2008年1月8日火曜日

26. 先生を囲む夕べ

九月の巻(おまけ)

 蝉時雨はまだ続く。幾分しのぎやすくなったとは言え、余熱残る九月の黄昏時である。夏休みが終わり、センターにも日常が戻り、ちょっとアンニュイな午後六時。
 「あ、いらっしゃいましたよ」
 「よーし、今度こそ」
 千歳が来ると接客係が不在、というのがずっと続いている。
 「矢ノ倉さん、桑川さん、こんちは。櫻さんはどうせ... あれ?」
 カウンターを覗き込んでいた彼の背後に、小悪魔さんがやって来た。忍び寄る影...
 「ワッ!」
 「ナヌ?」
 振り向くと、櫻が大笑いしている。
 「櫻さん、あのねぇ。僕が小心者なの知ってるっしょ?」
 「へへ、三度目の正直ナノだ」
 「チーフ、接客担当者がこれでいいんですか?」
 千歳は苦笑いしつつも、責任者に注意を促す。
 「あぁ、千住さんは今日六時上がりだから、別にいいのよ。いいじゃない、モテモテで」
 六時上がりとは言っても、ここからがまたひと仕事。櫻はボランタリーな扱いで構わないと言う。「その方が気兼ねないしね。さ、始めるとしますか」
 カウンターには、文花が座る。今は眼鏡をかけているので、どこかの公共施設の受付係のよう。結構お似合いだったりする。webプログラムの詰めは、いつもの円卓で行われる。ある程度準備しておいた弥生は早速ブラウザを開いて見せる。
 「仮のIDとパスワードで、管理者メニューに入ります。メンテしたい団体は、一覧表から選びます」
 「団体名の一部を入れて検索、とかってのはないんだね」
 「あれって、手間がかかる割にはそれほど使われなかったりするじゃないですかぁ。今回はパスです」
 ピシャリとやられてしまった。櫻はだいたいの構成は頭に入っているので、今は流している。二人のやりとりを見ている方が楽しい。
 「で、基礎情報のメンテ画面がこれ。千さんがビシっと整えてくれてたから、比較的楽でした。一応、公開する・しない、というのを項目ごとに編集できるようになってます」
 「おぉ。感動的...」
 「これって、各団体でその都度更新してもらえるようになると、こっちは楽だけど、なかなかうまくいかないのよね」
 「まぁ、一つの方法としては、団体ごとの画面のURLをメールするか、画面コピーをそのままFAXするかして、定期的にメンテのお願いを配信する、ってのが考えられますね。直すところが特になければ返信無用でいいし、あればこっちが代わりに直せばいい。掲載中断ってところが出てきたら、それもその時まとめて対応すればいい訳で」
 「なーるほど。でも時期的には?」
 「市民団体の場合、異動時期とかあまり関係ないんだろうけど、目安としては、年度が終わった後、つまり四月に案内して、五月いっぱいてのが基本でしょうね。あとは、七月→八月いっぱい、一月→二月いっぱい、とか。でも、これができた時点で一回案内出さないといけませんね」
 基礎情報はこれでいいとして、課題はイベントやトピックスなど、頻度が高い情報をどこがどうメンテするか、である。
 「櫻さんと相談して考えたのが、掲示板機能を応用した仕掛けです。IDとパスワードは特に設けず、誰でも好きなように書き込めるんですが、記入者指定のアドレスに確認メールが届くようにして、そのメール文中にある確認画面のURLを開いてもらうプロセスを付けました。この確認画面でOKを押した時に、初めてwebに反映される、てな具合です」
 「ベリファイ方式っ言ったっけ。ま、そのひと手間を加えることで、ジャンク情報とかを防ごうって訳だ。さすがだねぇ。でも、確認し損なったりして、webに載る手前で宙に浮いちゃう情報って出てくるでしょ。それはどうなるの?」
 「ここがちょっと手間取ったんですけど、サーバ上の時計で120時間以内にOKが出なかった場合は、自動消去するようにしました。イベント情報の場合は、終了年月日を読み込んで、日付が変わるところでやっぱり消去、になります」
 「ま、サーバ容量まだあるから、多少はログを残しといてもいいけど。案外、過去情報を欲しがる団体とかもあると思うから」
 「はぁ、千さんもさすがだわ。櫻さんが惚れ込むのわかるわぁ」

