2008年2月26日火曜日

34. そして正午を過ぎ


 仕分けされた大小様々なゴミを前に並べて、ここで記念撮影。撮影拒否される方も特になく、撮影は快調と思いきや、おふみとおひさのご両人が何やら身だしなみを整えたりするもんだから、少々ペースが崩れる。それでも、チーム榎戸の撮影係はここぞとばかりに張り切って、ひたすら連写モードで撮る撮る。
 「ちょっと待ったぁ」 冴えてる千歳はここで自身のデジカメを手渡しつつ、ひと仕切り。「では皆さん、Go Hey!ってやりますから、可能な方はHeyのところで拳を挙げてくださいね」
 傑作が撮れたところで本日の予定行事は終了。ここからはオプションである。
 「そうそう、ちょっと水位が上がってますが、干潟でもぜひ記念写真撮っていってくださいね。スタッフがお撮りしますので」 櫻の掛け声に呼応するように参加者の何人か、干潟シスターズ、干潟ブラザーズ(?)が向かう。いや、六月は途中でトーチャンズの少年らと漂着硬球の品定めをし始めてしまったので、シスターズ+2(おまけ)である。
 何故か人気者の業平が撮影係を務めている間、南実は干潟を見て一言。
 「これでリセット完了ね」
 「エ? リセットって?」 聞き慣れない用語に櫻が素早く反応。
 「調査型クリーンアップの場合、決められたエリアを重点的に片付けて、一定期間を空けては調べ、というのを繰り返す手法があるんです。それがリセットクリーンアップ。今日はその記念日、かな」

(参考情報→リセットクリーンアップ

 ここで永代が口を挟む。
 「こうやってリセットされると、ここにゴミを捨てようって、普通なら思わないでしょね... あ、漂着して来るゴミが溜まる場所かぁ、ここは」
 「いえいえ、ここだってわかりませんから。捨てさせないためには片付ける、って、大いにアリでしょう」
 「調査してきてどうよ、櫻姉?」
 「そうねぇ、今日見つけたハクサイとかソーセージとかはここか、この近くかもね」
 「すでに散らかってると連鎖反応でつい捨てちゃう、か。でも食べ物をそんな風に捨てるのって、アンビリバボーかも」 弥生はちょっと義憤に駆られている。だが、かつての学校はもっとunbelievableだった。堀之内先生は経験談をもとに静かに話し始める。
 「荒川も学校も同じ。本来の状態にできるだけ早く戻すことで荒れを防ぐってことよ。割れた窓ガラスを放っておくとドンドン荒れちゃうから、とにかくすぐ直す。ゴミも早く回収できれば生き物の被害も防げる、そういうことよね」
 現役教諭ならではの発言に、シスターズはフムフムと頷く。いわゆる割れ窓理論は、干潟をはじめ、地域や流域にも大いに当てはまるのである。ただ、ここでの予防論、つまり発生抑制策は比較的狭義に当たる。より上流、即ち消費→購入→販売と遡及していく中でゴミ要因を抑えていくこと、それがより広義の予防と言えるだろう。(割れた窓をどうこうではなく、そもそも窓を割らせないようにする、という道理) ゴミではなく資源という意識付けと同時に、ゴミにならない素材利用が促されないことには、クリーンアップはいつまで経っても後手の対策でしかないのである。
 撮影係を終えた業平は、「干潟端会議」を聞いていた千歳の肩を叩くと、
 「千ちゃん、今日はグッジョブだったねぇ。モテる男は違うなぁって思ったよ」
 「何を仰いますやら。Go Hey人気の方が上だよ。ホラ、シスターズが手振ってるよ」
 どうやら干潟をバックに写真を撮れ、ということらしい。
 「なぁーんだ、女性だけでってか」
 だが、そうでもなかったらしく、次の写真は男子も交えて、と相成った。
 「じゃ、アタシは新米だから。撮影係しますワ」
 永代が撮った一枚は、中央に千歳と業平、それぞれの隣には櫻と蒼葉と並び、両翼には文花と南実、小梅と弥生が固める構図。撮影者はシャッターボタンを押すところで、すでに感極まっていた。「何か、Beautifulぅ」
 その後はケータイをとっかえひっかえで、思い思いに写真を撮っているご一同。六月が加われば、ヨシ束の一部をバイクに載せ終えたもう一人の先生もやって来たりで、ワイワイが続く。この間、チームを散開させた冬木は、辰巳と名刺交換しながら談笑中。トーチャンズの野手は、使えそうな硬球を洗い終え、乾かしがてら学生諸君とキャッチボールなどしている。

 「あ、彼等待たせてたんだった」 南実は小走りで外野へ。掃部先生は、外野の周りで駆け回っている子どもたちを見ながら、妙なことを仰る。
 「いやぁ、やっぱバッタは地場のに限るね。活きがいいんだよな」
 「あら、センセ。バッタに地場とか外様(とざま)とかあるんですか?」
 「なーに、どっかの区がさ、子どもたちにバッタ捕りさせるんだとか云って、何すんだと思ったらよぉ...」
 話によると、わざわざエリアを区切った上に、どっかからバッタを持って来て放して捕まえさせたんだとか。バッタとしてはいい迷惑である。
 「野放しにすると、放流ならぬ放虫問題になっちまうから、区としても配慮したつもりなんだろけど、まぁ不自然だわな。バッタも慣れない土地だから、どう跳んでいいかわかんなかったんじゃねぇの。ドッタバッタってヤツさ」
 相変わらず絶好調の清先生である。何食わぬ顔しているが、細めた目の先には、バッタを捕まえたばかりの例のやんちゃ少年の姿が。先生は一同を引き連れ、少年の元へ。
 「トザマ、じゃねぇ、トノサマバッタか。観察したら放しておやり」
 ここで千歳は思い出したように先生にトンボやチョウの種類を尋ねる。「アキアカネとかツマグロヒョウモンとか...」 飛び交う傍から名前を明かしていく。乗じて小梅も途中で見かけた可憐な黄色の小花について質問。「コマツヨイグサ? まだ咲いてるってのもなぁ...」 気温は高めではあるが、花は九月までなんだそうで。これも温暖化と関係があるんだろうか。いい意味で温暖な青空のもと、小教室が開かれるのであった。
 コマツが出たところで、南実嬢はと言うと、微細ゴミのことはそっちのけで、何故かピッチャーマウンドにいる。勧誘したと思しき男子学生がキャッチャーに回り、ウォーミングアップを始めたところである。アスリートだけあって、疲れ知らず。楽々肩慣らししている。
 投手は打席に六月を立たせ、漂着硬球の感触を確かめると、ゆっくりと投げ込んだ。スローボールだったが、六月はあえなく空振り。一球目、ストライク。始球式、もとい「試球式」の図である。
 小技志向の六月はバントヒットを狙うも、南実の軽快なフィールディングであっさりアウト。投手はすかさず二番打者を指名する。「あ、ちょうどよかった。隅田さん、どう?」
 トークは冴え渡っていた千歳だったが、バッティングについてはどうだろう。本人も全く予測がつかない。打席に意識を集中する間もなく、ズバっと直球が走って行った。
 「ちょっと小松さん、一番バッターの時と全然違うじゃんさぁ」
 「手加減しませんから。打てるもんなら打ってみ?」
 いつもの焚き付けが始まった。こういうのは心理戦でもある。挑発に乗せられた方の負け。南実は昔のことを思い出しながら、その想いを球に込める。打席に立っている人物は在りし日の... 重なって見えてくる分、想いはひとしお。
 「やったぁ、三振! バッターアウト!」
 二球目は辛うじてファウルしたものの、三球目は空を切った。つまりストレートの三振である。「あーぁ、千さんお気の毒。ま、相手が悪かったわね」 蒼葉に慰められる始末である。櫻は一見したところ笑みを浮かべているが、内心はあまり愉快でない。「小松さんたらぁ」 これは彼を思ってのことか、それとも南実の何らかの策謀に気付いてのことか、波が起こりそうなことだけは確かである。
 「よっしゃ、ここは業平君に任せなさい」
 三番は志願バッターの登場である。南実は余裕でストライクを取りに行き、業平も余裕で見送る。簡単に2ストライクになるも、これは様子見しただけのこと。選球する必要がないことを悟ったバッターは、次もストレートと読んでこれがズバリ的中する。三球目も球は走っていたが、「Go Hey!!」で振り抜いた瞬間、大飛球が舞い上がった。彼の中で何かがフッ切れた瞬間でもある。
 「ひぇー、やられたぁ」
 悔しがる南実を横目に、まったりとベースを回るGo Hey君である。ブラザーズでハイタッチとかやっているが、シスターズの方は至って冷淡。
 「本多さん、どうすんの? また漂流ボールになっちゃうじゃん」
 「あ、いけね...」
 弥生のツッコミにまたしてもタジタジ。打のヒーローは一転して、返り討ちに遭う。「干潟何周してもらおっか」「まずは拾いに行ってもらわなきゃね」 千住姉妹からもこの調子。人気者とはこういうものである。
 打たれてスカっとしたか、ピッチャー南実は学生連中を従え、にこやかに現場に戻る。だが、微細ゴミにはまだ手が回らない。集合写真を撮ったその場には、分別されたゴミ袋の他に、ベニヤ板、大物プラスチック製品、敷き布団、観葉植物、物流系パレット、ビールケース、塗料缶、タイヤなどの粗大な品々がまだ残っている。一般参加者は大方帰ったので、今は小梅と南実が中心になってステッカー貼りなどをする傍ら、学生諸君が搬出可能な分について詰所脇に持ち運ぶことになる。流木とヨシ束は石島課長のご指示により、ひとまず放任となった。
 もったいないゴミも何となく片付いたようだ。その代表格である疑似餌セットは先生の手に。いつものように釣具も持って来ているので、チョイと太公望と行きたかったが、今日のところはお預け。
 「じゃ、センセ。これお願いします」
 「続きは土曜日でいいのかな?」
 「ハイ」
 文花が手渡したのは、理事選考用(トライアル)のレポートのコピー。匿名で六人分、お題は「巡視船紀行」(流域考察)である。これは先生にとっても好材料。目が笑っているのがその証し。
 そこへ「文花さん、この重たいヤツ、クルマで運んでもらいたいんだけど...」 南実が頼ってきた。
 「はぁ、そういう使い道もあったとは」
 「ブルーシートの上だったら平気ですよね」
 と、トランクを開けた際、農作業道具を出し忘れていたことに気付く研究員コンビ。粒々を拾うのにスコップが、粒と破片類を分けるのにはザルが、それぞれ役に立ちそうだ。
 「さすが、先輩」
 「もしかして埋没物調査とかやるのに使えるかなって思っただけ...」

(参考情報→埋没物調査

 蒼葉に画材を引き渡したら、あとはとにかく積み込むばかり。資器材も積載しているが、文花の軽自動車は今やゴミ運搬車である。うっかりしていたが、十三時からは野球の試合が始まってしまうので、早めに移動しておいたに越したことはない。タイムテーブル設定外の時間帯ゆえ、こうしたドタバタはむしろ当たり前。臨機応変に対応できるかどうか、これも現場力のうちなのである。
 文花はハンドルを握るとそれなりにサマになるものの、今はマスクをしているので何とも言えない。ノロノロとトーチャンズが練習するグランドの横を掠めて行った。練習の模様を眺めていた冬木と辰巳だったが、文花のマスク姿に触発されたか、この時ばかりはしっかりリリーフに向かった。
 業平はチーム南実に紛れてカウント作業を手伝っている。弥生、六月、小梅、永代は、問題の陸上ゴミの調査中。清はいつもの巡回散策に出ている。本日大役を務めたお二人はようやくひと息... いや息を抜き過ぎたか。
 「千歳さーん」
 櫻はもたれかかろうとしたつもりが、倒れそうになり、彼氏に抱きかかえられる。
 「大丈夫? 櫻姫」
 「ハハ、ちょっと飛ばしちゃったかな」
 甘え上手な姫である。
 「頑張ったもんね、櫻さん。楽勝に見えたけど、そうでもなかった?」
 ちょっと間を置いて、
 「だって、私の笑顔、好きなんでしょ?」
 情報筋は小梅である。櫻にはちゃっかり教えていたようだ。でも、そのために無理して?
 「小梅嬢、僕には教えてくれなかったのになぁ」
 「フフ、誕生日に教えてあげる」
 笑顔が似合う小悪魔さんであった。千歳は一寸だけ安心する。

 球音が聞こえなくなったと思ったら、トーチャンズはすでにランチタイムに入っている。十二時四十五分。集積所への積み出しを終えたところで、冬木は一服しかけるもぐっと思いとどまり、こんな提案を口にする。
 「矢ノ倉さん、皆さんで打上げとかはやられないんですか?」
 「打上げ? そういうのってアリなんだ」
 「例の商業施設の中に打ってつけのスペースがあるんですよ。カラオケでもやりながら、どうですかね?」
 「弥生嬢に聞いてみるワ」

 陸上ゴミのデータを入力している最中にケータイが入る。重低音着信はいつも通り。だが、その着信音が響いたか、入力画面がクリアされてしまった。「え? そんなぁ... ったく誰じゃ」 データ入力システムに思わぬ欠陥あり。それが見つかったのは良しとしたい。
 「あ、弥生さん?」
 「なぁーんだ、おふみさんか。着信したらおじゃんですよぉ。せっかく入力してたのに」
 「ごめんごめん。カラオケでもどうだ?って、edyさんが言うからね。皆、どうかなぁと思って」
 「カラオケ? あ、行く行く!」
 お若いだけあって、こういうのは結構お得意だったりする。かくして、ノリノリの弥生の声かけにより、打上げ企画が成立。だが、初音を待たせていることもあるし、今からすぐにカラオケってのも気が引ける。
 お互いに姿は見えているのだが、再度ケータイで連絡を取り合う。
 「あ、ハイ。三時半にそこの受付に行けばいいんですね」
 繁盛しているらしく、すぐには入店できないことが判明。かえって都合がいいというもんだ。

