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2008年4月8日火曜日

40. 原色または素顔


 「ヨシは減り、ゴミの露出は増え... 拾えども拾えども我らが干潟は何とやら、じっと...」 遠くを見つめる櫻であった。
 今日は近くも遠くもなく、全方位がよく見えるので、脱力感も大きい。気が緩むのは当然の理(ことわり)
 大型ペットボトルが川の中央を漂流しているのがわかる。そして、それを避けようとした水上スキーヤーがジャンプに失敗したのもしかと見届けた。その瞬間である。風圧でも来たのか、デビュー初日のコンタクトレンズ(本日の「いいもの」)が片方落ちてしまった。
 「へ? な、なんで?」
 櫻の異変に周囲は気付くも、こういう事態だと下手に動けなかったりする。
 「櫻さん、動かないで。そのまま」
 片目では探しにくい。本人もできれば動かない方が無難である。たまたま近くにいた南実は、的確なアドバイスを送りつつ、レンズの捜索態勢に入る。
 幸い大方の片付けが済んでいた上、水位の上昇も緩やか。大騒ぎするには及ばないのだが、水際で落としてしまったのがいけなかった。波が襲って来たら、と思うと気が気ではない櫻である。露出面積が広いのはいいが、普段は水没している辺りは軟弱で、足が沈む感じ。慎重に足を運びながら、研究員は目を利かす。

 その場でおとなしくしていないといけないのが、いたたまれない。見つかるまで五分足らずだったのだが、随分と長く感じられた。
 「はい、見つかりましたよ」
 「助かりましたぁ」
 この時、ギャラリーは千歳、八広、舞恵、石島姉妹の五人。動作はストップモーション気味。暫時、黙視していたが、今はパチパチと手を叩いている。絵になるワンシーンである。
 「レンズって飛ぶんですね。よくぞ見つけてくださいました」
 「仕事柄、探し当てるの得意なんですよ。凸レンズ状のペレットもありますし」
 遅ればせながら、そろそろと彼氏が近寄ってきた。
 「大丈夫、ですか?」
 「あ、そうだ。バケツ貸して」
 「それが忘れて来ちゃったみたいで」
 「うぅ」
 ここで再び南実が名乗りを上げる。
 「今日まだ使ってないから。私の使って」
 今回は自前のバケツ持参だった。いやバケツではなくステンレス製のペールと呼ぶのが正しい。レンズを漱(すす)ぐには丁度良さそう。櫻は一人洗い場へ急ぐ。
 「ホレ、そこの彼氏、これがないとダメっしょ」
 親切なルフロンさんは、手のひら大の鏡を取り出すと、千歳に手渡した。
 「さすが女神さん。ありがとう!」
 舞恵は笑顔、南実はちょっと無愛想になる。

 櫻と千歳が中座している間は、蒼葉が進行役代理を務める。分類が済んだゴミのカウントに着手する旨、号令がかかる。櫻はいつものカウンタを持って来ていたが、ルフロンが居れば何のその。得意の目計算でバシバシ数え上げていく。
 手持ち無沙汰の南実は、二人が気になることもあったが、一旦洗い場に向かうことにした。途中、目をキラキラさせた櫻、一歩遅れて千歳とすれ違う。
 「あ、水汲んどきましたよ」
 「ども」
 文花が云うところの三角形の三人。外野の一隅で無言の時間が流れ出す。ペールに満たされた水が鏡のように静止している。三人は一様に唇をかんだままである。数十秒程度だったが、彼等には分単位の重み。南実は口を開きかけたが、会釈して先に現場に戻って行った。

 十一時半近く、目計算の結果がまとまる。ワースト1(5):発泡スチロール破片/七十一、ワースト2(3):プラスチックの袋・破片/五十七、ワースト3(1):ペットボトル/五十三、ワースト4(2):フタ・キャップ/三十七、ワースト5(4):食品の包装・容器類/二十九(*カッコ内は、十月の回、当干潟での順位)。次点は、タバコの吸殻等と小型袋が各二十八。雑貨も各種そろっているが、弁当やカップめんの容器、その他のプラスチック系容器類がとにかく目に付く。目的別で分類するなら、「容器&包装」がトップに立つのは間違いないだろう。気になるレジンペレットなどの粒々関係は、南実研究員が別働で調査しているが、「ダメだ。発泡スチレンにしてやられた」
 集めた砕片をペールに浮かべると、その水面は、すぐに白い球粒で覆われてしまう。いつも以上の収量があったので、サンプリングで済ませようとしたが、これじゃ埒(ラチ)が明かない。「二十対一くらいかな?」 南実もパチパチと目で数えようとするも、この通りアバウト状態。精彩を欠いているのはやはりあの人のせいだろうか。

(参考情報→2007.11.4の漂着ゴミ

 石島夫妻は目の前で繰り広げられている集計作業を黙って見ている。いや、感じるところは数多(あまた)あるものの、それを声に出していないだけ、という風である。
 「衣料品とか履物とか、相変わらず多いのねぇ... サンダルとかまだ履けそう」とか、
 「布団は察しがつくが、ゴムボートってのは見当つかんな。この調子で大物が大量に出てくるとなると、うちの負担もバカにならんぞ」とか。
 感想と言うよりは単なる見立てといったところか。

