2008年2月12日火曜日

32. 開会!

十月の巻

 天気予報に関しては、「初姉の気まぐれ某」という訳にはいかないので、とにかく早起きして、天気図や気象情報サイトを見比べながら、荒川流域のお天気を占う初音。「概ね晴れ。微風。クリーンアップOK!」 ケータイメールで短信を打つ。中継役の弥生はこれをもとに、「漂着モノログ」の掲示板(テキスト枠)にアクセスし、ショートメールを流し込み、「予定通り開催」の旨、付け加える。千歳流のプロセス短縮で、弥生に掲示板係を兼ねてもらったため、正に速報が載るに至った。だが、誰が見ても明らかな晴天下にあって、わざわざこのように載せるのもどうかと思う。むしろ雨女さんの動向次第なので、「舞恵さんと雨雲の相関予報とかの方が意味あんじゃん?」と一人毒づいたりしている。一応、higata@にも一筆入れつつ、「九時半には間に合わないかも...」とおことわりを付す。午前八時、姉がせかせかやっている間、弟はようやく起き出して来る。すでにある程度準備はできているので余裕なのだが、ある人を干潟に連れて行くミッションが控えている。遅れそうな理由はその人物と関係ありそうだ。

 巡視船ツアーの日、文花と南実がカフェめし店で話し込んでいたのは、この三連休の過ごし方についても含まれていた。文花宅に泊まり込んでいた南実は、今回は電動車ではなく自動車で現場に急行することになる。文花の運転で、九時前にセンターに到着。予め用意しておいた機材やら資料を女性二人でバタバタと運び出している。電池式のアンプスピーカー(ワイヤレスマイク付き)、折り畳みイス、簡単な掲示ができるスタンド等々、重さがある物は全てセンターの備品。今回のクリーンアップの隠れ主催者としてセンターも名を貸すことにして、とにかく使えるものは使おうというチーフならではの一計である。あとは櫻が揃えておいた受付台紙、ゴミ袋、救急箱、電卓、文具類、参加者用筆記具(というか景品)等のほか、タイムテーブルと注意書きを拡大コピーした大判巻紙と受付の案内表示紙(タテ長拡大)も。何とこの拡大系、あのお騒がせの冬木からの差し入れなんだとか。お詫びのつもりもあったのかも知れないが、この手の代物は会社で造作なくできてしまうようで、櫻からの原稿ファイルから起こして、さらっと送ってよこしたものである。文花宅からは、南実の荷物のほか、農作業グッズやら大きめのブルーシートが持ち込まれてあって、軽自動車の車中は何となく満室に。
 「文花さん、許可証って持ちました?」
 「クルマの中にあるはずだけど、念のため予備も持ってこか」
 石島課長と話をつけ、この日のためにちゃっかり河川敷通行許可証なるものを入手していたチーフである。予備はそれをコピーしたもの。なかなか入念で結構なのだが、自分にとって必要なあるものを忘れていた。まずは自身に対して世話を焼く、というのも大事だったりする。
さ「お早う、いや、お遅うなりまして。すみません」
ふ「まぁ、千住姉妹。大丈夫よ。だいたい積み終えたから」
あ「あ、小松さん...」
み「皆さんにはお世話になってるんで、ね」
 南実が最後にデータカードを挟んだクリップボードの袋を持って降りてきたところで、姉妹が現われたという図である。
 「蒼葉が画材とか用意するのに手間取っちゃって」
 「画材? あら画板まで」
 「いい天気なんで、お絵描き日和だなぁって」
 画板はクルマで運んでもらうことにして、クルマ組と自転車組はここで一旦別々に。スタッフ集合時間の九時半まであと十五分ある。

 同じ頃、発起人はすでに堤防上にいた。出動は早かったが、いつもの如くノロノロ自転車を走らせる。案内板を出す位置を探りながらなので、尚のこと遅い。片手には百均で仕入れたというミニ黒板を抱え、もう片方の肩にはパンパンのマイバッグ。エディターズバッグなるものが流行っているらしいが、ライターの彼のはライターズバッグという訳ではなく、単なる無地の肩掛け袋である。何でもかんでもすぐに取り出せるのがウリらしい。いったい今日は何を詰め込んでいるのやら?
 一方、れっきとしたエディターズバッグをお持ちなのは、曲者edyさんである。エドでedyかと思ったら、今は情報誌の一編集者ゆえ、editorからエディと名乗っているようだ。本日の干潟一番乗りは、このedyさん率いる「チーム榎戸(えど)」ご一行。受付係、ロジ係、撮影係、そして榎戸ご本人の四人様である。陸上ゴミを見ながら議論をしているのはよしとして、四人中半分が喫煙者。今もタバコを咥(くわ)えているのが二人いる。ゴミを目の前にポイ捨て、なんてことはないとは思うけど...

