2008年10月14日火曜日

71. ギャラリーにて


 ひと段落ついたことで、事務局長にも余裕が生まれる。月曜にはおクルマで千住宅に乗りつけ、展示に付される各種絵画を搬出。そのまま千住姉妹とセッティングし、準備は完了。予告通り火曜日には開催される運びとなる。
 総会資料とともに本展案内も届き出した頃だが、KanNaの新着情報にも出たためか、順調な滑り出し。新たな客層の掘り起こしにもなったようだ。

 漂着静物画に関連して、モノログからピックアップして引き伸ばした写真、何となく保管しておいたリアル漂着物なんかも、その週のうちに補足展示されていく。さらには先にまとめた「いきいきいろいろマップ」に、四姉妹で作った初代マップも並べられ、館内はすっかりギャラリー状態に。賑やかなモードのまま週末へ。そして二十二日。

 今週到着分の総会出欠ハガキの整理を終えた昼下がりのこと。生徒と児童が、それぞれの姉を連れてご来館になる。いつものようにお約束は果たされた。
 「あ、六月君。初姉もご卒業、おめでとう!」
 卒業式を終えた翌日なので、気抜けしたような引き締まったような不思議な面持ちの六月。千歳を除いて、周りは女性ばかりな上、そのお姉様方から一斉に拍手を受けたもんだから、余計に顔の作り方がわからなくなっている。当然、返礼も何もあったものではない。
 「あのぉ、一応あたしも卒業組なんですけどぉ」
 姉は弟のことよりも、自分のフォローが先。だが、
 「弥生ちゃんは先週だかちゃんとお祝いしてもらったでしょ? その...」
 「おふみさん、そ、それはまだ」
 「そりゃあない、っしょ?」
 「六月はいいのっ」
 この掛け合いで、トライアングル解消方向とやらの謎が解けてきた。櫻と千歳は大きく頷く。
 「まぁまぁ。今日はお祝いとか特にないけど、ゆっくりしてってね。さてそろそろ...」
 文花の読み通り、十四時ちょうどにその人物は現れた。前後に常連の二人を伴って、というのが彼らしいと言おうか。
 「下でモタモタしてたから連れて来たさ」
 「ほんと、そっくりスね」
 本多兄弟の件は、higata@でも話題になっていたので、初対面でもすぐにわかったと言う。当の兄も、このカップルについては縁結びエピソードともども既知の通り。もたついてはいたが、すぐに打ち解けたようで至ってにこやかである。だが、第一声はズバリ、
 「あ、桑川さん」
 笑顔だったのはこのせいだったか。されど、
 「ども、CEO殿」
 かつての舞恵のようにツンツンとまでは行かないが、ちょっとつれない感じで弥生は応じる。
 「って、呼んだの私よ、お兄様。ま、いいや、ひとまず三人で」
 文花は穏やかな中にも冷ややかさを秘めた口調。傍目からは、新たな三角形(?)と映るが、文花と弥生の間では何らかの諒解がすでに成立している。おそらくわかっていないのはCEO氏だろう。
 矢印の向きをうまく変えていけるかどうか、それは今後の打合せ次第。社業に影響が出ないよう、端的に云えば兄弟喧嘩が生じないよう、そんな配慮をしながらというのが少々悩ましいが、楽しくもある。駆け引きと言っては不可ない。二人娘なりのコラボレーションであり、ソリューションなのである。

 ルフロンと八広は、絵画展その他の見学中。醒めた中にもどこか情感のこもったその青の世界に改めてインスパイアされているようだ。口数が少ない。
 「こういうデコもアリかぁ...」
 「環境関係の施設で絵画って、ありそうでなかった、かもね」
 「でもって、画伯ったらデッサン教室やるんだとか」
 「ハハ、五月開講かぁ」
 副賞を元手に、然るべき場所で教室を開く予定だった蒼葉だが、極めて低予算で開講できる運びとなった。今回の展覧会はその予告も兼ねてのこと、なかなか手筈がいい。
 「舞恵も自作楽器か何か展示して、ついでにえっと」
 「あぁ、漂着物アート教室?」
 「そうそう、ルフロン風Art Decoさ」
 「アールデコボコにならないように、あっ」
 つい口が滑るも、ボコボコにされるようなことはない。ギャラリーでは淑女でありたい。その辺の心得、さすがは奥様、である。

