「ちゃんと時間決めておくんだったなぁ... じれったい!」
朝は冷え込んだが、徐々に気温は上がり、二十度近くまで行っている。そうとは知らない櫻は、ドキドキ感とイライラ感が交錯して熱を帯びてるんだろう、てな推考をしながら佇んでいる。ここは橋の袂(たもと)。余程のことがない限り、彼はここを通る筈である。奇襲ならぬ待ち伏せ作戦。以前はセンターのカウンターでドッキリ作戦を試みたこともあった。眼鏡がとれても、茶目っ気は相変わらず、いやversion upしている。
そんな作戦が張られていることなど関知しようもない彼氏は、いつものスローモードで安閑と橋を渡ってくる。視野が広がり、よく見えるようになった櫻は、その鈍足自転車を橋の真ん中辺りで捉えた。だが、「あれ、千歳さん、止まっちゃった」 心憎い彼は、「空は澄んでるし、空気も凛としてるし、いいねぇ」 小休止して、下流側の景観をのんびり眺めている。作戦を見通すには及ばないながら、どうやらはぐらかす術は心得ているようである。
「あ、櫻さん、どしたんですか?」
「不審な自転車の侵入を防ごうと思って。特に廃プラ積載車は要注意。あっやっぱり」
前カゴにはプラ容器類が入ったレジ袋一つ。「ダメかなぁ?」
「彼女ん家(ち)来るのに、何よぉ。ったく」
「あ、こういうのもちゃんと持って来ましたから」
「フン、ご機嫌とろうったってそうはいきませんからね。私、ずっと待ってたんだから」
ドキドキとかイライラとか、どうでもよくなっていた櫻だが、千歳の手土産がちょっと気になる。
「これ買うのに時間かかっちゃって。でも、十一時半でも早いかなって」
「あ、別に怒ってないから。待ちきれなくて飛び出して来ちゃっただけ。異性に待ち伏せされて悪い気しないでしょ? 行こ行こ♪」
「こんにちは。あれ、今日は櫻さんだけ?」
「えぇ、蒼葉は例の油絵出品しに出かけました」
「完成したんだ。持って行く前に見たかったな」
「姉貴にも見せないくらいだから。よほどの傑作か、その逆か...」
実質的な制作日数はひと月ほどか。習作に当たる水彩画は拝見したものの、油絵の方は四日以降、お目にかかっていない。本来の姿、本来の色... ある意味、楽しみではある。
「じゃ、千歳さん、おかけになってお待ちください」
「何か手伝いましょか?」
「いえいえ。お客様にそんな。あ、廃プラ、まとめといてもらえれば」
「こっちは冷蔵庫に、お願いします」
「あ、ありがとうございます。何ですの?」
「いいもの、です」
予め用意しといただけあって、手際よく配膳されていく。メインは、文花からの差し入れ。季節の野菜をできるだけ素に近い状態でサラダ仕立てにした一鉢である。カボチャ、ニンジン、大根をそれぞれスライスしたものにブロッコリーが転がる。
「レタスは下敷きになっちゃってるけど、ま、掘り出してください」
あとはおなじみの櫻風デリをスライスしたバケットに載せていただく。デリはいつもちょっとした惣菜級の出来になっているが、業務用食品店でベースになるパテ状の品々(クリームチーズ、ポテトサラダetc.)やペースト缶(例…サーモン、クラブ、ポーク)を買い込んでおくのがコツなんだとか。コーン、豆類、マッシュルーム、ツナ、アンチョビ、貝柱、ビーフ等、ネタとなる食材は主に缶詰から。開けたら小瓶に移し変えて、いろいろな組合せができるように備えておいてあるそうな。ピクルス、オリーブなどの通常の瓶詰品も含め、その数、十数種類。冷蔵庫内には、それら瓶専用の段があって、姉妹で補充し合ってると言う。
