無粋な言い方をすれば振替休日だが、特別な意味を持つ人達にとってはただの休日に非ず。一人よりは二人で過ごしたいと思うのが自然だろう。今回のコース設定は、櫻主導ではあるが、止せばいいのに千歳がひと捻(ひね)り挟んだものだから、何とも不思議なスケジュールになっている。ディナーは早めということなので、それぞれブランチなどを摂ってから集合、で、十三時半の待ち合わせとな。櫻はダテ眼鏡なるものを着用し、彼氏を待つ。
此処は品川駅西口の某商業施設屋外にあるフリーのテーブル席。彼女の視線の先は駅方面。定刻をちょっと過ぎた頃、幾分見映えのするロングコートをなびかせて、待ち人が視界に入って来た。だが、いつもながら鈍い彼氏はすぐには気付いてくれなかったりする。
「ん? 櫻、さん?」
「何だかなぁ。至近距離にならないとわからないのかね? 隅田クンは」
「どしてまた、眼鏡?」
「美女が一人でポーッとしてると、目立つし何かと面倒でしょ。顔隠しです」
「神隠しならぬ顔隠し?」
「千歳さん来たからもういいんだ。外します」
先月のお上がりファッションの上にファー付きのセミロングコートという出で立ち。眼鏡を取って立ち上がると、女優級の優美さが放たれる。「おぉ...」 彼を感嘆させる作戦、まずは成功したようだ。「ほんと素直なことで、フフ」
ホテル併設の建物のエスカレーターに乗っかるも、映画や水族館がお目当てではない。高輪方面に通じる坂道の中腹まで運んでもらうため、というからちゃっかりしている。その先はなだらかな坂。上がりきって左に行くとユニセフハウスが見えてくる。
「あら、やってるかと思ったら、お休みなんだ。クリスマスカード買いに来るお客さんとか少なくないと思うんだけど」
「ある意味、書き入れ時なのにね」
「ま、当センターも休みだから人のこと言えないけど」
子どもたちのためにサンタ役を買って出るスタッフもいるから休館なんだろう、とか勝手な推量をしながら、御殿山方面へ歩き進んでいく。途中、櫻は小粋な感じの脇道を見つけると、
「こっちこっち。予め調べといたんだ」
緩やかなカーブ、風情ある階段道、ちょっとした見晴らし。まち探検が得意な櫻らしい選択である。直線距離では四百メートルはある筈だが、品川イーストのビル群がここからだと近くに見える。
「グリーンマップ的には[すばらしい眺め]、かな」
「でも、あのビル、海風をブロックしちゃうんでしょ。[考えさせられる眺め]ってとこね」
(参考情報→高輪四丁目アップダウン)
今度は唸ってしまった彼氏を引っ張って、いいものならぬ、いいとこに櫻は向かう。段々を下り、右折してしばらく歩くと、瀟洒な一角に辿(たど)り着いた。ここだけは別世界。ヨーロピアンな街路と建物で構成されている。そして建物の一つはクリスマス専門店。
「聞いたことはあるけど、住宅街の一隅にこんな」
「通年やってるんですけど、やっぱクリスマス時期じゃないとネ」
店内はカップルの姿が目に付く。同じようにゆっくりしていてもいい筈だが、長居はしない。電車やバスの時間を逆算して動いていることもあり、雰囲気を少々楽しめればそれでいいんだとか。
「では、プレゼント協定に基づき、ここはお互い低予算で」
気障(キザ)な演出等は無用。大層な品を交換し合って、重い思いして歩き回るのもナンセンス。ここはあえて、ワンコインでお釣りが来るくらいの簡素な一品をその場で買って交換しよう、ということにしてあった。これが彼等なりの協定である。
「じゃ櫻さんは、これ。でも、本当にいいの?こんなプチギフトで」
「非常用、いやキャンドルナイトで確実に使うでしょうから、ありがたいです。んで、千歳さんは縁起物で、と」
お互いに中味は承知の上。包装を簡略化していることもあり、クリスマスプレゼントと称するには違和感もあるが、食事の席で手渡すとなれば、それ相応、となる。
店を出たら児童遊園を経由する。坂上に通じる階段を遊具の一種と見間違うのも無理はない。とにかく上って下りて、また上り、である。効率的にはどうかと思うが、探訪が共通趣味のお二人には、こういうのがたまらない。目的地どうこうではなく、道程そのものが目的だとすると、これでいいことになる。
御殿山に通じる道を再び漫歩する千歳と櫻。時折風が強く吹き付けるも、街並家並に気を取られているので、正にどこ吹く風の何とやら。時計は二時を回ったところで長針短針が重なろうとしている。ここで大通り、即ち八ツ山通りに出た。
「左手のイチョウ並木の先は八ツ山橋、直進すると原美術館とかかな。どうします?」
「信号ちょうど青だから、直進」
「Let’s Go!」
Goと来れば、気になるのがGo Hey君。今はお約束通り、弥生嬢とスタジオでセッションを始めたところである。
「ねぇ、Goさん、昨日できなかった五曲目、先にしましょうよ」
「へ? だって昨日の練習の続きが先じゃ...」
「あたしが一番いじっちゃった曲だもん。直すんだったら、早めが良くない?」
「いやぁ、あんな感じでいいと思うよ。ただ、アイドルポップ調だから、歌い手がね。櫻さん向きじゃない気が...」
一寸(ちょっと)間を置いて、弥生が切り出す。そう、彼女はガールポップシンガーである。
「歌い手さんなら、ここにいるじゃないですか。千住姉妹が歌って、あたしが歌わないってこともないでしょ?」
「そう来たか。いいかもね。でもベース弾きながらって...」
「ハハ、そこまでは考えてなかった」
ここはとりあえず二時間の予定。番狂わせがなければ、文花との待合せ、新宿十七時は楽々のはず。はてさて?
