2007年11月20日火曜日

17. 届けたい・・・


 様々な銘柄の飲料容器をひと洗いしつつ、手を洗う七人。スーパー行きは毎度の如く日光浴。四十五リットル一つに収まりそうだ。九十リットル級の大袋には、再資源化に向かなそうなペットボトルや軽めの不燃系がいくつか。あとは、小梅の自由研究ネタの袋類が入ったのが一つ。レジンペレットなど微細系は南実が回収済み。臨時イベントなので、こんな按配である。
 ペットボトルの類は思う存分、陽光を浴びてもらった方がいい。逆にそうは言ってはいられないのが夏の河川敷利用者である。若い姉妹と男二人は帽子を被っていない。見るからに暑そうである。一・二・四の女性三人はしっかり着帽していて、無帽の四人を気にかけつつも涼しげな顔をしている。「いやぁ、こんなに日が照ってくるとは予想できませんでした」 初音は気象予報士のようなことを言いながら、RSB(リバーサイドバイク)の前カゴをそのまま取り外して、一同のもとへ持って来た。
 「え、初音さん、そのバスケット...」
 「店長が気前いいもので。今朝作って持って来ました」
 「お姉ちゃん、スゴイ!」
 日替わりデニッシュを一週間分まとめたような豪華ランチパックが出てきた。櫻もデリやら白物でないパン類を多めに持ち込んでいたので、この時点で相当量に。さらに最年長女性がここぞとばかりにお荷物を広げる。「この間の大雨でどうなるかと思ったけど、ホラこの通り」
 ご自慢の自家製野菜が顔を出す。弥生にもおなじみのニンジンとキュウリのスティックの他、そのまま食べて全く差し支えなさそうなトマトとトウモロコシ。旬の地場モノである。ある程度スッキリした干潟、幾分透明度が回復した川の流れ。心地良い風景とこの健康的な昼の膳。正にピクニックである。弥生と六月はバスに乗る前にバタバタと調達したおにぎりが数個。「本当は何か用意しようと思ったんだけどぉ、へへ」 ちょっと株が下がった姉を横目に、弟は早速トウモロコシにかぶりつく。「そう言えば千さん、お弁当は?」 弥生のツッコミが飛んで来た。
 「櫻さんにお任せしちゃってて、その...」
 「まぁ、妬けるというか灼けるというか」
 櫻は蒸し暑いんだか、照れてるんだか、とにかく赤らんだ顔で、話を逸らそうとする。
 「今日はこの出番、なかったわ」
 「あ、櫻さん、そのカウンタ...」
 「私、カウンター係ですから」
 いつもセンターで繰り広げられている掛け合いが始まった。
 「収穫前のトマトを数えるのに使おうと思ったら、見つからないんだもん」
 「なぁんだ、チーフだって私用じゃないですか」
 「カウンタとしては、ゴミの傍でカチカチやられるの不本意なんじゃないのぉ」
 「トマトくらい自分で数えろって、言ってますよ」
 若い姉妹はそのトマトを齧(かじ)りながらククク。千歳も笑いを止めるのにひと苦労。
 「そうそう、先生と研究員の分、とっとかないと。初音さん、櫻さん、この辺のいいかしら?」 用意のいいチーフはラップを取り出すと、まだ手付かずの分を適当にくるんでキープ。こうして、多めと思われたランチ一式は消化されていった。サスティナブルな会食である。ちょっと落ち着いたところで、千歳は思い出したようにバッグをガサゴソやり出す。
 「はい、これは桑川さんの分。石島さんは二枚」
こ「あ、ありがとうございます」
や「千さん、ポイント稼ぐのうまいなぁ。今、何点?」
 妹は姉に、姉は弟にそれぞれ今日来られなかった人物について話をしつつ、ケラケラやっている。文花も「この人が噂のGo Hey氏?」と首を突っ込んでみたり。櫻は優しいお兄さんにウインク。今度は千歳が紅くなっている。

 「小梅さん、さっきのマップ、も一回見せて」
 「まだ下書きなんだけど」
 「字も上手いけど、絵はもっと上手なのねぇ」
 実姉は複雑な心持ちだったが、妹が目を輝かせる瞬間を目の当たりにして、気持ちが変わった。話術というか呼吸というか、そういうものを少しは見習おう、と。櫻はいいお手本だった。

