季節の分かれ目というのは、期せずして象徴的な出来事があったりする。予測が立っている分、まだいいのかも知れないが、今度のクリーンアップ予定日は、週間予報では「雪」。前日になって、その気配は益々濃厚となる。耐寒だ体感だ、などと暢気なことを言ってられなくなってきた。
センターの三人は、ランチタイムミーティングを経て、それぞれのツールで明日の案内業務にとりかかる。漂着モノログの掲示板には、「降雪時は、クリーンアップは見合わせ、下見は決行」の旨、掲載され、KanNaのセンター主催行事コーナーにも、同様のおことわり文が一筆付け足される。文花がコツコツと作り上げてきた想定会員向けメールサービスでも、明日から来週にかけての行事案内などが、寒中見舞いを兼ねる形で配信された。商業施設ご関係者には、雪予報が出た時点で冬木から連絡してもらっていたので、失礼がない状態にはなっている(と思われる)。延期の場合の日時について予告しておくのも手だったが、九日の講座参加者の希望や都合に応じて決めた方がよかろう、ということで今回は見送り。あとはとにかく明日になってからである。
空模様を案じつつも、データカードなどの持ち物を点検する櫻。文花はそれを見て、あるいいものを手渡す。これも明日に備えて、ということらしい。
「これってやっぱり自家製、ですか?」
「町内会で準備してたのをおすそ分けしてもらったの。明日は私行けないから、ご挨拶代わりってことで」
「かしこまりました。でも、屋外でやる分には、ウチもソトもないですねぇ」
二人が談笑するのを何とはなしに聞いていた千歳だったが、「そうか、節分と言えば...」 こちらも何か思いついたようである。
そして翌朝は、まさかの大雪!である。堤防上や河川敷は除雪されることはないので、降ったら降っただけ積もる。少なからず歩行者やランナーはいるので、何となく雪分け道のようなものができてはいるが、足取りは重い。河原桜近くに来たところで、不覚にも定刻の十時を回ってしまった。
千歳がもたついている間に、櫻は一足先に現地に到着。しかし、すでに先客がいたもんだから、姉ながらビックリとなる。
「な、なんで? 起きたらいないから何処行っちゃったかと思ってたら」
「雪が降ったら集合、ってことにしといたんだ。ね、小梅ちゃん?」
「エヘヘ、早起きは何とやら。蒼葉さんに手ほどきを受けたくて。あ、そうそう、いい知らせがあるって話...」
ケータイつながりではないながら、約束を交わし合って、しっかり実行しているこの二人。微笑ましくていいのだが、そのいい知らせというのが引っかかる。小梅には先に予告が届いていて、姉が蚊帳の外、というのはどういうつもりなんだろか。
「そうねぇ、教えたいのはヤマヤマだけど、櫻姉が来ちゃったから...」
「あら、失礼しちゃうわ。いいわよ、一人で下見してっから」
櫻はブツブツ言いながら、その場を離れる。干潟アクセス通路の方へ行ったのを見届けると、蒼葉は小梅にヒソヒソ話。
「エーッ! 入選? しかも準大賞...」
「シー!」
と、そこへノロノロと千兄さんがやって来た。
「あれ? お二人だけ?」
「千兄さま、ちょうどいいところへ」
今度は小梅をその場に残し、蒼葉は千歳を引っ張り出す。
「姉さんのことだから、どうせちゃんと決めてないですよね。十四日って、お約束してます?」
「空けてはあるけど、これと言ってまだ...」
「やっぱりね。ちなみに十五日のご予定は?」
「突発的な時事ネタが来なければ、在宅勤務かな」
「了解。その日も何となく空けておいてもらえるといいことあるかも、です」
思わせぶりな蒼葉の発言に、久々にソワソワ感が高まる千歳である。小刻みに吐いた息が白く漂うも、そこにセリフはない。音のないスピーチバルーンが浮かぶ図とはこのことだろう。と、そのバルーンを破るように雪球が飛んできた。
「うひゃ!」
遠くから誰かさんの笑い声が聞こえる。
「あらら、蒼葉にぶつけようと思ったのに。それ!」
次は見事、妹に命中。
「やったなぁ!」
描きかけのパステル画を枯れヨシの陰に隠すと、小梅とチームを組んで、蒼葉は逆襲に転じる。下見どころではない。雪合戦の始まりである。
「キャー! 二人でなんてズルイ!」
「姉さんにはダーリンがいるでしょ」
「ダメよ、千歳さんスローだから」
これを聞いたからには、参戦しない訳にはいかない。