 九時二十分、橋の途中で景色を楽しむ姉妹を横目に軽自動車が抜き去った。文花のケータイが珍しく音を立てたのはこの直後。
 「南実ちゃん、出てぇ!」
 「ハイハイ」
 電話の主は、八広(やつひろ)君であった。
 「あれ、矢ノ倉さん?」
 「もしもし? あ、小松です。文花さん、運転中なんで」
 「はぁ、そりゃ失礼しました。今、大丈夫スか?」
 スタッフとして予定していた八広と舞恵だが、いわゆるドタキャン発生。その連絡だった。何でも十月の異動で別の業務に廻ることになった舞恵姉さんが「やってらんねぇ!」とか言って土曜日は荒れ気味だったんだとか。ワイン呑み放題のイタめし風居酒屋に行っちゃったのがまた良くなかったようで、ヨロヨロになってしまった彼女を本人宅に何とか運んでそのまま介抱する羽目に。彼氏業も大変である。
 「て訳で、ルフロンの面倒見てるんで、今日は欠席します。皆さんにヨロシクです」
 「お大事に... はい、じゃ」
 通話を終えた時はすでに堤防道路のゲート前。橋下の駐車場へはそのゲートの脇のスロープを下りてUターンするような感じで進入できるが、堤防下の河川敷道路をクルマで進むには、Uターン地点の先に設けてある別のゲートをクリアしなければいけない。スロープを徐行し、一時停止。文花はクルマを降り、橋下駐車場の係員に掛け合いに行く。通行許可証はまずここで効力を発する。

 ハザードを点灯させつつ、軽自動車はノロノロ進む。いつしかその先を姉妹の自転車がスイスイ走っている。ゲートで止まっている間に、堤防上を通過していた、ということらしい。グランド詰所の脇で左折するところで、ミニ黒板が目に止まった。左向き矢印とともに、「干潟クリーンアップ会場(10:00~受付開始)」とチョークで書かれてある。「ハハ、立てかけ黒板か。ないよりはいいかしらね」「でも、地面に置きっ放しだと、ゴミと間違えられるんじゃ?」 黒板を設置した本人はすでに干潟に着くところ。そこに姉妹が追いつこうとしている。間もなく九時半になる。

 リュックにちょっとした機材を詰めてきたせいで、ペダルが重くなっていた業平が来た頃には、チーム榎戸とhigata@メンバーの顔合わせは済んでいた。両チームを取り持つ意味ではキーパーソンの業平だが、置いてきぼりを喰った格好である。
 「あなたがGo Heyさん?」
 「実際にお目にかかるの初めてなんですよね。おふみさん、あ、いやチーフ!」
 higata@メンバー内で最後に残っていた顔合わせがここでようやく実現した。日数がかかった分、感激もひとしお、かどうかはいざ知らず、この二人、前々からお互い気になっていたフシはある。ちなみに、業平は年上女性も案外好み、文花は長身男性がタイプ、ということは...
 チームの別はさておき、女性が五人に男性五人が揃った。男女バランスがとれた形になるも、現場慣れした人数比ということで言えば、女性優位というのはいつも通り変わらない。チーム榎戸の撮影係はまたタバコを取り出すが、ただでさえ優位なhigata@女性陣から一斉に「あー!」とやられてはもうタジタジである。未点火の一本を落としかけるも、何とかキャッチ。だが、足元には先の吸殻が燻(くすぶ)っている。迂闊な行動で尻尾を出してしまった一員に対し、冬木は淡々とポケット灰皿を差し出す。ポイ捨てしたのを知っていたか否かはさておき、吸殻が接地してしまう前に出してこそ発生抑制(狭義)につながる。いや、そもそも吸わないに超したことはない。ついつい一服てのは、広告代理店チックというか、業界関係者ならではなんだろうか。
 段取りは概ね打合せ済みだったが、受付の配置や参加者の誘導動線といった立体的なイメージはあまり練っていなかったことに気付く一同。ここは正に現場力が問われるところである。文花のクルマを囲むような空間展開を考え、モノログ見た組の受付はクルマのトランクスペース、情報誌見た組は、その隣でクリップボードを使って書き込んでもらう方式、ということにした。クルマの一空間を使って受付というのも変な話だが、バックドアをオープンにして、折り畳みイスを配置、あとは蒼葉が持って来た画板を借用して台にすれば「即席」の一丁あがり、ということである。何人来るか不明だが、受付と言っても、不慮の事故に大して保険適用するのに必要な最低限の情報を書いてもらうだけなので、それほど大がかりにすることもなかろう、とのこと。これは、矢ノ倉女史がご学友に尋ねて得た話。情報通というのは本人が全て知っているということを指すばかりではなく、誰に聞けばいいかを弁えている、というのも大アリなのである。

