2007年11月27日火曜日

18. C'est la vie.

八月の巻

 月が変わって、梅雨も明け、東京は連日の猛暑に見舞われている。クリーンアップ予定日の五日も高気圧の勢いそのままに、朝から強烈な日射が燦々。荒川は水をたっぷり擁しているので涼し気に見えるが、こうも高温だと湯水になっているのではあるまいか。上流からは低温の水が流れてくるはずだが、流すうちに茹(ゆだ)ってしまうんじゃ「たまらない」。さっさと海へ流したい、というのが川の本音だろう。南実からは今回見送りの連絡とともに、いつものように定刻の十時だと潮がまだ高いかも、との一報を事前に受けていたので、モノログ上にも臨時掲示板情報として、今日の開始は十時半と打っておいた。石島姉妹は家族で旅行中との報を桑川姉弟から聞いていたし、業平には別件でメール連絡しておいたので、この日はあわてて出かける必要もなかったのだが、そこは素直な千歳君。早めに現地で待っていれば、リーダーも早々に現われるだろう、という読みでそそくさと宅を出る。温水(ぬるみず)を流したい一心なのかどうかは不明だが、どうも流れが速い感じの荒川。その流速に比例するように、今日はノロノロではなく、軽快にペダルを漕ぐ千歳だった。

 時同じくして、千住姉妹はと言うと、どうもいつもと様子が違う。
 「櫻姉、ほんとに行かないつもり?」
 「バテちゃったみたい。千さんには八月病だって、言っといて。うぅ...」
 「はいはい。お大事に」
 確かに暑さ厳しい折り、わからなくもないのだが、夏風邪なのか、夏バテなのか、はたまた「何が八月病よ。恋わずらいでしょ」と姉想いの妹はあっさりと分析してみるも、特に心配する風でもなく、小気味良さげなのであった。姉の自転車を借り、颯爽と風を切る。橋に入ってからは速度を落とし、干潟を一望する。まだ誰の影も見当たらない。千歳は伸び盛りの草陰にいるので、彼女の視野には入らなくて当然である。徐行気味に走る蒼葉。その後を追うように路線バスが近づいてきた。車窓から干潟方向を眺めていた一人の少年は、ここで憧れのお姉さんを見つけて大慌て。「あ、蒼葉姉ちゃんだ!」 誰かさんみたいにおばさん呼ばわりしたりはしないが、姉ちゃんてのも考え物。ちょっと馴れ馴れしい気がしなくもない。
 自転車とバスは抜きつ抜かれつで並走していたが、六月が停留所を降り立った時には、お姉さんの自転車は彼方を走っていた。「どこ行くんだろ? 干潟に用があるとも思えないしぃ」 実姉が一緒ならケータイ一発で確認できるところ、その姉を振り切るように飛び出してきた手前、ちょっといたたまれない六月君なのであった。「一緒に来りゃよかったかなぁ。でも、プログラミングがどうとかでいそがしそうだったし...」 今日のクリーンアップはどうやら少人数になりそうである。
 干潟へ通じる細道の周辺は、掃部(かもん)先生が人知れず刈ってくれたらしくスッキリしていて、その切り口からは熱に煽られてか夏草の薫りが漂っている。そこへ新緑というか青葉というか、また違った色香を秘めた女性が乗り付けてきた。人には雰囲気というものがあるが、蒼葉の場合、それは人一倍強いようで、鈍いというかスローなあの人もすぐに気付いた。
 「あ、蒼葉さん!」 自転車は徐々に近づいてくる。「どーもっ!」
 時は十時十五分。ようやく潮が後退局面に入ってきた感じ。干潟から去ろうとする水の流れはやはり熱を帯びたようにまどろんでいる。もっと早く退いてくれてもいいのだが、本流の勢いとは裏腹にこの辺はどうもバテ気味のようである。
 「あれ、お姉さんは?」
 「もし本人が今日来なかったら、あとで事情をお話しします」
 「どこか具合でも?」
 「八月病... あ、いえ何でも、アハハ」
 退潮の動き同様、何ともまどろっこしい話し振りである。
 リーダーが来るのか来ないのかハッキリしない中ではあったが、ひとまず道具類の点検などを始める千歳。払底していたと思われた四十五リットル袋は、ベランダの収納庫に眠っていた分が発掘され、今回はバッチリ。小型バケツに二リットルの空ペットボトルにマイカップにデジカメ... 水筒代わりに使っている別のペットボトルには発泡性のミネラルウォーターを入れて来た。持って来ていないのは、クリップボード、受付台帳、太ペン、カウンタといったところ。蒼葉の方は、持ち主がわかった例のK.K.絵筆の他、鉛筆画に必要な道具類と簡単な画用紙、それと軍手、ケータイ。二人の持ち物を寄せ集めれば何とかなりそうな気はするが、道具以上に重要なのはコーディネート役、だろう。一抹の不安がなくもないが、「今日は参加人数も少ないし、十時半開始予定なので、今ある程度準備しておけば大丈夫かなって」 発起人は気楽に構えている。

