一週間後は、中秋の名月デーである。
「櫻さん、また帰らないと妹さんに怒られるんじゃない?」
「大丈夫です。千歳さんと会うから、って言ってあるんで」
「だって今日は一応、仕事絡みよ」
「そう言っておけば、おとなしく認めてくれるんで」
「よくできた妹さんだこと」
「姉譲りですワ」
名月は東の空から徐々に高度を上げつつある。十九時にしてすでに辺りは暗い。いつしかそんな時候になった。
フットワークの軽い八広がまず現われた。文花がご自慢の珈琲を淹れに行っている間に、千歳が到着。帰宅しているはずの接客係がいたものだから、「ワッ」とかやらなくても、十分不意打ちになっている。
「あれ、櫻さん」
「いらっしゃいませ!」
「早番じゃなかったっけ?」
「そんな、せっかくお待ち申し上げてたのに。いない方がようござんしたか?」
「滅相もございません。またドッキリネタかと思い...」
「何か、いいスね」 八広が短評を入れる。
「あら、宝木&奥宮ほどではございませんわよ」
四人分の珈琲を持って、チーフは先に円卓へ。
「今日は窓際でやりますか」
男性二人は円卓を移動させ、準備完了。いや、まだ出し物があった。文花は珈琲を置くと、今度は自分の机上から小皿を二つ運んで来た。よく見ると、大きさの揃った球状のものがそれぞれ複数...
「そっか、お月見スね」
「じゃ、これ食べたら帰ろっか」
「千さん、たらぁ」
「文花よりダンゴって? そうはさせないわよ」
お彼岸で向島方面に行った際、わざわざ買っていらしたとのこと。
「草餅か、桜もちか、団子か、悩んだけど、月見ですからね」
「白とアズキってのは色でわかるけど、この黄色っぽいのは何ですか?」
「味噌餡ですって。お試しあれ」
「コーヒーと味噌って不思議... あら、美味しい♪」
(参考情報→向島名物と言えば)
女性二人は何だかんだ言っても、団子好きである。このまま本当にお月見で終わってしまいそうだったが、文花はちゃんと憶えている。
「それでね、いわゆるNPO法人の役員体制ってのにこう、ひな型みたいなものがあるのかまずお伺いしたくて」
「活動の実績とか内容によるでしょうね。その活動を支えてくださった方々に対して会員参加のお願いをしつつ、これまで事務方や意思決定をしてきた方からは役員候補を選んでいく。その辺りは共通だと思いますが」
「役員の選び方や人数なんかはその会の定款で決めればいいことですから、これが型ってのは特にないかも知れないっスねぇ。まぁ、代表、副代表、理事複数、あと監事?」
「八広君に云わせると、あくまでその団体の実情に応じて、身の丈に合わせて、というか、とにかく多様でいいって」
「最近は、NGOとNPOとNPO法人の違いも随分曖昧になってきて、NPO法人=会社って思う人も増えてるみたいスね。もっとも、その法人を興す人達が、役所関係だったり、企業関係だったりだと、いくら表向き非営利でも、関わる人の体質上、組織色が強くなりますから、会社と見紛うのも仕方ないでしょうけど。要するに、多様といっても、そういう官製とか会社製とかまで含めていいかどうか、てのはあります」
文花は思うところと一致するらしく、フンフンと相槌を打っていたが、ここで質問を挟む。
「NPOはより概念が広くて、市民活動全般てのはわかるけど、それに法人がつくとなると、やっぱり法人としての制約を受けるってことになるの?」
「法人格を取るかどうかも、選択肢の一つスよね。いろいろな市民団体取材しましたけど、しっかりした体制が組んであれば格なんて要らない、ってとこがあれば、格を取らないと仕事にならないから、なんてとこも。ただ、非営利云々よりも法人という括りが優先されちゃう感じスね。法人格てのは、公的なルールに乗せるための役所の便法みたいな側面があるのも事実です。制約、即ち公的な縛り、と言えるかも知れません」
千歳も聞き知るところを口にする。