 「ねぇ櫻さん、ステージイベントのチラシってないんスか?」
 「明日集まるから、そん時に相談かな」
 「明日、かぁ。パンケーキ持って...って、ダメじゃん」
 「パンケーキ、人気だもんね。残念...」
 「今日も、あ、そろそろ行かなきゃ」
 こういう時、待ったをかけるのはこの女性しかいない。
 「あとで売れ残り食べに行くし」
 「大丈夫です。いらっしゃる頃には完売にしておきますから。意地悪ルフロンさん」
 「たく、どっちが意地悪なんだか」
 「フフ、ちゃんと釜、いや専用容器でとっときますヨ」

 桜開花の便りが届き始めた時分である。いろいろなものが花開き出すのは自然界も、そして人もきっと同じ。
 「姉御、三十日って空いてる?」
 「何? 誘ってんの?」
 「オイラと川、越えてみない?」
 千住桜木ブルーマップを眺めながら、六月が問う。小梅は当時の帰途を思い出し、手を打つ。
 「そっか、あそこか。乗った!」

 似たような会話がもう一つ。
 「ルフロン、三十日ってさ」
 「年度末だし、多分干物みたいになってると思うけど、練習だよネ」
 「特に新曲、ご自身作詞のね」
 「今日ここでまたイメージ膨らんださ。物が語りかけるような、そんな音、めざす」

 その作曲者は、ルフロンの詞と蒼葉の絵を重ねながら、どう歌い込むかを思案中。顔なじみ客が続いてもお相手することなく、ずっとデスクに張り付いていた千歳は、少しばかり息をつく。
 「どう、千歳さん、KanNaちゃんの更新、OK?」
 「団体分はね、何とか。でも今度は会員の分だよね。ID割り振る前に名簿データ調えなきゃ」
 「あぁ、あっちでそのIDがどうのこうのって」
 「例のITマップに投稿するのに使う、って話だと思う」
 「KanNaもDUOも、でしょ? 応用範囲広そうね」
 「ねらいは課題解決型市民の底上げ、ってとこかな」

(参考情報→1つのIDで複数の機能を使う

 カウンターでは何となく仕事系の話が交わされている。話はその延長で、センターのパンフレット、新年度用入会申込書といった新調ネタに。そしてさらに開花の話題へと転じる。やっといつもの二人らしくなってきた。
 「三十日、御殿山の桜、観に行きます?」
 「それもいいけど、前夜は? つまり夜桜」
 「まぁ...♪」
 件(くだん)の三人はまだ円卓に居て、同じく花開いている最中である。各カップルと違うのは議論の花、である点。それはそれで粋である。