 さて、ちっとも戻ってこない釣り人と俄か助手はと言えば、
 「先生、あの自然再生の本てどのくらい浸透したんでしょうか」
 「さぁね。お役人が少しでも読んでくれれば御の字なんだけどな」
 「私、先生が止めさせた造成地(再生事業地)とか実際に行ってみて、『人が余計なことをしなくても自然は還ってくる』て本当だなぁ、ってつくづく...」
 いい読者がいてくれたものである。加えて言うなら「自然には自然の都合がある。それを人の都合で恣意的に変えてしまっていいようはずがない」という一節。自分で言葉を継いでいた掃部先生は感極まったか、手元が狂い、餌のアオイソメを落としてしまった。「あっ、いけね」 暫時沈黙が流れる。が、マハゼが跳ねるのに呼応するように、助手は沈黙を破る。
 「あ、それと一時停止違反、すみませんでした。私、あせってて」
 「いやいや。あれくらい元気がなくちゃあ、な。俺も目測誤っちまったからいけねぇんだ。いいってことよ」
 傍から見ていると親子のようなワンシーンである。なかなか戻ってこない訳だ。

 塾も今日は夏休み。余裕綽々(しゃくしゃく)の妹に対し、姉の方はパタパタ支度を始めるや否や、「私、そろそろお店戻りますね」と一言。挨拶もままならない状態で、RSBひとっ走り。「気を付けてねぇ!」 櫻の声、届いたんだか?
 「初音さんて、いつもあんな感じ?」
 「ムラっ気はありますね。お天気屋さんかも。しょっちゅう顔色見てますよ」
 「ハハ、私も気を付けないと」
 「櫻さんは大丈夫ですよぉ」
 「私の場合は浮き沈みが、ね」
 十三時近くになった。ランチタイムは一旦お開き。袋の片付け分担は、スーパー行きが櫻、その他の大小一つずつを千歳、ということに決定。
 「四人でもうちょっと待機してるから、お二人はひとまず行ってらっしゃい」
 「ハイ、じゃ後ほどセンターで」
 自転車の二人は、櫻が左、千歳が右、それぞれに走って行った。「あの二人、何か絵になるわねぇ」 一女は何かを確信したようだった。

 干潟の下流側の突端を回り込んでさらに進むと、別の上陸ルートに出る。清澄と南実は、プチ探検をしながら一同のもとに引き返しつつあった。道中、赤黄色の花々の小群生に遭遇。「夕方になると開花すると思う。ヨイグサの一種で...」 南実を一瞥し、「その名は『コマツヨイグサ』。小松さん、だったよな」
 「聞いたことはありましたが、ここで出逢えるとは」
 「お導きだぁな。可愛がってあげなさい」
 「先生、またいらっしゃいますよね?」
 「美人に囲まれるの悪くないから、な。あとは風に訊(き)いとくれ」

 野球の試合は午后から。その準備が進んでいた。ピクニックが催されていた場所の隣地グランドでは、河川事務所にお勤めの監督さん率いるチームがキャッチボール中。監督は外野の乾き具合を確認しがてらブラブラしていた。
 「おぅ、石島じゃねぇか」
 「あちゃあ、掃部(かもん)先生。またご巡回ですか?」
 「今日は自由研究さ。あぁ、そこのし潟の崖地、ちょっと崩れちまったけど、手ぇ出さなくていいからな」
 監督さんは一礼すると、そそくさとベンチ方向へ去ってしまった。
 「清さん、あの方、石島さんて」
 「河川事務所の課長さ。最近ちっとは話がわかるようになってきたが、所長が変わるとそいつの意向に合わせちまうから、油断ならなくてよ」
 「いえ、今日の若手姉妹と苗字が同じだから、もしかしてって」
 「あいつにあんな愛らしい娘さんがいたら、ハゼもウナギも腰抜かすだろよ」 腰ってあったっけ?

