2008年6月10日火曜日

51. 微熱? それとも…


 心なしか赤い顔で誰彼を待つフェミニンさん(X’mas version)が、新宿駅のサザンテラス口に佇(たたず)んでいる。代々木駅方面にある社屋タワーの大時計は、その長針を水平に倒そうとしていた。
 「Go Heyって名前の割には、遅いわねぇ...」
 自動改札では、ピピではなく、ピピピピとか余計に鳴らしてまたしても引っかかっている誰彼さん。文花はピピと来たようで、様子を見に来たところである。
 「あ、おふみさん」
 「まぁ、そんなとこで遊んで。遅い訳だ」
 思いがけない引き止め工作にはあったものの、何とか待ち合わせはうまく行った。
 「たく、ケータイかけたのに出ないしさ」
 「車内では常時OFFにしてるんで」
 「ま、いっか。お誘いしたの私、だし」
 業平は、文花のX’masおめかしに内心「萌えー」の念。チャーミングと言えば、弥生を想起することが多かったが、女性はいくつになってもチャーミングになり得るんだなぁと、ふと溜息。
 「文花さん、何かいいかも」
 「そりゃ、センター三人娘の一人ですからね。ファンクラブ、入る?」
 「会費は?」
 「Go Heyさんなら安くしとわよ。でも遅れて来たからなぁ...」
 イイ感じである。
 イルミネーション見物はあとでいいんだとかで、連絡ブリッジを通って、南口~西口のデパート内を突き進む。目指すはカジュアルなパスタ店。
 「LLサイズでも値段同じなんですよ。ワインも飲めるし」
 「文花さんてお嬢だから、もっとスゴイ店がお好みかと思いきや」
 「お嬢様ってのはね、店を問わないものよ。誰とどう過ごすかの方が大事。ま、気の持ちようよね?」
 お一人様、ワンコインでいただけるミニボトルワインをお互いに注ぎ合いながら、まずは乾杯。リーズナブル志向の客は少なくなく、店内は満員。注文したLLパスタが運ばれて来たのはそれでも十五分後のことである。
 しばらくはおとなしくクルクルやっていたご両人だったが、
 「Go Heyさん、海の幸、お好き?」
 「文花さんのは、野菜たっぷりですか」
 「とっかえよっか」
 「あれ? だって魚介ってダメなんじゃ」
 「生きて動いてるのがね。食材になってる分には大歓迎」
 カップルが多い同店だが、大皿を交換し合ってるなんてのは案外少ない。傍目(はため)にはラブラブ? ともあれ業平はトマトソースが意外と辛かったらしく「萌え」ならぬ「燃え」状態。笑いを抑えつつも、そんな彼をついつい見入ってしまう文花である。今日のところは、仕事の話はなし。
 「ところで、おタバコは? ここ全面禁煙だけど」
 「おかげ様で禁煙継続中ですから。ま、タバスコで我慢、て手もありますけど」
 「じゃ、かけて差し上げましょうか?」
 「ハハ、これ以上、熱くなっちゃかなわんです」
 彼の中では確かに熱くなっているものがあった。弥生のことも気になるが、やはり...
 「南実ちゃんとかタイプだった?」
 いつものように唸っていた業平だったが、この突飛な質問には吹き出さざるを得なかった。帰ってきた魚介系のうち、ホタテなんかが滑って、思わずヨコになっている。
 「ハハ、言われてみれば、ですね。でも、打ち返して吹っ切りましたから」
 「あぁ、十月のあの時ネ。あれはよかった」
 「そういう、おふみさんは?」
 「そうねぇ、掃部(カモン)センセのお相手しなくて済んできたし、気になってた人は櫻ファンだったことが先月わかったし」
 「へ? それって?」
 「あぁ、おすみさんじゃないわよ。オホホ」

 「ハックション! うぅ...」
 「あら、大きなクシャミして。だいじょぶ?」
 「また誰かが噂、それとも...」
 「風邪でもひいた?」
 ワインが回って熱くなってるんだろうくらいにしか考えていない呑気な彼氏である。こっちはプチプレゼントの交換を終え、メインディッシュが下がったところ。デザートのワッフルはじき現われる。
 「ホイップ増量とか、ムリかなぁ...」
 「ハハ、下手に増やすとまた櫻さんのドッキリが」
 「ま、お口の周りに付いちゃったら、今日はそのまま、ネ」
 またしてもメロメロになってしまう千歳。対照的にシャキっとしているのは、いただいた縁起物、金色のブタコインである。ブタの鼻を突(つつ)きながら、不敵な笑みを見せる櫻。小作戦はまだまだ続きそうだ。
 さてさて、十七時過ぎに新神戸に着いた舞恵と八広は、地下鉄なんかを乗り継いでイルミネーション眩い港町に来ていた。ガス燈が名物だが、この通りはケヤキの並木道でもある。ケヤキの身になれば必ずしも有難いとは言えないだろうが、その白を基調とした電飾にその女性(ヒト)はすっかり酔っている。ちょっぴりアルコールが入っているせいもあるが、こちらは彼女の方がメロメロ。
 「八(ba)クン、どうよ。散文とか、抒情詩とか」
 「その煌びやかで柔らかな光のもと、笑みを交わしながら、人は行き交う。そして静かに想う。陽は沈み、魂は鎮まり――」
 ルフロンの目はウルウル。作詞家のやることは実に心憎い。