 見慣れない三十男が向こうからやって来て、左に折れた。今日はサングラスをしていて、チョイ悪な印象。RSB(リバーサイドバイク)ライダーのあの人である。小六男子はちょっとビビったが、そのライダーの後にできた轍を追うようにグランド脇を歩いていく。外野ではカラスの小集団が羽を休めているが、熱吸収の良い己の黒さが恨めしいようで、どの個体も羽をジロジロ見るばかりで鳴き声ひとつ上げない。こういう光景も不気味ではある。開始時刻まではあと十分ほど。
 図らずも同じような格好をしている二人の男女を見て、業平君が後ろから声をかける。
 「あれ? いつもと違うご両人。ペアルックてか?」
 「あ、業平さん... ですよね? この間の掃部先生みたい。ハハ」
 サングラスをかけてる点が先生と共通ってだけで、風貌は全然違うのだが、こう言われちゃ笑うしかない。いつもながら漂着ゴミが押せ押せになっているのだが、まだ全容は掴みきれていない。先の自由研究クリーンアップで大袋などは回収しておいたので、幾分減ったような気はするものの現実は現実。ただそれを真に受けて沈鬱になっていても仕方ない。そう、笑う門には何とやら、である。だが、蒼葉に言わせるとズバリ「C`est la vie」なんだそうな。そこまで達観しなくても良さそうだが、「そういうものなのよ」と屈託ない。
 水も汲んできたし、ひとまず見通しも立ったことなので、三人で干潟へソロリソロリ。そこへ小六の彼が駆け下りてきた。
 「お、六月選手、来たね。一人?」
 「へへ、自由研究の続き、と思って... あ、蒼葉さんだぁ」(萌えモード?)
 「元気してた? でも、夏休みなのに鉄道旅行しなくていいの?」
 少年はすっかりのぼせたようになってしまって、言葉が出ない。前回の威勢の良さは影を潜め、俯き加減。千歳は「まぁ、そういうもんだ」(これもセラヴィの発想?)と自分を見ているように傍観している。業平はちょっかいを出すのかと思いきや、「少年、どーした? お姉さん、コワイかい?」と来た。助け舟を出しているようなそうでないような。
 「あれ、もしかして、Mr. Go Heyさんですか?」
 サングラスを額にずらしていたので、写真で見た人物とやっと一致した模様。先刻はビビったが、今は内心「なぁんだ、あの三枚目さんか」となる。少し正気に戻ったようだ。
 「一応、自己紹介しますか」 千歳は蒼葉から画用紙を一枚失敬して、太目の鉛筆で名前を走らせていく。千歳→蒼葉→六月→業平の順だったが、蒼葉から六月というところがポイント。鉛筆を受け取る時もドギマギ状態の少年は、「じゅ、18きっぷの旅はお盆が終わってから、ですね」というのがやっとこさだった。「そっか、あの桑川女史の弟さんかぁ。今日はお姉さん来ないの?」と業平は何の気なく尋ねていたが、蒼葉はちょっと不服なご様子。「弥生ちゃん来ると、業平さんタジタジでしょ!」 今日の人間模様も目が離せない。