70. カウントダウンが始まる


 ここまで来たら設立するしかない。だが、その成否は総会にかかっている。押し気味ではあったが、事前の準備は整った。今日はこれまでに募った会員各位への議案発送大会である。当センターが得意とするIT系やりとりで以って、議案はwebから、出欠届もEメール等で、というのも一応案内はしてあるのだが、何せ設立総会である。現物主義で確実に、となると、紙なりハガキなりが物を言う。発送件数はそれほどではないものの、資料のボリュームがそれなりなもんだから、出て来られる役員・委員は総出、かつ朝からバタバタ。
 この際、higata@関係者にも手伝ってもらいたいところだったが、舞恵は年度末が近いこともあり、自主的に休出、八広は冬木と打合せだか何だかで揃わない。第三土曜日なので、本来なら第三の男が来て然るべきではあったが、お嬢さんのアタックが利き過ぎたか、ご欠席。
 「ま、業平さんは仕方ないわね。でも、弥生嬢は? 召集かけといたんだけど」
 「ケータイかけてみたらどうですか?」
 ライバル関係にある二人ゆえ、あまりお勧めできる話じゃなかった? 櫻は言ってから気が付くも、
 「そっか、かけてみよ」
 あっさり受け容れられてしまったので、キョトンである。文花がピピとやり出すと、その通話先の女性がタイミングよく入ってきた。
 「こんちはっ。遅くなりました」
 「あ、今ちょうど。ちょっといい?」
 昨夜の余韻覚めやらず、櫻も千歳も今ひとつキレがない。あのライバルどうしがすっかり睦まじくなっているのは何故? まして、業平が昨日どっちと過ごしたか、なんてことはわかりよう筈がない。
 「で、どうだった? うまくいった?」
 「あ、えぇ、おかげ様で。でも今日来ないんですか...」
 「心配ならいいわよ。会いたいでしょ?」
 「おふみさんたらぁ」
 聞き耳を立ててはいたが、笑い声しか聞こえなかった。今や先行カップルで通る二人は、
 「ま、こっちも内緒事項あることだし」
 「何か新展開があったんでしょうね。いずれ自分から話したくなるでしょうから、その時まで。フフ」
 手の方がお留守になりそうだが、ちゃんと動いている。職員というのはそういうものである。

 総会に係る書類を封筒の中に詰め込むところまでは、午前中に終えることができた。続きの作業は午後から再開。封を閉じ、業者指定の宛名ラベルを貼り、引き取りを待つ、それだけ。今は四人が残り、館内でランチタイム。
 「本当はもっと早く出したかったけど」
 「季刊誌その他、前から予告はしてたんだから、いいんじゃないですか?」
 「ま、あとはメールで一斉案内か...」
 「じゃ例の送信方法で。ネ、隅田クン?」
 「へ? あぁ、本人情報確認欄付き、のこと?」
 まだちょっとボーッとなっている千歳だった。すると、
 「Bonjour!」
 春らしい装いでモデルさんがやって来た。誰彼さんは声が出ない。櫻お手製のデリに手を伸ばしつつも、ボー。いや、beauと言いたいようである。
 「あら、手伝いに来てくれたの?」
 「絵画展のチラシ、一応作ってきたんで、もしよければ一緒に、と思って」
 「蒼葉ちゃん、やるぅ!」
 「そっか、同封物...」
 女性四人が集まれば賑やかになるのは至極当然。居心地は悪くないのだが、ここは女性どうしで語らってもらうのがよかろう。
 「じゃ僕はメールの設定始めてますんで」
 気を利かせて移動する。カウンターの隅っこに居る隅田クンである。

 この際、DUOの案内を同封しても良さそうだったが、
ふ「拡大版のメドが立ってからでもいいかな」
や「とりあえず、当日資料は用意します。初仕事として」
 とのこと。あとは、
さ「まだQRコードはないけど」
ふ「せっかくまとめたんですもの」
 原版はカラーだが、今回はモノクロ。A3ヨコに広がるは先週の成果である。
さ「ま、塗り絵として使ってもらうのもアリですね」
ふ「となると、グリーンもオレンジもないわねぇ」
あ「そこは人それぞれでしょう。感覚、感性、感情...」
や「表題は? いろいろマップ?」
さ「それにいきいきを足す」
あ「ひらがなで書くと、きいろ、って」
ふ「でも、グリーンとオレンジで共通する色ってもしかして黄色?」
 話が尽きないので、とりあえずは表題なしで、その仮まとめマップは発送されることになった。
 「封しないでおいて良かったですね」
 「ま、こういうのはできるだけ引き付けて、ってことなのよね。他にチラシとか、大丈夫かしら?」
 「四月六日イベントは?」
 文花を横目に弥生が一言。
 「そうねぇ... クリーンアップは講座の一環だから一応案内出したけど、ステージの方よね」
 「ま、あんまりお客さん増えちゃうとプレッシャーが...」
 「あら、櫻さんらしくないわねぇ」
 「いえ、あんまし派手にやりたくないかな、って。音響関係も一部はお天気次第だって言うし」
 電気系統には、再生エネルギーを組み入れる予定ゆえ、音量にも制約が生じる見込み。それに見合った客数というのも自ずと控えめになる。だが、櫻はこれとは別の理由で、セーブをかけようとしていた。「彼女が演奏に集中してもらえるように、心置きなく旅立てるように...」

