2008年1月22日火曜日

28. 巡視船紀行


 下見と打合せ、それだけでもちょっとした場になるが、higata@の面々にはさらに前座が用意されていた。その名もズバリ「巡視船で行く荒川下流の旅」、オプショナルツアー企画である。前座がオプションというのも変なら、ツアーの方が本日のメインイベント要素が強いというのもまた妙である。九月十七日は祝日だが月曜日。環境情報センターはもともと月曜定休。千歳も同じく定休日。祝日が月曜の場合、休日が減るのと同じになるので、割を食う訳だが、今回の企画はその変則性が幸いした。予約が可能なのは平日のみ。ただし、臨時貸切となると、月~金で祝日に当たる日なら可とのこと。これには、河川事務所の課長さんが一役買ってくれた。
 「敬老にちなみ、掃部(かもん)先生への祝意、干潟再生に向けた皆さんのご尽力への敬意、そして、娘どもがお世話になってますことへの謝意とを兼ねまして...」 干潟に程近い場所にあるリバーステーションにて、まずは開会の辞を述べられる。当の娘二人は満更でもなさそうだが、特に声援を送る訳でもない。父親は照れながらも苦々しい表情を浮かべる。そこそこ拍手があったのが救いだった。
 ツアーの意図が今述べたようなことだと、公私混同然としてしまうので、表向きは環境情報センターの主催(但し、参加者限定)ということにしてある。チーフは予め、来るべきセンター運営団体の法人化に際し、役員候補(現・世話人)の方々にもお集まりいただいていた。この中には櫻の顔なじみもポツポツいらっしゃるが、今日はせいぜい会釈する程度。人選はまだまだ先だし、代表理事になるべき人物の意向とか、会員制に移行した際にそのまま会員として協力いただく方々の動向によっては、また顔ぶれが変わる可能性がある、というのがその理由。今のところは適度な距離を置かないといけないのである。気疲れしそうな場面ではあるが、「ま、気楽に行きましょ。その辺は千歳さんに倣(なら)って、ね」 視線を送った先の彼は、八広と雑談中。
 「じゃ今日は休日出勤?」
 「期末はいそがしいんだそうで。来週も返上みたいスよ」
 雨女ルフロンさんが来ない、となると... 確かに快晴だし、気温上昇も著しい。初音予報士はデジタル温度計をかざし、「おぉ、早くも三十℃突破?!」 現在時刻、午前十時前である。
 珍しく(いや姉妹そろっての登場は今回が初!)、櫻と一緒に来ていた蒼葉は、その予報士の仕草を眺めつつ、「何かチャキッとした感じ。昔の櫻姉に似てたりして...」 得意の人物評を考えている。傍には蒼葉ファンを自認する少年がニコニコしながら立っている。
 「あれれ、六月君、お姉さんは?」
 「エ? お姉さんてたくさんいるけど、誰のこと?」
 「アハハ、弥生ちゃんが手を焼く訳だ」
 プログラムの目処は立ったし、後期授業も始まったため、センターでのインターン作業はひと区切り。小遣い稼ぎは、またバイトの方に力点を移しているとのこと。
 「そっか、楽器店でね。ちょっとは上達したのかなぁ?」
 案外謎が多い弥生嬢。彼女のブログだかSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)だかに関してもhigata@メンバーは存じ上げていなかったりする。何の楽器の練習中か、ということも知っているのは蒼葉くらいか。
 肝心の先生は、「いやぁ、船は遠慮しとくは。自分で漕ぐならまだしも、な」とのことで、やむなく辞退。だが、明晩はお待ちかね(?)の文花との対談がある。二日続けてご対面、というのを避けたフシはある。業平は次の実機試験に向けた研究に没頭中。冬木は情報誌発行大詰めで出勤中。十月の定例クリーンアップ予告の扱いについて、今日の打合せ結果を待つ必要上、致し方なく、というのも休日ご出社の背景にある。放っておくとフライングしそうな惧(おそ)れもあるが、そこは文花がクギを刺すことになっている。そういう使い方ならケータイとしても本望だろう。

 巡視船には、河川事務所職員も数名乗り込む。石島親子以下、干潟の衆は、Ms.サルビアさんが来るのを待つ。出航時刻をちょっと過ぎた頃、「わぁ、待ってぇ!」 いつもとノリが違うお嬢さんがいつもの自転車を飛ばしてステーションに駆け込んできた。
