2007年12月18日火曜日

23. 非日常


 処暑も過ぎたし、さすがに猛暑日になることはなくなったが、まだまだ暑さが続く晩夏。大気もバランスをとらないとやってられなくなったか、空が暗くなるのに乗じて、黒々した雲がいつしか集い、空中打ち水大会が始まった。一般的には給料日の金曜夜、屋外で一杯やっている諸輩も多そうな時頃である。ビールの泡を消す程の勢いがありそうな驟雨。飛んだ冷や水になったに相違ない。荒川流域に暮らすhigata@の面々は、雨に降られることなく、それぞれの夜を過ごしていたが、断続的ながらも、時に激しさを増す雨に気もそぞろ。干潟最寄住民の千歳としては、その矢の如き雨粒を窓から眺め、「この調子で降り続くと、間違いなく水位は上がる。干潟もどうなることか...」と、プライベートビーチの心配が先に立つ。涼しくなって良さそうなものだが、この雨、ちょっと度が過ぎるきらいがある。強弱はあったものの、深夜にかけてなお止むことはなく、道路の一部が冠水するほどの降りようとなった。

 翌、八月最後の土曜日の朝。千歳は、双眼鏡やらデジカメやらをバッグに放り込んで、あわただしく外に出る。堤防がぬかるんでいる可能性はあったが、とにかく自転車で走り出した。荒川本流が視野に入る。彼は目を疑い、そして言葉を失った。
 向かって左方向、いつもの橋の脚に付されている水位を示す表示に対して、三から四の間を川が洗っている。いわゆる大潮の時でも二前後なので、明らかな増水である。そしてひと目でわかる濁流。曇りがちな空から時に太陽が顔を覗かす午前八時。橋の中央から流れを追ってみることにした。
 「あぁ、漂流ゴミが...」 昨夕の雨は、中流や上流にも降り注いだようで、様々な物体を運んでいる。枝葉や木片の塊が列を成しながら、蛇行しながら、流れる。それらに混じって、ペットボトル、空き缶、食品トレイ、発泡スチロール片といった定番ゴミの数々。よくよく見れば、サッカーボール、塗料缶、灯油を入れるポリタンク... 浮遊しやすいものが漂流するのはわかるが、重量がありそうな品々まで押し流されているから壮絶。一例としては、一升瓶、タイヤ、トタンの扉、といったところか。双眼鏡なしでも、こうした類は判別がつく。細々したものはさすがに肉眼では識別できないが、おそらく夥(おびただ)しい量が流れに乗っているものと思われる。「干潟でキャッチできればまだいい方、ということか」 デジカメは連写モード。ブツクサやりながらも、撮りまくっている。そこへクリーンアップスタイル風の娘さんがやって来て、停車した。いつものRSB(リバーサイドバイク)だが、今朝は徐行運転である。
 「隅田さん、だったり?」
 「おや、石島さん。お早う」
 「これって、ヤバくないですか。何かいろいろ流れちゃってるしぃ」
 千歳がここにいるのがごく当たり前のように、初音は飄然と話を始める。アラウンドサーティー女性との接し方は何とかなってきた千歳だったが、ティーンのお嬢さんとはどう会話したらいいのやら。撮影は中断、プチ苦悩状態に陥る。
 「てゆーか、どうしてここに?」 とりあえず、ティーン口調に合わせてみる。
 「昨夜(ゆうべ)って、チョー雨降ってたじゃないですか。こりゃ、洪水になるぞいって」

(参考情報→増水時の漂流ゴミ

 橋には他にも濁流を見守る観衆がいたが、男女二人して、というのは彼等くらいである。この橋では様々な男女が共に歩いたり、またはすれ違ったり、時には離れて行ったり、多様なシーンが繰り広げられている。今日の千歳は、橋でバッタリのパターンだが、隣にいるのは櫻ではなく、ひと回り違いのお嬢さん。だが、姉という点では同じである。櫻も昔はこんな感じだったんだろうか、と目の前の現実からちょっと離れてみたりする。
 眼下では、畳と茣蓙(ゴザ)が寄り添うように漂っている。有り得ないゴミのような気がするが、この流れを見ていると、不思議な気がしない。それがまた不思議である。非日常感覚に捉われている千歳なのだが、「今日の天気はどうなんだろ。また土砂降りとか?」 初音にとってはまたとない良好な質問が口を突いて出た。
 「今日はこの後、雲は晴れ、気温も上がります。ちなみに今は...」
 某お天気情報番組特製のデジタル温度計を取り出すと、「二十八度 マジ?」という塩梅。
 「何かお天気キャスターみたいだね」
 「えぇ、ちっとは勉強してるんで」
 太陽が少しは出ている分、初音の機嫌は悪くない。「雨だと不機嫌だったりして?」と千歳の勘が働く。そう、天候に気分が左右されるキャスターというのもアリなのである。

