手元が狂い、餌のアオイソメを落としてしまった。「あっ、いけね」 暫時沈黙が流れる。が、マハゼが跳ねるのに呼応するように、助手は沈黙を破る。
 「あ、それと一時停止違反、すみませんでした。私、あせってて」
 「いやいや。あれくらい元気がなくちゃあ、な。俺も目測誤っちまったからいけねぇんだ。いいってことよ」
 傍から見ていると親子のようなワンシーンである。なかなか戻ってこない訳だ。

 塾も今日は夏休み。余裕綽々(しゃくしゃく)の妹に対し、姉の方はパタパタ支度を始めるや否や、「私、そろそろお店戻りますね」と一言。挨拶もままならない状態で、RSBひとっ走り。「気を付けてねぇ!」 櫻の声、届いたんだか?
 「初音さんて、いつもあんな感じ?」
 「ムラっ気はありますね。お天気屋さんかも。しょっちゅう顔色見てますよ」
 「ハハ、私も気を付けないと」
 「櫻さんは大丈夫ですよぉ」
 「私の場合は浮き沈みが、ね」
 十三時近くになった。ランチタイムは一旦お開き。袋の片付け分担は、スーパー行きが櫻、その他の大小一つずつを千歳、ということに決定。
 「四人でもうちょっと待機してるから、お二人はひとまず行ってらっしゃい」
 「ハイ、じゃ後ほどセンターで」
 自転車の二人は、櫻が左、千歳が右、それぞれに走って行った。「あの二人、何か絵になるわねぇ」 一女は何かを確信したようだった。

 干潟の下流側の突端を回り込んでさらに進むと、別の上陸ルートに出る。清澄と南実は、プチ探検をしながら一同のもとに引き返しつつあった。道中、赤黄色の花々の小群生に遭遇。「夕方になると開花すると思う。ヨイグサの一種で...」 南実を一瞥し、「その名は『コマツヨイグサ』。小松さん、だったよな」
 「聞いたことはありましたが、ここで出逢えるとは」
 「お導きだぁな。可愛がってあげなさい」
 「先生、またいらっしゃいますよね?」
 「美人に囲まれるの悪くないから、な。あとは風に訊(き)いとくれ」

 野球の試合は午后から。その準備が進んでいた。ピクニックが催されていた場所の隣地グランドでは、河川事務所にお勤めの監督さん率いるチームがキャッチボール中。監督は外野の乾き具合を確認しがてらブラブラしていた。
 「おぅ、石島じゃねぇか」
 「あちゃあ、掃部(かもん)先生。またご巡回ですか?」
 「今日は自由研究さ。あぁ、そこのし潟の崖地、ちょっと崩れちまったけど、手ぇ出さなくていいからな」
 監督さんは一礼すると、そそくさとベンチ方向へ去ってしまった。
 「清さん、あの方、石島さんて」
 「河川事務所の課長さ。最近ちっとは話がわかるようになってきたが、所長が変わるとそいつの意向に合わせちまうから、油断ならなくてよ」
 「いえ、今日の若手姉妹と苗字が同じだから、もしかしてって」
 「あいつにあんな愛らしい娘さんがいたら、ハゼもウナギも腰抜かすだろよ」 腰ってあったっけ?

 当の娘さんはボール探しに興じていた。父親が程近くにいようがそっちのけ。硬球だけかと思ったら、テニスボールがいくつかとミニサッカーボールまで出てきた。人目に付きそうな所に転がしておく。「あら、別ルートから帰って来たわ」 弥生と六月は二人を捜しに行っていたが、見つからないもんだからスゴスゴ引き返して来たところ。学者と研究者がそろって探検するからには、その足取りが簡単に掌握されては名が廃る。姉と弟は胸をなでおろしつつも「やられたぁ」となる。

 試合予定がない方のグランドのベンチで、遅いランチにありつく男女。何とも不思議な構図である。「こっちの二人は、さながら先生と助手ね」 文花は手を振りつつ、グランドを後にする。弥生、六月を連れ、その後方に自転車を押す小梅が続く。「三姉妹と末っ子って感じだな、ありゃ」(清談) レジャーシートに覆われていた草地からはユラユラと蒸気が上がっていた。気温は上昇一途。三十度、超えるだろうか。

 夏休みに入り、ちょっと息抜きモードの女性教諭。別件で某駅に来たが、例の無料送迎バスを見つけてしまったからには乗らない手はない。その複合商業施設に向かう途中のことである。
 「あれれ、六月君だ。と、石島さんかしら? 大きくなったわぁ。で、あの女性(ひと)、もしかして矢ノ倉?」
 橋半ば、バスはスロー走行なので、通行人をこのようにしかと認識できたりする。別に噂している訳ではないのだが、文花は再び「クシュン!」。しばらく止まっていた分、反応も過剰?
 「ぶんかさん、大丈夫ですか?」
 「だから、ぶんかじゃなくてぇ、ハ、ハァ」
 「そうそう、六月君。堀之内先生ってまだいる?」
 「担任だったりする」
 「へぇ、そうなんだぁ。元気?」
 「喜怒哀楽激しいけど、一応元気かな」
 今度はバス車内でクシャミをする女性一名。「あー、行っちゃった。ま、いっか」 何となく窓を叩いたりしてみたが、三姉妹と末っ子チームは誰一人気付かなかった。十三時半過ぎの出来事である。

 空のペットボトルをカラカラやり終えた櫻は、スーパーをとっくに後にしていたのだが、荒川沿いを走ることなく、送迎バスが通る道を進んでいた。明らかに遠回りなのだが、手強い誰かさんに捕まるとまた返事に窮する質問をされそうだったので、避けていたのである。「ハッキリさせておいた方がいいのかなぁ。そういうの苦手だな...」 ボンヤリ走っていたら、橋の方向へ右折するのを失念。「ハハ、私としたことが」 こんな調子だったので、先を歩く四人に追いつくことはなかった。

 「あれ千さん、一人?」
 センターの入口に佇む三十男。バリバリのイケメンではないが、三枚目でもない。韓流俳優で似たようなのがいたような、といったところ。日焼けしようなんて意識はなかったんだろうけど、干潟がビーチ代わりになっていたようで、陽射しを浴びるに任せてたら、期せずして夏男のような様になってしまった、という訳。海ではなく川で灼いちゃうあたりは三枚目(?)である。
 「櫻さんと待ち合わせして来なかったの? やぁねぇ」 チーフまでそんなこと...
 「途中で会わなかったんですか? 遅いからてっきり皆と一緒かと」 千歳の弁明空しく、
 「きっとどこかで待ってるんだよ。あーあ」 少年にまでこう言われちゃ立つ瀬なし。やっぱり三枚目な千さんであった。
 「お待たせっ! 皆、どしたの?」
 「さ、櫻さん、ハハ」
 千歳は全身から力が抜けるようだった。「隅田さん大丈夫、ですか?」 今、救いはこの少女のみ?

