2007年12月11日火曜日

20. 想い重なる立秋の週

八月の巻(おまけ)

――― 八月六日 ―――

 送られてきたプラスチック粒の画像を眺めつつ、珍しく浮かない顔をしている女性がいる。立秋の前日にはとうとう二十代最後の年令になる、というのが一因だが、誕生日にまた一人、というのがどうにも居たたまれず、今ひとつ元気がない。「出張パスってでも、行くんだったなぁ」 粒々を数えながら、ブツブツやっている。この際、メーリングリスト参加OKの返信と合わせて、直球をぶつけてみるか、と南実は思いを巡らすのであった。休み時間、職場からパタパタと返信する。その中にはこんな一文が紛れていた。「粒々の現物を引き取らせてください。八月七日、あの商業施設の近くに行く用事があります。夜って空いてますか?」
 千歳が大いにあわてたのは想像に難くない。この時点では櫻からの返事はまだ。当然のことながら、最新の櫻ブログも未見である。「まぁ、これをお渡しするだけなら...」 洗って乾燥させた粒やら小片を使用済み封筒に入れ直してサラサラ振っている。何ともお気楽な千さんであった。

――― 八月七日 ―――

 さすがに電動アシスト車を走らせる訳にも行かず、電車とバスを乗り継いでの参上である。何とか約束の十八時に間に合った。七夕からちょうど一カ月が経った今、その七夕飾りはとうになく、イベント広場は閑散としていた。そこに、リボンの付いたプルオーバーと長めのタイトスカートの女性が一人、落ち着かない様子で立っている。勝負服ともとれるが、あくまで通勤着の南実嬢なのであった。買い物客とはちょっと異なる装いなので、目立つことこの上ない。千歳はすぐに気付いたが、少々遅刻してしまった上、気後れも手伝って、遠巻きにしている。南実が時計を気にしているようなので、仕方なくトボトボとやって来て、自分で「スミマ千」と切り出す始末である。ヤレヤレ。
 強肩の南実は直球に加え、速球も投げてくる。軽く会釈するや否や、開口一番、「隅田さん、この店、どうですか? 私、おごりますから」と来た。広場に面したシーフードレストランが客を待ち受けている。「こんなはずじゃ...」 千歳は不承不承ではあったが、「ま、封筒だけ渡してお別れ、というのも無粋だし」と思い直したりして、とにかく葛藤を抱えたまま、席に着くことになった。
 どう注文したのかはよく覚えていない。ただ、シーフードというだけあって、貝柱やら小粒なイクラやら細かく切ったイカやらが入ったパスタが首尾よく出てきた。今日持って来たプラスチックの粒々と重なって見えてくるから困ったものである。ご丁寧にシソを刻んだのが盛ってあって、今度は人工芝の切片の如く映る。生き物が誤食してしまう、というのが妙にリアルに実感され、言葉を失う千歳。一方の南実はただ嬉々として、フォークをクルクル回しては、桜エビなんかを散らした和風パスタを頬張っている。何を話すでもなかったのだが、粒々の話が高じて、漂着ゴミを巡る最近の社会的な動き、人が立ち入れない場所(特に離島)でのゴミの惨状、さらには海洋法や関連法規の話題に至るまで、いつしか南実の独演場となっていた。

(参考情報→海ゴミ―拡大する地球環境汚染

 インタビュアーに徹していた千歳は心得たもので、この調子のままお開きになればそれはそれで、と踏んでいた。だが、ふと我に返る。外出直帰とは言え、南実がわざわざここに来て、こうした席を設けたからには何かあるのでは?と今更ながら感知したのである。南実は「講義しに来たんじゃないのにぃ」と同じく我を取り戻すと、化粧直しのためか、あわてて席を外した。テーブルには、当の商業施設系列の通販カタログが置かれている。待合せの間に手にしていたのだろうが、降って沸いたような一冊である。千歳は興味本位でパラパラと繰っていたが、晩夏ファッションの特集ページで手が止まった。「蒼葉さん?!」 一昨日は不覚にも萌えモードになっていたが、今はちょっと違う。その見事な着こなしに目を奪われつつも、何かを訴えるような視線の方に釘付けになっていたのである。「そうだ、櫻さんと会う約束...」 ファッションモデルの訴求力というのはただならぬものがある。
 唇には淡い紅色。それだけでも、掃部(かもん)先生と一戦を交えたあのお嬢さんとは思えない変身ぶりである。南実が静々と戻って来た。着席すると咳払い一つ。お互い緊張が走る。
 「あの、前からお聞きしたかったんですけど、千住さんとはおつきあいされてるんですか?」
 「櫻さんはどう思っているかわかりませんけど、僕はそのつもりです」
 「そうなんだ...」
 通販カタログのモデルさんが彼を後押ししたのかは定かでないが、心の準備ができていたこともあって、自分でも驚くほどキッパリと言ってのけた千歳。ストレートをあっさり打ち返したような応答である。だが、手強さで定評のある南実はこれで引き下がったりはしない。
 「ま、いいや。また干潟には顔出しますから。それとメーリングリスト、早く作ってくださいね」