「こうなったら、誰でもいいや。それっ!」
不用意に放った一球は、事もあろうに櫻を直撃。
「ひどーい! 護衛になってないじゃん!」
これで女性を敵に回すことになった千歳は、三姉妹から総攻撃を受けることになる。
この時、一人の少年が大きな雪玉を転がしながら、合戦場に近づいていた。逃げ惑う三十男を見つけると、大きなのは放置して、小さいのを拵(こしら)え始める。そして出陣。
「千さん、ダイジョブ?」
「おぉ、これは六さん。あ、やべ...」
息つく暇もありゃしない。千歳はとうに反撃を諦めていたようで、とにかく退散。少年は持ち玉で抵抗を試みるも、呆気なく敗退。
さ「何か、張り合いないし」
あ「姉さん、やり過ぎ」
さ「人のこと言えないっしょ?」
こ「あれ? 先生だ」
残された大玉の傍には、堀之内先生がいらっしゃった。玉転がしを続けながら、ようやく彼女達のもとにやって来て、
「まぁまぁ、女性陣が強いのか、男性陣が弱いのか、見てて楽しいけど、とにかく休戦ネ」
今のところ六人。それぞれ挨拶を交わしてはいるが、手持ち無沙汰でもある。まだ誰か来そうではあるので、揃うまでも一つ余興でも、となる。大玉の上に小玉が乗ったら、
「顔なしダルマだぁ」
じゃ済まないので、パーツを探しに行くことに。だが、
「ちょっと待って六月君。もうちょっとで仕上がるから」
と画家さんに止められては、仕方ない。立ち往生する少年の隣で、千歳はやっとこさ、雪干潟との対面を果たす。
「って、漂着? 目立ってるし...」
降り積もってはいるが、その量の前にはさすがの雪も無力であった。これらを覆い隠すには、さらなる降雪が必要になる、ということか。
「私もね、ビックリしちゃって。真っ白って訳に行かないのねぇ」
グランドは辺り一面、白である。それとは対照的な光景が二人の前に広がっている。白が抜けているところは、流木だったり、クーラーボックスだったり。あとは細々した突起物なんかが着雪を拒んでいるのがわかる。マダラ干潟とでも呼ぶべき、不思議な世界。崖地では朽ちたヨシが、なお直立し、侘びの風景を醸し出している。ヨシが目立つこともあって、一望する限りは残念ながら銀世界とは言い難いのである。
(参考情報→降雪後干潟)
蒼葉はそれでもパステルを走らせていた。白一色なら手間も省けるというものだが、そうなっていないことがかえって刺戟になったようで、むしろ雑多に描こうと努めているように見受ける。小梅は固唾(かたず)を呑んでその描写を見守る。そして、六月はそんな二人の女性を見ているような見ていないような... ドキドキする対象が変移していることがわかってきただけに、余計に胸が高鳴っている。その背後で永代は空気を読んでみる。「そうかそうか、彼もそういう年頃になった訳か」 干潟見物か、単なる雪見か、本日の目的は定かならずも、先生たる者、何よりの目的は教え子の成長を現場で知る、これに限るだろう。つい嬉しくなって、顔なしダルマに向かって話しかけちゃうところが、チャーミングだったりする。
蒼葉のデッサンはひとまず終了。千歳も記録写真を撮り終えた。
「じゃ、六さん、気ぃ付けてね」
待ってましたとばかり、だったが、ここで勢いよく動いてはいけない。聡明な少年はソロソロと旧道を下り始める。残る五人は彼の動きを注視しながらも、同じ方向を見遣っている。と、下流側の崖地に、数羽のカラスが丸くなって留まっているのが発見された。バックが白くない場所にいるのは、バレないようにということだったか。人がガヤガヤいる割には、随分と悠長に構えているものである。
「彼が近づいても動じないわねぇ」
「寒くて動けないだけじゃないの?」
「じゃ試しに雪玉投げてみましょっか?」
櫻が仕込みを始めたその時である。そのカラスの方向目がけて、白い玉が飛んで行った。
「ナヌ?」
二人同時に振り返ると、完全防寒スタイルのルフロン嬢がケラケラやっている。しかも彼女の隣には八広ではなく、冬木。相変わらず人をおどかすのがお上手である。が、驚いている場合ではない。
この一球で、カラスは退却するも、その啼き声がいけなかった。アーだかカーだかの直後に、
「キャー!」
六月を追うように狭いスロープを下りようとしていた小梅は、思わず足を滑らせてしまうことになる。カラスが啼くとろくなことがないのは承知しているが、
「テヘヘ、すべっ... いけね」