 「文花さん、空調早く」
 「はいはい。ただし、二十八度よ」
 「それじゃ外の気温と変わんないじゃないすか。除湿でいいから」
 「除湿? いっそのこと打ち水でもしようと思ったのに」
 「ったく。小梅さん、ああいう大人になっちゃダメよ」
 「へへへ。櫻さんも文花さんもおもしろーい」
 とまぁ、臨時開館となった環境情報センターは、乗っけから賑やかなのであった。

(参考情報→打ち水の効能

 打合せネタはいくつかあるが、今日のところは、①発行物や当面のイベントなど、櫻が入力を続けていた各団体の個別情報と連絡先などの基礎情報との連結、②その連結した結果をセンターのホームページにどう掲載するか、③データベースソフトとホームページを連動させるプログラムをどう作るか、④時間があれば、櫻の取材成果などを載せるコーナー(ブログもどき?)の設定、という感じ。議題をホワイトボードに書き出すチーフ。こうした仕切りはミーティング慣れしていないとできない。研究機関ご出身というだけのことはある。
 「ところで、あの若いお二人さんはあそこで平気かしら?」
 小梅はマップの清書を始め、六月はノートに罫線を引き、種類別の整理を試みようとしている。
 「あのくらいの年の子だと、ゲーム機とか持ち歩いて、放っておくとピコピコやってたりすると思うんだけど、違うのねぇ」 そんなことを気にかけながら、チーフは麦茶を用意しに行ってしまった。という訳で、まずは三人で①の議題。データベースソフトでのこの手の操作は、千歳にとってはお手の物。ただし、団体の名称が微妙に違ってたりするので、簡単には連結結果が表示されない。一つの団体の中に複数のグループが含まれていて、そのグループ名で月刊誌が発行されてたりするものだから、一筋縄ではいかないのである。円卓上のノートPCは熱を帯びてきた。十四時ともなれば外気温もピークを迎える。これでは空調も効かない?
 麦茶効果か、一口啜(すす)ったところで妙案が閃いた。「櫻さん、団体連絡先の電話番号(末尾四桁)って全部違いますか?」
 「えぇ多分」
 「じゃ、これでIDをとりましょう」
 弥生は千歳独特の実用的アプローチに感心したようで、ツッコミ封印中。しばらくして、団体の基礎情報の中に四桁のIDが割り振られ、今度は個別情報の中にIDを入れる用意ができた。幸い個別情報の方は、基礎情報ほどの件数にはなってなかったので、ちょっとした小細工を使い、ある程度一括してIDを入れ込むことができた。櫻のチェックも含め、ここまで十五分ほど。チーフは少女少年の様子を見たり、PC画面を覗いたり、落ち着かない様子だったが、①の件が早々と見通しが立ったとわかるや、窓際の席でゆったりと麦茶をカラコロやり始めた。日傘ハットは被っていないが、サングラスはそのまま。やはりお忍びさん気取り? その間、IDをキーに基礎と個別がつながった。次はこの情報をいかに広く発信するか、である。議題は②に移る。
 ホームページは役所の仕掛けと部分的に連動していて、ブラウザ上で記事の書き込みやコーナーの改廃ができるようにはなっている。容量上限は不明だが、PDFファイルの添付も一応可能。やや変則的だが、団体のよみ(あ行~わ行)に応じていくつかブロックに分け、一覧表形式のページを用意。そこに基礎+個別のPDF情報を並べ、クリックして見てもらう。そんな感じで当面はしのぐことにした。大人にとっても夏休みの宿題が与えられた格好である。記事を載せるのと手法は同じ。あとは櫻が時間を見つけてPDFを作ってアップして、という話でまとまった。個別情報の追加、基礎情報との連結、そこまでは確認済み。連結したデータはブラウザで閲覧しやすいサイズでPDF化できればいいので、今日はその調整に時間をかける。
 チーフは再び若い二人と話をしている。二人ともメドが立ったようで、余裕のコメント。
 「夏休みの宿題はさっさと片付けて、八月に思い切り遊ぶノダ」
 「今年みたいに梅雨が長引きそうだと、宿題するにはちょうどいいっていうか。ヘヘ」
 弥生の思惑(?)通り、すっかり意気投合した観のあるご両人。さすがのチーフも脱帽(いや脱サングラス)である。大人の方の宿題はいかに?
 「じゃ、ごほうびに三時のおやつにしますか」 六人は手を休め、水羊羹にありつく。七月で異動になった須崎課長が挨拶で持って来た一品だとか。
 「エ、地域振興から環境の部署に?」
 「事業委託主になるってことかしらね」
 「何かやりやすいような、その逆のような...」
 おやつの後も打合せは続く。小梅と六月は、自由研究のブラッシュアップを兼ね、一階の図書館に下りて行った。宿題をするには打ってつけの環境である。