 こじつけのようだが、八月七日は「花の日」だとか。スーパーはまだ開いているが、専門店街にあるフラワーショップはそろそろ閉店時刻。前を通りがかると、その記念日にちなんでか、綺麗な赤い花のミニポットが特売扱いで残っていて、客の足を止める。
 「あ、サルビア」
 「今日ご馳走になっちゃったんで、ささやかですが、これでお返しさせてもらえますか?」
 「それはお礼? それともお詫び、ですか?」
 「え、いや...」
 「どっちにしても、ありがとうございます。この花は私にとって特別なんで」
 祝ってもらう立場でありながら自分で食事代を払うは、胸ときめく言葉どころかプチ失恋のような台詞を聞く羽目になるは... 誕生日にしては冴えない展開ではあったが、宵を一人で過ごさずに済んだこと、そして思いがけず誕生花をプレゼントしてもらえたこと、この二つは大きかった。誕生日であることを申告すればまた違うストーリーになったかも知れないが、今日のところはこれでよしとしなければ。受け取った封筒の方はもともと口実のようなもの。下手するとその粒々が誕生日プレゼントになってしまうところを回避できたのだから万々歳である。期せずして千歳は、また違う場面でポイントを稼ぐことになった。が、それが面映かったか、「じゃ、僕はここで買い物してから帰るんで」といつものマイバッグを手に、そそくさと去って行く。南実は薄笑いを浮かべると一言、「今は隅田さんの片思いってことじゃん」 まだチャンスはなくはない。それがわかると何となく火が付く南実嬢であった。サルビアの花言葉、それは「燃える想い」である。

――― 八月八日 ―――

 静かな想いを温めつつ、されどなかなか返事もできず、逡巡するうちに立秋を迎えてしまった。今日からは残暑見舞いに切り替わる。情報誌の編集を進めている櫻だが、ネタがちゃんとある割には、普段よりもペースが遅い。まだ八月病が癒えないのか、否、八月十九日のことで頭がいっぱいなのである。今日も猛暑日になりそうな予感。チーフは見かねて「櫻さん、大丈夫? 暑さのせい?」と声をかける。
 「あ、すみません。打ち水のこと書いてたら、かえってボーッとしちゃって」
 「打ち水が必要なのは櫻さんね。かけたげよっか?」
 「私よりも、野菜畑の方を心配してあげてくださいよ」
 「ハハ、こりゃ失敬」
 蛇足ながら、八月八日はハゼの日だったりするが、ズバリ「ハハ」なので笑いの日でもあるそうな。そんなちょっと笑える昼下がり、インターン生が現れ、さらなる笑いを誘う。