 撮影を再開しようとデジカメを構えると、堤防下の道路をバイクが一台走り行くのが見えた。双眼鏡を使わないと判然(ハッキリ)とはわからないが、おそらく干潟は水没中だろう。とにかくその干潟がある場所に向かっているのは間違いない。
 「あれきっと、掃部(かもん)さんだ。行ってみよう」
 「あ、ハイ」
 スローな千歳に対し、ここぞで速さが出る初音。自転車のタイプが違うとは言え、ちょっと差が開きすぎたか。
 「隅田さん、遅いスよ」
 「ハハ、三十代になるとダメだねぇ」
 もともと遅いのを誤魔化している。今は三十ちょうど、年甲斐のない千歳であった。
 道路が冠水するくらいだから、グランドも同等かそれ以上である。水の捌(は)けはどうなんだろう。浸み通った水が崖地からチョロチョロ湧き出ていたのは前回確認済みだが、この大水じゃ出口を塞がれたも同じ、捌けようがない。そんな水捌けを心配する人物がすでに先に到着していて、今は掃部公と問答している。
 「石島さんよぉ、非番とは言え、ここが現場だろ。グランドの心配より、川の心配が先でねぇの?」
 「治水事業のおかげでこんなもんで済んでる訳ですよ。これでも一応、様子を見に来て、大丈夫そうだったから、グランドをチェックしてるんで」
 「大丈夫とか言って、どうせ今だけだろ。そのうちこれじゃ危ねぇとか言い出す目算さ。余計なことしたら承知しねぇぞ」
 水を撥ねながら、自転車が二台現われた。先に着いた初音は目を丸くして、一喝!
 「何だ、親父ぃ。家族ほったらかして、こんなとこでチョロチョロと」
 これには当の親父さんは勿論、千歳も清も吃驚(びっくり)である。
 「あちゃー、石島の娘さんだったか。この前、小松のお嬢さんが言ってた通りだ」
 「お前こそ、何でここに? 勉強しなくていいのか」
 「川が心配だから見に来たのさ。そっちはどうせ、試合ができるかどうか、とか、そんなとこっしょ?」
 「何だ、娘さんの方がよほど河川事務所向きじゃねぇか」
 千歳は再び非日常状態になっていて、三人のやりとりを黙って聞いているばかり。掃部先生が招き寄せてくれなければ、時と川の流れるまま、だったかも知れない。
 「この青年は、ここのクリーンアップの発起人さんだ。石島、会ったことあんだろ?」
 「隅田川の隅田、千歳空港の千歳、隅田千歳と言います。初めまして、ですかね?」
 国土交通省関係者に対する挨拶だからと言う訳ではないが、川と空港を引用するあたり、さすがである。親父はそれが気に入ったらしく、
 「やぁ、何度か見かけてはいましたが、貴君が発起人とは。石島、湊です」
 と丁重な応対ぶり。
 「初音さんにはお店で、小梅さんにはこの干潟でお世話になってます。でも、干潟...」
 干潟と言ってはみたものの、案の定、すっかり水没してしまって、示しようがない。
 「ハハ、正にしがたねぇ、だな。上流からの土砂が運良く堆積すりゃ、しろくなると思うけどな」
 「え、白く?」
 「だから、し、ひ...」
 「広くなるんでしょ。先生」
 父vs長女のバトルが続きそうな雲行きではあったが、今はひとまず「水入り」。親子水入らず、とは言うものの、そうはいかないのが石島親子。父は長女の意外な人脈に驚きを隠せない。「掃部さんと初音がつるんだら... ヤバそうだなこりゃ」 川の心配が先でしょうに。
 荒川本流は濁々としていて、ヨシの浄化作用も無力に映る。それでも、カニの巣穴の上部に群生しているヨシは、背伸びするように己の上半分を気丈に出していて、存在を顕示するかのよう。ここのヨシ群は即ち、干潟の湾曲地形の一部も示すことになる。そのカーブが漂流ゴミをキャッチする構造になる訳だが、川面を見る限りでは目立ったゴミはかかっていない。ボード状の発泡スチロールが数枚、ペットボトルが数本、そのヨシ群にブロックされている程度である。すると、ここぞとばかりに、珍品が流れ着いてきた。
 どこかの工事現場から浚(さら)われて来たような特殊な工具や緩衝材、そして、
 「『不法投棄禁止 建設省』だとさ。手前がゴミになってんじゃ、世話ねぇな」
 薄ぺらな錆びた看板が引っかかった。やや遠くではあったが、それは清でもハッキリ読み取ることができたのである。
 「余計な工事に、余計な看板てか」
 「さすがにあそこじゃ回収できませんね。面目ない」
 話によると、これだけの水位でも、四メートルよりは下なので「レベル1」どまり、水防団が待機する段階に当たるとのこと。掃部公にも娘にも頭が上がらない石島氏だったが、ここは現場担当者として面目を保ちたいところ。
 「九十九年は、戦後三番目、六・三メートル(岩淵水門上)を記録。その時ほどじゃ、ありません」とは言っても、荒川畏るべし、には違いない。甘く見ては不可(いけ)ない。
 多少水位は下がったようだが、それでもなお川の水の一部が上陸していて、とても大丈夫なようには見受けられない。さすがにグランド外野までは浸食していないが、特大ホームランが出れば、あっさり着水&川流れ、だろう。ともあれ、コンディションは最悪。娘の予報を信じて、お天道様に水分の蒸発を促してもらうほかあるまい。
 「ま、こういうのって日頃の行いだから。今日は諦めて、たまには家事とか家族サービスとかしたら?」
 娘の説教が続く間、清は青年をつかまえて、
 「隅田君さ、今度は九月二日だろ。俺はちょっと出て来れねぇけど、ここがどんな具合になったか、あとで教えてくれねぇかな」
 「えぇ、お易い御用です。でも、清さん、連絡のとりようが...」
 「じゃ、例のセンターに寄るよ。あそこ夜も開いてるもんな。そうさな、九月最初の火曜とか」
 「そうそう、八月の定例クリーンアップで、水溶性の紙燈籠てのを拾ったんですよ。その鑑定、お願いできますか?」
 「ナヌ! 灯篭?」
 これで話はまとまった。チーフに照会しつつ、メーリングリストで呼びかければOKである。初音はメーリングリストに入っていないので、今、知らせる。九月二日についても尋ねると、「小梅と二人で来ます。あの子も心配してたから」 もともと参加する意向だったようだ。そして、「あ、そうだ」 長女は再び父親に噛み付く。
 千歳はさすがに恐々としてきて、「初音嬢くらいの娘は皆あんな調子なのか、それとも他に何か理由があるのか...」 昔の櫻はああじゃないよなぁ、とかまた勝手に推測しながら、親子のやりとりを見守る。
 「あのさ、ここからゴミが大量に出てきたら、事務所も何か手伝ってよ。そしたら少しは見直したげる」
 「ほぉ、初音が奉仕活動とはね。分別してグランドの詰所の脇に置いといてくれりゃ、翌日引き取るさ」
 「奉仕活動とは違うと思う。うまく言えないけど、社会勉強に近いな。じゃ、粗大ゴミ級もOK?」
 「ケガしないように、な」
 ちょっとイイ感じになったところで、先生がクレームを入れる。場の空気を読み損なったか。
 「おぅ、さっきの話の続きだ。もし、ここの崖とかが崩れかけてたとしても、下手な工事はするんじゃねぇぞ。自然が自力回復できなそうな場合に限って、天然・地場の材料とかを使って最低限のメンテをする、ってことだ」
 「はいはい。そんなに予算も付かないから、心配無用ですよ」
 「何言ってんだ。必要な予算はちゃんと付けんだよ」
 「そうだそうだ!」
 石島としては、干潟の安全面がちょっと気になるところではあった。娘二人がここに出入していることを知ったとなれば、親心(?)からしても尚更である。この際しっかり調査して、安全面を確保しつつ、ついでに親水型の水辺としてうまく整備すれば、憩いの場にもなるだろう、などと踏んでいる。性悪な人物では決してないのだが、どうもこの辺が役人気質というか、掃部公が警句を発する所以である。

