「ヨシは減り、ゴミの露出は増え... 拾えども拾えども我らが干潟は何とやら、じっと...」 遠くを見つめる櫻であった。
今日は近くも遠くもなく、全方位がよく見えるので、脱力感も大きい。気が緩むのは当然の理(ことわり)。
大型ペットボトルが川の中央を漂流しているのがわかる。そして、それを避けようとした水上スキーヤーがジャンプに失敗したのもしかと見届けた。その瞬間である。風圧でも来たのか、デビュー初日のコンタクトレンズ(本日の「いいもの」)が片方落ちてしまった。
「へ? な、なんで?」
櫻の異変に周囲は気付くも、こういう事態だと下手に動けなかったりする。
「櫻さん、動かないで。そのまま」
片目では探しにくい。本人もできれば動かない方が無難である。たまたま近くにいた南実は、的確なアドバイスを送りつつ、レンズの捜索態勢に入る。
幸い大方の片付けが済んでいた上、水位の上昇も緩やか。大騒ぎするには及ばないのだが、水際で落としてしまったのがいけなかった。波が襲って来たら、と思うと気が気ではない櫻である。露出面積が広いのはいいが、普段は水没している辺りは軟弱で、足が沈む感じ。慎重に足を運びながら、研究員は目を利かす。
その場でおとなしくしていないといけないのが、いたたまれない。見つかるまで五分足らずだったのだが、随分と長く感じられた。
「はい、見つかりましたよ」
「助かりましたぁ」
この時、ギャラリーは千歳、八広、舞恵、石島姉妹の五人。動作はストップモーション気味。暫時、黙視していたが、今はパチパチと手を叩いている。絵になるワンシーンである。
「レンズって飛ぶんですね。よくぞ見つけてくださいました」
「仕事柄、探し当てるの得意なんですよ。凸レンズ状のペレットもありますし」
遅ればせながら、そろそろと彼氏が近寄ってきた。
「大丈夫、ですか?」
「あ、そうだ。バケツ貸して」
「それが忘れて来ちゃったみたいで」
「うぅ」
ここで再び南実が名乗りを上げる。
「今日まだ使ってないから。私の使って」
今回は自前のバケツ持参だった。いやバケツではなくステンレス製のペールと呼ぶのが正しい。レンズを漱(すす)ぐには丁度良さそう。櫻は一人洗い場へ急ぐ。
「ホレ、そこの彼氏、これがないとダメっしょ」
親切なルフロンさんは、手のひら大の鏡を取り出すと、千歳に手渡した。
「さすが女神さん。ありがとう!」
舞恵は笑顔、南実はちょっと無愛想になる。
櫻と千歳が中座している間は、蒼葉が進行役代理を務める。分類が済んだゴミのカウントに着手する旨、号令がかかる。櫻はいつものカウンタを持って来ていたが、ルフロンが居れば何のその。得意の目計算でバシバシ数え上げていく。
手持ち無沙汰の南実は、二人が気になることもあったが、一旦洗い場に向かうことにした。途中、目をキラキラさせた櫻、一歩遅れて千歳とすれ違う。
「あ、水汲んどきましたよ」
「ども」
文花が云うところの三角形の三人。外野の一隅で無言の時間が流れ出す。ペールに満たされた水が鏡のように静止している。三人は一様に唇をかんだままである。数十秒程度だったが、彼等には分単位の重み。南実は口を開きかけたが、会釈して先に現場に戻って行った。
十一時半近く、目計算の結果がまとまる。ワースト1(5):発泡スチロール破片/七十一、ワースト2(3):プラスチックの袋・破片/五十七、ワースト3(1):ペットボトル/五十三、ワースト4(2):フタ・キャップ/三十七、ワースト5(4):食品の包装・容器類/二十九(*カッコ内は、十月の回、当干潟での順位)。次点は、タバコの吸殻等と小型袋が各二十八。雑貨も各種そろっているが、弁当やカップめんの容器、その他のプラスチック系容器類がとにかく目に付く。目的別で分類するなら、「容器&包装」がトップに立つのは間違いないだろう。気になるレジンペレットなどの粒々関係は、南実研究員が別働で調査しているが、「ダメだ。発泡スチレンにしてやられた」
集めた砕片をペールに浮かべると、その水面は、すぐに白い球粒で覆われてしまう。いつも以上の収量があったので、サンプリングで済ませようとしたが、これじゃ埒(ラチ)が明かない。「二十対一くらいかな?」 南実もパチパチと目で数えようとするも、この通りアバウト状態。精彩を欠いているのはやはりあの人のせいだろうか。
(参考情報→2007.11.4の漂着ゴミ)