「法人実務ってのが出てきますから、それをこなせるだけの人員というか、組織の体力が必要になりますね。でも、格を維持するために本来の非営利活動がおろそかになってしまっては意味ないでしょうから、そこが判断の分かれ目というか...」
「何故、法人格?てのは正直あるわね。最初から既定路線になっていた、というか。でも役所から委託を受けて運営する手前、要ることになってるのよね」
「何となく官製な感じがしなくもないスけど、矢ノ倉さんにある程度、裁量権があるなら、いい方ですね」
「いえ、単に今の準備会役員の方々がうるさくないだけで、ちゃんと公募がかかったらどうなることか」
「選考方法とかは委ねられてないんですか?」
「そこなのよ。だから今日お二人に来ていただいた次第...」
「委託主からは特に?」
「地域振興から環境に担当部署が移ったのと同時にね、担当課長も異動になったの。気心知れてるってのもあるだろうけど、もしかすると委託先を入札方式にする可能性もあるから、お手並み拝見ってことなのかも。あーぁ」
「まあまあ。人選も裁量のうち、ということなら、チーフのお好みでいいんじゃないですか?」
「あとでね、説明責任だっけ、選考過程を開示しろなんて話になったら、そういう訳にもいかないでしょ。何となくそれっぽいことは考えてはいるんだけど、ね」
想定代表理事を立てて、書類選考をその人にお願いしつつ、自らも理事候補に名乗り出てもらうこと、これまでの役員さんには選考を経てもらうこと、関係筋を中心に公募をかけて課題論文などを通して新たに選ぶこと、そんなプランを語る文花。
「今の役員さん?は自分が代表に、とか言ってこないんですか?」
「櫻さんと顔なじみの人が多いから、安心感があるのか、あまり関心示さないみたい、ね?」
「ま、センターにいらっしゃればお話聞いて差し上げてるんで...」
運営に不満があったり、兎角(とかく)主張好きだったり、単に己の虚栄心を満たしたいだけだったり、出たがる人には相応のタイプがある。そんな方が偶々(たまたま)いらっしゃらなかっただけかも知れないが、櫻の接客術ないしは人となりによって抑えられている可能性は否めない。
「代表理事候補の方にはすでに打診されてるんですか?」
「えぇ、まぁね。お返事はまだだけど」
さっきからすっかりインタビュアー調で千歳の質問が続いていたが、ここでブレイク。八広が体験談を持ち出す。
「この間の話じゃないスけど、退職後NPOだとか息巻いて、イケイケの方が代表理事に就いたりすると、ね。運営に馬力が要る場合はともかく、市民活動の性格上、ちょっとどうかな、って思う事例は結構...」
理事が偉そうにスタッフをこき使う例、役職や肩書きがお目当ての輩ばかりで機能停止している例、もっとタチが悪いのは人の上に立ちたい人ばかりが集まって覇権争いが生じている例... どこでどう情報を稼いだのか、その事情通ぶりには目を見張るものがある。イケイケ路線に懐疑的な割には、自身はいい意味でイケイケな八広である。何はともあれ、生来のフットワークと、時代背景から来る忸怩(じくじ)たる想いが彼を駆り立てるのだろう。現場で得た生の声の蓄積、その場数の豊富さ、これは強みでもある。斯く斯く然々を経て、役員体制を考えるにあたっては、候補者をしっかり見極めることが重要、というのが八広の話から導かれる。
「そうは言っても、所詮は人が関わることなんで、何がどう転ぶかはわかりません。そこで事務局長の役割が大事になってくる、そんな話も聞きます」
千歳が取り次ぐ。
「権限が集中するからって、事務局長は理事を兼任できない、てな規定を設けるところもあるみたいですね。でも、仮に他の理事が暴走したりする局面があったら、それを止めるのはやっぱり事務局長なんですよね。その時、同じ理事という立場でないと、ってなる訳です。勿論負担感は大きくなりますし、自制心も求められますけど、懸ける想いが人一倍強い方なら問題ないでしょう。兼任してでも、だと思います」