 六月と永代は、陸上ゴミの入った袋を持って、文花のクルマへ。センターを経由した後、三人でお昼を共にするんだとか。蒼葉と小梅は、干潟の見える場所でピクニックランチ。女流画家は、「皆さんの想い、その想いできれいになった干潟... 息づかいというか呼吸感というか、とにかく描き留めてみます」と熱い。画家見習いの小梅にとっては、またとない機会だったが、食べ終わったら塾、というから世智辛い。
 師弟ディスカッションが尽きない清と辰巳だったが、さすがに空腹になったか、程なく会場を後にした。冬木は撮影係から呼び出しを受け、商業施設のフードコートへ行くそうな。あそこならいくらでも時間は潰せる。打上げ企画の言いだしっぺである手前、早めに会場入りしておいて悪いことはない。
 スタッフ証を付けた面々での閉会式の如きものはあったようななかったような感じではあったが、打上げもあることだし、彼等にはメーリングリストという頼みの綱がある。流れ解散が可能なのは、相応の結束があるからこそ。本日のイベントを以って、その結束が少なからず強まった観はある。次回は十一月四日というのもすでに打合せ済み。リセットクリーンアップ一巡目、というのがまた昂揚感を高めてくれる。

 「あ、初音さん? ウン、今から行く。え? 遅いから全メニュー品切れ? アハハ」
 午後一時、一人徒歩の弥生は店に連絡を入れる。櫻、千歳、業平は、再資源化関係をひと袋ずつ自転車に乗せ、押して歩く。カラスが時折喧しいのを除いては、実に穏やかな秋の午后早々。四人の足取りは軽やかだが、スローである。

 当店初登場の弥生を筆頭に、常連さんがやって来た。
さ「じゃあ今日は飲み物だけかな?」
は「いえいえ、ちゃんとありますよ。いただいたお野菜もアレンジしてもらいました。でも四人じゃ多いですかね?」
 大皿には秋野菜がたっぷり、そこに流域地産のコマツナがちりばめられている。
ご「あとで、豪腕ピッチャーも来るはずだから、ちょうどいいと思う」
は「豪腕? 誰スか、それ?」
さ「あぁ、コマツナ南実さんよ、ね、空振りバッターさん?」
ち「あんな本気で投げられたら、敵わんですよ」
は「見たかったなぁ」

 粒々入りの袋やら、文花から借りた道具やらを持って、早足で堤防上を歩く南実嬢。
 「ハ、ハ... うぅ、ススキ花粉症、うつっちゃったかしら?」 出そうで出ないクシャミほど愉快でないものはない。

 噂のアスリートが入ってきた時には、議論もたけなわ。
さ「ちょっとねぇ、三会場全部を見渡せる人が必要だったかなぁ、ってのはある」
や「品目の確認、特に初めての人は戸惑ってたみたい」
ご「重たいかそうでないかてのは見ただけじゃわからないから、まずは複数でチェックしてからの方がいいかもね」
 などとポンポン出てくる。「あ、小松さん...」 重量ゴミをいとわない豪腕女性がタイミングよく四人の前に現われた。
み「クリーンアップする前に筋トレすりゃいいのよ」
ち「ハハ、それは思いつかなかった。クリーンアップが即ちエクササイズかなって思ってたくらいだから」
や「今日はバッティング、いや素振りまでして、よく動いたことだし」
さ「筋肉痛にならなきゃいいけど、ね?」
 「櫻と弥生」の思わぬ口撃に今度は千歳がタジタジ。先刻(さっき)までイベントのふりかえりをしていたはずが、脱線モード。ピッチャーとホームランバッターは、投打のふりかえりをしている。

 「そうそう、小松さん、トースト来る前に文花農園のサラダ、どう?」
 櫻は何気なく勧めたのだったが、南実は蒼然となる。
 「この緑のってもしかして...」
 「コマツナ、美味しいわよ」
 「ム、ムリかも...」
 人は見かけによらないというか、思いもよらない弱点があるものである。「ホウレンソウはいいんだけど、これはねぇ。コマッちゃうんだなぁ」
 千歳の飴嫌いと接点がありそうな話である。好き嫌いどうこうというよりは、名前がもとでトラウマ食品になってしまった、そんなとこらしい。
 「喜ぶと思ってとっといたんだけど、ね。じゃ四人で先にいただくから、他のお野菜どーぞ」
 してやったりの櫻。憮然とする南実。二人の間に小波が立ったが、今はすぐに収まった。そんなこんなで、食べ物の話題になり、漂着食品または投棄食品の話で盛り上がる。初音が全粒粉トーストを持って来ても注文主はあまり気付いていない。
 「小松さん、それって粒入り?」
 「あ、いつの間に? 初音さんが勧めるから今日はこれにしたんだけど、確かにそうね。ツブツブ...」 オススメの甲斐あって、やっぱり嬉しそうである。
 本日の反省なり成果なりは、higata@に各自一筆入れるということにして、ふりかえりは収束方向に。
 「でも、櫻さんも隅田さんも達者ね。当意即妙っていうか... 何かやってたんですか?」
 南実の解説ショーも鮮やかだったが、アドリブ性という点では二人が上手だったのは間違いない。
 「昔ね、ステージでその...」
 「何かね、マイクの前に立ったり、マイク持ったりすると、不思議と... へへ」
 打って変わって今は滑舌さが消え、ただ言いよどむご両人。業平は千歳のステージ慣れについては了知するも、櫻のステージというのが引っかかる。千歳も詳しいところは聞いていない。
 「へぇ、ピアノ弾きながら、歌?」
 「学生の頃だから、結構前の話だけど... 私はいいのよ、現役って意味じゃ弥生ちゃんよ」
 「そう来ますか。あたしのは下手の横好き。チョッパーできないし」
 重低音好きな理由がこれで少しわかった。彼女はベーシスト志向があったのである。
 「楽器屋でね、時間がある時に手ほどき受けてたりしたんだけど、最近はPCでリアルなのが作れちゃうから、あんまし...」
 こうなると、何かやってくれそうな南実に注目が集まる。
 「実は形見の楽器があって... 河原で練習したりもしたけど、吹いてるとどうしても切なくなっちゃうから。干潟に顔出すようになってからは全然ですね」
 新事実が明らかになるも、形見というのがネックになり、膠着気味。インタビュアー千の出番ではあるが、こういう時は本人に委ねるのがベターだろう。
 「あ、いや、そんなシリアスな話でもないですから。文花さんにでもそのうち聞いてやってください」
 そう言いつつも、南実らしからぬ愁いを秘めた気色が浮かぶ。千歳と櫻はそれを見逃さなかった。

 初音がお代わりサービスにやって来た頃にはすっかり音楽談議に花が咲いていた。
や「この後、カラオケですから。そこでまた趣向がわかりますかね」
ご「でも歌はなぁ...」
さ「そうそう初音さん、今日お店何時まで?」
は「ティータイムは外せなくなっちゃったから、五時まではいます。皆さん、カラオケですか。いいなぁ...」
 十月からは「初姉のパンケーキ」が始まっている。初日の昨日はそこそこ好評だったので、今日はさらにブラッシュアップして定着させたいところ。晴天時の初音はいつもなら朗らかだが、今はやや緊張した面持ち。そろそろ厨房にこもらないといけない。
 「春までおいそがしいかな? ま、どっかで打上げしましょうね」
 頭を下げて店員は席を離れる。すでに十四時を回った。パンケーキの注文がチラホラ入り始める。
 アイスカフェオレを一気に吸い込んで、小さく溜息。いつものピピとはちょっと違う。
さ「どったの? 弥生ちゃん」
や「あ、別に。八(ハチ)さんとルフロンさん、どうしてるかなって?」
ち「そっか、忘れてた」
や「酔いが醒めたら出て来れるんじゃないかなって、ふと」
 千歳は二人がリズムセクションだったことを思い出す。カラオケに集ってもらえば、リズム感なり、音楽の志向なりもわかるだろう。業平も思うところがあったようで、
 「八宝クンにかけてみっか」
 外に出て行った。
 「三時半てことは、駅を通る例のバス、三時五分くらいでしたっけ? 千歳さん」
 「三時前に皆で出ればいいんじゃないでしょか」
 「じゃ、あたし、蒼葉ちゃんに確認してきます」
 業平と入れ替わりで弥生が店外へ。
 「いやぁ、電話越しにルフロン嬢が出て来てさ、大はしゃぎだったよ」
 「まだ酔いが抜けてない、とか?」
 冷やかし気味に千歳が問うと、業平は真面目顔でサラリ。
 「皆に会いたいんだって」

 漂着モノログ、さくらブログには今日の出来事がどう載るんだとか話しているうちに、
 「ナヌ、掃部先生のブログ、ですって?」
 弟子としては誠に耳寄りな情報が飛び込む。南実は早速URLを控えるが、「まぁ、当面は千歳さんと先生がセンターで落ち合う時が更新タイミング、かしらね」と櫻に実情を聞かされトーンダウン。それでも内心は「しめしめ」。しっかりコメント投稿すれば、いずれ先生も認めてくださるだろうし、次の著作で採り上げてくれることだって出てくるだろう。したたかさを内に秘める南実研究員である。

 三時のおやつが用意されつつあった。初音は五人を引き止める代わりに、文花から預かったバスケットに包み込んだパンケーキを収め、弥生に渡す。
 「お客様に出す時は、二枚重ねのパンケーキを二組。二×二なんで、初姉の『ニコニコ パンケーキ』ってことにしました。今、五人分で十枚、取り急ぎご用意したんですが、よろしければお土産に、ってことで」
 「ニコニコねぇ。お一人様二枚だと『ニコパンケーキ』?」
 「そっかぁ、選べるようにすればいいんだ」
 櫻の小洒落は、ちょっとしたヒントを与えたようである。初姉はニコリ。
 「あ、そうだ。文花さんから預かってたんだ。これ初音さんにって」
 お泊りだったため、バッグは大きめ。南実はそこからあるものを取り出した。
 「何度まで行きました? 今日」
 「二十六度だったかな」
 できたてのパンケーキからは程よく湯気が立ち上り、デジタル温度計をあわてさせる。
 「あらら、三十度超えちゃった」

 「ありがとね、初姉!」 今回はテイクアウト品のモニターをお願いしたので、またしてもサービスである。五人衆は素直にニコニコしながら店を後にする。ネーミングの妙味ここにあり、か。

2008年2月19日火曜日

33. ショーの続きと終わり


 さて、プチ干潟担当の情報誌チームの方は中途参加組を含め、二十余名の一大グループになっていて、現場力が否応なく問われようとしていた。千歳流プロセスマネジメントは機能するのか、本人にとっては期待半分・不安半分といったところである。掃部先生に随行してもらっているので心強いが、元気がいい小学生が数人いるのが一寸(ちょっと)悩ましい。
 下流側の干潟を知る先生は向かう途中で何かを思い出したようにバイクに戻ると、見覚えのある機材を片手に早足でやって来た。一行の行く手にはキンエノコロやチガヤが生い茂り、水際に通じる細径(ほそみち)を阻んでいる。そのまま行けなくもないのだが、草に足を取られて転ぶ可能性もあるので、刈れるところは刈ってしまおうということらしい。細径の脇には生気の褪せたヨシが群れて斜めになっているので、そっちを重点的に刈りながら進路を拓いていく。子どもたちは親御さんに制されながらも物珍しそうに草刈り機の動きを目で追っている。関心を誘うものがこのようにあれば、キャーキャーやることもない。出来立ての草分け道を行儀よくそろそろと歩いていくばかり。
 刈った直後の草の匂いは何とも言えぬ味わいがあり、深呼吸すると不思議と平穏な気分になる。このまま穏やかな感じでクリーンアップが済めばいいのだが...

 全員が降り立つには干潟は狭い。だが、狭いながらにゴミはそれなりに散在しているので、高密度状態になっている。緩やかな崖地では横倒しヨシがギシギシと音を立て、袋に限らず、ヒモやらハギレやらが絡まっていたりする。どう手分けするか... 最初の問いに直面する千歳である。
 「お子さんはお父さんお母さんと一緒に、あちら(上流側)の平たい干潟をお願いします。グループ単位でいらっしゃってる他の皆さんは下流側の細長い干潟の方、個人参加の方々はヨシの根元や枝に付いているのを無理のない範囲で、ということで...」
 初音はいち早く干潟に下り、子どもたちを無難に誘導するも、そこから先の行動までは留意しきれなかった。川に浮かぶような状態で露出していた目先の積石にカルガモが羽を休めているのを少年の一人が目に付ける。声をかける間もなく少年は駆け出す。だが、思いがけない干潟のぬかるみに足を掬われ、呆気なく転んでしまったではないか。カルガモはその場を離れる。少年は泣き出しこそはしなかったが、その場にうずくまる。あっという間の出来事に他の家族連れもしばし呆然。
 少年の母親は、叱るでも案じるでもなく、ハンドタオルを取り出して黙って膝の泥などを払っている。
 「大丈夫、ですか?」
 初音が丁重に声をかけると、「いつものことなんで。いい薬になったでしょ」と、母親は軽く受け流してくれた。親の出方次第ではひと悶着も有り得なくはなかったが、まずは一件落着。千歳が遅れ馳せながら顔を出す。おなじみのバケツに水を汲んで持って来ていたのが、ここで役立った。注意事項の中にはさすがに「干潟で走ってはいけません」というのはなかったので想定外ではあったが、この常備品で何とかカバー。これで擦過傷(スリキズ)でも負っていたら、冬木のケータイで文花を呼び出すところだが、それには及ばなかったので何はともあれ、である。
 少年のこの転倒は実は大きな意味があった。転んだ際に手をついた目先には、何と注射器が。キャップが付いた状態だったのでまだ良かったが、これで針が露わで、手がそこに伸びていたら... 考えただけでゾッとする。奇しくもケガの功名、いや、転んでも只では済まぬ何とやら、となった次第だが、これには母親も驚きを隠せなかった。それでも、「これは確かにクリーンアップしないといけないですね」と努めて冷静に一言。当人はすっかり恐縮しながら手を拭いている。
 「よく見つけてくれました。どうかこれに懲りず、引き続きよろしくお願いします」
 萎縮されてしまっては元も子もない。転倒の功をさりげなく伝え、少年を元気づけてみるのであった。
 こういう時、漂着ゴミというのは有用である。空のペットボトルならいくらでも転がっている。ラベルが剥がれたボトルを手にすると、千歳はその物騒な一本を格納してフタをする。危険ゴミサンプルの出来上がりである。

(参考情報→注射器も漂着?

