2007年12月25日火曜日

24. 二人のカウンター

九月の巻

 誰かさんのようにクールとは言えないが、気候的には少しずつ、秋の涼やかさが同居し始めてきた。九月最初の日曜日は、暑さも和らぎ、穏やかな曇天。時々晴れ間がのぞく感じで、日焼けがどうのというのももう気にせずに済みそうである。
 八月下旬から、higata@のやりとりも活発になってきた。弥生、蒼葉の自己紹介メールに続き、文花からは掃部(かもん)先生の講座案内を兼ねた自己紹介が流れ、これでリスト参加者全員の紹介が完了。互いに面識がない組合せが一部に残るが、概ねの素性がわかれば、議論もしやすくなるというもの。八月最終週は専ら、十月最初の日曜日を一般参加可とするかどうかの件で、それは九月二日の様子を見てから決めてはどうか、手順や分担は講座の時に集まったメンバーで軽く話し合って、別途打合せ日を設けては、といった感じで話は進んでいた。
 そんなこんなでご機嫌な管理人だが、今日は櫻との再会も控えているので、さらに快調。装備の準備・点検に一層精を出している。欠席の連絡があったのは、文花からだけだったので、higata@メンバーで集まるのは自身を含め、男性三人に女性四人。これに石島姉妹が加わり、八広の彼女、弥生の弟君も参加する見通しなので、総勢実に十一名となる。過去最多というと大げさに聞こえるが、あの干潟の大きさからすればこれは十分な人数である。軍手と袋の予備はその人数を見越したもの。色違いの袋は、今回から導入予定の廃プラ専用回収袋だとか。バケツ、デジカメ、マイカップの三点は常備品だが、さらに、火バサミ(トング)、長靴を加えることにした。件(くだん)の四メートル級の増水によって、現場はとんでもないことになっているはずなので、いつも以上に入念である。南実からの潮汐情報により、今日の開始時間は前月と同じく十時半。余裕があったはずだが、気が付くとすでに十時を回っている。いつものマイバッグの他に、長靴などを詰めた大きめのレジ袋を持って、いざ出発!である。

 人数が多くなりそうなことは櫻も承知していて、袋類を多めに、そして自由研究の日に使ったレジャーシートを今回は用意していた。それに、カウンタ、クリップボード(用紙付き)、マイカップ。同じく三点セットである。十時を回った時点で、橋を渡っているところ。蒼葉と違い、視力には自信がないので、干潟の惨状はよくわからない。
 「大水の状況からして、きっとスゴイことになってんだろな。それにしても、この眼鏡、そろそろ替えないとダメかしら...」
 橋を降り、左へ折れてしばらく進む。すると、どこかで見たノロノロの自転車が。夏休みの初めと終わりに、同じようなシーンに出くわすとは、である。デジャヴのような錯覚の中、櫻は速度を上げる。前カゴに長靴袋を載せ、肩からはおなじみのバッグ。ちょっと三枚目な感じだが、彼のこういうところが気に入っているらしい。
 「千歳さん、Bon jour! Commant allez vous?」
 妹君ならこのようにフランス語で来ても驚かないが、姉君もこう来るとはビックリである。返答に詰まった彼は、Commant allez(コマンタレ)~のダジャレか「困ったねぇ、ブー」とか云って彼女を笑わせている。秋の風が心地良く二人を通り過ぎる。
 「櫻さん、ここ久しぶりでしょ」
 「そうなんですよ。でも、自転車で走る千さん見てたら、自由研究デーも同じだったなぁって。つい昨日のことみたい」
 集合時間まではまだあるので、自転車を押しながらゆっくり歩く。
 「あ、今日は蒼葉来ませんから」
 出だしから妹のことを聞かれるのも面映いので、姉は自分から切り出す。
 「そう言えば...」
 「ま、夏の疲れが出たんでしょうね。画家だけに繊細なところもあるんで、ね」
 姉を想っての気苦労なんかもあったかも知れない。千歳はちょっと申し訳ない気分になる。櫻が浮かない顔をしているのがわかると、千歳は18きっぷの旅について話を振った。
 「荒川上流方面だと、やっぱり八高線でしょうかね。ルート、考えてみます」 彼の趣味は、かつてはDTM(Desktop Music)、今はwebいじりといったところだが、その他に「探訪」があった。ブラリ旅とでも云おうか、結構あちこち出没しているらしい。六月君ほどではないが、この線に乗ると何処そこへ行けるというのは概ね把握しているとのこと。どんな旅を思い描いているのやら、である。