 両親とは対照的に娘二人はよく動いている。再資源化可能と思しき品々をまとめると、率先して洗いに行ってしまった。蒼葉はケータイ画面で計数入力中。その傍らで、千歳は例の如くスクープ系を撮り始める。レジ袋に入った雑多ゴミはこれまで何度となく見てきたが、このパターンは初お目見え。クイックメニュー業態店のテイクアウト容器の詰め合わせ袋である。それとセットという訳ではないだろうけど、ウエットティッシュの箱本体、水筒、歯間ブラシと続く。ストーリーとしては、手を拭いて、弁当をたいらげ、水筒に入ったお茶か何かを飲み、最後は歯のブラッシング。そこで使ったものは全てポイ、でこうなったとか。しりとりも頭を使うが、遺留品から物語を組み立てるのも悪くない。
 「千歳さん、どしたの? 思い出し笑い?」
 「へ? いやいや、ゴミにもドラマがあるんだなぁって」
 「このDVDのこと?」
 櫻が指差した先には、何かいかがわしそうなタイトルのAV系ディスクが転がっている。
 「ハハ、これもスクープ系?」
 「やぁね、そんなの記録しなくていいわよ」
 ディスクには真昼に近づく日射が当たって煌いている。
ま「それにしても、今日もよく晴れたこと。またしてもハレ女さんの完勝ね」
さ「皆の心がけがいいからよ。お天道様が味方してくれてるだけ」
あ「ところで初音さん、気温は?」
 ケータイは忘れても、デジタル温度計は常時携帯している。さすがはお天気姉さん。
 「二十℃スね。でも体感温度はもっと行ってるかも」
 十一月でこの気温。数字を聞いたら余計に暑くなってくるから不思議だ。R25のカップル二組は、せっせと可燃・不燃の別で袋に入れ始める。[プラ]の識別表示付きの品々と、舞恵が集めたボトル&缶関係は、その二十℃の熱で微かに蒸気を立ち上らせている。
 「よーし、リセット、いや再リセット完了! 皆さん、おつかれ様でした」
 一同礼、そして軽く拍手。石島夫妻も気が付くと手を合わせていた。南実も少し離れたところから頭を下げている。
 広々とした干潟はいつ見ても気持ちのいいものである。動機はどうあれ、新たに拓かれたルートからの眺めはなかなかの絶景。一羽のダイサギが優雅に現われ、情景を盛り立てる。だが、着地はせず、そのまま上流方向へ飛び去って行ってしまった。
八「こりゃ縁起のいいことで」
ち「どうせなら寄り道してけばいいのにねぇ」
ま「人が十人もいたら、ムリっしょ」
あ「馴れてもらえばいいのよ。また戻って来るまで私、残るから」

 正午を過ぎた。石島ファミリーが動き出す。
 「今日は皆さんおそろいで、どうもありがとうございました。お父様にはまた別途ご連絡を...」
 「ハハ、そうでした」
 「この後はどちらへ?」
 千歳の問いに、京(みやこ)が答える。
 「皆さんおなじみのショッピングセンターへ」
 湊と初音は以前よりはいがみあうこともなくなった。今日は家族そろってのお出かけデー。初姉の受験応援食事会なんだとか。
 「それでご両親もここへ」
 「現地集合でもよかったんですけどね。主人が寄ってこうって」
 「本当? ママが引っ張ってきたんじゃないのぉ、心配だわぁって」
 「ステキなお姉さんとお兄さんと一緒なんだから、別に心配なんかしないわよ」
 そんな素適な一人、見目麗しい画家さんが、おもむろに画布を出してきた。三脚に取り付けると、描きかけ作ながら印象派チックな川景色が拡がる。小梅は真っ先に駆け寄っていく。その後を家族三人も追う。
 「まぁ、絵描きさんだったなんて」
 油絵がセレブ感覚にマッチするのか、京は色めき立っている。
 「ここの本来の姿ってどんななんだろって、描きながら考えてるんです。少なくともゴミとか余分な人工物がない状態でしょうから、今のうちと思って」
 蒼葉としては他意なく、正直に話をしたまでだが、湊にはグサと来るものがあった。
 「本来の姿...か」
 小梅と京はそのまま覗き込んでいる。湊は我に返ったように、傍にいた千歳にステッカーを渡す。
 「これだけあればしばらく足りますかね」
 「あ、ありがとうございます。でもこれは姉妹のご担当じゃ?」
 「小梅はまたお世話になるでしょうけど、初音はしばらくお休みって、あ、まだ聞いてませんでしたか?」
 「はぁ...」

 その初音は舞恵につかまっている。
 「何? 初音嬢、日曜休業?」
 「えぇ、今日の食事会は景気付けです。以後、日曜日は勉強に専念します。お店は土曜日のパンケーキタイムだけ。受験が終わるまで、ここにもしばらく来れないかも」
 「そっかぁ、じゃ土曜日に顔出すようにするワ」
 「ルフロンさん、ちっとも来てくれないんだもん」
 「すまんすまん、十月は干物みたいになっててさ。こないだの台風の日にセンターに行ってやっと復活した感じよ。ま、お詫びっつぅのも何だけど、わからないことあったら教えたげるし。英語とか」
 「じゃあ、午後五時前後に。売れ残ったパンケーキでおもてなししますんで」
 「売れ残りぃ?」

 課長の粋な計らいで、大物ゴミは陸揚げした地点に置いておけばOKということになった。下手に貸しを作られるのは御免だが、少なからず改心する部分もあったようで、イイ顔で手を振っている。表情は嘘をつかない。これは初音が言っていたことでもある。

 可燃と不燃が計四袋、再資源化関係は二袋。これを六人で運び出せば今回は終了。だが、文化の日の翌日と来れば、「芸術の秋」を堪能しない手はない。昼食は二の次である。
 蒼葉はピクニックランチのことも忘れて、ひたすら原色を追究している。
 「川はグレーが基調? でも空の青を映して、大きく呼吸してる感じ。それって何色?」
 元々の姿を描くなら、限りなく透明感のある色になるだろう。絵筆は画家の思惟を乗せ、理想と現実の間を彷徨(さまよ)っている。
 自称アーティストの舞恵嬢は、前回から置き去りになっていた変形流木を発見する。
 「こういうことなら、工作キット持って来りゃよかった」
 その流木の枝に、缶やペットボトルを括りつければ、ちょっとした打楽器になると踏んでいるのである。仮にこれら飲料容器をリサイクルする場合、材質はそのままだが、形状の変化を伴うため、何らかのエネルギーが発生する。缶にしろペットボトルにしろ、その原形をとどめたまま使ってもらえるなら、それは即ち、リユース(再使用)。エネルギー使用が抑えられることから、リサイクル(再利用)よりも環境配慮に適うとされる。舞恵は特段そうした意識を持っている訳ではないが、「リユースアーティスト」になれる素地はある。
 「今日のところは良品を頂戴して、と。流木も持って帰ろ」
 かくして、いつもならリサイクル扱いの飲料容器は、余生を授かることとなり、純粋なリサイクル系は、隣市へ持って行く容器包装プラ関係のみとなった。