 これが教訓となり、千歳は他に危なっかしいゴミがないかチェックしながらプチ干潟の巡回を始める。チーム榎戸はと言うと、受付係の女性とロジ係の男性が下流側で参加者に交じっているのが救いといった感じで、撮影係は今ひとつ動きが緩慢、チームリーダーの冬木に至っては、デジタルオーディオプレーヤーの録音機能を使って、特に家族参加者に対してインタビューを試みたりしている。もともと自前でクリーンアップをするつもりだったくらいなので、何らかの企画というのがあったのだろう。情報誌においてイベントレポートを掲載するのは至極当然。媒体こそ違えども、その辺の心得は千歳にもあるので、まぁ大目に見ることにした。当エリアはあくまで情報誌読者が中心でもあるし。
 いや待てよ。読者とともに創る行事というと聞こえはいいが、どうなんだろう。生の声を聞いて悪いことはない。だがそれは、活動に支障をきたさない範囲で、という条件つきであることは心したい。冬木はどこまでわかっているのやら... それが心配になる千歳であった。
 動画はいいから、とにかくスクープ系のゴミを撮影するよう、緩慢カメラマンに指示を出しながら、参加者に声をかけて回る千歳リーダー。冬木の取材のおかげでクリーンアップに身が入らないご家族参加者の傍らで、比較的おとなしくゴミ拾いに勤しむ子どもたち。初音はバッチリ目を光らせつつ、大波小波にも注意を向けている。空を睨(にら)む時と同じような表情なので、冬木はインタビューしたくてもできない様子。さっきから何となく遠巻きにしている。するとブログチーム会場を騒がせたと同じ巡視船が走り抜けて行った。
 「あっ、波が来ますよぉ!」
 業平が叫んだ時はイマイチ効き目がなかったが、初音のこの喚起はバッチリ。一斉に崖側に退避して、波を見送っている。水位の変化は、少年が転んだ跡を含め、皆々の足跡を波が消してしまったことからも明らか。波が収まってからは、俄然拾うスピードが速くなる。これは、取材が中断したから、ばかりではない。干潟面積が徐々に狭くなっていることを実体験したから、である。百見は一実感に如かず、体験は人を変える、というのがよくわかる件(くだり)である。
 インタビュアー殿もこれでクリーンアップに合流か、と思いきや、今度は先生に話を伺うことを思いつく。ところが、
 「ま、話聞いてるシマがあったら、クリーンアップなさいよ。ホラ、あのお嬢さんだって、さっきから一人で力仕事してんだし」 とあしらわれてしまった。
 顎で示した先では、弥生嬢が蒼葉と同じような役回りを実践していた。斜面がなだらかな分、負担は少ないが、ゴミ袋を集積するのに都合のよい平地まで距離があるので、結構な運動量になっている。袋を空け、空になった袋を持って来ると、また新たな満載袋を手にバサバサ。冬木は「何事も体験」という業平の言葉を思い出し、渋々ながら袋の搬出を手伝うことにした。これでいいレポートが上がれば言うことないが。
 掃部先生は草刈り機でもって、横倒しヨシを刈り、吹き溜まりゴミを集めやすくしている最中である。足場が傾いているものの、ここはご自慢の蟹股が奏功し、抜群の安定感を見せる。その斜面には、先の波で何となく避難してきたグループが群を成している。下流側の細長干潟は、引き波でその表面を大きく洗われたものの、高低差と斜面があったので、辛うじて助かった感じ。ヒヤヒヤ続きの千歳だったが、ここで一旦小休止し、避難者に対し、警報の解除を知らせるとともに、次の手順説明に入る。
 「おかげ様でだいたい片付いてきたと思います。水位も上がって来たことですし、あとは先生に草刈りしてもらった辺りを重点的にやって引き揚げるとしましょう」

 同じ頃、上流側はと言うと、勢いに乗じてヨシの絨毯を撤去する段に入っていた。だが、思ったよりも水位上昇が緩やかと見切った撮影係は、「これぞ、ヨシの原っぱよね。ヨシヨシ」てな感じで悠長に構えている。先刻まで人を焚き付けておいて何だかなぁ、である。千と櫻の両想いを焚き付けたりと、点火系な役回りの南実ではあるが、ここで実際に火を放ったりしてはシャレにならない。だが、万一この原っぱに火が走るようなことがあったら... いつになく漂着ライターが多かった今回、これは決して冗談ではないのである。南実はそんな物騒な一品をまた見つけると、「川も例外ならず、いやこっちが発生源...」と溜息交じりにポツリ。海岸に漂着するライターは、川からだったり、他国からだったり、そんなことを思い返してみるのだった。

(参考情報→ライターを集めてみると...

 焼き払う訳にはいかないので、兎にも角にも次はヨシ原っぱの撤収である。前回・前々回に業平と八広のお手盛り工事で作った防流堤は、その効果が過剰覿面(てきめん)だったのかどうか、完全に原っぱの下敷きになっていて、姿形が見えない。この手の除去作業は男手中心ということで、業平は防流堤辺りの束をせっせとどかしている。手を休め、ふと左右の崖ヨシに目を向けると驚く勿(なか)れ、大方のヨシが横倒しになっていて、真っ直ぐに伸びている方が少なくなっている。さらにその横ヨシには袋ゴミが随所に引っかかってたりするから余計に哀れ。表立ったゴミという意味では、この袋類もカウント対象だろう。長身を活かし、時折ジャンプしながらそれらを取り除く業平。着地すると弾力を感じる。防流堤は板材なんかで強化してあるから、そこそこ厚みはある筈だが、その存在を感じさせない程、ヨシ束は厚く堆積していた。こうなると絨毯というよりもマットである。
 南実は、撮影係 兼 監視係をしている。ヨシ束の中継役もやっていたが、業平が大小の袋を手に上がって来たので些か拍子抜け。彼はそのまま分別コーナーへ。
 「蒼葉さん、これも」
 「あれ? 絨毯の下の分は数えないんじゃ...」
 「ヨシに引っかかってたんだな、これが」
 「ハハ、何かヨシってフィルターみたいね」
 干潟が水のフィルターだとすると、ヨシはゴミのフィルター? 捕獲装置と言ってもいいかも知れない。
 櫻は、運搬途中でこぼれ落ちるゴミを集めながら、除去後に出てきた深層ゴミにも着手し始めていた。ボロボロの袋類、個別包装の小袋、吸殻、そしてプラスチックの粒々など。これらをカウントに加えると、南実の言う通り収拾がつかなくなりそうなので、ぐっと抑えて別枠扱い。収集と収拾の両立を図るのもリーダーの大事なお役目である。
 業平が防流堤の内側に滞留していたペットボトル類を拾い上げると、いつしか干潟表面はほぼきれいサッパリに。学生諸君は内輪で盛り上がっている。すると、そんなはしゃぎ声など何食わぬ顔で珍客が飛来。薄汚れた感じのドバトである。何を捕食するつもりか定かでないが、久々に露わになった干潟を嘴で突っつきながらチョロチョロしている。間違えてレジンペレットなどを摘(ついば)まなければいいが、と案じる向きもあるが、この余興鳩に一同が和んだのは言うに及ばず。

 所変わればゴミ事情も変わるようだ。プチ干潟では注射器の他、家庭用電球、複数のレンガが繋がったような瓦礫、大きめの観賞用植物、物流用の木製パレットなど、初物がチラホラ見つかった。だが、こんなものでは済まない筈。人数が多かった分、総じて回収も早かったため、スクープ系を撮りこぼしてしまった可能性は大。弥生がバサバサやってくれた中にどれだけ珍品が混ざっているか、妙な期待が高まることになる。

 約二十名がぞろぞろと上陸し、初音、千歳の順で干潟を後にしようとした時、櫻のいいもの其の二、ホイッスルが吹かれ、その合図音はマイクを通じて鳴り渡った。
 「十一時? 早っ!」
 膝上までのチュニックをひらつかせ、初音は駆け出す。一瞬ギクとなる千歳だが、ちゃんとレギンスなるものを穿いているので、心配はご無用。これぞ初音流のクリーンアップスタイルなのである。そんなヒラヒラと秋風が重なる。詳しい名前は後で先生に聞くとして、複数種類のトンボと蝶がその風の中を泳ぐように飛んでいる。プロセスをあまり意識せずとも、場の流れの中で一定のマネジメントはできた。それよりも何よりも大過なくクリーンアップを終えられたことが何より。安堵感に包まれる千歳にとって、秋風はただただ快かった。

 だが、そうも言ってられないのが現場である。三つめのエリア担当、陸上ゴミチームが大いに苦戦していたのである。若い二人はスタッフ任命されて張り切っていたのだが、例の塊はまだしも、大物ゴミに手が出せず、あえなく頓挫。一大ネックとなったのはベニヤ板であった。大きいのが何枚か見つかり、その下にいろいろありそうだったのだが、結局手付かず。ここのチームに加わった飛び入り組は何をしていたかと言えば、崖上の堆積ゴミからカウントできそうなゴミを掘り出すのが関の山だった。飛び入り参加者は少人数だったので、各人の判断で動いてもらえばいいと思っていたのだが、それでは不可(いけ)ない。相応のコーディネートは常に必要なのである。急遽、監督者となった永代だったが、マムシに腰が引けたか、そうしたお役は十分に果たせなかった。近くにいた文花もクシャミが収まるまでに時間がかかり、あまり加勢できない有様。会場全体のコーディネートが不足していた観は否めない。

 櫻と千歳は申し訳なさそうに、陸上チーム各員に頭を垂れつつ、若い二人にも労(ねぎら)いの言葉をかける。これはタイムテーブル立て直しか、と雲行きが怪しくなった時、詰所方面から少年野球チームがこちらに向かって行進してくるのが見えた。さらにその後方からはRSBタイプの真新しい自転車に乗って、長身の男性が走ってくる。少年野球ご一行を抜き去ったところで、その人物は判別された。
 「須崎さん、やっと来たワ」
 文花の嘆声に、櫻と先生がまず反応。今日ここにいるhigata@メンバーも(冬木を除き)一度は顔を合わせているので、「あぁ」とか「おぉ」とか声が出る。リリーフ役と映ったか、タイミング的には絶妙だったようだ。
 永代は初顔合わせかと思いきや、
 「須崎、って辰巳さんのこと?」
 「あら、何でまた?」
 「ダンナの学友なンだワ」
 こうしてまた新たな再会の場が供されることになる。情報通の文花と云えども、そこまでは存じてなかったので、自分で招いておきながらもサプライズを食う。
 「辰巳さん、お久しぶりね」
 「エッ、何で堀之内さんがここに?」
 どうもこの二人、過去に何かあったような印象を受ける。文花はちょっと穏やかではない。

 一般参加者がいる手前、このまま暫し休憩時間という訳にもいくまい。何しろ「単なるゴミ拾いではない」ことを実証するため、とにかくブログチームと情報誌チームの分だけでもカウント作業に入りたいところである。そんな中、初音は接近して来る父君を避けるように、
 「じゃ、お店で待機してますんで。今日は何人いらっしゃいますか?」
 今のところハッキリしているのは、女性三人、男性二人か。他はそれぞれ予定がありそうなことをのたまう。そうこうしているうちに、野球チームの監督さんが到着。開口一番、
 「おぅ初音、これ持ってきてやったゾ」
 「いけね、つうか、サンキュね」
 河川事務所特製シールである。これがなければどうなっていたことか。姉に代わり、妹が受け取り、「へへ、これが目に入らぬか、って」 六月と小芝居を演っている。
 櫻はマイクをとると、
 「援軍が駆けつけてくださいました。えっと、チーム名は...」 小梅は芝居を止め、恥ずかしそうに小声で伝える。
 「ヘ、トーチャンズ? ハハ、石島監督含め十三人、『トーチャンズ13』の皆さんです。拍手ー!」 どっかの映画か何かで聞いたような名称である。会場が何となく沸く中、進行役の櫻はタイムテーブルを見ながら、
 「ちょっと押せ押せになってますが、今から二十分程度で分類とカウントを... 一応、これを配りますので、品目を確認しながら数えてみてください」
 学生諸君やご家族参加者など、上流側・下流側でそれぞれ二セットずつ、データカード&クリップボードが渡される。
 「で、トーチャンズの皆さんは陸上ゴミの続き、で大丈夫?」
 六月が手を挙げ、早々と一群を率いて、大物ゴミのある先へ向かった。六年生の貫禄に加え、現場を知る者ならではの威厳すら感じさせる。取り残された監督は隙があったらしく、気が付くと清と南実に挟まれてバツが悪そうな状態。試合は午後からだが、トーチャンのいいとこ見せたろう、ってことで早めにやって来た。助っ人なんだからもっと厚遇されても良さそうだが、何故か肩身が狭い。
 この間、文花は後部座席からバスケットを持ち出して来る。
 「初音嬢、この野菜、今日でも使って。私はセンターに戻るからお店行けないけど、皆さんに召し上がってもらえれば...」
 「ありがとうございます! じゃ、代わりにこれ預かっててもらえますか?」
 「あら、いいわね」
 デジタル温度計である。只今の気温、二十五度。平年並みだとか。よく晴れていて、お天気お姉さんの表情も実に晴れやか。そんな初姉を拍手で送り出したかった櫻だったが、時すでに遅し。忽然と去って行ってしまった。仕方なく、ここでひと区切り。
 「では、十一時半になったらまた合図します。よろしくお願いしまーす」
 カウント作業の指揮は、上流側は蒼葉、下流側は弥生が執ることになった。データカード上でメモ書きしてもらって、「なぜ、こんなゴミが」とか「どうすればこうならずに済むか」とか話し合いながらケータイ画面に打ち込んでいく。実践型社会科学と言えなくもないこの作業。二人の学部生は今そこにある社会問題と向き合いつつ、解決策を模索しているように見える。ケータイによるデータ入力画面はその一助、参加者とのコミュニケーションはそのヒント、といったところか。

 少年チーム13人は面白いように大物を運び出してくる。少年野球と言えば、チームワーク。それが機能しているのに加え、六月のコーディネートが冴えている証拠だろう。一人では困難だったベニヤ板も複数男子の手にかかればお手のもの。試合前にクリーンアップでひと汗、というのもアリなのである。
 陸上の堆積ゴミについては今のところ分類どまり。そこへ大物の下敷きになっていた各種容器&包装類、スプレー缶、ボトル缶、食品トレイ、プラスチック破片等々がそれぞれ選り分けられ、嵩を増していく。フタもいつの間にやら相当量になっていた。この調子だとカウント作業は間に合いそうにない。担任教諭の前で自由研究テーマの再現を図りたかった六月だったが、文花曰く「今日はさ、この後も時間とれるから、後でゆっくり数えよっ」... これで気が楽になった。目に付くフタを手にして、永代先生に解説し出している。
 「そうそう、フタを集めてるとこ、見つかったわよ。ちゃんと再生してくれるみたい」
 「フタのビフォー・アフターだね」
 「そ、アフターケアが大事ってこと」

 監督の次女、小梅は正に紅一点。腰を痛めたり、ケガをしたりしないよう、少年達に適宜声を掛けて回っている。多感な小学生諸君は、年長のお姉さんに羨望の眼差しを向けつつも作業に精を出す。小梅は早くもトーチャンズのマドンナ的存在となった。ピッチが上がる訳である。
 「昔はあの子、泣き虫だったのに。今はすっかりお姉さんね。見違えちゃったぁ」
 「永代も前はよく泣き言云ってたじゃない。最近はどうなのよ」
 「今はイジメもなくなったし、教室もキレイになったかな」
 この話の続きは閉会後に持ち越される。

 リリーフ役の辰巳は、師匠の指導のもと、ヨシの束を処理することになった。束を立てて、夾雑物(きょうざつぶつ)を振り落としてから、先生ご推奨の小道具、小型結束機で締めていく。今回は量が量なので、この場に放置しておくには忍びない。自然物ではあるが、河川事務所関係者がいる手前、一応搬出しやすい形態にしておこうということである。振り落とされた微細ゴミが気になる南実だったが、分類鑑定に付き合っているので、今のところは諦めている。データカード恨めしや、か?

