2008年4月29日火曜日

44. スマイル


 祝日明け、十一月最後の土曜日は朝からバタバタしていたが、十六時を回り、新たな理事候補と運営委員候補が退場したところで、ようやくいつものスローな雰囲気が戻って来た。会議スペースに残っているのは、文花、清、八広、そしてプロジェクタ等を片付け中の千歳の四人である。
 「チーフ、いや事実上、事務局長、ですね。今日はおつかれ様でした」
 「ハハ、どもども。顔ぶれが揃ったところで、あとは役の振り方。そういう意味じゃ、早めに事務局長を仰せつかった方が話は進めやすいですもんね。何かまだしっくり来ないけど」
 「それにしても、今日の六人はどなたもいいプレゼンだったスね。ハコモノ一つの解釈でも六者六様。強いて言えば、地域のあらゆる資源を連動させてハコにしてしまおうってのと、今ここにあるハコ、つまりセンターを拠点に展開して面にしようってのと、大まかに二つの方向性に分けられる、ってとこスかねぇ」
 「いい読みねぇ。それって、森から木、木から森、の話に通じそう」
 「ま、女性一、男性二が新理事、同じ割合で運営委員が三人。六人全員、何らかの形で関わってくれることになった訳だから、その森と木のバランスもとれるってもんだ。なかなかの人選だったぁな」
 代表候補の清先生は、言葉にはしなかったものの、顔は「ヨシヨシ」とでも言いたげな表情になっている。三十代から五十代まで、流域在住、年数の長短は問わないが何らかのNGO/NPO経験を有する、そんな限られた条件ながら、文花のマメな連絡網(正(まさ)しくネットワーク?)が機能したらしく、公募には十二名が応じた。書類選考でさらに絞り込んだ六名は、女性二人に男性四人。本日十三時半から行われた法人役員候補の二次選考会は、その方々が主役となった。一人十五分の持ち時間で、課題論文テーマ「地域を元気にするハコモノ」についてプレゼンしてもらう。五人はプレゼン用のソフトを使い、PC+プロジェクタで。一人は大判カラーコピーをフリップ形式にして臨んだ。

(参考情報→「地域を元気にするハコモノ」

 八広の言うように、甲乙付け難いところだったが、このプレゼンタイム、センター主催の講座扱いになっていて、聴講者、これ即ち、投票者が同席していた。聴衆の皆さんには、より秀逸なプレゼンの一位・二位に票を投じてもらったところで、講座は終了。その後、十五時過ぎからは六人の間で相互評価を兼ねた協議が行われ、途中から先行候補四人のうち、清、文花、千歳の三人(一人は欠席、代わりに八広が傍聴)を交え、さらに先の票数を加味した選考を経る。かくして、お互い納得の上で理事候補が選出された、という次第である。ただ、文花としては、六人が決まった段階で、この際全員関わってもらおう、という腹積もりがあったので、今日の二次選考は実質的には役員か委員かの割り振りがメイン。副次的だが、センター行事としてハコモノ論の討究ができる、ということも大きかった。
 内にも外にも意義のある行事をさりげなく設定してしまう、文花の手腕あっての今回の会であった。
 「取り急ぎ、理事就任にあたって必要と思われる書類も渡したし、理事会の日程調整も済んだし、あとは定款考えながら組織体制? 事業計画?」
 「会員制度もですね」
 「あぁ、ファンクラブの話、か」
 「ファン倶楽部だぁ?」
 とまぁ、和やかにやっている。ファンクラブ云々のジョークを発した当人、さくらコースの櫻は、午後は専らカウンター係。今は聞き耳を立てながら、クスクスやっている。会議スペースの様子はカウンターからも見える。なので、プレゼンもひととおりは拝聴済み。カウンター係は、配付資料に書き込みしながら唸っていた。途中、辰巳がやって来たり、舞恵から電話があったりしたが、聴講者以外の来館者は少なく、程よい位置で程よい時間を過ごす。だが、講座終了後は協議に加わるでもないので少々退屈気味。KanNa上の当館イベント情報を書き換えたりしていたが、正直持て余していた。舞恵が予定通り十五時に来てくれれば、カウンセリングでもしながら凌げたのだが、遅くなるってことじゃ仕方ない。間が持ったのは、帰った筈の辰巳が戻って来てくれたおかげである。
 「いやはや、千住さん、最初わからなくってさ。下で頭冷やして、確かめに来たよ」
 地域振興部署時代、櫻と言えば眼鏡、が定着していたので、来た時も出た時も認識できなかった、ということらしい。
 「そっか、課長にも見せてなかったんですね」
 「でも、どうしてまた?」
 「実は彼氏、あ、いや、ある方からコンタクトレンズのアドバイスをいただいて、それで」
 「彼? あぁ、成る程」
 higata@では公認かも知れないが、元上司、現事業委託主、そんな立場の辰巳には易々と彼氏がどうこうてな話は憚られる。だが、櫻のそんな心配りがかえって辰巳にはやるせない。
 「お見通し、でしたか?」
 「先月のクリーンアップで二人の息ピッタリだったから。ちょっとショックではあったけど、ハハ」
 「須崎課長...」
 間を持たせるどころではない。深く重い間が生じることになる。何も言えなくて幾年月(いくとしつき)。ずっと独り身でいたのは、意中の女性がいたから、ということだったのか。
 六人が帰る何分か前、辰巳は一人、センターを後にした。寂しげな高い背中を見送っていたら、ちょっぴりキュンとなってしまった櫻である。四人の談笑が聞こえ、我に返った、そんな感じ。