(参考情報→八月八日

 「こんにちはぁ。もう溶けそう...」 いつもはチャキチャキしている弥生が言葉の通りフニャフニャになっている。スタッフ二名は笑いをこらえながら、声をそろえて「いらっしゃい」。この調子だといつもの弥生節は不発になりそうだが、「そうだ、櫻さん、メーリングリストの件!」と相変わらず鋭い切り込みよう。
 「まだ返事してないんだなぁ」
 「千さんきっと待ちくたびれてますよ。あ、今もピピって。千さんキターって感じ」
 「弥生ちゃんにはかなわないワ」
 ここでチーフが首を突っ込む。「メーリングリストって、隅田さんが呼びかけてる件?」
 「え、文花さんも」
 「あと、南実ちゃんもね」
 「そうなんだ... メーリングリストですもんね」
 誰が入る・入らないで参加の可否を決めるものでもないのだが、この話を聞いて、櫻は益々返事に悩むことになる。櫻を困らせないための発案だったのだが、どうもそうなっていない。千歳の想いもうまく届かないものである。
 「南実ちゃんで思い出した。メールしなきゃ」
 「どうかしたんですか?」 櫻にしては珍しく強い反応を示す。
 「あの娘、昨日が誕生日だったのよ。お祝いメールしそこなっちゃったから」
 いつものことながら、後輩思いの先輩なのであった。「あれで彼氏でもいれば、周りがいちいちお祝いメッセージを送る必要もないんでしょうけどね。きっと昨夕も一人よ」 自分のことはそっちのけ、まるで他人事である。
 チーフが私用メールを打っている間、櫻もあれこれ思案する。「てことは、自宅宛に小松さんからのメールも届くようになる... 何かドキドキしちゃうなぁ、でも」 先刻まではノラリクラリだったが、決然とした表情に一変する。弥生は再びピピと来たようだ。
 「データの送信先もメーリングリスト宛でいいですよね? 櫻さん」
 「え、デート?」
 「またまたぁ、トボけちゃって。誰とですか?」
 「フフ」 不敵な笑みがこぼれる。これまた蛇足ながら、二月二日はフフの日かと云うと、そうではない。櫻の浮き沈みは二月も八月も関係なし。日常茶飯事である。
 早番だった櫻は、女性二人をセンターに残して帰途を急ぐ。おなじみのセミは立秋など素知らぬ振りで賑やかに鳴く。「ちゃんと返事出すますよーだ。急かさないでよねっ」 いつもの櫻が戻って来た。

 「残念でした。今回は一人じゃなかったですよーだ」の一文の末尾には「あかんべー」の絵文字付き。小憎らしい後輩からのショートメールは夕刻になって届いた。「え、まさか」 文花は思いがけない返信に些か狼狽するも、「何だかドラマみたいになってきたわねぇ」と苦笑い。自分がその仕掛人であることがどうもわかっていない。やはり他人事のチーフであった。

 こうなってくると、櫻からの返事が早く着いたに越したことはない。文花からは探りメール、南実からは次の一手メールが届いてしまう。千歳が余計な動揺をする前に、想いが届けばいいのだが。だが、櫻が意を決したのが伝わったか、彼も一念発起して櫻ブログを開いていたのである。「これが櫻さんの想い、だったのか...」 八月病と題した記事の中には「発起人さんからお見舞いメールをいただきました。感謝感激、今日の天気は雨あられ? 私は思わず涙雨(!_!)」 千歳も思わず目が潤んできた。そこへ図ったように櫻からのメールが到着。千歳からの助言でメールソフトを入れ替えたのが奏功したらしく、差出人名はきちんと「千住 櫻」と表示されている。些細なことのようだが、彼にはそれがまた嬉しかった。タイトルは「残暑お見舞い申し上げます(^^)v」 本文を読む前にのぼせて来た。
 案の定、八月病で返事が遅れた云々という弁明に始まるも、「お気遣いいただき、誠におそれいります。今はおかげ様で元気です」と丁重な一節が添えられ、あとはメーリングリストの設定については弥生とも相談したこと、登録するアドレスは自宅用で構わないこと、などが淡々と綴ってある。そしてp.s.ながら実はこっちが本題の件については、「八月十九日、何が何でもお供します。時間と場所をご指示ください。By櫻姫」との返し。姫の写真を眺めながら、泣いたり笑ったりの千歳だったが、一日の終わりはやはり笑って締めたいもの。ハハの日とはよく言ったものである。