(参考情報→イベント情報の載せ方いろいろ

 弥生を小突く櫻。業平と弥生のコンビも笑わしてくれるが、「櫻と弥生」ってのも大いに有り得る。コンビ名は春らしく、おめでたい感じに限る?
 三人で歓談しながら、ひととおりの画面操作を繰り返す。この調子だと十月には堂々オープンできそうだ。と、階下から足音が響いてきた。環境課の課長さんの御成りである。
 「これはこれは須崎さん、ようこそ」
 チーフが招いていたらしい。webプログラムの件を見越して、この時間に来てもらったようだ。いつもながら手回しがいい。
 「あ、千歳さん、初めてですよね。紹介します。かつての上司、須崎課長です」
 円卓に現われたのは長身で細身、眼鏡が似合う紳士然としたお方である。指輪をしてないところを見ると独身だろうか。だが、年齢はそこそこ行ってそうである。
 「三人娘から話は聞いてます。いろいろとお手伝いいただいているそうで。どうも初めまして」
 「僕も櫻さんから地域振興課時代の話、聞きました。何でも恩人だとか」
 名刺交換をするも、千歳がちょっと見上げる感じになる。
 「しかし、三人娘とはまたうまいこと言いますね」
 「いやぁ、何だか名物になって来たみたいで。隠れファンもいたりして、ね」
 「え、櫻さん、本当?」
 「ま、一番人気は千住 櫻さんで、あとの二人はおまけ...」
 今度は弥生が櫻を突付いている。愉快な光景だが、千歳は笑ってもいられない。櫻の一番のファンは今ここにいる、とでも言いたげな素振り。焦りすら見られる。
 「あ、課長、例のプログラム、できてきましたよ。プログラマーさん、お願いします」
 「エ? グラマーさんて? 何ちゃってね」
 弥生は黙っている限りはチャーミング、そして体型的にはグラマーの部類だったりする。課長の言う通りなのだが、この言動、セクハラコードに多少引っかかりそうである。結婚できないのはそのせいか。

 プログラマーだが、弥生は時としてインストラクターでもある。ケータイ画面操作時同様、流暢に説明を進めていた。が、課長殿が途中、
 「これ実際に動かすとなると、サーバの契約関係とかどうすればいいかね」
 と公務員らしい、ごもっともな質問を投げかけてきた。インストラクターとしては想定外。
 「前いた機関では、どんな形態でも見積書と請求書だけとって済ませちゃってましたけど、役所だとそうは行きませんよね?」 チーフがちょっと心配そうに答える。
 「隅田さんの名刺見ると、個人事業みたいだけど、そういうのって出せますか?」
 「えぇ、どんな様式でも」
 「矢ノ倉さん、いわゆる意思決定する会、そう理事会とかって、来月だよね」
 「今、定款案作りながら、何となく人選を考えてるとこですけど」
 「了解。役所はあくまでオブザーバーってことで、原則、会の決定を尊重するから、変なツッコミを受ける前に、様式そろえて通しちゃおう」
 なかなか話のわかる課長である。櫻を救った、いやうまく抜擢しただけのことはある。それはそれでよしとするも、千歳には他にも懸案があった。
 「情報サイトのURLに、何か指定はありますか?」
 「詳しくはよくわかんないけど、商用サイトだって見方さえされなきゃいいと思うよ」
 「.comじゃないから、平気ですね」