 十時半を回った。水位が下がるのに引きずられるように、干潟を這う水の流れが目に留まる。流れを辿ると何たることか、崖地から滲(にじ)み出す細い水脈に行き当たった。晴天続きながら時に激しい雨が降ることが多かった八月。グランドなどに浸み込んだ雨水が出口を求めて、この干潟に注ぎ出してきた、ということらしい。ちょっとした湧水が幾重もあり、支流の態を成している。支流はやがて本流へと束になり、本物の荒川へと注ぐ。その紋様、そのうねりは小細工ながら実に精巧で、「生き物としての川」というのを認識させてくれる。四人はしばし細流(せせらぎ)を追っていた。そして、千歳はデジカメ、蒼葉はケータイでその模型を撮ろうとした時、毎回恒例のサプライズは起こったのである。

(参考情報→湧水は干潟を通り川へ

 「あぁ、ここだここだ」
 「八(ba)クン、待ってぇ」
 蒼葉よりも小柄だが、背丈はそろって同じくらいの男女が現れた。男の方は千歳がよく知る人物。女性の方もどこかで見たような見ないような...
 「隅田さん、やっと見つけましたよ。どうして教えてくれなかったんスか?」
 「手当出ないし、日曜くらいはゆっくり休んでもらおうかな、って」
 八クンと呼ばれていた彼、そう、あの宝木八広君である。いわゆる就職難の煽りで、正規の就職が叶わず、職業を聞かれれば今はフリーターと答えるしかない二十代中盤のこの青年。幸い、その多彩な職業経験が買われ、遍歴なんかを手記にしつつ、千歳が関わる市民メディアの小会社で編集の手伝いなどをしている。最近は千歳の記事のサポートに回ることが多く、独特のフットワークを活かして、自転車で走り回ったり、おなじみのセンターに顔を出したり、という日々。短髪、眼鏡、無精ヒゲ、が特徴である。そんな八広君の傍にいる時はデレデレ観のある彼女の方は、四人と顔を合わせるや否や、心なしか無愛想な相貌に。ここにやって来た面々の中では初めてとも言えるツンツン系キャラである。タンクトップにフリルブラウス、長めのティアードスカート、そして鋲入りのサンダル。これまでの女性達と違い、首、腕、腰などにチャラチャラと装飾品が多めなのがまた異色。弥生も初音もネイルアートは少しばかりしていたが、このお方は足の方もしっかりアートしていて、要するにちょっと突飛な印象な訳である。
 「こちら、奥宮舞恵(おくみや・まえ)さん。一応、彼女です」
 「一応って何よぉ。あ、皆さんヨロシク...」
 異色キャラにどう対処していいか、戸惑う三人+少年。接客係の櫻がいない分、負担が大きい。だが、千歳つながりではあるし、最地元でもあるので、
 「じゃ、受付名簿にお名前をどうぞ。名前が書いてあるのが今ここにいる四人です」
 と千歳が仕切り役を買って出て、場の空気を作る。新たに登場した強面(こわおもて)のお姉さんに面食らった六月だったが、彼氏の方には親近感を持ったようで、
 「宝木さんて、下の名前は何て読むんですか? 京成線のやひろと同じ?」
 「やつひろ、ってんだ。でも、八広なんてよく知ってんね」
 「この間、花火大会の時に久しぶりに乗って荒川を渡ったら、水際とかゴミだらけでした。ちなみに昔は八広駅じゃなくて『荒川』駅だったんですよ」
 てな感じで臆せずやっている。顔と名前を一致させる時、こんなエピソードを交えてだったら、よりしっかり覚えられるというもの。それにしても、八広が荒川だったとはねぇ。

(参考情報→荒川駅

 「何かおめでたい名前ですね。お宝に八で末広がり...」 蒼葉としては初対面かも知れないが、
 「あの、蒼葉さんて、六月五日、センターにいらっしゃいましたよね?」
 「え、あの日いらしてたんですか。こりゃ失礼しました」
 背丈の都合で、八広は蒼葉をちょっと見上げる感じになるが、その目線はどこかデレとしていて、正の彼女はそれをすかさず察知すると、
 「こら、八!」と、ハチ公呼ばわりで小突いたりしている。ま、仲のいい証拠だろう。