 会議スペースの片付けが済み、その四人一行はカウンターへ。
 「櫻さん、お待たせ。カウンター番、交代するわよ」
 「あ、はい。って、今日は奥宮さんとはいいんですか?」
 「そう言えば...」
 「あーぁ、ルフロン、可哀想。でもまだ来てなかったんスね」
 「誰だい、そのフロンさんて?」
 「センセ、それじゃオゾン層壊しちゃう」

 階下から、リズミカルな足音が近づいてきた。
 「ヤッホー! 皆さーん」
 今日は雨も風も連れて来なかったが、風雨に遭ったようなクルクル髪で、ル・フロンさんが現われた。かつてのツンデレラが嘘のように晴れやかな参上ぶり。
 「先生、彼女がルフロン、ス」
 「八クン、この方、だぁーれ? 先生って?」
 「掃部清澄先生。お名前はメーリングリスト上なんかでご存じでしょ?」
 higata@のメンバー十人中、清と面識がなかった最後の一人がここで漸く対面を果たす。
 「あぁ、舞恵は行けなかったけど、十月の回の集合写真でお顔は。蟹股だったんで、よく覚えてますワ」
 「マエさんてか、そんじゃ、丁寧に呼ぶとお前さん、だな、ハハ」
 「何か、おじさん、イイ感じ。ヨロシクです」
 名だたる先生をおじさん呼ばわりとはいい度胸である。だが、清としてはそんなくだけた接し方がむしろお好み。ルフロンの登場で、先生、いや、おじさんとの距離感がまたぐっと縮まったのは確か。ネイルアート(ご職柄、週末限定)が気になるが、握手を求める舞恵に清は気安く応じる。イイ感じな二人である。

 ルフロンは、やはりフロントにいると落ち着くようで、カウンターで文花と打合せに入る。が、それも束の間、櫻の席に移動すると、今度は会計ソフトを動かしながら、仕訳の極意を伝授し始めた。
 「やっぱ、最初にきちっと事業に見合った費目を立てるに限りますわね」
 「法人化するとなると、監査もちゃんとやらないといけないしね」
 「NPO法人の会計ってのは多少緩やかなんでしょうけど、逆を言えば、これがきちっとできることがその団体の信用につながるんだって、八クンも言っとりました。ま、とにかく次年度からスね」
 「今日ので理事は固まってきたけど、監事よねぇ。その辺の事情がわかる人だとベターなんだろうけど」
 「今日は決まらなかったんで?」
 「一気に選考しようとも思ってたけど、監事はやっぱ別格かなぁってことになって」
 「そう、だったら...」
 じらすように言葉をためる舞恵。文花はハラハラドキドキ。
 「実は当行にそういうサポートできる人材バンクがござんして」
 「はぁ、さすがはバンクね」
 「でも、今年は退職者が多くて。そのバンク、パンクしやしないかって、人材の皆さんは気が気じゃないみたいで。ホホ」
 そういうことならぜひご協力いただきたいものである。交通費程度の謝金で都度請け負ってもらえるらしい。銀行にもCSRが波及していることを示す話である。