 文芸の秋、という人達もいる。櫻と八広は干潟端会議で、歌詞について話し合っている。
 「その千歳さん作の二曲目ってのがね、メロディーラインは何とか弾けても、何を歌にすればいいのかが思いつかなくて...」
 「詞がつけば、情景が浮かんで来て、もっとイイ感じで弾けるんじゃないスか?」
 「そうなの、だから詞が先でもいいんじゃないかって、言ってるんだけど」
 「櫻さんが鍵盤で入れたテイクができると、本多さんのところで加工されて、カラオケ仕様になるんですよね。それを聴いてから考えましょっか」
 「今、ここで聴いてもらえたら話早いのにね」
 チャラチャラが減ったルフロンだが、所持品は多彩である。今は耳がスッポリ収まるヘッドホンをして、首からはメモリオーディオをぶら下げている。モンキチョウとモンシロチョウの演舞に合わせて、軽やかにステップを踏む。舞恵さんだけに、舞いもお得意のようだ。
 「おーい! ルフローン!」
 八広が手招きすると、彼女はバッタを散らしながらもミディアムスローな調子でやって来る。
 「それって、メモリ差し替え式だよね」
 「そっだよ。今日はボサノヴァセレクションさ」
 「てことは、楽曲データをこれに入れればすぐに聴けるってこと?」
 「ファイル形式が合ってればネ」
 二曲目、そのダンサブルなナンバーも、遅かれ早かれ二人の耳に入ることになりそうだ。

 芸術モードではない二人が残っている。こっちは至ってシリアスである。南実は試料をジッパー袋に詰め終わり、研究用具の片付けをしていたが、いいタイミングで千歳がステッカーを貼り終えてウロチョロし出したので、すかさず呼び止める。
 「隅田さん、ちょっと」
 「あ、ハイ」
 四人は陸地にいるので、干潟に下りると目が届きにくくなる。引き揚げたゴムボートの横を通って、二人は今、湾奥に居る。
 「兄のこと、文花さんから、ですよね」
 「えぇ、お悔やみ、いや、何と申し上げたらいいのやら、ですが」
 「消息がわからないのが逆に救いではあるんですが、事故は事故ですから。ただ、これもお聞きになったかも知れませんが、隅田さん見てると、何だか兄が戻って来たみたいな、そんな気がして...」
 言葉が途切れてくる南実。快活なアスリートという一面は全く見られない。その嫋(たお)やかで愁いを含んだ眉目に、千歳は息を呑み、そして溜息。
 「自分でもよくわかんないんです。きっと隅田さんのことが好き、でも何でそう思うのか... 兄への慕情が転じて、だとは思うんですけどね」
 「小松さん...」
 「ごめんなさい。隅田さんには櫻さんがいるから、こういう話はするまいって思ってたんです。でも、ダメでした。打席に立ってもらったり、歌声聴いてたら、益々重なってきちゃって」

 「あれ、そういや千歳さんどこ行っちゃったんだろ?」
 「こまっつぁんもいないよ」
 「何かイヤな予感...」
 「この辺にいないとなると、干潟スかね」

 南実は泣き出したいのをこらえて、話を続ける。
 「川に一と書いて、せんいちと言います。だから『せんちゃん』なんて聞くと、泣けてきて」
 当の千ちゃんはひと呼吸おいてから、輪をかけるように泣けることを云う。
 「その川一さんの代わりはできないけど、何か力になれるんなら」
 「あ、いえ、別に今まで通りで。ここでお会いした時に、ちょっとだけ甘えたいかな、ってのはありますけど。片想いっていうのも変だけど、何となく慕わせて、ください」
 そう言い残すと、さっさと斜面を駆け上がって行ってしまった。

 「あ、小松さん、千歳さんは?」
 「あぁ、潮の上がり具合を眺めてて。まだいますよ。私はこれで。ルフロンさんも、またね」
 去り方がちと怪しかったが、普段通りのハキハキした感じだったので、詮索するも何もない。櫻はむしろ御礼を言わないといけないくらい。「あーぁ、何かスッキリしないし」 南実も同じようなことを思う。「櫻さんには誤解がないようにしておきたいなぁ。何かまだつっかえてる感じ...」
 独り南実が帰り、次は二人、ルフロンと八クンが帰途に。
 「じゃあお二人さん、今度は二十四日ね」
 センターとしては、法人会計を固めていく必要上、専門家として舞恵に来ていただくことになっている。八広は彼女の付き人のようなところがあるが、NGO/NPOの事情通である以上、それはそれで心強い。二人とも無償で構わないと云うが、舞恵は櫻のカウンセリングが受けられるのが特典。八広は千歳と情報交換するのに好都合。無償に足る理由がある訳だ。
 「奥宮さん、今度は雨とか連れてこないでね」
 「さぁね、そればっかりは。天気のことは初姉に聞かないと... あ、そうだ!」
 初音は受験勉強に専念するため、干潟にはしばらく来られないとの件、舞恵が申し伝える。
 「で、皆さんによろしく、と」
 「てことは、クリーンアップ後のカフェめしランチもしばらくお預け?」
 「初姉がいなくても別にいいじゃない」
 「だって、ニコニコパンケーキもお休みなんでしょ」
 「ウーン」
 悩める女性二人にとって、これがお導きとなればご喝采である。八広が提案する。
 「今からルフロンとお店探してきますよ。ちょうど自転車だから、あちこちと」
 職場の近所はよくご存じなのだが、「平日はランチやってても、日曜となるとね」と舞恵も同調。そして、付け加える。「あ、そうそう、さっき言ってた楽曲ファイル、お早めにね。待ってるから」