 千歳はひととおりの撮影を終え、深呼吸。モノログ史上初となる、ひと月三本目のネタがこれで上がることになる。モノログを開設してからというもの、少しずつではあるがアクセス数は増え、記事の掲載責任というものも重くなってきている折り、載せるなら、より熟慮した上で、と思う。それには現場で、ある程度記事の構想を練るのがいいようだ。
 お天気お姉さんの言った通り、雲が晴れてきた。九時を回り、温度計は早くも三十度を超す辺りを窺っている。河川事務所の課長さんは、しばらく付近を巡回すると言う。同じく掃部公も巡回モードだが、むしろこの課長殿の動きを監視するのが目的のようだ。五カンのうちの一つ「監」の出番である。父親としては、娘の帰りが気がかりではあったが、千歳が途中まで一緒、というので喜々として送り出した。何かカン違いされている気がしなくもないが、まぁいいか。
 「そうそう、この間はパンケーキ、ありがとうございました。美味しかったよ」
 「そりゃどうも。たまたまです」
 「この後はお店?」
 「そうスね。でもまだ早いから、お客さん来るまでは修行でもします」
 父親との一見不仲な感じの理由などについて小インタビューしてみたい気持ちもあったが、さすがに躊躇われた。逆に初音が千歳に問う。
 「隅田さんは?」
 「対岸の図書館かな」
 「その二階、っしょ?」
 図星なのであった。
 さて、いつもの初音ならこの辺でまたダーッと去って行ってしまいそうだが、ちょっと違っていた。
 「じゃ、櫻さんによろしくお伝えください」
 と言い残し、ごく普通に手を振っているではないか。ギャップが激しいというか、「妹さんが顔色窺うってのわかる気がする」と独り言。
 ここは橋の手前、右に進んで川を越えれば櫻の職場。それは非日常から日常に戻ることを意味する。自分でもよくわからないが、心安らいできたのがその証左。本流では相変わらず、漂流ゴミのオンパレードが続いていたが、むしろ小気味よく見える。足取りは軽く、気付いたら図書館に着いていた。が、しかし、
 「いけね。センター開くの十時だった!」(開くの十時云々てどこかで聞いたような)