(参考情報→行事用保険

 そのご学友は、弥生と六月とともに、路線バスに揺られていた。
 「ホラ、先生あそこ、見える?」
 「えぇ、何となく人だかりが...」
 夏休みの自由研究があまりに上出来だったものだから、クリーンアップイベントに興味津々だった永代先生である。六月から誘われたのと前後して、旧友からも行事保険の件なんかで問合せがあったりで、お導きを得たような感じになった。夏休み最初の日曜日、無料送迎バスの車窓から文花と六月の一行を見かけて不思議に思っていたが、接点が重なったことでその謎は解けた。今日はさらに、少年をひと夏で逞しくした謎、つまりその「現場」とやらに何があるのかを見てみよう、そんな飽くなき探究心が彼女を動かしている。旧友との再会も楽しみだが、きっかけはあくまで我が児童、六月にあった。
 かつての児童だった小梅は、姉と一緒に現場に向かっていた。大人の皆さんは、着々と準備を進め、ブルーシートを広げたり、拡大コピー紙をクルマの側面に貼り付けたり、ワイヤレスマイクのテストをしたりしている。ちょっと気が引ける十代姉妹だったが、higata@のお姉さん方の歓待を受け、すぐに溶け込む。
 「ルフロンさんと八宝さん、どうしたんスか?」
 初音はまだちょっと浮かない顔で、誰に聞くでもなく問うてみる。
 「え、まぁ、その...」
 櫻は答えにくそうにしていたが、直々に連絡を受けた南実がストレートに返す。
 「彼女はワインの飲み過ぎで二日酔い。彼氏はそれにつきっきり、ですって」
 「あちゃあ。やってもうた、って感じスね」
 敬愛するルフロンさんだが、ドジっぽいところは前回織り込み済み。またしても魅力的な一面を知った気がして、初音は驚くも何も、ただ小気味良いのであった。
 「それにしてもドタキャンになっちゃうとはねぇ。分担どうしよ」 と今日は千歳が憂い顔になるも、
 「こういうのって、市民活動にはつきものでしょ。あとは現場力次第...」 とチーフはケロっとしている。
 「その『場力(ばぢから)』を唱えてた人物がこれじゃ... 面目ないというか」 八広の身元保証人のような千歳としては不本意さが拭えないようである。