 今、干潟を見下ろす場所には、腰掛ける女流画家と、その脇に立つ男女が居る。蒼葉はいつの間にか一人ランチを済ませていて、ひたすら画業に集中。だが、段々と気が散ってきた。
 「あのさ、見ててもいいんだけどさ、お昼がどうこうとかここで相談すんの、止めてくんない?」
 「あ、ごめんごめん。少しはサンドイッチとか残ってるかと思ったら、全部食べちゃってんだもん」
 「早く二人仲良く行ってらっしゃいよ...と思ったけど、そうだそうだ」
 素顔の姉を見て、いいことを思いつく妹。
 「千さま、カメラ貸して」
 「あ、はいはい」
 二人をリセット後干潟に並ばせて構える。
 「今日は櫻姉の素顔復活記念日。はい、撮るわよー。あぁ、咲き始めのお二人さん、ホラもっとくっついて!」
 「何? 咲き始めって?」
 「さぁ」
 一枚目は顔を見合わせるような感じになってしまったので、その後、何枚か追加で撮影。続いては、
 「じゃ、姉妹の写真も」
 川も風も空も、そして姉妹の瞳も、皆キラキラ光って見える。千歳はその光にクラクラしながらも何とかシャッターを押す。

 「サギに会ったら、よろしくね」
 「D’accord, Bonne journée!」
 「A ce soir…」
 この姉妹、フランス語で会話したりすると、より美しく見える。

 「千歳さん? Comment ça va?」
 「え? Oui, merci…」
 「あぁ、そういう時は、Ça va bien, merci.かな」
 「サバですか」
 「そう、サバイバル会話です。どう?ってのを聞く時は、Ça va?でOK!」
 ゴミ袋四つを所定の場所に置きつつ、フランス語ワンポイントレッスンに興じている。やってる作業はお世辞にも洗練されたものとは言い難いが、会話の方はエレガントである。

(参考情報→フランス語 小会話

 この後はいつもならカフェめし店、ただし今日に限っては千歳宅である。前カゴに容器包装プラの専用袋を載せ、櫻は自転車を押して歩く。至って身軽なのだが、とにかくノロノロ。横を徒歩(かちある)く千歳よりも遅いくらいだから相当なものである。
 「ねぇ、千歳さん、小松さんのことだけど」
 櫻は思い切って尋ねてみることにした。千歳は前のめりになって足を止める。
 「弥生ちゃんからちょっと聞いたんだ。彼女、お兄さんがいるんですって?」
 干潟での一件を訊かれると思い、ヒヤリとしたが、この質問も十分冷や汗ものである。
 「僕も文花さんから聞きました。で、さっき本人からも」
 「なーんかありそうね。推理してもいいんだけど、差し支えなければ教えてくれませんか?」
 櫻は南実、その兄、そして千歳の三者の間に何かある、というところまでは察しはついていたが、問い詰めたところで、千歳が喜ぶでもないだろうし、むしろ気を悪くすると承知していたので、質問形式に転じることにした。そして、それが幸いした。
 「え、そんなことって...」
 「当人はシリアスでもないって言ってたけど、どうしてどうして、なんですよ」
 「彼女、ズバッと来る時と、慎ましい時とあって、陰陽って言うのかな、そういうとこ感じてたんだけど、そのせいだったの、かしら」
 「何て云うか、本当は切ないのに、それを隠すように振る舞ってる、そんな風に思うと、こっちもちょっとね。今まで通り、顔を合わせて、話をして、それでいい、って、そんな言い方してたけど...」
 「私、ちょっとヤキモキしてたんだ。恋愛感情じゃないなとは思ってたけど、千歳さんとられちゃうんじゃないかって、一時はマジで気がかりでした。だから今日もビシって、ね。でも、そういうことならなぁ。ちと度が過ぎちゃった。あーぁ」
 櫻は親展封書のことはもう聞かなかった。その代わり、
 「てことはぁ、小松さんと千歳さんて、顔似てるってことじゃん」
 「そ、そうなの、かな?」
 推理という程でもないかも知れないが、これは当の二人ですら思いも寄らなかったことである。さすが、と言うしかないが、櫻は何食わぬ顔。
 「モテ系だもんね、いいんじゃない?」
 急に自分の顔が気になる千歳なのであった。

 駅前のベーカリーで、午後一の焼き立てから少々時間が経った惣菜パンなんかを買い込んで、彼の宅へ。珈琲片手にゆっくり、と行きたいところだが、ソングライターさんはハイペースである。
 「じゃ櫻さん、今日は例の二曲目。あとで一丁お願いしますね」
 「あの曲やっぱり難しいんですけど...」
 「業平氏とやりとりして、何パターンか用意してみましたので。Ça va?」
 「う、Oui, monsieur.」(苦笑)
 これが二人にとっての芸術の、音楽の秋。夕方には櫻versionが業平のもとに届くことになる。めでたしめでたし?
 「いいんだ、来週はちゃーんと甘えさせてもらうから」
 「そうそう櫻さん、この廃プラ、そっちで出してもらえるとありがたいんだけど。これでも減量努力したつもり」
 「まぁ、彼女よりも先に甘えちゃってぇ。そんなにちゃんと出したいなら、時にはウチに来なさいよ」 素顔の櫻は、どこまでも強気である。次に二人が会うのは十日の土曜日。どうなりますやら...

