2008年9月16日火曜日

66. 春ラララ


 メンバーは干潟上から下見しつつ、開場を待つ。水位が下がり始めているのが素人目にもわかる。
 「あっちの干潟に手が回らない訳ですな」
 「先月はリセットしなかったんですけど、それにしても、ですよね」
 寿と櫻が話をしている間にも干潟は少しずつ拡がり、その分、ゴミも目立つようになる。例のバーベキュー広場に岩が安置された話は、sistersからのhigata@同報で周知されていたので、今回リセットすれば、次回、その岩の効果の程が明らかになることもメンバーはわかっていた。ゴミ箱干潟を見下ろしていると、通常なら嘆き節になるところ、むしろ昂揚感を覚えるhigata@各位である。焦点はやはりバーベキュー系ゴミ。少なからぬ変化が期待されるところである。千歳は一年前の再現にならないことを祈りつつも、四月の回が待ち遠しくて仕方なくなっていた。デジカメを持つ手が心なしか震えているのは憤りからではなく、軒昂する意気からである。

 程よい潮加減、言うなれば潮時である。するとタイミングよく、ショッピングセンターから数人、さらには新理事に新運営委員、そしてクリーンアップ講座の参加者らがソロソロと集まってきた。商業施設ご関係者については、当初冬木が引率してくる手筈だったが、延期が続いたため、都合が合わなくなっていた。引率者不在の上、案内標識もなければ目印もない。迷っていてもおかしくはない。一度は現地に来たことのある人達がちょうど通りがかったから、事なきを得た格好。顔を合わせたことのある南実、櫻、弥生、業平は恐縮気味に頭を下げている。
 ともかくこれで総勢二十五名。賑やかになったという点では、順延した甲斐があったというものである。一時半をかなり過ぎた頃、実質的なスタートが切られる。
 「いつもお世話になってるスーパーの皆様、今日はようこそ。今回が初めてという講座参加者の方々も、ご足労くださり、ありがとうございます。ここがその現場です。まずは様子をご覧になって、適宜お手伝いいただければと思います。お聞きの通り、拾って調べて、になりますが、二時半には終えられるか、と...」
 取り仕切るのは櫻。講座の延長ということから考えても適任である。常連組はすでに軍手と袋を手にし、スタンバイモード。蒼葉に至っては、当地常設のプラカゴを提げ、いつでも巡回できる態勢になっている。
 「では、よろしくお願いしまーす!」
 櫻は号令をかけつつ、そのまま案内係を務める。アシスタントという訳ではないが、南実も案内に加わる。CSRインタビューの際、いろいろと意見させてもらったはがいいが、言いっ放しじゃ面目ない。まずはゴミの見立てなどをしつつ、櫻をフォローする。
 弥生はどっちつかずな感じではあったが、気が急いていたこともあり、蒼葉とともに干潟をウロウロし始めた。ストレッチが足りない分、屈むのが億劫になっているが、息の合った十代姉妹がしっかり助けてくれる。
 「弥生さん、まだ若いのにぃ」
 「初姉に比べたら、もう年だから」
 「年? そっか三月ですもんね。お誕生日って近いんでしたっけ?」
 「ハハ、そうなのよ。でも、あんまり自覚したくないかも」
 「はぁ、二十代になるとそういうもんスか」
 志望校にストレートで通った初音と違い、弥生にはちょっとした曲折がある。ひと浪あった分、同学年の中ではちょっとお姉さん。ただ、三月生まれというのが幸いして、年をとるのがちょっと早い、という程度の話で実際は済んでいる。それほど気にすることでもなさそうだが、
 「お祝いしてくれる人がいればね、話は別。でもなぁ...」
 文花との三角形でただでさえ緊迫しているところ、思いがけない兄君の登場で、緊張の度合いを高めている本日の弥生嬢。近づきたくても近づけない。誕生日の一件も話がしにくい。心は揺れ、手の動きも鈍ってくる。これは腰の曲がりどうこう以前の問題。
 「弥生ちゃん?」
 「...」
 蒼葉はカゴをその場に置いて、拾う方に専念し始めた。「どしたんだろ? 誕生月ブルーとか?」 弥生はブルーな空を仰いで深呼吸。持ち歌に込める想いがちょっぴり変化したのは正にこの瞬間だった。