 九時五十分近く。徒歩組三人がようやく辿り着く。弥生はもともとスタッフ要員だが、ドタキャン二人をカバーして余りある助っ人が加わることになる。一人は先生、一人は児童、「待ってました!」である。
 「矢ノ倉、久しぶり!」
 「おひささんこそ、お久しぶり... ヘヘ」
 「何それ? アンタいつからダジャレ言うようになったの?」
 「さぁ。ここにいる若手、いや特にアラサーの男女の影響かな?」
 「何か転職して変わったわねぇ」
 文花を苗字で呼び捨てできる人物というだけでも十分インパクトはあったが、その文花の旧友、かつ六月の担任、さらには小梅の元担任と来れば、重量級役者である。ジャケットシャツにピンタックスカートと、装いは極めてシンプルだが、役者は役者。たちどころに皆の注目を集める。
 「ほ、堀之内先生、ようこそ」
 「石島さん、ホント大きくなったわね」
 「先生もすごく元気そう」
 「フフ、まあね。二年前は大変だったけど...」
 恩師と卒業生の間で、初音は深々とお辞儀したりしている。過去に何かあったようだが、そういう話はまた後ほど。ひとまず一同揃ったところで、チーム榎戸の受付係のお姉さんが何かを配り始めた。白色だと一時盛り上がった某バンドになるが、これは藍色。太めのリストバンドである。
 「あ、皆さん、それスタッフ証代わりってことで。ちょっと目立たないかも知れないけど、どうぞ」 舞恵と八広が不在なため、小梅と六月にもそれは手渡された。ゲストの永代にも予備の一本が渡る。こういう小道具に関してはさすが広告代理店、と言っておこう。
 「じゃ、誘導係は弥生ちゃん、お願いします。監視係は本多さん、陸上ゴミは、堀之内先生と若いお二人さん、でいいかしら」
 分担の組み替えはこれで何とかまとまった。あとは臨機応変に適宜入れ替わり立ち代わり、である。案内に載せた開始時刻は十時。あと五分で始まる。スタッフ証を付けた人数、総勢十五人。タイムテーブルを見つつ、開始前に簡単なミーティングを行い、参加者を待つ。一般的には開始時刻が記されていれば、その前に何人かは来るのが相場だが、場所が奥まっているせいか、はたまた黒板に受付開始が十時と書かれていたせいか、今のところ一般参加者はここには来ていない。ただ、詰所付近には何となく人垣がチラホラできているので、
 「あたし、行って案内してきます。開始時刻ってどうします?」 誘導係は、千歳からチョークを受け取り、業平のRSBに跨(またが)るところ。
 「そっかぁ、受付開始とクリーンアップ開始って特に分けなかったのよね。とにかく受付はOKですよね。十時十五分開会、かな」
 「ま、何かあったら... 文花さんのケータイ鳴らします」
 「聞こえるかどうかわからないけど、アナウンスも入れっかな」
 とこんな感じでhigata@メンバー主導で会場は運営されていくのであった。
 秋の虫の音、涼やかな微風に揺れるヨシ、ススキ、セイタカアワダチソウ... 受付時間中は一転して、爽秋のひとときが流れる。いや、少々落ち着かない女性が一人いらした。
 「ハ、ハクション! うぅ」
 言わずもがな、クシャミの主は文花である。ケータイ越しで一喝された冬木は、櫻以上に文花に恐れをなしていたが、弱点見たりと思ったか、いそいそと近づいて来る。
 「矢ノ倉さん、この度はいろいろとお騒がせしまして」
 「いえ、こっちも助けてもらいましたから。ハ、ハ...」
 「矢ノ倉ぁ、大丈夫? マスクとかないのぉ」
 「いやぁ、ちゃんと用意しといたんだけどさ。下駄箱の上に置き放しで来ちゃったのよねぇ。まだ若いのに不覚だワ。クション!」
 冬木はしたり顔で様子を見ていたが、クシャミに気付いてリーダーが飛んで来た。救急箱を開けると、そこには未開封のマスク。
 「文花さん、だから言ったのにぃ」
 「へへ、出る直前でうっかり、ね。そういうことあるでしょ?」
 「ハイハイ。今日はこれ付けておとなしくしてらっしゃい」
 「ホーイ」
 永代にもこのコンビの妙味がわかったらしく、吹き出しかけている。冬木は「やっぱ、千住さん手強い?」と考えを改めることにした。

 十時を過ぎ、チラホラと受付に人が集まり出した。モノログ受付は蒼葉が担当。社会人とご年配が一人ずつ、学生グループ三人といったところ。モデルさんが立っていると目を引くので、皆、彼女の方に流れそうだったが、そこはチーム榎戸。センター備品の簡易掲示板に「情報誌見た!受付」の紙を貼り出し、読者をしっかり専用受付に導いている。こっちは流域媒体としての強みあってか、情報誌のターゲット層である三十代・四十代中心で、小学生二人を含め計十人を集めた。業平は気を利かせて、道具類に不備がありそうな人を見つけると、予備の袋や軍手を配って回っている。陸上ゴミ担当になった三人は、その塊を前にして作戦会議をしている模様。八広の代わりにプチ干潟の監視係に回ることにした初音は千歳と通路の確認に出向く。南実はブルーシートに腰掛けて、解説用のフリップの順番をチェック中。そのお隣には、マスクさんがおとなしく荷物番をしている。
 「ハイ、あ、弥生さん。どしたの? クシュン」
 「通りがかりだけど参加していいかって?」
 「あ、ちょっと待って、ハ...」
 ちょうど業平が傍に来たので、そのままケータイを渡す。
 「クション! あ、あとお願い」
 「?」