「夕飯の時はこれだけじゃ何なので、生鮮食品とか日配品も買ってくるんです。当番制って言っても、買い物してお膳立てするくらい。至ってシンプルな姉妹の食卓でございます。今日はサラダがいつもより豪華かな。さ、いただきましょ。Bon Appetit!」
「いただきまーす! 十万点プレゼント、ありがとうございます」
「あら、これはほんの前座よ。ちゃんと後で出しますから」
「土曜のお弁当に、今日の食事に、先月だって、これいただいちゃったり、さらにですか? 何だか悪いなぁ」
マイ箸を恭(うやうや)しく取り出しながら、恐縮頻りの千歳。櫻はここぞとばかりに、甘い言葉をかけてみる。
「フフ、いいんですのよ。櫻さんのラブラブブログとか、お写真とか、最近はピアノレッスンまでしていただいてることだし、お安いものだワ」
「レッスン、てか。ハハ...」(平謝り)
「おかげで、一曲ちゃんと出来たことだし。あ、あれって、バックで流しながら生演奏をかぶせるとかって、どうなの?」
「歌は生でOKでしょうけど、演奏となるとねぇ。まぁ、リズム系とベースラインとお飾りだけ流して、キーボードとギターに当たる部分は止めるって感じかな。できなくはないですね」
「そのうち、弥生ちゃんとこ、行ってみますか?」
「え? 彼女の家、スタジオでも?」
「いやいや、バイト先の楽器店にある貸スタジオ」
何気ない千歳の自作曲が思いがけない展開を迎えつつあった。その一曲とはズバリ「届けたい・・・」である。櫻versionが業平アレンジによりパワーアップし、歌を入れればデモでも何でも、というところまで来ていたのである。自作曲の二曲目の方は、舞恵と八広のリズムセッションの耳にはすでに入っていて、今は詞が上がるのを待っている状態。ドラマーライター氏のお手並みやいかに?である。
他の曲も業平・千歳ラインで肉付けされつつあったが、一部は弥生のもとにも流れていて、また違うアレンジが試みられていた。業平に任せておくと、ノリ先行で荒削りな感じになるところ、弥生流のプログラミングが加わったことで、よりしなやかな出来になろうとしている。重低音のグルーヴはそのまま、というのがまた素晴らしい。その何曲かについては、鍵盤による弾き直しは特に必要なかったので、櫻には今のところ負担をかけずに済んでいる。
特にBGMとかをかけている訳ではないのだが、気分的には音楽が二人を包んでいるような情況である。櫻の歌世界、千歳の曲背景、それに街や川や空が重ね合わさって行く。情景を思い描きつつ抒情を語る、そんな会話である。
「話し込んだら、ノド渇いちゃった。何か飲み物... あ、そうだそうだ」
「?」
「千歳さんのお土産は三時にとっといて、と。食後のフルーツ出しますね。飲み物も後で」
櫻は冷蔵庫から本日のいいものを運んできた。それは、
「奮発しました。上物です」
1ダース分の大粒イチゴである。透明皿に瑞々(みずみず)しく盛ってあって美味しそう。食事中は向かい合っていた櫻だが、彼の斜め隣りに腰掛けてみる。千歳は単にお互い食べやすいように席を移ったんだなくらいにしか考えていなかったが、とんだ見当違いだった。櫻は大きめの一粒を手にすると、それを唇に押し当ててから、彼の口へ運ぶ。
「はい、どーぞ。より甘くしてみました」
「あ、ハハ。ありがと」
十万点プレゼントって、もしかして...
「千歳さんだったら、『本気でオンリーユー』って曲、知ってるでしょ。”Sweeten your coffee with my kiss.”を真似てみたの。どう?」
(参考情報→Sweeten your coffee with...)