 「でも、この日この場所ての、何でわかったん?」
 「センターのページ見てたら、何やら『届けたい・・・』て新コーナーが出てて、その中をさらに見たら『漂着モノログ』のリンクが張ってあって... その掃部さんの講座に行って干潟の話聞いてたんで、ヒマを見つけては場所を探してたんスよ。で、モノログの写真見てピンと来て、あと今日十時半から、て載ってたから。それにしても、ヨシだか何だかが背高なもんだから、行き着くのに苦労しましたよ」
 「いつもの自転車じゃなかったんだ」
 「ルフロンと一緒にバスで」
 櫻のブログが動き出したのはわかっていたが、まさかセンターのホームページから辿れるようになっていたとは! 本人がそこまでやるとは思えないから、おそらくはお節介なあの女性(ひと)の仕業だろう。二人のやりとりが目に浮かぶようで、ニヤリとする千歳だったが、今日はあいにくそのブロガーご本人は不在。本当のところはわからない。
 「『届けたい・・・咲く・ラヴ・log』とか出てましたけど、あれってどなたのブログなんスか?」 レポートをまとめるのも相応レベルだが、それ以上に、コピーライティングのセンスを自負する八広としては、その秀逸なタイトルがまず印象深かったようだ。
 「ま、そのうちわかるよ。今日も本当は来るはずだったんだけどね」
 それにしても「咲く、ラヴ」って櫻さん、どうしちゃったんだろう?と不可解に思う千歳であった。開設したての時は出てなかったから、ここ数日の間に書き加えた、ということか。今日のお休みと何か関係があるのかどうなのか...
 お互いの紹介が済んだようなそうでないようなハッキリしないままだったが、画用紙に書いた名前はそれぞれ認識できたようなので、今は思い思いにバラつき気味。クリーンアップ開始前のウォーミングアップといったところか。少年はサングラスの三十男を連れて、前回の自由研究時の様子などを解説している。
 「銘柄調査とはよく考えたね」
 「でも、ラベルが剥がれてたりでメーカーがハッキリしないのも多くてさ。バーコードのところは結構無事なんだけど」
 「バーコードかぁ。ウーン」
 とまた何かを思いついそうな業平君である。この二人、どこか似ている気もする。
 蒼葉は鉛筆を片手に構図を練っているような素振り。三人とは付かず離れずの位置にいる。不意に八広のケータイが着信音とともに振動する。ドラムソロの着メロってのも珍しい。が、千歳には一本のストラップの方に気が向いた。確か某銀行のでは?
 「あのストラップ、銀行で配っている一品ですよね」
 「えぇ、私から彼に」
 これで千歳の疑問は解けた。同時にルフロンさんも何かを思い出したような顔つきになった。
 「隅田千歳さんでしたね?」
 「えぇ、三月に窓口で。いろいろいただいて、ありがとうございました」
 「あぁ、やっぱりあの時の...」
 窓口の時と同様、無愛想だった彼女だったが、これで少し表情が出てきた。世間は狭いというか、妙味で満ちているというか、とにかく仰天である。つい粗品についての礼を述べてしまったが、この行員さんにはもっと違った意味で御礼を言わなきゃいけないところだろう。櫻が今ここにいたら、サプライズを喜びそうな予感はあるが、話がややこしくなる可能性もある。今日不在なのは何かの思し召しということか。

 「間違い電話だった。人騒がせな」 その場を外していた八広が戻って来た。思いがけず舞恵が薄笑いしているので、珍しいこともあるもんだと訝ってみる。
 「そうそう、奥宮さんて何でルフロンなんですか?」
 「名前が『まえ』なんで...」
 「隅田さん、フランス語でね...」と八広が割って入ると、そこへフランス在住歴のある絵描きさんがさらに首を突っ込んで、画用紙にサラサラと綴り出す。
 「le front...男性名詞なんでle これでルフロン、ね?」
 楚々清々とした蒼葉に対し、その装飾品の様から錚々(そうそう)とした感じの舞恵。対照的な二人だが、実は同い年。にこやかに問いかけたものの、所作が気に入らなかったらしく、
 「東海道線の某駅の前にあるのと同じ」と軽く交わし、また無表情に。
 「ま、宝木君は別として、ここでは奥宮さんでいいですよね」 千歳は冷や汗。あぁ櫻さんがいてくれたら。