 とうに十八時を過ぎた。二人は飛行機を間近に見物できるデッキに来る。滑走路のLEDもウルウル系なのだが、どちらかと言うと上空が気になる。聖なる夜に向けて拡がるは夕闇、明滅を始めるは星々。惹き込まれるように眺めている。
 城南島と違い、他にもカップルなぞがチラホラいるが、櫻は構わない。流れ星を合図に作戦開始。
 「さくらのラは、ラブのラですよ、千歳さん」
 「そっか、『咲くLove...』か。って、しりとりの続き?」
 「フフ、続きも何も。もう咲き過ぎちゃって、どうしていいか、わかんないの」
 彼の唇には仄(ほの)かにクリームが残っていたようで、重ねてみたら甘い感じがした。それが程よい刺激となり、ついつい長く熱くなってしまう。千歳はいろいろな意味でフラフラだったが、もう倒れることはない。ただ、飛行機の行ったり来たりが、どこか遠くに感じられてならない。

 空港快速は疾(はや)く、乗り心地もなかなか。これに居心地の良さが加われば、もう言うことはない。それでも甘え足りない彼女は、彼の手をとり、囁く。
 「千歳さん、恋から愛って、やっぱりプロセスネタ?」
 「櫻さん...」
 右に埠頭公園、左は競馬場... なんて歌が聴こえてきそうなロケーション。二人が座しているのはその競馬場側である。車窓からは都市(まち)の灯りが入ってくる。だが、鮮明に見えたり、ボンヤリしたり。

(参考情報→京浜運河と東京モノレール

 千歳は瞬きしながら答えを考える。京浜運河の上を滑走するモノレール。加速するのに合わせて、彼は彼女の手を握る。
 「振り返った時、こういう過程を経たんだなぁ、ってのがお互いに共有できてればいいと思う」
 「てことはぁ... 加速しちゃっても別にいいって、ことかな?」
 快走していたモノレールだが、天王洲アイル近くに来ると、速度を落とし始める。
 「僕は相変わらずスローなまま、かも」
 高輪の脇道から見渡した品川イーストが、ここからはウエストの位置に見える。ビル群が眩い、という訳ではないが、今度は櫻が頻りに瞬きする。
 「そっかぁ。やっぱクールなのね。でもいい。いいんだ。それが千歳さん、だもん...」
 「あ、いや、努力は、します」
 そう言いつつも、どうも声の通りが良くない。クールというのは合っている。だが、微熱があるとしたら? クールじゃ済まないのは本人が一番よく知っている。

* * * * *

 微熱という意味では、櫻も同じか。クリスマスの当日は、朝からボーっとなっていていけない。どこまで進展があったのかは不明だが、文花がえらくシャキシャキしているので、実に対照的である。
 「あらあら櫻さん、まるで恋わずらいみたいじゃない。隅田さんと何かあった?」
 「え? 何かって... そりゃあもう」
 「あ、聞いた私がおバカでした。聖しこの夜で、よしよしってね」
 「清? はぁ、掃部先生がどうかしまして?」
 「ダメだ、こりゃ」
 櫻は唇をかんだり、口に手を当てたりを繰り返す。どうにも動作が緩慢なので、冬木の流域情報誌サイトが先行更新された件を確認するにも、手間取っている。
 「あ、データ入力画面、出てる...」
 PC版も何とか形が整い、協賛金の受払についても話がついた。情報誌一月号の小特集に、今般めでたく例のシステムが紹介された、という訳である。ただ、当法人名同様、これといった名称が決まっていなかったのが泣き所。カウント画面だったり、ケータイ入力画面だったり、その場でお世話になるのは画面が中心なので、これまではその程度の呼び方で済んでいた。対外的に公開した際のことは、higata@の人々は正直深く考えてなかったのである。櫻はようやくハッとなる。
 「えっと、エドさんから来たクリスマスメールに、Returnでいっか」
 余談だが、サイト更新の案内はクリスマスカード代わりに送られたものだった。特集掲載はプレゼント、ということらしい。この辺のセンス、さすがはMr. Edyである。
 程なく櫻発higata@宛、「システム名称どうしましょ?」メールが発信される。その文末には、特に管理者、開発者、仲介者のご意見を伺いたい、と添えてある。
 「千歳さん、これ見て来てくれればなぁ。逢いたい...」
 小梅が描いた2D(平面)ツリーを見ていたら、思わず泣けてきた。ツリーはグリーン、されど心はブルー、そんな櫻のクリスマスである。

