2007年12月4日火曜日

19. 八月病


 千歳マネージャーはタイムキープに関してはあまり得意ではないらしく、ダラダラと撮影記録を続けている。もともとスローな彼だが、折からの暑さがダラダラを助長しているようだ。発泡水に手が行くも、フタを開けようとすると手が止まる、その繰り返し。こういう状態をアタフタとはよく言ったものである。「フタ... あら、結構出てきた?」 六月の自由研究の見通しが明るそうなのが救いである。
 十一時十五分。ようやく号令がかかり、各班が集めたゴミの品評&計数が始まる。研究員がいないので詳しいことは言えないが、ヨシ束をバサバサやる要領だけは心得ている千歳。微細ゴミは別枠だが、ひとまずバケツに漬けてみる。思わずプカプカ出てきたので焦る焦る。「ハハハ。この手のプラスチック片は後で数えますね」 再び冷や汗の千歳君。
 この手の束をはじめ、細かい漂着物が干潟の奥で鬩(せめ)いでいた訳だが、これは例の不詳背高草が倒れていたおかげ。大きくなり過ぎて、身が持たず倒伏してしまったとすると、実に自虐的。だが、倒れてなお、防波・防潮に身を捧げたとするなら、ご立派の一言に尽きる。
 「この前はこんなに大きくなかったよね。千さん?」 少年にまで千さん呼ばわりされてしまった。だが、悪い気はしない。「千さんてか、じゃ君は六さんだね」 もう一人、名前に数字がつく人物がいるが、後回し。だが、その八さんは「この流木もインパクトありますね。防波堤みたいだ」と口を挟んできた。確かに背高草と連係するように身を固定し、発泡スチロール片やらミニ納豆の容器やら、水位が増せばあっさり流れ出てしまいそうなゴミ達を巧みにブロックしている。防流堤とでも名付けて敬意を表するとするか。
 そんな流出を免れたプラスチック類を再分類しながら、品目別に各自カウントを開始。職業柄なのかどうかはいざ知らず、ルフロンは目算、いや目計算が速かった。カウンタ要らず、である。そんなこんなで少人数ではあったが、それに見合うような集計結果がまとまった。とりあえず画用紙にメモする。

 ワースト1:プラスチックの袋・破片/三十六、ワースト2:食品の包装・容器類/三十一、ワースト3:フタ・キャップ/二十三、ワースト4:飲料用プラボトル(ペットボトル)/二十一、ワースト5:袋類・袋片(農業用以外)/十九といった具合。七月一日には多々見つかった硬質プラスチック破片と紙パック飲料が数個程度に激減したのには千歳も業平もビックリだった。いったい何が原因なんだろう? 代わりと言っては何だが、今回は新たにガラス片や陶器片が二つ三つ見つかった。漂着物の変化に何らかの因果関係があるのかどうなのか、これは中長期で統計をとればわかること? ムムム。臨時リーダーは思いを新たにするのだが、それも束の間、頭が重いネタがあったことを思い出した。微細プラスチック(レジンペレットなど)である。これをしっかり数えると、おそらくワースト1になるところだが、今はひとまず置いといて、数え終わった分をデータ送信するとしよう。しかし次なる試練が。「あ、ケータイ画面、どうしよ」 櫻、南実、弥生... 三人の存在の大きさを痛感する千歳であった。