 「それじゃ皆様、今日はどうもでしたっ!」
 文花は発送前の箱々を前に、笑顔満面。
 「残るは当日の段取り?ですね。もうちょっと詰めないと」
 らしいことを述べるのはこの人、千歳である。
 「会員から立候補が出なければ、女性議長を立てる、あとはその人の仕切り次第ではあるけど...」
 「って、おふみさんが?」
 「まさか。事務局長はね、議案説明役なのよ。議長からのご指示で淡々と...」
 「フーン」
 「弥生ちゃん、勤務初日だけど来る? 起業家としては設立総会って勉強になると思うけど」
 「あ、ハイ! でも、一応COO(最高執行責任者)と相談します」 議事の記録は新理事で交代しながら、議事録署名は代表が一筆入れればあとは一人か二人か、そんな話が少々。兎にも角にも、発送が済めばこっちのもの。あとは総会成立に必要な出席者、または書面参加が得られればいい。かくして総会までのカウントダウンが、始まる。

2008年10月7日火曜日

69. 三月の表白


 そんなこんなで、クリーンアップ~グリーンマップと続いた講座は、四月に再びクリーンアップ、五月は季節感たっぷりにグリーンマップ、つまり交互に開催すると良さそうだ、という話ともども、続行が決まった。テーマの融合と深化、そして点から面への期待を込めて、のことである。六の月は前年同様、環境の日にちなんだ一席を先生に受け持ってもらうが、クリーンとグリーンのまとめのような企画も設ける予定。と、これがたたき台となり、部会を軸とした年間計画のようなものも見えてきた。
 メーリングリストでの下打合せが活発になると、実際の会合に懸ける思いは強くなる。特にセンター運営協議会(未だ仮称)に至っては、利用者側の視点で委員があぁだこうだとやり合うもんだから、以前にも増して賑やか。平日夜間のセンター利用状況はこうした要素もあって好転していく。見方によっては利用者が利用者のために議論しているようなものなので滑稽でもあるが、内容は極めて真摯。来客サービスの充実、相談対応の拡充、は言わずもがな。ハコモノにしないための工夫や知恵は、それそのものが事業となる。いかに足を運んでもらうか、いかに館内を利用してもらうか、そしていかに「いきいき」してもらうか。当センターにおいては心配ご無用(?)ではあるが、そこにいるスタッフのイキもポイント。それには文花が考えるところの働きながら学ぶモデル、かつ、スロー緩やか大歓迎!式ワークスタイルがいかに実践されるか、にかかっている。情報提供というのは、スタッフの姿勢から発信されるものも含まれる、と言うんだから、見上げた事務局長殿である。
 拠点から現場か、現場から拠点か、の双方向性の話もある。木か森かに通じるこのテーマは、かつて清が称えた二人の理事のバランスに拠るところ大。千歳、文花、櫻の三人に何人かの役員・委員が加わって夜な夜な話し合うことも三月に入ってからはしばしば。総会議案の方も程よいバランスのもと、まとまりつつある。