 当の娘さんはボール探しに興じていた。父親が程近くにいようがそっちのけ。硬球だけかと思ったら、テニスボールがいくつかとミニサッカーボールまで出てきた。人目に付きそうな所に転がしておく。「あら、別ルートから帰って来たわ」 弥生と六月は二人を捜しに行っていたが、見つからないもんだからスゴスゴ引き返して来たところ。学者と研究者がそろって探検するからには、その足取りが簡単に掌握されては名が廃る。姉と弟は胸をなでおろしつつも「やられたぁ」となる。

 試合予定がない方のグランドのベンチで、遅いランチにありつく男女。何とも不思議な構図である。「こっちの二人は、さながら先生と助手ね」 文花は手を振りつつ、グランドを後にする。弥生、六月を連れ、その後方に自転車を押す小梅が続く。「三姉妹と末っ子って感じだな、ありゃ」(清談) レジャーシートに覆われていた草地からはユラユラと蒸気が上がっていた。気温は上昇一途。三十度、超えるだろうか。

 夏休みに入り、ちょっと息抜きモードの女性教諭。別件で某駅に来たが、例の無料送迎バスを見つけてしまったからには乗らない手はない。その複合商業施設に向かう途中のことである。
 「あれれ、六月君だ。と、石島さんかしら? 大きくなったわぁ。で、あの女性(ひと)、もしかして矢ノ倉?」
 橋半ば、バスはスロー走行なので、通行人をこのようにしかと認識できたりする。別に噂している訳ではないのだが、文花は再び「クシュン!」。しばらく止まっていた分、反応も過剰?
 「ぶんかさん、大丈夫ですか?」
 「だから、ぶんかじゃなくてぇ、ハ、ハァ」
 「そうそう、六月君。堀之内先生ってまだいる?」
 「担任だったりする」
 「へぇ、そうなんだぁ。元気?」
 「喜怒哀楽激しいけど、一応元気かな」
 今度はバス車内でクシャミをする女性一名。「あー、行っちゃった。ま、いっか」 何となく窓を叩いたりしてみたが、三姉妹と末っ子チームは誰一人気付かなかった。十三時半過ぎの出来事である。

 空のペットボトルをカラカラやり終えた櫻は、スーパーをとっくに後にしていたのだが、荒川沿いを走ることなく、送迎バスが通る道を進んでいた。明らかに遠回りなのだが、手強い誰かさんに捕まるとまた返事に窮する質問をされそうだったので、避けていたのである。「ハッキリさせておいた方がいいのかなぁ。そういうの苦手だな...」 ボンヤリ走っていたら、橋の方向へ右折するのを失念。「ハハ、私としたことが」 こんな調子だったので、先を歩く四人に追いつくことはなかった。

 「あれ千さん、一人?」
 センターの入口に佇む三十男。バリバリのイケメンではないが、三枚目でもない。韓流俳優で似たようなのがいたような、といったところ。日焼けしようなんて意識はなかったんだろうけど、干潟がビーチ代わりになっていたようで、陽射しを浴びるに任せてたら、期せずして夏男のような様になってしまった、という訳。海ではなく川で灼いちゃうあたりは三枚目(?)である。
 「櫻さんと待ち合わせして来なかったの? やぁねぇ」 チーフまでそんなこと...
 「途中で会わなかったんですか? 遅いからてっきり皆と一緒かと」 千歳の弁明空しく、
 「きっとどこかで待ってるんだよ。あーあ」 少年にまでこう言われちゃ立つ瀬なし。やっぱり三枚目な千さんであった。
 「お待たせっ! 皆、どしたの?」
 「さ、櫻さん、ハハ」
 千歳は全身から力が抜けるようだった。「隅田さん大丈夫、ですか?」 今、救いはこの少女のみ?

 「文花さん、空調早く」
 「はいはい。ただし、二十八度よ」
 「それじゃ外の気温と変わんないじゃないすか。除湿でいいから」
 「除湿? いっそのこと打ち水でもしようと思ったのに」
 「ったく。小梅さん、ああいう大人になっちゃダメよ」
 「へへへ。櫻さんも文花さんもおもしろーい」
 とまぁ、臨時開館となった環境情報センターは、乗っけから賑やかなのであった。