(参考情報→2007.8.7の漂着ゴミ

 「はいはい、千さん。私、やりますよ」 どうやら操作をマスターしたらしい蒼葉が手を挙げてくれた。設計者の業平は傍で同じように操作して再確認している。八広も業平とあぁだこうだやりながらカチカチやっていたが、「あれ? バッテリ切れ?」 振動着信とか間違い電話がいけなかったようで、中断せざるを得なくなってしまった。ガックリ。
 「ま、八クン、いつもあんな調子なので、ケータイで連絡とるの止めました。ついでにケータイそのものもいっか、て感じで」 ここにもケータイやめた?派がいた。意外な感じもするが、「メール打てば、すぐ返事くれるし、すぐ駆けつけてくれるし、フフ」 巷に聞くツンデレさんとはこういう人のことを言うのか、と千歳は妙なところに感心する。
 蒼葉はうっかり保留機能を使わず、主だった品目の数を入れたところで送信してしまった。
 「アハハ。じゃ続きは業平さん、お願い」
 「蒼葉さん、干潟二周」
 「ハーイ」
 本当に干潟を回り出したから、五人は唖然。少年はここぞとばかりに付いていく。
 生活雑貨の詳細をまだ打っていなかった。極太マジックペン、キーホルダー、舞恵が手にしていた傘の柄とその他のパーツ、そのあたりはまだわかる。だが、歯ブラシ、ワンパックの使い切り洗剤、電気シェーバー、さらには使い捨てコンタクトレンズの容器、なんてのまで出てきたもんだから、「こりゃ社会の縮図だわ。金融業としても何か考えないと」と企業人らしい一面を大いに触発することになる。業平は、その他品目の入力に移っている。この際だから、具体的な名前を打ち込もうということらしく、「ねりからし」とか「玉ネギ」とか親指で器用にやっているから可笑しい。「それにしても、そういう食べ物関係が見つかるってことは、やっぱり...」 橋よりも上流側にバーベキューができる公園があることを最近突き止めた千歳は、次の一手を画策し出した。ゴールをどう設定するかは模索中だが、プロセスマネジメントを応用しつつあるのは明らか。単なるゴミ拾いで終わらせないための何かが動き始めている。

 雑貨の数々からずっと撮影を続けていた千歳だったが、恒例のスクープ写真の段になると、目の色が変わった。鉄筋あり、砂利袋あり、工事でもする気か!とツッコミを入れたくなる品々が出てきたのである。気合十分のカメラマンに対し、肩の力を抜けとばかりに少年が近寄ってきた。「千さん、これも」 見れば美少女キャラのフィギュアである。この間のモビルスーツといい、どうしてこんな... 肩の力どころか腰砕けになってしまった千さんであった。
 「可燃じゃないし、不燃てのもね。どっちにしてもゴミにするにはしのびないねぇ」
 「へへ、これはね『萌えるゴミ』なのさ」 フィギュアを見ながら、一人で「萌えー」とか呟いている。これには一同大笑い。八広も大いに煥発されたらしく、コピーだか散文詩だか、ブツブツ唱え出した。「萌える春、燃える夏、季節もゴミも移り往く...」

 スクープ系の最たるものは「紙燈籠」だろう。だが、原形を保持するにはレジ袋ではちょっと心許(こころもと)ない。プラスチック製のカゴなどでも良さそうだが、網状なのでイマ一つ。そんな折り、ジェットスキーが通過し、その勢いで出来た断続的な中波がどこからか発泡スチロール製の箱状容器を運んで来た。偶然ではあるが、彼等にとってこれは必然。
 「上流の影に隠れてたのかな?」
 「要するにこれを使え、ってことだね」 傘の柄で手繰り寄せる。ちょうどいい大きさである。フタつき。中は空っぽ。これなら原状そのままに先生にお見せできそう。
 「前回は布団と枕がのさばってたんだけど、見なかった?」
 「誰かが再利用してるんじゃないスか?」
 それはさておき、七月の回で湾奥に追いやっていた木片が露わになっていて、無言の圧力をかけてくるのが気になる。業平と八広は、鉄筋を運んで来るや、先の防流堤を強化するように押し付け、さらに木片を杭状に打ち込み始めた。汗が光ってサマになっている。廃材を使った土木作業、こういう工法を環境配慮型と言いたい。
 そんな作業員を横目に、ルフロンがポツリ。
 「隅田さん、ここで千住さんのカード拾ったんスか?」
 「そうなんスよ。信じてもらえましたか」
 「いやぁ、これなら有り得ますね。今日はカバンも落ちてたし」
 拾得物として届けるのは気が引けるので、とりあえずそのままにしておいた通勤用と思しきカバンが実は見つかっていたのである。何かのトラブルに巻き込まれた果てだとしたら... 漂着物ではなく、遺失物。モノログ対象外なのだが、放置しておいていいものか。ちょっとした葛藤が生じる。
 「ところで、落とし主さんはどんな感じでした?」
 千歳は櫻のことをまるで知らない人のように聞く。釈然としない舞恵だったが、
 「あぁ、何か気優しそうな、でもちょっとドジっぽい方でしたねぇ。あと『拾われた方ってどんな感じでした?』って熱心に聞いてました」
 「え? そうだったんだ」
 「三十くらいの好人物でしたよ、ってお伝えしておきました。その後、千住さんから連絡あったんですよね?」
 「そうなんだ」ではなく「そうだったんだ」という千歳の言い回しから、ピンと来ていた行員は、
 「隅田さんたらヤダなぁ。千住さんとはもうお知り合いなんじゃないですかぁ?」
 つい本心というのが出てしまうものである。自分でネタ明かししてしまった以上、隠し通せる筈はない。結局、話は進んで、
 「ちなみに、その櫻さんの妹さんが蒼葉さん」
 「そうか彼女も千住さんだった」
 となる。
 二周どころか、その後も六月と楽しそうに何周もしている蒼葉嬢。そんなもう一人の千住さんを見つめる舞恵の表情からはいつしかツンツンはとれていた。余計なものを取り除いた干潟は、水の浄化然り、人の心のトゲや粗目も除去してくれるようである。