 いつもの円卓では、PCに向かうおじさんと、それを囲むジュニア世代三人。Comeonブログの定期更新日ではないのだが、千歳、櫻、八広が揃い踏みしている以上、今この機会を逃す手はない。あいにく画像はないのだが、伝えたいことは山とある。文章でいかに画(え)を描いて、臨場感を持たせるか、これが掃部流の奥義。三人にとっては、視覚的・立体的な詞世界のあり方を探る上で大いに参考になる。おじさんブロガーの方は、打ち込んでいる記事に対して、その場ですぐに若手の反応が得られるというのが頗る励みになっている。ブログの特性の一つに双方向性がある。が、それはネット上に限らない。同じ場所に居ながらも双方向。距離は近い程いい。

 ルフロンはカウンターを離れ、八クンを呼びに来る。
 「そろそろ行くかい?」
 「いつの間にか外、暗くなっちゃったねぇ」
 「あ、お二人さん、初姉のとこ?」
 櫻はクリアファイルに入れたカラーコピーを持って来て、舞恵に手渡す。
 「あーら、可愛い地図ネ」
 「石島&千住の四姉妹で探訪調査した成果なんだ。シンプル系でも良かったんだけどね、白地図そのままじゃ無粋だから、できるだけデコ入れて、シール貼って、小梅嬢に描き足してもらったの」
 「達者なイラストねぇ。スマイルマークもステキ」
 クルクル髪をいじりながら、そのスマイルを真似てみる舞恵。千歳と八広は、離れたところから、笑い顔の女性二人を見入っている。当然のことながら、男二人もスマイル中。以心伝心ならぬ、以笑伝笑の図である。
 「今日は特にお話お聞きしなかったけど、その笑顔なら大丈夫そうね。お仕事、慣れましたか?」
 「舞恵は前に居て何ぼ、だからなぁ。対面業務じゃないと面白くないかも。でもね、融資の企画業務に回ったからには、それを活かさない手はないって思うようになったさ。そんでもって彼とか文花さんと話してるうちに、これだーって、ネ。いいこと思いついたとこ」
 八広と舞恵は、土曜日のお約束、アフターデザートタイムに合わせて、カフェめし店に向かう。そろそろ十七時である。
 「んじゃ、また。カモンのおじさんも元気でネ」
 「あいよ、フロン嬢もな」
 「だからセンセ、ルを付けないと...」
 この際、定冠詞が付こうが付くまいが関係ない。オゾン層を破壊されちゃマズイが、突破力があることには違いない。そんなフロンさんに手を振るカモンおじさん。新たなコンビ誕生の予感?