 何だかんだで十時四十五分になった。コーディネートというのは憚られるも、プロセス管理と言い換えれば、千歳の得意とするところ。要は流れというか段取りを組み立てて、その進行を円滑にすればいい、ということである。
 「では、皆さんそろったところで分担を決めましょう。六月君は自由研究の続きを兼ねて、飲料容器とフタ専門でいいかな。あとは男女一班で上流側と下流側ってことでお願いします。足りない道具はないですか?」
 軍手と袋の予備を新参のお二人に渡しつつ、
 「宝木氏、こういうの初めて?」
 「街頭ではやったことありますけど、川とか海は初めてス」
 「ぬかるみと波と、あと釣り針が落ちてることあるから、そういうのに気を付ければ大丈夫。奥宮さんもムリしないでね」 サンダルがちと気になる千歳。
 「あ、ハイ」 同じく足元を見遣る舞恵。彼女の立ち位置はさっきまで水が浸かっていた。そのまま佇んでいると、段々と凹んできたりする。その感触を楽しんでいるようだ。まぁいいか。
 千歳は初参加の二人を何となくフォローしつつ、記録係に徹することにした。いつものバッグは肩に担いだまま移動する。少年は、憧れのお姉さんとご一緒したかったが、干潟の奥に溜まっている各種容器に目を奪われ足が止まる。パッと見たところ、フタはあまり転がっていない感じだったが、前回のさばっていた巨大な草がなぎ倒されていて、あらゆる漂着物に手が届きやすくなっている。ここは小回りが利く男子の出番である。早々とポイポイやり始めた。千歳は現場の証拠写真を押さえる。

 期せずして同じ組になった蒼葉と業平。気乗りしている時は二人とも饒舌な口だが、なぜか今は黙々と除去作業に集中している。下流側は、まだ水位があって積石の方までは足が伸ばせない。カニの巣穴を覆っている大きめの袋ゴミを除けたり、埋没している腐食缶を引っこ抜いたり、淡々とこなしている。石の隙間が露出してきたのを見計らって、業平はさらに先へ。漂着物に対する嗅覚とでも言おうか、その勘は大したもの。早速、異物を発見した。
 「蒼葉さーん、これ見て」
 あわてて出てきたため、日焼け止め対策が十分でなかったモデルさんは、ヨシ群生の日影でゆっくり作業していたかったが、ちょっと気になるお兄さんにこう呼びかけられては行かない訳にはいかない。
 「え? 燈籠、ですか?」
 台座の方はすでに溶けかけていたが、蝋燭を囲む紙の筒はまだふやけている程度で、それが紙製の灯篭であることはひと目でわかる。蝋燭は溶けきったのか、それとも台座の一部とともに流れてしまったか?
 「荒川でも灯篭流しするんですね。流れきれずに漂着して、こうして原形をとどめてる、って。これは灯篭として本意なのかどうなのか」
 記録係がノソノソやって来た。「あ、紙燈籠?」
 「千ちゃん、これ知ってんの?」
 「今は灯篭流しって、すぐに回収するように指導されてんだってね。無粋かも知れないけど、できるだけ人目につかないところでボート出して網とかで掬うんだと。でも、これ見ると必ずしも掬いきれてない、ってことだね。ハハ」
 「救われない? フフ」 姉と同じような反応をする妹君。すかさず「そのまま溶かしちゃうと川が汚れるとか? CODでしたっけ」
 「へぇ、お二人ともよくご存じで」 業平は感心するばかり。
 「矢ノ倉さんに前に聞いたことがあって。でも、これ本当に溶けきるんでしょうかね?」
 「持って帰って、いずれ先生に聞いてみますか」
 当の掃部先生は、正にその灯篭の件で真相を確認中。ここより上流の某所で平和を祈念する音楽会と併催で灯篭流し行事が行われたはいいが、その回収が十分でなかった、というのを先生独自の地域ニュース網で聞きつけ、現物を捜し回っていたのである。彼等がいる干潟まではまだ到着しそうにない。