黙って聞いていた櫻だが、ここでいいことを言う。
「ひな型どうこう、というよりも、自分たちがこうしたい、というのに応じて定款とか体制とかを考えていけばいい、ってことでしょ? 私、文花さんには是非、兼任で切り盛りしてほしいです」
「あら、ありがと。でも、櫻さんがいれば、暴走する人は出ないと思うけど?」
「いえいえそんな...」
何かいいシーンである。だが、今は余韻に浸るよりも、話を深めたい櫻である。
「でもよく考えると、文花さんが理事になるのに、選考過程って要るのかな?」
「匿名で課題論文を出し合って、候補者相互でポイントを付け合うってのは一つの手スね。でも、選考委員がいるなら、その人に一存かな?」
「公募でどれだけ候補者が出てくるか、もありますね。多ければ論文選考もいいけど、少なければ会員による投票でもいいかも知れない」
「会員って、まだ制度化してないわぁ」
「でも、募集かければ早晩集まるんじゃないですかぁ? マメに情報送ってることだし」
「そうねぇ。いや、忘れちゃいけない。名物三人娘効果の方が期待できるわよ」
「じゃ、おふみさんコースとさくらさんコースとか?」
「ファンクラブじゃあるまいし。だいたいおふみさんて何よぉ」
女性二人が掛け合いをやっている間、男性二人は、高度と輝度を増す名月を見ながら、団子を賞味する。
「ミスマッチかと思ったけど...」
「ミソマッチ、スかね?」
月も呆れる軽いギャグ。これでも八広は詩人である。
「味噌餡団子の黄色とお月様の黄色、どっちもいい味出してる...」
これぞ名句。おそれいりました。
定款に盛り込む前提で、仮の会員制度を設定してみては、という話に落ち着く。関係者の裾野というか層を厚くしておいて損はない。
「設立総会時ですかね、その会員の皆さんによって定款と役員が承認されて... それで初めて動き出す部分もあると思いますよ」
千歳としても、ワークシェアリング事例として、NPO法人関係者に話を聞くことはあるので、イロハ的なことは承知している。文花は今夜のゲスト二人に改めて感心しつつも、ふと疑問が沸く。
「それにしても、隅田さんも宝木さんも、お詳しいのねぇ。私、まだまだ勉強不足だったワ。何か特別な思い入れでも?」
「前に先生を囲んでお話ししたことに通じますけど、NGO/NPOって、社会を見つめ直したり、歪みを戻したり、そのためにあるのかなって思うんスよ。行政や企業の補完的な役割がどうとかって言われることもありますけど、むしろ、行政や企業のドライブにブレーキをかける方に意義が見出せる気がします。一度決めたことが固定化して、そのまま行ってしまうこと、自分はそれをドライブって言ってます」
「あと彼とよく話すのは、競争と消費の原理に疲弊した人、疑問を持つ人等々の居場所として市民社会はあるんじゃないか、ってことですね。補完ではなく、より積極的な意味を持つ訳です。生き方の選択肢を多様化させる、と言ってもいい」
「隅田さんも自分も、そういう想いを抱かせる境遇にあって、思い入れも強くなって、それで実態を知りたいってなって、それが動機だと思います」
法人格の有無を問わず、NPOを標榜する以上は「何とかしたい」という想いは欠かせない。その想いの集合体がO=Organizationを形成することになる。はじめに組織体ありきではない。まして、組織の維持が目的化するようなら本末転倒だろう。想いが共有できなくなったら、解散。それもまたNPOだからこそできる特性である。
「そっか、Oって組織だもんね。するとNPO法人って言い方、何か変ねぇ」 と文花が少々脱線すると、
「非営利活動をそのまま訳せば、NPA(Non Profit Action)法人ですかね?」 仕方なく櫻がフォローする。
「本当は市民活動法人で良かったのにねぇ」