 「なぁーんだ、本多さん? エ、まだあるから大丈夫って?」
 袋と軍手を高々と掲げている。詰所までやや距離はあるが上背のある業平ゆえ、すぐに確認できた。弥生は手にしていた黒板を置くと、飛び入り参加の若夫婦を引き連れ、会場へ。そろそろ十時十五分になろうとしている。
 櫻は、マイクテストを兼ねつつも、その都度気付いたことをアナウンスしていたが、開始時刻になると、一段とトーンアップし、切れが出てきた。
 「皆さん、こんにちはっ! 今日はようこそお越しくださいました。情報誌見た!の方、ハイ! あとはブログ見た、の方々でしょうか。あっ、飛び入り参加も、どうもありがとうございます」 参加者に挙手を促しつつ、巧みに場を盛り上げている。
 「申し遅れました。私、千住櫻と言います。進行役を務めさせていただきます。私を含め、このバンドをしているのが今回のクリーンアップのスタッフです。どうぞよろしくお願いします」
 スタッフが頭を下げ、参加者から拍手が起こったその時、もう一人の先生が颯爽とバイクに乗って滑り込んできた。
 「はい、演出通り、おじさんライダーがやって来ました。荒川のご意見番、いや守護神、掃部清澄先生です。拍手ーっ!」
 ヘルメットを外したら、周りからやたらパチパチと音がするので、面食らっていた先生だったが、櫻からマイクを渡されると、テレながらもいきなり全開。
 「掃部でございます。呼ばれなくても、名前がカモンなもんで、こうして来てしまうんですわ。どうぞお手柔らかに」
 会場には三十余名がいるので、ちょっとした笑いでもどよめきになる。隠しマイクを手にしていた櫻は、どよめき止まぬうちにすかさず、
 「先生、来て早々何ですが、開会挨拶なんていかがです?」と振る。
 「いやぁ、ここにお集まりの皆さんは心がけのいい方ばかりだろうから、別にこれと言って。ただしとつ、ゴミを捨てるのが人間なら、し、ひ、拾うのも人間。他の生き物はゴミは出しません。ここのし潟も私達が片付けない限りは元通りにはならない。ひ、干潟、ヨシ原、そして川、生き物たち、皆つながって、元気になっていくことで私達も元気に、ってことです。今日もしろって、しっかり調べましょう!」
 「ありがとうございました。先生のご名誉のために付け加えさせていただくなら、し潟は干潟、しろうは拾う、でございます。生粋の江戸っ子、荒川っ子でいらっしゃるので、その辺はひとつ大目に...」 先生は「いやぁ、まいったな」と頭を掻く。
 お次は先生の弟子の出番である。業平にフリップを預けると、南実がマイクを握る。
 「先生の前でやりにくいんですけど、他の生き物が困っている様子をここで少々お話させていただきます」
 研究員らしい粛々としたトークとともに、淡々とフリップが繰られていく。レジ袋を誤食して窒息してしまったウミガメ、釣り糸に絡まって息絶えたペリカン、漁網が首に絡み付いて流血しているオットセイ、海面に漂流するプラスチック製品をついばむ海鳥、その海鳥の砂嚢(さのう)の拡大写真には、レジンペレットなどの砕片が... さらに、プラスチック系の袋ゴミなどが詰まったイルカの消化器の解剖写真がそれに続く。大人が見ても刺激的な画(え)は子どもにとってはよりショッキングだろう。文花と櫻を除いては、higata@メンバーも初めて見る動物被害実態の数々。参加者の中には、目をそらす者もいたが、しかと心には刻まれたようだ。こうした話は性格的にストレートな面がないと難しい。直球派の南実だからこそ、できるのである。

