総会成立の見通しは立った。プレゼン資料を含め、当日に向けた準備も概ね良好。KanNaの最新情報、部会の紹介媒体、拡大版DUOの予告といったあたりをどこまで用意するかが詰め切れていないが、総会終了後でも間に合いそうなものは別に、と意に介さない。矢ノ倉事務局長にしては珍しく悠長に構えているが、
「ま、出たとこ勝負ってところもあるし、皆さんの場力(ばぢから)で乗り切れるでしょ」
それだけ貫禄が増したという訳である。櫻と千歳も慣れたもので、
「じゃ、あとは一日(ついたち)に早めに来れば、ってことで」
「定時で失礼して、よろしいですかね」
てな具合。二十九日、晴。閉館時間になってもまだ明るさが残る。二人が愉しげにしているので、アフター6のご予定をつい尋ねてしまう文花だったが、あとの祭り。
「はぁ、二人で夜桜でございますか...」
とっくに公認、今は合鍵の間柄である。これ以上は何も言うまい。
二人で自転車を押しながら、やって来たのは河原の桜。場所柄、花見客でわんさとなるようなことはない。花を見つつ、程々の静寂が楽しめる。
「サクラ花粉症の方は平気?」
「だから、あの日はたまたまで。あ、でも櫻さんが放つ、こう何て言ったらいいのかなぁ」
「やぁね、私、花粉なんて出さないわよ」
フェで始まる何とやらにメロメロ、ということを言いたいようだった。
「フフ、やっとそういうのに敏感になられたようで」
それもそうなのだが、実はさらに感度が上がっていた彼氏である。ほぼ満開の桜を見上げる彼女に、とっておきの言葉を投げかけてみる。
「櫻さん、そのぉ...」
「ん? なーに?」
「だ、大事な話があるんだけど...」
すでに贈り物の詳細については打合せ済みである。となると、大事な話って?
「まぁ、四月一日だと真実味が薄れちゃうもんね。でも今聞いちゃうのももったいないし...」
小悪魔ぶりを自ら楽しむように、はぐらかす櫻。だが、胸の内は正直なところドッキドキである。サプライズとまでは行かないが、いつの間にやらしっかり加速してきて、今や逆転に近くなっている。
まだ開ききっていない花もある。櫻は返事をためている。
「櫻さん的には、誕生日に聞かせてほしい、かも」
「じゃ記念品と一緒にね」
「お言葉だけでもすっごいプレゼントになりそうだけど?」
「ハハ、改めてきちんと、考えておきます」
「ちゃーんとお返事しますから」
彼の肩に頭を乗せてみたら、ようやくチラホラ花弁が下りてきた。お互い緊張が解けた瞬間。だが、
「向こう一週間、いろんな意味でドキドキが続きそう」
「私も同じ。でもプレバースデイウィークとしてはお誂(あつら)え向き、かな」
夜桜は二人を否応なく盛り上げてくれる。この流れからすると、今夜も...。
「今日はどうしよっかな」
「...(ドキ)」
「何かね、『そうかそうか』って喜んでたと思ったら、最近の蒼葉ったら、つまんなそーな顔することが多くて、その...」
「一人じゃ寂しいとか? ま、そうだろね」
「曲の続きは家で練習します。また明日もお目にかかることですし」
何とも風流なお二人さんなのであった。
* * * * *
三カ月ほど前は午後だったが、本日はそこそこ早めの午前。18きっぷで仲良く品川で降り、向かう先は昼桜。第一京浜を南下し、八ツ山橋を渡り、北品川駅を過ぎればここからは前回の逆ルート。かねてからの約束通り、御殿山にやって来た。
「時の将軍様が大衆の娯楽のために植えた桜の一つ。他には飛鳥山、小金井、あと...」
「どこ?」
「隅田! 川、よ」
満開の桜を見上げつつ、満面の笑顔。
「詳しいね、櫻さん」
「そりゃね、サクラのことなら櫻さん」
もっともだ。
三十代男女が山なら、十代男女は里である。こちらも約束通りではあるが、乗り物主体のちょっと変わったデート。
「じゃここからはこれで有人改札を通ります。姉御は700円のこっち」
「六月クンは?」
「350円。小児用」
「ズルーイ!」
「もちろん、お代はいただきません。誘ったのオイラだし」
これが小児のやることか。実の姉がいたらつっこまれそうな場面ではある。
混雑極まる開業初日の日暮里駅。二人はこれから川を越える旅に出る。
突き当たりを左に折れると下り坂。どうやら品川に戻るつもりはないようだ。
「道を間違えてなければ川に出ると思うけど」
「そしたらまたゴミ調べ?」
「たまにはお一人でどーぞ」
「櫻姉ぇ」
ライナーとともに、何かが動き出そうとしている。卒業後入学前という時期がそうさせるのかも知れないが、少年の心は昂り、揺れる。だが、西日暮里から先はほぼ真っ直ぐ。タイヤで走ることもあり車両は思ったほど揺れない。このギャップがたまらない。
「どったの? 乗り物酔い? な訳ないか」
「初めて乗るから勝手がわかんなくって」
「六月クンでもそういうもんなんだ」