 窓の外は、夕闇が拡がり始めていた。そろそろ座談会の時間である。会場をセッティングする必要は特にないのだが、今回はプロジェクタが必須アイテム。千歳が投影チェックをしていると、十九時前、お約束の人物が少女に連れられてやってきた。
 「清先生、ご到着っ」
 「おう、須崎氏。それに、あぁ来てるね。隅田君」
 それぞれ会釈で応える折り、少々遅れて、八広が駆け込んできた。彼にしては定刻キープの方である。
 「あっ、宝木八広って言います。先生、ヨロシクです」
 「や、やつしろ? また言いにくい名前だな、そりゃ」
 「師匠、それじゃ熊本県の八代ですよ」
 「しょうがねぇだろ。いや、今日はしがたねぇ、だな」
 毎度のことだが、掃部節は全開になるのが早い。
 「では、センセ、何から始めます?」
 今夜のテーマは、紙燈籠の検証、水位低下後干潟の考察、干潟水面に漂っていた油膜の実態把握、そして時間があればだが、世代間対話が予定されている。
 「まずは、しがたの話だろな」
 「じゃ、ここに映しますんで、ご覧ください」
 「ホォー」
 千歳は、予め用意しておいた画像をスライドショー形式で送れるようにセットしておいた。「櫻と弥生」には増水翌朝にここで一度見せているが、その漂流ゴミの画像を手始めに、一昨日の干潟の一部始終をつなぎ、ひとまとめにしたもの。選別はしたものの五十枚はある。某研究員ほどではないが、多少はプレゼン慣れしている千歳にとって、画像を送って話すだけ、というのは至って平易。だが、中学生にもわかるように、となると勝手が違うか。小梅は、父と姉から別々に話を聞いて、それなりに衝撃を受けていたが、聞くと見るとでは大違い。プレゼンの難易には関係なく、目を丸くしている。百聞は一見に、いや小梅としては、すでに百見は一実感に如かず、というのを心得ていたので、「やっぱ、何かあったら足運ばないと」と思いを新たにするのであった。
 そんな現場主義と来れば、ズバリこの人、小松南実さんである。彼女の甲高い靴音が聞こえてきたが、それと重なるように、もう一人分の音が交わる。そのまま階段を上がってくるものと思いきや、その音は途中で止まってしまった。プロジェクタからは、増水後の水没干潟と一昨日の復活干潟を上下に並べた編集画像が映された状態。プレゼンは一時保留となる。
 「あれ? 確かこの二階だったはずだけど」
 出入口のドアは半開き、センター内の照明は暗め、行く先を間違えたか、と南実が中段で立ち止まったところで、蒼葉が追いついてきた、というのが足音の経緯(いきさつ)である。
 「あ、どうぞ。座談会にいらしたんですよね」
 「えぇ。あなたはここの方?」
 「いえ、ここの職員の妹です」
 higata@で、名前は見ていたが、まさかこの見目麗しい女性があの...
 「もしかして、千住さんの?」
 「蒼葉と言います」
 このお二人、これまでずっと入れ違いが続いていたが、ここへ来てやっとこさのご対面である。
 南実はあえて名乗らなかったが、中に入るや、それも虚しく、
 「あっ、小松さん、いらっしゃい。あら、蒼葉ちゃんも一緒?」
 弥生が気付いて声をかける。一昨日に続き、またしても場の空気を乱すことになろうとは。だが、本人に全く悪気はない。

 「小松さん? あなたが!」
 姉の恋敵、覚悟!とやりそうな勢いだったが、南実は涼しい顔で、
 「モノログの静物画、見ましたよ。今度またスケッチして見せてくださいな」
 早々と懐柔策を打ち出す。蒼葉は思う。「こりゃ手強そう...」

 「蒼葉さん、もう平気なの?」
 「何が、ですか?」
 「その、夏バ...」
 姉はあわてて遮るも、妹は何の気後れもなく「私、この通り華奢(きゃしゃ)なもんで。この間はちょっと眩暈(めまい)がしましてね、アハハ」と軽口であしらう。眩暈と言えば、誰かさんと同じだが、ちょっと意味合い、重みが違う。姉妹の眩暈、なんて洒落は通じないのである。南実は「あの姉にして、この妹かぁ」と心の中で溜息をついていた。姉想いの妹、というのは最も手を焼きそうな存在である。

