2008年11月25日火曜日

79. 霹靂、残響


 アンコールを受けての再入場。だが、オープニングと違って、これといった設定は考えてなかったので、散漫な入り方にならざるを得ない。何となく笑いも起きているようだが、至って温か。そして優しく大きな拍手が包む。
 ステージ挨拶に立つのは勿論この女性(ひと)
 「皆さん、ほんとにありがとうございます。こういうこともあろうかとちゃんと曲の方、用意してますので、ご安心を...」
 一つ年をとったことで、茶目っ気も些か控えめに。それでも古くから櫻を知る人物らを中心に小笑いは起こる。そして話が進むにつれ、その笑いは客席全体へ。カラオケ会でのエピソード、ASSEMBLYの名の由来、重低音志向な理由など、話しようによっちゃ、どれもウケそうなものばかり。本日の主役である以上、このまま延々とスピーチしてもらっても構わないのだが、旅立つ人をいつまでも引き止めていく訳にもいかない。話は途中から一転する。
 「さて、流域サックス奏者の南実さんですが、良き現場指導者であり、掃部先生をも唸らせる実力派研究者でもあります。この程、ご研究の成果が認められて留学されることになり...」
 配置に付いてリラックスしていた六人はこれを聞いて一斉に、
 「ナヌ?」
 空はまだまだ青いので、その名の通り、青天の霹靂(へきれき)に遭ったような状態に陥ることになる。実際に雷でも落ちてきたら、それは嵐を呼ぶ誰かさんのせい? だが、その陽気なルフロンさん、すでに髪にボサボサ観が戻っている。「ポケビ」ではしゃいだせいもあろうが、今受けた衝撃がそのまま髪を走った、ということのようである。

 「中盤でお聴きいただいた『晩夏に捧ぐ』は静かな想い、今からお届けする曲はその逆、と言いますか、前に出る気持ちを書いたものです。実はどちらも南実さんにちょっと関わりがありまして。ネ?」
 留学渡航の件は今明かされたが、この想いにまつわる話はまだ三人の内緒事項。櫻の振りに千歳はドキリとなるも、「という訳で、彼女への感謝と歓送の気持ちを込めて。『届けたい・・・』聴いてください」
 胸をなで下ろしつつ、そのまとめに感服するばかり。

 練習通りということであれば、ドラムがカウントを打って、元気良く始めるパターンになるのだが、半ば放心状態のメンバーの動きは鈍く、しばし間が空くことになる。が、自身の発言でこうなることを見越していた櫻は、ピアノソロで前奏を弾き始めた。時に強く時に柔らかいその旋律に、八人はついうっとり。そして櫻の手が止まり、残響が消え始めた時、思い出したようにカウントが打たれる。ここからはいつも通り。歌姫の声はいつになくよく伸びる。詞に込めた想いと歌唱が今まさに同調、そんな感じである。
 南実にもそれはよく届いているようで、思いの丈をサックスに吹き込んでいるようだ。その演奏、爽快にして壮快。勢いそのままにエンディングに突入するも、最後は蒼葉がウィンドベルをサラリ。動と静を織り交ぜた名曲がこうして完成するのであった。

 「じゃ、南実さんこれ」
 「千兄さん...」
 ガーベラ、スプレーマム、ミスカンサスといったところは市販品だが、それにさりげなく地場のスミレとオオジシバリが交ぜてあるところが憎い。
 舞台袖で、花束贈呈の様子を眺めていたシスターズは、
こ「あれぇ、櫻さんに渡すんじゃ?」
は「そういうことなら、コマツヨイグサにするんだった?」
こ「ってまだ咲いてないし」
 てな具合。少々面食らうも、ミッションを果たし、それが好い形で完結したことが何より嬉しかった。

(参考情報→地場の花々

 「南実さんに大きな拍手を」
 と櫻が呼びかけている間、南実の手をつい握ってしまうプレゼンター氏である。が、思いがけない彼女の握力にタジタジ。これじゃ拍手も握手もあったものではない。
 櫻からマイクを受け取ると、御礼の言葉もそこそこに曲紹介。
 「テーマは自然の恩返し、というか微笑み返しです」
 目に手を当てながら、南実は千歳にマイクを渡す。

 泣いてちゃいけない。ラストは『Smileful』である。メンバー六人もどことなく俯き加減ではあったが、千歳の「1,2,3…」で目が覚める。俄かにスマイル、南実もえくぼを作る。これは曲の為せる業なんだろう。
 永代はいつもの如く泣いたり笑ったりだったが、今は一緒に口ずさんでいる。「Smilefulぅ!」 どこでどう話が伝わったのか不思議だが、自分の思いつき単語が曲名になっているのがよほど嬉しかったようで、終始ニコニコ。先生の教え子諸君も思わず頬が緩む。客席にスマイルが広がっているのがステージからもわかるので、当曲のシンガーソングライターも至ってにこやか。Wonderful Beautiful Smilefulの順番をつい間違えてしまうが、そのまま笑って誤魔化してしまうのであった。
 「どうも、ありがとう! またお会いしましょう」とのセリフともども演奏は終了。大歓声残る中、『Pocket Beach』ボサノヴァver.が流れる。メンバーはASSEMBLY+Gの順番で並んでステージ前方へ。G氏は、バンドマネージャーを見つけると、その列に加える。そして一礼。
 「こまっちゃーん」に混じって、「おふみさーん!」と聞こえたのはこの時。文花のファンと思しき一行は、何とかつての職場の同僚連中だった。南実の一件で幾許かの動揺はあったが、これでさらに動揺加速? いやいや、事務局長はちゃっかり法人紹介用のリーフレットを手にしていて、それを振って堂々と応えている。が、そのままマイクを渡すと違う展開になってしまう。最後はしっかりバンマスに一言いただくのが順当だろう。
 「スタッフの皆さん、ご協賛いただいた各社・各位の皆様、そしてご来場いただいた皆々様、ありがとうございましたっ!」
 次回のステージは未定だが、この調子だと問合せは必至。スクリーンには関係先のホームページアドレスなどが映っているが、それだけじゃ心許(こころもと)ない気もする。

 知己どうしで雑談する場面もなくはなかったが、メンバーの気はそぞろ。いつしか、higata@メンバーの集会のような格好になっていた。
 「練習とか本番にね、支障が出ちゃマズイと思って」
 伏せていたのには然るべき理由がある。誰もそれを責めたりはしない。女性陣はただ涙目。男性陣も黙々。南実を囲んで静かな時間が流れている。
さ「そういう訳で、三人だけの話ってことにしてました。皆さん、ゴメン」
ま「それはそうと、歓送会とか、記念品贈呈とか、そういうのは?」
み「この後、発っちゃうから」
 ここで再び霹靂状態になったのは言うに及ばず。
 「記念品と言えるかどうかだけど、ご依頼の写真は持ってきたから...」
 それは蘇我駅で撮ったポートレート。ハガキサイズに伸ばしてあってご丁寧に額入りである。千歳はそれを取り出すと、櫻に託す。
 「ありがと、櫻姉、千兄」
 固い握手を交わす二人。櫻の顔が強(こわ)張っているのは言わずもがな、握力の差を体感したため、である。そのまま、メンバーおよび関係者、シスターズとも。即ち、握手会である。
 「あ、それでね、これを初音さんに」
 「え、ウソ?」
 今度はサックスの受け渡し式。
 「きっと上達すると思う」
 「大事にします。で、とにかく練習して、バンドメンバーに...」
 両親からの入学祝い品がこれで変更となった。楽器現物でなければ、教材、いや教室代か。リードは自分で買えばいい。ともあれ、新メンバーは満場一致で迎え入れられることになる。
ま「MをHにとか、この際、なしネ」
は「二代目南実とか。それとも、バンド活動中はMをいただいて舞恵にしちゃおっかな」
ご「ま、練習が先、かな」

ち「そういや出国する時に花束ってもしかして...」
さ「あ、逆外来?」
み「はぁ、それもそうか。じゃあ...」
 石島姉妹はキョトンとしているが、先の花束は櫻に渡る。
 「大事な発表、聞きたかったけど、これはお誕生日祝いってことで」
 「ハハ、ありがとう」

こ「なぁんだ、やっぱ櫻さん用?」
は「これぞリユース」
 シスターズ納得の帰結である。

 潮時を弁えている研究員は、清や緑との挨拶も至って軽め。名残惜しそうではあったが、最後は努めて快活。
 「現地で新しいアドレス取ったら、皆さんにお知らせします。higata@は継続ってことで」
 少しばかり風が出てきた。舞う花弁が増える中、南実は小走りで駅方面に向かった。これで夕日が照らす時間だったら、また目に何かが沁みることになるが、これ以上の演出は無用。彼女の後姿は常に絵になるのだった。

 しんみりした感じ漂う中だが、空気を変えるのは難しいことではない。
 「ところでルフロンさん、またいつものボサボサ調なんですけどぉ?」
 「おっかしいなぁ、ストレートにしたはずなんに...」
 「やっぱ、その方がアーティストぽくていいと思うよ。電撃を表現した感じ...」 一同の笑いとともに、八クンはバチバチ。その衝撃は電気のそれ以上である。

78. 流域ソングス


 ここで帰る組、付近を出歩いて戻ってくる組、午後から来る組、いろいろと出入りが生じる中、メンバーの動きもあわただしいような、そうでないような。
 「リズム隊は早めに配置の確認を。キーボードはその後で。不肖バンマスは、セッティングに立ち会うんで...」
 業平を除いては、ゆっくりお昼をとることも可能ではあるが、どうにも落ち着かない。弁当を用意する手もあったのだが、弁当容器類を拾った後でってのもどうか、ということで見送り。とりあえず、カフェめし店なり、商業施設なり、付近に散らばることになった。
 千歳はビンカン類を手に宅へ戻る。女性三人とご一緒だったが、
 「じゃあ、あたし達はここで」
 「本多ご兄弟と文花さんの軽食、調達して来ますんで。また後ほど」
 二人のじゃまにならないよう、ということもあってか、途中で弥生と蒼葉が抜ける。

 本日主役は歌姫である。千歳宅ですべきことがある。
 「今日は、白の日ですからね。どう?」
 「さすが、お姫様」
 デリランチをいただいた後、何やら思わせぶりな会話が少々。リラックスムードなのは結構だが、仕度は早めに、かつお忘れ物のなきよう、である。

 今日こうしてクルマで乗り付けてくることがわかっていたのなら、スーツケースを持って来てもらうには及ばなかった気もするが、その逆を考えると果たしてどうか。充電式掃除機も場所をとったが、トランクにはマニピュレーター用品一式が満載。高性能PCに音源系、リズム系、ミキシング系の機材等々である。そう、これがないとライブが成り立たない。コンパクトとは言ってもスーツケース二つを運搬する余地はなかった。
 冬木はゴミ調べを終えたくらいから、ステージイベントの方にかかりきり。イベント会社関係者と来るべき車両の位置をチェックしたりしていたが、専用の小型トラックはすでに河川敷道路をノロノロと進行中。金森工場と商業施設を経由してきた割に到着は早かった。こうなると業界関係者は昼食も何もあったものではない。惣菜パンを頬張りつつ、取り急ぎ電源オフの状態で機材を並べていた業平についても、やはり食事どころではなくなる。早いとこ機材を組んで、電気系統の点検を済ませないことには、なのである。

 試合が終わって、ひと休み。今は真上から降り注ぐ光線を浴びてジリジリしているグランド地面だったが、熱を遮るように諸処にタタミ大の板が敷かれていく。ASSEMBLYのステージだが、舞台を組み立てるのはさすがに大変なので、ここは一つシンプルに、平坦なステージセットで、となった。
 土台ができたら、次は動力系。目玉ではあるが、訴えるのはむしろ聴覚。必見かつ必聴、とでもしておこう。その音響関係には、予定通り再生エネルギーを補助的に使う試みが盛られる。油化装置→発電機は試行済みだが、未試用の系統がもう一つ。
 賛意と謝意を込めて、おなじみ商業施設が貸し出してくれたのは、何と余ったソーラーパネルである。この日射を少なからず演奏に活かせるなら、こんなに晴れ晴れしいことはないだろう。

 一部行員とランチを済ませてきた八広は、今やすっかり人気者。舞恵は呆れながらもどこか愉しげ。ちょうど、打楽器関係を設置し出したところである。
 「で、奥様がこしらえたアートがこちら」
 持ち込んでいた怪バッグを開けると、ペットボトルや空き缶を括りつけた流木アートが出現。行員各位、これにはビックリ某、である。
 「ただのアートじゃございませんから。叩くとご利益あるかも、よ」