 「駆け込み乗車はおやめ...」 六月がアナウンスするも、それを遮るように、
 「駆け込み乗船ネ」 櫻が笑う。
 「ごめんなさい、皆さん。道路のコンディションがあまり良くなくて」
 ゴミの回収代行に続き、今日の巡視船貸切と、ここへ来て父権というか、面目を回復しつつあったのだが、南実のこの一言で忽ちトーンダウンである。「親父、ダメじゃん」 長女からダメ出しを食らう石島課長であった。台風増水に伴い、河川敷道路は所々泥が浸かり、電動アシスト車でも苦戦した模様。だが、この件で課長を責めるのは酷というもの。それは娘もわかっていたし、一同も重々承知。言葉遣いは乱暴だが、他意も他愛もない、初音ならではの表現なのである。
 その初音嬢は、初めて見る長身の女性が気になって仕方ない。タンクトップの上にフリルブラウス、そしてクロップドパンツ。「何かモデルさんみたい」 船に乗り込む途中、そのモデルさんがふと立ち止まったところで、後ろにいた初音が接触。「あ、ごめんなさい」 その柔らかな一声に、蒼葉は振り返る。どこかで聞き覚えがあったのである。「いえいえ。こちらこそ」 その聞き覚えの件は、後で姉妹と会話する中でハッキリすることになる。
 六月、八広、櫻、千歳と続き、先輩・後輩コンビ、最後に課長が乗り込んで、いざ出航。時間の都合もあり、めざすは総武線鉄橋辺り、と少々曖昧な設定である。石島シスターズはすっかり有名だが、石島父はまだまだマイナー。「あの娘にして、あの父?」という点で興味津々なのが女性陣。南実は今更ながら「やっぱりねぇ」と文花とコソコソやっている。千住姉妹も初めてお目にかかる。前に立っていると、必然的に注目が集まる訳だが、娘にやられることが多い手前、若い女性に対してはどうも兢々(きょうきょう)となってしまう。モデルさんと目が合おうものなら、尚更である。
 「エー、改めまして。皆さん、本日はようこそお越しくださいました。小職、石島湊と申します」 あがっているせいか、所属と職掌を言い忘れている。掃部先生がいらっしゃらないので、余裕の構えでいたが、いざ話を始めるとこんなものである。チーフの招待客ご一行の席も少々ざわついている。何はともあれ、十七日にちなんでか、ちょうど十七人の客を乗せ、川下りが始まった。
 「時速は約四十キロ出ます。リバーステーションを交通拠点にすれば、下流各所を結ぶ足になると思いますが、これは巡視船なもので...」 課長のトークが続く。仰せの通り、結構な速度がすでに出ている。荒川沿いを走る鉄道等がないことを考えると、水上交通の意義は大きく、相応の速度で結ばれるなら、交通手段として十分成り立つと思われる。荒川・新河岸川・隅田川を結ぶ水上バスは一応あるが、観光要素が強く、週末中心。生活の足としては考え難い。荒川に定期的な水上便が通れば、南実だって自転車ではるばる遡ってくる労を節約できる訳である。
 それにしても、川における四十km/hというのは本当に速い。水門だ、干潟だ、と見つけるもそれも束の間、すぐ後方に流れて行ってしまう。干潟チームの九人は、下流に向かって左側に固まって着席している。その一団先頭の文花は、「あら、都市農業公園だわ。寄り道したいけど、ムリよね」 隣の南実は、「ステーションがあればいいんでしょうけど。あぁ、反対側ですね。残念」 早くも新田(しんでん)を通過するところである。
 巡視船の概要、下流の概況などに続き、ちょっとした観光案内が入る。苦手な先生が不在の分、徐々に調子が上がってきた石島課長である。
 「この辺一帯は、足立桜堤ですね。で、見えてきたあの橋、高速道路の上下線が二階建てになっているのが特徴です。五色(ごしき)桜大橋と言います」
 「なんか、桜、桜ってどうなってるの? 名前呼ばれてるみたい」
 「そりゃ、櫻さんあっての荒川ですからねぇ」
 「まぁ、千さんたら」
 何故か課長は乗船名簿をチェックし出して、「今日は櫻さんがいらっしゃいますね」
 「あ、ハイ」