 上と下とに分かれて袋の上げ下げなどをしているのは本多兄弟である。今は弥生の視線を浴びているが、集中しているようで気付かない。肝心の弟の方が陸側にいるため、余計に距離を感じる。弥生は深く吸った息を小さな吐息に変えると、再び手を動かし始めた。
 罪な男は、地面が露出した辺りで袋をバサバサ。傍にいる荷物番に時折目を遣っているが、同じく罪な女は知ってか知らずか素知らぬ顔。せっかく現場に来たのにこれじゃ退屈だろう、と思いきや、さっきから頻りにメモを取っているので、むしろお取り込み中と見受ける。
 「えっと、情報提供と調査研究と... 部会を割り振るなら...」
 何やら事業の柱を再考しているご様子である。To-Beモデルの一つとして、三角形を書いているのだが、
 「あ、Go Heyさん...」
 「おじゃまでしたね。失礼しやした」
 奇しくも三角の一つを担う人物に来られてはデザインも何もあったものではない。お邪魔と言えばそうかも知れないが、尋ねたいことが多々あるので、逆に引き止めたい気もする。頭がこんがらがってくる事務局長殿である。

 冴えない顔で兄のところに戻って来た業平。そんな弟には目もくれず干潟に佇むある乙女を気に留める太平。潟辺(がたべ)の乙女はさすがにピピと来たようで、その発信源を見遣る。太平とではなく業平と目が合うと、忽ち笑顔に。作業にも力が入る。
 「桑川さんて、何かいいね」
 「彼女IT系だし、兄貴と気が合うかもね」
 「何だい、てっきり業(Go)氏にその気があんだと思ってたら」
 「いつまでも三角形って訳にはいかないだろうから...」
 「?」

 今や姉妹を凌ぐ勢いである。プラカゴにポイポイやってたら、あっさり満タン、いや満カゴになってしまった。
 「ハハ、Goさんに預けてこよっと」
 弥生のこの熱気が伝わったか、現地の気温は着々と上昇。お天気姉さんは毎度おなじみデジタル温度計を手にする。
 「十四℃? うへぇ」
 「って平年並み?」
 「並みじゃ済まないっしょ」
 すると、今度は熱を冷ますように、波が漂ってくる。その川下からの巡視船は、引き波を立てないように徐行していたのだが、波は波。ゆっくり大きくうねりが起こり、春の光を反射させながら水際に到達する。連続するうねりは、滑らかな曲線の集合体。流体と言ってもいいだろう。その躍動感に胸打たれ、一団はしばし手を止めて見送っている。消波する仕掛けがもしできてしまっていたら、自然が織り成すこうしたアートも鑑賞し得なくなるところ。

(参考情報→流体の躍動

 「大波、小波...」
 「私は南実」
 「いいねぇ、小松っぁん、その調子」
 「フフ、もっと仕込んでもらうんだったな。櫻姉さまの話芸」
 「え?」
 「さ、続き続き、下流側もご案内しましょうよ」
 初干潟のご一行を引き連れ、櫻と南実はメイン会場を後にする。道中、枯れヨシの蔭からガサゴソと音がするもんだから、思わず立ち竦むことになるが、
 「あ、これは皆さん、失敬」
 「須崎課長...」
 さっきから姿が見えなくなっていたと思ったら、こんなところに。野鳥がどこかしらで音を立てているのを察知したものの、ちっとも姿を見せないものだから、思い切って潜入を試みたんだとか。鳥にしてみりゃ迷惑この上ないが、
 「環境課ってのは、流域の生態を調べる仕事なんかもあるもんで。多分、モズかヒバリか、だと思うんだけど」
 「先生にお尋ねになれば早いんじゃ?」
 「いやいや師匠に知れたら怒られちゃうから。営巣シーズンだしね」
 「それじゃ、せいぜい親鳥に襲撃されないよう、お気を付けて」
 櫻と普通に会話できたことがちょっぴり嬉しい辰巳であった。上空ではいつしかヒバリが囀(さえず)り、春を告げている。いい声だが、どこか虚しく聴こえてしまうのがやるせない。