――― 三月某日 ―――

 そんな或る日の夜である。千歳もいれば八広もいる、という会があった。ミーティング中もどこか落ち着きがなかったので、不思議に思っていた千歳は、散会後、八広に軽く声をかけてみる。
 「ハハ、確かにあんまし聞いてなかったスね。いえ、折り入ってご相談というか、そのぉ...」
 珍しいことがあるもんだ、と思い、ゆったりと聞き役に回る千歳。だが、きっかけが冬木と聞いて、些か面食らう。
 「そっかぁ... でも、それでいい、ん?」
 「いつまでもルフロンに甘える訳にも行かないですし。それに自分でそういう働き方も体験してみないことには偉そうなこと言えない、でしょうし」
 広告代理店とはいえ、一介の会社組織ではある。いわゆる社会人経験を積んでおいて悪いことはない。千歳はゆっくり、されど力強く、
 「勢いのあるうちって言うしね。応援しますよ」
 「あ、ありがとうございます。これも隅田さんのおかげ。程ほどにイケイケで、がんばります」
 「僕は何にも。宝木さんの実力さ」
 さん付けで呼ぶ、これはちょっとした餞(はなむけ)でもある。だが、これまでと接し方が変わるというのは互いに嬉しいような寂しいような、ではある。
 「四月からはあんまりお手伝いできなくなっちゃいそうスけど」
 「何の何の、今は自分でここに通ってるんだし。こっちが貴社情報誌のお手伝いすることになるかも知れないくらいだから」
 と言いつつ、カウンターを一瞥。思わず先輩と目が合う。
 「ま、ここではすでにアシスタントなんだな」
 「?」
 そのフットワークと文才を大いに発揮されたし。流域情報誌がより良質な媒体になることを確信する自称アシスタント氏であった。

――― 三月十四日 ―――

 十四日はあっと言う間にやって来た。翌日に事務的な一大イベントが控えていることもあり、午後からは臨時で千歳も出勤。用紙の白、ハガキの白、宛名ラベルの白、やたら白物とご縁があるのは他でもない。ズバリ、ホワイトデーだから、である。
 櫻ご贔屓の洋風居酒屋にて、ちょっとしたお返しディナーというのを一応セットしてあるので、今の時分はいつもの櫻先輩と隅田クンでいいのだが、さっきから違う意味でホワイト尽くしになっているので、二人とも白々となっている。
 「それにしても、植林木パルプって言っても白色度はそれなり?」
 「原木は? シラカバだったら、天然のままで十分白いと思うけど」
 「ハハ、残念。アカシアでした」
 「アカ、かぁ」
 と言っても、赤とか紅とかは無縁。今はひたすら総会向けの資料原稿をチェックしているので、時に補整用の赤が出てくる程度である。

(参考情報→アカシア紙

 そろそろひと休み、と手を止めていたら、赤い花にまつわる女性が現われた。
 「あら、南実ちゃんじゃない。どしたの?」
 「えぇ、調べ物方々これを」
 「またご親展、ですか。いるわよ本人」
 「え、ウソ?」
 会議スペースで漂白、いや漂泊の時を過ごしていた櫻と千歳が顔を出す。こちらの三角形は今は安定的なので、多少のビックリはあっても綽然(しゃくぜん)の態。
み「ちょっと千さんお借りします」
さ「あ、ハイ」
 当の千歳は、義理某のお返し代わり、南実とのティータイムの件を思い出し、
 「じゃ近場で。すぐ戻ります」
 「あら、当館ご利用じゃなくて?」
 文花は少々解せない風ではあったが、櫻がゆったり珈琲タイムに入っているので、構わないことにした。
 「櫻さんも進化したわねぇ。前だったら、送り出したりしなかったと思うけど」
 「今は勤務時間中ですから。二人のことだから、お仕事絡みでしょ? だったら別に」
 「何かまた親展... あ、いやいや」
 「ま、とにかく信じてるんで」
 十四日にわざわざ、しかも外で、である。全く気にかからないと言えば嘘になるが、これが不思議と思ったほどではない。期せずして心境の変化を悟る櫻なのであった。