 「ところで弥生ちゃん。プログラム作ってもらうとしたら、どのくらいお支払いすればいいの?」
 「卒論のテーマにさせてもらえるなら、別に無償で構いませんよ」
 「じゃ、インターンってのはどう? 好きな時に来てもらえば、その時間分はバイト代も出せるし」
 「なーるほど!」
 「ねぇ、チーフ?」
 ホワイトボードに何やらメモをしつつ、議事を進めていた文花。ふと手が止まる。
 「桑川さん、週に何時間くらい来られそう?」
 「夏休みの間はそれなりに来れると思いますけど」
 「そうね。学生インターン... ひとまず期間限定ってことでよければ。OK」
 チーフなりに先を見据えての暫定的な承諾ということのようだった。インターンはインターンである。夏休みが明けたらまた考える、いやいっそ新たに人材を増やすというプランもなくはない。ある人物をすでに想定しているようにも窺える。
 ③の件は、弥生が来るようになれば随時対応可能ということで落着。試験用のwebサーバは、カウント画面の設定と同じく、千歳が持っている領域を使うことにした。残るは④、櫻さんコーナーの新設である。
 「センターのホームページの中って、ちょっと違和感あるかも...」 センターのホームページの記事投稿形式では、複数の画像を貼り付けるのが困難という事情もある。
ふ「それじゃあ、隅田さんのドメインを間借りしたら?」
ち「『漂着モノログ』はメジャー系ですけど、マイナー系でよければいくらでも」
や「誰かさんみたいに月に二回とかじゃなくて、日記調でマメに、ね」
ち「そもそもブログってのは、ジャーナリスティックなものなんだ。日々のよしなし事どうこう、じゃなくたって...」
 あとは、櫻本人の意向次第だろう。ここで進行係が切り出す。
 「まずはタイトルでしょう。ボードに書いてくから、言ってみて」
 「櫻が往く」は弥生発案。さくらでいいならと、千歳は「心はいつもさくら色」。
 「何それ? 千さんやっぱし」「エ、いや何となく」 櫻は俯いたまま。
 チーフは、何を思ったか「サクサク、ランラン♪」とか書いて「どう? ブログっぽいでしょ」と自賛している始末。こういう議論はえてして本人そっちのけで盛り上がるものである。しばらく考え込んでいたご当人は、
 「届けたい・・・ かな」
 勝手にさくら路線で話を進めていた三人は不意打ちに遭うと同時に、心を打たれていた。簡潔ながら広がりを感じさせるタイトル。即決である。弥生は内心「さすが櫻姉」と拍手を送る。チーフと千歳は「おそれいりました」と声をそろえつつ、低頭モード。
 「じゃ改めて、記事とか画像とか載せ方を書いたものをメールしますね」
 「ハイ! でも、千歳さんにはお世話になり放しで... スミマ千」(一礼)
 「何を仰いますやら」
 午後四時になろうとしている。二人だけの時間、ではないが、一日のうちで一緒に過ごしている時間としては最長を更新中である。午前中は途中から長く感じたが、午後、センターに来てからはとにかく早い気がする。櫻にとっては物憂げな夏の昼下がり。

 議事が済み、時間にゆとりができたので、今日はこの場でワイワイやりながら、モノログを更新することになった。図書館はまだ閉館時間ではなかったが、下の二人も戻って来た。宿題の成果を見せてもらいながら、「自発的環境教育」を引き続き模索しようと、文花は二人に面談を申し込む。円卓ではPCを操作する千歳と彼を囲む二人の女性。両手に花とは羨ましい。デジカメからメモリを取り出し、PCのスロットに入れる。午前中の記録が鮮やかに展開されていく。スクープ系のみならず、さりげなく人物も配されている写真の数々。肖像権を気にしてか、人物写真は控え気味にしていたのだが、最近はそうでもない模様。あるがままの記録を重視するようになっていた。
 「あれ? この最初の写真は」と弥生がツッコミを入れたところで、ベースの重低音がガツンと来る着メロとともに、彼女のケータイが鳴った。「あ、おばちゃんだ」
 「ちょっと千歳さん、この写真...」
 「織姫様です。よく撮れてるでしょ」
 「いつの間に? 弥生ちゃんに知れたら大変。危なかったぁ」
 千歳君はお気に入りの一枚をメモリ上にもそのまま残しておいた訳である。七夕(同行調査)時の他の画像は、彼のPC本体に移動させるとともに、櫻には某サイトのフォトアルバム機能を使ってコピーを渡してあった。そこまでは良かったのだが... 確かにヒヤヒヤものである。
 櫻には呆れられるか、咎(とが)められるか、と首をすぼめていた彼だったが、思いがけずにこやかだったので、小さくひと息。今は髪を下ろしている櫻。七夕は過ぎれど、またサラサラだか、ザワザワが始まった。あわてて視線を画面に戻す。
 「失礼しました。画像は選び終えましたか?」
 「蒼葉、何だって?」
 「仕事終わったから、寄れたらここに来るって」
 千歳は傍らでパタパタとやっている。いつもの早業かと思いきや、行事が変則的だった分、手こずっている? いや、
 「何か、定例のモノログよりも充実してない?」 弥生ご指摘の通りである。つまり、
 「今日は過去最多九人だったから、いろいろな視点が出てきた、ってことだと思う」
 文花との小面談を終えた二人から、櫻がネタを持って来た。「じゃ、これとこれも、ね」
 立派に仕上がったマップと一覧表。図書館で調べた成果として、用語解説のようなものもしっかり付されている。スキャンしてもよかったが、バッチリ載せる訳にもいかないので、デジカメで軽めに撮影して転載。これで七月二本目のモノログは概ね完了。作品がブログに載ったというのもさることながら、文花と話をする中でさらにモチベーションが高まっていたらしく、夏休み中は、自由研究をまだ続けるようなことを若い二人はのたまう。これは本人の資質なのか、それとも現場での実体験(現場力)の為せる業か、はたまた周りの大人達のサポート故か... どれも当てはまりそうである。
 「今朝は雨混じりだったから、行くかどうか迷ってたんです。でも、モノログ見たら『決行』って出てたから」 弥生にしては珍しく(?)モノログを評価するご発言。ブログの掲示板としての機能の有効性が少なからず立証されたことになる。
 「おかげで自由研究、バッチリさ」
 「ところで、桑川さんはブログとかやってそうだけど、どうなの?」
 「内緒、内緒」
 「それはないっし...」と言いかけた弟の口を塞ぐ姉。実の姉弟ならでは、のやりとりである。おあとがよろしいようで、ひと足先に帰途につく。
 「あれ、蒼葉と会わなくていいの?」
 「いえ、六月がお気に入りなもんで、会わせるとまた『萌えー』とかやり出すから。小梅ちゃんにも悪いし」
 六月君は年の近いお姉さんと談笑中。微笑ましい光景である。

 午後五時。二女がマップを見せてもらっていると、
 「あ、おばさん」
 「またぁ、お姉さんて言ってよね」
 マップ上では、水生関係の生き物のみならず、アリやチョウも描かれている。あいにく青ガエル(?)にはお目にかからなかったが、青が付く人がここに来て現れた。
 「へぇ、これ小梅ちゃんが描いたんだ」
 画家の目にどう映ったかはいざ知らず。だが、櫻の方はまたしても「いいもの」を思いついたようである。
 マップに載せてくれと言わんばかりにセミの声が届き始めた。セミが鳴り止むと少女は、「また来てもいいですか?」 照れながらもハッキリと一言。「もちろん!」 三人のお姉さんに見送られてのご帰宅である。

 「そうそう隅田さん、今日の手当は?」
 「時給じゃ申し訳ないし」
 「櫻嬢とのデート権ってどう?」
 「もう、お節介!」
 「七夕デート、楽しかった?」
 「だからあれは調査ですから!」
 「ほら、引っかかった。やっぱり一人じゃなかったんだ」
 「あ...」
 千歳は満更でもなさそうだったが、確かに余計なお世話ではある。苦笑いしつつ、話を戻す。
 「実質的な入力作業は櫻さん担当ですから、僕は別に」
 「ま、櫻さんから連絡してもらうわ。ね?」
 干潟では冴えないチーフだったが、ここへ来て絶好調である。
 後片付けをしながら、片手間にケータイメールを打つ先輩。送信先の後輩は、帰りがけ、定点調査スポットでペレットを捜索中。暑さも何のその。いつしか太陽の高度が下がっていた、という集中ぶり。当然、メール着信にも気付かない。