 スクープ系を追う千歳は、木製椅子の座面、円筒形容器に入った綿棒セット、某ファストフード店の紙コップ、ジョウロなんかをご愛用のデジカメで撮っている。
 「千歳さん、いつもながら入念ねぇ」
 「他に何か気になるゴミありませんでした?」
 「あぁ、こんなん見つけましたよ」
 櫻が透明プラスチックの小箱を開けると、ミミズやらタガメやらを模した、いわゆる疑似餌が正体を現わした。
 「櫻さん、よくもまぁ。気味悪くない?」
 「最初はビックリしたけど、別に動いてる訳じゃないし」
 「こっちは、これかな」
 ペットボトルを手にして振って見せる。
 「えっ? 注射器、それに錠剤...」
 両者引き分け、といったところだろうか。そんなお二人の傍では、性懲りもなく冬木がインタビューを敢行中。撮影係は動画モードでその模様を記録している。当地でのクリーンアップの一つの特徴である、分類&カウントにしっかりスポットを当ててもらえているのなら、良しとしなければなるまい。
 業平は、ちゃっかり別行動に移っている。自前ノートPCを起動させると、スキャナをピカピカやり出す。現場で実機検証をしようという魂胆である。数え終わった容器包装系ゴミのバーコードにスキャナを当てると、とりあえず番号部分はPCにうまく記録されていく。蒼葉が不思議そうに覗き込む。
 「本多さん、番号だけで何か意味あんのぉ?」と尋ねるのも無理はない。
 「これでもちゃんと認識させるのに苦労したんだな。ひとまずデータを蓄積しといてまた考えるよ」
 何処で売られたものかがわかったりすると発生源対策につながりそうだが、このバーコードはトレーサビリティ用じゃないので残念ながらそこまでは行かない。

(参考情報→小型結束機 & バーコードスキャナ

 別行動と言えば、この人も同じ。トーチャンズ監督である。お目付け役の師弟男女に挟まれていたところ、まんまと逃れて、かつてない美観を取り戻した干潟を気分よく散策している。だが、どうにも怪しい。脆弱な崖部分とか横倒しヨシとかを眺めながら、「やっぱ、引き波禁止エリアにするよりは、いっそのこと粗朶でも並べて干潟保全した方がいいんじゃ...」 良さそうなことを言っているが、果たしてどうなのか。higata@メンバーが揃っている今日のような時ほど、協働協議に打ってつけなことはあるまい。課長の器量が問われる場面だが、億劫さの方が先に出る。と、プレジャーボートが猛スピードで上流に向け走って行った。ボートから発したうねりは波を作り、大きく小刻みに干潟を襲ってくる。石島課長への洗礼ともとれるが、実は逆効果だった。これが引き金となり、工事への意を強くさせてしまうことになろうとは...。
 「この一件は、内々で、と」 ドバトの耳には入っているが、伝書鳩、いや伝聞鳩って訳じゃないから、広報されようがない。

 一般参加者各位は、さすがに疲労の色も出てきたが、南実の鑑定や櫻のアドバイスが良かったようで、漂流漂着ゴミへの関心を程々に高めてもらえたことが、交わされる会話からもわかった。機に乗じて業平はスキャンしながら[プラ]識別表示の講釈なんかをやっている。
 「この表示が付いている以上、何らかの再資源化を考えてほしいもんですよね。でも、『可燃でいいや』って自治体が増えてるんだそうで...」 なかなかいい調子だったが、「あれ、バッテリ低下?」 USBスキャナというのは思ったよりもPC本体の電源を喰うようである。やむなくスキャナを停止し、手入力に切り替える業平であった。本人はトホホだが、この程よい哀愁は二十代の女性にはウケてたりする。データ入力&送信を終えた蒼葉と弥生は、嬉々としながら業平に視線を送る。その視線はスキャナほどではないかも知れないが、結構鋭く彼を捉えていた。社会科学的考察の一環、と今はしておこう。

 再資源化系と危険物の他、電球、電池、ライターも別袋を用意。まだ使えそうな品々も何となく除(ど)かしたところで、再びホイッスルが吹かれる。十一時半を回った。本日の櫻のいいもの其の三、成果発表&クイズの時間である。
 「皆さん、お待たせしました。集計結果がまとまりました。まず情報誌チーム...」 ケータイ画面でデータ確認モードに戻せばチェックできなくもないのだが、ここは敬意を表してデータカードの出番。ケータイではなくクリップボードを手に弥生が発表する。ワースト5:食品の個別包装(小型袋)/十五、ワースト4:発泡スチロール破片/十八、ワースト2(同数):フタ・キャップ&プラスチックの袋・破片/各二十八、ワースト1:ペットボトル/三十二、となった。小型袋は、食品の包装・容器に加味していいのだが、あえて分けてカウント。カップめんの容器も五つあったが、それも別にした。雑貨や紙類も具体的品目で分けたりしたため、ワースト6以下は、十個前後の品目がいくつも並ぶことになる。分散化傾向、つまり多種多数という実態がこれで浮き彫りになった。
 「では、モノログチーム、行きますよ。カウントダウン!」 妹に振ったつもりだったが、逃げられてしまったので、姉がそのままカウントダウン紹介する。
 対照的にいつもの干潟では、ワースト5:発泡スチロール破片/三十九、ワースト4:食品の包装・容器/四十、ワースト3:プラスチックの袋・破片/四十六、ワースト2:フタ・キャップ/五十、ワースト1:ペットボトル/五十二、といった具合で、常連ゴミが大勢を占め、偏重傾向が現われた。次点の小型袋は二十三、その次の飲料缶が二十と続く程度で、そこから先は十前後に落ちるのである。表層のみの集計なので、ヨシマットに紛れていた分を加算すると破片類が増えるなど、また違った結果になるのかも知れないが、基調が把握できればひとまずOKだろう。

(参考情報→2007.10.7の漂着ゴミ

 「素人考えですが、同じ干潟でも向きとか形が違うので、川の流れ方や潮の上げ下げも変わってきて... 流れ着くゴミも違ってくるのかなぁと、どうでしょうね?」
 「でも、ワースト5は似たり寄ったりだったでしょ? 総合的には実情をよく反映してると思いますよ」 専門家の見地から南実がフォローする。粒々を数えていないのが痛いところだが、レジンペレットはこれまでも別枠だった。今日拾ったサンプルを示して、
 「レジンペレットについては、数よりもまず、こうして漂流・漂着するという実態をわかってもらえれば、と思います。でも、数えるのが好きな方はあとで私と」
 南実はモテ系(櫻談)というだけのことあって、これで男子学生数人を助手に付けることに成功。閉会後のオプショナルイベントは今日も盛り沢山になりそうである。
 「という訳で、その粒々は対象外なんですけど、こっちの干潟でこれまで拾って調べてきた数をまとめてみました。今日の結果がヒントです。わかる人!」
 クイズのフリップを蒼葉の画板に挟むとややはみ出す感じ。ようやく人前に出る機会を得た千歳だったが、はみ出たフリップ係ってのもちと冴えない。まぁ、ここは進行役に委ねるとしよう。
 最初のうちはフリー回答。何番目は何?なんて野暮なことは訊かない。こういうのは子どもたちが得意なので、ドシドシ答えてもらって紙で隠してある品目を明らかにしてもらう。(これを「千と櫻の紙隠しクイズ」というかどうかは不明)

 順番はバラバラだが、「ワースト6:袋類/九十六、5:発泡スチロール破片/百四十七、4:飲料用プラボトル/百七十、3:ふた・キャップ/二百二十七、2:プラスチックシートや袋の破片/三百四十一」は子ども(&ファミリー)から答えが出た。残るは七位、一位である。
 「ワースト1は四百八個、今日は一位じゃなかったからわからないかな? じゃ...」
 いつの間にやら受付名簿を持って来て、指名し始める。会場は騒然となるも、これも櫻の計算のうち。指されれば何か話したくなるのが人のサガである。
 「はぁ、缶でございますか。昔は多かったと聞きますが、最近はねぇ... ちなみにワースト九位です。あ、そこのお兄さん!」
 こんな調子で、フリップを隠していた紙が外されていく。
 「という訳で、七位のタバコの吸殻から、一位の食品の包装・容器まで、よくぞ当ててくださいました。こうして見るとどうですかね。素材で言うとやっぱりプラスチックが多い感じでしょうか。ふだんの生活の中で、これはプラスチックじゃないといけないのか、ってちょっと考えてみるだけでこうした状況も変わっていくような気がします。あ、そうそう、周りにプラスチック依存症の人がいたらひと声かけてあげてくださいネ」
 回答した・しないに関わらず、ここで記念品(参加賞)としてボールペンが配られる。
 「今は大して珍しくないかも知れませんが、軸はいわゆる再生プラスチックでできてます。食品トレイが原料でしたっけね」 マスクの女性は何か言いたげだったが、小さくコクリ。

 十一時五十分近く。十二時を終了予定にしていたので、まだ多少の余裕はある。こうしたボランタリーな行事のペース配分は基本的にスローでいいのだが、適正規模・適正人数だったこともあり、いい感じで進んでいる。すでにタイムテーブル上もアドリブOKの時間帯である。進行役はペースを維持しつつ、アドリブ開始。
 「それでは閉会に先立って、情報誌チームを代表して、エドさん、どーぞ」
 気負っていた割には、こういうのには気が回っていなかったらしく、明らかに不意を衝かれた様子。だが、女性スタッフがアンケート用紙を差し出すと、我に返ったように話し始める。
 「...情報誌を生き生きとさせるのと同時に、地域ももっと生き生きと、そのために何が必要か、というのがわかった気がします。今日はインタビューさせてもらったりもしましたが、さらに皆さんの声を聞かせてもらえればと...」
 欲張りな気もするが、こうした観点はさすがである。冬木を除くhigata@の面々は一本とられたとばかり慨嘆の息を漏らす。この際なので情報誌チームに限らず、参加者全員(家族連れは代表に一枚)に書いてもらって、その場で回収、またはFAXということにしてもらった。思いがけない形で冬木はアドバンテージを得るも、これでやっとお騒がせの失点を回復できたというのが正直なところだろう。イベント慣れこそしているが、彼にとって今回のクリーンアップはいろいろな意味で鍛錬・研鑽の場となったようである。