 「さ、美人さんがそろったところで、続き続き」
 干潟のビフォーアフターを見ながら、先生が話を継ぐ。
 「いいかい、ここまで水嵩が増して、しかも濁流轟々(ごうごう)と来たら、ただの崖地だったら崩れちまうんだ。このヨシ群生が根を張ってたおかげで、この通りさ。地形を保つ仕組みは山林と一緒な訳よ」
 「でも先生、六月君が引っこ抜いたら崩れちゃったよ」
 弥生は少々恥ずかしげ。「小梅ちゃん、フォローになってないよぉ」 俯いたままである。
 「あれはね、古いヨシだった、てのと、根元が弱ってたせいか、元々土がえぐれてて、崩れるのが目に見えてたんだな。でも、この下の写真見ると、上流から土が運ばれたか、元に戻ってんだろ。再生ってのはこういうのを言うんだろな」
 続いては、漂着ゴミの見本市。これでもかと映し出される。随分と真面目に撮っていたものである。その撮影係がここで質問。
 「そうだ清さん。この生活用品の類って、川に来た人が棄ててったって思えないんですけど、実際どうなんでしょ?」
 「増水で、野宿さん家(ち)がやられて流れ出ちまったってのもあんだろね。幸い犠牲者が出るには至らなんだが、タイミングが悪かったりすると、ご遺体が打ち上がるってことだってあるんだ。おっと、口が滑っちまった」
 時すでに遅し。女性聴講者は全員、男性三氏も固まってしまった。
 「お師匠さん、やっちまいましたね」
 「ま、あそこは大丈夫さ。皆の善意であふれてっから」
 とは言っても、大魚が打ち上がるのは既知の事実。文花シフトで、ハクレンの遺骸写真は外しておいたので、この後「キャー」とかならなくて済んだのがせめてもの救いである。
 「ゴミを出させないのが先決なんでしょうけど、漂流する前に防ぐ手立てってのはどうなんですかね?」
 千歳が何とか通常モードに持ち込む。
 「看板とか設置しても、望み薄だし、某建設省みたいに警告看板を流しちまうこともあっからなぁ。よその川では、お地蔵さんだか、注連縄(しめなわ)付けた丸石だかを置いて、天罰をほのめかすようなことやってるって聞くけど、根本的な解決策とは言いにくい。まぁ、今みたいにコツコツ調べて、ゴミの元が特定できればその会社に話を持ちかけるってのが現実的だろな」
 一昨日不参加だった蒼葉と文花、漂流漂着ゴミの現実を初めて見せ付けられた辰巳、この三人は固唾を呑んで、スクープ系のクローズアップ写真を見つめている。他の六人はおさらい中。
 「パンダのぬいぐるみだ。でもクロクマみたい」 と小梅が反応すれば、
 「あ、奥宮さんが拾った、いや落としたスプレー缶...」 弥生も辛口を発する。
 観衆の生の声を活かすべく、千歳はナレーションなしで、淡々とスライドを送っている。このままゴミの紹介で終わってしまうと淀んだ空気になってしまうところだが、そこは隅田プレゼンター。「で、皆さんのお力で、ここまで復活した訳です。めでたしめでたし」
 美観を取り戻した干潟が大写しに現われ、拍手が起こる。先生もこれには絶賛である。
 「ところで、隅田君さ、川面が変な光り方してたよな。油でも浮いてたか?」
 「さすが先生、実はこの続きがありまして。ただ、ここに映し出すのはちょっとどうかなって...」
 「皆さんもう免疫できてるから大丈夫よ。ね?」
 「じゃ、リーダーのお言葉に甘えて。行きます」
 「あ、あの時の油膜...」 南実が声を上げる。
 「で、これがその時に掬った水です」 千歳はペットボトルをかざして見せる。
 「そうか、近くに動物の亡骸とかなかったかい」
 「着いた時は大きな...」
 「ハクレンが打ち上がってました」 再び南実の声。蒼葉はやや冷めた目で隣人を見る。
 「あとは、あの草の束かもな。どっちにしても天然成分さ。火が点いたらお立会い!」
 「あら、センセ。今、ちゃんと火って」
 「火曜日の奇跡ってヤツさ。シシシ」 奇跡は一度だけ。ヒヒヒとはならない。
 すっかり場がほぐれたところで、まずはその油脂成分のCODを調べてみることにした。五本一セットのパックテストを持ってきた文花がまず手本を示す。
 「この後、燈籠も調べるから、ここでは二本ね」
 ピンを抜き、チューブを折り曲げて空気を抜くと、ミニカップに注ぎ替えておいた油水の中に手際よく突っ込む。野菜を扱う人だけに手先は器用と見た。吸い込み口に油分が詰まりそうだったが、水は何とかチューブに吸い込まれ、化学反応が始まった。
 「ま、五分待てば、わかるでしょう。これと比べてみてね」
 標準色見本とやらが出てきた。これで白衣でも着用していれば、正しく研究員である。櫻はそんなチーフがちょっと眩しかった。
 待ってる間にもう一本、ということになり、小梅助手がトライする。
 「あ、石島さん、逆流させないようにね」
 「ウヒョ、結構力要りますネ」

(参考情報→いざ、パックテスト!