2008年4月1日火曜日

39. 視野広がる時

十一月の巻

 返信用封筒には自分の写真と添え書きが入っていた。「今度のクリーンアップの際、よければお兄さんの話、聞かせてもらえませんか...」 前後の文章は目に入らない。この一文が心に深く刻まれ、ここ十日ばかり落ち着かない日々を過ごしていた南実。今日もご自慢の電動車を駆ってやって来たが、気が付いたら十時までまだ十五分もある。よほど気がはやっていたんだろう。
 「隅田さん、早く来ないかな」
 前回リセットを完了した干潟だが、パッと見は良好な感じがするものの、崖側を覗くと案の定、ゴミ箱をひっくり返したような状態に逆戻りしている。時節柄、ヨシもその勢いを失い、朽ちたところを大物ゴミが押し寄せ、自然物が人工物に食われている、そんな有様である。南実には、リセット経過を確かめたかった、という以上に、千歳と早く話をしたい、という思いが強く、干潟の嘆きも届いていない様子。
 到着が早かった分、潮はまだ浅く、普段お目にかからない線まで干潟が拡がっている。水際スレスレの処には波が描いたらしい襞(ひだ)状の模様が残る。南実の心にもおそらくその襞が映っているのだろう。今はただ、佇んでいる。

 昨日は祝日だったため、千歳と会うのは八日ぶりになる。こちらも自転車をすっ飛ばしての現場入り。いつもと視界が異なるため、変な気分ではあったが、よく晴れた空、凛とした空気、柔らかな日射、そうした要素を視野いっぱいに取り込めることがただ嬉しかった。
 「千歳さん、どんな顔するかな」
 十分前に着いた櫻は、思いがけない先客に一寸(ちょっと)戸惑いを覚えるも、むしろ好機と考えた。
 「小松さん! おはよっ」
 物憂げな顔のまま振り向く南実。だが、そんな顔をしている場合ではない。
 「エッ? さ、櫻さん?」
 主導権を握った櫻は、強気に攻める。
 「千歳さんにアドバイスもらって、コンタクトにしたの。どう?」
 「てゆーか、何で今まで眼鏡だったんですか?」
 「まぁ、モテ過ぎちゃっても困るから、かな。ハハ」
 南実は何となく身構えている。攻守逆転とはこのことか。櫻の眼の鋭さにたじろぐばかり。ここで追い討ちをかけるべく、親展封書のことも問い質(ただ)してやろうと思ったその時、前回ドタキャンの二人が現われた。
 「大家好(da jia hao)! っても二人の場合は大家じゃないか」
 「櫻さん、小松さん、元気ぃ?」
 干潟が穏やかなのとは対照的に、女性二人には波が立ちかけていたが、こう来られては収めるしかない。
 「奥宮さん」
 「ルフロンでいいわよ、こまっつぁん」
 今まではストレートパーマだったが、今日は髪がクルクルしていてちょっぴりファンキーなルフロン嬢。いつになくニコニコしながら、そのクルクルを指でいじっていたが、思わず手が止まる。
 「って、そこにいるの本当に櫻さん?」
 八広はすでにのぼせ上がっている。いつものならそんな彼を小突くところだが、舞恵はただ目をパチクリ。櫻に釘付けになりながらそろそろと下りてくる。
 「ヤダ、チョー美人じゃん」
 「あら、そう? ルフロンもイイ感じよ」

 定刻の十時になった。今日は集まりが良くない。
 「そういや、彼氏はどうしたのよ」
 「さぁ、昨日は久々に土曜日お休みだったから、調子狂っちゃったんじゃないの?」
 「こういう時、ケータイがあればねぇ」
 「フフ、別に。なくても平気よ。以心伝心だし」
 「まぁ結構なこと。隅田さんもこんな美人が彼女だなんて、ねぇ?」
 仲良しの二人が会話してる間、南実と八広は飄然とゴミの散らかり具合を眺めていた。八広はひと呼吸遅れて、「あ、そうスね、ヘヘ」とはにかむ。
 「何よ、デレデレしちゃってぇ。舞恵はどうなのよ?」
 「ルフロンは美人というより、美の女神...」
 旨いことを言っても言わなくても、どつかれてしまう八クンであった。

 クシャミをしながらせかせかと堤防上を歩く男性がいる。お噂の通り、調子が狂ってしまっている千歳は、自転車の点検を怠ったばかりにこの体(てい)たらく。十月最後の土曜日、つまり三度目のセンター出勤日のこと。台風が近づく中、自身の自転車で何とか漕ぎつけたのは良かったが、舞恵と八広のご来館、というのが今考えると事態の伏線だったことに気付く。八広はともかくも、雨女、いやこの時は嵐女さんが来たばっかりに、雨風は益々激しさを増し、悪天候の中を自転車で帰ることになった訳である。台風を甘く見てはいけない。そのツケは彼の自転車に災いをもたらした。今朝、八日ぶりに走らせようと思ったら、後輪がペタンコ! 空気を入れてもNGだったので、仕方なく徒歩と相成った。正にトホホである。
 そんな彼の遥か前方では、石島姉妹が先行中。逆に後方からは何やら大きなバッグを担いだ女性が付いて来る。
 「千さーん!」
 目がいい画家さんは、遠くから千歳を見つけて呼び止める。
 「あ、蒼葉さん」
 「ヘヘ、ちょうど良かった。これ持ってくださる?」
 画布を立てかける三脚である。こんな大荷物じゃバスに乗って来るしかあるまい。「想像じゃ限界があるんですよ。今日はちゃんと原色を見極めようと...」 その熱心さに胸打たれる千歳である。さっきまで早足だったが、ペースが落ちている。