 進行役の櫻は、忘れちゃいけない、小悪魔さんである。愛しの誰かさんを驚かせるのが愉しくて仕方ない。「では、今回のクリーンアップの締めに入りたいと思います。そもそも何でここに皆さんがこうして集まることになったか、それはこの人のせいなんです。ね、隅田さん!」
 こういう場面では、そのクールさが前面に出る。驚くどころか至って冷静。千歳はマイクを受け取るとスラスラとトークを始めた。
 「漂着モノログをご覧の皆さんはどこかで隅田千歳という名前を見た覚えがあろうかと思います。ここにいるのが本人でございます。悪友からは千ちゃんと呼ばれりするもんですから、ここでクリーンアップしてると『千と千歳のゴミ探し』とか、からかわれることもありますが、一人二役はムリな話です。皆さんあっての取り組みでして...」
 こうも飄々とやられては櫻としては面白くない訳だが、乗じない手はない。もう一本のマイクで軽くツッコミを入れてみる。
 「『千と皆でゴミ調べ』ですね」
 「へへ、その通り。でもね皆さん、映画の方の主人公は女性でしたけど、ここにいる千は男性だったりします。今日、女性の千歳さんに会いにいらした方には申し訳ありませんでした」
 子どもたちの一部はチョロチョロ動いてたりするが、会場は概ね千歳ワールドになりつつあった。自身のワールドを繰り広げる点では一枚上手の掃部先生も半ば脱帽。朗笑するばかり。呆気にとられているのは女性陣である。間合いを推し量りつつ続ける。
 「千歳さんがダメでも、この干潟に集う女性は美しい方々ばかりですから、よかったでしょ。そんな干潟シスターズを、ここでご紹介します」
 櫻に言われなくても、わかりきっていたように切り出す千歳。以心伝心、またはそれ以上?
 「現場研究員かつアスリート、小松南実さん、データ入力システムの開発者、桑川弥生さん、今日は弟の六月君も一緒です。あ、シスターズ+1てことで。へへ。彼は銘柄研究家という顔も持ってます。で、そんな彼の自由研究仲間、石島小梅さん、今やトーチャンズの姉御ですね」 拍手がその都度起きるも、間はとらず、次々と振っていく。こういう時はいつものスローでいいような気もするが。
 「ご紹介して、よろしいでしょうか、ね?」 とここへ来て一息。視線の先は堀之内先生である。櫻が気を利かせて、マイクを持って歩み寄る。
 「あ、今日は大してお役に立てなくて... 六月君の現担任、小梅さんの元担任、堀之内です。二人の成長ぶりがここに来てよくわかりました。どうも...」
 ご自身でここまで喋ってもらえれば御の字である。そのお隣には、マスクを着けたままのシスターズ一女さん。櫻はニコニコしながら一女にマイクを向けるも、マスク越しでは喋りたくても喋れない。ここぞとばかりに櫻はいつもの冷やかしを入れる。
 「ありがとうございました。初登場ながら助っ人を引き受けていただいて。大助かりでした。もう一度拍手を。で、隣にいらっしゃるのが、堀之内先生の古くからのご友人、そして今回の影の主催者でもあります、矢ノ倉文花さん。人呼んで『おふみさん』です。拍手ー!」
 笑顔のようなのだが、どことなく引きつっているような... マスクというのも良し悪しか。
 「そして、正真正銘のシスターズを紹介します。画家であり、モデ、もとい、モテ系の千住蒼葉さんと、看板娘、我らがリーダー、千住櫻さんです! 大きな拍手を」
 一大拍手が起こる中、リーダーがポツリ。
 「ふだんは黙々と拾って&調べてをやってる千さんですけど、今日はどうしちゃったんでしょうねぇ。川の神様のせいかしら?」
 心なしか、目が潤んでいるようだが、気のせいか。
 「十月は神無月ですからねぇ。神様お留守ですよ」
 「はいはい。もうツッコミませんから。閉会の辞、行っちゃってください」
 櫻と目を合わせ、ひと呼吸。ここからはいつものスローな千歳に戻る。
 「毎月のように拾って参りましたが、おそらく今日ほど片付いたのは初めてのことだと思います。台風通過後は凄まじいことになってましたが、その傷も癒えました。干潟もヨシもまた元気になったことでしょう。自然の元気は人の元気につながります。今日お集まりの皆さんはもともと元気な方ばかりだと思いますが、どうですかね、益々元気になられたんじゃないでしょうかね? 僕もその一人。どうかしちゃった、というよりも元気になっただけですよ。ハハ」
 言葉を選びながら真顔で、時に笑顔で話す千歳。櫻はボーッとなってきた。
 「御礼というのも何ですが、ボールペンの他にも何か記念に、という方は、そこに『もったいないゴミ』とか、人によってはお宝ゴミなんかもありますから、どうぞお持ち帰りください。大丈夫ですよね。石島さん?」
 河川事務所課長殿は、拾得物やら遺失物やらの定義を思い出そうとしていたが、よくわからんといった感じで結局「お任せします」とだけ答える。実際のところはどうなんだろう?
 「じゃ、櫻さん、振ったついでで、男性陣の紹介、お願いします」
 「へ? あ、そっか。石島さん、掃部先生、それに先生のかつての弟子、須崎さんです」
 拍手が疎(まば)らになったところで、蒼葉と弥生は、待ちぼうけを食ったような顔した、ある三十男を指差す。何だかんだ言いながらも、今日これだけの人数が集まったのはこのつなぎ役がいたからこそ。
 「最後になりましたが、重要人物を紹介します。モノログと情報誌の橋渡し役といっていいでしょう。発明家の本多業平さん、Mr. Go Hey!です」
 いつものノリならマイクを受け取って何らかのパフォーマンスをしそうなところだが、今日はパス。思いがけない紹介、そして少なからぬ拍手に感無量だったようである。
 ダブル司会者は、間合いをとりながら、小声で示し合わせる。
 「じゃ、せーので」
 「あ、ハイ」
 正午ちょうど、千歳と櫻は声をそろえ、
 「今日はありがとうございました!」 四月一日から約半年。舞台はこうしてオープンになり、プライベートビーチだ何だとは言えなくなってしまったが、干潟や川に対する二人いや一同の想いがより多くの人に伝わるなら、この上ないことである。遊びに来るもよし、個人的に拾いに来るもよし、ここは今や地域の財産。少なくとも、今回の参加者に当地をぞんざいに利用する人はいないだろう。盛大な拍手がそれを裏付けていると言っていい。

2008年2月12日火曜日

32. 開会!

十月の巻

 天気予報に関しては、「初姉の気まぐれ某」という訳にはいかないので、とにかく早起きして、天気図や気象情報サイトを見比べながら、荒川流域のお天気を占う初音。「概ね晴れ。微風。クリーンアップOK!」 ケータイメールで短信を打つ。中継役の弥生はこれをもとに、「漂着モノログ」の掲示板(テキスト枠)にアクセスし、ショートメールを流し込み、「予定通り開催」の旨、付け加える。千歳流のプロセス短縮で、弥生に掲示板係を兼ねてもらったため、正に速報が載るに至った。だが、誰が見ても明らかな晴天下にあって、わざわざこのように載せるのもどうかと思う。むしろ雨女さんの動向次第なので、「舞恵さんと雨雲の相関予報とかの方が意味あんじゃん?」と一人毒づいたりしている。一応、higata@にも一筆入れつつ、「九時半には間に合わないかも...」とおことわりを付す。午前八時、姉がせかせかやっている間、弟はようやく起き出して来る。すでにある程度準備はできているので余裕なのだが、ある人を干潟に連れて行くミッションが控えている。遅れそうな理由はその人物と関係ありそうだ。

 巡視船ツアーの日、文花と南実がカフェめし店で話し込んでいたのは、この三連休の過ごし方についても含まれていた。文花宅に泊まり込んでいた南実は、今回は電動車ではなく自動車で現場に急行することになる。文花の運転で、九時前にセンターに到着。予め用意しておいた機材やら資料を女性二人でバタバタと運び出している。電池式のアンプスピーカー(ワイヤレスマイク付き)、折り畳みイス、簡単な掲示ができるスタンド等々、重さがある物は全てセンターの備品。今回のクリーンアップの隠れ主催者としてセンターも名を貸すことにして、とにかく使えるものは使おうというチーフならではの一計である。あとは櫻が揃えておいた受付台紙、ゴミ袋、救急箱、電卓、文具類、参加者用筆記具(というか景品)等のほか、タイムテーブルと注意書きを拡大コピーした大判巻紙と受付の案内表示紙(タテ長拡大)も。何とこの拡大系、あのお騒がせの冬木からの差し入れなんだとか。お詫びのつもりもあったのかも知れないが、この手の代物は会社で造作なくできてしまうようで、櫻からの原稿ファイルから起こして、さらっと送ってよこしたものである。文花宅からは、南実の荷物のほか、農作業グッズやら大きめのブルーシートが持ち込まれてあって、軽自動車の車中は何となく満室に。
 「文花さん、許可証って持ちました?」
 「クルマの中にあるはずだけど、念のため予備も持ってこか」
 石島課長と話をつけ、この日のためにちゃっかり河川敷通行許可証なるものを入手していたチーフである。予備はそれをコピーしたもの。なかなか入念で結構なのだが、自分にとって必要なあるものを忘れていた。まずは自身に対して世話を焼く、というのも大事だったりする。
さ「お早う、いや、お遅うなりまして。すみません」
ふ「まぁ、千住姉妹。大丈夫よ。だいたい積み終えたから」
あ「あ、小松さん...」
み「皆さんにはお世話になってるんで、ね」
 南実が最後にデータカードを挟んだクリップボードの袋を持って降りてきたところで、姉妹が現われたという図である。
 「蒼葉が画材とか用意するのに手間取っちゃって」
 「画材? あら画板まで」
 「いい天気なんで、お絵描き日和だなぁって」
 画板はクルマで運んでもらうことにして、クルマ組と自転車組はここで一旦別々に。スタッフ集合時間の九時半まであと十五分ある。

 同じ頃、発起人はすでに堤防上にいた。出動は早かったが、いつもの如くノロノロ自転車を走らせる。案内板を出す位置を探りながらなので、尚のこと遅い。片手には百均で仕入れたというミニ黒板を抱え、もう片方の肩にはパンパンのマイバッグ。エディターズバッグなるものが流行っているらしいが、ライターの彼のはライターズバッグという訳ではなく、単なる無地の肩掛け袋である。何でもかんでもすぐに取り出せるのがウリらしい。いったい今日は何を詰め込んでいるのやら?
 一方、れっきとしたエディターズバッグをお持ちなのは、曲者edyさんである。エドでedyかと思ったら、今は情報誌の一編集者ゆえ、editorからエディと名乗っているようだ。本日の干潟一番乗りは、このedyさん率いる「チーム榎戸(えど)」ご一行。受付係、ロジ係、撮影係、そして榎戸ご本人の四人様である。陸上ゴミを見ながら議論をしているのはよしとして、四人中半分が喫煙者。今もタバコを咥(くわ)えているのが二人いる。ゴミを目の前にポイ捨て、なんてことはないとは思うけど...

 九時二十分、橋の途中で景色を楽しむ姉妹を横目に軽自動車が抜き去った。文花のケータイが珍しく音を立てたのはこの直後。
 「南実ちゃん、出てぇ!」
 「ハイハイ」
 電話の主は、八広(やつひろ)君であった。
 「あれ、矢ノ倉さん?」
 「もしもし? あ、小松です。文花さん、運転中なんで」
 「はぁ、そりゃ失礼しました。今、大丈夫スか?」
 スタッフとして予定していた八広と舞恵だが、いわゆるドタキャン発生。その連絡だった。何でも十月の異動で別の業務に廻ることになった舞恵姉さんが「やってらんねぇ!」とか言って土曜日は荒れ気味だったんだとか。ワイン呑み放題のイタめし風居酒屋に行っちゃったのがまた良くなかったようで、ヨロヨロになってしまった彼女を本人宅に何とか運んでそのまま介抱する羽目に。彼氏業も大変である。
 「て訳で、ルフロンの面倒見てるんで、今日は欠席します。皆さんにヨロシクです」
 「お大事に... はい、じゃ」
 通話を終えた時はすでに堤防道路のゲート前。橋下の駐車場へはそのゲートの脇のスロープを下りてUターンするような感じで進入できるが、堤防下の河川敷道路をクルマで進むには、Uターン地点の先に設けてある別のゲートをクリアしなければいけない。スロープを徐行し、一時停止。文花はクルマを降り、橋下駐車場の係員に掛け合いに行く。通行許可証はまずここで効力を発する。

 ハザードを点灯させつつ、軽自動車はノロノロ進む。いつしかその先を姉妹の自転車がスイスイ走っている。ゲートで止まっている間に、堤防上を通過していた、ということらしい。グランド詰所の脇で左折するところで、ミニ黒板が目に止まった。左向き矢印とともに、「干潟クリーンアップ会場(10:00~受付開始)」とチョークで書かれてある。「ハハ、立てかけ黒板か。ないよりはいいかしらね」「でも、地面に置きっ放しだと、ゴミと間違えられるんじゃ?」 黒板を設置した本人はすでに干潟に着くところ。そこに姉妹が追いつこうとしている。間もなく九時半になる。

 リュックにちょっとした機材を詰めてきたせいで、ペダルが重くなっていた業平が来た頃には、チーム榎戸とhigata@メンバーの顔合わせは済んでいた。両チームを取り持つ意味ではキーパーソンの業平だが、置いてきぼりを喰った格好である。
 「あなたがGo Heyさん?」
 「実際にお目にかかるの初めてなんですよね。おふみさん、あ、いやチーフ!」
 higata@メンバー内で最後に残っていた顔合わせがここでようやく実現した。日数がかかった分、感激もひとしお、かどうかはいざ知らず、この二人、前々からお互い気になっていたフシはある。ちなみに、業平は年上女性も案外好み、文花は長身男性がタイプ、ということは...
 チームの別はさておき、女性が五人に男性五人が揃った。男女バランスがとれた形になるも、現場慣れした人数比ということで言えば、女性優位というのはいつも通り変わらない。チーム榎戸の撮影係はまたタバコを取り出すが、ただでさえ優位なhigata@女性陣から一斉に「あー!」とやられてはもうタジタジである。未点火の一本を落としかけるも、何とかキャッチ。だが、足元には先の吸殻が燻(くすぶ)っている。迂闊な行動で尻尾を出してしまった一員に対し、冬木は淡々とポケット灰皿を差し出す。ポイ捨てしたのを知っていたか否かはさておき、吸殻が接地してしまう前に出してこそ発生抑制(狭義)につながる。いや、そもそも吸わないに超したことはない。ついつい一服てのは、広告代理店チックというか、業界関係者ならではなんだろうか。
 段取りは概ね打合せ済みだったが、受付の配置や参加者の誘導動線といった立体的なイメージはあまり練っていなかったことに気付く一同。ここは正に現場力が問われるところである。文花のクルマを囲むような空間展開を考え、モノログ見た組の受付はクルマのトランクスペース、情報誌見た組は、その隣でクリップボードを使って書き込んでもらう方式、ということにした。クルマの一空間を使って受付というのも変な話だが、バックドアをオープンにして、折り畳みイスを配置、あとは蒼葉が持って来た画板を借用して台にすれば「即席」の一丁あがり、ということである。何人来るか不明だが、受付と言っても、不慮の事故に大して保険適用するのに必要な最低限の情報を書いてもらうだけなので、それほど大がかりにすることもなかろう、とのこと。これは、矢ノ倉女史がご学友に尋ねて得た話。情報通というのは本人が全て知っているということを指すばかりではなく、誰に聞けばいいかを弁えている、というのも大アリなのである。

(参考情報→行事用保険

 そのご学友は、弥生と六月とともに、路線バスに揺られていた。
 「ホラ、先生あそこ、見える?」
 「えぇ、何となく人だかりが...」
 夏休みの自由研究があまりに上出来だったものだから、クリーンアップイベントに興味津々だった永代先生である。六月から誘われたのと前後して、旧友からも行事保険の件なんかで問合せがあったりで、お導きを得たような感じになった。夏休み最初の日曜日、無料送迎バスの車窓から文花と六月の一行を見かけて不思議に思っていたが、接点が重なったことでその謎は解けた。今日はさらに、少年をひと夏で逞しくした謎、つまりその「現場」とやらに何があるのかを見てみよう、そんな飽くなき探究心が彼女を動かしている。旧友との再会も楽しみだが、きっかけはあくまで我が児童、六月にあった。
 かつての児童だった小梅は、姉と一緒に現場に向かっていた。大人の皆さんは、着々と準備を進め、ブルーシートを広げたり、拡大コピー紙をクルマの側面に貼り付けたり、ワイヤレスマイクのテストをしたりしている。ちょっと気が引ける十代姉妹だったが、higata@のお姉さん方の歓待を受け、すぐに溶け込む。
 「ルフロンさんと八宝さん、どうしたんスか?」
 初音はまだちょっと浮かない顔で、誰に聞くでもなく問うてみる。
 「え、まぁ、その...」
 櫻は答えにくそうにしていたが、直々に連絡を受けた南実がストレートに返す。
 「彼女はワインの飲み過ぎで二日酔い。彼氏はそれにつきっきり、ですって」
 「あちゃあ。やってもうた、って感じスね」
 敬愛するルフロンさんだが、ドジっぽいところは前回織り込み済み。またしても魅力的な一面を知った気がして、初音は驚くも何も、ただ小気味良いのであった。
 「それにしてもドタキャンになっちゃうとはねぇ。分担どうしよ」 と今日は千歳が憂い顔になるも、
 「こういうのって、市民活動にはつきものでしょ。あとは現場力次第...」 とチーフはケロっとしている。
 「その『場力(ばぢから)』を唱えてた人物がこれじゃ... 面目ないというか」 八広の身元保証人のような千歳としては不本意さが拭えないようである。