(参考情報→水溶性紙燈籠

 「そうか、掃部先生も今日はいらっしゃいませんねぇ。来れば話早いのに」
 「K.K.」イニシャルの絵筆を手に、蒼葉は溜息。千歳は漂着時の様子を克明にデジカメに収め、それが終わると発泡水を呑み出した。業平はさらに下流側へ向かっている。
 「水、私にも」 それなら、とマイカップを渡そうとするが、すでに口をつけて飲んでいる。姉の上を行く小悪魔蒼葉。肘袖の白Tシャツにクロプトのデニム。すでに結構日灼けしていて、夏女風である。この大胆な感じは姉とはちょっと違う。フランス帰りゆえ、なのか。
 七夕の時はサラサラ程度で済んでいたが、今はザワザワする感じ。心理面もそうだが、実際にヨシ群が熱風を受けて音を立てているんだから仕方ない。まんまと効果音に躍らされてしまった。しかしこの風、何と表現したらいいのか、暑苦しいという以上にちょっとした不気味さを含んでいる。午前十一時。まだ遠方だが、入道雲が出てきた。着実に高さを増している。

 六月もヨシのザワザワを嫌って、下流ではなく上流側に歩を進める。水嵩の脅威はこの日も感じられ、崖地途中から生えるヨシには、根元ではなく中腹くらいにゴミが絡んでいる。少年の目線からはちょっと上に当たるが、その絡んだ一塊の中に何かの魚の白骨骨格が飛び込んできた。「わぁ!」
 容器包装系ゴミをガサガサやっていた無愛想姉さんは、集めた袋を彼氏に預けると、六月のもとに近寄ってきた。彼にとっては二重の恐怖か?
 「どったの、眼鏡君?」 六月は無言で指さす。さすがのルフロンも目が点。
 「八クン! HELP」
 デレデレならぬベタベタで彼氏にくっついている。ここのヨシ集落も三人を嘲笑(あざわら)うようにサワサワ、いやセラセラか。
 「モノログで見た通り。いろんなもんがあるんねぇ」 年長の方の眼鏡君はケロっとしている。こわばった顔をしていたルフロンさんだったが、少年に悟られないように表情を戻す。そのヨシの根元には百円ライターが一つ。まだ使えそうな一品である。
 「あ、ルフロン、ダメだよぅ」
 チャラチャラな上にスモーカーな舞恵嬢は、トートバッグの脇から舶来タバコを取り出すと、その漂着ライターを点火。見事、着火させ一服やり出した。
 「火が点かなかったら吸わなかったワ」 これでサングラスでもかけさせたら、チョイ悪姉さんてとこか。「暴発しなかったからよかったものの...」 彼氏は気が気でない。
 咥(くわ)えタバコの姉さんは、大風のせいで無残な姿になって棄てられてしまった傘の柄を拾い上げると、六月がポイポイ放り出して集まった空き缶の類をカンカン叩き始めた。泥砂の入り具合で音程が変わることがわかると、振ってみたり、並び替えてみたり、試行錯誤している。程なくカウベルのような響きを持った音階ができ、ちょっとした演奏が始まった。
 「へへん、眼鏡君、どうよ?」
 蒼葉に対しては「萌えー」な六月君だが、舞恵さんに対してはどうだろう。(まえー、じゃ芸が無いし) タバコの煙を見ていると正に「燃えー」な訳だが、何とも名状し難い。そのリズム感、テンポの良さには、鉄道の疾走感に通じるものが感じられ、ただ心地良い、そんなところだった。が、この時、同じ憧憬でもまた違った感情があることを知ったのは確か。小学生最後の夏休み。多感な少年はこうして大きくなっていくのである。 タバコはさっきの紋様模型(消火用の湧き水ではないのだが)のところでもみ消され、付き人が差し出したケータイ灰皿で処理された。忠実な彼が時に「ハチ」と言われる所以である。