千歳が薀蓄のような不可思議なことを言ったところで、NPO談議は幕引きとなる。「市民」という表現は意図的に除かれ、代わりに「特定非営利」になった経緯があるそうだが、要は「何を為すべきか」であり「どんな名称か」ではない。それを暗に言いたかったようである。
(参考情報→NGO、NPO、NPO法人)
談議が熱さを増す傍らで、コーヒーの方はホットではなくなっていた。飲みかけのコーヒーを片手にチーフは、「何か違う飲み物、お持ちしましょうか?」
「麦茶がまだあったから、持ってきますよ」 代わりに櫻が席を立つ。
「ところでおふみさん、理事会はまぁ見えてきたとして、実行部隊というか、運営委員とか、部会とかってのは何か考えてます?」
「理事が決まってからかなぁって思ってたけど、遅い? あ、今、おふみさんて言ったわねぇ! おすみさん」
しばし、歓談モードになるも、
「代表理事候補の方と事務局長の間である程度、決めておいた方が議論しやすいかも知れないスね」 八広が戻す。そして、
「せっかくだから、今いる四人でざっくばらんに...」 文花はホワイトボードを引きずってくる。
「組織志向ではないとは言っても、対外的に説明しやすくする上で、やはり組織図って要るんですよね。NPOいやNPA法人の場合、頂点には会員、その周りにいわゆるステイクホルダー(利害関係者)、会員の下に総会、代表理事、理事会... かなぁ」
千歳が話をふくらますと、文花はそれをせっせと転記し始める。戻って来た櫻はその様子が可笑しかったらしく、「おふみさん、そんなにあわてて書かなくても。ペンがヒーヒー言ってますよ」とからかってみたが、「センセだったら、シーシーね」 あっさり交わされてしまった。
そして文花はペンを止め、想いを廻らせる。そのセンセが代表理事に就いてくれれば... この図式も変わってくるかも知れない。
ち「で、部会の位置づけですよね。理事会の下に枝分かれさせると、理事が部会を担当するって形態を示すことができると思います」
ふ「ほぉ。担当理事制ってこと?」
八「と言っても、センターが何をしたいか、がまず先かも知れないスね」
さ「今のところは、情報提供、普及啓発、調査研究が柱だけど...」
ち「その柱に対して理事、置きますか?」
ふ「理事が先で部会が後って、確かに決めにくい気がする。ある程度、想定できる人材を募らないといけない、ってことかぁ」
ち「部会は必須って訳じゃないですから。集まってから全体をデザインしてもいいと思いますよ」
ふ「そうそうこの間、現場力の話、出たじゃない? 調査研究をふくらませて、現場密着型の、つまり現場力を鍛える部会ってのが一つあってもいいと思ったんだけど、どうかな」
さ「現場って、干潟とか?」
ふ「そうねぇ、仮にセンセが承知してくれたら、担当理事に就いてもらって、櫻さんご担当とか?」
さ「クリーンアップを業務に組み込むってことですかぁ?」
ふ「その方が動きやすくない? そっか、発起人次第か...」
ち「リーダー次第でしょう」
リーダーはしばし考え込む。
「私、現場担当ってことなら、地域探訪とかもやりたいな」
「何か見えてきたんじゃないスか? 地域・現場部会ってのはアリかも...」
干潟作業を業務化するかどうかはさておき、現場を持つことの重要性については、四人そろって認識するところである。ゴミのデータを調べ、発生源なりを研究し、実態を伝える。たとえその発端が地元の企業や商店ではなくても、一定の啓蒙につながる見込みはある。地域限定的であっても、ゴミの発生抑制策を考えてもらうきっかけが提供できるなら、環境情報センターの役割として決して小さくはない。現場かつ具体的数値、これほど説得力を伴う取り組みもないだろう。櫻が考える探訪も、地域を広く現場とした取り組みと考えればその意義は大きい。実際に足を運んで、目で見て、耳で聞き、手で触れ、五感をフルに使ってそこにある「いいもの」を探す、そしてそれをマップに落とし込む。