 橋の方向へ走り去って行く千歳を見送る姉妹。妹は姉をからかうように、
 「隅田川の花火を隅田さんと、とかいいの?」
 「ハハハ。今日は何か気疲れしちゃって... それどこじゃないわね」 今夕は辛うじて晴れているが、梅雨はまだ続くんだそうな。櫻の胸中も梅雨の如く湿気ている。いつ明けるのか、これは愛妹にも誰にも予想できない。

2007年11月13日火曜日

16. 学びの場


 夏休み最初の日曜日に向け、櫻リーダーは当日の段取りなどを思い描いていた。「蒼葉は来ないけど、弥生ちゃんと十代姉妹と先生と千...」 千歳さんと言いかけたところで、息が上がり、ハッとする。説明しにくい感覚である。「少人数だから、終わったらその場でお弁当、かな。多めに用意すればいいんだし」 次回打合せの日程調整の件に加え、弁当の提案を盛り込んで、千歳と弥生に同報メールを打つ櫻。「そう言えば、業平(ごうへい)さんて来るんだったっけ?」 p.s.でその旨の確認も入れて発信。

 弥生からはツッコミ系、櫻からはこんな感じの業務連絡系、そしてこの二人ほどではないが、文花や南実からも時にメールが来るようになっていた。名刺交換した甲斐があったと言うものだが、こっちのお二人からのメールは、内容的には漂着モノログに関するあれやこれやで一読する限りは当たり障りがない一方、どこか探りというか思惑めいたものが行間から感じられるのが特徴。こういう探りの入れ方は即ち研究機関関係者ならではの業なのか。仕事のメールはそこそこ捌(さば)けるものの、こうしたメールの処し方には正直窮する千歳君であった。七日を過ぎて以降、文花からは「七夕は何かいいことありました?」とか、南実からは「櫻さんにもよろしくお伝え何々」とか。で、共通していたのは「何か面白い話があれば教えて」系の一文。櫻から弁当提案の話もあったことなので、研究機関の先輩・後輩それぞれに夏休み最初の日曜の臨時イベントの予定を書いて、サラリと返信。フッと息をつく彼だが、この件、リーダーにお伺いを立てなくてよかったのかな? 梅雨が本格化し始め、この日も雨。自由研究デー当日の空模様、そして人間模様が気がかりである。

 朝方まで雨が残っていたものの、日頃の行いが善いせいか、今は何とか曇り空。屋外のイベントでは、天候の如何によって決行とか中止とか、連絡を回し合うものだが、千歳も櫻もケータイ不所持なものだから、出たとこ勝負になっているのが実状。参加予定者が限定的なのでメールで連絡がつく人には同報で流してもいいのだが、ブログの中に一筆載せてカバーしてみる。天候不順、足元不安定ながら、一応決行の旨、モノログの一角に掲載。集合時刻の一時間前のことである。
 櫻の方は天気のことなどお構いなし。着々と弁当の準備を進めている。「蒼葉ぁ、レジャーシート、持って来て」 備品の方も万全を期す。「まるでピクニックね。あ、一つ頂戴」
 切ったばかりの粒々パンに、櫻風デリの一つを乗せて早々と口に運ぶ。
 「蒼葉ったらぁ」
 「毒見ですよ。誰かさんに食べてもらうんでしょ」
 「...」
 何かマズイこと言ったかな、と口に手を当てつつ、妹は先に家を出る。「あ、私もそろそろ出なきゃ」 時計は九時半を指していた。

 「あれ、千歳さん?」 橋を折れて河川敷道路をしばらく走っていたら、いつもなら徒歩の彼が前を自転車で走行中。ノロノロ運転(河川敷ランナーの方が速い)なので、ちょっと加速すれば追いつきそうなものだが、あえて距離を保ちながら尾行するように走る櫻。「PC系は速いけど、普段はスローなのかな。ハハ」 湿気を含んだ蒸し暑い風が時折吹いてくる。風速二から三メートル、といったところか。自転車を飛ばせば吹っ切れる気もするが、かえってジメジメ感がまとわりつきそうな気も。千歳としても風が絡みつく感じは受けていたが、それ以上に「何か後ろに気配というか...」 干潟方面に下りる坂道の手前でふと停車。櫻はあわててブレーキをかける。「あ」
 「なーんだ、櫻さんじゃあないですか」
 「ハハ、バレちゃった」
 「声かけてくれればいいのに」
 「淑女は奥ゆかしくなくちゃ。あ、でもどうして自転車なんですか?」
 「資源ゴミ担当の業平君がお休みなので、代わりに、と思って。上旬はいいんだけど、月末が近くなると立て込んでくるみたいで」
 蒸し暑さもあるだろうけど、どうも必要以上に顔が紅潮しているようだ。櫻は帽子に手を当てるフリをしつつ、頬を確かめてみる。今はちょうど水の準備中。顔にちょっと水を浸してみる。「わぁ、生ぬるいぃ」