 中堅どころとはいえ、業者の手は込んでいる。ステージの目処がつくとお次はパーテーションと長机を並べ出して、商業施設での新たな取り組み例をパネル展示し始めた。趣向が異なるのは、その位置づけか。「発生予防策見本市」との題字が控えめに掲げられ、生分解性容器包装プラスチックの利用拡大、店頭でのプラ回収と油化装置の実験状況などが情報誌誌面の拡大コピーとともに配される。
 午前中に拾ったゴミから、代表的な品目を陳列してもよかったのだが、再資源化フローが示しやすいものとして、ペットボトルや[プラ]表示品などが並ぶ。洗ってあるのでリアリティに欠けるきらいはあるが、一応採れたて。その横には参考出品として、東京湾外湾でサンプル回収した品々が置かれる。ギターよりもまずは展示。千歳らしい所作ではあるが、
 「川から海ってのはいいんだけど、いま一つ過程が見えないですよね、これじゃ」
 プロセス的に難があった。冬木も思わず首を捻る。
 「どこの出か、ってのをゴミが自己申告してくれりゃいいんだろうけど」
 解説シートも作っては来たのだが、実物を一目した限りでは脈絡がない感じ。結局、今日収集したゴミも袋詰めのまま展示して、「もしかすると荒川からも...」というのを加えることで落着した。
 机上スペースはまだ余裕がある。文花はそれをめざとく見つけると、
 「フリーマガジンが置いてあるなら、当センター発行のがあってもいいわよね」
 二月発行分の残部をちゃっかりクルマに積んでいた事務局長である。しかも新法人の簡易リーフレットのオマケつき。
 陽光は強いが、風は強くない。屋外での展示&配布には打ってつけ。かくして、ステージが開演するまでの間、ちょっとした前座が設けられ、そこそこの反響を得る。オープンなハコモノってのも時にはいいだろう。

 あれこれやってたら十四時を回っていた。PAや電気系統を含むステージの準備は概ね整うも、
 「櫻さん、まだ?」
 誰からともなく、主役の不在を問い始める。
 「ま、取り急ぎこちらを」
 冬木が配り出したのは、半年前にも使ったあの藍色の...
 「バンドだけに、ってか」
 「これが噂の」
 舞恵と八広は初めて手にするので、強度を試しながら遊び始める。引っ張っていたら飛び出してしまい、あろうことか、着いたばかりの女性の頭上に。
 「ルフロンたらぁ、何すんのよ」
 「まぁ、櫻姉...」
 笑いが起こる場面の筈が忽ちにして溜息モード。男性のみならず女性メンバーも息を吐いている。
 「この衣装でちゃんと弾けるか、練習してたんですの。遅くなりまして、すみま千さん、でした」
 歌手(カシュ)だから、という訳ではないだろうが、カシュクールのワンピースである。その鮮やかな白、実にドレッシー。

 開演は十五時だが、小ネタを挟むため、リハの時間は三十分程度。チューニングをざっと済ますと、あとはバンマスの指示通り。難しい系の難しい部分を重点的に、である。だが、あんまり念入りに演ると本番と変わらなくなってしまうので、ほんのサワリだけ。
 それでも熱は入っていた。従って気付くのが遅れた。河原桜の下、客席となる堤防斜面にはいつしか人、人、人。
 センターの関係者と会員各位、情報誌読者、手が空いたチーム榎戸メンバー、十月の回参加者など。トーチャンズ13も揃えば、六月、小梅、初音のクラスメートも来ている模様。カフェめし店常連客に弥生のバイト先スタッフ、さらには、
 「櫻ちゃーん!」
 ファンクラブがどうのというのは冗談のつもりだったが、何と応援団がいた。地域振興部署時代の関係各位、老若男女が声をかけ、手を振っている。
 「ハハ、いったいどっから伝わったんだか」
 「スターってのは違うわねぇ。ま、こっちも張り合い出るってもんだワ」
 舞恵としては親衛隊を連れてきたつもりだったが、残念ながら特に声援はなし。その行員連中はじめ、午前中の参加者もボチボチ戻って来た。寿、清、緑の年配トリオの近くには、なんと金森氏まで。油化装置の働きを見届けに来たフシもあるが、春の行楽ついで、ということらしい。髭をさすりながら、寛(くつろ)いでいるご様子。

 十五分前になった。メンバーが一礼して一旦退場すると、代わりにカラオケ大会(課題曲編)でかかった曲の一部が流れ始める。『チェリーブラッサム』『ブルースカイブルー』そして、
さ「まぁ『桜の木の下で』...」
や「エドさん、やるぅ」
 演出はこんなもんでは終わらない。トラックにくっついてきた宣伝カーは何と大型スクリーン搭載。横断幕代わりに「Go Hey with A S S E M B L Y」と表示され、メンバー名もしっかりローマ字表記で映し出される。冬木がどこまで手を回したのかは不明だが、イベント会社というのはやることが違う。これはもう立派なプロモーション。この際、司会や前振りは無用である。

(参考情報→宣伝カーも使いよう

 おそろいで商業施設へ出かけていた石島ファミリーは、BGM中に帰ってきた。元店員が連れてきたのか、スーパー店員も何人か顔を見せる。ちょっとしたミッションを仰せつかっていた姉妹は、その束を二人で大事そうに抱えながら開演を待つ。クラスメートとはちょっと距離を置き、ただただじっとしている。
 桜の木の下の聴衆は百人を軽く超えた。まだまだ増えそうではあるが、そろそろ...
さ「何だか、緊張してきちゃった」
ち「川の神様がついてるから、大丈夫」
ま「何よ、彼氏がついてりゃ、っしょ?」
 照明暗転とかがない分、まだ心穏やかだが、こういう時は”Breathe with breeze”の境地に倣って、深呼吸するに限る。
ご「ま、とにかく練習通り」
や「Let’s Go!!」
 一人多重コーラスが流れ出したら、開始の合図。文花と太平に見送られ、メンバーはステージへ向かう。ゆっくりと、そして足取り確かに。

 客席からはパラパラと拍手が起こり、その乾いた音がコーラスと重なっていく。配置に付くのは蒼葉を除く八人。前日のリハーサル通り、八広の渋く重いドラムを皮切りにイントロへ。演奏を徐々に厚くしながら、コーラスはフェイドアウト。と、「1,2,3...」の発声とともに、千歳はカッティングギターを鳴らす。ちょっとした歓声。出だしとしてはなかなか良好である。業平のマシンとのシンクロも無難にスタート。つまりここからがやっと本演奏。イントロは必然的に長くなる。

誰かが棄てた不要品(material)たち
風に飛び 流れに乗り
けれど旅は続かない

流れ着くその理由(わけ)は?
破片 断片(かけら) 残骸...
形をとどめながら発する声

波の音はクレッシェンド
物音はフォテシモ
瞳閉じれば 耳澄ませば
聴こえる
...

 あまり音合わせはしていなかったが、間奏では南実のサックスが見事に盛り上げる。その一方でスクリーンには、漂着物を映像化したものが静かに流れる。演奏とは別に何かが聴こえてきそうな、そんな気がするから不思議だ。詞を書いたアーティストさんは想いを込めてウィンドベルをなぞる。
 つなぎが懸案だったが、事前にPAと打合せしておいたのが利いた。『聴こえる』のラストに向けてもう一度多重コーラスを引用することで、今度は楽器の数を減らすフェイドが可能に。最後は八広のドラムのみが小さく打たれ、収束。そしてコーラスの余韻が残るところを『Melting Blue』のイントロが打ち破る。さらなる歓声、そして拍手。ご年配チームはその音響に驚くも、スクリーンに表示された曲名とテーマを見て納得。メッセージソングとあらばこれくらいの迫力は、と思うのだった。
 マシンが繰り出すリズムに生ドラムが同期する。聴衆は何となく肩を揺らし、その分厚いグルーヴに身を委ねているかのよう。歌詞、つまりメッセージは断片的にスクリーンに表れているが、曲そのものを体感することを通じて、漂う、流れる、砕ける、溶ける、といった一連の無常観が仮に伝わるのであれば、ミュージシャンとしてそれは無上の喜びである。
 言葉の重さとは裏腹に、軽やかな歌い回しで千歳は想いを紡いでいく。

行き場のない憂いがある
優しく受け止める流れがある

溶かしてしまえばそれでいい?
ただ拡がるだけ
見えなくなればそれでいい?
ただ形を変えているだけ

今日も何かが注ぎ込まれる
でも一瞬
三つ数えたら溶けて消えた
泡沫(あわ)と油膜(あぶら)を残して
...


 南実と弥生は、楽器を置いてコーラス参加。ボーカル同様、抑えが利いていて心地よい。二曲目にして客席との一体感は高まり、そのまま三曲目へ。マシンと言えどエンディングは凝っている。ダダダで終わる、と、再びミディアムスローな自動演奏が始まる。頭の鍵盤に続き、ドラムとベースが乗っかればあとはOK。『私達』である。
 作詞家としては自信の作でもあったようで、スクリーンにはその言葉の全てが投じられている。四月に入ってからは冬木と同じ職場で仕事をしてた筈だが、その隙にこのように歌詞なり字幕なりを提供していた、という訳である。ボーカリストとしては、表示されているのと違うことは歌えないので、妙なプレッシャーがかかったりするが、対照的にドラマーライター氏は実に軽快かつ重厚にリズムを刻んでいる。

想い一つ 心一つ
多くの言葉は要らない
ただそこにいる それだけ

誰かが口ずさめば
誰かが応える

Processが重なる
Promiseが叶う
私達
...


 バンドのテーマソングではあるが、そのサウンドは川のうねりに通じるものがある。ギターソロもサックスもアドリブ主体ではあるが、そのうねりにしっかり呼応。流れるような、がしかし、流されない音楽がここにある。

 プライベートコンサートのようなものなので、開演前にもこれといったアナウンスはなし。第一部三曲、一気に演奏しきってしまったが、通りがかり客も大勢になっているようなので、ここらでバンドや楽曲の意義などを紹介しておいて悪いことはない。ボーカリストはそのままマイクを手にご挨拶。
 「本日はようこそお越しくださいました。バンド名の意味など詳細はまた改めてご紹介しますが、我々、いや私達、皆、ここ荒川の干潟の一つでクリーンアップをしている面々でして...」
 調査型クリーンアップの手法、これまでの経緯などを話していると、スクリーンには何と十月の回の記録動画が流れてきた。苦笑しつつも、千歳はその心をしかと伝える。そして、
 「おかげ様で今日午前中に行ったクリーンアップで、一巡、つまり十二回分のデータを得ることができました。そのまとめは、センターのwebサイトで近日中に公開する予定、収集した実物なぞはステージ横の展示コーナーにまだありますので、後ほどまた」
 別に巻きを入れる人物がいたりする訳ではないのだが、講演会ではないので一旦切り上げて曲紹介へ。
 「少なくともあと五曲はお届けしたいと思います。スクリーンにも何らかの解説がまた出るとは思いますが、いずれもクリーンアップ関係曲だったり、流域ソングだったり、です。恥ずかしながら、全曲メンバーのオリジナルになります。曲を通して地域環境などに何となく思いを馳せてもらえれば幸いです。最後までどうぞごゆっくり、お楽しみください」
 千歳もさりげなく着替えてはいるが、他のメンバーはクリーンアップスタイルのままなので、誰が主役かは一目瞭然。だが、第二部の最初はこの方。
 「ASSEMBLYのYさんがご当地の呼吸感を歌います。空気を感じながら、リフレッシュしてください」
 客席での人の動きは皆無。拍手とともに、八広のドラムが鳴り響き、ベースが乗る。ベースにしては爽快感たっぷり、歌もその調子。ベース兼ボーカルという物珍しさもさることながら、弥生の情感あふれるパフォーマンスは客を魅了して止まない。マニピュレーターは本番中にもかかわらずクラクラ来ているが、生演奏主体なのでボロを出さずに済んだ。

新しい季節の声が聴こえる
拡がる空 飛行機雲
昨日までの溜息 Refreshするの
深呼吸すると感じる
川を渡る風 まるでBreeze

時には想いを強く 吹きつけたいけれど
きっと緩やかな方がいい この風のように

あなたともっと感じていたい
誰よりずっと分かち合いたい
So, please…

 偶然にも元スモーカーの二人、冬木と舞恵はお休み。聴衆と同じく、曲とともにリフレッシュしている最中である。
 会場の息遣いが聞こえてくる。さらには、空の、そして空気そのものの、呼吸が感じられる。青空コンサートにピッタリの一曲、『Breathe with breeze』であった。

 メドレーではないので、曲間にMCが入る。
 「ありがとうございましたぁ。では続いて、我らが櫻さんの登場です。拍手ーっ!」
 冬木はいま一度、スクリーンに映す画や字のチェックなどをしていて、オフ。MCを手短に終えると弥生は退場。代わりに舞恵が定位置に付く。ちょっとした静寂の後、その曲はキーボードが奏でるピアノの一音から始まった。
 リズミカルではあるが、どこか哀愁を帯びたその曲は、『Breathe~』とはまた違った魅力を持つ。歌姫の出で立ちは視覚的に魅せるものがあるが、歌世界が伴うことでその魅惑は増し、ビジュアルを超えた何かを感じさせる。

流れる夏雲
降りしきる蝉時雨
急かさないで

ときめき とまどい
揺れるけれど
不思議とブレーキがかかる

駆け引きは嫌い
でも素直になれない

変わるもの
変わらないもの
時は晩夏
夕立の音も気付かない
...