ちょっとしたお屋敷が連なるのは、さすがは御殿山というだけのことはある。しかし、十二月二十四日にありきたりでないところを巡るという点で、お二人も御殿山に負けず劣らず流石である。丁字(ていじ)に行き当たったところで左折。ここからは御殿山通りとなる。やがて桜並木が現われ、JRを跨ぐ橋が見えて来た。
「ここの桜ってどうなんだろ?」
「花見の時期にまた来ますか?」
「そうねぇ... ま、花見もいいけど、千歳さんとはもっともっといろんなとこ行きたいな」
腕を組まれて、やや硬直するも、会話の方は至って滑らか。
「そりゃどうも。こっちは櫻さんと居る時はいつもお花見気分だけどね」
「まぁ、おめでたい人(ウフフ)」
六月君が見たら大喜びしそうなトレインビュースポットに到着。山手線から新幹線まで実に十の線路が横並び。時間が許せば、ひととおり眺めていたい気もするが、そうも行かない。程なく、右端、下りの新幹線車両が徐々に加速しながら通り抜けて行った。のぞみ35号である。見送りながら、櫻は小声で、
「ルフロンたら、今日から泊りがけでどこそこって言ってたなぁ...」
目が合い、ギクとする千歳。ここは話題を切り替えねば。
「ハハ、さすがは先行カップル。でも奥宮さん、この年末に休みって取れるものなの?」
「何だか企画書が通ったとかで、ひと区切り付いたからいいんだって。でも、どこ行くんだろ。クリスマスに温泉てこともないだろし。西か南か」
「案外、今の列車に乗ってたりして」
「こういう時、GPSとかあると面白いのにね」
(参考情報→トレインビュー@北品川)
自分達の真上でまさかそんな話が交わされていようとは、である。
「ハ、クション!」
「だいじょぶ、ルフロン?」
「もう花粉て飛んでんだっけ? 流行に敏感なのも困るわぁ」
千歳の勘は冴えていた。八広と舞恵はその車内に居た。
「ま、新神戸まで時間あるから。これで昨日の続きでも、どう?」
「そうそう、詞、付けなきゃ」
メモリオーディオを彼氏に渡すと、彼女は大きくリクライニングをかける。
「煙草吸えないし、舞恵は寝てるさ。富士山が見えてきたら起こしてちょ」
「寝たまま富士山通過すると、きっと夢に出てくるよ。その方がいいんじゃん?」
「イブなんだからさ、富士を肴にホワイトクリスマス、ってのもいいっしょ。乾杯用のワイン缶もあるんだし」
「聞いたことないし」
肘で突きながらも、頭を彼の肩に乗せてみるルフロンさんであった。
御殿山通りは下り坂。下りきって突き当たるは第一京浜である。ここからは平地。京浜急行沿いにさらに南へ歩く歩く。
「それにしても京急って、いろんな車両が走ってるのねぇ」
「六さんに聞きゃ、どれがどこ行きとかすぐわかるんだろね」
「動体視力働かせりゃ私だって。あら、佐倉行き?」
高架を快走する快速特急。その行先は確かに京成佐倉である。奇遇というか、おめでたいというか。
「櫻を佐倉に連れてってー、何てネ」
今日も絶好調なサクラさんである。
そうこうしているうちに、新馬場(しんばんば)駅に着いた。だが、目標時刻ギリギリ。ホームに着くや、すぐに新浦賀行きが入って来た。
「で、大森海岸まで行って、バスですか」
「そのバス、本数が少ないから」
「それをクリアすれば、あとはゆったり、か...」
予定駅で降り、しばらく待つ。大森駅を出たバスがソロソロと入ってくる。ここからバスに揺られること約二十分。目指すは、東京港を臨む一端、東京湾西岸で最も突き出た地である。
「千歳さんも面白いとこ、ご存じねぇ」
「そこと空港の間に京浜島てのがあって、そこも飛行機ビュースポットなんだけど、季節によって使う滑走路が変わるみたいでね。冬場はそれほど見映えがしないんだって。ただ岸壁を見下ろすとテトラポッドとかに漂着ゴミが溜って凄いことになってるんだとか。つまり空は冴えないけど、海の方は見応えがあるって訳。調査に行く分には有意義なんだけど、今日はね、そういう日じゃないから...」