あいにく先頭席は確保できなかったが、ある程度並んだ甲斐あって、進行方向二人掛け席をゲットすることはできた。隣には愛しの女性。どう言葉を発するか、その勝手がわからないだけなのである。
想い出の地、熊野前、足立小台と続く。荒川が見えてきた。本線本日のハイライトである。
「オイラ、いや僕、姉、いや小梅さんのことが...」
「フフ、そう来ると思った。でもそのセリフ、今はとっといた方がいいよ」
「エ?」
「入学したら、気持ち変わるかも知れないし」
「姉御ぉ...」
西新井橋から小梅がスケッチした首都高速。その上を越えるんだから結構な高さである。右手遠くにはその西新井橋。荒川ビューが広がる。だが、六月の目には入らない。気分はすっかり川流れ~。
(参考情報→荒川を越えるライナー)
「まぁまぁ、そんなふったりとかしないから。勉強の合間にデートとか...エへへ」
「やったぁ!」
すっかりイイ雰囲気になってしまったので、このまま終点まで向かうことになった。途中駅での乗り降りは自由なのだが、六月はもうどうでもよくなっていた。
若いのが荒川を越えたその時、同じく川を越える二人がいる。ただし、こちらは徒歩。
「さすがにノーマーク。何て読むの?」
「普通に読むと、いき橋?」
「まぁ、いいや。イキイキ、イケイケ、Let’s Go!」
目黒川に架かるちょっと立派なその橋。名は居木(いるき)橋である。見下ろしたところで干潟はない。当然ながら漂着も、ない。ゴミがないばかりに素通りされてしまう川、それっていったい?
これから乗るのは中距離列車。その性格上、クロスシートはある。が、混み合うことが予想されるため、駅弁という訳にも行くまい。大崎で早めの昼をとり、ノラリクラリ。十三時台のグリーンとオレンジの速いのに乗ったら、あとは一気に小田原へ。
桜がお目当てではあるが、二人にとってはその行程、その緩急を楽しむのをまた良しとしている。従って、お城を見ても、花々を観ても、感慨があるようなないような状態。これじゃ小田原に失礼な気もするが、
「マップを作るつもりでしっかり廻るってことならね、また見る目も違ってくるんでしょうけど」
「ケータイ使ってIT版グリーンマップ、ってのもアリ?」
「その場で撮影して投稿、かぁ」
桜色の話題も出たかも知れないが、マップと来れば緑だ橙だ、である。そして十五時過ぎ。ホームにはその色の線が入った車両が滑り込んでくる。予定調和とはこういうことを言うのだろう。東海道線の旅は続く。
「一度降りてみたかったんだ」
「何かドラマチック...」
川がつく駅名ながら、ホームからは相模の海が広々と見渡せる。今日は花冷えしそうな日和ゆえ、海もどことなく寒々とはしているが、二人にとってはそれが好都合に働く。
(参考情報→小田原&根府川)
「風はそんなにないけど、寒い、かな?」
「そうね、特にここ、とか」
人影はない。もともと無人駅みたいなものなので、いくらでもドラマチックな演出は可能。が、彼はちょっと躊躇いを見せる。別にじらすつもりはないのだが、何かが近づいているのを察知したのである。特急列車が通過していったのはその一分後。
「ハハ、あぶないあぶない」
「もうっ、じれったいなぁ」
花も、いや海も恥らう三十路のラブシーンは、あくまで列車の通過後。目を閉じていると、潮の香りで辺りが満たされていくのがわかる。今、彼女の唇はすっかり桜色。色男は憎いことをするものである。
あたたかいものがよく出るのは、気温のせいばかりではないだろう。おなじみカフェめし店では、人気のニコニコパンケーキの注文が相次ぎ、お姉さんは大いそがし。BGMのスローな感じに救われる恰好になっている。
デモ用のCDをシャッフルしてかけているので曲順不定。『晩夏に捧ぐ』に続いて『ポケットビーチ』が流れ出す。と、耳障りがいいので、お客からの問合せもチラホラとなり、パンケーキと一緒に来週のステージイベントのチラシを渡す場面も出てくることになる。店ではちょっとしたプロモーションが行われていた。
「あーぁ、何だかポケットって言うよりロケットって感じ?」
「もうちょいかな。おかげでだいぶイメージに近づいてきたけど」
「多分、ブラス系入れると、もっとノリノリになると思う」
「あんまり飛んでっちゃうのもどうか、と」
「あたしはついて行きますよ♪」
四月からは職場となる場所で、しかも業務用のPCを使ってこの調子。こちらでは、違うversionのポケビがプログラミングされている最中だった。COOに言わせると、これも研修の一環なんだとか。大いにツッコミどころではあるが、社員候補生はただニコニコしながら、励んでいる。
その気になれば、熱海へ行って戻ってというのもできなくはないが、今日のところは根府川どまり。そして小田原からは再び特別快速に揺られる。加速の加減が心地良い。今の二人同様、と言っていいだろう。
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