 晩夏を詠んだ一曲だが、今、舞台では桜が舞い、降りてくる。夏の雨、時間、降るも経(ふ)るも、思うところは同じ。積もる思慕は解き放たれ、桜花とともに風に乗る。そんな心情がそのまま歌唱に投影されたとあらば、心動かされない筈がない。そこに、それ以上に情を込めたサックスが絡むのである。名演奏とはおそらくこういうのを言うのだろう。
 フェイドアウトのようなエンディングが止むと、再び静けさが覆う。が、次の瞬間、ひときわ大きな拍手が沸き起こる。主演と助演の女性二人は、顔を見合わせて気付く。
 「やだなぁ、櫻姉ったら」
 「南実さんもウルウルじゃない」
 あんまり目を潤ませると、レンズ落下&コンサート中断とかになってしまうので、ぐっとこらえてMCに入る。
 「どうもありがとうございます。ここからは第三部。三曲続けて、詩人ドラマーさんの詞によるご当地ソング等々をお届けします。一曲目...」
 演出通り、ここからモデルさんが入ってくる。客席は再び騒然。
 「歌はASSEMBLYのAさんです」
 マイクは姉から妹に手渡される。
 「『Re-naturation』聴いてください」
 ステージには九人全員が揃う。スクリーンには再度、メンバーの名前がディスプレイされ、続いて詞の一部が流れる。

宙はキャンバス
空気にも色をつけてみる
現われる風景はどこかの記憶
引くことも足すこともない世界

表情も感情も同じ
あるがままでいい

いつかきっと時は来る
RE-naturation

望みつなげば
甦る
...


 モデルなれどファッションショーに出ることはないので、舞台慣れしていない蒼葉である。多少歌をトチってしまうも、そこはご愛嬌。スティックをすっ飛ばしてあわてるドラマーよりはマシである。
 早打ちの八広が手こずるんだから、やはりそれなりにアップテンポということなんだろう。ほぼメドレー状態で、山場となる『Down Stream』へ。変わり目のドラムが少々もたつくも、再生エネルギー系バッテリーも音(ね)を上げつつあったようで、マシンのリズムも適度に緩む。タメが生じたのはむしろ良かった。

街のざわめきを浮かべ
静かにたゆとうstream

陽炎の上を鷺がよぎる
風が抜け 葦が笑う

何事もなかったように
重く鈍く
海へと押し流す力
その拍動(vibration)が響く

slow down
cool down
@ this river’s down stream
La la…

 早々と仕上がった曲なので、歌も演奏も余裕が感じられる。「ラ、ラー...」は蒼葉もコーラスで入り、作詞者としては想定外の彩りが加わる。間奏手前、ドラムからパーカッションへの橋渡しもバッチリ。円熟した観のある楽曲は、今この現場以上に、リアルな音風景を広げる。サックスの好演がより立体感を高めていることもまた確かである。
 第三部三曲目、全体では八曲目、アンコール前ラストである。早いものでもうすぐ十六時。時間も時間だし、ここまでの七曲、小学生諸君には難解な印象もなくはなかった。とするとボチボチ... いや、お子さんを含め、誰一人席を立つことはない。だが、その陽気なナンバーが始まるや否や、その斜面を立ち上がる客がチラホラ。と思った瞬間、予想外の事態が起こった。「ポケビ」になったら、踊り出す客が出てきたのである。Dance Mixなのでアリと言えばアリなのだが、これにはメンバーもビックリ。見れば、中高生関係、十月の学生連中、さらには奥様親衛隊も、である。
 舞恵は早速、カウベルを叩きながら前へ。デュエットの二人も気を良くしてすっかりノリノリ。干潟や河原の元気がこの曲のテーマではあるが、そこに関わる人がこうして元気でイキイキというのが一番だろう。ご当地ソングは大盛況を博した。

緩やかな弧を描き
波に洗われるtideland
水玉弾けて 虹が架かったら
まるで楽園(パラダイス)

何もかも受け容れて
包み込む
小さくて大きな
Pocket Beach
皆の宝物
...


 遠くで引き波が生じているようで、何となくこだましてくるのがわかる。その波が発する波長とは必ずしも合っている訳ではないが、気分はすっかりビーチである。そして、当のビーチでは、ステージ同様、正に上げ潮状態。そろそろピークに達しようとしている。
 業平は間奏をわざと間延びさせ、即興演奏を引き出す。ここからはノリそのままにアドリブの世界。ソロをとる順に、千歳はメンバーを紹介する。「On Guitar エド冬木...」
 特にMC役を買って出ることもなく、淡々と裏方を務めてきたギタリストは、ここ一番でその本領を発揮。目立てるシーンが用意されているのはわかっていたため、セーブしてたというだけかも知れない。この際フライングしようが何をしようが文句はなかろう。「On Drums 宝木”八クン”八広」と振る。
 ソロプレイは、次の「On Percussion 奥宮”Le Front”舞恵」と「On Sax 小松南実」まで。「On Bass 桑川弥生」「On Keyboard 千住 櫻」「On Chorus 千住蒼葉」の歌手三人については、リズム隊が演奏を続ける上にフレーズを少々足す程度とした。それでも拍手は間断なく続く。
 「そして、Computer Manipulation 本多Mr. Go Hey!!」
 PCとPAではパフォーマンスのしようもないのだが、手を振っただけでちょっとしたどよめきが。彼は何だかんだで人気者(スター)である。
 再生エネルギーがどれだけ寄与したのかは結局のところ不明ながら、少なからず貢献したことは事実。盛り上がり過ぎて、冬木が弦を切ってみたり、ルフロンのお手製楽器が一部壊れたり、といったハプニングはあったが、電流がダウンすることはなく、無事、八曲乗り切った。満潮時刻とほぼ同じくして、予定演目は終了。九人はにこやかに手を挙げ、ひとまずステージを後に。喝采と歓声が今はこだましている。

 帰る客も多少はあったが、立ったままの客も大勢いる。どこからともなく、手を叩く音が鳴り始めると、たちどころにアンコールの手拍子に。
 そんな中をそろそろとステージへ進んでいくのはうら若き姉妹。
こ「じゃ千兄さま、これ」
は「ファンとしては、そのままお渡ししたいとこけど」
 今や姉妹にとっては羨望の千さんか。千歳はテレながらも、
 「正にハナムケ。ありがと」 思わず握手してしまうのであった。

2008年11月18日火曜日

77. 全員集合

四月六日の巻

 今年の桜はひと味違う。誰彼さんの加速のせいかも知れないが、開花も満開も早かった。そして四月に入ってからはとにかく晴れ続き。
 「こうやって自然に散っていくのって久々に見る気がする」
 「咲き出したと思ったら、雨とか風とかですぐね」
 「今日の佳き日まで、よく持ってくれたわぁ...」
 当の櫻さんもいつもと違う。本日は何につけ、おめでたい。

 サクラ花粉はいざ知らず、スギ花粉の飛散は収まった。もうマスクの要る要らないで悩むこともない。彼も彼女も素顔で河原桜界隈を闊歩している。
 始業式だったり入学式だったり、十代の面子にとって今日は一大イベントを明日に控えるドキドキな日でもある。六月も小梅も気持ちがはやるのか、それぞれの姉を連れて、やはり早々とやって来た。
は「六月君と言えど緊張するもんなんだねぇ」
や「なんのなんの、憧れの小梅先輩と同じ学校に行けるってのが嬉しくてしようがないだけでしょ?」
む「まぁね、今夜も眠れないと困るから、クリーンアップで汗かこうって訳さ」
こ「六月クンたら」
 姉の冷やかしを軽々と受け流しつつ、その偽らざる心情を語る。すでに中学生の域を超えた観もある。
 「体動かす前から汗かきそう。初姉、今って何℃?」
 「二十℃スね」
 気温の上昇顕著につき、その高温が干潟を正に干乾(ひから)びさせるかの如くとなっているが、本日は大潮。昼に向かっては、ただひたすら干いていくのである。干潟面はこのあと面白いように拡がっていくことになる。

 四人が準備体操などを始めたところで、ようやく櫻と千歳が干潟入り。
さ「皆さん、さすが若いわね」
や「あっ、本日主役のお二人さん」
ち「いや、主役はあくまで櫻さんだって」
や「ま、この晴天ですもんね。正にハレ女デー!」
 当地におけるここ一年、第一日曜の天気のことなら、お天気姉さんではなく千歳が知るところ。記憶の限り、ここまで晴れ上がった日はない。誕生日をしっかり快晴にしてしまう、そんなハレ女にホレボレするばかりである。

 定刻の十時前後、文花が本多兄弟を乗せておクルマで来場したのに続き、ぞろぞろと常連メンバーが集まってきた。いきいき環境計画の理事全員、さらに辰巳に永代に、
 「あ、ルフロンさん?」
 確か昨日まではファンキー調だった筈だが、いつの間にかストレートヘア。えらく楚々とした感じなもんだから、一同ビックリくりくり。しかもチームを率いてのご入場である。
 「ね、画伯、これがLe front au prin tempsヨ」
 今しがた着いたばかりの蒼葉をつかまえて、ちょっと自慢げ。
 「直訳すると、春の前? ま、陽気なルフロンってとこかしら?」
 「それはそうと、こちらの方々は?」 リーダーが知らないんだから、他の誰もわかりよう筈なし。
 「あ、そっか、ちゃんと言ってなかった。当行行員有志でございます。拍手!」
 二十代を中心に十人。地域貢献の一環で連れてきたんだとか。
 「ゴミを出さない、流さない、そのために金融機関としてできることは? 環境配慮につながる企業活動とかにお金を廻すことじゃん、てね。とにかく現場・現実・現物を見てもらえば、ふだんの仕事でちょっとでも意識してもらえるかもって。研修みたいなもんよ」
 寿(ひさし)をして奥様と言わしめるだけのことはある。魔法を使ったにしても大した統率力である。
 それはさておき、付き人の姿が見えないのが気になる。奥様はチームにレクチャーしていて特に気にするでもない。と、時間を置いて単身、八広が現われた。怪しげなバッグを背負ってるところからもどうも訳アリ。理由はさておき、とにかくよくぞ集まった!である。

 冬木はじきに顔を出す予定。となると、これでhigata@全員集合か? いやいや残念ながら一名不在。
 「ケータイつながらないみたいなんだけど、南実ちゃん、今日来るわよねぇ?」
 「電動車で楽器持って乗って来るのはちょっと、ってことじゃ...」
 他にもいろいろと支度があるに相違ない。真の理由を知るのは、なお千歳と櫻のみである。
 南実の代わりと言っては何だが、登場人物はまだまだ続く。すでにどこぞの試合は始まっているが、トーチャンズについては今日のところはOFF。暇を持て余して、ではないだろうが、監督とご夫人がお見えになる。さらには、寿も三世代で登場。あれよあれよで三十有余人が集結している。