 九時五十分近く。徒歩組三人がようやく辿り着く。弥生はもともとスタッフ要員だが、ドタキャン二人をカバーして余りある助っ人が加わることになる。一人は先生、一人は児童、「待ってました!」である。
 「矢ノ倉、久しぶり!」
 「おひささんこそ、お久しぶり... ヘヘ」
 「何それ? アンタいつからダジャレ言うようになったの?」
 「さぁ。ここにいる若手、いや特にアラサーの男女の影響かな?」
 「何か転職して変わったわねぇ」
 文花を苗字で呼び捨てできる人物というだけでも十分インパクトはあったが、その文花の旧友、かつ六月の担任、さらには小梅の元担任と来れば、重量級役者である。ジャケットシャツにピンタックスカートと、装いは極めてシンプルだが、役者は役者。たちどころに皆の注目を集める。
 「ほ、堀之内先生、ようこそ」
 「石島さん、ホント大きくなったわね」
 「先生もすごく元気そう」
 「フフ、まあね。二年前は大変だったけど...」
 恩師と卒業生の間で、初音は深々とお辞儀したりしている。過去に何かあったようだが、そういう話はまた後ほど。ひとまず一同揃ったところで、チーム榎戸の受付係のお姉さんが何かを配り始めた。白色だと一時盛り上がった某バンドになるが、これは藍色。太めのリストバンドである。
 「あ、皆さん、それスタッフ証代わりってことで。ちょっと目立たないかも知れないけど、どうぞ」 舞恵と八広が不在なため、小梅と六月にもそれは手渡された。ゲストの永代にも予備の一本が渡る。こういう小道具に関してはさすが広告代理店、と言っておこう。
 「じゃ、誘導係は弥生ちゃん、お願いします。監視係は本多さん、陸上ゴミは、堀之内先生と若いお二人さん、でいいかしら」
 分担の組み替えはこれで何とかまとまった。あとは臨機応変に適宜入れ替わり立ち代わり、である。案内に載せた開始時刻は十時。あと五分で始まる。スタッフ証を付けた人数、総勢十五人。タイムテーブルを見つつ、開始前に簡単なミーティングを行い、参加者を待つ。一般的には開始時刻が記されていれば、その前に何人かは来るのが相場だが、場所が奥まっているせいか、はたまた黒板に受付開始が十時と書かれていたせいか、今のところ一般参加者はここには来ていない。ただ、詰所付近には何となく人垣がチラホラできているので、
 「あたし、行って案内してきます。開始時刻ってどうします?」 誘導係は、千歳からチョークを受け取り、業平のRSBに跨(またが)るところ。
 「そっかぁ、受付開始とクリーンアップ開始って特に分けなかったのよね。とにかく受付はOKですよね。十時十五分開会、かな」
 「ま、何かあったら... 文花さんのケータイ鳴らします」
 「聞こえるかどうかわからないけど、アナウンスも入れっかな」
 とこんな感じでhigata@メンバー主導で会場は運営されていくのであった。
 秋の虫の音、涼やかな微風に揺れるヨシ、ススキ、セイタカアワダチソウ... 受付時間中は一転して、爽秋のひとときが流れる。いや、少々落ち着かない女性が一人いらした。
 「ハ、ハクション! うぅ」
 言わずもがな、クシャミの主は文花である。ケータイ越しで一喝された冬木は、櫻以上に文花に恐れをなしていたが、弱点見たりと思ったか、いそいそと近づいて来る。
 「矢ノ倉さん、この度はいろいろとお騒がせしまして」
 「いえ、こっちも助けてもらいましたから。ハ、ハ...」
 「矢ノ倉ぁ、大丈夫? マスクとかないのぉ」
 「いやぁ、ちゃんと用意しといたんだけどさ。下駄箱の上に置き放しで来ちゃったのよねぇ。まだ若いのに不覚だワ。クション!」
 冬木はしたり顔で様子を見ていたが、クシャミに気付いてリーダーが飛んで来た。救急箱を開けると、そこには未開封のマスク。
 「文花さん、だから言ったのにぃ」
 「へへ、出る直前でうっかり、ね。そういうことあるでしょ?」
 「ハイハイ。今日はこれ付けておとなしくしてらっしゃい」
 「ホーイ」
 永代にもこのコンビの妙味がわかったらしく、吹き出しかけている。冬木は「やっぱ、千住さん手強い?」と考えを改めることにした。

 十時を過ぎ、チラホラと受付に人が集まり出した。モノログ受付は蒼葉が担当。社会人とご年配が一人ずつ、学生グループ三人といったところ。モデルさんが立っていると目を引くので、皆、彼女の方に流れそうだったが、そこはチーム榎戸。センター備品の簡易掲示板に「情報誌見た!受付」の紙を貼り出し、読者をしっかり専用受付に導いている。こっちは流域媒体としての強みあってか、情報誌のターゲット層である三十代・四十代中心で、小学生二人を含め計十人を集めた。業平は気を利かせて、道具類に不備がありそうな人を見つけると、予備の袋や軍手を配って回っている。陸上ゴミ担当になった三人は、その塊を前にして作戦会議をしている模様。八広の代わりにプチ干潟の監視係に回ることにした初音は千歳と通路の確認に出向く。南実はブルーシートに腰掛けて、解説用のフリップの順番をチェック中。そのお隣には、マスクさんがおとなしく荷物番をしている。
 「ハイ、あ、弥生さん。どしたの? クシュン」
 「通りがかりだけど参加していいかって?」
 「あ、ちょっと待って、ハ...」
 ちょうど業平が傍に来たので、そのままケータイを渡す。
 「クション! あ、あとお願い」
 「?」

 「なぁーんだ、本多さん? エ、まだあるから大丈夫って?」
 袋と軍手を高々と掲げている。詰所までやや距離はあるが上背のある業平ゆえ、すぐに確認できた。弥生は手にしていた黒板を置くと、飛び入り参加の若夫婦を引き連れ、会場へ。そろそろ十時十五分になろうとしている。
 櫻は、マイクテストを兼ねつつも、その都度気付いたことをアナウンスしていたが、開始時刻になると、一段とトーンアップし、切れが出てきた。
 「皆さん、こんにちはっ! 今日はようこそお越しくださいました。情報誌見た!の方、ハイ! あとはブログ見た、の方々でしょうか。あっ、飛び入り参加も、どうもありがとうございます」 参加者に挙手を促しつつ、巧みに場を盛り上げている。
 「申し遅れました。私、千住櫻と言います。進行役を務めさせていただきます。私を含め、このバンドをしているのが今回のクリーンアップのスタッフです。どうぞよろしくお願いします」
 スタッフが頭を下げ、参加者から拍手が起こったその時、もう一人の先生が颯爽とバイクに乗って滑り込んできた。
 「はい、演出通り、おじさんライダーがやって来ました。荒川のご意見番、いや守護神、掃部清澄先生です。拍手ーっ!」
 ヘルメットを外したら、周りからやたらパチパチと音がするので、面食らっていた先生だったが、櫻からマイクを渡されると、テレながらもいきなり全開。
 「掃部でございます。呼ばれなくても、名前がカモンなもんで、こうして来てしまうんですわ。どうぞお手柔らかに」
 会場には三十余名がいるので、ちょっとした笑いでもどよめきになる。隠しマイクを手にしていた櫻は、どよめき止まぬうちにすかさず、
 「先生、来て早々何ですが、開会挨拶なんていかがです?」と振る。
 「いやぁ、ここにお集まりの皆さんは心がけのいい方ばかりだろうから、別にこれと言って。ただしとつ、ゴミを捨てるのが人間なら、し、ひ、拾うのも人間。他の生き物はゴミは出しません。ここのし潟も私達が片付けない限りは元通りにはならない。ひ、干潟、ヨシ原、そして川、生き物たち、皆つながって、元気になっていくことで私達も元気に、ってことです。今日もしろって、しっかり調べましょう!」
 「ありがとうございました。先生のご名誉のために付け加えさせていただくなら、し潟は干潟、しろうは拾う、でございます。生粋の江戸っ子、荒川っ子でいらっしゃるので、その辺はひとつ大目に...」 先生は「いやぁ、まいったな」と頭を掻く。
 お次は先生の弟子の出番である。業平にフリップを預けると、南実がマイクを握る。
 「先生の前でやりにくいんですけど、他の生き物が困っている様子をここで少々お話させていただきます」
 研究員らしい粛々としたトークとともに、淡々とフリップが繰られていく。レジ袋を誤食して窒息してしまったウミガメ、釣り糸に絡まって息絶えたペリカン、漁網が首に絡み付いて流血しているオットセイ、海面に漂流するプラスチック製品をついばむ海鳥、その海鳥の砂嚢(さのう)の拡大写真には、レジンペレットなどの砕片が... さらに、プラスチック系の袋ゴミなどが詰まったイルカの消化器の解剖写真がそれに続く。大人が見ても刺激的な画(え)は子どもにとってはよりショッキングだろう。文花と櫻を除いては、higata@メンバーも初めて見る動物被害実態の数々。参加者の中には、目をそらす者もいたが、しかと心には刻まれたようだ。こうした話は性格的にストレートな面がないと難しい。直球派の南実だからこそ、できるのである。

(参考情報→ゴミが動物を襲う

 「これはプラスチック製のリングが嵌(はま)って取れなくなってしまったアザラシです。好奇心旺盛なんでこれで遊んでいたんでしょう。ところがこの通り。自分ではどうすることもできない。ヒトにとってはただのゴミでも、動物には凶器なんです。と、このバンドも...」
 チーム榎戸の面々はヒヤリとなる。業平も繰っては見入り、その都度目を見開いていたが、この一言でやはりギョッとなっている。スタッフ全員、その凶器を付けているので、話を転じるしかないところだが、
 「これはスタッフ証でもありますが、我々人間への戒め、と考えることもできます。スタッフの皆さん、くれぐれも落とさないように気を付けてくださいネ」 とさりげなくまとめてみせた。この辺り、南実も十分キレ者である。
 「小松さん、本多さん、どうもでした。という訳で、悪さをするとこのバンド、どうかなっちゃうんでしょうか、ね? 榎戸さん」
 「ハハ、勘弁してください」
 文花は櫻のトークを愉しみつつ、学びつつ、そして冬木への戒めに喜々としていた。ここからは引き続き櫻ショーである。今日の櫻のいいもの其の一、指示棒を取り出すと、掲出済みの注意書きをビシビシやり始める。higata@での議論の賜物ではあるが、たたき台は櫻の手による。書いた本人ならではの説得力を以って、皆々に伝えられていく。
 (1)お子さんだけの干潟入りは避けてもらうこと、(2)船舶が通った後は大人も注意を要すること、(3)ぬかるみ、崖地、深々した草むら... 足元が覚束ないところは無理して踏み込まないこと、(4)鋭利なゴミは素手では絶対に拾わないこと、(5)悪臭ゴミ、爆発危険ゴミ、その他の危険物や薬品等は拾わないこと(見つけたら干潟スタッフに申告)、(6)細長いもの(花火の燃えカス、針金等)は折ってから袋に入れること、等々。クリーンアップの成果も大事だが、こうした安全面が守られさえすれば、行事としては成功同然と言って過言ではない。「無事此れ名馬」の道理である。
 「あとですね、放っておけば自然に還るもの、天然素材・自然由来... そういうのは拾わなくていいです。ただ、木でできた家具とか、カマボコの板とか、そういうのは一応回収します」
 お手洗いや水分補給は適宜、気分が悪くなったらスタッフに、最後に、
 「喫煙される方には申し訳ありませんが、ここは原則禁煙、でお願いします。どうしても吸いたくなったら詰所脇の喫煙コーナーで」 と釘を刺す。
 千歳はデジカメで要所要所を撮っていたが、チーム榎戸の撮影係は開会からずっと動画モードで記録中。三脚なしで微動だにせず収録するあたり、さすがはプロと千歳は思っていたのだが、この原則禁煙の話が出たところで、手許が狂ったようだ。「ありゃりゃ」とかやっている。これも櫻ならではの機転、いや訓戒が利いたということか。
 ここで掃部先生が一声。
 「櫻嬢、マムシの話はいいのかな?」
 「エ? マムシですか?」
 これを聞いてギクとなっているのは女性教諭である。魚がダメな人の友人だけあって、何となく共通点がある。永代はヘビなど爬虫類が大の苦手。教室で悪ガキに泣かされたのもトカゲが原因だった。過去を知る小梅は恩師を気遣っているが、旧友は素っ気ない。
 「皆さん、草叢(くさむら)にはあんまり近づかないことをお勧めします。自然が還って来たと言やぁ喜ばしいことなんだが、この時期、こればっかりはどうしようもなくてさ」
 蒼葉は耳を傾けながらも受付を続けている。情報誌見た組の方も含め、この十数分間の間に、チラホラ参加者がやって来ていて、いつしか全体で四十人近くになっていた。三連休の中日にしては、よく集まったものである。
 クリーンアップ参加経験などを聞きながら、所要時間の見当を付けてみる。進行役は、タイムテーブルを示してはいるが、何時に何々とは言わず、大まかな段取りだけを説明する。
 「おかげ様で多くの方に来ていただいたので、拾う作業はすぐに済むと思います。調べるのに時間がかかる訳ですが、それはまた集めてから考えましょう。あとはブログ組、情報誌組、各会場での指示に従ってください。飛び入り参加の方はひとまず陸上をお願いします。皆さん、くれぐれもケガのないよう、ご無理なさらぬよう、安全第一で。では!」
 ここまでの櫻の進行、いやマイクパフォーマンスと言うべきか、とにかく一級品であったことは間違いない。どことなく拍手が起こり、千歳も惜しみなく手を叩く。目が合った櫻は俯きながらも一瞬片目をつぶり、彼に合図する。そう、ここからは別々の会場で、それぞれの本分を発揮することになる。彼女なりに緊張感を維持した上での合図、だったのである。