「で、城南島かぁ。あっ早速、飛行機!」
十五時二十分、二人はその人工島の浜辺を歩き出す。川における人工的な波には慣れ親しんでいるが、自然作用による本場の波を二人して楽しむのは今日が初めて。東京湾と聞くとパッとしないが、ここは一応海である。
「てことは、この打ち寄せてるのって、海ゴミになる訳、か。でも、枝とか藻みたいのはゴミじゃないわよね」
「一見したところ、人工物とかなさそうだけど、よくよく調べると粒々とか出てくるんだろね」
「粒々か。南実さん、今日どうしてるかな?」
羽田を発つ飛行機は結構頻繁。蛇足ながら、只今上空を目指している一機は小松行きである。
「飛行機で小松方面とか? なーんてね」
「そしたら、千歳さんも北海道行かなきゃ」
次に飛び立つは、正に千歳行き。離陸シーンがよく見えるだけでも十分なのだが、ついでに何処其処(どこそこ)行きというのがわかるようになっているとより楽しめそうだ。
(参考情報→城南島にて)
当の小松さんはと言うと、あいにく機中の人ではなく、河畔の人だった。楽曲データをCDにコピーし、それをCDラジカセから流す。寒風に負けないよう、いや風を吹き飛ばすかの勢いでサックスを鳴らしている。昨日は叶わなかったセッション二曲目、その間奏部分を念入りに練習中。南実の居宅近くには造成干潟があって、そこを望む場所に今は居る。最下流に当たるため、正にDown Streamを実感しながらの演奏である。揚々とやっているようだが、目にはうっすらと光るものが。誰かに届けたいこの音色。風に乗り、東京港を超え、城南島に届くか。聖夜の日だけに何が起きてもおかしくはなさそうだが...。
「何か風の音が心地いいというか...」
「千さんも詩人ね。大丈夫?」
ありきたりを意識的に回避しただけのことはあって、今、城南島のつばさ浜には、カップル一組のみ。他に誰もいないんだから、はしゃぎ回ってたりしても良さそうだが、やっぱり違う。打ち上がった固まりを屈んで解きほぐしているではないか。
「あら、紙コップ。はい、千歳さん、プ...」
「出たぁ、得意のしりとりだ。プ、おっとプルタブ」
ケータイもないし、データカードもないから、調査はお預け。代わりに、手と頭を使った遊びに興じる二人。
「ブルーベリージャムの、パックね。はい次」
「黒、の鉛筆かな? これって」
「へへ、爪楊枝、発見」
「じ、かぁ...」
いいタイミングでジで始まる物体が離陸する。目に入るものだったら、何でもいいモードになっている。
「城南島、でもいいけど、ここはジェット機、かな」
千歳は立ち上がって、銀色の機体を見送る。櫻も腰を上げ、彼に寄り添いながら、同じ方向を見つめる。
「き、キ...」
機転、だと終わってしまうが、その機転を利かせる櫻。眼を閉じると、
「kissかなぁ」
ジェットの音でよく聞き取れなかったが、千歳は轟音の勢いに乗じ、千載一遇を実践する。
「ぁ...」
機体が上昇するに伴い、轟音はエコーを残しながら小さくなる。代わりに聴こえて来るのは、そう「Soar Away」である。二人、動きは止まったままだが、心は宙を舞う、いや舞い上がっている。互いの温度を確かめ合うように離れない。
十と数秒が経つ。再び見つめ合い、そして俯き合う。波の音が帰って来る。
「千歳さん、私...」
言葉が出ない千歳は、ただ黙って彼女を抱き寄せるしかない。冷たい海風のせいもあるだろうけど、足が震えている。口を開いたのは次の轟音が去ってからのこと。
「やっぱりここじゃ寒かった、ね」
「私は平気。でも、しばらくこのまま、が、いい...」
お次のバスまでまだ三十分近くある。このままでもいいのかも知れないが、千歳は熱があるような気がしたので、そっと櫻の手を引き、陸側へ引き返す。足元にはしりとりし損なった、割り箸、輪ゴム、ストローなんかが転がっている。平時なら拾って帰りそうなところ、今回はそのまま。二人ともすっかりのぼせている。