 当地での自転車デビューは、この少女も同じ。小梅は時にぬかるんだ土にタイヤをとられながら、グランドの脇をクネクネ走っていた。前方にはアラウンドサーティーのご両人。そしてその妹を追うように、直線的にRSB(リバーサイドバイク)を走らせるは姉の初音嬢。姉妹そろって来るかと思いきや、姉は妹に内緒で先発。カフェめし店を経由してのご来場である。
 「お、おはようございますぅ」
 「あら、小梅さん、あと、フフフ」
 少女がこわばったような不可思議そうな顔をしているので、千歳が手でちょいと指し示す。
 「あっ、お姉ちゃん!」
 「来てやったぞ。隅田さん、千住さん、今日はよろしくお願いします」
 妹は複雑な表情ながらもどこか嬉しそう。そんな妹を見て姉も微かに笑みを浮かべる。それにしてもさすがはティーンのお姉さんは、ハーフじゃなくてショートのデニムに、パーカ+キャミと来た。カフェ勤務中の落ち着いた服装に見慣れているだけに、この変貌ぶりにはビックリ。ヘソ出しまではいかないが、目の遣り場がちょっと... そんな三十男であった。「千さん、水こぼれてる」「あ、いけね」 水は大切にね。
 定刻に現地にいるのは今のところこの四人。あとは弥生と掃部(かもん)先生が来れば、前回のお約束の範囲でメンバーがそろう。その弥生は、自身同様アンテナは高いが、なぜか変わり者と評する弟君、六月(むつき)君を連れて、バスで橋を渡っているところだった。
 「今日は本物の青ガエルが出てくるかもよ」
 「東急のあの車両がいいの。オイラ、本物は苦手だし」
 「あ、降りなきゃ」
 あまり下車する人がいる停留所ではないのだが、この姉弟の他に、一人の女性も降り立った。長めのワンピースにニットを羽織り、「日傘ハット」を目深に被っている。薄色だがサングラスをかけているので、どこの誰かはこれではわからない。
 「姉ちゃん、あの人、付いてくるよ」
 「しかもクシャミしながらってのがまた気になるわぁ。急ご」
 何とも場違いな格好をしたこの女性。しかもサンダル履きだったりするものだから、歩くのには不利。若い姉弟にすっかり先を越されてしまった。「あの二人も干潟?」
 こっちは濃い目のサングラスに麦藁帽。先生のバイクが徐行しながら近づいてきた。サングラスだけなら、チョイ悪オヤジが往く、といった態だが、麦藁がその演出を帳消しにしている。後姿だけを見れば、少年オヤジである。女性の方は何となく気付いたが、先生はわからない。「ありゃ海辺スタイルだな」 この時、前方からは久々にあの人が向かってきていた。ただでさえ速さが出る電動アシスト車だが、力いっぱいペダルを踏んですっ飛ばして接近してくる。先生はただの自転車と思っていたようだが、読みが違った。速い速い。
 「キャ」
 「ととと」
 曲がる手前で速度を落としていたとは云え、ブレーキを制御し損ねた。右折する側が一時停止するのが筋だが、ところどころ濡れた路面がスリップを誘ったのである。直進すると思ったバイクが急に左折、というのもアクシデントの一因。後輪に危うく衝突しかけたが、運動能力が幸いしてか辛うじて回避。掃部公の方も先に曲がり切れると読んでいたので、右折車とわかっていながらブレーキをかけなかった。危ない危ない。
 「危ないなぁ、オヤジっ!」
 「何だぁ、そっちがスピード出すからだろっ」
 アクシデントの現場を目撃していた女性が立ち止まる。
 「先生、どうなさったの?」
 お互いサングラスをちょいと上げて顔を見合わせる。
 「おや、これは矢ノ倉女史。いや、このお嬢さんがさぁ...」
 「あ、先輩?」
 「何だい、知り合いかよ」
 「南実ちゃん、今のはあなたの一時停止違反。悪態ついちゃダメ」
 「だって、急に曲がるんだもん」
 「ね、掃部センセ」
 「エッ、カモン... 掃部清澄さん、ですか?」

 十時十五分になっていた。退潮が始まっていたが、まだ水位が高めなので陸から干潟を眺める四人+姉弟がいる。リーダーは今回、受付用紙をちゃんと作ってきた。クリップボードにそれを挟んで名前を書きながら回覧する。初音と六月は干潟初登場だが、初対面が多い分、六月にはより負荷がかかりそうな場面。だが、姉から事前にレクチャーを受けていたようで、顔と名前をすぐに一致させると、「小梅さんて、先輩?」 小学校が同じことをつきとめたりしている。変わり者というよりは、強者(つわもの)である。物怖じしない、人見知りしない、千歳としては見習うべきところ大である。初音嬢は「このゴミ、マジっスか?」とか言っちゃって、店内での言葉遣いと大違い。またしても面食らう千歳に対し、櫻は「マジなんすよ。ね、小梅さん?」てな感じで飄々とやっている。小梅は得意げに姉に解説を始めた。橋の近くではプレジャーボートが行ったり来たり。その波が寄せては返す。「先生来ないけど、そろそろ始めますか?」

 細道は前よりも広めになった。六人は悠々と干潟へ下りて行く。すると、ヨシ群の後方から何やら問答調の会話が聞こえてきた。「あれ、またお客さん?」 櫻は引き返して様子を見に行く。千歳は「いやぁ、おそろいで来ちゃったよ」と内心焦りつつ、そそくさと干潟に着地。今のところ最年長の隅田氏は現場責任者の如く、「皆さん、潮が引いた直後はまだ凹みますから、足元には気を付けてくださいね。あと、刺さると危険なゴミもいろいろ落ちてますから、手にする時は十分注意して...」 陸から見下ろすのとはまた違う光景、そして漂着する物体のその異様さ・多様さ、初干潟の初音はしばし唖然としている。「前回はもっと多かったんだよ」 妹が一言。今日は姉に対して遠慮は要らない。話しかけて怒られても、きっと弥生と櫻がかばってくれる、そんな安心感があった。だが、それは杞憂というもの。今日の実姉は昔のような優しさを垣間見せる。
 「小梅、自由研究ってここ?」
 「ゴミがね、生き物を困らせてるって聞いたんだー」
 「手伝えること、ある?」
 小梅は小振りの画板に画用紙を付けて、
 「マップを描くの。で、カニとかハゼが見つかったら、その場所に描いて、近くにゴミがあったら、それも書き足して、って感じ。お姉ちゃんはあとでチェックして」
 「カニ? ハゼ?」
 「ハゼはね、あのオジサンが釣ってくれるんだ」
 蟹股のハゼ釣りおじさんが「ワハハ」とかやりながら下りて来た。南実がひと降り、続いて櫻が文花の手をとりつつ何とか着地。道が拡がったのに加え、ここの段差もこの数ヶ月間で人の行き来ができたせいか、他の釣り人が手入れしたか、上り下りしやすいような勾配になっているのだが、サンダル履きでは難がある。しかも大きめのカゴ状のバッグを提げていては仕方ない。
 「あれ、さっきのクシャミさんだ」 咄嗟(とっさ)のツッコミは六月君。すかさず「クシュン、ハァ」 千歳は笑いを堪えるように、「文花さん、何だかお忍びの芸能人みたいですね」
 「ハ、そう? クシュン」
 「ハハ、俺が刈った後でまた出てきたか。だから根絶やしにしねぇとダメなんだ」
 「まさか私がイネ科花粉症だったなんて、ハ...」(クシュン)
 可笑しそうな表情を見せながらも、怪訝顔の櫻。「矢ノ倉さんと小松さん、です。えーと、元先輩と後輩のご関係、でいいですか?」 ボードを取り出し、記名を勧める。
 「欄が手狭だけど、先生は別格だから...」
 「あぁ、俺はこれがあるからさ」と言いつつ、「清掃部」と書かれた大きめの名札を着用。「清掃部のかもん・きよし先生です。ヘヘ」 小梅が紹介する。
 「ありがとさん。それにしても、今日もまた美人さんばっかりだなぁ、ヨシヨシ」
 かくして人数が増えることを見越したように水位が下がった干潟には、総勢九名の男女がそろった。六月は早速、名前を確認しつつ、呼びかける。
 「墨田区に文花(ぶんか)ってとこありますけど、『ふみか』さんなんですよね」
 「文花なんて、よく知ってるわねぇ。雨水の調査で一回行ったことあるけど、六月君、何かご縁でもあるの? ハ、ハァ」(クシャミ中断)
 「東武亀戸線の駅めぐりしたんです」