石島夫妻は目の前で繰り広げられている集計作業を黙って見ている。いや、感じるところは数多(あまた)あるものの、それを声に出していないだけ、という風である。
「衣料品とか履物とか、相変わらず多いのねぇ... サンダルとかまだ履けそう」とか、
「布団は察しがつくが、ゴムボートってのは見当つかんな。この調子で大物が大量に出てくるとなると、うちの負担もバカにならんぞ」とか。
感想と言うよりは単なる見立てといったところか。
両親とは対照的に娘二人はよく動いている。再資源化可能と思しき品々をまとめると、率先して洗いに行ってしまった。蒼葉はケータイ画面で計数入力中。その傍らで、千歳は例の如くスクープ系を撮り始める。レジ袋に入った雑多ゴミはこれまで何度となく見てきたが、このパターンは初お目見え。クイックメニュー業態店のテイクアウト容器の詰め合わせ袋である。それとセットという訳ではないだろうけど、ウエットティッシュの箱本体、水筒、歯間ブラシと続く。ストーリーとしては、手を拭いて、弁当をたいらげ、水筒に入ったお茶か何かを飲み、最後は歯のブラッシング。そこで使ったものは全てポイ、でこうなったとか。しりとりも頭を使うが、遺留品から物語を組み立てるのも悪くない。
「千歳さん、どしたの? 思い出し笑い?」
「へ? いやいや、ゴミにもドラマがあるんだなぁって」
「このDVDのこと?」
櫻が指差した先には、何かいかがわしそうなタイトルのAV系ディスクが転がっている。
「ハハ、これもスクープ系?」
「やぁね、そんなの記録しなくていいわよ」
ディスクには真昼に近づく日射が当たって煌いている。
ま「それにしても、今日もよく晴れたこと。またしてもハレ女さんの完勝ね」
さ「皆の心がけがいいからよ。お天道様が味方してくれてるだけ」
あ「ところで初音さん、気温は?」
ケータイは忘れても、デジタル温度計は常時携帯している。さすがはお天気姉さん。
「二十℃スね。でも体感温度はもっと行ってるかも」
十一月でこの気温。数字を聞いたら余計に暑くなってくるから不思議だ。R25のカップル二組は、せっせと可燃・不燃の別で袋に入れ始める。[プラ]の識別表示付きの品々と、舞恵が集めたボトル&缶関係は、その二十℃の熱で微かに蒸気を立ち上らせている。
「よーし、リセット、いや再リセット完了! 皆さん、おつかれ様でした」
一同礼、そして軽く拍手。石島夫妻も気が付くと手を合わせていた。南実も少し離れたところから頭を下げている。
広々とした干潟はいつ見ても気持ちのいいものである。動機はどうあれ、新たに拓かれたルートからの眺めはなかなかの絶景。一羽のダイサギが優雅に現われ、情景を盛り立てる。だが、着地はせず、そのまま上流方向へ飛び去って行ってしまった。
八「こりゃ縁起のいいことで」
ち「どうせなら寄り道してけばいいのにねぇ」
ま「人が十人もいたら、ムリっしょ」
あ「馴れてもらえばいいのよ。また戻って来るまで私、残るから」
正午を過ぎた。石島ファミリーが動き出す。
「今日は皆さんおそろいで、どうもありがとうございました。お父様にはまた別途ご連絡を...」
「ハハ、そうでした」
「この後はどちらへ?」
千歳の問いに、京(みやこ)が答える。
「皆さんおなじみのショッピングセンターへ」
湊と初音は以前よりはいがみあうこともなくなった。今日は家族そろってのお出かけデー。初姉の受験応援食事会なんだとか。
「それでご両親もここへ」
「現地集合でもよかったんですけどね。主人が寄ってこうって」
「本当? ママが引っ張ってきたんじゃないのぉ、心配だわぁって」
「ステキなお姉さんとお兄さんと一緒なんだから、別に心配なんかしないわよ」
そんな素適な一人、見目麗しい画家さんが、おもむろに画布を出してきた。三脚に取り付けると、描きかけ作ながら印象派チックな川景色が拡がる。小梅は真っ先に駆け寄っていく。その後を家族三人も追う。
「まぁ、絵描きさんだったなんて」
油絵がセレブ感覚にマッチするのか、京は色めき立っている。
「ここの本来の姿ってどんななんだろって、描きながら考えてるんです。少なくともゴミとか余分な人工物がない状態でしょうから、今のうちと思って」
蒼葉としては他意なく、正直に話をしたまでだが、湊にはグサと来るものがあった。
「本来の姿...か」
小梅と京はそのまま覗き込んでいる。湊は我に返ったように、傍にいた千歳にステッカーを渡す。