 「ヒバリ? もう春ですなぁ」
 「水も温(ぬる)んできたかしら」
 「そりゃ、触ってみねぇことには」
 監事殿と先生コンビ、三人寄れば春ラララ、という程のことはないが、季節の変化を少なからず楽しむご年配の三人である。入り江ができていた辺りを散策しつつ、崖の修復具合を検分したりしている。大方すっきりはしているが、
 「事務所の連中、どうせなら片付けてってくれりゃいいのにな」
 何となく袋片とかが置き去りになっているので、清の嘆きを招いてしまう。それでも至ってにこやか。今はヨシもなく更地な訳だが、時が経てばいずれ元気なのが自生してくるだろう。そんな期待の方がずっと上回っている。正しく「ヨシ、ヨシ」の図である。

 「ハハ、さすがにまだ冷たいワ」
 「玉野井さん、まさか本当に」
 「まぁ、こうして川に触れることができるからここはいいのよ。他んとこはこうはいかないわ」
 「って、そんなあちこち?」
 「去年も水の事故とか多かったでしょ。危なっかしいところを検証しながら、ね」
 「そうでしたか。それがあの作品に反映されてた訳ですな」
 事故には必ず原因がある。水難事故も然り。ミステリー小説ともなれば、何かあればその背景には大抵、人間系のトラブルなんかがつきものだが、自然の作用による偶発的なアクシデントだって設定として有り得なくはない。場所によっては、崖崩れあり、急な深みあり、足が抜けなくなる程の泥地あり、なのである。自然を甘く見ること勿(なか)れ、そんなメッセージを込めた中編は、ちょっとした話題作になった。
 「現場を熟知する人間だったら、地理的特性を逆手にとって、自然作用に見せかけた犯行も可能。でも、そこまで書いちゃうとね」
 「何だ何だ、またおかしなの書くおつもりかい、おたまさんよ」
 ふてくされながらも、即座に切り返す。おたま返しとはこのことか。
 「ハ、そりゃね、カモンさんが文中に出てきた日にゃ、おかしなのになっちゃうわ。でもあえて出てきてもらって、懲らしめるのも良さそうね。シシ」
 寿は客を迎える時の会釈以上に、頭を大きく下げて大笑い。三人して少しばかり片付けてはいるものの、これじゃどうにも思いやられる。

 撮影係 兼 大物運搬役をこなしていた千歳は、手にしていた流木をその場に置くと、そんな談笑中の三人を撮ってみる。題して「ある春の日の三人」。構図はともかくもタイトルはバッチリである。

 下流側干潟は、チーム榎戸が時々手を出していたこともあり、さほどの衝撃はなかったようだ。それでも、各種容器包装系が目立って散在していたため、スーパー関係各位は放っておけなかった。自店か他店か、とにかく用済みのレジ袋にそこそこの数をサンプル収集して戻ってきたではないか。櫻と南実も定石通り、放っておくとマズそうなのを中心に一袋分にまとめて持ってくる。開会から三十分、人々は再び一つ干潟に集まる。
 春の陽気のせいかはいざ知らず、動きがやや緩慢な常連組である。いつもなら粗方片付いている時分だが、まだいそいそと動いている。今日のところは、リーダーもコーディネーターもないが、現higata@メンバー十二人中、四分の三に当たる人数が散らばっているんだから、案ずるに及ぶまい。それぞれ自立的に動いているので、段取り無用なのである。
 プロセスには、過程の他に作用という意味もある。過程を経ながら作用し合うとでも言おうか、その二つがアセンブリ、つまり組み合わされてアクティブになる。そしてそんな各自のプロセスを互いに尊重しながら、かつ触発されながらの取り組みがここにある。これはメンバーも自覚するところなので、多くの言葉は要らない。商業施設からの視察チームも、物言わぬ彼等の姿勢から何かを学んでいるようだった。現物・現場・現実の三点に触れただけでも大きかったが、過程と作用を体現する人達を目の当たりにして思いは深まる。CSRに欠かせないのは、プロセスの収斂であり、無言なれど雄弁な斯様(かよう)な姿勢、ではないか、と。
 とは言っても、段取りが良すぎるのも面白くない。程々に緩やかな感じがあってもいいだろう。そういう意味でも、今日の九人は打ってつけ。適度にスピードバランスが取れている。