(参考情報→墨田区文花

 実姉は年が離れてて話にならないとか言っている割には、さらにお年(この日の女性最年長)の文花にはこの調子。姉のラフな格好に見飽きているせいか、エレガントなこの海辺スタイルがお気に召した、ともとれる。
 十時半を回った。改めてリーダーの出番である。「じゃ、小梅さんと六月君はさっき眺めてもらってプランができたと思うから、その自分で考えたプランに沿ってまずは調べてみてね。で、二人のお姉さんはサポート役、でいいかしら?」 手を挙げる弥生と初音。「じゃ俺はまたウロウロしてればいいかな」 先生はすぐにでも釣りに興じたいところだったが、どうも干潟の様子がいつもと違うことを察したようで、その点検を兼ねての志願だった。五人は何となく動き出した。
 次に櫻は千歳の方をチラと見てから、
 「チーフはクシャミが止まらないみたいだから、被害が少ないところを探して、って言いたいところだけど、干潟を見下ろせる場所で見張り役ってのはいかがですか?」
 「でも、折角下りて来た訳だし、ちょっと散歩してから、じゃダメ?」
 南実は首を振っているが、現場経験が少ない文花としては、一遇のチャンスである。「何が出てきても知りませんよぉ」 クシャミしながら、ソロソロと歩くチーフ。どうも危なっかしい。
 「私、この束突っついてますね。何か出てきたら、あの子たちにも」
 「ゴミ相談室ね。了解です。そうそう、千歳さん、ちょっと」
 陸に上がる二人を見送りつつ、南実は「やっぱり?」と訝る。ヨシ束の周りには飲みかけでフタをしたペットボトルが転がっていて、その甘味をキャッチしたか、小アリが行列を作っている。「ホレホレ」 アリを枝で散らす南実。ちょっと荒れ気味のお嬢さんであった。
 「千さんたら、ヤダなぁ。二人が来ること知ってたら、段取りアレンジしたのに」 生乾きの草地にレジャーシートを二人で展(ひろ)げつつも、いつになくご機嫌斜めの櫻がブツブツ口調。千歳はあわてて、
 「いえ、お二人から何かネタがあれば知らせるように頼まれてたんで、こういうのがあるよって。本当にいらっしゃるとは、て感じです」
 「フーン」
 言葉少なのリーダーは、細道を戻る。手持ちぶさたの千歳は、デジカメを取り出して、バッグを置く。面々の手荷物は、干潟中央になぎ倒されていた枝葉の上に暫定的に置いてもらっていた。櫻は一人でこれらを引き上げてきて、シートの上に並べ始める。「あ、気が付かなくて」 ちょっとした沈黙。そこへ息を切らせて弥生が駆け上がってきた。
 「櫻さん、データカードってあります?」
 「あれ、ケータイ使うんじゃ?」
 「あの子ったら、何を思ったか数だけじゃなくて銘柄を調べようなんて言い出すから、メモできなくて」
 「じゃ、ボードごとどうぞ!」
 「あれ、千さんここにいたんですか」
 「千さんはいいの。行ってらっしゃい!」
 「喧嘩しちゃダメですよぉ」
 弥生にちょっと救われた。「じゃ櫻さん、僕は撮影係してますね」
 「はいはい」 手を振りつつもまだ曇った顔をしている。「そんなに怒らなくてもなぁ」スクープネタへの反応は速いが、女性心理についてはそうはいかないようである。こういう局面の打開方法を会得していない千歳君。いや、打開というよりも心情理解がまず必要なようだ。
 文花が来るまで、ここで会場監視することにした櫻。心模様とは裏腹に空模様は好転してきた。プレジャーボートが下流へ向かってきた。やがて小刻みな波が干潟を洗い始める。誰かが騒ぎ出しそうだったが、思いがけず静かなまま。櫻の胸中にも波、波。すると今度はペレットを洗い出すのに使う容器を探しに南実が上がって来た。何とも言えないタイミングである。
 「ヨシを洗うのに丁度いいのがなくて。どこかに落ちてないですかね」
 「あぁ、細道の脇のヨシの間にいろいろ絡まってたけど、バケツじゃないとダメよね」
 ちょっとキョロキョロやっていた南実だったが、深呼吸すると、直球勝負に出た。
 「櫻さん、隅田さんて彼氏、ですか?」
 「え、いや、あの...」