 「はぁ、やっと着いたぁ」
 「あ、ルフロンさん!」
 十代姉妹が着いた時、四人は分担を決めたばかり。まだ始まっていないことがわかり、姉妹はゆっくり干潟入りする。
 「初姉、小梅嬢、ご来場!」
 「久しぶりスね。今日は大丈夫なんですか?」
 「見ての通りよ」
 「でも、髪の毛が...」
 「いいでしょ。特にこの辺のウェーブがポイント。干潟に来る波を表現してみたんよ」
 「この間の台風でクルクルになっちゃったのかと思った」
 「まぁこの娘ったら」
 初音を小突く舞恵。この二人、十月に一度顔を合わせたきり。三週間ぶりの再会なのだが、実に息が合っている。

 河原の桜は、十一月に入ってもなお緑を保っている。ここのところ、すっかり見落としていたが、画家と歩いているとさすがいろいろなものに目が行くようになる。
 「七ヶ月前は満開を過ぎたくらいだったかな」
 「千さんと姉さんは今が満開?」
 「いやいや、咲き始めじゃない?」
 「そうなんだ... ま、三十路の恋は遅咲きってことね」
 「蒼葉嬢は? まぁ聞くまでもないだろうけど...」
 「私のこと聞いてどうするの? 櫻さんに怒られちゃうわよ」
 実はフランスにいて、最近は音信不通なんて話をしたところで、どうにかなるものでもない。今は姉の恋を応援するのみ、である。

 櫻の眼鏡レス事件はまだ尾を引いていて、肝心のクリーンアップがなかなか始まらない。千歳と蒼葉が現れても、
こ「ね、言った通りでしょ?」
は「蒼葉さんのお姉さんだから、ひょっとすると、とは思ってたけど、溜息出ちゃう...」
さ「初姉まで、ヤダなぁ。干潟とか川をよーく見ようと思って、そうしたの」
ま「うそうそ、彼氏をバキューンてやるためよ。ホラ噂をすれば...」
 「あ、櫻姉! な、何で?」
 櫻がそそくさと出て行ってしまったので、何か怪しい?と思っていた蒼葉だったが、この展開にはさすがに驚かない訳にいかない。
ち「遅くなりましたぁ、あ、櫻さん。ついにコンタクトデビューですか」
ま「何か張り合いないなぁ」
さ「いいのよ。素顔の櫻さん、慣れっこなんだから」
 視線で照準を合わせれば、それでイチコロ... な訳ないか。
 南実はずっと複雑な顔をしていたが、千歳が近づいて来るとすまし顔に。目を合わせるようなそうでないような。待たされた分、余計に歯痒い。「あっ、隅...」と言いかけて、「すみません」になってしまうのだった。

 十時十五分、ようやくリーダーが点呼をとり始める。
 「えっと、今日はこれで全員、でしょうか?」
ち「Mr. Go Heyは、バーコードスキャナの研究で手が放せない、とのことです」
あ「弥生嬢はその業平さんから楽曲データだかをもらって、おこもり中」
こ「六月クンは、大宮で鉄道三昧中、だと思いまーす」
 文花は連休を使って行楽ドライブ。冬木からはhigata@に律儀に連絡があった。
 「では、八人ですね。今回はリセット2回目、よろしくお願いします」
 「ねぇねぇ櫻さん、今日はマイクパフォーマンスやんないの?」
 「この前はオープンイベントだったから、ちょっと司会やっただけで、そんな...」
 「なぁんだ、楽しみにしてたのになぁ」
 higata@でもすっかり評判になっていたので、舞恵はその再現を大いに期待していたのだったが。先月ここに来られなかったことを改めて悔いてみる。

 「それにしても、やられたぁって感じだね」 千歳は抜かりなく撮影を開始する。
 「先週の台風の仕業かしら?」 櫻は視野の全てを使い、現場を目に焼き付ける。
 その台風通過中の日、センターには小梅も遊びに来てくれていた。幸い、嵐女さんが来る前だったので、まだ雨風が弱い時分のこと。濡れずに済んだ「千住桜木ブルーマップ」には、代表的なゴミがしっかり描き足してあった。櫻がブルーになっているのを見て発奮したか? いや、そればかりではない。小梅は現実を直視していたからこそ、描けたのである。ゴミをネガティブに捉えることなく、そこから何かを見出そうとする気概... それは手がかりやツールとしてのマップではなく、地域に勇気を与える表現媒体そのものになっていた。小梅からもらった鋭気をそのままに、今、目の前に散らばるゴミと対峙する櫻と千歳。何も言わなくても、気持ちは一つである。
 もう一人の表現者、蒼葉は邪魔にならないようにと、干潟を見下ろす位置に三脚と折り畳み式ベンチをセットする。このまま、画業に勤しむもよし、見張り役を務めるもよし。だが、蒼葉は迷う。果たして片付ける前を描くべきか、それとも後か。どっちも現実であり、メッセージを有する点で変わらない。「いや、題材はあくまで『自然本来の姿』。とにかくもう一度リセットしよう」 蒼葉は未完成の油絵を取り出しかけて、また戻す。クリーンアップ参加者は多い方がいい。

 慣例に従い、エリアごとに班分けなどをしても良かったのだが、手慣れたメンバーが集まったからにはその必要はなし。それぞれに役割を考えながら、今は品目別分担で動いている。最初から手分けすれば、再分類する手間が省けるというもの。回を重ねるごとに進化しているのが窺える。
 ルフロン嬢は、缶やらプラボトルやらを専門に集めている。今日は特に少数派になっている男性二人は、大型シートやポリタンクや作業服など、大きめ系を担当。これまで干潟中央に打ち寄せてきたゴミが逆流するのを止めてきた、通称「防流堤」は今や完全に埋没し、その役目に終止符が打たれた。その堤があったらしい場所にはヨシの束が覆いかぶさっている。南実はそこでいつもの作業を励行。束を除けると出るわ出るわ。個別包装関係、吸殻、硬質プラスチック破片、そして粒々。喜々としてスコップで拾っていた研究員だが、思わず息を呑む。「ありゃりゃ、発泡スチレン粒だぁ」
 前回拾い損なった発泡スチロール破片がさらに微細化して散々な状態になっているのである。ヨシが絡め取っているからまだいいと言えなくもないが、それにしても...。とにかく袋に放り込んで、バケツ水を使った選別は後回し、である。南実のこうした一連の所作を何気なく見ていた千歳だが、何かを払拭したい一心が彼女を動かしているんじゃないか、そんな意を強くしている。