(参考情報→打ち水の効能

 打合せネタはいくつかあるが、今日のところは、①発行物や当面のイベントなど、櫻が入力を続けていた各団体の個別情報と連絡先などの基礎情報との連結、②その連結した結果をセンターのホームページにどう掲載するか、③データベースソフトとホームページを連動させるプログラムをどう作るか、④時間があれば、櫻の取材成果などを載せるコーナー(ブログもどき?)の設定、という感じ。議題をホワイトボードに書き出すチーフ。こうした仕切りはミーティング慣れしていないとできない。研究機関ご出身というだけのことはある。
 「ところで、あの若いお二人さんはあそこで平気かしら?」
 小梅はマップの清書を始め、六月はノートに罫線を引き、種類別の整理を試みようとしている。
 「あのくらいの年の子だと、ゲーム機とか持ち歩いて、放っておくとピコピコやってたりすると思うんだけど、違うのねぇ」 そんなことを気にかけながら、チーフは麦茶を用意しに行ってしまった。という訳で、まずは三人で①の議題。データベースソフトでのこの手の操作は、千歳にとってはお手の物。ただし、団体の名称が微妙に違ってたりするので、簡単には連結結果が表示されない。一つの団体の中に複数のグループが含まれていて、そのグループ名で月刊誌が発行されてたりするものだから、一筋縄ではいかないのである。円卓上のノートPCは熱を帯びてきた。十四時ともなれば外気温もピークを迎える。これでは空調も効かない?
 麦茶効果か、一口啜(すす)ったところで妙案が閃いた。「櫻さん、団体連絡先の電話番号(末尾四桁)って全部違いますか?」
 「えぇ多分」
 「じゃ、これでIDをとりましょう」
 弥生は千歳独特の実用的アプローチに感心したようで、ツッコミ封印中。しばらくして、団体の基礎情報の中に四桁のIDが割り振られ、今度は個別情報の中にIDを入れる用意ができた。幸い個別情報の方は、基礎情報ほどの件数にはなってなかったので、ちょっとした小細工を使い、ある程度一括してIDを入れ込むことができた。櫻のチェックも含め、ここまで十五分ほど。チーフは少女少年の様子を見たり、PC画面を覗いたり、落ち着かない様子だったが、①の件が早々と見通しが立ったとわかるや、窓際の席でゆったりと麦茶をカラコロやり始めた。日傘ハットは被っていないが、サングラスはそのまま。やはりお忍びさん気取り? その間、IDをキーに基礎と個別がつながった。次はこの情報をいかに広く発信するか、である。議題は②に移る。
 ホームページは役所の仕掛けと部分的に連動していて、ブラウザ上で記事の書き込みやコーナーの改廃ができるようにはなっている。容量上限は不明だが、PDFファイルの添付も一応可能。やや変則的だが、団体のよみ(あ行~わ行)に応じていくつかブロックに分け、一覧表形式のページを用意。そこに基礎+個別のPDF情報を並べ、クリックして見てもらう。そんな感じで当面はしのぐことにした。大人にとっても夏休みの宿題が与えられた格好である。記事を載せるのと手法は同じ。あとは櫻が時間を見つけてPDFを作ってアップして、という話でまとまった。個別情報の追加、基礎情報との連結、そこまでは確認済み。連結したデータはブラウザで閲覧しやすいサイズでPDF化できればいいので、今日はその調整に時間をかける。
 チーフは再び若い二人と話をしている。二人ともメドが立ったようで、余裕のコメント。
 「夏休みの宿題はさっさと片付けて、八月に思い切り遊ぶノダ」
 「今年みたいに梅雨が長引きそうだと、宿題するにはちょうどいいっていうか。ヘヘ」
 弥生の思惑(?)通り、すっかり意気投合した観のあるご両人。さすがのチーフも脱帽(いや脱サングラス)である。大人の方の宿題はいかに?
 「じゃ、ごほうびに三時のおやつにしますか」 六人は手を休め、水羊羹にありつく。七月で異動になった須崎課長が挨拶で持って来た一品だとか。
 「エ、地域振興から環境の部署に?」
 「事業委託主になるってことかしらね」
 「何かやりやすいような、その逆のような...」
 おやつの後も打合せは続く。小梅と六月は、自由研究のブラッシュアップを兼ね、一階の図書館に下りて行った。宿題をするには打ってつけの環境である。