 大物を担当していた千歳だったが、どうにも始末が悪いのが残ってしまい、硬直している。多少体をほぐしておいたから良かったようなもので、でなければ筋(きん)だか腱(けん)だかをおかしくして、真に固まってしまうところだった。
 「どしたい、千ちゃん。ルフロンさんみたいに、流木アートでもやる気?」
 「流れてくるのは簡単なのに、その逆をやろうとするとどうしてこうも動かないかねぇってさ」
 見てるとヒヤヒヤさせられるが、二人力(ににんりき)なら何とかなるもの。とりあえず反転させることには成功した。
 「何か紙切れみたいのが下敷きになってるから...」
 「まさか、譜面だったとはね」
 セッションではこの方、譜面を使ってということがない。ソングエンジニアの二人にとってもあまりご縁がない代物ではある。ただ、河川利用者の中には、このように楽譜を使う人もいる。残念ながら川風を凌げるような譜面台を使わない限りは、こんな風に飛ばされて漂着&下敷きになってしまう訳だが...。
 この人の場合、河川敷でサックスを吹くことはあっても、譜面を吹き飛ばすということはない。南実は何かを探知したらしく、その巨大流木の根元を見分し始めた。
 「まぁ、川辺で楽器の練習するんなら暗譜してからじゃないと、ね」
 とか言いながら、その薄汚れた紙切れをバサバサ。今となっては蒐集(しゅうしゅう)するには及ばないのだが、
 「記念にね、微細片、頂戴しますね」
 「記念?」
 男二人が首を傾げる間、ペレットなぞをさっさと小袋に詰めていく研究員であった。

 楽譜も十分に珍品だが、ポット、ジャー、ゲーム機というのも珍しい。しかし、こうも立て続けに見つかると、冗談のように思えてくる。お楽しみの最中、いや、そこら辺に置いてちょいと場を離れたら、不慮の波が来て持って行かれてしまった、そんなところか。
 陸揚げされ、選別する中で見出された品々を眺めつつ、higata@メンバーの何人かが推理を交わし合っていると、いいタイミングで探偵さんが首を突っ込んでくる。
 「事件性ありそうだけど、この件は犯人探しよりも、原因究明が先ネ。流されちゃったとしても、じゃなぜ放ったらかしだったのか。離れなきゃいけない事情があったとしたら、それは? なぜを繰り返してくと見えてくるもんよ」
 「想像力を働かせるってことですよね。ゴミ減らし対策にもそれはつながる...」
 蒼葉はそう言いつつも、考えあぐねている。弥生はズバっと解を述べたかったが、
 「じゃ、緑さんはどう推理なさるんで?」
 実は探偵さん、これといった御説は持ち合わせていなかった。
 「ホホ、それを言っちゃうとね、新作、そのぉゴミステリーのね、ネタが...」
 作家ご自身が十分にミステリアスなのであった。

(参考情報→ネタにするしかない珍品漂着物

 石島姉妹は、まだ巨木の根元にいて、残り物を物色中。こういう時には福があるものだが、なお下敷きになっていたのは、
 「な、何で、上流事務所のゴミ袋?」
 福ならぬ袋である。
 「親父に報告だ」
 長女はしめしめ。親父さんにとってはとんだ御難となる。キャッチコピーとか事務所名なんかがプリントしてある点は、責任の所在を明確にする上では有効。むしろ評価されていいだろう。だが、ゴミ収集用の袋がゴミになってしまってはいけない。これまた立派なミステリーネタなので、じっくり推理を働かせたいところだが、姉妹は違う行動に出る。初音は取り急ぎケータイで撮影。その後、小梅は丁寧に折り畳んで、別の袋に収納。皆々に紹介してもよかったのだが、ひとまず我が父の面子を優先した訳である。
 「これって隠蔽?」
 「今のところはね。でも、higata@にはそのうち流すつもり。親父のコメント付きでね」
 この場合、コメントというよりは釈明になりそうである。推理するまでもない、ということになる。
 清は、寿、辰巳、太平を率いて現地案内中、文花と櫻はご一行様の接客中、南実は粒々中、かと思いきや、今日は珍しく巡回中である。「次は四月六日、かぁ...」 どこか憂いを含んだ感じがするのは気のせいか。だが、その一言は誰の耳にも届かない。聴こえるのはただ、波が小さく寄せて返す音だけ。