 座談会のはずが、急遽水質調査大会になってしまった。主任と助手に注目が集まる。似たような関係で師匠と弟子というのがあるが、その清と辰巳については、傍観しながら雑談中。環境課に移ったからにはちゃんと見ておいた方が良さそうだが。
 「あくまで参考値なんだけど、この紫色付近だから、四から五mg/lってとこかしら。そこそこ汚れてるわね」
 「何の油かってのはわかんないんスね?」 ルフロンがいないと調子が上がらないのか、物静かな八広だったが、ようやっと口を開いた。
 「ま、匂いとか、あとは味覚? 何ちゃって」
 「あーぁ、また始まったワ。八さん、チーフの言うこと信じちゃダメよ」
 「櫻さんはいいから。隅田さんと燈籠の準備!」
 「二人ともふだんそんなノリでしたっけ?」
 眼鏡の女性どうしがやり合ってる、てのが八広にはまた可笑しかったらしい。小梅はもっと掛け合いが続くものと思っていたのでちょっと拍子抜け。兎も角、辰巳が「名物三人娘」と称したくなるのがよくわかるくだりである。これに弥生が加わるとどうなるか、その答えは自明?(これ即ち、トリオ漫才?!)

 スチロール箱ともども、紙燈籠が運ばれてきた。発見から一カ月が経ち、程よくくたびれた感じになっている。何とか原型をとどめているのは、日の当たる窓辺に置いといてもらったおかげ。
 「そうそう、これだよこれ。俺、捜してたんだ」
 まるでレアな記念切符をゲットした時の某少年(?)のように色めき立っている。
 「まぁ、調べるまでもないかも知れないけど、一応ね」
 文花は、本体から分離してしまった一片をピンセットで取り出し、大きめの食品トレイに移すと、水道水を足し、攪拌してみせた。さながら理科の実験のようである。先の要領で、今度は弥生と八広が挑戦。だが、
 「ありゃ、吸い込む量、少なかったりして...」
 「こっちは手に付いちゃったスよ」
 「ヤレヤレ、二人とも見かけによらずブキねぇ。もう一本残しといてよかったワ」
 かつての助手が指名され、サラリと扱ってみせる。
 「小松さん、さすがねぇ」
 「粒々を分けるのよりは簡単ですから」
 櫻が南実と普通に会話してるのがどうにも腑に落ちない蒼葉であった。「一昨日、何か違う展開でもあったのかな?」 パックテストのように人の心理もパッと見で調べられる器材があれば、てなことを考えたりしている。
 このように活きたデータも扱ってこそ、環境情報センターである。測定値は案の定、「八、超えちゃったわねぇ」 八広は「八」と聞いて一瞬動揺するが、標準色見本を見て、納得である。「ハハ、確かに」 低濃度用のパックテストでは薄緑を示したら、そこまで。八mg/l以上の値は詳しくは測れない。
 「でも、これっぽちでそんなに汚れるものなんスか?」
 「ホラ、印刷した部分てインクの油が残ってるでしょ。多分それでだと思う」

 八つながりか、時刻はちょうど八時。座談会というよりは、報告会、いや検証会、まぁ一同にとってはいい勉強会になった。先生は気を利かしてか、
 「こいつは俺が預かるよ。専門機関に知り合いがいっから、タダで調べてもらうわ。よろしか?」
 「あら、それはそれは」
 と、ここでお開きとなるはずだったが、断続的に強い雨が降ってきた。
 「あちゃー、また増水したらどーすんだぁ」 帰途の心配よりも川の心配が先に立つ八広である。
 「そしたらせっせと復元するのみ。エクササイズ、好きっしょ?」 千歳は余裕のご発言。雨が一段落するまでは皆さん動きがとれないだろうからと、再びプロジェクタを操作し始める。「ここからは余興です。ご覧になった方も多いでしょうけど、『漂着モノログ』、どうぞご鑑賞ください」
 今となっては懐かしい四月のスクープ系に始まり、五月の回、そして掃部公を見かけた予備調査の様子... ブラウザでブログを出し、それをプロジェクタに投影するだけ。使い勝手がいいものである。
 「おっ、この絵は何だい? 鬼気迫るものを感じるなぁ」 
 「蒼葉画伯の作品です」
 「ハハ、お恥ずかしい」 画家は首をすぼめる。
 「へぇ、正に才色兼備、ってか」
 「あ、そうそう。先生、これ落とされませんでした?」
 蒼葉の手には、一本の上物(じょうもの)筆。持ち主の手に戻る、その瞬間が来た。拾得してから、実に五ヶ月余り。
 「おやおや。確か三月だったな。ここより上流の方、散歩しててさ。何かの弾みで落としちまって、そのままだったんだ。でも、何でまたお嬢さんが?」
 名前というのはちゃんと刻んでおくものである。K.K.は正に「Kiyoshi Kamon」その人の物だった。
 「四月一日に姉からもらったんですけど、エイプリルフール土産だとか言って、ちゃんと教えてくれなくて」 櫻は「へへ、恐縮です」と小声でつなぐ。姉を一瞥、いや目配せし、「問い詰めたら、干潟で拾ったって、白状したんです」と明かす妹。筆をめぐってそんな一幕があったとは...
 蒼葉の言動には強さがある。八月五日の一件で千歳はそれを承知済み。詰問となれば、櫻もタジタジだっただろう。姉の彼氏は、ちょっと複雑な思いであった。
 「でも、この筆、さっきの絵、描くのに使ってしまいまして...」 正直に話すも、さすがに川の水で絵の具を溶いて、ということまでは言えなかった。
 「はは、俺が使うと花粉をくっつけられたり、泥を拭かされたりすっから、筆としては画家に使ってもらうのが本望だと思うよ。大事に使ってやって頂戴」
 「あ、ありがとうございます!」
 こうした展開を呼ぶとなると、モノログの存在意義、大したものである。ここで八広のコメント。「何かドラマチックな話スねぇ。筆の一件だけで短篇モノですよ。これは!」 弥生と小梅は、スクリーンを眺めながらも和やかに談話中。辰巳は豪雨が気になるようで、立ったり座ったり。長身なので目立つ目立つ。