「これだけあればしばらく足りますかね」
「あ、ありがとうございます。でもこれは姉妹のご担当じゃ?」
「小梅はまたお世話になるでしょうけど、初音はしばらくお休みって、あ、まだ聞いてませんでしたか?」
「はぁ...」
その初音は舞恵につかまっている。
「何? 初音嬢、日曜休業?」
「えぇ、今日の食事会は景気付けです。以後、日曜日は勉強に専念します。お店は土曜日のパンケーキタイムだけ。受験が終わるまで、ここにもしばらく来れないかも」
「そっかぁ、じゃ土曜日に顔出すようにするワ」
「ルフロンさん、ちっとも来てくれないんだもん」
「すまんすまん、十月は干物みたいになっててさ。こないだの台風の日にセンターに行ってやっと復活した感じよ。ま、お詫びっつぅのも何だけど、わからないことあったら教えたげるし。英語とか」
「じゃあ、午後五時前後に。売れ残ったパンケーキでおもてなししますんで」
「売れ残りぃ?」
課長の粋な計らいで、大物ゴミは陸揚げした地点に置いておけばOKということになった。下手に貸しを作られるのは御免だが、少なからず改心する部分もあったようで、イイ顔で手を振っている。表情は嘘をつかない。これは初音が言っていたことでもある。
可燃と不燃が計四袋、再資源化関係は二袋。これを六人で運び出せば今回は終了。だが、文化の日の翌日と来れば、「芸術の秋」を堪能しない手はない。昼食は二の次である。
蒼葉はピクニックランチのことも忘れて、ひたすら原色を追究している。
「川はグレーが基調? でも空の青を映して、大きく呼吸してる感じ。それって何色?」
元々の姿を描くなら、限りなく透明感のある色になるだろう。絵筆は画家の思惟を乗せ、理想と現実の間を彷徨(さまよ)っている。
自称アーティストの舞恵嬢は、前回から置き去りになっていた変形流木を発見する。
「こういうことなら、工作キット持って来りゃよかった」
その流木の枝に、缶やペットボトルを括りつければ、ちょっとした打楽器になると踏んでいるのである。仮にこれら飲料容器をリサイクルする場合、材質はそのままだが、形状の変化を伴うため、何らかのエネルギーが発生する。缶にしろペットボトルにしろ、その原形をとどめたまま使ってもらえるなら、それは即ち、リユース(再使用)。エネルギー使用が抑えられることから、リサイクル(再利用)よりも環境配慮に適うとされる。舞恵は特段そうした意識を持っている訳ではないが、「リユースアーティスト」になれる素地はある。
「今日のところは良品を頂戴して、と。流木も持って帰ろ」
かくして、いつもならリサイクル扱いの飲料容器は、余生を授かることとなり、純粋なリサイクル系は、隣市へ持って行く容器包装プラ関係のみとなった。
文芸の秋、という人達もいる。櫻と八広は干潟端会議で、歌詞について話し合っている。
「その千歳さん作の二曲目ってのがね、メロディーラインは何とか弾けても、何を歌にすればいいのかが思いつかなくて...」
「詞がつけば、情景が浮かんで来て、もっとイイ感じで弾けるんじゃないスか?」
「そうなの、だから詞が先でもいいんじゃないかって、言ってるんだけど」
「櫻さんが鍵盤で入れたテイクができると、本多さんのところで加工されて、カラオケ仕様になるんですよね。それを聴いてから考えましょっか」
「今、ここで聴いてもらえたら話早いのにね」
チャラチャラが減ったルフロンだが、所持品は多彩である。今は耳がスッポリ収まるヘッドホンをして、首からはメモリオーディオをぶら下げている。モンキチョウとモンシロチョウの演舞に合わせて、軽やかにステップを踏む。舞恵さんだけに、舞いもお得意のようだ。
「おーい! ルフローン!」
八広が手招きすると、彼女はバッタを散らしながらもミディアムスローな調子でやって来る。
「それって、メモリ差し替え式だよね」
「そっだよ。今日はボサノヴァセレクションさ」
「てことは、楽曲データをこれに入れればすぐに聴けるってこと?」
「ファイル形式が合ってればネ」
二曲目、そのダンサブルなナンバーも、遅かれ早かれ二人の耳に入ることになりそうだ。
芸術モードではない二人が残っている。こっちは至ってシリアスである。南実は試料をジッパー袋に詰め終わり、研究用具の片付けをしていたが、いいタイミングで千歳がステッカーを貼り終えてウロチョロし出したので、すかさず呼び止める。
「隅田さん、ちょっと」
「あ、ハイ」