 行員各位には受付台帳に記名してもらうことにし、その間、簡易スピーカーとマイクをセットする。十時十五分、開会。たまには司会進行役を代える手もあったが、
 「櫻姉のマイクパフォーマンス、楽しみにして来たんだから...」とのことで、ルフロンはパス。弥生も蒼葉も素っ気ない。「今日、主役でしょ?」と軽く交わされてしまった。
 「当地での調査、今回でめでたく十二回目を迎えます。一年間の集大成のつもりでひとつよろしくお願いしまーす!」
 十月の回のように大判紙での注意事項説明等はないが、大まかなところは口頭でOK。場慣れしたメンバーが半数を占めているので、まずもって事故等々は起こらないだろう。量の見立てからして、慣れたメンバーをいつものポケビに多く配し、下流側のプチビーチには新参チーム+メンバー数人、という割り振りで臨むことにした。手荷物をクルマに預けたら、いざ、四月の巻!である。

 一望する限り、そこそこの散らかりようではある。だが、お目付け岩の効果か、バーベキュー系は見当たらない。その散乱の要因は、此処ご当地を発生源とするものらしいことがわかってきた。干潟上でどうやって宴に興じるのかは詳細不明ながら、居心地が良くなってきたことは事実。状態のいいレジャーシート、濡れた跡のない仕出し系容器、乾いた感じの生ゴミなんかが放置してあるのは、正に動かぬ証拠である。
 「ここにも岩、置きますか? 環境計画の皆さん」
 「予備調査とやらで拓いたアクセス通路が元で、行楽客を招いてしまったんだとすれば、その道を塞ぐとかしても良さそうですね」
 千歳に悪気はなかったのだが、課長は少々トーンダウン。
 「まぁまぁ、その入口んとこに置きゃいいってことさ、な?」
 以前なら、口撃を受けていたところだが、今は先生に援(たす)けてもらっている。
 「では、夏場に向けて早速...」
 娘二人は頼もしく父を見ている。

 石島夫妻、清、緑はそのまま巡回に出た。寿と舞恵を含む行員チーム、本多兄弟、文花、弥生は下流側へ。
 「ちょいとズレちゃったけど、融資、明日ネ」
 「ほんと、助かります。奥様、女神様」
 「フフ、でも成果がイマイチな場合は、返済時の上乗せ額アップさせてもらうから、お心づもりを」
 「なんのなんの、成果を上積みして、上乗せ分ゼロにさせてもらいますから。ね、弥生さん?」
 「要するにしっかり稼げばいいんでしょ?」
 若手行員はせっせと手を動かし始めているが、引率者はこの通り。これも仕事の一環ということにしておこう。

 「八さん、ルフロンと一緒じゃなくていいの?」
 「え、まぁ、行員連中に、あれが彼氏?とかやられるのもちょっとなぁって思って」
 「逆に一目置かれると思うけど?」
 この女性を前にすると、どうしてもドギマギしてしまうのだが、それとこれとは話は別。
 「笑われちゃいそうだけど、ちょびと恥ずかしいってのもあって」
 「一端(いっぱし)の社会人なんだから、堂々としてればいいのよ。彼等よりも、私よりも、かな。とにかく社会経験は豊富なんだし」
 「蒼葉さんにそう言ってもらえると... 何か自信、出てきた」

 そんな二人を含め、ポケビには今、石島姉妹、六月、櫻、千歳、永代、辰巳がいる。後から講座受講者や総会参加者も加わったため、そこそこの人数に。干潟はゴミも受け容れるが、人だって同様。拒んだりはしない。退潮は進み、面積がまた広がる。受容するにちょうどいい広さになっている。
 片付けが進むほど、動きやすくなる。効果が実感できると、つい手を拡げたくなってしまうのは人の常か。水際を見遣ると、上陸するか進水するかで迷っているような袋の類がプカプカ。だが、下手に歩を進めれば、軟泥に足を掬われるのは必至。現場を知る男衆は、まだ経験の浅い面々に、手ほどきならぬ足ほどきを施す。この日射があれば乾くのも早そうだし、さらに水際が遠のけば何も案じることはない。安全かつ確実な回収を説く、千歳と八広である。こうした実地指導により、新たな会場を受け持ってもらえる人材が増えることになるなら御の字である。

 「春になるとヨシってのはまたしっかり立つもんですね、先生」
 かつての草分け道を閉ざすように、春ヨシが直立している。ここを抜けるとプチビである。
 「そりゃ事務所さんの手入れがいいからだろ?」
 清の予想外のお世辞に湊は転びかけるが、今、目の前にはちゃんと地に足つけてクリーンアップに励む人々がいる。
 「ま、考える葦とはよく言ったもんだけど」
 「ここにいらっしゃる方々は、考えながら動くヨシってとこね、カモンさん」
 行員諸君は、時にディスカッションしながら作業しているようだ。ここでのリーダー、ルフロンは、
 「お金の動きもそうだろうけど、暖かくなって人が元気に動き出すとゴミも増えるっていう訳さ。でも、その元気ってのは否定しきれんから、いかにしてゴミにしにくいモノを作ってもらうかってことに...わかる?」
 本業を通じた社会貢献論とでも言おうか。ボサボサ髪ではない分、説得力もアリアリ。さながら教官といった趣のLe front au prin tempsさんである。

 暖気にさらされていると、ゴミの臭気も漂うところ。だが、干潟が元気になってくれば、川の匂い、いや潮と言ってもいいかも知れない、一面には清々しい香気が立ち込め始めるのである。
 「残る花弁、さらわれる花弁、ムム」
 「Goさん、どしたの? 詩人ぶっちゃって」
 「この年になるとね、こういうの見てると儚くなっちゃって」
 「うら若き乙女を射止めておきながら、何ですか、そりゃ」
 晴天の中、ゆっくりと散っていた桜花は、風に舞い、川面を漂い、ビーチに寄せている。干潟を香り立たせていたのは、花弁のせいでもあった。これぞ春の薫り、恋の花がさらに彩りを添える。

(参考情報→散乱するのはゴミか桜か

 「で、業(Go)氏がとりあえず試作したのがこの充電式掃除機なんですがね」
 「使ってほしい人が来ないんじゃ致し方ないわね」
 「あの花弁、吸ってみますか?」
 「自然物はそのままでいいんですのよ、太平さん」
 無粋ではあったが、何となくほのぼのする会話がもう一つ。そろそろ引き揚げる頃合いとなる。

 目に付くのから取り掛かったため、いつもと順序が異なるポケットビーチ。その名に合わせて、ポケっとしていた訳ではない。広がる干潟を追うように、かつ足場を確認しながらの収集となったため、時間がかかってしまっただけの話である。
 流木、枯れ枝、草束の除去に入ったところで下流側の一行が帰ってきた。
 「あぁ、ちょうどいいや。これ使ってみる?」
 業平が見下ろした先には、姿を現したばかりの紙屑、というよりも粉状に近い紙片。縁起を担いで、まずは本日おめでたい人に試してもらうことにした。
 「そっかそっか、アドバイスした甲斐があったワ。これって、プレゼ...」
 うれしいのはわかるが、自分から申告することもあるまい。次には「今日でおいくつ?」なんて具合に聞かれるのがオチ。危ない危ない。掃除機の音でツッコミを遮断する櫻である。
 その粉ゴミは面白いように吸い込まれていく。十代姉妹や一部行員なんかも代わる代わる操作し、気が付けば吸殻から何から、見事にクリーンアップしてしまった。

 「あら、あっちもクリーンアップ?」
 「ハハ、走者一掃だな」
 掃除機が止んだと同時に、グランドからは一段と大きい歓声が聞こえ出す。遠くユリカモメの鳴き声が重なる。怖気(おじけ)づくようにカラスは退散。黒い羽を鈍く光らせながら、対岸へ羽ばたいていった。時は十一時近くである。
 上流側を千住姉妹、下流側を本多兄弟、分別教室が始まる。永代はクリーンアップをしながらも、辰巳をつかまえてマップの話で盛り上がっていたが、一段落したところで今度は卒業生にちょっかい。
 「桑川君、ちょっとちょっと」
 「何だよ先生、改まっちゃって」
 正直なところ、恩師と顔を合わせるのは照れくさいものがある。ぶっきらぼうな返事になってしまうのはその反動。
 「エへへ、今日もさ、結構フタ出てきたでしょ? どうするぅ?ってご相談」
 「後輩に譲るつもりだったけど」
 「ひとまず矢ノ倉んとこかな」

 話の流れで、今度はフタ談判に興じることになった。
 「ま、どっちにしても当センターで預かるワ」
 「じゃスーツケースもそのまま置いとこか」
 そろそろ集計作業が始まるところだが、女性どうしのお喋りは止まらない。
 「で、その六月君。文集でね、いいこと書いてたわよ」
 「永代先生と泣いて笑った日々、とか?」
 「お姉さんお兄さんに感謝!みたいな」
 「私も入るのかな?」
 「下手するとお母さん世代になっちゃうけど、彼に言わせると超姉御ってとこじゃない? とにかく読んでて思った。『受け止めてくれる人』の存在って大きいんだなぁって」
 「私なんかあの若い二人に環境教育を教わったようなもんだけど」
 「環境教育以上だったンじゃないの? お互いに」
 大船に乗ったような気持ちでここに来ていた、といったところだろうか。だが、いつまでも、という思いもあったようで、卒業文集にはその辺の宣言文も記されていたんだとか。六月も小梅も、勿論二人揃ってでもいいのだが、自分達で会場を持つようになれば、ここポケビからも卒業、ということになる。

 自然の営みというのは、時に象徴的な光景を作り出す。その若い二人の目の前には、枯れたヨシ、その根元から出てきた緑のヨシの芽。
 「ペットボトルがこのままじゃ育たないよね」
 「どうだろ、自力でどかしちゃう気もするけど」
 人の関与は最低限で、とは言ってもやはり放っておけない。
 「せっかく出てきたんだ。どっちも助ける」
 入り江も塞がれ、とっくに見分けはつかなくなっているが、この場所、修復した崖地である。元通りになって、春の息吹もこの通り。六月はようやく安堵の息をつく。

(参考情報→春のヨシ

 天から注ぐ陽光は勢いを増す。気温も二十二度を超えた。陽春の候である。となると、船の往来もなかなか激しいものがある。大きめの貨物船が波を引く。潮が退いているとは云っても、インパクトはそれなり。
 誰かさんがまた「キター!」とかやってたら、ついでにこの女性も来た。大波小波に、
 「あぁ、南実さん!」
 櫻の呼び方はある意味、正統派だが、他の女性からはこれがバラバラ。同性からもモテる証拠ではあるが、
 「ハハ、どう挨拶したものやら...」
 毎度のことだが、困っちゃうのであった。

 波が収まるのを見届けると、南実はいいことを提唱する。
 「皆さん、そのぉ、集計途中だとは思うんですが、今ちょうどピークくらいなんで、下りて記念測定しませんか?」
 「なーに? 測定って?」
 印象の違うルフロンに目を見張るも、動じないのが研究員。新たな調査のおつもりか。
 「そうですね、全員、行っちゃいますか」
 どれだけの広さになるかを実感するには、これが手っ取り早いんだとか。並び方は二の次。とは言っても、南実はちゃっかり千歳の隣、反対の隣は勿論、櫻。全体的には何となく男女交互になっているんだから、不思議なものである。
 手をつないで干潟を囲む。この人数でほぼ一周、てことはやはりそれ相応の広さなのである。
や「これじゃポケットじゃ済まないかもね」
ご「っても、タイトル変えられないし」
ふ「だいたい四十人だから、アラフォービーチかしらね」
 かつてのトライアングルが、今は横一線。真ん中の男は少々ドキドキしているが、至って円満である。
 「はぁ、これはこれは」 遅れ馳せながらタイムリー。冬木がここ一番で顔を出す。自分のケータイで撮影後、千歳デジカメ、南実ケータイ他、手前にいた人々からの撮影依頼が相次ぎちょっとした人気者。これで本人が写らないんじゃ気の毒なので、恩返しとばかり、八広が交代。
 永代はやっぱり一言、「Beantifulぅ」。手をつないだ時点ですでにウルウルしていたが、すっかり感極まっている。「先、生...」 六月はそんな先生が麗しく見えて仕方ない。

 段取りが前後した観はあるが、リセット後の記念撮影はこれで終了。拾い残しがあると、リセットとは言えなくなってしまうが、干潟の端々に及ぶ人の輪を作った以上、目は届いているものと信じたい。
 上流側につき、集計結果をまとめてみたら次のようになった。この数値を年間集計表に足し込めば、一年分のデータとして完結することになる。
 ワースト1(2):プラスチックの袋・破片/三十三、ワースト2(1):ペットボトル/二十七、同数ワースト2(-):フタ・キャップ/二十七、ワースト4(3):食品の包装・容器類/二十五、ワースト5(-):袋類/二十(*カッコ内は、三月の回の順位)
 掃除機で吸ってそのままになっている分を数え損なっているためか、前回ワースト4だったタバコの吸殻・フィルターは圏外。ワースト5だった紙片についても、粉々になったものは見届けているので、それをしっかり数えれば上位にランクインする筈。