極端なことを言えば、イチゴ並みに赤くなっている彼氏であったが、それを通り越して、放心状態である。甘いというより、甘酸っぱく感じる。プレゼントにしては度が過ぎたか。
「櫻さん、こりゃ百万点級だよ。どうリアクションすればいいんだか... 倒れそう」
「倒れちゃったら、起こして差し上げるだけよ。はい、も一つどうぞ」
彼女はさらに長めに口をつけた苺を彼の目の前へ。と、あっさり自分の口に収めてしまった。ずっとポカンとしていた千歳だったが、この時ばかりはその開いた口がどうにも塞がらない。そのままテーブルに伏せてしまった。ある意味、倒してしまったことになる。
「ハハ、またやり過ぎちゃった。ごめんね、千歳さま」
いいものを進呈などと言ってしまった手前、何か手の込んだことを一つ、と企図していたものの、先週の不意のラブシーンのせいで、調子が狂ってしまった櫻である。このSweeten Strawberry作戦、実は土壇場での思いつき。見事な機転だったが、確かにこれは利き過ぎ。
「だって、本気でオンリーユーなんだもの...」
目で訴える彼女だが、彼氏は今ひとつピンと来ていない模様。苺はまだ残っているが、作戦は中断。
甘くて赤いプレゼントは二つを残して冷蔵庫に帰って行った。千歳はホッとしたような、もの寂しいような、複雑な心持ちで皿を見送る。
「ま、蒼葉ちゃんにもおすそ分けしないと、ね」
「そういや、蒼葉さん、お戻りは何時なの?」
「なーに、妹に逢いたいって?」
「いや、おやつの時間に戻って来るんなら、一緒がいいかなぁって」
櫻はちょっぴり首を傾げて、
「ははぁ、二人きりだと櫻さんがまた何かしでかすから、予防線張ろうって訳?」
千歳はあわてて、
「あ、いや別に。櫻さんのそういう仕掛け、大歓迎だけど...」
「フフ、次はどうしよっかなぁ。十万点ごとってのもねぇ。まぁ、とにかくよくおつきあいくださいました。ポイントとか言っちゃって、実は私なりの目安でもあったんです。この点数になった時にどこまで進展してるかって、ね」
「で、それは予想通り?」
「まぁまぁ... いやいや、上出来です!」
正直なところ、今回の思いつき作戦の意図を汲んでくれれば、もうちょっと先に行くんじゃないか、と櫻は踏んでいて、内心はかなりドキドキものだった。蒼葉もいないことだし、好機だった筈。だが、一粒二粒で倒れられちゃ「こりゃ、まだ先だぁね」と諦めるしかない。もどかしさも妙味である。シチュエーション的にはやはり十二月二十四日、だろうか。
文花直伝の有機珈琲を呑みながら、おやつタイムを待つ二人。外は強めの風。冷たそうな音を立てて通り過ぎていく。
「おそらくまだ帰って来ないでしょうから、先にいただきましょ、ネ?」
櫻は彼の返事を聞く前にさっさと冷蔵庫へ。
「ほへぇ、何? この特大サイズ!」
千歳が買ってきたのは、ジャンボシュークリームと呼ばれる代物である。箱狭しとばかりの三個入り。
「櫻さん、白クリーム好きでしょ。ギッシリ入れてもらったから」
「そんな特注できるの?」
「そりゃ、姫様のためですから」
「グッとくるなぁ」
中を割ると、ホイップ状のクリームが溢れ出てきそう。「苺と一緒に食べればよかったかなぁ...」とか云いつつも、目が輝いている。かぶりつくと、「まいったなぁ、美味しいなぁ、食べるのもったいない!」
悦ぶ櫻を見て、ご満悦の千歳だったが、口の周りにさりげなくクリームを塗っちゃうあたりが役者である。櫻はそんな彼を見て、ある仕掛けを思いつく。
「千歳さんたら、白いの付けちゃってぇ、美味しそうね♪」
「ハハ、大入りだから、その」
と彼が手を当てた時には、彼女の顔はすぐそこ。
「拭いちゃダメ、もったいないじゃん」
「!」
「ただいまぁ! おーい!」
ドラマなどでありがちな展開は、櫻と千歳にも容赦なく降りかかるのであった。櫻はあまりのタイミングの良さに、「ハ、ハハ。やられたぁ...」 千歳はあわてて白いのを舐めて取り繕う。
「あ、千さま、いらっしゃいませ」
「風、大丈夫だった?」
「これって木枯らしでしょ。今日のスカート、フレアだったから、ちょっとヤバかった」
「あ、そのご衣装...」
「ん?」
蒼葉と千歳のやりとりを黙って聞いていた櫻だったが、衣装の話題になって「そうだ!」と喊声一声(かんせいいっせい)。
「蒼葉、その新作、貸して」