 八月の回の八広ルポが反響を呼んだのは周知の通りだが、昨晩載ったばかりの最新ルポの方はどうだろう。ブラウザ上では字が小さめで読みにくい面があるが、今は拡大表示されているので、著述家の目にもハッキリと読み取れる。
 「こりゃ随分と大仰(おおぎょう)に出たもんだなぁ。ゴミじゃなくて資源てぇのはごもっともだけどさ、社会構造云々てのは、しや、もとい、飛躍し過ぎじゃねぇか」
 「いえ、ゴミってのは負の連鎖の産物だと思うんスよ。その連鎖の元をたどると、団塊の皆さんのイケイケ路線だったり、いわゆる大量生産・大量消費、それに大量リサイクルを是とする精神性だったり、その辺が組織的・構造的に固着しちゃってんじゃないかって。ゴミを片付けてると、社会の歪み? みたいの感じます」
 「宝木君さ、君の義憤はよくわかるよ。でも、このままだと主張が前面に出過ぎててさ、共感が得られねぇんじゃ... 著述てのはよ、書き手と読み手の対話の場を提供することなんさ」
 八広は、激論になるのを覚悟で論破したつもりだったが、何枚も上手の先生には到底敵わない。著述の観点からさらりと受け流されてしまった。確かにその通りと受け止め、口を噤(つぐ)む。
 千歳、辰巳、南実はこの緊迫した場面に居合わせていたが、「管理人としては不用意だったか」「さすがは師匠、そう切り返したか」「これが掃部流の真骨頂?」と各々感想を抱くも、言葉は胸中に収めている。社会科学的考察としても良さそうな題材だったが、弥生は「文系の議論は難しそうだわ」といった調子で遠巻きにしていた。時は静かに流れ、雨の音がこだましてくる。
 文花は、延長戦に備え、ご自慢の珈琲を淹(い)れ始める。櫻はと言えば、小梅がそろそろ退席するというので、前々から暖めていた計画の一端をここで切り出す。
 「小梅さん、これちょっと読んでみてくれる」
 「グリーンマップ? あ、このシール、何かカワイイ」
 差し出されたそのパンフレットには、綴じ込みで「アイコンシール」なるものが付いていた。
 「もっと涼しくなったらさ、一緒に街歩きしてみない? マップ描きながら、このシール貼ってくの。シールは自分で作ってもいいんだ。どう?」
 「蒼葉さんは?」
 「いいけど、どうして?」
 「お絵描き、習いたいなって思ったの」
 「じゃ、四姉妹でやろっか」
 こうして櫻の「いいもの」(番外編)が動き出す。小梅は下の図書館で引き続き雨宿り。雨が小康状態になったのを見計らい、程なく須崎課長も退場した。