 昨日午後のお絵描き探索はいい気分転換になったようで、今日一日ご機嫌だった初音嬢。お約束の客が多少遅れて来ても悠揚としている。
 「あ、いらっしゃいませ」
 すでに私服に着替えてあって、今は一般客と同じなのだが、しっかり接客。奥の予約席から声をかける。テーブル上には店に似つかわしくない容器がデンと置かれ、プレートや食器がそれを囲む。
 「あん? 今日は釜飯かいな? 初姉の気まぐれシリーズてか」
 「当店はカフェめしはお出ししますが、あいにく釜飯はございませんで」
 「だってこれ、あの峠の...」
 八広も不思議がっている。そう、この容器、峠の某である。六月から小梅、小梅から初音と渡ってきて、満を持してこの日、リユースデビューとなった。
 「パンケーキ容れるのに丁度よかったんスよ」
 フタをとると、ほんのりと湯気が上がる。さすが保温性はバッチリ。使える釜である。
 「これって、お客様に?」
 「まさか、お二人専用ですよ」
 「でも、これで出したら結構ウケるんじゃん?」
 「開けてビックリ、パン!ケーキ、とか」
 舞恵が八広を小突いてる隙に、初音は三人分のサービスドリンクを取りに行く。ドリンクが並んだらそれからは、体当たり英会話教室の始まり始まり。
 「あ、その前に。櫻姉からこれ預かってたんだ。Please, make them sure.」
 「How wonderful! ちゃんと二枚ある」
 「じゃ、初姉、その地図の趣旨と、おすすめスポットなんかを英語でどうぞ」
 「ひょえー、いきなりスか?」
 「コレ、ハチ! 何、他人事みたいに笑ってんの。アンタも生徒でしょ」
 「対不起(Dui bu qi)、じゃねぇや、Excuse me.」
 「たく。あ、そっか、せっかくだから生徒さんどうし、Q&A式でやってみっか」
 舞恵は、それなりにお嬢さん育ち。ただ、ダンスミュージック好きが高じて、米国のノリのイイ街ににショートステイしてた時期があったため、些かブロークンになってしまった。英会話をマスターしたのは良かったが、訛り英語のおまけ付き。それでも、基本はしっかり弁えている。
 「要はさ、相手と話がしたい、あれを聞きたい、これを伝えたい、ってのがあればいいんよ。passionありき、てことかな。話す意欲がなきゃ、どんな言語も話せませんワ」
 初音は昨日のことを思い出しながら、ぎこちない英語で話し始める。八広は時々ヘンテコなフレーズで相槌を入れながらquestionを担当。そんなんでも、やりとりしてれば変わるもの。徐々にペースが上がってきた。
 「ま、そもそもそのグリーンマップとやらは、米国発祥な訳だから、オリジナルの資料見りゃ、いろいろ書いてあんだろうけどさ。自分で実際にやってみてどうだった、てのは自分の言葉じゃないと語れないっしょ? そこでこう、情熱っていうかさ、話したい!って気になりゃしめたもんヨ」
 「蒼葉さんにも、即席デッサン教わったんスよ。それがまた良くって。小梅のイラストもそのせいか、大人っぽくなった感じ」
 「へぇ、そうなんだぁ。その気持ち、訳せる?」
 「Sister Aoba taught us how to draw still-objects instantly, I was very moved, and…」
 「hum...あとは、表情よね。顔の筋肉使って多少大げさにやると、言葉が勝手に付いてくる、かな?」
 「ルフロンさん、前は愛想良くなかったじゃないスか。そう言われても説得力が...」
 「顔の筋肉使い過ぎて疲労気味だったから、あんまり表情作らないようにしてただけ」
 「You’re so kidding.」
 「Ha ha, now you know!」
 八広は何のこっちゃ、という顔をしているが、彼氏も本当のところはよくわからない。地がそうなんだ、という程度である。ま、ここは無愛想だった理由を探るよりも、愛想が良くなった理由を考えた方が早そうだ。一つ確実に言えるのは、干潟つながりで知り合った皆のおかげ、ということ。そんな舞恵が愛想良くquestionする。
 「Why did you mark smile one on this area?」
 「あぁ、それは... It’s hard to explain for me. ヘヘ」
 それは千住姉妹宅付近である。櫻がニコニコしながら貼ったのだが、単に自宅だからという訳ではなく、誰彼さんといいことがあった何日か後だった、というのがスマイルの理由なもんだから、どうしようもない。十代の初音に説明を求めるにはムリがある。まして、英語でなんて。
 他にも、鎮守の森、とある民家の砂利道、ゴミ一つない路地裏、子どもが遊べる空き地、夕日がよく見える歩道橋、といった辺にアイコンシールともどもスマイルは付されてあった。
 「フーン、面白いわね」
 「ウチはこのエリアからは外れてるんですけど、今回のとこ遠くないから時々また様子見ようって、思いました」
 「自分ちの近所も、でしょ」
 「小梅は早速ウロウロし出したみたい。でも、だんだん寒くなってきたから、今月までスかね」
 三人は引き続き、アイコンの絵を見ながらそれを英語に置き換えたりしていたが、
 「この涙目は何? Joy or sorrow?」
 「もともとは[悲しい場所]ってことらしいんスけど。あ、ここ風が吹き抜けるんですよ。で、櫻さんたら『目にゴミが入っちゃった、うぅ』とか言いながら、それで」
 「いかにも櫻姉らしい発想ね。本人的にはそりゃsorrowだわ」
 「あんまり貼りたくないって、貼るならうれし涙の方がいいって、そんなことも言ってたような」
 「ま、要するに、いろいろな感情表現ができるマップでもある訳だ」
 「あら、八クン、黙って聞いてたと思ったら、いいこと言うじゃん。レッスン的には、そう、アイコン見ながらそれに合わせた表情作って声に出す、てのも良さそうネ」
 「I agree, teacher.」
 「そういう時はね、I’ll drink to that.て言い方も有効よ」
 「はぁ、ドリンク?」 八広はグラスに目を向ける。
 「あ、いけね、お代わりお持ちしますね」 初音はそのグラスを手に立ち上がる。 時刻は十八時。センターの長い一日も終わろうとしていた。来週の土曜日は、もっと長い一日が待っている。