「なになに、いつ?」
「今!」
「ここで着替えろって?」
「何言ってんの。そんなことしたら、千歳さんまたおかしくなっちゃうじゃん」
「私はマズイだろうけど、姉さんはもう平気でしょ?」
「ホレ、さっさと別室!」
姉妹で揃って仕掛けられては、ひとたまりもない。向かいの席には食べかけのシュークリーム。白いのがとろけ出している。
「食べてからでもよかったのに」と他人事のようにクリームを見つめているが、内心、実はかなりトロトロな状態。そこへ、衣装替えして櫻が登場する。
「おぉ、櫻姫」
「お色直ししちゃった。どう?」
フレアスカートの裾をちょいと摘(つま)んで、会釈する櫻。千歳はすっかりとろけているが、頬杖をついて何とか倒れずにいる。
「さすが、よくお似合いで。秋だけど『萌え』ちゃいそう」
スカートはチャコールグレー、ジャケットはオフホワイトなので、別に萌え系でも何でもないのだが、彼なりにときめいている心情を表現したかったようだ。
「蒼葉は後でいいって言ってるから、さっきの続きしましょうか?」
「え、続きって?」
「あら、クリームどしたの? 舐めちゃった、かな?」
櫻はいったい何をするつもりだったのか。わかったようなそうでないような。千さんだけにこういうチャンスは千載一遇ってことも有り得る。何かの機会を逸した、それだけは言えそうだ。
「ま、いいや。櫻さん的には今日は上の上出来だから。これ以上、彼氏を倒しちゃマズイもんね」
ほんの手土産のつもりだったシュークリームだったが、随分と盛り上げてくれたものである。今は櫻の口の周りが真っ白。舐めずにいるのが何とも滑稽ではあるが、どこか思わせぶりでもある。二人とも静かにドキドキしていたが、その大きなおやつがなくなると不思議と収まっていた。
十六時近く。木枯らしは愈々(いよいよ)その強さを増し、窓を叩く勢いになっている。
「じゃ、暗くなる前に、おいとましますね。この後もっと寒くなりそうだし」
「え、帰っちゃうの?」
「僕としても上々の上くらい、素適な時間を過ごさせてもらいましたから。新着の装いも見せていただいたし、今日は十分でございまして」
「そう、だよね。Sustainableだもんね」
淋しそうではあったが、一転、いつもの笑顔になると、「蒼葉ぁ、千歳さん帰るって」
姉と衣装チャンジした妹が別室から出てきた。千歳はどっちがどっちだか判然としなくなっていて、
「じゃ、櫻、間違えた、蒼葉さん、また。シュークリームは苺と一緒に食べるといいみたい」
蒼葉はにこやかに手を振るも、櫻はしかめっ面。千歳を引きずり出すように玄関を出る。
「やぁねぇ、何で間違えるのよぉ」
「へへ、白クリームのせいでずっとボーッとなってて、つい。スミマ、千さんでした」
「そんなボーとなってんじゃ心配ねぇ。おまけに、この寒さ...」
千歳も手をこすり合わせている。好機と見るや、櫻は一週間前の再現を仕掛ける。今回は彼の両手を彼女が包んで放す。そして、
「少しは暖まるでしょ」
木枯らしがまた吹き抜けていく。フレアが多少広がろうが、レンズが多少ずれようが、問題ではない。ここは自宅玄関先、人通りもない。ただ暖かい、それだけ。
西日に向かって、風と共に去る彼であった。残された彼女の台詞はこれしかない。
「夕日が目に沁(し)、みるぅ...」
その日の夜、姉妹の食卓では次のような会話が交わされることとなる。
「私、これでも気ぃ遣って遅めに帰って来たんだけど、早かった?」
「いいとこ、ではあった」
「え?」
「あのタイミングは妹ながら天晴(あっぱれ)。よくぞ邪魔してくれた、って感じ」
素顔の櫻姉は迫力がある。蒼葉に一閃の眼光を放つと、バケットにクリームチーズを塗りたくる。その動作の凄みと云ったら。
「アハハ、ビミョーにコワイんですけど」
「いいってこと。晴れて出品できて、一段落でしょ。今度の祝日、ちゃんとお絵描きの先生してもらうから」
「はいはい。でも本当に千さんヌキでいいの?」
「グリーンマップじゃなくて、違う色のマップになっちゃうから。いいの」 クリームチーズを口の周縁に付けて姉はニヤリ。そのどことなく冷めた笑みに妹はヒヤリ。白い唇というのは何かとお騒がせなものである。
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