 収集数が少なかった割には、総じてスローペースだったため、すでに正午近くになっている。冗長ながら集計と記録を終え、袋詰めも済んだ。スーパー行きの品々はペットボトルが少数程度の見込み。あとはそれを洗いながらフタの調査をするばかり。レジンペレットの類が悩ましいが、取り急ぎバケツごと運び出す。ワイワイやりながら一斉に上陸する六人であった。干潟のヨシは心地良さげに風にそよいでいる。だが、この清々しい感じがかえって気味悪い。太陽が時々隠れるくらいに入道雲が肥大化してきた。西の雲は灰色の濃度を強くしている。今度は空模様が心配だ。
 そんな雲のことなどそっちのけ。新たに取り外した分を含め、ひととおり洗い終わったフタを両手いっぱいに持って来て広げて見せる六月。三十有数はある。ペットボトル付属のプラスチックフタは、天然果汁たっぷりのオレンジジュース、コーヒー飲料、乳酸菌飲料、スポーツドリンク、緑茶系などに加え、特定不能な無印のものがチラホラ。一方、ボトル缶付属の金属フタは、そば茶にスポーツドリンクに何かのアルコール飲料といった程度。メーカー名のみのものが多く、残念ながら銘柄の特定には至らなかった。いつ、どんな状況でポイ捨てされたのかは兎も角、少なからず河川敷利用者によって、こうした飲料が嗜好されている、ということはわかった。とりあえずノートに付けていく。あとは現物をそのまま提出すれば済む話ではあるが、
 「あ、証拠写真、撮ったっけ?」
 「大丈夫、ホラ」
 「ダイジョブ、グッジョブ!」
 千歳はこの大事な記録写真を弥生宛に送る旨、約束し、少年の肩を叩く。いい光景である。蒼葉は鉛筆をとり、そんな人物を描写すべく試みたが、どうにも空模様が気になっていけない。そんな女性画家を見て、八広は記憶を辿る。六月のある日曜日、正にこの辺りで見かけた女性、そして、モノログに載っていたあの印象深い漂着静物画...
 「蒼葉さんて、あの絵を描いた人スか? 隅田さんのモノログに出てた、その...」
 「あぁ、あの時は私、衝動に駆られてて。今見ると自分でもおどろおどろしくて」
 こんなにこやかな人があんな素描を、というのが俄かには信じ難い八広だった。内に秘める何か強烈なものがあるに相違ない、と察してみる。そして、今日受けた数々の刺戟を何らかの形で書き表したい、とやはり衝動を覚えるのであった。
 「あれは傑作ですよ。自分も何か載せてもらおっかな」
 八広はすっかりその気である。だが、千歳が彼にモノログや干潟のことを知らせなかったのは他でもない。筆の立つ八広のこと、きっといろいろ書いてよこすに違いない、それがわかっていたから、だったのである。漂着モノログのモノはあくまで「物」のつもりだが、千歳的には独りを意味する「mono」も兼ねていた。だが、こうなってくると、マルチログとかにした方がいいかも知れない。
 さて、フタの品評会の最中、業平は毎度の如く唸っていた。六月とちょっとした談議になったバーコードの一件が頭の中を駆け巡る。今日もこの後おじゃまする予定なので、再度チェックしようと思い立つ。そう、スーパー新鋭のバーコード一括読み取りレジのことである。問題は読み取った結果をどこに飛ばすか。「まずはPCにバーコードスキャナをくっつけるとこからやってみっか」 何ともマニアックな話ではあるが、銘柄調査がそれで叶うなら御の字か。
 ペットボトルも乾いたし、そろそろお腹も空いて来たし、「では皆さん、今日はこれにて解散します。ありがとうございました!」 終わりよければ何とやら。千歳にしては上出来だろう。業平は袋を担いでそそくさとRSB(リバーサイドバイク)に跨って走り去る。空が暗くなってきたので、急いだに越したことはない。アラウンド25のカップルは少年を連れて、干潟の方に戻って行く。舞恵のケータイ(今は撮影専用)で記念写真を撮ったりして、楽しそうにしている。が、しかし、
 「私ね、雨女なんだワ。早く帰らないとズブ濡れになっちゃうよ」
 「あ、本当だ。雨?」
 あわてて引き揚げる三人。方向は違えども、バスの停留所までは一緒である。自転車にゴミ袋を積む二人に軽く手を振りつつ走って行った。