 雲が切れ始め、光が注ぎ出す。「今日はね、陽射しが出てきたら大変よ。今も二十七度くらいあるけど、もっと暑くなるから」 観天望気をしながら、初音がにこやかに予報する。小梅は画板を姉に預け、汗を拭う。マップのアウトラインは描き上がりつつあった。
 温度上昇を受け、周囲の草々から蒸気が上がって来るのがわかる。櫻と南実を煽るような自然熱。櫻の心の波が高まってきた。
 「櫻さんにその気がないんだったら...」 南実がそう言いかけた時、「キャー!!」 文花の大声が響いた。チーフを、先輩を、放ってはおけない。「南実さん」「ハイ!」 二人はその理由が十分にわかっていた。あるものに遭遇してしまったのである。
 女性六人中、上から二番目と三番目が駆けつけてきた。最年長さんは上流側で固まっている。先生がすでにフォローしたようだったが、
 「いやぁ、枝でつついたら、余計に怖がっちゃって」
 「ほら、文花さん、もう姿見えませんから」
 「しょうがないなぁ、先輩は」
 文花が現場に出て来られない確たる理由はこれ。「魚嫌い」である。形ある状態(つまり動いている)ならまだいい。「キャ」程度で済んだはず。今回はよりによってコイの白骨骨格を見てしまったものだから万事休す。「ハ、ハハ」 クシャミを止める程の衝撃を受けた模様。櫻と南実に引きずられるようにして、その場から退却。シートに腰を下ろすと安心したか、水筒をゴクゴクやり出した。
さ「じゃあ、しばらく休んでてくださいね」
み「これでまた現場に足が向かなくなりそう」
さ「虫はてんで平気なのにね。言わんこっちゃないワ」
 先刻の蒸気は収まったようだ。南実はまだ心中が蒸す感じが残っていたが、先輩から「南実ちゃーん」なんて呼び止められたもんだから、すっかり拍子抜け。ヨシの蔭から何やらプラスチック製のトレイのようなものを見つけ出してから、「今、行きますから!」
 櫻はようやく干潟に降り立った。「南実さんて、手強いわぁ」 眼鏡が鈍く反射する。千歳は遠くから恐々と櫻を見ている。「櫻さんて、コワイ人?」 何だかんだで、時すでに十一時近く。船が届ける波はよく見ると泥交じりで茶褐色。雨の後は水が濁るってこれのことか? 一連の波の動きがわかるように連写する撮影係であった。
 点検を終えた掃部公は、釣竿キットを持ち出し、下流側へ。干潟の奥にたまっていた飲料容器の銘柄調査をざっと済ませた姉弟は、通りがかりの先生をつかまえる。
 「先生、この間はこんな感じじゃなかったですよね?」 カニの巣穴の上方はヨシで覆われていた。その崖土が削り取られ、ヨシの根っこが露わになっているのである。
 「ご明答。この間、台風来たろ。あれで荒川も増水したみたいなんだな。その証拠がこのヨシの根っこと、そこのゴミさ」
 「あ、気付かなんだ」 弥生も見上げないとわからない高さ。干潟面から五十糎ほどの高さから生えている背高なヨシの真ん中あたりだから、三人の足元からだと二メートルほどになるだろうか。トレイやらカップめんがヨシに絡んで留まっている。六月の目線からはさらに上に見えることだろう。こんな位置まで水面が? 俄かには信じ難い弥生だったが、土が浚(さら)われるくらいなんだから、ウソではなさそう。
 少年の目前には、ヒョロヒョロした根が錯綜している。おそるおそる根元を引っ張ってみる六月君。先生が「あっ」と声を上げた時はすでに遅し。ヨシ群の一部が崩落してきた。気鋭の姉もさすがに「ヒエー」となる。
 幸いその三メートル近いヨシ束は彼等を直撃することはなく、葉の重みに任せて逆方向に倒れてくれた。
 「この子はもう」
 「面目ない」
 「いいさいいさ。何事も経験。おかげでゴミが出てきたさ」
 ペットボトルがコロコロと出てきた。これでまた銘柄が増える。一つはミネラルウォーター。もう一つはスポーツ飲料である。養分補給? ヨシにとってはありがた迷惑な話である。
 「あれ、何だこのフィギュア?」 軍手で泥を払うも、うまくいかない。水際でバシャバシャやり出した。「初代モビルスーツ?」 弥生がチェックする。これって結構なお宝では?

 ヨシの崩落事件で、一女・三女を除く、四人(本日の定刻集合組)が集まってきた。少女はめざとく生き物を見つける。「あ、カニが出てきた」 人が近づくと穴に引っ込むものだが、このカニは今日の少年のように物怖じしない。おそらく巣穴内部でも変化があって飛び出して来たのだろう。「クロベンケイって言うんだよ。ね、先生」 六月は眼鏡を外して、覗き込む。似たもの同士の対面、といきたかったが、実は内弁慶カニだった。身を翻して穴へ。その後はずっと引きこもって出てこない。やんちゃ系だとヨシで穴を突っついたりしそうなところだが、少年はじっと待つ。「そっとしておいてやるもんだよ、ね」 これには千歳をはじめ、一同感服。この感性が変わり者たる所以(ゆえん)なんだろうか。
 気が付くと、千歳の隣に櫻が立っていて、変にニコニコしている。
 「千歳さん、さっきはゴメンナサイ。何かツンツンしちゃって。エへへ」
 「いやぁ、リーダーにちゃんと話をしなかったんだから、悪うございました。干潟何周?」
 「じゃ一緒に一周」
 弥生はそんな二人を微笑ましく見送る。六月はめでたくカニと対面中。

 「さーて、釣りの時間だよぉ」 いつしか組み立て終わった竿を担いで、先生が動き始めた。十代姉妹が続く。妹は何を思ったか、崩落ヨシの近所から特盛サイズのカップめん容器を拾い上げて持ち出す。水位がさらに下がり、積石も歩きやすくなっていた。程なく、干潟マップにはハゼが加わることになる。だが、描くだけでは物足りなかった少女は、数匹のハゼをカップに泳がせて、他のお姉さん達に見せに戻った。
 途中、四女は「へぇ泳ぐんだぁ」、二女に見せると「あら小梅さんたら。お昼に食べちゃう?」てな具合。小梅はその反応が可笑しくて仕方ない。本日初対面の残り二人のお姉さん方はどうだろう?

 先輩の横で微細ゴミ調査をしていた南実だが、成果が乏しいようで退屈気味。そこへ六女が現れた。「こ、小松さん、これ。清さんが釣ったんだよ」 荒れがちだった南実だったが、これにはさすがに表情が緩む。
 「あ、アベハゼ?」
 「マハゼじゃなくて?」
 「夏のマハゼもこのくらいだけど、これはもともと小っちゃいの。泥が多いところに出てくるんだって」
 南実がちょっと目を離した隙に、止せばいいのに一女のところにも見せに行ってしまった。「あ、小梅ちゃん、ダメ」
 「えーと、矢ノ倉さん?」 干潟を一望しつつもまだ放心状態の文花は、ハゼを見たくらいでは動じなくなっていた。「まぁ、カワイイわね」 異名「ダボハゼ」は、カワイイてのが気に入らなかったか、ひと跳ねしてみせた。「キャ!」 我に返ったか。だが、「も一回、見せて」 一女なりに努力はしているようである。クシャミはさっきから止まったまま。
 カップをその場に置いて、六女と三女は干潟へ。五女はマップのチェック中である。生き物への影響という点では、袋ゴミは見逃せない。マップには袋の絵がチラホラ描かれていたが、何の袋かがハッキリしない。
 「お姉ちゃん、そこの袋拡げてみて」 初音はおっかなびっくりだったが、肥料袋の一つを持ち上げる。すると、パラパラと粒状のブツが落ちてきた。
 「あー、こんなところに!」 南実は嬉々として、「石島姉妹、でかした」 姉妹はキョトン。南実のレジンペレット講座が始まった。盛り沢山の自由研究である。
 そんな様子を垣間見ていたチーフは、自問自答モード。「環境教育って、レクチャー式になりがちだけど、それだと時々『どうだ』とか『スゴイだろ』とか、講師の自賛、いや自己表現にすり変わっちゃうのよね。ここは子どもが自分でテーマを見つけて、自力で学んでく感じ。大人はそれをサポートするだけ...」 一匹のダボがまた跳ねる。文花はもう驚かない。