実姉がここにいないとは云え、禁句を口にしてしまってはそっちの方が禍(わざわい)のもとである。
「初姉には内緒ね」
「それより大丈夫?」
しばらく起き上がれなかった小梅だが、姉様方が手を差し伸べるのを待っていた訳ではない。こういう時は弟分に助けてもらいたかったりするものである。
「姉御、ホラ」
「ありがと」
と、何ともホットな場面を一同は見下ろすことになる。舞恵は頭を掻く仕草をするも、
「まー、えぇんでないの?」
シャレで誤魔化すおつもりらしい。だが、
「ほんと、ビックリくりくり、ルフロンさんなんだから」
櫻にこう切り返されてはシャレも何もない。
見下ろす=下見という見方もあるが、やはり現地を踏査しないことには確たるものは得られない。そういう意味で若い二人は実に頼もしい。雪ダルマ用の品を調達しに行っているとは言え、手際は鮮やか。永代は改めて二人の成長ぶりに目を細める。
ひ「で、あのお二人さんはいつもあんな感じ?」
さ「えぇ、自分なりの役割ってのを認識して、自発的に動いてますね」
ち「六月君には教わること多いし、小梅嬢にはとにかく頭が上がらないって言うか...」
さ「千歳さんはいじられてるだけでしょ?」
ひ「まぁ何はともあれ、皆さんのおかげでしょうね。アタシからも感謝申し上げますワ」
六月はカサの柄、小梅はゴム手袋をそれぞれ発掘して組み合わせたりしている。目鼻は各種フタやキャップで事足りる。ミニバケツが出てきたかと思えば、さらには「ヘヘ、炭だぁ!」
苦笑する千歳を櫻はつついてみる。
「ホラ、隅田!って、お呼びですわよ」
「ハイハイ、六さん、呼んだ?」
いつしか、冬木も舞恵もマダラ干潟をうろついていて、その斑具合が深化していた。
「なぁんだ、おすみさん、下りてきちゃったの?」
「そりゃね、下見に来たんだから」
「下... そうそう、下見りゃいろいろ出てくるさ。それなんかヘビかと思ったら、ベルトだし」
「何が隠れてるかわかんないから、スリリングではあるねぇ」
「エド氏なんざ、栄養ドリンクのビン踏んづけて転びそうになったんよ」
「やっぱ漂着物は除去しとかないとね」
「隠しちゃマズイってか」
蒼葉は上流側で、トレイ状の容器を物色中。冬木は若い二人から心得だか講釈だかを受けている最中である。陸に残るは、三十代の女性二人。
「ところで櫻さん、隅田さんとはいい線行ってるの?」
「ヤダなぁ、堀之内先生ったら」
「矢ノ倉ったら、なかなか教えてくんないのよ」
「その矢ノ倉さんの方がネタとしては面白いと思いますよ。お話聞いてませんか?」
うっかり口を滑らせてしまう櫻であった。弥生と文花、どっちを応援したらいいのか決めかねていただけに、これじゃ一方に助け舟を出すようなものか。
「彼女はお節介をするのは好きでも、されるのは嫌がるだろうから、ま、それとなく聞いてみるワ。それより貴女(アナタ)ンとこよ」
話を逸らし損なって、さらに答えに窮する櫻である。この手の質問だといつもの機転も利かせようがない。「まぁ、三分(さんぶ)、いや五分(ごぶ)... とにかく春になれば、ハハ」
クリーンアップはお預けながら、雪ダルマを仕上げる材料はそろう。こうも都合よく現地調達できるとなれば、漂着も悪くない? いやいや今日のところは偶々(たまたま)いいのが見つかったからそう思うだけで、雪を掘ればおそらくいつものゴミ箱状態であろうことは想像に難くない。雪中に埋もれているであろう多くの包装類やプラスチック片は、おそらくパリパリ、ということも十分想起し得る。それらは劣化が進めば、さらに微細化して手で拾い集めるのは至難となろう。クリーンアップすべきは、むしろこういう時!なのかも知れない。悪条件を逆手にとって、そのパリパリごと雪で固めて陸揚げさせてしまう、という手もある。
千歳はまだ斑になっていない辺りを踏み固め、ブロック状にしたものを枯れ枝ごと持ち上げてみる。「お、いけそう?」 だが、合戦後の軍手はまだ水分を含んでいる故、その上に雪の塊が来れば、冷たいのは当たり前。予備の軍手に替えたところで、結果は目に見えている。あえなく、ひとかたまりを引き揚げたところで断念。彼に追随する者もなし。
「千歳さんたら、しょうがないわね。暖めて差し上げたいけど、私の手も冷たいからなぁ...」