 「六月君て、実のお姉さんより年上の人が好きみたいね。確かに変わり者だわ」
 解放されてホッとしていると見受けるも、淋しそうでもある。業平もとっとと帰っちゃうし...
 「今日は結局、櫻リーダー来ませんでしたね」
 「千さん、しっかり代役果たしてましたよ。姉さんがいなくても大丈夫でしょ?」
 「いや、櫻さんがいないと...」
 「フーン」
 徐行気味に走っていたが、徐々に雨脚が強くなってきたのでペダルを急ぐ。十二時半なのに早くも夕立とは! ゴミステーション行きは諦め、橋の下で雨宿りすることにした。
 「濡れちゃいましたね」
 「画用紙とか大丈夫ですか」
 白のTシャツがところどころ水気を含み、何とも艶(なまめ)かしい状態になっている。空が暗い上、場所が場所だけに暗め。ハッキリ見えない分、余計にドギマギする。一方の蒼葉は平然としたもので、せいぜい濡れた髪に手を当てる程度。やはり小悪魔である。
 「ねぇ千さん、櫻姉のこと、どう思います?」
 「どう、ってそりゃあ。クリーンアップ中は相棒だと思ってますけど」
 「相棒? それだけ?」
 「そうだ、蒼葉さんに言っておこうと思ってたんだ。桑川さんに二人はカップルだとか、言ったでしょ」
 「え、違うんですか? 当たらずも遠からず、でしょ」
 千歳にしてはハキハキやっている方だが、雨脚に呼応するように、さらに調子が強くなってきた。
 「そういう話は二人でゆっくり、と思ってたんだよ。周りがワイワイやり出すと櫻さんも迷惑だろうし」
 「そっか。千さんの前だと張り切っちゃうから知らないんだ。四月以降、何かボーっとしてること多いんですよ。見ていてわかるんです。ありゃ一目惚れに近いな、って」
 蒼葉も負けじと強めに応じる。姉のこととなると”C`est la vie”では済まないようだ。そのままピッチは上がり、姉君の近況などが次々と語られる。
 「以前の櫻姉なら、もっと熱を上げてると思います。失恋事件があって男性不信になっちゃって、億劫ていうか臆病になってるだけ」 とか、
 「でもね。千さんと会ってから、少しずつだけど元に戻って来たみたいなの。事件以降、パッタリ弾かなくなったピアノも弾き出したし... でも、もどかしくて」 だそうな。
 固唾を呑んでいた千歳だったが、水があるのを思い出し、発泡水をゴクリ。気が張っている彼だったが、水の方は気が抜けてる感じ。先のアタフタの一件はすっかり忘れている。
 「私、行けなかったからわからないけど、自由研究の日、何かあったんでしょ? 気疲れどうこうとか言ってたし。最初は夏風邪かと思ったけど、違った意味で熱中症とか。いや、恋わずらいかもね」
 「梅雨が明けてから、暑い日が続いたから、そのせいじゃ?」
 「千さん、鈍いのよ。姉さんの想い、少しは届いてるでしょ?」
 七夕のお誘いと当日の出来事、これまでの櫻の言動の数々...「咲く・ラヴ」の意味も何となくわかってきたような。だが、彼にも相応の事情がある。自分で背中は押せないのである。
 「このゴミを片付けたらお見舞いに伺う、ってんじゃダメでしょか?」
 彼としてはこれが精一杯。だが、その想いは妹には十分伝わった。
 「いや、そんな。泣き出しちゃうかも知れないから。アハハ」
 雨は小康状態になってきた。怨めしい雨ではあったが、おかげで思いがけない展開になってきた。クリーンアップに関しては課題解決型アプローチでプロセスが見えてきたところだが、それとはまた別のプロセスがここにあることに今更ながら気付く。よりデリケートで、機微・機転が求められる、そんなプロセス。
 「あ、そうそう、これまで眼鏡を外して見せたことあります?」
 「いえ、でもそれが何か?」
 「眼鏡っ娘、キライじゃないですよね... ふつつか者ですが、姉をよろしくお願いします」
 意味深ではあるが、事件とピアノと眼鏡といろいろリンクしているらしいことはわかった。それにしても、気疲れってのはいったい?
 「とにかくメールします。櫻さんによろしく!」
 「ハーイ」
 雨上がりの橋をスイスイと走っていく蒼葉。千歳も某少年同様、萌えー状態になりかけている。しばらく見送っていたが、手渡された燃える系のゴミ袋がやおらズシリと来て、目が覚める。「濡れた新聞紙、か」 これでも一応可燃である。全体量は少なかったので、四十五リットル袋二つに収まったが、ぎっしりと詰め込んである不燃ゴミに対し、可燃ゴミはその半分程と差がついた。プラスチックの容器類を不燃でなく再資源化扱いにして、隣市で処理してもらうことを思いついたのはこの時である。あとは燈籠を入れたスチロール箱、プラスチック粒を入れたレジ袋。一人で何とか持って行けそうだ。猛暑日一歩手前まで気温は上昇。雨で少し冷めたとは言え、なお三十度は超えている。荒川は雨で増水したせいもあるが、相変わらず勢いがいい。だが、温水(ぬるみず)と漂流ゴミを押し流すのは大仕事である。
 そんな流れを見ながら、一人黙考する千歳。気疲れで思い当たるのは、過剰適応と眩暈(めまい)の話...「櫻さん、まさかクリーンアップも気付かないうちに頑張り過ぎて、それで?」
 コーディネートというかリーダー役を今回やってみて、その大変さを実感した千歳は、恋わずらいというのは割り引くとして、彼女に何らかの負荷がかかっていたことを認識するに至った。こうなると居ても立ってもいられない。善は、いや「千は急げ!」である。