 かくして実質的なクリーンアップは十時半スタートとなった。タイムテーブルでは十時二十分見込みだったので、すでにオーバー気味だが、この大人数である。台風後増量を見越して、回収作業は十一時を区切りにしてあったので、それはキープできそうだ。三十分もあれば大方片付くだろう、との読みである。だが、潮時担当のお嬢さんに云わせると「いやぁ、水嵩に追われながらのクリーンアップって、結構シビアかも」とのこと。つまり、時間的に余裕はあっても、水位との勝負は避けられず、いかに短時間で片付けるかがやはりカギとなる。時間との戦いは変わらない。手製で防流堤(干潟面ゴミキャッチャー)は作れても、上げ潮を抑える防潮堤のようなものは不可能。現場力はこうして試され、高められていく。
 いつもの干潟に展開するブログ(モノログ)チームは、防流堤を完全埋没させる勢いで覆う枯れヨシの大群に刮目(かつもく)していた。その茎の絨毯(じゅうたん)には所々奇妙な形の流木も混ざっていて、回収作業を躊躇させる。櫻は前回に倣(なら)い、障害物を除けることを提案。監視係の業平を筆頭に、学生諸君が加わり、せっせと運び始めた。千歳からデジカメを借りて撮影係(兼 相談係)をしていた南実は、その絨毯の量から慮って、「調べるクリーンアップ」が過重な作業になる可能性を悟る。
 「ねぇリーダー。今回は表に出てるゴミをまず拾って、数えるのはその範囲にとどめといた方がいいと思うけど、どうかな?」
 「ははぁ、小松予測ではこの束除(ど)けるととんでもないことになるって、そういうこと?」
 「だってすでにペットボトルやら、包装類やら、袋片やら、これだけで十分調べ甲斐あるでしょ...」
 そんな二人のスニーカーの周りには、骨組みだけになった安物のウチワ、何故かビニール手袋、波に洗われてクタクタになっているDVDの空ケースなんかが転がっている。
 「いきなりスクープっぽいのが出てくるし...」
 「そっか、現場押さえなきゃ」
 という訳で、大物障害物撤去→めぼしいゴミの撮影→表層ゴミをとにかく袋に入れて搬出→潮の加減を見ながら枯れヨシ絨毯を除去→防流堤の改修、といった作業工程が示し合わされた。潮位に煽られるというのは本意ではないものの、学生諸君なんかにはゲーム感覚で取り組めると映ったようで頗(すこぶ)る好評。よりスピーディーな作業の組み立て、というのがこの時の南実のサゼスチョンによって導き出されることになろうとは。策士とは斯くあるもの、である。
 蒼葉は斜面通路に待機して、干潟表層ゴミでいっぱいになったレジ袋なんかを各人から引き取る作業に励んでいる。軽快に捌いているが、干潟に展開する人数が、多いと十人くらいになるので、分が悪い。草を刈った平面にゴミをばら撒いて、空いた袋を持って戻ると、また次の袋、その繰り返し、である。一段落した業平が見かねて、斜面で足を止め、南実からやや重めの袋を受け取った時、小型巡視船らしき船舶がそれなりのスピードで下流方面に向かって行った。
 「やばい! 引き波、来ますよ。Go Heyさん!」
 「そっか。発令しなきゃ。皆さーん、波に注意してくださいっ!!」
 学生諸君は手を止め、川面に注意を向けてくれたまではよかったが、「マジ?」「キャッホー!」とかはしゃいでいるから始末が悪い。アラウンド20だろうから、自己責任云々と言えなくもないが、監視係の面目ってものがある。「おいおい!」
 「やっぱ、緊急波浪警報!とかやらないとね」 櫻がなだめるも、
 「アイツら、現場をナメおって、フー」 業平は息荒く立ち尽くしたまま。
 「いや、彼等が悪いばっかりでもないのよ。巡視船のクセに波立てるから...」
 かつて波にやられた南実にこう言われては監視係も落ち着くしかない。
 「さっき小松さん、引き波って言ったけど、それって?」
 「船が引いて起こすからそう言うみたいだけど、よくわかんない。ただ、自然保護地区だかは、波立てないように航行すべしって指定されてるんですって。それが引き波禁止」
 「潮が上がって来ているところに、それと逆方向、しかもあのスピードでしょ。まぁ、確かにさっきのはヤバかったわね。大波小波に小松南実...」
 「何か言いました?」
 「波のことなら南実さん、かなって。フフ」
 櫻は誰でも相方にしてしまうようである。
 監視のお役目は辛うじて果たせたものの、袋の引き取り役は果たせずじまい。そんなGo Hey氏を含むアラサー三人の脇で、蒼葉は黙々と往復していた。波の一件で中断はあったが、そんなこんなで表層ゴミは粗方(あらかた)取り除かれた。
 蒼葉様様である。

2008年2月5日火曜日

31. 名月あっての名案


 一週間後は、中秋の名月デーである。
 「櫻さん、また帰らないと妹さんに怒られるんじゃない?」
 「大丈夫です。千歳さんと会うから、って言ってあるんで」
 「だって今日は一応、仕事絡みよ」
 「そう言っておけば、おとなしく認めてくれるんで」
 「よくできた妹さんだこと」
 「姉譲りですワ」
 名月は東の空から徐々に高度を上げつつある。十九時にしてすでに辺りは暗い。いつしかそんな時候になった。
 フットワークの軽い八広がまず現われた。文花がご自慢の珈琲を淹れに行っている間に、千歳が到着。帰宅しているはずの接客係がいたものだから、「ワッ」とかやらなくても、十分不意打ちになっている。
 「あれ、櫻さん」
 「いらっしゃいませ!」
 「早番じゃなかったっけ?」
 「そんな、せっかくお待ち申し上げてたのに。いない方がようござんしたか?」
 「滅相もございません。またドッキリネタかと思い...」
 「何か、いいスね」 八広が短評を入れる。
 「あら、宝木&奥宮ほどではございませんわよ」
 四人分の珈琲を持って、チーフは先に円卓へ。
 「今日は窓際でやりますか」
 男性二人は円卓を移動させ、準備完了。いや、まだ出し物があった。文花は珈琲を置くと、今度は自分の机上から小皿を二つ運んで来た。よく見ると、大きさの揃った球状のものがそれぞれ複数...
 「そっか、お月見スね」
 「じゃ、これ食べたら帰ろっか」
 「千さん、たらぁ」
 「文花よりダンゴって? そうはさせないわよ」
 お彼岸で向島方面に行った際、わざわざ買っていらしたとのこと。
 「草餅か、桜もちか、団子か、悩んだけど、月見ですからね」
 「白とアズキってのは色でわかるけど、この黄色っぽいのは何ですか?」
 「味噌餡ですって。お試しあれ」
 「コーヒーと味噌って不思議... あら、美味しい♪」

(参考情報→向島名物と言えば

 女性二人は何だかんだ言っても、団子好きである。このまま本当にお月見で終わってしまいそうだったが、文花はちゃんと憶えている。
 「それでね、いわゆるNPO法人の役員体制ってのにこう、ひな型みたいなものがあるのかまずお伺いしたくて」
 「活動の実績とか内容によるでしょうね。その活動を支えてくださった方々に対して会員参加のお願いをしつつ、これまで事務方や意思決定をしてきた方からは役員候補を選んでいく。その辺りは共通だと思いますが」
 「役員の選び方や人数なんかはその会の定款で決めればいいことですから、これが型ってのは特にないかも知れないっスねぇ。まぁ、代表、副代表、理事複数、あと監事?」
 「八広君に云わせると、あくまでその団体の実情に応じて、身の丈に合わせて、というか、とにかく多様でいいって」
 「最近は、NGOとNPOとNPO法人の違いも随分曖昧になってきて、NPO法人=会社って思う人も増えてるみたいスね。もっとも、その法人を興す人達が、役所関係だったり、企業関係だったりだと、いくら表向き非営利でも、関わる人の体質上、組織色が強くなりますから、会社と見紛うのも仕方ないでしょうけど。要するに、多様といっても、そういう官製とか会社製とかまで含めていいかどうか、てのはあります」
 文花は思うところと一致するらしく、フンフンと相槌を打っていたが、ここで質問を挟む。
 「NPOはより概念が広くて、市民活動全般てのはわかるけど、それに法人がつくとなると、やっぱり法人としての制約を受けるってことになるの?」
 「法人格を取るかどうかも、選択肢の一つスよね。いろいろな市民団体取材しましたけど、しっかりした体制が組んであれば格なんて要らない、ってとこがあれば、格を取らないと仕事にならないから、なんてとこも。ただ、非営利云々よりも法人という括りが優先されちゃう感じスね。法人格てのは、公的なルールに乗せるための役所の便法みたいな側面があるのも事実です。制約、即ち公的な縛り、と言えるかも知れません」
 千歳も聞き知るところを口にする。
 「法人実務ってのが出てきますから、それをこなせるだけの人員というか、組織の体力が必要になりますね。でも、格を維持するために本来の非営利活動がおろそかになってしまっては意味ないでしょうから、そこが判断の分かれ目というか...」
 「何故、法人格?てのは正直あるわね。最初から既定路線になっていた、というか。でも役所から委託を受けて運営する手前、要ることになってるのよね」
 「何となく官製な感じがしなくもないスけど、矢ノ倉さんにある程度、裁量権があるなら、いい方ですね」
 「いえ、単に今の準備会役員の方々がうるさくないだけで、ちゃんと公募がかかったらどうなることか」
 「選考方法とかは委ねられてないんですか?」
 「そこなのよ。だから今日お二人に来ていただいた次第...」
 「委託主からは特に?」
 「地域振興から環境に担当部署が移ったのと同時にね、担当課長も異動になったの。気心知れてるってのもあるだろうけど、もしかすると委託先を入札方式にする可能性もあるから、お手並み拝見ってことなのかも。あーぁ」
 「まあまあ。人選も裁量のうち、ということなら、チーフのお好みでいいんじゃないですか?」
 「あとでね、説明責任だっけ、選考過程を開示しろなんて話になったら、そういう訳にもいかないでしょ。何となくそれっぽいことは考えてはいるんだけど、ね」
 想定代表理事を立てて、書類選考をその人にお願いしつつ、自らも理事候補に名乗り出てもらうこと、これまでの役員さんには選考を経てもらうこと、関係筋を中心に公募をかけて課題論文などを通して新たに選ぶこと、そんなプランを語る文花。
 「今の役員さん?は自分が代表に、とか言ってこないんですか?」
 「櫻さんと顔なじみの人が多いから、安心感があるのか、あまり関心示さないみたい、ね?」
 「ま、センターにいらっしゃればお話聞いて差し上げてるんで...」
 運営に不満があったり、兎角(とかく)主張好きだったり、単に己の虚栄心を満たしたいだけだったり、出たがる人には相応のタイプがある。そんな方が偶々(たまたま)いらっしゃらなかっただけかも知れないが、櫻の接客術ないしは人となりによって抑えられている可能性は否めない。
 「代表理事候補の方にはすでに打診されてるんですか?」
 「えぇ、まぁね。お返事はまだだけど」
 さっきからすっかりインタビュアー調で千歳の質問が続いていたが、ここでブレイク。八広が体験談を持ち出す。
 「この間の話じゃないスけど、退職後NPOだとか息巻いて、イケイケの方が代表理事に就いたりすると、ね。運営に馬力が要る場合はともかく、市民活動の性格上、ちょっとどうかな、って思う事例は結構...」
 理事が偉そうにスタッフをこき使う例、役職や肩書きがお目当ての輩ばかりで機能停止している例、もっとタチが悪いのは人の上に立ちたい人ばかりが集まって覇権争いが生じている例... どこでどう情報を稼いだのか、その事情通ぶりには目を見張るものがある。イケイケ路線に懐疑的な割には、自身はいい意味でイケイケな八広である。何はともあれ、生来のフットワークと、時代背景から来る忸怩(じくじ)たる想いが彼を駆り立てるのだろう。現場で得た生の声の蓄積、その場数の豊富さ、これは強みでもある。斯く斯く然々を経て、役員体制を考えるにあたっては、候補者をしっかり見極めることが重要、というのが八広の話から導かれる。
 「そうは言っても、所詮は人が関わることなんで、何がどう転ぶかはわかりません。そこで事務局長の役割が大事になってくる、そんな話も聞きます」
 千歳が取り次ぐ。
 「権限が集中するからって、事務局長は理事を兼任できない、てな規定を設けるところもあるみたいですね。でも、仮に他の理事が暴走したりする局面があったら、それを止めるのはやっぱり事務局長なんですよね。その時、同じ理事という立場でないと、ってなる訳です。勿論負担感は大きくなりますし、自制心も求められますけど、懸ける想いが人一倍強い方なら問題ないでしょう。兼任してでも、だと思います」
 黙って聞いていた櫻だが、ここでいいことを言う。
 「ひな型どうこう、というよりも、自分たちがこうしたい、というのに応じて定款とか体制とかを考えていけばいい、ってことでしょ? 私、文花さんには是非、兼任で切り盛りしてほしいです」
 「あら、ありがと。でも、櫻さんがいれば、暴走する人は出ないと思うけど?」
 「いえいえそんな...」
 何かいいシーンである。だが、今は余韻に浸るよりも、話を深めたい櫻である。
 「でもよく考えると、文花さんが理事になるのに、選考過程って要るのかな?」
 「匿名で課題論文を出し合って、候補者相互でポイントを付け合うってのは一つの手スね。でも、選考委員がいるなら、その人に一存かな?」
 「公募でどれだけ候補者が出てくるか、もありますね。多ければ論文選考もいいけど、少なければ会員による投票でもいいかも知れない」
 「会員って、まだ制度化してないわぁ」
 「でも、募集かければ早晩集まるんじゃないですかぁ? マメに情報送ってることだし」
 「そうねぇ。いや、忘れちゃいけない。名物三人娘効果の方が期待できるわよ」
 「じゃ、おふみさんコースとさくらさんコースとか?」
 「ファンクラブじゃあるまいし。だいたいおふみさんて何よぉ」
 女性二人が掛け合いをやっている間、男性二人は、高度と輝度を増す名月を見ながら、団子を賞味する。
 「ミスマッチかと思ったけど...」
 「ミソマッチ、スかね?」
 月も呆れる軽いギャグ。これでも八広は詩人である。
 「味噌餡団子の黄色とお月様の黄色、どっちもいい味出してる...」
 これぞ名句。おそれいりました。