(参考情報→2008.4.6の漂着ゴミ

 「Goさんがあとでちゃんとカウントすると言っておりますので、今のところは暫定値」
 「え、マジ?」
 機材を披露する度に、何故か予期せぬ手間を増やしてしまう発明家殿である。
 「ちゃんと、手伝いますよ。新入りはちゃんと雑用しないとネ」
 ケータイを操るだけがDUOではない。時には二人仲良く手作業ってのもいいだろう。

 雑貨が各種あれば、それに負けじとプラスチック容器の方も多彩である。コンビニ販売品と思しき類が中心だが、推し量るにこれは外形や意匠に競争原理がシフトしていることの表れではないか、となる。「中味での差別化が難しくなる、と今度は、見た目や意外性に訴えざるを得なくなる訳か...」 量は減ったがまだまだ。考察ネタは尽きそうにない。妙な安心感を覚える撮影係なのであった。
 千歳がスクープ系として記録したのは、そんなプラ容器コレクションと、その同類、プラ製寿司桶、高そうな卵の高級パックなど。あとは、浴室用イス、バスケットボール、当地初登場となるタイヤ、といったところ。某上流事務所のゴミ袋がまた出てきたら、イチ押し品になるところだったが、
 「フフ、今日は漂着してなかった?」
 「あったらあったで、使わせてもらうだけ」
 「気を利かせて流してくれたってことかも」
 sisters@発、higata@宛で、課長からの正直なコメントが流れたのは数週間前。恥ずかしながら云々というのはお決まりの文句、だが、それとセットでよく出てくる再発防止どうこうという句はなかった。この場合、再発防止ってのは確かに的外れ。流れてしまったものはどうしようもない。せいぜい流れ着いたらお使いください。そんなとこらしい。開き直りという心算はないんだろうけど、河川事務所ではその耐水性・耐久性が話題になったんだそうな。櫻と千歳は皮肉交じりに袋の話をしながら、袋詰めを始めている。

 「別に干潟がどっか行っちゃう訳じゃないんだし」
 「でも、ここでの取り組みって、拡散してって、そのうち手が届かないとこに、なんてことになりそうな」
 「点から面へってね。絵描く時も似たようなもんだから、それはそれでいいと思う」
 「そっか、大作とか?」
 「部分から全体、またはその逆の繰り返し。一枚できたら、今度は連作とかでさらに」
 「イメージ沸いてきた。あたしも頑張ろっ!」
 手作業を終えた弥生と、データ送信を終えた蒼葉が静かに語らう中、本多兄弟は行員一同環視のもと、再資源化関係の雑務に追われる。ワースト1と5は別として、2から4までは要リサイクル系である。慣れているとはいえ、ちとツライ。そこへ更なる資源物が搬入される。
ご「何だぁ、カンカン鳴ってると思ったら」
む「石が積んである辺りも手が届いたもんだから」
 人の輪にかからなかった、ということは捨て方も巧妙だったんだろう。今となってはカウント外だが、十代トリオは空き缶、といっても飲料缶ではなく、ペットのエサ缶らしきものを拾ってきた。その数、二十有数。十分、ワースト上位品である。
ま「ま、お日様、カンカンだし?」
み「いくら陽気がいいからって、ねぇ?」
き「ともかく五カンじゃ済まねぇな」
八「これはゴミステリー的にはどうですか?」
み「空っぽな上に、固めて捨ててあったってのがポイント。どっかのアーティストさんが何かを作ろうとして、やめちゃったとか...」
ま「ヤダわ、おば様ったら」
 謎は深まるも、とりあえず金属リサイクル行きは決定。漂流漂着品でないことは間違いないので、これも岩頼み。再発防止効果を期するのみである。

 掃除機は粒々も吸い上げてはいたが、もうとりまとめるには及ばない。南実はレクチャーを交えつつ、袋詰めに加わる。石島夫妻立会いのもと、参加者は引き続きステッカー貼りなどをしながら、ふりかえり。各自の体験や所感がその場で共有されることで、現場は息づく。そして今後、新たな場が生まれることで、面としての充実が図られることとなる。
 「ITグリーンマップ、楽しみネ」
 「現場情報の蓄積にもなるかもって、やってるうちに気付いたんだ。ここに行けば、誰かしら何かしらの取り組みがありますよって。環境計画的にもそれが一大テーマだし」
 「こんなものがここに?ってのもいいンでしょ」
 「地域に目を向けてもらうための一歩ですから、そりゃあもちろん」
 ここで、辰巳と寿チームの一報が入る。
 「え? ウナギを見た?」
 「えぇ、孫が水辺で」
 お孫さんは、手を拡げてその大きさを示している。あいにく証拠画像はないが、環境課の人間も証言してるんだから、間違いなかろう。
 「ま、ウナギだったらいっか。試しに投稿...」
 「なによ矢ノ倉、対象限定なン?」
 「魚の目撃情報はちょっと」
 干潟端では談笑が続くが、定例の拾って調べて...は、ひとまず終了。潮はいつしか上がってきていて、積石は波に洗われている。 もうすぐ正午である。

2008年11月11日火曜日

76. 泣いても笑っても


 日増しに緊張は高まるも、それが心地良く思えてくればしめたもの。だが、そういう時ほど過ぎるのは早い。今日は早くも週末、櫻にとっては誕生日前日である。ここまで来ればもう迷いも何もあるまい。彼女は朝からご機嫌。彼氏も釣られてデレデレ調。これじゃ仕事にならない?と案じたくもなるが、そんな二人を上回るのが今のこの人である。
 「おっはよ! お二人さん。今日もラブラブぅ?」
 センターとしても法人としても、元気をテーマに掲げる以上、事務局長が元気なのが何より一番ではあるのだが、いくら何でもテンションが高過ぎる。
 「ふ、文花さん、大丈夫、ですか?」
 「えぇ、そりゃもう、丈夫丈夫、グッジョブ!」
 全然、大丈夫じゃない。
 文花流の萌え~作戦が奏功したようで、兄君とはちょっとイイ感じになってきた。今日は待ちに待ったご来館日である。ハイテンションになるのも無理はない。そのフェミニンルックがversion upしていることからもバレバレ。アカウンタビリティ、即ち透明性が重要、とは言っても、これほどわかりやすい女性もそうそういないだろう。

 そして午後早々、弟、兄、新入社員の三人が連れ立ってやって来る。兄弟は申し合わせ通り、スーツケース持参での登場である。
 「まぁまぁ、わざわざおそれいります。太平さん、業平さん...」
 「あーぁ、おふみさんたらまたそんな格好して」
 「いいでしょ、私だってまだまだ若いんだから」
 兄君はすでにボーとなっている。果たしてこれで大事な打合せができるんだろうか。

ふ「えっと、DUOのメンテはこれまで時給換算でお支払いしてたけど」
ご「仕事となれば、一定額か報酬か、ですかね」
や「考えたんですけど、あたし、こっちに来る時は日当とかでいいかなって」
た「即戦力だから、試用期間とか要らないんだろうけど、融資があるとは言えしばらくは控えめ給料になっちゃう可能性があるもんで。報酬ってことにすれば、ある程度、まとまった額が入ると思ったんだけど」
 上背がある男が二人座ると、円卓も狭く感じる。だが、話を詰める上ではこの逼迫感は悪くない。見方を変えればラブラブ感も出てきそうだが、打合せ内容からして望むべくもないのである。
 ラブラブと言えばカウンターの二人が気になるが、やはりこちらもお預け中。議事録のチェックや役員就任承諾書の点検など、総会後の業務を淡々とこなしている。眠くなりそうな時間帯ながら、スタッフも客もバッチリ起きている訳だ。

 拡大版DUOの話がIT系だとすると、お次は実機系になるだろう。文花は業平に例の見立ての件を振る。
 「そうなんだよねぇ、やってできなくはなさそうだけど...」
 「業(Go)氏、ホラあそこ。再生工場は?」
 「金森さんとこか」
 見学・納品に行ったのが議案発送後だったこともあり、事業計画には特に盛り込まなかったが、フタ集めを当センターでも、で、その加工先・用途の次第では収益の一部を地域還元なんてプランも。
 「そしたら、あのスーツケースでまた往復、かな?」
 空の旅に連れて行ってもらえる日がまた遠のきそうなことだけは確かなようだ。

ふ「まだ早いかも知れないけど、お二人さん、今日はこの辺で。クリーンアップで使いそうな機材は私、準備しとくから...」
ご「リハーサル会場がもう使えるってことなら、早い方がいいかもね」
ち「いいんですか、事務局長?」
ふ「ま、明日のライブは考えようでは仕事の一環。代休よ。ガンバッテ!」
さ「ありがとうございますっ!」
 かくしてバンドマネージャーの計らいで、メンバーの四人はそろってお出かけ。櫻を除いて何かしらの担ぎ物があるので、まるで姫様とそのお付き、のような体裁である。だが、マスターはあくまで業平。しっかりケータイで確認を入れる。
 多重録音だけでも先に、ということで冬木は応じてくれた。
 「そんじゃ、Let’s go hey!」

 絵画展を観に来る客が少なからずいるが、円卓付近は静かなものである。
 「それにしても、矢ノ倉さん、スタッフ帰しちゃうなんて」
 「事務局長ですから。休暇を取らせるのも仕事のうちです」
 「そういうのはやっぱ就業規則できちんと」
 「ハイ、よろしくお願いします」
 労務関係の相談ということだったが、これでは逆手。ちゃっかり二人の時間を作ってしまう文花である。この調子だと規則があってもなくても、自分の恋路が優先されそうではある。

 だが、そんな気まぐれ裁量のおかげで、一行は早々とリハーサル会場に到着。当所(こちら)、冬木が斡旋してくれたイベント会社のスタジオである。ここの特長は、置いてある楽器や機材がそのまま移送できること。リハーサル後は専用のトラックに積んで、運び入れてくれるという。面倒見がいいことは、八広の一件で立証済みだが、ここまで来ると大人物。人の評価というのは変わるものだ。
 着くや否や、千歳は缶詰状態に。長丁場も予想されたが、併設のレコーディングセットの性能か、コーラスアレンジャーの力量か、はたまたボーカリストの技量か、とにかく三拍子揃ったようで、一人コーラスによる多重録音は短時間にしてはまぁまぁの仕上がりとなった。
 そのオープニングをちょっとした音量で再現していたら、繰上げ召集を受けたリズム隊が登場。
 「おぉ、カッコイイ」
 「ホレ、メンバー入場シーンなんだから、拍手拍手」
 八広はちょっと背筋が曲がっているが、舞恵は手を挙げてシャキシャキ。行進する訳ではないのでさほど気にする必要はなさそうだが、入場リハーサルも少しはやっておいた方が良さそうである。

 「じゃあ、蒼葉さんと小松さんが来る前に、軽く第一部の三曲を。曲順はメーリスで流した通り」
 「あいよ、舞恵はいつでもOK」
 「ドラムは...ちょい待ちで」
 とりあえず入場シーンは割愛して、多重コーラスから、ドラム、ベース、パーカッション、ギター、キーボードと重ねていくリハを始める。慣れないセットで少々手こずったが、一度乗っかればこっちのもの。八広の刻みはなかなか快調。それに乗じていきなり名演奏が繰り広げられる。
 ライブとなるとフェイドアウトが利かない。『聴こえる』の余韻を保ちつつ、いかに切り替えるか。ドラムの締めが聴かせどころになる。だが、そういう試行は後回し。マニピュレーターはさっさとインパクト系イントロを流す。「よしよし、とにかくつながればOK」 ドラマーはテンポチェンジについていけなかったらしく、ちょっと遅れ気味。一回目はリズムマシン頼りとなる。
 目玉の三曲目は、渋く乾いた感じ。この曲順に難色を示したメンバーもいたが、そのタイトルからして、不協和音を演じてはいけない。で、やってみたらこれが案外良かった。緩急という点でも打ってつけである。