 千歳の隣で手を挙げる女性。本当に名前を呼ばれるとは。「あぁ、貴女(あなた)でしたか。結構なお名前で」
 櫻を知る別の一団の方が何だか騒がしい。そこそこウケているようである。だが、当の課長さんは、千歳に然るべき連れがいることがわかり、ちょっと曇り顔になる。
 そのお二人の前には、六と八の数字コンビが並んでいた。「あっ、日暮里・舎人(とねり)ライナーだ!」 さすがは鉄道少年。まだ開業していない路線も一発で当ててみせる。「八広さん、撮ってよ」 頼りないケータイをさっきから構えてはいたが、どうも覚束(おぼつか)ない。「隅田さんがちゃんと撮っててくれるよ」
 後方では、撮影係がバタバタやっていた。「え? あれ撮るの?」 すでにその新線は後ろに行ってしまった。「へへ。また、後でってことで」
 振り向くと、姉妹と通路を挟んで蒼葉がニコニコしている。「ね、千さんて、スローでしょ?」
 配られた地図を見つつ、解説を聞きながら、写真を撮り、メモを取り、である。決してスローだから、という訳ではない。
 「そういうところがいいんじゃない。ねぇ、千歳さん?」
 「まぁまぁ。船の中でもノロけられちゃ、やってられないわ。船酔いしそう」
 櫻は斜め後ろを向くと、
 「どれどれ。はぁ、確かにお顔が蒼白してるわねぇ。下船した方がいいんじゃない?」
 「私のは美白。姉さんと違って灼けてないもん」
 石島姉妹は千住姉妹のこうしたやりとりを聞き、姉妹のあり方を参考にしているようだったが、可笑(おか)しくて仕方ないらしく、ヒーヒーやっている。父はそんな娘たちを微笑ましく見ている。

 扇大橋を過ぎたところで、再び課長がマイクを取る。波が護岸を浸食するのを防ぐための通航ルールと標識についての話になった。この辺りのヨシ原は「自然保護区域」に重なる。ヨシ自体、ある程度の消波効果を持っているものの、船舶が大波を立てて通ると、さすがに効かず、水際が浸食されてしまうことになる。そのため、減速と「引き波禁止」の指定になっているんだとか。
 「橋みたいな記号に赤で斜めに引いてあるのって、そういう意味だったんだぁ」
 「橋の下は通航禁止とかだと思ってたけど、あれって波だったんだね」
 「石島さん、あれじゃ波だってわからない、って意見が...」
 櫻が課長にツッコミを入れている。「あ、いやぁ、そればっかりは...」
 先生ご不在でもこれじゃ先が思いやられる。
 「あの、いつもの干潟のところも、指定してもらうことってできるんですか?」
 今度は南実が発言する。かつて、大波にしてやられた経験あってこその貴重な声である。
 同行の職員とヒソヒソやってから、「いただいたご意見は一旦お預かりして、また改めて...」 だんだんアウェイな雰囲気になってきた。娘がいる手前、冷や汗もひとしおである。
 早くも小菅(こすげ)を過ぎる。排水機場、水再生センターなどに続いて、京成線の橋梁が見えてきた。六月がまた声を上げる。
 「おぉ、スカイライナーだ。千さん!」
 「今度は大丈夫。グッジョブ?」
 「スカイライナーかぁ。空飛ぶ特急って感じね」
 これには六月も感心する。斜め後ろを振り向くと、櫻と目が合った。いつも通り、眼鏡越しでアイコンタクトをとるも、横川駅で素顔を知ってしまってからは、ついソワソワしてしまう。少年の心はスカイライナーの如く空を舞う... ちょっと大げさか。
 櫻の素顔については、この人も知るところではある。ただ、しっかり拡大プリントでもしない限りはわからない、ということに今はなっている。
 「千歳さん、私のブロマイド写真て、どうしました?」
 「肖像代、払わないといけないからまだプリントしてないです。へへ」
 「六月君に撮ってもらった方は?」
 「眼鏡外した櫻さん見るの、ちょっとおっかなびっくりで」
 「そっかぁ。私ね、本当は素顔をお見せしたくてずっとウズウズしてたんです。でも、ね...」
 何かを察した蒼葉が斜め後ろから声をかける。
 「櫻姉、ホラあれ! ハープ橋だって」
 「あら、本当ね。爪弾(つまび)くと鳴るのかしら?」
 「ちょっと、千さん、何とか言ってやってよ。姉さん、ここんとこおかしいのよ」
 「そういうところがいいんだよ。ね、櫻さん?」