よくよく見れば、櫻は撥水素材の手袋をしている。雪球を量産するには都合は良いが、冷たいことには変わらない。こすり合わせながら、息を吐きかけている。本人は寒いんだろうけど、隣人はそうでもない。櫻のそんな仕草に温もりを感じ、つい見入ってしまう千歳であった。
さ「ん?」
ち「やっぱ、体動かさないと寒いなぁって思って」
さ「二人きりならよかったのにね。そしたら...」
とか言いながら、櫻はおもむろに温湿度計を取り出す。見れば、気温四℃、湿度は何と七十%と来た。乾燥していないのがわかったのはいいとしても、その温度の低さに思わず身震いしてしまう二人である。
(参考情報→2月3日は4℃)
「雪とか、白いのとか、好きなんだけど、寒いのはねぇ... あら、霰(あられ)?」
現在時刻、十時四十五分。この刻(とき)まで、何とか小降りを維持していた粉雪は、何やら大きさを増しつつ、水気が多い物質に変化して来た。一同、傘はなくとも帽子なりフードなりで辛うじて濡れずに済んではいるが...。
蒼葉は、パステルで下書きした上に水彩を施すべく、拾ったトレイにチューブを垂らしてみたり、筆をといてみたりしていたが、どうもしっくり行っていないようだった。そこへこの天からの配剤である。本来なら筆を止めそうなところだが、逆に喜々としているから侮れない。
「ね、小梅ちゃん、こうやって青とか白とか走らせてみて、そこにこの霙(みぞれ)、かな? ま、空から降ってきたのをそのままなじませると、何か幻想的な感じに...どう?」
「わぁ... でも、普通ならフニャフニャになりそうだけど、この紙、平気なんですね」
「ま、雪仕様っていうか、雪景色描く用だから」
「で、極意はやはり臨場感ですか?」
「そうね。実際に体感した温度を絵に写すっていうか、空気を閉じ込めるっていうか」
小梅は、その上物の筆先を見つめる。水分が紙に広がるのが何となくわかるから不思議である。その広がりが止まった瞬間、空気は貼り付く。それと同時に張り詰めた空気が紙面に漲(みなぎ)るのであった。
そんな空気を察したか、蟹股ながら忍び足で、筆の元の持ち主が現われた。K.K.のおじさんである。
「おぅ、これは画家のお嬢さん、この天気でご精が出ることで」
「あ、せ、先生、いつの間に?」
どうやら気付いていなかったのは、絵描きシスターズだけだった。この雪道をバイクでカタカタ来た訳だが、その音すら耳に入らない没頭ぶりだったのである。
「てっきり中止だとばかり思ってたら、皆がいたからさ。ほほぉ、白のし潟、いや、そうでもない、か」
画にインパクトを受けたらしく、釘付けになるも、現実の干潟も似たような色が散らばっているもんだから、言葉を失うしかない。しばらく、遠近を見比べながら唸っていた清だが、ふとあるものが目に留まる。
「ところで、その盛ってあるのは何だい? お清めかい?」
「いえ、雪で筆をとくとまた違うんじゃないかと思って」
「ははぁ、どうりで寒々した色が出てる訳だ。筆にとっちゃ寒稽古ってとこかな」
「あ、ごめんなさい。大事にしなきゃいけないのに」
「なんのなんの。春先には生え変わるさ、ハッハッハ」
小梅も釣られて笑っていたが、末尾が違っていた。「ハッ、クシュン!」
この間、他の四人は雪ダルマにかかりきり。炭やキャップで顔をアレンジしたり、ストラップバンド片で飾り付けを試みたり、三十代半ばの男女もすっかり童心に帰って、完全な球体に近づけるべく、そこかしことなでまわしている。小梅のクシャミでバケツがずれたが、ともかく完成。ここで、遅まきながらアラサーの二人がやって来た。
「じゃ、記念に撮りますか」
「そしたら、あっちの三人も呼ばなくちゃ。おーい!」
漂着物の中から這い出してきたようなダルマを真ん中にして、八人が並ぶ。最初の撮影係は千歳。次は十月の回同様、永代先生が買って出る。「今回はbeautifulぅ、というよりはwonderful!かしらン」 霙は激しくなっているが、ドラマチックな写真を撮る上では、ここは我慢。
「ダルマさんも笑ってますからねー。皆さんもマネしてネ。ハイ!」 ワンダフルでスマイルフルな一枚がまた増える。蛇足ながら、そのスマイルのU字を形作っているのは、どっかの手提げ袋に付属していたと思しきプラスチックの取っ手である。とってもいいアイデア、と誰かさんが云ったかどうかは知らない。
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