 八人分の珈琲が運ばれてきた。有意義だが、モノだけに物議も醸すモノログは、九月の回が映し出されたまま。照明が暗めとは言っても、プロジェクタの消費電力は馬鹿にならない。ここは一旦、電気を切り替え、コーヒーブレイクと行きたい。
 「いやぁ、このコーシー、いいねぇ。昔を思い出すよ」
 「え、先生、昔って?」
 櫻は何の気なしに、聞いたつもりだったが、
 「そうさな、家内に淹れてもらってた頃だから、十年以上前、かな」
 「ヤダ、センセ。もらってたって。今もいらっしゃるんじゃ? まさか...」
 「熟年離婚とかじゃねぇぞ。その、な?」
 これ以上お訊きするのは憚られたが、しとり身の先生は実のところ話し相手が欲しくて仕方ないご境遇。自分からポツリポツリ話を始めた。
 「さっきの話じゃないけどよ、昔イケイケだったのは仰せの通り。でも団塊ってヤツはよ、その名の通り、団子になって競争するようなもんだから、否が応でもそうなっちまう。俺なんかも多分に漏れず、その一翼を担ってた。事もあろうにゼネコン、いや中堅だったから小ゼネコンか。まぁとにかく壊しちゃ造っちゃの繰り返しよ」 ようやく座談会、いやこうなると独演会か。円卓を中心にしつつも、いつしか先生を囲むような配置で席が取り巻いていた。
 「清さんにその辺の話をお聞きしようと思ってたんですよ。八広君はあぁ言うけど、団塊世代の方もご苦労があって、何らかの言い分もあるんじゃないかって」 モノログが引き起こした波紋の責を負うべく、管理人が取り次ぐ。
 「いやぁ、好き勝手やって来たってことに関しちゃ、弁解しようがないさ。でも、こんな俺でも分別があったらしくて、バブルの最中にこりゃマズイと思って飛び出した。それまでも疑問には感じてたんだが、家内の具合が悪くなってきてよ。いよいよ潮時だなって」
 このままだとコーシーが冷めてしまいそうだったが、この際、関係ない。話は続く。
 「ありきたりかも知れねぇが、がむしゃらに働いてたら、そのシワ寄せが身内に来ちまったってヤツさ。それを悔いて、そのイケイケとやらを是正できないかって考えた。カッコつけて云やぁコンサルだぁな。手近なとこで荒川とかその支流に関係するところを当たって、工場が閉鎖になったら、その跡地に在来の生態系を戻す、三面張りとか暗渠とかの工事がされかけたら、とにかく自然地形に直させる... さんざ歩き回ってたら、蟹股になっちまった訳さ。バブル後はゼネコンも苦しかったから、この手の公共工事は落とせない。役所は役所で既定路線を変更したがらないのが常軌だろ? 艱難(かんなん)の極みだったがよ、『長い目で見りゃ禍根を残すぞ』って説得して回ったんだ。でもな...」
 掃部公は、目をしばつかせて、ひと呼吸おく。
 「これも結局はイケイケ体質の為せる業だったんだ。かえって家内の面倒が見れなくなっちまって、それで...」
 「先生...」 七人の二十・三十代諸君は、言葉が出なかった。辛うじて南実が口を開く。
 「著作を始められたのは、いつ頃からだったんですか?」
 「あぁ、バブルが明けたくらいかな。長考の末に一本書き上げたんだが、家内にはあんまり芳しくなかった。『怒りじゃ人は動かない。共感が得られるものを書かないと。』てさ。で、言うこと聞いて、恢愎(かいふく)祈願も兼ねて、自然再生論を次に書いたら、『そうそう』って、泪まで流してさ。汚い字の原稿だったけど、一応最後までまとまってたのが救いだったな。発刊を待たずに逝っちゃった...」
 女性陣は目が赤くなっている。詩人の八広はその感受性の高さ故、感極まって声が出そうになっていたが、何とか堪(こら)えた。今夜の雨は、涙雨だったということらしい。
 「おいおい、皆の衆、今日は通夜じゃないよ。実の子ってのもあいにくいねぇ身の上だが、俺には皆がいる。俺ら世代のツケは回させねぇ。これからも一緒に手伝わせてくれよ、な?」
 気付けば笑顔を交し合っている八人がいる。雨は上がり、時は九時。世代間対話、いや先生を囲む夕べは、こうして一幕となった。

 南実は何かが吹っ切れたような面持ちで蒼葉に声をかける。
 「ねぇ、蒼葉さんて、通販カタログに出てる人?」
 これには蒼葉も相好を崩すしかなかった。
 「どうしてわかったんですか?」
 「先月の... 晩夏特集だったかな。その時に出てたのと似た服だったから、ふと」
 今度は櫻が不思議そうに二人を見ている。「あれれ?」