 「ところで弥生ちゃん。プログラム作ってもらうとしたら、どのくらいお支払いすればいいの?」
 「卒論のテーマにさせてもらえるなら、別に無償で構いませんよ」
 「じゃ、インターンってのはどう? 好きな時に来てもらえば、その時間分はバイト代も出せるし」
 「なーるほど!」
 「ねぇ、チーフ?」
 ホワイトボードに何やらメモをしつつ、議事を進めていた文花。ふと手が止まる。
 「桑川さん、週に何時間くらい来られそう?」
 「夏休みの間はそれなりに来れると思いますけど」
 「そうね。学生インターン... ひとまず期間限定ってことでよければ。OK」
 チーフなりに先を見据えての暫定的な承諾ということのようだった。インターンはインターンである。夏休みが明けたらまた考える、いやいっそ新たに人材を増やすというプランもなくはない。ある人物をすでに想定しているようにも窺える。
 ③の件は、弥生が来るようになれば随時対応可能ということで落着。試験用のwebサーバは、カウント画面の設定と同じく、千歳が持っている領域を使うことにした。残るは④、櫻さんコーナーの新設である。
 「センターのホームページの中って、ちょっと違和感あるかも...」 センターのホームページの記事投稿形式では、複数の画像を貼り付けるのが困難という事情もある。
ふ「それじゃあ、隅田さんのドメインを間借りしたら?」
ち「『漂着モノログ』はメジャー系ですけど、マイナー系でよければいくらでも」
や「誰かさんみたいに月に二回とかじゃなくて、日記調でマメに、ね」
ち「そもそもブログってのは、ジャーナリスティックなものなんだ。日々のよしなし事どうこう、じゃなくたって...」
 あとは、櫻本人の意向次第だろう。ここで進行係が切り出す。
 「まずはタイトルでしょう。ボードに書いてくから、言ってみて」
 「櫻が往く」は弥生発案。さくらでいいならと、千歳は「心はいつもさくら色」。
 「何それ? 千さんやっぱし」「エ、いや何となく」 櫻は俯いたまま。
 チーフは、何を思ったか「サクサク、ランラン♪」とか書いて「どう? ブログっぽいでしょ」と自賛している始末。こういう議論はえてして本人そっちのけで盛り上がるものである。しばらく考え込んでいたご当人は、
 「届けたい・・・ かな」
 勝手にさくら路線で話を進めていた三人は不意打ちに遭うと同時に、心を打たれていた。簡潔ながら広がりを感じさせるタイトル。即決である。弥生は内心「さすが櫻姉」と拍手を送る。チーフと千歳は「おそれいりました」と声をそろえつつ、低頭モード。
 「じゃ改めて、記事とか画像とか載せ方を書いたものをメールしますね」
 「ハイ! でも、千歳さんにはお世話になり放しで... スミマ千」(一礼)
 「何を仰いますやら」
 午後四時になろうとしている。二人だけの時間、ではないが、一日のうちで一緒に過ごしている時間としては最長を更新中である。午前中は途中から長く感じたが、午後、センターに来てからはとにかく早い気がする。櫻にとっては物憂げな夏の昼下がり。