 ひと休みして、第二部へ。ここでの二曲は特につなぎを意識することなく、一曲一曲緩やか~でいいので、メンバーも余裕。サックスをどう乗せるかが見えていないが、小編成なりの良さもある。今のままでも十分行けそうである。
 集合時刻には遅れて来るとのことだったので、この女性の出番に合わせて進行していたようなものだ。第三部からは、ASSEMBLYフルメンバーで三曲立て続けの予定。蒼葉はちゃんと合わせてきた。
 駆けつけで一曲ってのはカラオケでもそうそうないだろう。だが、歌姫の妹というだけあって、さらりと歌い上げる。メドレーに近い形で曲は流れ、再びボーカルは千歳に。ここまでの七曲、概ね良好。そして待望の盛り上げ曲へ。
 「七曲目からの流れを考えてのアレンジ。明日はちゃんとつなぎますんで」
 各自ダウンロードして試聴済み。総会のバタバタはあったが、ボーカルのご両人もここ数日間で多少の練習はできている。だが、音合わせは今回が初。どこか肩に力が入っているメンバーである。
 リズムマシンのカウント後、八広と舞恵が同時に入る。突飛ではあるが、曲はロケットならぬ『ポケットビーチ』、Dance Mixである。ノリノリだが、まだギクシャク。そんな中、サックス奏者がやっとこさ到着。
 「な、なんだぁ?」
 「あ、こまっつぁん、どう?」
 パーカッションをフィーチャーする用になっているので、音風景が南米のようになっている。夏女としては大いに共鳴するところだが、テーマ曲としてこれでよかったのかどうか。
 兎にも角にも練習あるのみ。南実が揃ったところで、改めて第三部の通し。再生、流れ、ビーチ...この連鎖、このグルーヴ感は正に川のうねりに通じる。情景を描きながら、情感を込めながら演奏を繰り返すメンバーであった。

 さて、ポケビの新versionでは、間奏にブレイクが入る。
 「ソロっつぅか、アドリブの練習してみよっか」
 「順番は?」 弥生が問うと、
 「ギター、ドラム、パーカッション、ベース...かな?」 先陣を切りたい人がさっさと答える。
 こうなるとボーカルの二人の出る幕がなさそうだが、
 「ま、メンバー紹介する係も要るでしょうから」
 ひとつ当日のお楽しみ、ということにしておこう。

 アンコールの二曲は、軽くおさらいする程度。ただし、鍵盤奏者は物足りなかったか、
 「イントロ、アドリブしていい?」
 何か思うところがあるのだろう。だが、これはアンコールの拍手が鳴り止んでからのちょっとした仕掛けと関係ある話。そしてそれは三人だけの内緒事項。
 とりあえずメドが立って、喜んでいるのは五人。残る三人はにこやかながらも心なしかしんみり。泣いても笑っても、もう明日の話なのである。

2008年11月4日火曜日

75. 新たなカウントダウン

ふたたび、四月の巻

(予告編)

 低気圧のイタズラで朝から強い風が吹いているが、総会開催を見送らせる程のことはない。今日は特別に千歳も早くから加わって、三人体制で着々と準備に当たる。エイプリル何とかの日ではあるが、至って本気モード。漫談も閑談もない。ただ風の音が聴こえるばかり。いや、そうでもないか。
 「今日、記念日なのにね」
 「まさか一年後にこういうことになるとは思いもよらなかったけどね」
 「あら、私はそんなことなくってよ」
 「へ?」
 「エイプリルフール!」
 一年後もこの通り、櫻にしてやられてしまう隅田クンであった。
 「はいはい、お二人さん、当日資料の点検、まだでしょ?」
 「ふ、文花さん! あ、あれ」
 櫻はここぞとばかりに小作戦を決行。
 「窓の外、ク、クラゲが...」
 「ん?」
 「はは、ひっかかったぁ!」
 「やぁね、レジ袋じゃない」
 「え?」
 からかうつもりがこの通り。強風が舞い上げた半透明な一枚がヒラヒラと泳いでいるではないか。
 「痛み分けってとこね。さ、続き続き!」
 「な、なんで...」
 珍しくクラゲのようになっている櫻だった。今日の司会進行、大丈夫だろうか。

 建物三階には大きめの会議室があって、百人は入れる。ここが本日の舞台である。午後からは理事や運営委員も顔を揃え、十四時の開会に向け総力が結集される。三十分前には受付開始。並行して会場のセッティングは進んだ。そして、その時を迎える。
 「ただいまより、特定非営利活動法人『いきいき環境計画』の設立総会を始めさせていただきます。本日は多数お集まりいただき、誠に...」
 主催者人員を含め、七十人は集まっている。センターとしては大入りの部類である。そして、この数とは別にご来賓が招かれている。辰巳の上位上司、櫻がかつてお世話になった地元の長とでも呼ぶべき人物、そして、娘二人から小人物呼ばわりされているあの人、の三氏である。うち、代表してお一人に挨拶に立ってもらう。岩を安置した功あっての抜擢か、いやそればかりではない。
 「本日付けで地域連携を進める部署に異動になりました、河川事務所の石島でございます。環境計画の皆さんにはいつもお世話になり...」
 異動初日、初仕事が総会臨席とは上出来である。これからは地域の、流域の、とにかく広報よりも広聴が最たる務めになる。皆さんのお声を拝聴しないことには仕事にならない、そんな部署。本人の意向かどうかはいざ知らず、お上(かみ)がやるにしてはなかなか粋な人事である。ありきたりではなく、一定の体験(曲折?)に裏打ちされた含蓄ある挨拶になっていることからも適材適所であることがわかる。が、こういういい時に限って、娘達は不在。拍手が盛大だったのが救いである。

(本編)

 会員総数百五十余りのうち、半数近くが出席。書面参加も加えれば軽く百は超える。二分の一で可のところ、これはもう三分の二ライン。総会成立の要件は余裕で達せられたことになる。その数の確認が司会者から発せられたら、ここからは議案に沿って粛々と、である。が、その前にすべきことがある。一旦、事務局長にバトンタッチ。
 「式次第にもございますが、議長は正会員からの立候補で選出、となります。どなたか、いらっしゃいましたら...」
 この集まり具合なら、我も我も、となりそうではある。だが、それでは文花のシナリオが崩れてしまう。出てほしい、されど... 法人運営で悩ましい点の一つだろう。
 予定通り、率先しての挙手はなかったので、ひと呼吸置いてから、一人のご婦人が手を伸ばす。旗を持たせたら、なおよかったが、そこまでの演出は無用。
 「では、玉野井様にお願いします。ご異論なければ皆様、拍手を」
 さすがは作家先生であらせられる。咳払い一つで会場は忽ち粛然となった。「緑のおばさん、やるな」 囃し立てたい気持ちを抑え、清はただ溜飲を下げる。機材を担当する千歳も些か硬直気味。プロジェクタのスイッチを押しかけて手を止める。

 雛壇等はないのだが、次第では議長登壇となっている。その壇上、即ち長机からマイクを通して第一声。
 「議事の記録、議事録署名は、議長の裁量で...」
 この出だし、文花と打ち合わせた通りなのだが、記録係として想定していた八広は本日が晴れの出勤初日につき、叶わず。公募で加わった理事と運営委員から一人ずつ充てられた。議事録署名人は、公募以前の理事三人、文花、千歳、清が仰せつかる。
 第一号議案スタート、のその時である。見慣れないスーツ姿の女性が会場後方に現われた。
 この方も出勤初日なのだが、八広と違っていきなり裁量労働ゆえ、自由が利く。COOと相談、というよりは談判でもして駆けつけてきたんだろう。弥生嬢である。
 「はぁ、間に合ったぁ」
 風のせいで、幾分無造作ヘアになっているが、それはあふれる気鋭ゆえ、と映る。どこかのアーティストさんの場合と大違い。櫻と文花は笑いをこらえながら目配せする。
 女性議長の仕切りに従い、事務局長が説明する。一号:設立趣旨、二号:活動報告、そして議案の三号は、練りに練った事業計画。プレゼン資料の方も気合いが入っている。
 「予めお席に置かせてもらいましたが、当法人のリーフレット案もあわせてご覧ください。あと、簡単ではありますが、環境情報サイト”KanNa”とITツールβ版のチラシもご用意しましたので、そちらも...」
 スクリーンには、そのリーフレットにあるのとほぼ同じ図、模式図や体制図が映し出される。事業の三つの柱、その相関関係、部会の位置付け案に、理事の分担案、言うなればTo-Beモデルのお披露目である。議案にも勿論載ってはいるが、この日に向け、さらなる視覚(visual)化を施し、より磨きをかけてあるのでインパクトは十分。独壇場とはこのことか、今ここに登壇しているのは文花その人である。
 が、話せば話すほど、こみ上げてくるものがある。名月の日に団子をいただきながら、に始まり、そのデザインを巡っては大いに議論もした。干潟端で一人作図なんかもしたっけか... 自らの歩みを振り返ることになる訳だから、感極まるのは当然。どうも声の出が悪くなったと思ったら、うっすら涙目になっている。嗚咽しそうになるのを堪え、事務局長はひと息。そして、続ける。
 「設立趣旨のところでもお話ししましたが、スローかつ緩やか、がテーマです。工程表はあくまで目安。皆さんと一歩一歩と思っています。あとは、木と森、点と面の行ったり来たり、で。多様な視点、現場感覚、なども大事にしながら、一人一人の環境計画、その実践をお手伝いできれば、と...」
 議決をとるのは後なのだが、ここでちょっと大きな拍手が起こる。文花は頭を下げたまま動けなくなってしまった。
 「えぇっと、ご質問の時間はまた後ほど。続いて収支と予算に移りたいのですが、矢ノ倉さん?」
 晴れの舞台ではあるが、いつも通りナチュラルメイクなので、目の周りがボロボロとかにはなっていない。まだ少々目が赤いが、
 「あ、ハイ。では前年度の会計報告を申し上げます」
 年度途中からでも費目を精査した甲斐あって、収支も予算も項目立ては瞭然。舞恵に手伝ってもらった成果がここぞとばかりに活かされる。当然ながら、監査の方も問題なし。寿(ひさし)がすっと立ち上がって、活動報告と収支報告の間に不整合がないこと、法人に移行するに際して障害となる不備等はないことなどをスラスラ。名監事にして名調子。会場を唸らせる。
 第五号は予算案になる。これまでの財源は主に役所からの単純委託に負っていたが、本年度からはそれが改まる。引き続き受託することが前提になってはいるが、それだけでは心許ないため、先に紹介した各種計画に基づく自主事業等見合いも盛り込んであるのがポイント。独立した財源の比率をそこそこ高めてあるのは、これまでの実績に寄せる自負と、今後の取り組みに対する自信の表れ。何より、その法人の気概を数字で示す上でこれは要目なのである。
 会費収入も然りだが、講座や教室の類、アフィリエイトに企業協賛にネットを介した寄付まで、その見込み収入源は多様。
 「従来の営利追求型組織の中には、非営利要素を模索する動きが出て来ています。そうした団体とのクロスオーバーと言いますか、協業ですね。こちらは非営利組織ですが、経費に当たる部分はできるだけ利益で賄えるようにして、安定的な財源は本来の社会的なミッションに回したい、ということでして...」

(参考情報→営利と非営利のクロスオーバー

 DUOを当て込んだ部分は大きいが、KanNaについても期待は大。本会で定款が通れば、個人会員制度が確立され、これまで団体専用だったKanNaの個人向けサービスが始められる。情報流通を促すことがその主たるねらいだが、会員管理がネットでできるようになるメリットもまた大きい。
 その会費は、そんな性格を反映して情報登録料に近い形になっているが、ボランティア保険の加入料も込みになっているところが秀逸。万一に備える、つまり現場に出やすくする配慮を伴わせている訳である。文花流儀のお節介を汲みつつも、ひとえにこれは理事会の創意であり総意なのであった。
 弥生は自分の仕事が広がりつつある予感に身震いしながらも、気合いたっぷりにメモを取っている。社会人としてのスタートを切るのに、こんな相応しい場はあるまい。
 「おふみさん、ありがと...」 その謝意には実に様々な思いが込められている。トライアングル中は張り合っていたが、今は何とも畏れ多く思う。文花の器量・度量に惚れ惚れするばかり。
 辰巳はどうだろう。
 「事務局長、スゴイな」
 惚れ惚れしている向きもありそうだが、賓客の上司ともども、ただ見守るばかり。感想の一つや二つは良さそう? いや立場上、いかなる発言も控えざるを得ないのが実際である。委託主が一言発しようものなら、法人自立の妨げと受け止められる可能性は否めない。NPOに対する弁えがある分、こうした苦渋が生じる訳だが、そこは妙味として味わえばいいだけ。不惑の境地とはこういうものである。