 干潟を見下ろす場所には、本日の一番乗りが到着済み。業平君である。八月三本目のモノログ記事を見て、増水時の状況について予習はしていたものの、現場が発するメッセージは予習や予想の域を超えていた。また随分ととんでもないことになったもんだ、と慨嘆する業平。だが、何故かニヤリとしている。「榎戸さん、ここ来たら納得するだろな」とな。秋は出会いの季節。また新たなメンバーが加わることになりそうだ。

 河原桜からは夏を惜しむかのような蝉の声。グランド脇の草むらでは、すでに秋の虫達の声が鳴り渡る。夏と秋の共存、即ち季節の変わり目、なのである。草の匂いの変化はすぐにわかった。川の匂いはどうだろう。どことなくだるそうで、どことなく凛とした匂い。模糊(もこ)としているが、漂ってくる感じはある。
 「過ごしやすくなりましたねっ」
 「クリーンアップ日和、かな」
 そんな二人の前を行くは、弥生と六月の姉弟。弥生は増水とゴミ漂流をこの目で見て、「今日は外せない」と意気込んでいて、六月の方はすでに上出来の自由研究をさらにブラッシュアップすべく乗り込んできた。年は離れていても、きょうだいとは斯くあるもの。息はピッタリである。

 十時半になった。現地には、今のところ五人。そこへ石島姉妹が自転車で乗り付けてきた。
 「小梅さん、先週はありがとね」
 「宿題だいたい終わってたし、塾の帰りに寄るだけだったから。充実の夏休み、でした」
 にこやかな妹に対し、姉の方は干潟近景を見て、暗い顔をしている。
 「水位が下がったら、こうですかぁ。親父、知ってんのかな」
 「え、親父って?」
 石島姉妹と石島監督の件は、櫻と弥生には話してあったが、業平は初耳。小梅から話を聞いて、「今日はその親父さん、いらっしゃらないの?」
 「お姉ちゃんには頭上がらないんだ。クリーンアップする日は試合もやらないと思う」
 「小梅はいいから! その話はまた後で」
 顔色を窺う妹。姉は、西の空を気にかけている。スカッと晴れれば、機嫌も良くなるんだろうけど、心なしか憂色が浮かぶ。

 晴れ間が出にくくなっているのは、自称雨女さんが接近しているからか。八広と舞恵は今日は自転車で現地をめざしている。
 「ちょっと、八(ba)クン速いよぉ」
 「あ、対不起(Dui bu qi)(すみません)!」
 「中国関係は顔だけにして」
 二人が停車した辺りの先では、一人のマダム、いやセレブ、ともかくいい具合に年齢を重ねた女性が早足で歩いていた。ある姉妹をスクーターで尾行していたが、堤防上の道路に入るところで見事に引っかかってしまい、徒歩を余儀なくされている。バイク&スクーターの乗入を遮るゲートの手前で、とにかく姉妹が干潟方向に向かうのを見届けてから、橋下の駐車場に廻り、再び堤防へ。自転車の二人はその女性を抜き去って行った。
 「何かあの人、こっち向かってない?」
 「さぁ、河原に来るには場違いな感じがしなくもないけど。競歩じゃない?」

 「まったくあの子たちったら、書き置きだけで伊勢に行っちゃうし。今日だって二人でコソコソと」 親の心配をよそに、快活な姉妹はすでに現地で軍手を着用中。水位がさらに下がるのを待ちわびているところである。
 二台の自転車は坂を下り、グランドを掠(かす)めて行く。その先にはちょっとした人だかり。「とにかく行ってみましょ」 そのご衣装からは想像し難い、なかなかの健脚ぶりで、歩く歩く。