 定款に盛り込む前提で、仮の会員制度を設定してみては、という話に落ち着く。関係者の裾野というか層を厚くしておいて損はない。
 「設立総会時ですかね、その会員の皆さんによって定款と役員が承認されて... それで初めて動き出す部分もあると思いますよ」
 千歳としても、ワークシェアリング事例として、NPO法人関係者に話を聞くことはあるので、イロハ的なことは承知している。文花は今夜のゲスト二人に改めて感心しつつも、ふと疑問が沸く。
 「それにしても、隅田さんも宝木さんも、お詳しいのねぇ。私、まだまだ勉強不足だったワ。何か特別な思い入れでも?」
 「前に先生を囲んでお話ししたことに通じますけど、NGO/NPOって、社会を見つめ直したり、歪みを戻したり、そのためにあるのかなって思うんスよ。行政や企業の補完的な役割がどうとかって言われることもありますけど、むしろ、行政や企業のドライブにブレーキをかける方に意義が見出せる気がします。一度決めたことが固定化して、そのまま行ってしまうこと、自分はそれをドライブって言ってます」
 「あと彼とよく話すのは、競争と消費の原理に疲弊した人、疑問を持つ人等々の居場所として市民社会はあるんじゃないか、ってことですね。補完ではなく、より積極的な意味を持つ訳です。生き方の選択肢を多様化させる、と言ってもいい」
 「隅田さんも自分も、そういう想いを抱かせる境遇にあって、思い入れも強くなって、それで実態を知りたいってなって、それが動機だと思います」
 法人格の有無を問わず、NPOを標榜する以上は「何とかしたい」という想いは欠かせない。その想いの集合体がO=Organizationを形成することになる。はじめに組織体ありきではない。まして、組織の維持が目的化するようなら本末転倒だろう。想いが共有できなくなったら、解散。それもまたNPOだからこそできる特性である。
 「そっか、Oって組織だもんね。するとNPO法人って言い方、何か変ねぇ」 と文花が少々脱線すると、
 「非営利活動をそのまま訳せば、NPA(Non Profit Action)法人ですかね?」 仕方なく櫻がフォローする。
 「本当は市民活動法人で良かったのにねぇ」
 千歳が薀蓄のような不可思議なことを言ったところで、NPO談議は幕引きとなる。「市民」という表現は意図的に除かれ、代わりに「特定非営利」になった経緯があるそうだが、要は「何を為すべきか」であり「どんな名称か」ではない。それを暗に言いたかったようである。

(参考情報→NGO、NPO、NPO法人

 談議が熱さを増す傍らで、コーヒーの方はホットではなくなっていた。飲みかけのコーヒーを片手にチーフは、「何か違う飲み物、お持ちしましょうか?」
 「麦茶がまだあったから、持ってきますよ」 代わりに櫻が席を立つ。
 「ところでおふみさん、理事会はまぁ見えてきたとして、実行部隊というか、運営委員とか、部会とかってのは何か考えてます?」
 「理事が決まってからかなぁって思ってたけど、遅い? あ、今、おふみさんて言ったわねぇ! おすみさん」
 しばし、歓談モードになるも、
 「代表理事候補の方と事務局長の間である程度、決めておいた方が議論しやすいかも知れないスね」 八広が戻す。そして、
 「せっかくだから、今いる四人でざっくばらんに...」 文花はホワイトボードを引きずってくる。
 「組織志向ではないとは言っても、対外的に説明しやすくする上で、やはり組織図って要るんですよね。NPOいやNPA法人の場合、頂点には会員、その周りにいわゆるステイクホルダー(利害関係者)、会員の下に総会、代表理事、理事会... かなぁ」
 千歳が話をふくらますと、文花はそれをせっせと転記し始める。戻って来た櫻はその様子が可笑しかったらしく、「おふみさん、そんなにあわてて書かなくても。ペンがヒーヒー言ってますよ」とからかってみたが、「センセだったら、シーシーね」 あっさり交わされてしまった。
 そして文花はペンを止め、想いを廻らせる。そのセンセが代表理事に就いてくれれば... この図式も変わってくるかも知れない。
ち「で、部会の位置づけですよね。理事会の下に枝分かれさせると、理事が部会を担当するって形態を示すことができると思います」
ふ「ほぉ。担当理事制ってこと?」
八「と言っても、センターが何をしたいか、がまず先かも知れないスね」
さ「今のところは、情報提供、普及啓発、調査研究が柱だけど...」
ち「その柱に対して理事、置きますか?」
ふ「理事が先で部会が後って、確かに決めにくい気がする。ある程度、想定できる人材を募らないといけない、ってことかぁ」
ち「部会は必須って訳じゃないですから。集まってから全体をデザインしてもいいと思いますよ」
ふ「そうそうこの間、現場力の話、出たじゃない? 調査研究をふくらませて、現場密着型の、つまり現場力を鍛える部会ってのが一つあってもいいと思ったんだけど、どうかな」
さ「現場って、干潟とか?」
ふ「そうねぇ、仮にセンセが承知してくれたら、担当理事に就いてもらって、櫻さんご担当とか?」
さ「クリーンアップを業務に組み込むってことですかぁ?」
ふ「その方が動きやすくない? そっか、発起人次第か...」
ち「リーダー次第でしょう」
 リーダーはしばし考え込む。
 「私、現場担当ってことなら、地域探訪とかもやりたいな」
 「何か見えてきたんじゃないスか? 地域・現場部会ってのはアリかも...」
 干潟作業を業務化するかどうかはさておき、現場を持つことの重要性については、四人そろって認識するところである。ゴミのデータを調べ、発生源なりを研究し、実態を伝える。たとえその発端が地元の企業や商店ではなくても、一定の啓蒙につながる見込みはある。地域限定的であっても、ゴミの発生抑制策を考えてもらうきっかけが提供できるなら、環境情報センターの役割として決して小さくはない。現場かつ具体的数値、これほど説得力を伴う取り組みもないだろう。櫻が考える探訪も、地域を広く現場とした取り組みと考えればその意義は大きい。実際に足を運んで、目で見て、耳で聞き、手で触れ、五感をフルに使ってそこにある「いいもの」を探す、そしてそれをマップに落とし込む。マップは、地域の資源を市民が共有する手がかりになる。地域を見る目が変わる、環境への思いやりも増す、人も元気に... これは櫻が短冊に託した願いに通じる要素でもある。データカードにしろ、グリーンマップにしろ、その手法については調査研究領域になるので、センターの本来機能に適う。そして、その手法が研ぎ澄まされることで、得られた情報もより活用度の高い情報となろう。地域に根ざした確たる情報提供が可能になるのである。調査研究と情報提供を両輪として、そこから自ずと普及啓発が導かれると仮定できるなら、この上ないこと。月が眩しく四人の席を照らし出す。正に光明が射してきた。
 「地域系情報を集めて発信するシステムも出来上がることだし、その上、自分たちで稼いだ情報が動くとなれば言うことないわぁ。そういうのって、ハコモノとは言わないわよね」
 「文花さんは箱入りですが...」
 「ホホホ」
 いつもと違って、食いつきが悪いチーフである。今晩の漫談は不発ということか、いや無意識のうちに振る舞いが事務局長然としてきた、そんなとこらしい。
 文花は、ボードに部会案を書いた後、漸く自分のポジションが記されていないことに気付いた。あれこれ思案を廻らせていれば、櫻の相方をやっているどころではない。不発の理由がこれでわかった。
 「事務局長は、代表理事の隣? 理事と兼任する場合は理事会の中?」
 「意思決定の優先順位がわかるような表現になっていればいいと思いますけど」
 「他の理事が事務局を軽んじることがないように、理事会と事務局がフラットになっているといいスね。代表理事と理事会の間から線を分けて事務局長、その下に事務局とか?」
 「ま、あとはこれを硬直化させないように、定款でうまく規定化、いや見直し規定を設けるとか、そんなとこでしょうか」
 中味の濃い時間が流れる。時刻は二十時半近くになっていた。センターは一応開館中ではあったが、世間は給料日、いや月見日和ということもあり、夜の来館者はなし。センターも現場と捉えた場合、来館者が少ないようだと場としての価値が問われることになるが。
 「話変わるけど、夜のセンターってこんな感じでいいんですかね。お客さん来ないのに開けとくのって、もったいない気がして」
 即席講座などの催しがあればそこそこ人は集まって来るが、毎日という訳にはいかない。平常時にどれだけ賑やかすか。これは接客係としても気になっていたことではある。
 「場の有効活用って意味じゃ確かにね」
 「部会とかって、つい事業系が中心になっちゃうけど、ハコモノ的要素をどう盛り上げてくか、も部会ネタなんスよね。来客サービスとか相談対応とか人的交流とか...」
 「ま、さっきの両輪の話、調査研究と情報提供でしたっけ、その成果を公開報告する場を設ける、ってのが早道でしょうね。あとは部会を夜開いて、オープンにするとか」
 「お二人さんには頭下がるわぁ。こういう場をオープンにしてもいいかもね。『センター運営協議会』! ちと硬いか」
 餡が良かったのかも知れないが、名月の夜に名案あり、である。さらにいい話が続く。
 「法人登記については、本多業平氏が詳しいと思います」
 「会計実務は、ルフロンに相談するといいんじゃないスか」
 千歳と八広それぞれから、サポーター候補の名が挙がる。若手中心だが、布陣としては悪くない。
 「ところで文花さん、お二人に相談料とか、いいんですか?」
 「おすみさんは、櫻嬢とのデート権でいいんでしょ。宝木さんは...」
 「お団子いただいてますんで。あと、自分としても今日はいい勉強になったし」
 「まぁ、お若いのに謙虚だこと。こういう時、謝金とか出せればいいんだけど、NPOはそれがちょっとねぇ。あ、規定作ればいいのか」
 「いえいえ。そういうのがないから、NPOが成り立つというか。持ちつ持たれつ、お互い様の精神でいいんだと思いますよ。何ちって」
 「そうそう、デート権だって、冗談抜きで余りあるくらい。何せ一番人気の櫻さんと、ですから」
 「フフ。おだてたって何も出ないわよ」
 閉館時間が近づいてきた。文花はデジカメでボードの板書を撮る。八広は窓の外を見ながら、頬杖をつき、ポーズを取る。月をテーマに散文詩でも、といった面持ち。
 「そういや、お月見定番のススキがないスね」
 「あぁ、文花さんがね、またクシャミが止まらなくなるといけないから、止めたんです」
 「何よそれ。私、ススキ花粉症じゃないわよ」
 「今度、河原に行けばわかると思いますよ。イネ科と共通かも知れないから」
 「あら、冗談じゃなかったんだ。自分でも調べてみるわ。ありがと」
 先だって干潟を下見した際、ヨシ原界隈にはススキも隠れていたのだが、上陸ゴミのビックリと南実のイタズラドッキリとで、花粉どころではなかったようだ。文花の準備品が増えるのは必至か。だが、それはそれ。クリーンアップイベントに向けての全体的な準備の方は着々と進んでいる。冬木お騒がせの情報誌ホームページが不安要因だったが、higata@内での迅速な意見交換の末、必要十分な文面がまとまり、詳細案内としては真っ当なものが粛々と掲載された。それから一週間が経つ。情報誌本体と合わせ、どの程度の人が関心を示し、実際に足を運ぼうと考えているのだろう... 開催日まで十日を切った今、ハラハラドキドキが高じてくる。が、現場力という点では少なからず自負はある。メーリングリスト上でエールを交換しつつ、あとはとにかく当日の好天を祈るのみ。

 櫻は食器類を片付けている。八広は館内資料を物色する。残る二人は円卓に居る。ふみさんがすみさんに声をかける。いや、今度はちゃんと本名である。
 「隅田さん、唐突だけど情報担当理事っていかが? 非常勤待遇つきで」
 「え、本気ですか?」
 「本気と書いてマジすよ」
 何だか旧いことを仰るが、どうやら本気のようだ。
 「非常勤ですか... 僕の都合でよければ」
 「週に一度でも構いません。櫻さんと曜日が重なってもOK」
 「この話、櫻さんは?」
 「サプライズにしたい、でしょ?」
 課題論文は一応出してもらうことだけ決めて、委細についてはまた追って、ということに。
 「当市民じゃなきゃダメとかってことは?」
 「別に役所からの委託が百パーセント、ってこともないだろうし。地域といっても、より広域に捉えて、広く人材を募る方が理に適ってると思う...」
 居住地についての規定を設けるところもあるが、文花の考えでは隣接市区とか荒川流域であればいい、とのこと。それなりに案を練ってきたことが窺える。
 アラウンドサーティーともなれば、ONとOFFのコントロール、つかず離れずのバランス感覚、そういった点は大丈夫だろう。二人をこれまで見てきた限り、うまくやってくれそう、という確信がチーフにはあった。いつものお節介という見方もあるが、世話を焼くのが好きなんだから仕方ない。
 「文花さん!」 おふみさんとは言わず、こちらも改まっている。
 「どったの? ニコニコして」
 「デート休暇、日にち決めました」
 千歳は八広と資料の配置云々で話し合っている。休暇交渉が成立した櫻は、彼氏を呼ぶ。
 「千歳さん、デート権をお使いいただく日が決まりました」
 「え、日にち指定制だったの?」
 「十月十二日、終日です」
 「ハ、かしこまりました」

 満月は益々空高く、眩(まばゆ)いまでに地上を照らす。四人それぞれの影が離れつつ伸びていく。河原では中秋の風がススキを揺らす。
 「ハァ、クシュン」 因果関係は定かではないが、誰かさんがクシャミをしている。
 「花粉? ちょっと肌寒くなってきたから、よね」 今夜は、秋の夜長にふさわしい過ごし方ができた。討議にしろ交渉にしろ、実りが多かったことを振り返る文花。決めなければいけないことは多々あるも、気分的には余裕たっぷり。心は満月の如く、である。