 図書館には、上階の開館時間が近づくのをドキドキしながら待っている青年(いや三十男)がいた。彼も彼女もケータイを持っていないので、お互い連絡がとれない。つまり、こういう時は不意打ちのようになってしまうのである。何も知らない櫻は、弥生とともにセンターへ。
 「で、次はいつお会いするんですか?」
 「さぁね。結構クールなのよね、千さんて。いついらっしゃるのやら?」
 「クールでいそがしい人をクールビズって言うんですよ。きっと」
 この時、階下でクシャミをする人物がいたかどうかは定かではない。
 「何かまたピピって来るんですけど、気のせいかしら」
 「ケータイってこういう時に使うのね。でもなぁ」
 十時を回った。階下からノロノロした足音が聞こえてきたと思ったら、
 「あ、千さんだ!」
 「エッ!」
 「二人にはケータイ要りませんね。ホホ」
 本日の来館者第一号が現われた。
 「おは、いや、こんにちは。あ、桑川さん」
 「いらっしゃいませ。今日はどうされました?」
 「聞くまでもないでしょが。櫻さんは?」
 「あぁ、八月病が再発しちゃって、お休みですよ」
 カウンターの影で笑いをこらえている女性が一人。今度こそビックリさせてやろう、と構えている。
 「櫻さんてね、かくれんぼ好きなんだよ、ね?」
 「あ...」
 不意に現われただけでもシャクなのに、小作戦まで見破られてしまっては、憎さ倍増である。「何よ、さんざ待たせといて、さ」 初音みたいな口調になっている。なかなか非日常から抜け出せない。
 「昨晩の雨、そっちは大丈夫でしたか?」
 「早番だったんで、何とか。チーフは大変だったでしょうけど、昨日はたまたまクルマだったから...」
 「その矢ノ倉さん、今日は?」
 「野菜畑がヤバイからシフトするって、連絡がありました。午後からじゃないスか?」
 弥生はツッコミというか、冷やかしを入れたくてウズウズしていたが、「大人をからかうんじゃありません」てのを思い出し、しばらく見守ることにした。
 「八時頃、荒川を見て来たら、とんでもないことになってて、それでね」
 デジカメからメモリを取り出すと、要領よくPCのスロットへ。PC画面は河川監視カメラのモニターに早変わり。スライドショー形式で流していくと、コマ送り映像を見ているかのようである。
 「えー? 信じらんない」
 「台風の時も川の氾濫がどうこうって中継で映るけど、それに近いかも」
 「あたし、行ってみる。千さん、自転車でしょ。貸して!」
 弥生は二人のおじゃまにならないように、という訳ではなかったが、なかなか的を得た行動に出た。これも学部の勉強のうち、いや今日は仕事のうち、かも知れない。