 「もう、二人してぇ」
 十代姉妹は笑い転げている。時刻は十一時過ぎ。そろそろ折り返し地点である。

 「では、ここ平井大橋で引き返します。どっかの学者先生が発音すると、白井大橋... いや失敬。今日先生いらっしゃらないから、つい口が」
 「こらぁ、真面目にやれぇ!」 笑っていた余勢に乗って、長女が野次を飛ばす。憎まれ口ではないことは誰が聞いても明らか。ほのぼのしたワンシーンである。
 「あっ、今度は成田エクスプレスだっ」
 巡視船が総武線鉄橋と並行する位置合いになった時、下りの空港行き特急が音を立てて走り抜けて行った。少年は感無量である。撮影係は、デジカメの電池残量が少々気になってきた。「ムム、鉄道をとるか、漂流ゴミをとるか...」 究極(?)の選択を迫られていたが、こういう時こそ、彼女に頼らないといけない。
 「あ、私、カメラ持って来てたんだ」
 「おぉ、神様、櫻様...」
 「?」
 櫻は六月にカメラを預け、千歳は本来の撮影対象に専念することになる。
 「そういうことは早く言ってくれなきゃ」
 「ハイ、櫻姫」
 平素は的確な指示をよこす職人肌の千歳が、櫻と相対している時はちょっと冴えない一面を見せることが八広には滑稽ならしく、当人の斜め前で「クク」とかやっている。
 隣の少年は車掌の如く、「次は八広(やひろ)ぉ。八広を出ますと、曳舟、押上...」 といい調子。八広はハッとして、船窓の外を見る。上り・下り双方の京成電車が走っていく。
 「そっか、ここが。漂着ゴミとか凄そうだね」
 「自分の名前と同じとこは、やっぱ自分で何とかしないとね」
 「まいったなぁ」
 今は千歳が笑いをこらえている。櫻は一人で「やしろぉ、しきふねぇ」と悪ノリ中。何かと話題のその先生の新弟子さんも同じようなことを思いついている。
 「先生きっと、ヒヌマって発音できないかも」
 課長の話では、八広付近に生息する絶滅危惧種「ヒヌマイトトンボ」に配慮しながら慎重に、京成押上線の架橋(架け替え)工事は行われたんだそうな。
 「そのトンボの話、先生の著書にも出てたわね。南実ちゃん、覚えてる?」
 「発見されると、どんな大がかりな工事も止めざるを得なくなる、とか」

 higata@に加わった冬木からは、情報誌に載せる予定の開催予告(十月七日)の文案と一緒に、他の実施予定会場の情報が流れてきていた。手元の地図を見ながら、その会場の位置をチェックする千歳。だが、会場選定の基準が今ひとつ掴みきれていない様子。こうして船から眺めていると、漂流・漂着ゴミがどのような状態になっていて、どこに溜まりやすいか、といったこともハッキリするのだが、必ずしもそうした視点とは一致しない場所で展開されているようである。
 「おそらく、行きやすい場所かどうかとか、洗い場やお手洗いが近くにあるかとか、足場は安定しているかとか、いろいろあるんだと思う」 手順や諸注意の案をまとめただけのことはあって、櫻はもっともな見解を述べる。参加者の利便性や安全性を優先せざるを得ないのはわかる。だが、クリーンアップに力点を置くとするなら、船で横付けするなどして重点的にゴミを集めるという選択も有り得るのではないか。
 船は北上を続ける。上流に向かって左側の景色が移ろっていく。鐘ヶ淵を過ぎると、
 「あら、隅田水門ですって」
 「水門の両脇、何だか草茫々(ぼうぼう)だねぇ」
 「自分の名前のとこは... フフ」
 「草刈り機、先生から借りるかな」
 水門左岸はオオブタクサ、右岸はアレチウリ。いずれも外来植物で、その繁茂ぶりは目を覆うばかり。ここで課長が問題提起を入れる。
 「まぁ、自然てのはどこまで放っておいていいのか、逆にどこまで手を入れたらいいのか、悩ましい限りです。小職はどちらかと言うと放任主義ですが」
 「だってさ」
 「親父は家のこととなると、本当に放ったらかしだもんね」
 「でも、あの干潟は何か手を入れたいみたいなこと言ってたよ」
 姉妹は何やら聞き捨てならない話をしている。それは何となく千住姉妹の耳にも入っていた。
 文花と南実は何やら金八先生の話で盛り上がっている。