(参考情報→発泡スチレンはお早めに

 千住&石島姉妹は、その他もろもろを一気に掻き集めている。大小硬軟様々の袋類、破片類、容器類。あと目立つのはフタ&キャップ。飛ばされやすい、浮きやすい、そういう性質のゴミが漂着し易いことを現場は語りかけてくる。

 「あれ、何スかねぇ?」
 「何かのシートのようにも見えるけど」
 回収作業は、干潟面から斜面に移っていく。男衆の目線は今は水平である。と、横倒しになったヨシ、その隣に本日最大級の大物が打ち上がっているのを見つける。
 「ゴムボート? な、なんでまた?」
 「ま、とりあえず証拠写真スね」
 「正に漂着ってか」
 女性陣が見守る中、千歳と八広はそのクタクタのボートを陸上へ引き揚げることに成功。除(ど)けたらいい塩梅で道が拓けた。いつもの通路とは別に一本。それは湾奥の近傍に当たるため、仮に干潟の中央でゴミを集積した場合、この新ルートを使えば搬出し易くなる。台風増水でヨシが弱っていたところに、漂着ボートが被さり、草分け道のようになったという顛末。

(参考情報→こんなボートも打ち上がる

 十時半を過ぎた。ここまで快調なペースで来ていた八人だったが、さすがに遅々としてきた。全体的に弱った感じのヨシ群は、その密集度を下げていて、「拾ってくれ」と言わんばかり。前回隠れていたと思われる飲料容器や細々(こまごま)した袋片が露見している。こういう時は、ひと呼吸おいて態勢を整え直すに限る。すると、そんな状況を見計らったかのように、意外な男女が近づいてきた。
 「皆さんどうも」
 「おっ、二人ともやってるな。大丈夫か」
 新ルートを伝って下りてきたのは、何と石島夫妻である。
 「珍しいわねぇ、二人して。そっちこそ大丈夫かぁ」
 長女は早速からんでいるが、次女は弁えたもんで、
 「母の京(みやこ)です。蒼葉さん、初めてですよね?」
 と顔つなぎ。この立ち居振る舞い、櫻に近いものを感じる。見よう見まねもあるが、おそらくはこれが小梅の素性なんだろう。
 それにしても何の躊躇もなく、拓けた道から現われた、というのが引っかかる。夫妻が通った後を注意深く見てみると、マーキングした杭が。これが何らかの標(しるべ)だとすると、この通路も実は人為的に整備されたものか... じゃいったい何をしようって? ちょっとした推理を働かせてみる千歳である。

 石島のトーチャンは、一人いそいそと下流側へ歩き出す。過日、父とひと悶着やった次女はここぞとばかりについて行く。今日は決戦である。
 「な、小梅、波を防ぐの造らないとこうなっちゃう訳さ」
 想い起こすのは、夏休みの自由研究のあの日。六月がヨシを引っ張って崩してしまった崖部分である。一旦は増水時に運ばれてきた土砂やらで修復したように見えたのだが、ヨシともども軟弱になっていたためか、えぐりとられるような地形になっている。
 「でも、それじゃ波と一緒にゴミもブロックしちゃうじゃん」
 「ゴミは所詮ゴミさ。水に流すって言うだろ。昔は川に捨てるのなんて当たり前だったんだし」
 「ダメなの! ゴミにも心。拾ってあげなきゃかわいそう。海に流れてっちゃったら、大変なんだし」
 南実先生の話が頭に入っている分、言うことが違う。父、いや河川事務所課長は、職務上、ムキになってくる。
 「ヨシとかカニとかのためにも、ゴミは来ない方がいいんだろ? それにお前達だって、拾う手間が省けるってもんだ」
 崖崩れはあっても、カニの巣穴は健在。だが、その穴には容器片が吸い込まれている。これ見よがしで勢いづく課長。
 「この目で見たんだもん。あんな変なの置いたら干潟がなくなっちゃうよ。ヤダヤダ!」
 そっちが課長なら、こっちは河川利用者である。小梅も負けちゃいない。畳み掛けるように「これ見てみ?」。
 ポシェットから取り出したのは、西新井橋下流右岸、丸太堰やら瓦礫ネットやらと、それらの効なく打ち寄せられた漂着ゴミの数々。ブルーマップを見せに行った際、千歳から預かった証拠写真である。
 「あ...」
 長女に罵られるのは日常茶飯だが、可愛い次女にもこの通りやり込められたら父権も何もあったものではない。掃部先生がその場に居ない分、まだ助かっている。

 同じ頃、当の先生は別の現場にいた。ただし、単独巡回中ではなく、かつてのお仲間と一緒。
 「なぁ、金森氏」
 「...」
 「返事ぐらいしろよ」
 「あぁ、何だ」
 濃いめのサングラス、髭はボウボウ。人相がハッキリしない上に寡黙なこの男。名は金森旭(かなもり・あきら)、生まれは下町某所。清とは同業だったが、リストラだか何だか、とにかく辛酸を舐めることになり、野宿生活を余儀なくされた時期もあったそうな。だが、不法投棄ゴミを元手に、家内製静脈産業を打ち立てるに至り、今では零細ながらも一工場の主となった。ゴミともども自分自身も再生させてしまった武勇伝的な人物である。「この世にゴミはない」とまでは言い切っていないと思うが、廃品を循環させるのが得意技。今日は清に連れられて、西新井橋の下にブツの物色に来たという訳。(千歳のモノログ「千住桜木編」をチェックして来たというから、先生も侮れない。)