(参考情報→ゴミが動物を襲う

 「これはプラスチック製のリングが嵌(はま)って取れなくなってしまったアザラシです。好奇心旺盛なんでこれで遊んでいたんでしょう。ところがこの通り。自分ではどうすることもできない。ヒトにとってはただのゴミでも、動物には凶器なんです。と、このバンドも...」
 チーム榎戸の面々はヒヤリとなる。業平も繰っては見入り、その都度目を見開いていたが、この一言でやはりギョッとなっている。スタッフ全員、その凶器を付けているので、話を転じるしかないところだが、
 「これはスタッフ証でもありますが、我々人間への戒め、と考えることもできます。スタッフの皆さん、くれぐれも落とさないように気を付けてくださいネ」 とさりげなくまとめてみせた。この辺り、南実も十分キレ者である。
 「小松さん、本多さん、どうもでした。という訳で、悪さをするとこのバンド、どうかなっちゃうんでしょうか、ね? 榎戸さん」
 「ハハ、勘弁してください」
 文花は櫻のトークを愉しみつつ、学びつつ、そして冬木への戒めに喜々としていた。ここからは引き続き櫻ショーである。今日の櫻のいいもの其の一、指示棒を取り出すと、掲出済みの注意書きをビシビシやり始める。higata@での議論の賜物ではあるが、たたき台は櫻の手による。書いた本人ならではの説得力を以って、皆々に伝えられていく。
 (1)お子さんだけの干潟入りは避けてもらうこと、(2)船舶が通った後は大人も注意を要すること、(3)ぬかるみ、崖地、深々した草むら... 足元が覚束ないところは無理して踏み込まないこと、(4)鋭利なゴミは素手では絶対に拾わないこと、(5)悪臭ゴミ、爆発危険ゴミ、その他の危険物や薬品等は拾わないこと(見つけたら干潟スタッフに申告)、(6)細長いもの(花火の燃えカス、針金等)は折ってから袋に入れること、等々。クリーンアップの成果も大事だが、こうした安全面が守られさえすれば、行事としては成功同然と言って過言ではない。「無事此れ名馬」の道理である。
 「あとですね、放っておけば自然に還るもの、天然素材・自然由来... そういうのは拾わなくていいです。ただ、木でできた家具とか、カマボコの板とか、そういうのは一応回収します」
 お手洗いや水分補給は適宜、気分が悪くなったらスタッフに、最後に、
 「喫煙される方には申し訳ありませんが、ここは原則禁煙、でお願いします。どうしても吸いたくなったら詰所脇の喫煙コーナーで」 と釘を刺す。
 千歳はデジカメで要所要所を撮っていたが、チーム榎戸の撮影係は開会からずっと動画モードで記録中。三脚なしで微動だにせず収録するあたり、さすがはプロと千歳は思っていたのだが、この原則禁煙の話が出たところで、手許が狂ったようだ。「ありゃりゃ」とかやっている。これも櫻ならではの機転、いや訓戒が利いたということか。
 ここで掃部先生が一声。
 「櫻嬢、マムシの話はいいのかな?」
 「エ? マムシですか?」
 これを聞いてギクとなっているのは女性教諭である。魚がダメな人の友人だけあって、何となく共通点がある。永代はヘビなど爬虫類が大の苦手。教室で悪ガキに泣かされたのもトカゲが原因だった。過去を知る小梅は恩師を気遣っているが、旧友は素っ気ない。
 「皆さん、草叢(くさむら)にはあんまり近づかないことをお勧めします。自然が還って来たと言やぁ喜ばしいことなんだが、この時期、こればっかりはどうしようもなくてさ」
 蒼葉は耳を傾けながらも受付を続けている。情報誌見た組の方も含め、この十数分間の間に、チラホラ参加者がやって来ていて、いつしか全体で四十人近くになっていた。三連休の中日にしては、よく集まったものである。
 クリーンアップ参加経験などを聞きながら、所要時間の見当を付けてみる。進行役は、タイムテーブルを示してはいるが、何時に何々とは言わず、大まかな段取りだけを説明する。
 「おかげ様で多くの方に来ていただいたので、拾う作業はすぐに済むと思います。調べるのに時間がかかる訳ですが、それはまた集めてから考えましょう。あとはブログ組、情報誌組、各会場での指示に従ってください。飛び入り参加の方はひとまず陸上をお願いします。皆さん、くれぐれもケガのないよう、ご無理なさらぬよう、安全第一で。では!」
 ここまでの櫻の進行、いやマイクパフォーマンスと言うべきか、とにかく一級品であったことは間違いない。どことなく拍手が起こり、千歳も惜しみなく手を叩く。目が合った櫻は俯きながらも一瞬片目をつぶり、彼に合図する。そう、ここからは別々の会場で、それぞれの本分を発揮することになる。彼女なりに緊張感を維持した上での合図、だったのである。