 今日は初音が不在ということもあるが、カフェめしはもとより、とにかく昼食そっちのけでPCに向かう。モノログにレポートを載せてからメールしてもいいのだが、お見舞いの一筆を送らないことにはどうにも落ち着かない。奥宮さんとのやりとりについては伏せておこう。出だしは、暑中お見舞いの一節、そして蒼葉から話は聞いたこと、今日は僭越ながらリーダー役を務めたが、その大変さがわかったこと、「これまで櫻さんに甘えてしまっていたようで」斯々(かくかく)、「もしかして、ご無理がたたっておつかれに」然々(しかじか)、ここまで一気にしたためて、ふと思いつく。参加or不参加とか、段取りとか、皆で連絡をとりやすくすればあれこれ気を回さなくても済むようになるんじゃ... 本文の結びは、「メーリングリストを作ろうと思うんですけど、どうでしょう?」 いよいよ末尾に来た。ひと想いに綴る。「p.s. 八月十九日は、旧七夕だそうです。櫻さん、当日のご予定は? 織姫様にお目にかかりたい彦星より」 なかなか小洒落た想いの託し方である。手書きじゃないのが惜しいが、「届けたい・・・」その一心が大事。彼女にきっと届くだろう。

 「櫻姉、ただいまぁ」
 まだ髪が潤っている妹を見て「どしたの、川にでも落ちた?」と寝ぼけたようなことを姉は云う。
 「短時間大雨に遭っちゃって。こっちも降ったんでしょう? そうそう、千さんにはちゃんと申し伝えましたから、ご安心を」
 「あぁ、ありがと」
 一人分の即席カフェめしをつつきながら、気のないお返事。ふと思い出したように、
 「今日の面々は?」
 「はい、この通り」
 蒼葉は画用紙を差し出す。
 「この奥宮さんて?」
 「宝木さんの彼女ですって。馴れ初めとかは聞かなかったけど」
 講座の受付で記名した時のことをハッキリ覚えていたので、宝木の方はすぐに思い出した。「奥宮」というのも思い当たるフシがあるようで、
 「気難しそうだけど、テキパキした感じ、とか?」
 「さぁ。千さんとはいろいろ話してたみたい」
 手強いあの人が今日は来なかったことがわかり、「なぁんだ」と気抜けしていた櫻だったが、今度はその一節が引っかかって憂い顔。
 「ま、早くメールチェックした方がいいと思うよ」
 「え、メール?」
 箸を置くや否や、自室に駆け込む姉君。十四時前、ちょうど千歳が送信を終えたところ。以心伝心、グッドタイミングである。
 「千歳、さん... うぅ」
 夏真っ盛りなのだが、暦の上ではあと三日で立秋。櫻の心には早くも感傷的な風が吹いていた。メーリングリスト、旧七夕... どう返事をしたものか。物思う夏、心昂(たか)ぶる夏、蝉が囃し立てるように鳴いている。