 「で、文花さんに何かご用?」
 「干潟で掃部さんと会ったんだ。九月最初の火曜にまた情報交換しようってことになって、それならセンターで、って訳。ここのご都合とかどうでしょうか?」
 「あ、そう。大丈夫だと思いますよ。チーフが来たら、伝えます。higata@に連絡してもらえばいいですよね」
 どうもご機嫌斜めの櫻である。日常と非日常の区別が愈々(いよいよ)つかなくなってきた。千歳は取り繕い方を模索しながらなので、ぎこちない。
 「ところで櫻さん、日焼けしちゃいましたか?」
 「え、ヤダ。そんなに目立ちます?」
 「いや、何かイイ感じだな、って思って」
 ポロシャツにガウチョパンツというスタイル。肌が出ているので、目に付いてしまうのである。おめかしして来なかった櫻ではあるが、普段着でも十分通用するようだ。モデルの姉、というだけのことはある。
 「まぁ、どこ見てんだか。赤くなっちゃったのは、千歳さんが顔見せないから、ヤキモキして、それでよ」
 「もしかして、減点になっちゃいました?」
 「知ーらない」
 三十どうしのご両人はやっぱり仲良しさんなのであった。

 千歳はメモリを挿し込んだまま、早速モノログのアップを始める。データベース情報をweb仕様で掲載するための例のプログラムの一件もある。弥生が戻ってきたら、進捗状況など話し合うとしよう。口実のような感じもあるが、好機を逃さないのが千歳流、プロセスマネジメントなのである。PCをパタパタやりながら待機する彼を見ながら、彼女は見透かしたように独り言一つ。「私に会いに来た、って何で言えないんだろう。フフ」
 図書館は夏休みの宿題にスパートをかける子どもたちで賑わう。その賑わいの一部はセンターにも流れ込んできた。「フリースペースに案内しますか」 席を立つ櫻。「皆さん、いらっしゃい。こちらへどうぞ!」 接客はお手のものだが、最近では子どもの相手も馴れてきたようだ。小梅と六月の自発的環境教育にヒントを得て、こども向けの環境情報コーナーをそのスペースの一角に作ってみたところ、これがなかなか好評だとか。だが、単に情報を置いてあるだけよりは相談員がいた方が何かと心強い。「来週は小梅さんに臨時で手伝ってもらおっかな。弥生・初音ラインに頼もう」 いいもの、ならぬ「いいこと」を思いついたようである。千歳は賑わいとは離れた場所にいるが、時折フリースペースの方を見遣って、驚いたような、怪訝そうな、何とも不可解な顔をしている。ふとカウンターにいる櫻と目が合って、都度表情を正す。作業をしているのか思ったら、そうではなかった。彼はこっそり彼女にメールを打っていたのである。その場で話をすれば良さそうなものだが、あくまで彼女が勤務中、ということに配慮してのことらしい。「18きっぷをキープしてあります。有効期間内でご都合つく日ありますか?」 詰まるところ、会う約束を先に作っておけば櫻をヤキモキさせずに済むだろう、そんな配慮もあるようだ。危うく「18きっぷが余ってまして...」と打つところだったが、彼は見事に書き換えた。進歩したものである。 そんな訳で、このお二人さんが再会するのは、次の定期クリーンアップ、九月二日ということになる。(まるまる一週間、顔を見せない彼ってやっぱりクール?)