 「『贈る言葉』『人として』どっちも名曲よねぇ」
 「て、先輩おいくつでしたっけ? 私、どっちも知らないけど」
 「やーねぇ、卒業式で覚えたのよ。初代金八先生やってた頃は、まだ未就学児童よ。ホホ」
 就学中だが、小学校ご卒業まであと半年の六月君は、トレインビューに夢中。東武伊勢崎線に続き、つくばエクスプレス・JR常磐・東京メトロ千代田の三線連続の鉄道橋に息を呑んでいる。時刻は十一時四十分頃、東武線を下り特急が通れば、常磐線は下り「フレッシュひたち」、つくばエクスプレスも下り快速列車が並走する。櫻のデジカメを懸命に操るも、この際、どうでもいい。
 「あぁ、オイラ幸せー」
 すっかり感極まっている。タイミングを見計らったかのような演出だが、あくまで偶然である。先だっての特命の報奨といったところだろう。

 往路では反対側だったため、よく見えなかった自然再生地付近に差し掛かってきた。水際に根を下ろすヨシが群落を形成し、その前には粗朶(そだ)を組んだ工作物が並んでいる。その隙間から干潟らしきものが見え隠れするがよくわからない。引き波を立てないよう、船はゆっくり川面を辷(すべ)る。
 「石島さん、波を消すものを配置するのが自然再生になるんですか?」
 「ヨシ原を保護しよう、ということです」
 「あの仕掛け自体も環境配慮型なんでしょうか」
 「えぇ、流木や廃材を細かくしたものです」
 湊は千歳の思わぬ質疑に驚くも、何とかボロを出さずに済み、ホッとしている。ところが、河川敷沿道をよく知る南実が黙ってはいなかった。
 「ここ、千住桜木ですよね。自然再生工事だかって看板出てましたけど、あんな重機とか入れて、本当に自然再生になるんですか?」
 「河岸の再生工事だったと思うんだけど」
 「明らかに河川敷の緑地を削るような感じで現場設営してましたよ」
 さすが、お弟子さんだけのことはあって、ツッコミどころが掃部流である。仰る通り、自然保護区域に対して、再生工事というのはわかりにくいし、そんな荒らしのような設営が為されたとあっちゃ...
 「小松さん、この件はまた個別に...」
 「いえ、そのうち先生を交えて」
 タジタジになっている父を見て、小気味いいようなそうでないような、今は些か複雑な感懐を抱く娘二人であった。
 今度は本名がそのまま出てきたので、櫻は目をパチクリやっている。
 「つまり、ギを取ったら、私の名前そのままなんじゃん」
 「千住桜木って、バス停もあったような... バスで訪ねて、この辺のこと調べてみますか?」
 「よかったね、櫻姉」
 「エヘヘ」
 とまぁ暢気にやっていたら、すでに小台(おだい)付近を通過中。
 「あ、いけねっ」
 船窓からは、ペットボトル、レジ袋、カップ容器等々、漂流系のゴミが下流に向かって流れていくのが見える。川の流れ加減によるのか、蛇行の角度によるのか、一時的にゴミの放出が増えただけなのか。ここに来て、急に漂流ゴミが目立つようになった。エリアが局地的なのが何とも不可解である。電池切れ覚悟で何枚も撮影を試みては、その都度、目を凝らす。
 再び日暮里・舎人ライナーの下へやって来た。まだ辛うじて残量があったので、今度はしっかり撮影。漂流ゴミと一緒、というのが千歳流である。
 「六さん、ちゃんと撮れた?」
 「あわてて撮ったら、隣の電器屋さんが真ん中になっちゃった」
 「じゃ、また弥生お姉さんに送っとくよ」
 「やったぁ。そんじゃ、櫻さんのカメラで撮った分も一緒にお願いしまーす」
 江北橋から北へ、船はなお進むも、迎え撃つように漂流ゴミも続く。
 「ねぇ先輩、この船にニューストンネットくっつけて走ったら、やっぱりいろいろ捕れるんでしょうかねぇ?」
 「あれだけ浮いてたらすぐいっぱいになっちゃいそうだけど...」
 もともとはプランクトンや魚卵を採取する用のネットだが、プラスチック系微細ゴミの調査にも使われる。荒川で実践するとどうなるか、興味深いところだが、今左岸(正しくは下流右岸)を漂う品々を見る限り、文花の言う通り、すぐに大漁になってしまうだろう。その後も、水面清掃船がどうのとか研究員らしい会話がしばし交わされる。