 十一時半を回る。自由研究用のゴミ調査が一段落したのを確認して、櫻はクリーンアップ開始の合図をする。見張り番は掃部先生に交代。多少免疫のついたチーフが干潟に下りて来た。
 「とは言っても、実は今日、袋が足りなくて... 放っておくとマズそうなのだけ拾って数えましょう。続きは次回、八月五日に」
 「櫻さん、この袋、使えないの?」
 小梅がハキハキと問うている。実姉は吃驚(びっくり)せずにはいられない。
 「こりゃ失礼。使えそうなのあった?」
 「この大袋なんて、どうでしょう?」
 初音が拡げておいた一枚は、四十五リットルの倍ほどの大きさの透明なもの。多少穴が開いているようだが、軽くて大きめのゴミなら何とか使えそうだ。
 という訳で、四月の回同様、ターゲット限定型で収集が始まる。増水で流されてしまったのか、食品の包装類やら発泡スチロール片など軽めのゴミが目立たないのが今回の特徴。全体的に量が少なく見受けるが、ヨシがキャッチした分を忘れてはいけない。崩落を招かない程度にそれらを引っ張り出すとどうなるか、である。ヨシに隠れたものも含め、特に多かったのはペットボトルだが、これは弥生・六月チームが銘柄を調べつつポイポイやってあったので、集めるのに時間はかからなかった。ただ、アリがたかるもの、泥まみれのもの、再資源化可能レベルと、銘柄とは異なる分別が必要になるので、その時間は加算しなければいけない。あまり身動きのとれないサンダルの人は、集まってきたボトルの飲み残し処理をやっている。
 初音嬢は、チェックを終えた袋を丸めながら、支給された四十五リットルに放り込んでいた。「奉仕活動って、半強制的な感じがするけど、今日のはこう『何とかしなきゃ』って自分で思うから張り合いがあるっていうか...」 ボランティア、奉仕、社会活動、それらの違いって何だろう?とか真面目に考える十代の女性がそこにいた。千歳は片付けながらもスクープ探し。あまり真新しいものはなかったが、しゃもじと果物カゴと「はい、千さんこれも」 弥生が差し出したのは例の機動戦士である。「ネットオークション、かけてみる?」「いえ、記念にとっときます」
 六月と小梅は、カニの巣穴に詰まりかけていた小袋や、ヨシに引っかかっていたヒモ状のものを取り払っている。ゴミと生き物の因果性を改めて認識できたようだ。
 マップに描き止めた袋の数は、とにかく大きめのものが五、概ね三十糎前後の中レベルが十五、容器包装系など十糎以下の小物が三十余り。これらとは別にレジ袋が八つ、肥料袋が三つ、土嚢(どのう)袋が二つ、さらにはクルマのカバーと思しき特大のシート片も見つかった。梱包用ヒモが数片、ヒモ状のものもいくつか。それに南実先生が洗い出したペレットが「今日はこんなところでしょ」と言いつつも、二十ほど。短時間ながら社会の縮図のようなマップ(下書き)が描出された。
 ここでケータイを取り出す弥生。「じゃ、データ入力するよ」 袋の破片、食品の包装・容器、袋類(二タイプ)、と読み替えが必要だが、新たにデータ保留機能が付いたので、多少間違えても修正が利く。ここへ来て、弥生の正体を知った一女と三女は声をそろえるように、「あ、そうか、桑川さんてプログラマーの...」 とかやっている。
 「そうですよ。小松さんの後付け仕様には参りましたけど」
 「先月は私と桑川さん、行き違いだったみたいで。話は櫻さんからいろいろと」
 弥生株は急上昇。普段はあまり相手にしない弟君も見直したようである。
 「じゃ、六月君。缶、ビン、ペットボトル、申告して」
 「あ、ハイ」 素直でイイお返事である。
 複数タイプのコーヒー、メジャーどころの炭酸飲料、アロエやオレンジなどの果汁系、各種アルコール類、ココア、トマトジュース、スープもある。缶類はボトル缶も含めて二十余り。ビンは十ほど。半分はラベルが剥がれていて銘柄不明。判別できたのは、栄養剤がいくつかと何かの錠剤の薬瓶といったところ。そして、主役のペットボトルはと言えば、ドラッグストア級のラインアップである。複数タイプはコーヒーの他に、緑茶やウーロン茶も。紅茶にソーダに梅酒に、ヨシにはいい迷惑と思われるスポーツ飲料&ミネラルウォーター。大小様々、メーカー各社揃い踏み状態で合計実に三十有数。サラダオイルの空ボトルや焼酎の大ボトルも転がっていた。ヨシの蔭にはまだまだ隠れてそうだが、これだけ数え上げれば上等だろう。
 「それにしてもよく調べたねぇ。銘柄とメーカーがわかると、より具体的な対策とか立てられそう」 千歳が賛辞を送ると、「次回はフタを調べてみます」 頼もしい返事が返ってきた。
 南実と文花はカウント画面の操作を教わっている。「私のケータイ... あ、お店だ」 初音は仕方なく、お姉さん達の画面を見せてもらっている。その傍らでは、数え終わった自由研究ゴミを袋に入れ直す仲良し二人。小さい方の仲良し二人は、干潟を何周かしつつ、実地見聞を続けている。お騒がせボートはいつしか撤退していた。波が来ない静かな干潟は憩いの場として最適。だが今日は憩い以上に、「学びの場」というのが大きかった。時には黙考の場だったり、創作の場だったり、生態系がそうであるように、実に多様である。太陽が真上から降り注ぎ出した。そろそろ正午になろうとしている。

 先生はダボハゼが弱ってきたのを見逃さなかった。器を持って下りて来ると、
 「じゃ俺はまたひと釣りしてくらぁ」
 「あら、センセ。お昼は?」
 「俺の食事はウナギ。釣るまでは戻って来ねぇから」
 「ウナギ?」 一同騒然。
 「へへ、土用の丑も近いしさ。ま、稚魚だけどな」 本当は網で掬(すく)うところなのだが、この辺は掃部流のジョークである。南実はウナギの真相を確かめるつもりか、興味津々で先生を追う。彼女にとっては伝説的存在とも云える掃部先生。直伝を受ける絶好の機会を易々と逃す訳にはいかない。仲良しご両人と一緒にお昼を共にするのが居たたまれない、というのも動機ではあったが。「じゃ、皆さんまたあとで」 サンバイザーを着け、駆け出した。

(参考情報→ウナギの稚魚