 議事が済み、時間にゆとりができたので、今日はこの場でワイワイやりながら、モノログを更新することになった。図書館はまだ閉館時間ではなかったが、下の二人も戻って来た。宿題の成果を見せてもらいながら、「自発的環境教育」を引き続き模索しようと、文花は二人に面談を申し込む。円卓ではPCを操作する千歳と彼を囲む二人の女性。両手に花とは羨ましい。デジカメからメモリを取り出し、PCのスロットに入れる。午前中の記録が鮮やかに展開されていく。スクープ系のみならず、さりげなく人物も配されている写真の数々。肖像権を気にしてか、人物写真は控え気味にしていたのだが、最近はそうでもない模様。あるがままの記録を重視するようになっていた。
 「あれ? この最初の写真は」と弥生がツッコミを入れたところで、ベースの重低音がガツンと来る着メロとともに、彼女のケータイが鳴った。「あ、おばちゃんだ」
 「ちょっと千歳さん、この写真...」
 「織姫様です。よく撮れてるでしょ」
 「いつの間に? 弥生ちゃんに知れたら大変。危なかったぁ」
 千歳君はお気に入りの一枚をメモリ上にもそのまま残しておいた訳である。七夕(同行調査)時の他の画像は、彼のPC本体に移動させるとともに、櫻には某サイトのフォトアルバム機能を使ってコピーを渡してあった。そこまでは良かったのだが... 確かにヒヤヒヤものである。
 櫻には呆れられるか、咎(とが)められるか、と首をすぼめていた彼だったが、思いがけずにこやかだったので、小さくひと息。今は髪を下ろしている櫻。七夕は過ぎれど、またサラサラだか、ザワザワが始まった。あわてて視線を画面に戻す。
 「失礼しました。画像は選び終えましたか?」
 「蒼葉、何だって?」
 「仕事終わったから、寄れたらここに来るって」
 千歳は傍らでパタパタとやっている。いつもの早業かと思いきや、行事が変則的だった分、手こずっている? いや、
 「何か、定例のモノログよりも充実してない?」 弥生ご指摘の通りである。つまり、
 「今日は過去最多九人だったから、いろいろな視点が出てきた、ってことだと思う」
 文花との小面談を終えた二人から、櫻がネタを持って来た。「じゃ、これとこれも、ね」
 立派に仕上がったマップと一覧表。図書館で調べた成果として、用語解説のようなものもしっかり付されている。スキャンしてもよかったが、バッチリ載せる訳にもいかないので、デジカメで軽めに撮影して転載。これで七月二本目のモノログは概ね完了。作品がブログに載ったというのもさることながら、文花と話をする中でさらにモチベーションが高まっていたらしく、夏休み中は、自由研究をまだ続けるようなことを若い二人はのたまう。これは本人の資質なのか、それとも現場での実体験(現場力)の為せる業か、はたまた周りの大人達のサポート故か... どれも当てはまりそうである。
 「今朝は雨混じりだったから、行くかどうか迷ってたんです。でも、モノログ見たら『決行』って出てたから」 弥生にしては珍しく(?)モノログを評価するご発言。ブログの掲示板としての機能の有効性が少なからず立証されたことになる。
 「おかげで自由研究、バッチリさ」
 「ところで、桑川さんはブログとかやってそうだけど、どうなの?」
 「内緒、内緒」
 「それはないっし...」と言いかけた弟の口を塞ぐ姉。実の姉弟ならでは、のやりとりである。おあとがよろしいようで、ひと足先に帰途につく。
 「あれ、蒼葉と会わなくていいの?」
 「いえ、六月がお気に入りなもんで、会わせるとまた『萌えー』とかやり出すから。小梅ちゃんにも悪いし」
 六月君は年の近いお姉さんと談笑中。微笑ましい光景である。

 午後五時。二女がマップを見せてもらっていると、
 「あ、おばさん」
 「またぁ、お姉さんて言ってよね」
 マップ上では、水生関係の生き物のみならず、アリやチョウも描かれている。あいにく青ガエル(?)にはお目にかからなかったが、青が付く人がここに来て現れた。
 「へぇ、これ小梅ちゃんが描いたんだ」
 画家の目にどう映ったかはいざ知らず。だが、櫻の方はまたしても「いいもの」を思いついたようである。
 マップに載せてくれと言わんばかりにセミの声が届き始めた。セミが鳴り止むと少女は、「また来てもいいですか?」 照れながらもハッキリと一言。「もちろん!」 三人のお姉さんに見送られてのご帰宅である。

 「そうそう隅田さん、今日の手当は?」
 「時給じゃ申し訳ないし」
 「櫻嬢とのデート権ってどう?」
 「もう、お節介!」
 「七夕デート、楽しかった?」
 「だからあれは調査ですから!」
 「ほら、引っかかった。やっぱり一人じゃなかったんだ」
 「あ...」
 千歳は満更でもなさそうだったが、確かに余計なお世話ではある。苦笑いしつつ、話を戻す。
 「実質的な入力作業は櫻さん担当ですから、僕は別に」
 「ま、櫻さんから連絡してもらうわ。ね?」
 干潟では冴えないチーフだったが、ここへ来て絶好調である。
 後片付けをしながら、片手間にケータイメールを打つ先輩。送信先の後輩は、帰りがけ、定点調査スポットでペレットを捜索中。暑さも何のその。いつしか太陽の高度が下がっていた、という集中ぶり。当然、メール着信にも気付かない。

 橋の方向へ走り去って行く千歳を見送る姉妹。妹は姉をからかうように、
 「隅田川の花火を隅田さんと、とかいいの?」
 「ハハハ。今日は何か気疲れしちゃって... それどこじゃないわね」 今夕は辛うじて晴れているが、梅雨はまだ続くんだそうな。櫻の胸中も梅雨の如く湿気ている。いつ明けるのか、これは愛妹にも誰にも予想できない。