 「ではここまでの五つの議案を通して、ご質問などありましたら、お願いします」
 より一体感のある、的確な質疑応答を期するのであればこの手に限る。初めての総会にしては実に手際がいい。ただし、法人とは言っても会社のそれとは違うので、想定問答なんかは特段用意していない。ここが場力の見せ所、ぶっつけ本番である。
 出席者の数が多いのは決して見掛け倒しではなかった。法人の為を思っての真っ当な質問がいくつか出てくる。役所との関係・その透明性、会員に期待される役割、受託先の開拓予定・将来性... 事業そのものよりも、体制面や運営面、つまりシステマチックな話に傾いた感じ。主に文花が答えるが、必要に応じて千歳や他の理事がフォローしつつ、こなしていく。
 質疑をふくらませて事業のデザインを、という目論見もなくはなかったが、街なり川なり現場に出た方が話は早いのかも知れない。ただし、せっかく会員が集ったのに何もしないでは勿体ない。
 「えっと申し遅れましたが、今日はこの後、二階に移動していただくとですね、実はちょっとした仕掛けがございまして。意見交換などもそこでまた...」
 基調講演や祝辞紹介といったセレモニー要素を設けなかったのには理由があった。センターにお招きし、何らかの紹介をするのが、何よりのセレモニーということだったのである。
 開会から一時間余りが経過。ここで一旦議決が為される。書面参加は、ごく少数の反対が見受けられる以外は、賛成か議長一任。あとは出席者次第となる。緊張の一瞬? いやいや、ここまでじっくり丁寧に積み重ねてきただけのことはあって、会員各位は極めて好意的なのであった。
 パッと見はいわゆる賛成多数なので数え上げる程のことはないのかも知れないが、議事録に記録する都合もあり、しっかりチェック。櫻はカウンタ(もともとはセンター備品)を使い、カチカチ。PCに打ち込んでプロジェクタにその数を映す手もあったが、ここでの出番はホワイトボードとマーカー。ライターを自認する千歳が書き止めていく。
 多少の数の違いはあるが、第一号から第五号まで、会員総数の九割方の賛成を以って承認。予算案も案が取れて、予算になる。
 専従費が通ったことで、文花は今年度より晴れて給与制に。至って控えめな数字に抑えてはあるが、契約待遇からはこれでおさらば。法人の自立=自身の自立、この両立が一つのテーマだとすると、大いに張り合いも出よう。

 議決の要件(承認に要する人数比)に関しては、定款にその定めがあるが、設立総会に関しては従来の会則に則る形としてある。仮に次の議案である定款案が否決されるようなことがあっても、ここまでの議決は有効。定款が承認された後は、その次の議案からは定款に基づいて、となるが、その要件は同一につき、どちらでもいいと言えばいい話になる。
 六号:定款、七号:役員選任、いずれも重要議決。だが、特定非営利活動促進法に定める法人の活動の種類についての問いがあった程度で、定款の方は意外とあっさり通ってしまった。役員の決め方については、早速その定款に従う形となるが、議案別紙として提示した候補者(名簿掲載者)が承認されれば、事実上、理事会発足!となるため、どの定めによってどうこう、というものでもない。ただし、その中から代表、副代表を互選云々という点については、何条の何項により、となるのでもっともらしくなる。
 役員、つまり理事の選考過程については、透明性が高かったためか質疑なし。理事全員、ひとまず前列に並び一礼。そのまま承認の栄に与る。あとは理事の中から、我こそは!という人物が現われれば正に互選手続きが取られることになる訳だが、総会進行中に内輪であぁだこうだとなることはまずないので、予定通りの人選で落ち着くことになる。
 「では、理事が承認されたところで、本総会の議案は全て終了、当法人の設立に向け、大きな一歩が踏み出されたことになります。皆様のご協力、感謝申し上げます」
 満場の拍手を以って、議長は一応降壇。代表、副代表、事務局長の割り振りについては、議決事項ではないため、今この時を以って立席理事会で決める。

(参考情報→議長降壇

 「玉野井議長、どうもありがとうございました。では、互選の結果がまとまり次第、事務局長の方からお願いします」
 拍手の余韻が冷めないうち、がその心得。万感の思いとともに文花はマイクを握りしめる。
 「僭越ながら、事務局長職の任を受けることになりました、私、矢ノ倉より、ご紹介させていただきます。情報担当理事 隅田千歳...」
 担当理事の紹介に続き、注目の副代表理事、即ち、
 「玉野井 緑でございます。そして代表理事、あ、その前に監事、入船 寿...」
 事務局長については順当、だが、副代表も女性ということで、いくらかどよめきも起こっているようだ。だが、当法人ではごくごく自然な話。そして、
 「失礼しました。代表理事、掃部...」
 清か清澄かどちらで呼ぶか考えていなかったので、ちょっと間が空く。演出としては絶妙である。「...清、でございます」
 会場は再び満場の拍手。このまま代表理事よりご挨拶、と行けば筋書き通りだったが、如何せん運営委員がまだだった。全員は揃っていないものの、前に出て来てもらってペコリ。櫻もその一人である。
 司会の位置に戻るのも何なので、櫻はそのまま一言。
 「矢ノ倉事務局長、どうもありがとうございました。では、運営委員、理事を代表しまして、掃部より最後にご挨拶を。先生、もとい代表、よろしくお願いします!」
 一度マイクを持たせたら、そう簡単には終わらない。だが、これが楽しみで集まった会員はきっと多いに違いない。俄かに、待ってました!という雰囲気になってきた。

 「代表理事を引き受けるにあたっては、いろいろ思うところがありました。事務局長さんに担がれたところもなくはないですが、巡り合わせと言いますか、ご縁と言いますか、とにかくその思うところを整理してみたら、これがハマった訳でして...」
 ハマったものの一つにハコモノがあった。お引き受け後ではあったが、自ら課題論文を書きながら、思いは深まり、「ハコとは何ぞや」「ソフトとしてのハコモノってのは有り得るのか」てな自問を経て、自分なりの地域再生論と結びついたんだという。あとは、現場でのあれこれ、センター主催の講座なんかも励みになり、何より自身がいきいきしてきたことに触れ、次にこう語る。
 「多くを口にしなくても、いつの間にか浸透してるっていうか、何だか先回りして取り組まれてるような気がして、気味悪いくらいで。事務局長からはセンセ呼ばわりですが、何の何のこっちの方が学ばせてもらってる感じで、志学の心境ですわ。アラウンドサーティーならぬ、アラウンド、トゥエンティー? とでも言ってやってください」
 さっきまで厳かに総会をやっていた場とは思えない。賑やかなショーが繰り広げられている。いきいき以上である。
 「で、櫻さん、時間はまだよろしい?」
 「え? えぇ。客席の皆さん、いかがですか?」
 総会屋も来なければ、自説自論を唱える人もいなかった。総会の進行が円滑だった分、時間にはゆとりがある。議決時を上回る大きな拍手で、掃部トークの続行が承認された。

(参考情報→自説&自論

 「質問にも出ましたが、改めて当会のスタンスを述べさせてもらうとしましょう」
 場を持つ強み、それを示す意義、そんな話から、地域貢献の場としてのモデル、関わり方や働き方のモデル、さらには、
 「傍目からは行政下請け機関のように見られるかも知れません。が、そこが逆に狙い目でもあります。行政とのつきあい方モデルってのを提示するには好都合な訳です。いいようには使わせない。逆に甘えたりもしない。と、これは矢ノ倉さんのモットーでもありますが。な?」
 事務局長は大きく頷いて笑みを浮かべる。代表はちょっとドキリ。
 「ご、ご存じの通り、掃部清澄と言えば、行政とツノを交えるので有名ってとこでしょう。北風と太陽で言うなら、北風派。ま、近年も相変わらずツノを尖らしたくなる事例は多々ございますが...」
 決められたことはやろうとする、変なことが決まってしまうとそれも対象になる、逆に決められたこと以上のことができない自縛、職務専念義務、日当やら手当やら、そして、
 「個の判断が尊重されない構造と言いますか、組織の判断優先になっちゃうのも仕方がないんでしょうかね。ただ、組織は守れるが、地域は守れない、ってことでは困る。かと思えば、時に『どうだ!』てな感じで余計な手出しをしてくれちゃう。手を出す前に話を聞いてくれりゃと思うんですがね。有識者だけが専門家じゃあない。大事なのは現場を知ってるかどうか。市民、こどもたち、いくらでも話は出てきます。そんな対話の場を提供するのも当会の役目かも知れませんが」
 話は市民活動への支援にも及ぶも、これは委託主へのメッセージとも取れる。サポートの仕様を間違えると、単なる邪魔にしかならないこと、ニーズがつかめないとか接点が見出せないとか言う前に、自分で飛び込んでみてはどうか、といったこと、
 「わざと複雑なこと考えんのも役所の悪いところでしょうかね。単純に言ってしまえば、手弁当になりがちな要素をちょっと助けるだけだっていい。で、あとは口を出さない。中にはそんなサポートなり地域貢献が在職中にできなかった罪滅ぼしのつもりか、退職してから自分でNPO法人を『立ち上げ』? ま、団体起こしをする方も居られるようですが」
 さながら講演会の様相を呈してきた。が、話はそろそろ集約方向へ。
 「つきあい方を話すつもりがついつい。で、その北風を南風に変えてもいいんじゃないかって、思うようになった次第ですわ。行政側も話を聞くと、いろいろと事情や背景がある。となると、お互いに思い違いを減らすにはその辺を共有するって言うか、理屈を理解するって言ったがいいかな...」
 自負やプライドがあるのはお互い様。組織は建前で、大事なのは実は己の自負心とか尊厳とか。だとすると、それを損ねないような配慮が市民側にも必要なんじゃないか。
 「行政、いやお役人を意固地にしないための話術っつぅか、仮に行政側の失敗、と思われるようなことがあっても、それを担当者にしっかり受け止めてもらえるように、ま、語りかけるってとこでしょうな」
 このくだり、そう十二月の講座がもとになっている。表向きの活動報告とはひと味違う、議案を超えた何か、これはエッセンスのレビューである。千歳とアイコンタクトをとる清。今度は千歳がドキリ?
 「という訳で、さまざまなモデルを試行しながら、皆さんと一緒に学んでいきたいんであります。まぁ、自分では余計なことをするつもりはないんですが、時には老婆心、じゃねぇや、老爺心でもって、南風を吹かそうと。な、石島課長殿?」
 ご来賓は誰一人途中退席しなかった。湊にしても、これは天晴な話である。皮肉ではない。称賛であり、激励。それが代表挨拶には込められていた。
 「そうそう、協働論とか今の話はですね、新著でご覧いただけますんで。どうか、しとつよろひく」
 締めが今しとつ(?)だったが、大喝采が包む。「カモンさん、さすがねぇ。ホホ」
 終了予定時刻、十六時になった。

 法務局だ、登記だ、というのがまだ残っている。だが、法人格を取得できれば、事業は継続できる。ちょっと甘えた感じにはなるが、今年度は指定管理者で受託することが決まった。下請けでないとすると、物申す管理者ということになりそうだが、それが通用するかどうかは不明。モデルづくりだと考えればカドは立たないだろうし、語らいで以って乗り切るというのもあるだろう。
 法人スタート=受託開始、となるため、正式な手続きはまだ先。櫻は引き続き出向、ということでひとまず落ち着いた。
 「じゃあ、櫻さん、今後ともよろしくネ」
 「あ、こちらこそ。事務局長殿!」
 「ヤダわ。今まで通りでいいってば」
 「矢ノ倉ぁ?」
 「何よ、櫻ぁ」
 今更ではあるが、思いがけない共通点があることを知って、ノラクラやっている。名物二人娘改め、クラクラシスターズ、ここに誕生か。
 いやいや、もとは三人娘である。事業計画上、その三人目の存在がまた大きくなってきた。まだ流動的ではあるが、土曜日非常勤の線も有り得る。
ふ「そしたら、五日に皆で決めますか」
や「まずは隔週で、かな。週休一日ってのも...」
 とりあえず、働き方モデルの試行がまた一つ加わることになりそうだ。