マップは、地域の資源を市民が共有する手がかりになる。地域を見る目が変わる、環境への思いやりも増す、人も元気に... これは櫻が短冊に託した願いに通じる要素でもある。データカードにしろ、グリーンマップにしろ、その手法については調査研究領域になるので、センターの本来機能に適う。そして、その手法が研ぎ澄まされることで、得られた情報もより活用度の高い情報となろう。地域に根ざした確たる情報提供が可能になるのである。調査研究と情報提供を両輪として、そこから自ずと普及啓発が導かれると仮定できるなら、この上ないこと。月が眩しく四人の席を照らし出す。正に光明が射してきた。
「地域系情報を集めて発信するシステムも出来上がることだし、その上、自分たちで稼いだ情報が動くとなれば言うことないわぁ。そういうのって、ハコモノとは言わないわよね」
「文花さんは箱入りですが...」
「ホホホ」
いつもと違って、食いつきが悪いチーフである。今晩の漫談は不発ということか、いや無意識のうちに振る舞いが事務局長然としてきた、そんなとこらしい。
文花は、ボードに部会案を書いた後、漸く自分のポジションが記されていないことに気付いた。あれこれ思案を廻らせていれば、櫻の相方をやっているどころではない。不発の理由がこれでわかった。
「事務局長は、代表理事の隣? 理事と兼任する場合は理事会の中?」
「意思決定の優先順位がわかるような表現になっていればいいと思いますけど」
「他の理事が事務局を軽んじることがないように、理事会と事務局がフラットになっているといいスね。代表理事と理事会の間から線を分けて事務局長、その下に事務局とか?」
「ま、あとはこれを硬直化させないように、定款でうまく規定化、いや見直し規定を設けるとか、そんなとこでしょうか」
中味の濃い時間が流れる。時刻は二十時半近くになっていた。センターは一応開館中ではあったが、世間は給料日、いや月見日和ということもあり、夜の来館者はなし。センターも現場と捉えた場合、来館者が少ないようだと場としての価値が問われることになるが。
「話変わるけど、夜のセンターってこんな感じでいいんですかね。お客さん来ないのに開けとくのって、もったいない気がして」
即席講座などの催しがあればそこそこ人は集まって来るが、毎日という訳にはいかない。平常時にどれだけ賑やかすか。これは接客係としても気になっていたことではある。
「場の有効活用って意味じゃ確かにね」
「部会とかって、つい事業系が中心になっちゃうけど、ハコモノ的要素をどう盛り上げてくか、も部会ネタなんスよね。来客サービスとか相談対応とか人的交流とか...」
「ま、さっきの両輪の話、調査研究と情報提供でしたっけ、その成果を公開報告する場を設ける、ってのが早道でしょうね。あとは部会を夜開いて、オープンにするとか」
「お二人さんには頭下がるわぁ。こういう場をオープンにしてもいいかもね。『センター運営協議会』! ちと硬いか」
餡が良かったのかも知れないが、名月の夜に名案あり、である。さらにいい話が続く。
「法人登記については、本多業平氏が詳しいと思います」
「会計実務は、ルフロンに相談するといいんじゃないスか」
千歳と八広それぞれから、サポーター候補の名が挙がる。若手中心だが、布陣としては悪くない。
「ところで文花さん、お二人に相談料とか、いいんですか?」
「おすみさんは、櫻嬢とのデート権でいいんでしょ。宝木さんは...」
「お団子いただいてますんで。あと、自分としても今日はいい勉強になったし」
「まぁ、お若いのに謙虚だこと。こういう時、謝金とか出せればいいんだけど、NPOはそれがちょっとねぇ。あ、規定作ればいいのか」
「いえいえ。そういうのがないから、NPOが成り立つというか。持ちつ持たれつ、お互い様の精神でいいんだと思いますよ。何ちって」
「そうそう、デート権だって、冗談抜きで余りあるくらい。何せ一番人気の櫻さんと、ですから」