 千歳は撮影を休止して、某所干潟を眺める。今日のところは彼等のフィールドを船から眺めることはないが、他所(よそ)であっても川から見る干潟というのは大いに参考になる。寄居近辺では遠くにサギを見たが、下流域にも似たようなサギはいるもので、その干潟でひと休みしている。クリーンアップをしている最中は、人がガヤガヤいるので、サギが近寄れないだけなのか。人がいない時はゴミ箱干潟にも出没しているのだろうか。思いは廻る。ゴミの多寡はともかく、サギが出るということは、干潟が餌場として健全に機能していることを示していると言えそうだ。
 干潟には「ゴミキャッチャー」(フィルター)としての役割もある。下流のあちこちに干潟があることがわかり、千歳は心強く思うものの、干潟があるから安泰と言ってしまっては不可(いけ)ない。自然力による本来の再生という点では、まず干潟が自然に形成されることが第一義。そして、その干潟からいかにゴミを除去するかが、人為による自然再生の優先テーマだろう。ゴミを掬う(または救う)という干潟の機能に頼りつつも、人ができることは進んで行う可し。「捨てるのも人、拾うのも人」である。干潟に漂着したゴミについては、放任主義という訳にはいかない。サギ、カニ、ハゼ... 干潟を生息地とする多種多様な生き物のためにも、ここは人の出番なのである。
 櫻は櫻で、やはり川からの視点というものを心に強く刻んでいた。「まち」や「みち」を歩く中でその地域の良さを見出すのは、足あっての話。足が及ばないところからの視点というのはまた違う良さが見えてくる。干潟にしてもヨシ原にしても、人が踏み入れないところにある故に息づく何かがある。少なくともそこに何があるかをマップに落とし込むだけでも、地域の人達の見方は変わる筈。ゴミが漂着してちょっとした惨状を呈することになっても、そこにゴミがある、という情報を上手く伝えられれば、良くも悪くも地域を見直すきっかけになるだろう。決して悲観することはないのである。
 「漂着ゴミで地域再発見」 櫻は一つのテーマを見出そうとしていた。そして「陸の視点がグリーンマップなら、川の視点はブルーマップ、かな?」と思いつく。地域や流域の「いいもの」を探し、共有する。緑と青のコラボレーションといったところか。
 千歳の「漂着モノログ」には干潟の機能論(ゴミが集まる→人が片付ける→生き物が集まる→)が、櫻の「届けたい...」には、川の視点論が、後日それぞれ掲載されることになる。トークでは不発な面もあった石島課長だが、オプショナルツアーそのものは上々と言っていいだろう。
 櫻は、斜め後ろを振り返り、少女に話しかける。
 「小梅さん、今日見た中でどこが印象的だった?」
 「やっぱ、千住桜木じゃないですか」
 「ハハ、そう来ましたか。じゃ皆で行って、地図作ろっか、ね?」
 当初は四姉妹企画の予定だったが、この話も大きくなってきたようだ。二人で出かけるってのも選択肢だったが... どうなることやら?

 さて、石島姉と千住妹の対面がこの日実現した訳だが、お互いに聞いていた情報を交わすうちにある接点が見つかった。
 「じゃあ、あの橋を渡って、お店に」
 「六月のいつだったか、晴れた日曜、朝早かったことがあるんスよ」
 「自転車で掠(かす)って行ったの、初音ちゃんだったのね。『ごめんなさい』って一言がね、聞き覚えあって」
 「へぇ、お姉ちゃんが。何気に礼儀正しいじゃん」
 「ちっとは見直したか、ん?」
 小梅の初音評は「時にはコワイけど、本当は優しいお姉さん」に、最近はなってきていた。お手本になりそうなお姉さんが増えたことで、気持ちに余裕が出てきた、というのがその初音評のもとになっているようだ。そして、今日は蒼葉と知り合うことができた。天気同様、上機嫌の初音である。

 「名残惜しうございますが、船の旅はここまで、とさせていただきます。またのご乗船、職員一同、心よりお待ち申し上げております。本日はありがとうございました」
 終わりよければ全てよし、か。どこまでが衷心かは不明だが、締めの挨拶はなかなかの出来である。娘を含め、全員から大きな拍手が送られた。正午過ぎ、前座イベントは無事終了。