 クリーム増量が可能なシュークリームを扱うお店では、ちょっとした喫茶も可能。センターからも程近いこの店に千歳は南実を案内する。
 「お返しの件、忘れてた訳じゃないんだけど、つい連絡しそびれちゃって」
 「いえ、普通なら社交辞令レベルですから。こちらこそ押しかけちゃったみたいで、すみません」
 「で、お話っていうのは?」
 「そ、そうでしたね」
 アイスティーとシュークリームのセットを前にして、南実の動きが止まる。あわててシューを割ったら、クリームがこぼれ出て来た。
 「あ、ツブツブ。これってバニラビーンズでしたっけ」
 牽制球という訳ではないが、直球でもない。南実にしては珍しい揺れのようなものを感じる。千歳はシューには手を付けず、ひとまずアイス抹茶を口に含む。そして待つ。
 「そのぉ、何となく予感はあったんだけど、例の論文がえらく高い評価をいただいてしまいまして...」
 「それは良かった。じゃまた祝賀会でも」
 「えぇ、自分としては喜ぶべきなんでしょうけど、おまけと言うか何と言うか、提携してる米国の研究機関に交換留学、みたいな賞を与(あず)かっちゃって」
 「留学、ですか」
 「で、この話、皆にしちゃうと、バンドのこととか含めてひと騒ぎになりそうだから、どうしよっかって考えてたんです」
 「いつからってのは、もう決まって?」
 「四月の早いうちに、なんです」
 「そっかぁ」
 清はもとより、higata@メンバーも、勿論、文花先輩にも内緒にしていたんだと言うから、相当な逡巡があったに違いない。クリームが皿に流れるに任せ、南実は話を続ける。
 「このまま黙ってた方がいいか、それとも...」
 「四月六日までは平気ですか」
 「最初で最後の出演になりそうだけど、皆とステージには立ちたいです。だからそれまでは何とか。当日はあわただしくなるでしょうけど」
 「演奏に支障、いやメンバーが動揺しない範囲で、こっちで対応考えてみます。一任してもらえれば、だけど」
 「私からはとてもとてもなんで。助かります」
 胸のつかえがとれたか、アイスティーを半分くらい飲み進む南実。ストローを使っていると、そのえくぼが強調される。向き合う異性は思わず息を呑み、胸がつかえたような感覚に陥る。
 「櫻さんとはそろそろ、ですか?」
 「え? いやぁ...」
 「今ならまだ許されるかな。私のこと、名前で呼んでほしいんだけど」
 「南実さん? て」
 「南実、で、お願い」
 女性の名前を呼び捨て... 自称小心者である千歳にとってこれは難題である。抹茶の緑を見遣りながら、内心「こまっちゃうなぁ」状態。ただ、それを言葉にしては、白けてしまう。ここは一つクールにシリアスに行きたい。
 「あ、ありがと、うぅ...」
 かつては実兄にそう呼ばれていたんだろう。千歳の発した三文字は、彼女にとって何よりのプレゼントになった。
 「そうか。櫻って呼ばないもんね。私ったらまたムリなお願いを。あ、そうそう」
 南実はエアキャップ入り封筒を差し出すと、
 「ワレモノなんで、郵送するのやめたんです。で、文花さんに預かってもらうつもりだったんだけど、ハイ! 私の気持ち」
 受取人はゆっくりとその一品を取り出す。それは何と、
 「レジンペレットハート?」
 「京(みやこ)さんから逆に教わりまして。こないだ集めた分とあわせて、完成です。隙間を埋めるの大変だったけど」
 人工物でも想いは伝わる。それは見事なまでの赤いハートだった。
 「プラスチックは丈夫さがウリだけど、脆くもある、かな?」
 「そうです。こう見えても南実は繊細ですから。大事にしてね」
 調べ物がどうというのは口実だったようだ。南実はセンターには戻らず、そのまま最寄駅方面へと去って行った。スプリングコートが南からの風にゆらめく。その姿をしばし眺め入る千歳だったが、ふと我に返る。「そうだ、お土産!」