「フフ。おだてたって何も出ないわよ」
閉館時間が近づいてきた。文花はデジカメでボードの板書を撮る。八広は窓の外を見ながら、頬杖をつき、ポーズを取る。月をテーマに散文詩でも、といった面持ち。
「そういや、お月見定番のススキがないスね」
「あぁ、文花さんがね、またクシャミが止まらなくなるといけないから、止めたんです」
「何よそれ。私、ススキ花粉症じゃないわよ」
「今度、河原に行けばわかると思いますよ。イネ科と共通かも知れないから」
「あら、冗談じゃなかったんだ。自分でも調べてみるわ。ありがと」
先だって干潟を下見した際、ヨシ原界隈にはススキも隠れていたのだが、上陸ゴミのビックリと南実のイタズラドッキリとで、花粉どころではなかったようだ。文花の準備品が増えるのは必至か。だが、それはそれ。クリーンアップイベントに向けての全体的な準備の方は着々と進んでいる。冬木お騒がせの情報誌ホームページが不安要因だったが、higata@内での迅速な意見交換の末、必要十分な文面がまとまり、詳細案内としては真っ当なものが粛々と掲載された。それから一週間が経つ。情報誌本体と合わせ、どの程度の人が関心を示し、実際に足を運ぼうと考えているのだろう... 開催日まで十日を切った今、ハラハラドキドキが高じてくる。が、現場力という点では少なからず自負はある。メーリングリスト上でエールを交換しつつ、あとはとにかく当日の好天を祈るのみ。
櫻は食器類を片付けている。八広は館内資料を物色する。残る二人は円卓に居る。ふみさんがすみさんに声をかける。いや、今度はちゃんと本名である。
「隅田さん、唐突だけど情報担当理事っていかが? 非常勤待遇つきで」
「え、本気ですか?」
「本気と書いてマジすよ」
何だか旧いことを仰るが、どうやら本気のようだ。
「非常勤ですか... 僕の都合でよければ」
「週に一度でも構いません。櫻さんと曜日が重なってもOK」
「この話、櫻さんは?」
「サプライズにしたい、でしょ?」
課題論文は一応出してもらうことだけ決めて、委細についてはまた追って、ということに。
「当市民じゃなきゃダメとかってことは?」
「別に役所からの委託が百パーセント、ってこともないだろうし。地域といっても、より広域に捉えて、広く人材を募る方が理に適ってると思う...」
居住地についての規定を設けるところもあるが、文花の考えでは隣接市区とか荒川流域であればいい、とのこと。それなりに案を練ってきたことが窺える。
アラウンドサーティーともなれば、ONとOFFのコントロール、つかず離れずのバランス感覚、そういった点は大丈夫だろう。二人をこれまで見てきた限り、うまくやってくれそう、という確信がチーフにはあった。いつものお節介という見方もあるが、世話を焼くのが好きなんだから仕方ない。
「文花さん!」 おふみさんとは言わず、こちらも改まっている。
「どったの? ニコニコして」
「デート休暇、日にち決めました」
千歳は八広と資料の配置云々で話し合っている。休暇交渉が成立した櫻は、彼氏を呼ぶ。
「千歳さん、デート権をお使いいただく日が決まりました」
「え、日にち指定制だったの?」
「十月十二日、終日です」
「ハ、かしこまりました」
満月は益々空高く、眩(まばゆ)いまでに地上を照らす。四人それぞれの影が離れつつ伸びていく。河原では中秋の風がススキを揺らす。
「ハァ、クシュン」 因果関係は定かではないが、誰かさんがクシャミをしている。
「花粉? ちょっと肌寒くなってきたから、よね」 今夜は、秋の夜長にふさわしい過ごし方ができた。討議にしろ交渉にしろ、実りが多かったことを振り返る文花。決めなければいけないことは多々あるも、気分的には余裕たっぷり。心は満月の如く、である。
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