四人は陸地にいるので、干潟に下りると目が届きにくくなる。引き揚げたゴムボートの横を通って、二人は今、湾奥に居る。
「兄のこと、文花さんから、ですよね」
「えぇ、お悔やみ、いや、何と申し上げたらいいのやら、ですが」
「消息がわからないのが逆に救いではあるんですが、事故は事故ですから。ただ、これもお聞きになったかも知れませんが、隅田さん見てると、何だか兄が戻って来たみたいな、そんな気がして...」
言葉が途切れてくる南実。快活なアスリートという一面は全く見られない。その嫋(たお)やかで愁いを含んだ眉目に、千歳は息を呑み、そして溜息。
「自分でもよくわかんないんです。きっと隅田さんのことが好き、でも何でそう思うのか... 兄への慕情が転じて、だとは思うんですけどね」
「小松さん...」
「ごめんなさい。隅田さんには櫻さんがいるから、こういう話はするまいって思ってたんです。でも、ダメでした。打席に立ってもらったり、歌声聴いてたら、益々重なってきちゃって」
「あれ、そういや千歳さんどこ行っちゃったんだろ?」
「こまっつぁんもいないよ」
「何かイヤな予感...」
「この辺にいないとなると、干潟スかね」
南実は泣き出したいのをこらえて、話を続ける。
「川に一と書いて、せんいちと言います。だから『せんちゃん』なんて聞くと、泣けてきて」
当の千ちゃんはひと呼吸おいてから、輪をかけるように泣けることを云う。
「その川一さんの代わりはできないけど、何か力になれるんなら」
「あ、いえ、別に今まで通りで。ここでお会いした時に、ちょっとだけ甘えたいかな、ってのはありますけど。片想いっていうのも変だけど、何となく慕わせて、ください」
そう言い残すと、さっさと斜面を駆け上がって行ってしまった。
「あ、小松さん、千歳さんは?」
「あぁ、潮の上がり具合を眺めてて。まだいますよ。私はこれで。ルフロンさんも、またね」
去り方がちと怪しかったが、普段通りのハキハキした感じだったので、詮索するも何もない。櫻はむしろ御礼を言わないといけないくらい。「あーぁ、何かスッキリしないし」 南実も同じようなことを思う。「櫻さんには誤解がないようにしておきたいなぁ。何かまだつっかえてる感じ...」
独り南実が帰り、次は二人、ルフロンと八クンが帰途に。
「じゃあお二人さん、今度は二十四日ね」
センターとしては、法人会計を固めていく必要上、専門家として舞恵に来ていただくことになっている。八広は彼女の付き人のようなところがあるが、NGO/NPOの事情通である以上、それはそれで心強い。二人とも無償で構わないと云うが、舞恵は櫻のカウンセリングが受けられるのが特典。八広は千歳と情報交換するのに好都合。無償に足る理由がある訳だ。
「奥宮さん、今度は雨とか連れてこないでね」
「さぁね、そればっかりは。天気のことは初姉に聞かないと... あ、そうだ!」
初音は受験勉強に専念するため、干潟にはしばらく来られないとの件、舞恵が申し伝える。
「で、皆さんによろしく、と」
「てことは、クリーンアップ後のカフェめしランチもしばらくお預け?」
「初姉がいなくても別にいいじゃない」
「だって、ニコニコパンケーキもお休みなんでしょ」
「ウーン」
悩める女性二人にとって、これがお導きとなればご喝采である。八広が提案する。
「今からルフロンとお店探してきますよ。ちょうど自転車だから、あちこちと」
職場の近所はよくご存じなのだが、「平日はランチやってても、日曜となるとね」と舞恵も同調。そして、付け加える。「あ、そうそう、さっき言ってた楽曲ファイル、お早めにね。待ってるから」
今、干潟を見下ろす場所には、腰掛ける女流画家と、その脇に立つ男女が居る。蒼葉はいつの間にか一人ランチを済ませていて、ひたすら画業に集中。だが、段々と気が散ってきた。
「あのさ、見ててもいいんだけどさ、お昼がどうこうとかここで相談すんの、止めてくんない?」
「あ、ごめんごめん。少しはサンドイッチとか残ってるかと思ったら、全部食べちゃってんだもん」
「早く二人仲良く行ってらっしゃいよ...と思ったけど、そうだそうだ」
素顔の姉を見て、いいことを思いつく妹。
「千さま、カメラ貸して」
「あ、はいはい」
二人をリセット後干潟に並ばせて構える。
「今日は櫻姉の素顔復活記念日。はい、撮るわよー。あぁ、咲き始めのお二人さん、ホラもっとくっついて!」