 口元は白くなかったが、黒い粒々が残っていた。
 「なーに食べてきたの、隅田クン?」
 「え、あっ、ハハ。これです。どーぞ!」
 「何だかなぁ。おやつタイム過ぎちゃってるけど? ま、許して進ぜよう」
 文花と櫻は円卓でジャンボシュークリームを頬張る。口の周りがどうなってようとお構いなし。
 「やっぱホワイトデーは、こうでなきゃ」
 「さすがはダーリンね」
 「文花さんは? 今日はどなたかとご一緒じゃ?」
 「バレンタインにこれと言ったことしてないから。でも相談に乗ってもらったおかげで、ある人にはそれが効果的だったみたい」
 「て、私そんな。ただ、抑えた感じも時には必要って、そう言ったまで」
 クリームが口の中に広がるのを楽しんでいる間は会話もひと休み。
 「いずれトライアングルは解消すると思う。そのうち弥生嬢にもちゃんと...」
 「はぁ。何か文花さん、変わりましたね」
 「ちゃんと自分にもお節介焼こうと思ってね」
 千歳はカウンターから白唇の女性二人をボンヤリと見ている。
 「二人には話しておいた方がいいか、いやまずはやっぱり...」
 今夜の話題が一つ増えるも、その順番が悩ましい。この手の段取りはまだまだ不得手なマネージャーである。

 訊かれる前に話しておいた方がいいと考えるのは、自己弁護のようにも捉えられる。やましいことがなければ別に後でもいい筈なのだが、肩の荷を早く降ろしたいというのが正直な気持ちだった。最初の一杯が赤ワイン、というのも偶然というよりは必然。
 「小松さん、留学するんだって」
 乾杯して早々の第一声がこれ。あまりの突拍子のなさにさすがの櫻も目が点。
 「それって、ドッキリネタ?」
 「何でも論文のご褒美だとかで。でも誰にも話してなかったんだって」
 「第一報が千歳さん、なんだ...」
 段取り失敗か?とドキドキするも、
 「ま、その次が櫻さんてことならいっか。南実さんらしいというか、相変わらずヤキモキさせてくれるワ」
 ワインを一気に飲み干すと、とりあえず笑顔に戻る。
 「で、彼女なりに気を遣って、内緒にしておきたいって言うんだけど、いきなり皆の前から去ってしまうのもどうか、ってね。で、櫻さんにまずご相談と思ったんだ」
 「フーン...」
 話してくれたのは良しとしよう。だが、よりによってホワイトデー、相談内容は他の女性。胸中は複雑である。と、不意に先のクリーンアップでのちょっとしたやりとりが思い出される。
 「そうか、それであんな言い方してたんだ...」
 途端に想いが込み上げて来る櫻。こうなると、この場での対応協議は難しい。
 「とりあえず保留。千歳さんにお任せ、とは言っても本人は多分そっと静かに、が本望だと思う。彼女、あぁ見えても繊細だし、ネ?」
 本人の口からも同じ言葉を聞いていたので、千歳も承服する。だが、櫻は然るべき一計を考え始めていた。自分の誕生日ではあるが、お祝い対象者は多い方がいい。晴れ晴れと送り出そう、それには何を贈ろう... ご相談の一件がいつしか自問モードになっている。

 メインの大皿パスタ、海鮮の某が運ばれて来るも、どこか心ここに在らずの彼女である。彼は具のバランスを考慮しつつ、小皿に取り分け始める。クルクルやりながら一寸ためらいを見せるも、ホワイトソースから立ち上る湯気は、熱と弾みを与えて止まない。そう、ホワイトデーだから聞けることがある。この場を措いて他にないだろう。
 「ねぇ、さ、櫻さん。イクラとイカだとどっちが好き、とかってある?」
 「え? そうねぇ、粒々と輪っか、よね...」
 先読みされたかのような返しが来た。こうなったら話は早い。直球あるのみ。
 「質問、変えます。真珠と指環、どちらも丸いですが、お好みは?」
 「千歳、さん...」
 櫻にとってはサプライズに近い衝撃だった。この問いの意味するところ、わかり過ぎて困るくらいである。
 「って、いつからそんな加速するようになっちゃったのぉ?」
 と言いつつも、実はあまりによく出来たプロセスなものだから、うっとりしている。櫻は、フォークでゆっくりとお好みの方を指す。南実のことが頭をよぎるが、今は彼女に感謝したい気持ちでいっぱい。
 話の順番はどうやらこれで良かったようだ。