 午後早々には、弥生と業平から同報返信が入ってきた。
 「弥生ちゃんが『数えてGo・送って Go』、んでもってそのGoさんが『弥生集計』って。この二人、どうなってんの?」
 文花は苦笑しながらもご機嫌斜め。櫻は憂い顔で千歳からの返信をただ待っている。

 閉館時間を過ぎてなお、第一指名の彼からのメールは来ずじまい。この時期になると、差し迫った業務もないので、文花はさっさと帰宅してしまった。
 「どっかに出かけてるとも思えないしな...」
 あわただしく施錠し、自転車に飛び乗る櫻。寒いとか何とか言ってはいられない。風を切るように橋を渡り、早々と対岸にこぎ着けた。
 息を切らしながら、部屋番号を押す。ガランとしたエントランスに、呼び出し音が空しく鳴り続ける。応答があったのは、彼女が解除ボタンを押そうとした、その時である。
 「あ、ハイ。どちら様?」
 明らかに声が嗄(か)れている。
 「私、櫻です」
 「おぉ...」
 扉が開くと、櫻は一目散。宅の前に着くと、呼鈴を押すよりも何よりも、玄関扉を叩く叩く。
 「千歳さん、大丈夫? じゃないか...」
 「あ、今は何とか動けますから。でもうつしちゃうとマズイよね」
 普段着に着替えてあるも、マスクをしている。可笑(おか)しくもあったが、ちょっぴり泣ける。逢えてうれしや、されどお風邪の兆候に気付かず情けなや、そんな心情か。
 「メール来ないからさ、飛び出して来たんだ。でも、まさかね。お熱は?」
 「櫻さんに来られちゃ、また上がっちゃうかも」
 「はいはい、そりゃどうも。どれどれ?」
 風に吹かれて来ただけあって、櫻の手は温かくはなかった。だが、その冷や冷やした感じが千歳には心地良かった。こりゃ微熱じゃ済まないのでは?
 「寒かった、ってことですね」
 「いやぁ城南島は僕の発案だから。ただ、バスの間隔が一時間てのはやっぱり長かった、てことかな。それより櫻さんは?」
 「昨日はポカポカだったから。特にここが」
 彼女は口唇を示しながら、微笑む。ただでさえ熱があるのに、こう来られては倒れてしまう。「ハハ、ま、横になっててくださいな。何か買ってきますから」

 日中は冴えないクリスマスだったが、櫻サンタさんの来訪で途端に晴れ晴れ。千歳はようやくメールをチェックし、システム名称の一件を知る。「数えて、入れる、サポートシステム、だとすると...」 ある単語のおかげで、急に元気になってくる。だが、今日のところはお預けだろう。

* * * * *

 二十八日はセンターも仕事納め。前日までに資料類の棚卸は終えていたので、今日は専ら大掃除である。午後からは頼りになる(?)男性が来る予定。櫻はさっきから落ち着かない。
 「櫻さん、エプロン、裏返しじゃない?」
 「あら、私としたことが。ホホ」
 「ま、そういうのもチャーミングのうち、かもね」
 今週の文花は、櫻が見てもどこか可愛らしい印象を受ける。イブにきっといいことがあったに違いない、と確信しているが、下手に聞き出してノロけられたら大掃除にならないので、あえて聞かないようにしている。逆に文花は話したくて仕方がないのだが、相手が相手だけに、ぐっと我慢。ここだけの話、という訳にはいかないことは重々承知している。
 「あ、千歳さま。いらっしゃい♪」
 「こんにちは、姫様。あ、おふみさんも、どうもです」
 最終日だから今日は許そう、と思っている事務局長だが、我慢を重ねるにも限度はある。
 「いいなぁ、何かラブラブで。私も呼んじゃおっかな...」
 「誰を?」
 カウンターで対面している二人は声を揃えて問う。
 「え、いえ別に。さ、掃除掃除!」
 動揺を隠すようにマスクを着ける文花。表向きはホコリ除けだが、話したい衝動を抑えるためでもある。
 「文花さん、マスク... それって裏じゃ?」
 「あらら」
 この場合、あまりチャーミングとは言えなかったりする。

 千歳もマスクをしているが、こっちはあくまでお掃除シフト。お風邪の方は、彼女の一夜の看護のおかげもあり、すっかり快復した。櫻はカウンターやデスク周り、千歳は窓際、少々距離はあるが、話し声はヒソヒソ調。
 「ところで千歳さん、例の名称、本気で『KISS』を推す気?」
 「いやぁ、あの時は熱があったから。何か違うの考えないとね」
 「私だったら、『DIO』とか。Data Input & Output... どう?」
 二人で操作すればDUOか。千歳はそこから単語を捻(ひね)り出す。
 「ちょっと変えて、Data Upload system On-site... 略して『DUO』ってのは?」
 DUO(二人)で考えた、というのがまた好い。手を休めつつ、櫻のPCから出来立ての案をhigata@に発信する。文花はブラインドを拭きつつも、
 「恋人どうしってのは、あぁいう風に見えるのね。私もいずれ...」 片方の手はブラブラ。誰かさんが来たからではないだろうけど、三人の大掃除は、至ってスローである。