「何? 咲き始めって?」
「さぁ」
一枚目は顔を見合わせるような感じになってしまったので、その後、何枚か追加で撮影。続いては、
「じゃ、姉妹の写真も」
川も風も空も、そして姉妹の瞳も、皆キラキラ光って見える。千歳はその光にクラクラしながらも何とかシャッターを押す。
「サギに会ったら、よろしくね」
「D’accord, Bonne journée!」
「A ce soir…」
この姉妹、フランス語で会話したりすると、より美しく見える。
「千歳さん? Comment ça va?」
「え? Oui, merci…」
「あぁ、そういう時は、Ça va bien, merci.かな」
「サバですか」
「そう、サバイバル会話です。どう?ってのを聞く時は、Ça va?でOK!」
ゴミ袋四つを所定の場所に置きつつ、フランス語ワンポイントレッスンに興じている。やってる作業はお世辞にも洗練されたものとは言い難いが、会話の方はエレガントである。
(参考情報→フランス語 小会話)
この後はいつもならカフェめし店、ただし今日に限っては千歳宅である。前カゴに容器包装プラの専用袋を載せ、櫻は自転車を押して歩く。至って身軽なのだが、とにかくノロノロ。横を徒歩(かちある)く千歳よりも遅いくらいだから相当なものである。
「ねぇ、千歳さん、小松さんのことだけど」
櫻は思い切って尋ねてみることにした。千歳は前のめりになって足を止める。
「弥生ちゃんからちょっと聞いたんだ。彼女、お兄さんがいるんですって?」
干潟での一件を訊かれると思い、ヒヤリとしたが、この質問も十分冷や汗ものである。
「僕も文花さんから聞きました。で、さっき本人からも」
「なーんかありそうね。推理してもいいんだけど、差し支えなければ教えてくれませんか?」
櫻は南実、その兄、そして千歳の三者の間に何かある、というところまでは察しはついていたが、問い詰めたところで、千歳が喜ぶでもないだろうし、むしろ気を悪くすると承知していたので、質問形式に転じることにした。そして、それが幸いした。
「え、そんなことって...」
「当人はシリアスでもないって言ってたけど、どうしてどうして、なんですよ」
「彼女、ズバッと来る時と、慎ましい時とあって、陰陽って言うのかな、そういうとこ感じてたんだけど、そのせいだったの、かしら」
「何て云うか、本当は切ないのに、それを隠すように振る舞ってる、そんな風に思うと、こっちもちょっとね。今まで通り、顔を合わせて、話をして、それでいい、って、そんな言い方してたけど...」
「私、ちょっとヤキモキしてたんだ。恋愛感情じゃないなとは思ってたけど、千歳さんとられちゃうんじゃないかって、一時はマジで気がかりでした。だから今日もビシって、ね。でも、そういうことならなぁ。ちと度が過ぎちゃった。あーぁ」
櫻は親展封書のことはもう聞かなかった。その代わり、
「てことはぁ、小松さんと千歳さんて、顔似てるってことじゃん」
「そ、そうなの、かな?」
推理という程でもないかも知れないが、これは当の二人ですら思いも寄らなかったことである。さすが、と言うしかないが、櫻は何食わぬ顔。
「モテ系だもんね、いいんじゃない?」
急に自分の顔が気になる千歳なのであった。
駅前のベーカリーで、午後一の焼き立てから少々時間が経った惣菜パンなんかを買い込んで、彼の宅へ。珈琲片手にゆっくり、と行きたいところだが、ソングライターさんはハイペースである。
「じゃ櫻さん、今日は例の二曲目。あとで一丁お願いしますね」
「あの曲やっぱり難しいんですけど...」
「業平氏とやりとりして、何パターンか用意してみましたので。Ça va?」
「う、Oui, monsieur.」(苦笑)
これが二人にとっての芸術の、音楽の秋。夕方には櫻versionが業平のもとに届くことになる。めでたしめでたし?
「いいんだ、来週はちゃーんと甘えさせてもらうから」
「そうそう櫻さん、この廃プラ、そっちで出してもらえるとありがたいんだけど。これでも減量努力したつもり」
「まぁ、彼女よりも先に甘えちゃってぇ。そんなにちゃんと出したいなら、時にはウチに来なさいよ」 素顔の櫻は、どこまでも強気である。次に二人が会うのは十日の土曜日。どうなりますやら...
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