――― 八月十一日 ―――

 民営ではあるが、公設でもあるので、夏季休業を設けて悪い、ということもないだろう。環境情報センターが四日間の連続休館に入る前日の土曜日は、世間はすでにお盆休みということもあり、今のところ来訪者はゼロ。情報誌の発送手配はすでに終え、チーフはひと足早く休みに入っている。今日は一人ゆっくり、データのメンテナンスなどをしている櫻である。窓は閉め切ってあるがセミの声が喧々(けんけん)と入ってくる午後のひととき、たまには機材の点検でもするか、と席を立った時のことである。思いがけない客人がやって来た。若いお二人さんである。「あら、いらっしゃいませ」
 「あれ、櫻さんだけですか?」
 「文花さんはこの暑さでバテちゃいました。何ちゃって」
 「櫻さんはもう平気なんですか?」 眼鏡の少年が、眼鏡の女性に尋ねる。
 「え、えぇ。あ、五日は行けなくて、ゴメンナサイね。ま、私がいなくても大丈夫だったと思うけど」
 「千さん、何かアタフタしてた。『櫻さん、来ないかなぁ』とか言ってたし」
 「そ、そうだったんだ...」 不意の来客であわてている上に、乗っけからこういう話を聞かされては動揺するのも無理はない。
 六月の自由研究の方は千歳のフォローで無事まとまったことを聞き、ひと安心。となると、今日ここに二人して来たのはまた何故?
 「そう言えば小梅さん、お姉さんと旅行して来たのよね」
 「伊勢の親戚宅に行って来ました。青春18きっぷで」
 「え、普通列車で?」
 「自由研究の日、図書館でひと調べした後で、中の談話室で夏休みの予定について話してたんです。伊勢の話になったら、六月君が時刻表で調べてくれて、それで」
 「東海道線では乗り継ぎが多くなるけど、名古屋には午後二時台に着けばいい。名古屋からは快速列車に乗れば速いけど、接続が良くない上に、途中から18きっぷが使えない線に入っちゃうのが落とし穴なんだ。名古屋から伊勢方面までJRの普通列車で行くとちょっと遠回りだけど、時間的には大丈夫なのがわかったから、18きっぷを使ってこの行程でどうぞってね」

(参考情報→伊勢鉄道は別料金

 「弥生ちゃんから話は聞いてたけど、さすがねぇ」
 「で、五回のうち四回分使ったんで、残った一回分を六月君に渡そうと思って」
 「それでわざわざ?」
 「あ、あと自由研究の御礼と思って。櫻さんにお土産です」
 小梅は、伊勢の名物、某餅を持って来ていた。粉飾だ偽装だと喧(やかま)しい折りである。この一品も賞味期限ギリギリではあったが、この際、どうこういうのは止そう。
 六月への御礼も兼ねているということなので、
 「ありがとう。じゃ三人で食べますか。残ったら弥生ちゃんに、ね」
 タイムリーなことに、ちょうどおやつの時間になっていた。
 「明日からここお休みなんですよね。櫻さんはどこか行くんですか?」
 「千さんとお出かけ?」
 「え? 六月君まで、そんなこと...」
 お土産の餅ではないが、赤くなっている。「いいじゃないか♪」と餅の宣伝フレーズが聞こえてきそうだが、
 「18きっぷ余ったらオイラ使うからさ」なんて、さらに余計なことを言うもんだから、「いいじゃ」到底済まない。赤面+膨れ面になってしまった。(これが本当の赤ふく状態? 決して笑えない。)
 「大人をからかうんじゃないのっ」 前にここで弥生にも同じように冷やかされたことを思い出した。年は離れていてもやはりきょうだいである。ま、ここは弥生嬢に免じて許して進ぜよう。
 「小梅さん、伊勢って言っても広いじゃない。志摩の方とか?(そういや、石島と伊勢志摩って似てるわね)」
 「鳥羽の手前、二見浦ってとこです。海の近く...」
 「あぁ夫婦(めおと)岩のある、あそこね」
 「海水浴場の方なんですけどね。漂着ゴミ、すごかったです」
 太平洋から伊勢湾に回り込んで来る漂流物よりも、湾に注ぎ込む河川などからのゴミの漂着が甚大らしい。袋に破片に、とにかくプラスチック類が目に付いた他、より大きめの発泡スチロール片、あとは黒の長細い筒なんかが結構散らばっていたそうな。さらに川が増水すると上流からの流木が海に流され、湾内の海岸に打ち寄せるというから一大事である。荒川の一(いち)干潟の比ではなさそうだ。

 「それにしても、六月君。一回分とは言っても、18きっぷは高額品よ。何かお返ししないとねぇ」 からかい半分で諭す櫻。すると、 「ちゃんと特命受けてますんで」 若い二人は顔を見合わせ、ニコニコしている。毎度、微笑ましい限りだが、羨ましくもある。「若いっていいわねぇ」とか、内心呟いているが、これはほんのご冗談。十九日の予定はだいたい決まっていて、あとは当日を待つばかり。気持ちに余裕がある故の呟きだが、このお二人さんを見ていると、どうにもソワソワして来る。櫻にとっては、長く暑い夏季休業になりそうである。