* * * * *

 同日夜、もう一つのディナー席は、面接のような、兄妹の会食のような、一風変わった雰囲気を醸し出していた。
 「どしたのGoさん? あ、いけない、業平COO殿」
 「いやぁ、兄貴がボーッとなるのわかるな、って」
 「CEOはいいの。今日はGoさんのためにおめかししてきたんだから」
 数日前が誕生日だったので、お祝いを兼ねてのこの席。主役は白のシフォンワンピースにテーラードジャケットで臨む。ジーンズ姿に見慣れている業平にとって、これは事件。兄同様、萌える想いの何とやらになっている。共同代表は不在ながら、先ほど一次面接は済ませた。今はどちらかと言うと逆面接状態である。
 「で、桑川さんを採用しようと思った動機は?」
 「その才気、突破力、最近ご無沙汰だけど、ツッコミ力、それと...」
 「と?」
 「例の持ち歌かな」
 「それは採否と関係ないんじゃん?」
 実は来るステージに向け、最低でも自分の歌はきっちり完成させたいと意気込んでいた弥生。ベースの猛特訓に加え、歌唱の方も磨きをかけていて、その成果をしっかり自己流ミキシングにてデータ化。これも自己アピールのうち? とにかくCOO、否、バンマスに送っておいたのである。
 「いやぁ、あれは良いよ。歌もベースも、何かこう主張する感じがしてね」
 「DUOとおんなじ。そこにある空気を誰かと一緒に、ってこと。主張というより、或る乙女の願い、かなぁ...」
 出逢ってからしばらくは、ツッコミ甲斐があるとの理由で惹かれていた。その後は、その重厚な音づくりに惚れ惚れ。芸は身を扶(たす)くと言うけれど、業平にとってこれは意想外な展開。だが、そんな彼も今は彼女の音楽性に惚れつつある。
 「で、タイトルは?」
 「breathe, breeze とか。ルフロンさんとまた協議しますけど♪」
 まがりなりにもホワイトデーなので、お豆腐料理中心。でもって改まった席でもあるので、掘り炬燵式の個室にいるご両人である。湯豆腐が上がったところなので、フーフーやりながら、そのbreatheとbreezeの心を語り合っている。しばらく経ったら、互いに深呼吸。弥生は喉元の熱さが和らぐのを待って、ちょっとした問いを試みる。
 「何かあって、仮にあたしがひきこもっちゃったりしたら、Goさんならどうする?」
 「そうだなぁ、一緒にこもる、かな」
 「え?」
 空間的にはおこもり状態のようになっているので、すでに疑似体験しているような感覚。業平はいつになく重い口調で語る。
 「時にはね、充電するのも大事。兄貴だってそう。前向きなひきこもりってのもあるんだよね。だから別に引っ張り出したりはしない。一緒に...」
 「業平さん...」
 聞けば、太平も失恋だか何だかで外に出て来られなくなった時期があったんだとか。業平は意を決して共同ひきこもりを決行。起業アイデアはその間に練ったのだと言う。
 「そっかぁ、良き理解者だぁ。これなら仕事で失敗しても平気ネ」
 「なーに、失敗してなんぼだから。平気も何も、平平さ」
 かくして弥生は直接行動の帰結を図る。
 「ねぇねぇ、あたしのケータイ鳴らしてみて」
 着メロは勿論、業平原曲、弥生編曲の持ち歌である。
 「おぉ、そう来たか」
 「じゃそのまま。ここ個室だけど、一応ネ。乙女はマナーを守らないと...」
 と言い残し、室外へ。
ご「もしもーし」
や「何か逆だけど、告白していい?」
 直接だが間接的。さすがに面と向かっては言えなかったようだ。だが、このアプローチ、ものの見事に彼に刺さった。
 「ハハ、いろんな意味で『採用』!」
 「あ、あとね、おふみさんからいいヒントをいただいたんです。もしもし?」
 アルコールはそれほど入っていない筈だが、室内に戻ると、業平はヘナヘナ。杏仁豆腐の方がずっとシャキっとしている。
 「あ、ゴメン、何だっけ?」
 「拡大版DUO 頑張りマス。よろしくネ」 DUOは広く、そして大きく。入社日が待ち遠しい。