 「どうだ、何とかならねぇか?」
 「こうも泥かぶってちゃあな。洗濯機なんかはバラせばいいから汚れててもどうってことねぇけど、オレっちの領分じゃねぇから...」
 「他の電気製品もだが、よっぽどうまくやらねぇ限り、骨折り損だもんな」
 「中国じゃパソコンやらゲーム機やらの基板をよ、硫酸で溶かして金属取り出してるっていうじゃねぇか。危なっかしくて聞いてらんねぇよ」
 「それにゃ日本製も含まれてるって聞くぜ」
 「ま、前みてぇに筐体だかボロ布だか、単純で扱いやすいのがいいな。ここに散らばってるのは今日のところは願い下げ。昔はそんなことも言ってらんなかったけどな。ワハハ」
 本業の話となると饒舌になる旭であった。

(参考情報→E-wasteを出さないために

 「それにしても、家主はどこ行っちまったんだろな」
 四人が当地を訪れてから二週間が経っているが、どうやらテントに変化はない。推察の通り、廃屋になってしまっているようだ。

 先生はいなくても、代弁者はちゃんといる。小梅に代わって、課長を囲むは、アラサーのお三方である。巡視船ツアー中に質問してきたのと同じ顔ぶれ。石島湊、崖崩れよりもまず己れを案ずるのが先だったか。
 「いえ、皆さんその... まずは下調べ、ということでこの間、踏み込んだまででして」
 「いいも悪いも、話を聞かないことには何とも。説明会のようなものはあるんでしょうか?」 千歳もちょっとカリカリ来ている。
 「それもそうなんだけど、引き波禁止にすれば済む話じゃないんですか?」 と南実はツアー中の質問の延長で提案する。
 「それがその、自然再生する場合、何らかの緩衝物を設ける必要が出てしまうもんで、それだけじゃ」
 「そもそもここがどうして対象なのか、対象になろうとしているのか、過程が不透明な気がしますねぇ」
 「勝手に対象にして、余計な工事されちゃ、川が気の毒ですよ」
 河川事務所の所管に当たるのかも知れないが、課長も知っての通り、ここは皆の干潟である。千歳と南実の相次ぐ攻勢に、表情が虚ろになってきた湊である。
 「こうしましょうよ。河川事務所のお考えを聞く会をとにかく設ける。場所は中立性を考えて、当センターで。推進派とそうでない派に分かれる可能性はありますが、あえて両方の立場を強調してぶつけることで、一致点を見出す、そんなやり方... どうです?」
 櫻がコーディネーターらしい仕切りで、ピンチの課長にひと息ついてもらう。
 「そうだねぇ。でも対立構図を作っちゃうと、両者譲らず、最後はお流れ~ってリスクも出てくるよ」
 「その辺りはコーディネーター次第じゃないですか? 千歳さん...」
 「え、僕が?」
 「発起人なりのお考えで、まとめちゃえばいいんですよ、ね?」
 櫻と話していたら、流れでそういうことになってしまった。だが、コーディネートは未知数ながら、プロセスマネジメント手法で、ということなら策はある。議論もプロセスありき、しっかり流れを整えさえすれば。論点をハッキリさせながらも、対立を煽らず、合意点を探る、そんな組み立ては十分可能な筈だ。
 あとは、公務員どうしで具体的に段取りを決めてもらえばいい。手間がかかりそうな書状関係も心配は要らないだろう。確実な線を狙うなら、文花と辰巳のラインで河川事務所に登壇依頼を出せばOK。
 「でも、文花さん、いそがしいだろうしな」
 役員選考が一段落した辺りに設けるか。だが、後手に回ると工事が既定路線に乗ってしまう虞(おそれ)もある。課長職にどれほどの権限があるのかは不明だが、ここは何とか凍結の旨、確約がほしい。が、湊はすでにその場を離れ、消えつつある水際の襞模様を観察している。ちょっと淋しげではあるが、家族がそろってる手前、気丈に振る舞わないといけない。トーチャンはツライ。
 そんな父には目もくれず、姉妹はさっきからしりとりをしていた。再生工事 → 潤滑油 → 指サック → 靴下 と続いている。
 「た、タバコの吸殻」
 「何で、らにするのよ。こで止めなさいよぉ」
 「ら、あるじゃん、ホレそこ」
 「ははぁ、ラーメン、の袋」
 「せっかく、んで引っかけようと思ったのに。ろ? 労働者、じゃダメか」
 しりとりにかけては、千住姉妹も名人だが、石島姉妹もいい線行ってる。梱包用のストラップバンドは落ちているが、今日はロープが見当たらなかった。小梅がつなぐのに窮するのも仕方ない。

 さて、他の労働者各位は、と言うと、石島夫人と蒼葉は、拾い終えた品々をより細かく分類している最中。舞恵と八広は、しりとりの合間を縫って、さっきの続き。ヨシが発するSOS要請に係るゴミを可能な限り引っ張り出している。前回ドタキャンの無念を晴らすような気合いの入れよう。舞恵は無意識のうちに無表情になっていた。
 「ルフロン、顔が怖いよぉ」
 「女神さまに向かって、そりゃないでしょ!」
 「うへぇ、益々コワイ」
 女神さんは、二リットル級のプラボトルを手にすると、隣人の臀(でん)部に一発。
 「あら、いい音」
 きっとご加護があることだろう。
 十一月四日、十一時四分。余裕の進行と思っていたが、お騒がせトーチャンの一件もあり、そうでもなかった。11.4 11:04...「いいよ、いいよ」と誰かが云ったような、そんな気がした。