 かくして実質的なクリーンアップは十時半スタートとなった。タイムテーブルでは十時二十分見込みだったので、すでにオーバー気味だが、この大人数である。台風後増量を見越して、回収作業は十一時を区切りにしてあったので、それはキープできそうだ。三十分もあれば大方片付くだろう、との読みである。だが、潮時担当のお嬢さんに云わせると「いやぁ、水嵩に追われながらのクリーンアップって、結構シビアかも」とのこと。つまり、時間的に余裕はあっても、水位との勝負は避けられず、いかに短時間で片付けるかがやはりカギとなる。時間との戦いは変わらない。手製で防流堤(干潟面ゴミキャッチャー)は作れても、上げ潮を抑える防潮堤のようなものは不可能。現場力はこうして試され、高められていく。
 いつもの干潟に展開するブログ(モノログ)チームは、防流堤を完全埋没させる勢いで覆う枯れヨシの大群に刮目(かつもく)していた。その茎の絨毯(じゅうたん)には所々奇妙な形の流木も混ざっていて、回収作業を躊躇させる。櫻は前回に倣(なら)い、障害物を除けることを提案。監視係の業平を筆頭に、学生諸君が加わり、せっせと運び始めた。千歳からデジカメを借りて撮影係(兼 相談係)をしていた南実は、その絨毯の量から慮って、「調べるクリーンアップ」が過重な作業になる可能性を悟る。
 「ねぇリーダー。今回は表に出てるゴミをまず拾って、数えるのはその範囲にとどめといた方がいいと思うけど、どうかな?」
 「ははぁ、小松予測ではこの束除(ど)けるととんでもないことになるって、そういうこと?」
 「だってすでにペットボトルやら、包装類やら、袋片やら、これだけで十分調べ甲斐あるでしょ...」
 そんな二人のスニーカーの周りには、骨組みだけになった安物のウチワ、何故かビニール手袋、波に洗われてクタクタになっているDVDの空ケースなんかが転がっている。
 「いきなりスクープっぽいのが出てくるし...」
 「そっか、現場押さえなきゃ」
 という訳で、大物障害物撤去→めぼしいゴミの撮影→表層ゴミをとにかく袋に入れて搬出→潮の加減を見ながら枯れヨシ絨毯を除去→防流堤の改修、といった作業工程が示し合わされた。潮位に煽られるというのは本意ではないものの、学生諸君なんかにはゲーム感覚で取り組めると映ったようで頗(すこぶ)る好評。よりスピーディーな作業の組み立て、というのがこの時の南実のサゼスチョンによって導き出されることになろうとは。策士とは斯くあるもの、である。
 蒼葉は斜面通路に待機して、干潟表層ゴミでいっぱいになったレジ袋なんかを各人から引き取る作業に励んでいる。軽快に捌いているが、干潟に展開する人数が、多いと十人くらいになるので、分が悪い。草を刈った平面にゴミをばら撒いて、空いた袋を持って戻ると、また次の袋、その繰り返し、である。一段落した業平が見かねて、斜面で足を止め、南実からやや重めの袋を受け取った時、小型巡視船らしき船舶がそれなりのスピードで下流方面に向かって行った。
 「やばい! 引き波、来ますよ。Go Heyさん!」
 「そっか。発令しなきゃ。皆さーん、波に注意してくださいっ!!」
 学生諸君は手を止め、川面に注意を向けてくれたまではよかったが、「マジ?」「キャッホー!」とかはしゃいでいるから始末が悪い。アラウンド20だろうから、自己責任云々と言えなくもないが、監視係の面目ってものがある。「おいおい!」
 「やっぱ、緊急波浪警報!とかやらないとね」 櫻がなだめるも、
 「アイツら、現場をナメおって、フー」 業平は息荒く立ち尽くしたまま。
 「いや、彼等が悪いばっかりでもないのよ。巡視船のクセに波立てるから...」
 かつて波にやられた南実にこう言われては監視係も落ち着くしかない。
 「さっき小松さん、引き波って言ったけど、それって?」
 「船が引いて起こすからそう言うみたいだけど、よくわかんない。ただ、自然保護地区だかは、波立てないように航行すべしって指定されてるんですって。それが引き波禁止」
 「潮が上がって来ているところに、それと逆方向、しかもあのスピードでしょ。まぁ、確かにさっきのはヤバかったわね。大波小波に小松南実...」
 「何か言いました?」
 「波のことなら南実さん、かなって。フフ」
 櫻は誰でも相方にしてしまうようである。
 監視のお役目は辛うじて果たせたものの、袋の引き取り役は果たせずじまい。そんなGo Hey氏を含むアラサー三人の脇で、蒼葉は黙々と往復していた。波の一件で中断はあったが、そんなこんなで表層ゴミは粗方(あらかた)取り除かれた。
 蒼葉様様である。