 カウンター付近には、帰ろうとする先生とそれを引き止めるチーフがいた。元気付けて差し上げたいという想いもあってのことのようだが、会話内容がちと怪しげ。
 「センセ、折り入ってご相談したいことがあるんですが、今月中、そう火曜日の夜、いらしていただけません?」
 「こりゃまたゾクっとするねぇ。いいけど、何だい? 魚の調理法ならお易い御用だぜ」
 「紙燈籠の結果とあわせて、でいいです。ま、とにかくその時に」
 文花はこれで結構、掃部キラーだったりする。センターの十月以降の進境にこれで一つ布石が打たれた。
 プロジェクタを片付ける千歳の姿を見つけると、思い出したように清が近寄ってきた。
 「そうだ、隅田君よ。さっきのあれ、何だっけ?」
 「ブログのことですか?」
 まだ何となく放心状態の彼だったが、ちょっと考えてから真顔になる。
 「今、ブログのこと聞きました?」
 「俺にもできるのかい、その付録、いやブログ?」
 「清さん、パソコンはお持ちですか?」
 「今は何とか使えるようにはなった。原稿書くのに、し、ひ、必須だかんな」(必須の度合いがよくわかるセリフ回しである。)
 ノートPCの方はまだOFFにしてなかったので、そのまま要領なんかを概説する千歳。清に息子がいたら、こんな絵図も有り得たかも知れない。弁舌が立つ点で共通する八広と弥生だが、今はしんみりしつつ、そんな二人を見守っている。
 「問題はインターネットがちゃんと俺の言うこと聞いてくれるか、だな」
 いつもの高笑いが戻ったところで、自分では入門したと思っている弟子のお嬢さんがやって来た。
 「掃部先生、今日持って来たんです。さっきの名著」
 「ほほぅ、小松ぁん。それはまた殊勝なことで」
 「サインしてください!」
 「俺のサイン、高いぞ」
 とか言いながらも目尻が下がっている。好々爺というのはまだ早いかも知れないが、かつては闘士だったというのはとても信じ難い、著者、掃部清澄であった。
 「ありがとうございます。後生大事にします」
 「いやいや、ボロボロになるまで読み込んで頂戴よ。その方が家内の供養にも... いけね、また余計なこと、ハハ」
 首を振る南実。彼女はそのまま寄り添うように、先生とセンターを後にした。師弟でもいいが、これまた父と娘のような趣である。

 「先生帰ったら、何か寂しくなっちゃったわね」
 「何を仰いますやら、文花さんらしくない。これから、ですよ!」
 ここからが第二幕。長丁場に臨む六人は、文花、千歳、櫻、蒼葉、八広、弥生の選抜メンバーである。清の話を聞き、皆一様(いちよう)に勇気と力を得た気がしていた。次回のクリーンアップに向け、協議に熱が入る。珈琲が冷めていようが構わない。

 higata@メンバーの集合は九時半、開始時刻は十時。当日の役割分担は、文花が各種器材・備品の搬入(クルマ乗り付け)、千歳はその器材のセットと撮影諸々、櫻がいつものコーディネーター(兼 受付)をやれば、蒼葉は櫻のフォローと参加者お世話係、八広は主に監視役、弥生は自ずと分別・集計の元締、ここにいる六人については概ねそんな役回りということで一致した。
 「荷物番はどうしましょうか?」
 「また魚と遭遇すると皆さんにご迷惑かけるでしょうから、私が」
 「まだダメなんですかぁ?」 弥生のツッコミが入った、ということは...
 「だって、この間はハクレンが上がったんでしょ。聞いただけでもう」
 ホワイトボードの傍らで両手を挙げてみせるチーフ。櫻はペンを取り上げると、ボードにハクレンと書き綴り、
 「じゃ、皆さん大きな声でどうぞ!」
 「キャー」
 「櫻さん、また逆襲されても知りませんよぉ」
 「平気よ。千歳さんがついてるもん♪」
 名物三人娘のショートコントはこんな塩梅である。
 他メンバーの分担、実施手順のまとめ、注意書きの文案、そして参加者の募集の仕方等々、これらは引き続きメーリングリストで議論し、下見を兼ねた打合せ日についても同時に調整することにした。
 「毎月やってるから、改めて下見することもないんでしょうけど、何度やっても損がないのが下見だって言うのよね」
 「あ、自分、ヒマさえあればいつでも行こうって、今日思い改めました」
 「先生も前に『地元の大自然、荒川へ』って仰ってたし、ね」 櫻のこのまとめを以って、今日は終幕。時計は十時を指している。雨音に代わり、秋の虫の音が静かに、そして深く響いていた。魂を鎮めるが如く...