ベンチに腰掛け、海と飛行機をぼんやり眺めているうちに、正気が戻って来た。
「ス、よ。千歳さん。続き続き」
「隅田、千歳です。はい、どうぞ」
「せ、千住、櫻と申します。フフフ」
ジェットがしばし遮った後、
「ら、ですか。1. 2. ラ、ラー♪」
やっぱり熱がある千歳は、セッション二曲目を徐(おもむろ)に口ずさみ始める。
「千歳さんたらぁ」とか言いながら、櫻も何となく声を合わせる。南実のサックスがこれに重なったら、川と海とのセッションか。
Down Streamから流れ出た漂流物は海を彷徨(さまよ)う。ことゴミに関しては川から海へ連鎖するのは望ましくないとされる。だが、音や歌の流れ、つながりが川と海とであったとしたら? その広がりはきっと無限大。
城南島循環バスに再度乗り込む二人。フワフワ感が残っているので、終点まで乗って行ってしまいそうな心配もあったが、そこはリーダーとマネージャーの組み合わせ。
「えっと、野鳥公園を過ぎたから...」
「じゃ、押しますね」
降車ボタンが連動したのかどうかはいざ知らず、山手線の某駅では弥生のスイッチが入ったところである。
「ねぇねぇGoさん、何かこう引き止めたりとかって、あっても良さそうなんだけど」
「ごめん、どうしても行かなきゃいけなくて。てゆうか、弥生嬢、今夜空いてるの?」
「え? まぁ、その...」
「ツッコミたいとこだけど、どうしよっかな」
最近毒気を見せない弥生がちょっと気がかりな業平である。こう云えば食いついてきそうなところだが、あれれ?
「SNSで知り合った人とか、楽器屋で働いてた人とか、何となくお付き合いしてたりはしますけど、特別な夜を過ごすって程じゃなくて」
「そ、そうなんだ... そやつら、何を考えてんだか」
「あたし、Goさんと過ごしたかったけど、先約があったんじゃしょうがないネ。でもその女性って本命?」
あせる業平。女性と過ごすとは言ってないのだが、つい口が滑る。
「いや、本命ってゆうか、その、ハハ」
弥生のツッコミのこれは変形、いや進化形か。
「やっぱ、ある女性と一緒ってか。ま、いいや今日は家族とイブします。でも...」
「でも?」
業平は珍しくドキドキして来た。こんな風に割って入るのは急いてる証拠。
「起業とか特許とか、相談したいんだな。時々デートしてほしいかも」
そんなことを言われて見送られちゃ、改札をスイスイ通れる筈がない。ICカードがピピと行かず、引っかかっている。
「面白いなぁ、Goさんは」
弥生はピピ、いや今日のところは、ビビである。電撃作戦、うまく行ったらご喝采!
さて、流通センターで降車した千歳と櫻は、モノレールに乗って、空港へ行く途中である。エアポートでクリスマスイブとはまたいいことを考え付いたものだ。
「毎度お手軽ですけど、一応予約は入れたので」
「ま、今夜は割り勘だね」
窓の外では離発着シーンが展開されている。昨日から昼間の時間が少し長くなっているので、気分的にまだ明るい印象を受ける。尾翼に西日が煌き、その反射がグラスにも映る。白ワインに紅が差し込んだら、「乾杯!」 だが、櫻は一瞬、グラスに口を付けるのを躊躇(ためら)い、指を唇に当てる。その仕草に千歳はメロメロ。やはり手が止まったまま。が、そのおかげで彼女の唇に薄く紅が注してあることに気付く。
「どしたの、千歳さん? 白ワイン、お嫌い?」
「何かグラスに口付けるのもったいなくて、ね」
「そっか、姫様の唇、奪っちゃったんだもんね。そりゃそうだ」 櫻はニコニコしながら、ワインを含む。千歳は姫の唇とワイングラスとを見比べるばかり。紅が濃いのはどちらでもない。彼の頬が何よりも紅くなっている。
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