 八月の定期モノログはまだ着手できていない。次は弥生宛に自由研究ネタの画像を送りつつ一筆打つ。勿論メーリングリストの提案も添える。例のカウント画面からのデータ送信先はその後テストを繰り返し、今は千歳、櫻、弥生、業平の四人にしてあるが、メーリングリストを設定した暁には、データ送信先をメーリングリスト宛にしようという一計が浮かんでいた千歳は、その辺について開発者にお伺いを立てることを忘れなかった。
 さて、今日のデータは二回に分けてではあったが、蒼葉のケータイから確かに届いていた。いつもなら、このデータを確認した上でモノログの更新作業に入るところだが、今日は先送り。今度はメーリングリスト参加可否のメールの準備に勤しんでいる。お互いの連絡を円滑に、そして何より、自由研究の日のように不意の参加者の登場で櫻を困惑させないためにも、メーリングリストの開設が急がれる。こういうことに関しては器用な彼は、テンプレートで共通の文面をさっさと作ると、そこに個別に表示したい項目(本文冒頭の宛名表示、メーリングリスト登録予定アドレス、通信欄の三箇所)が自動挿入される機能を使って、BCCで同報メール(ちなみに標題は暑中見舞い)を送るのであった。受取人は恰も自分宛に届いたような形になるのがポイント。DMと同じである。送り先は、女性三人に男性二人。少人数なので、別にこんな凝った送り方をしなくても良さそうではあったが、発信時刻に時間差が生じると、特に先輩後輩のお二人さんが「私の方が先だった」とか思わぬ情報交換をする気がしたので、安全策を取ったという訳である。気を遣うのはマネージャーも同じ。気疲れしなければいいのだが。
 もう一人の女性のもとにはケータイメールが入る。「わぁ、千さんからだ」 今日は言い過ぎちゃったかな、と些か恐縮しつつ、メッセージを読む。文末には「メーリングリストの件は、まずはお姉さんに確認中です」とある。「そっか、ちゃんとメールしてくれたんだ。それにしても櫻姉、部屋にこもったきり出て来ないけど、大丈夫かな?」
 蝉は少々トーンを落とし、短くなってきた日脚を惜しむような鳴き方をしている。その声に応じるように溜息をつきながら、櫻はご自分のブログとにらめっこしていた。複合商業施設のレポートを皮切りに、自由研究デーの出来事、地域事情マッピングの可能性など、編集すれば情報誌になりそうなネタの他に、最近は日記風によしなし事を綴ることが増えていた。ブログとしては真っ当な話なのだが、書き綴ることで余計に想念が深まる、ということもあるようで、「橋から干潟を眺めていると、最初に訪れた日のことが鮮やかによみがえってきます」とか「クリーンアップの発起人さんには何かとお世話になってます」とか、誰かさんが見たら心動かされそうなことがすでに書いてあったりして、日に日にブログのサブタイトル通りの展開になっている。メールはもらったものの、お目にかからなかった分、想いは募る。この心理状態で返信すると、突拍子もないことになりそうなので、グッとブレーキをかけて、後日お返事することに決めた。まずはブログで心を鎮めよう、ということらしい。

 かくして「八月病」と題した短文が「咲くラヴ~」に掲載されるに至った。千歳はまだここ最近の櫻ブログは目にしていない。八広からの話を聞いて、見ずにはいられないというのが正直なところなのだが、怖いという気持ちも半分あった。「届けたい」櫻の想いとは裏腹に、まだ届いていない想いがブログには散らばっている。せっかく咲いても、それが人目に入らないうちに散ってしまっては儚いというもの... モノログからもリンクを張れば、古い言い方だが「相互リンク」になる。大して手間がかかる作業ではないのだが、どうやら先になりそうである。