 事務局長はこんな感じで人事の雑談をしているが、センターは大賑わい。他の役員や委員は部会の紹介を含め、館内のオリエンテーリング中。絵画展は会議スペースに移っているが、こちらも大入り。
 「で、こちらがそのリセット後の干潟を描いたものです。おかげ様で準大賞を頂戴しまして...」
 先週末に戻って来たこの作品。総会開催に間に合った以上、持って来ない手はないだろう。センターの留守番がてら、展示替えをしていた蒼葉だが、準備が終わるや否やのこの人だかりに仰天。画家自らによるガイダンスツアーを始めざるを得なくなってしまった、という訳である。男衆の目線が必ずしも絵画に向いていないのが引っかかるが、ここは一つモデルつながり、ということで大目に見よう。
 その展覧会場の入口に何気なく置いてあったチラシがきっかけで、そこに居合わせた千歳は六日のイベント紹介方々、BGMを流すことになる。デモ用のCDはセンターにもある。スローで緩やかな曲が館内の一隅を漂い始め、賑わいを程よく中和していくのだった。

 弥生はまだお仕事モード。今日はこのために来たようなものかも知れない。いつもの円卓でPCを操作しつつ、IT版グリーンマップを披露している。個人会員のIDを使えば、すぐにでも参加可能、というところまで仕上がっているというんだから大したもの。ただし、ゴミ調査結果(DUO経由)との連動はまだまだ構想段階。
 「地図情報を読み込んでから、テンプレートを呼び出すってのがわかんなくって...」
 「まぁ、お仕事としてじっくり取り組んでもらえれば、それで」
 「って、どっちの仕事?」
 「両方、かな? これぞコラボレーション!」
 この件も五日に話し合った方が良さそうではある。

 外はまだ明るいが、客はポツポツと帰って行って、センターには一抹の静けさが。会議スペースでは作品鑑賞を兼ねた臨時理事会が開かれていて、そこから時々歓声が聞こえる程度。
 「じゃあ弥生ちゃん、これ」
 「あたしが使ったらマズイ?」
 「六月君の入学祝いのつもりだったんだけど」
 「入社祝いはなしってか?」
 「あ...」
 「なーんてね。でも悔しいから、姉貴からのお祝いってことにしちゃおっと」
 弥生流エイプリルフール、なのであった。

 総会終わって気分爽快!?といった面持ちの文花である。何はともあれ肩の荷が下りたのは確か。一方、まだ下りないのはご両人。嬉しい愉しい、けれど... 絵でも音でも表現しようがない、この緊張感。
 重大発表に向け、カウントダウンが始まる。

74. 時は満開


 総会成立の見通しは立った。プレゼン資料を含め、当日に向けた準備も概ね良好。KanNaの最新情報、部会の紹介媒体、拡大版DUOの予告といったあたりをどこまで用意するかが詰め切れていないが、総会終了後でも間に合いそうなものは別に、と意に介さない。矢ノ倉事務局長にしては珍しく悠長に構えているが、
 「ま、出たとこ勝負ってところもあるし、皆さんの場力(ばぢから)で乗り切れるでしょ」
 それだけ貫禄が増したという訳である。櫻と千歳も慣れたもので、
 「じゃ、あとは一日(ついたち)に早めに来れば、ってことで」
 「定時で失礼して、よろしいですかね」
 てな具合。二十九日、晴。閉館時間になってもまだ明るさが残る。二人が愉しげにしているので、アフター6のご予定をつい尋ねてしまう文花だったが、あとの祭り。
 「はぁ、二人で夜桜でございますか...」
 とっくに公認、今は合鍵の間柄である。これ以上は何も言うまい。

 二人で自転車を押しながら、やって来たのは河原の桜。場所柄、花見客でわんさとなるようなことはない。花を見つつ、程々の静寂が楽しめる。
 「サクラ花粉症の方は平気?」
 「だから、あの日はたまたまで。あ、でも櫻さんが放つ、こう何て言ったらいいのかなぁ」
 「やぁね、私、花粉なんて出さないわよ」
 フェで始まる何とやらにメロメロ、ということを言いたいようだった。
 「フフ、やっとそういうのに敏感になられたようで」
 それもそうなのだが、実はさらに感度が上がっていた彼氏である。ほぼ満開の桜を見上げる彼女に、とっておきの言葉を投げかけてみる。
 「櫻さん、そのぉ...」
 「ん? なーに?」
 「だ、大事な話があるんだけど...」
 すでに贈り物の詳細については打合せ済みである。となると、大事な話って?
 「まぁ、四月一日だと真実味が薄れちゃうもんね。でも今聞いちゃうのももったいないし...」
 小悪魔ぶりを自ら楽しむように、はぐらかす櫻。だが、胸の内は正直なところドッキドキである。サプライズとまでは行かないが、いつの間にやらしっかり加速してきて、今や逆転に近くなっている。
 まだ開ききっていない花もある。櫻は返事をためている。
 「櫻さん的には、誕生日に聞かせてほしい、かも」
 「じゃ記念品と一緒にね」
 「お言葉だけでもすっごいプレゼントになりそうだけど?」
 「ハハ、改めてきちんと、考えておきます」
 「ちゃーんとお返事しますから」
 彼の肩に頭を乗せてみたら、ようやくチラホラ花弁が下りてきた。お互い緊張が解けた瞬間。だが、
 「向こう一週間、いろんな意味でドキドキが続きそう」
 「私も同じ。でもプレバースデイウィークとしてはお誂(あつら)え向き、かな」
 夜桜は二人を否応なく盛り上げてくれる。この流れからすると、今夜も...。
 「今日はどうしよっかな」
 「...(ドキ)」
 「何かね、『そうかそうか』って喜んでたと思ったら、最近の蒼葉ったら、つまんなそーな顔することが多くて、その...」
 「一人じゃ寂しいとか? ま、そうだろね」
 「曲の続きは家で練習します。また明日もお目にかかることですし」
 何とも風流なお二人さんなのであった。

* * * * *

 三カ月ほど前は午後だったが、本日はそこそこ早めの午前。18きっぷで仲良く品川で降り、向かう先は昼桜。第一京浜を南下し、八ツ山橋を渡り、北品川駅を過ぎればここからは前回の逆ルート。かねてからの約束通り、御殿山にやって来た。
 「時の将軍様が大衆の娯楽のために植えた桜の一つ。他には飛鳥山、小金井、あと...」
 「どこ?」
 「隅田! 川、よ」
 満開の桜を見上げつつ、満面の笑顔。
 「詳しいね、櫻さん」
 「そりゃね、サクラのことなら櫻さん」
 もっともだ。

 三十代男女が山なら、十代男女は里である。こちらも約束通りではあるが、乗り物主体のちょっと変わったデート。
 「じゃここからはこれで有人改札を通ります。姉御は700円のこっち」
 「六月クンは?」
 「350円。小児用」
 「ズルーイ!」
 「もちろん、お代はいただきません。誘ったのオイラだし」
 これが小児のやることか。実の姉がいたらつっこまれそうな場面ではある。
 混雑極まる開業初日の日暮里駅。二人はこれから川を越える旅に出る。

 突き当たりを左に折れると下り坂。どうやら品川に戻るつもりはないようだ。
 「道を間違えてなければ川に出ると思うけど」
 「そしたらまたゴミ調べ?」
 「たまにはお一人でどーぞ」
 「櫻姉ぇ」

 ライナーとともに、何かが動き出そうとしている。卒業後入学前という時期がそうさせるのかも知れないが、少年の心は昂り、揺れる。だが、西日暮里から先はほぼ真っ直ぐ。タイヤで走ることもあり車両は思ったほど揺れない。このギャップがたまらない。
 「どったの? 乗り物酔い? な訳ないか」
 「初めて乗るから勝手がわかんなくって」
 「六月クンでもそういうもんなんだ」
 あいにく先頭席は確保できなかったが、ある程度並んだ甲斐あって、進行方向二人掛け席をゲットすることはできた。隣には愛しの女性。どう言葉を発するか、その勝手がわからないだけなのである。
 想い出の地、熊野前、足立小台と続く。荒川が見えてきた。本線本日のハイライトである。
 「オイラ、いや僕、姉、いや小梅さんのことが...」
 「フフ、そう来ると思った。でもそのセリフ、今はとっといた方がいいよ」
 「エ?」
 「入学したら、気持ち変わるかも知れないし」
 「姉御ぉ...」
 西新井橋から小梅がスケッチした首都高速。その上を越えるんだから結構な高さである。右手遠くにはその西新井橋。荒川ビューが広がる。だが、六月の目には入らない。気分はすっかり川流れ~。

(参考情報→荒川を越えるライナー

 「まぁまぁ、そんなふったりとかしないから。勉強の合間にデートとか...エへへ」
 「やったぁ!」
 すっかりイイ雰囲気になってしまったので、このまま終点まで向かうことになった。途中駅での乗り降りは自由なのだが、六月はもうどうでもよくなっていた。

 若いのが荒川を越えたその時、同じく川を越える二人がいる。ただし、こちらは徒歩。
 「さすがにノーマーク。何て読むの?」
 「普通に読むと、いき橋?」
 「まぁ、いいや。イキイキ、イケイケ、Let’s Go!」
 目黒川に架かるちょっと立派なその橋。名は居木(いるき)橋である。見下ろしたところで干潟はない。当然ながら漂着も、ない。ゴミがないばかりに素通りされてしまう川、それっていったい?

 これから乗るのは中距離列車。その性格上、クロスシートはある。が、混み合うことが予想されるため、駅弁という訳にも行くまい。大崎で早めの昼をとり、ノラリクラリ。十三時台のグリーンとオレンジの速いのに乗ったら、あとは一気に小田原へ。
 桜がお目当てではあるが、二人にとってはその行程、その緩急を楽しむのをまた良しとしている。従って、お城を見ても、花々を観ても、感慨があるようなないような状態。これじゃ小田原に失礼な気もするが、
 「マップを作るつもりでしっかり廻るってことならね、また見る目も違ってくるんでしょうけど」
 「ケータイ使ってIT版グリーンマップ、ってのもアリ?」
 「その場で撮影して投稿、かぁ」
 桜色の話題も出たかも知れないが、マップと来れば緑だ橙だ、である。そして十五時過ぎ。ホームにはその色の線が入った車両が滑り込んでくる。予定調和とはこういうことを言うのだろう。東海道線の旅は続く。

 「一度降りてみたかったんだ」
 「何かドラマチック...」
 川がつく駅名ながら、ホームからは相模の海が広々と見渡せる。今日は花冷えしそうな日和ゆえ、海もどことなく寒々とはしているが、二人にとってはそれが好都合に働く。

(参考情報→小田原&根府川

 「風はそんなにないけど、寒い、かな?」
 「そうね、特にここ、とか」
 人影はない。もともと無人駅みたいなものなので、いくらでもドラマチックな演出は可能。が、彼はちょっと躊躇いを見せる。別にじらすつもりはないのだが、何かが近づいているのを察知したのである。特急列車が通過していったのはその一分後。
 「ハハ、あぶないあぶない」
 「もうっ、じれったいなぁ」
 花も、いや海も恥らう三十路のラブシーンは、あくまで列車の通過後。目を閉じていると、潮の香りで辺りが満たされていくのがわかる。今、彼女の唇はすっかり桜色。色男は憎いことをするものである。

 あたたかいものがよく出るのは、気温のせいばかりではないだろう。おなじみカフェめし店では、人気のニコニコパンケーキの注文が相次ぎ、お姉さんは大いそがし。BGMのスローな感じに救われる恰好になっている。
 デモ用のCDをシャッフルしてかけているので曲順不定。『晩夏に捧ぐ』に続いて『ポケットビーチ』が流れ出す。と、耳障りがいいので、お客からの問合せもチラホラとなり、パンケーキと一緒に来週のステージイベントのチラシを渡す場面も出てくることになる。店ではちょっとしたプロモーションが行われていた。

 「あーぁ、何だかポケットって言うよりロケットって感じ?」
 「もうちょいかな。おかげでだいぶイメージに近づいてきたけど」
 「多分、ブラス系入れると、もっとノリノリになると思う」
 「あんまり飛んでっちゃうのもどうか、と」
 「あたしはついて行きますよ♪」
 四月からは職場となる場所で、しかも業務用のPCを使ってこの調子。こちらでは、違うversionのポケビがプログラミングされている最中だった。COOに言わせると、これも研修の一環なんだとか。大いにツッコミどころではあるが、社員候補生はただニコニコしながら、励んでいる。
 その気になれば、熱海へ行って戻ってというのもできなくはないが、今日のところは根府川どまり。そして小田原からは再び特別快速に揺られる。加速の加減が心地良い。今の二人同様、と言っていいだろう。