 自転車カップルが合流した。銀行にいる時とは印象は異なるものの、櫻はしかと覚えていた。舞恵の方は、千歳と話す中ですでに感づいていたので、それほどの驚きはなかったが、
 「キャー、やっぱり。奥宮さん、でしょ!」
 と櫻が騒ぐものだから、つい乗せられてしまった。
 「やっぱりいらしてたんですね。千住 櫻さん」
 手を取り合って再会を喜んでいる。
 「ここってある意味、出会い系?」 と業平が訝れば、
 「あなたが宝木さん? あの方は?」 と弥生のツッコミが始まる。
 メーリングリストに入っていない石島姉妹は、カップル二人についての情報が全くない。何が起こったのかわからないご様子でキョトンとしている。こうなると千歳がフォローするしかない。
 「えっと、この後、小松南実さんがいらっしゃる予定です。全員そろってから自己紹介、じゃ遅いか...」 そこへリーダーが割って入る。
 「ごめんなさい。こちら、奥宮、えっと」
 「舞恵です。名前書く紙、ないんスか?」
 受付用紙とペンを差し出す。名簿筆頭は舞恵、続いて八広、弥生、六月と名前が埋まっていく。石島姉妹にペンが渡った時、「初音ちゃん、小梅ちゃん」 娘の名を呼ぶ声とともに、先の女性が現われた。
 「あぢゃー」
 「な、何で?」
 石島母である。「あ、あの皆さんは?」
 「石島姉妹のお母様ですか? お世話になってます。皆、ここをクリーンアップしている仲間です。私は、千住 櫻と申します」
 「はぁ、クリーンアップ?」
 「ホラ、お母さん、ここ見てよ」
 次女が指差す一帯は、ヨシとともに打ち寄せられた大きく太い名無し草の束と、それに絡まるように散らばるゴミの山、山。流木や木片もゴロゴロしているし、大きな袋類ものさばっている。三月の衝撃を彷彿とさせる漂着&散乱の極み。これに二人の娘は挑もうとしているのか。初音が記名し、小梅もいつもの達筆でスラスラ綴る。
 「じゃ、お母様もせっかくなので、ここにご署名ください」
 「あ、はい」
 干潟の有様にも吃驚(びっくり)だったが、小梅の字が上手なのにも驚かされた。子のことを案外わかっていないのが親である。
 「きょうさん? それとも」 六月が首を突っ込んできた。
 「『みやこ』って読むのよ」
 「へぇ、そんな読み方があったんだ」
 駅名に強い六月でもこの読み方は意外だったようだ。「石島 京」の次に「千住 櫻」が来たところで、三十男二人分の欄がなくなってしまった。
 「じゃ、『二枚目』にどうぞ。お二人さん♪」
 「二枚目だってさ」
 「業平君は自称三枚目だろ」
 こうして、場の空気は何となく和み、母親もひとまず胸をなで下ろすのであった。

 「ところで蒼葉ちゃんて、今日来ないんだっけ?」
 和んでいたところ、弥生が不用意な一言を発する。「あ、いけない...」 後の祭りである。
 「え、蒼葉さん、来るの?」
 「今日はね、アトリエで作業するんだって、ごめんね」
 さすがに夏バテという訳にも行かないから、もっともらしい説明になる。少年は「なぁんだ」である。不用意は姉弟間で連鎖する。そんな六月の一喜一憂は、小梅お姉さんがしっかり見ていた。何か起きなきゃいいけれど。
 (蛇足ながら、空気が読めても読めなくても、略せばK.Y.である。桑川弥生をそのままの順でイニシャル化すると、ズバリK.Y.になる。余計なお世話か。)
 弥生がバツ悪そうにしていると、場の空気を変える人々がやって来た。これで総勢十二名になる。時刻は十時四十五分を回ったところ。惨状を前にしつつ、なかなかクリーンアップに着手できないご一団である。

 「遅くなりました」
 「すみません。案内してもらったので、彼女の到着遅らせちゃって」
 仕立てのいいジーンズに、多ポケッツベストを着用。レンズ交換式サングラスとやらを額に当てている。どことなく高級感を感じさせるこの人こそが、
 「榎戸冬木さん、ですね」
 「あ、『えのきど』じゃなくて、『えど』でいいんです」
 どうやら業平の知り合いのようである。二人並ぶと、業平がちょっと高いくらい。つまり長身な人物である。スポーツ刈りという辺りがまたイケてる。左手薬指には新しめの指輪が光る。石島母を除くと、クリーンアップメンバーでは初となる「既婚者」である。(ちなみに掃部先生も既婚者のはずだが、お子さんはいらっしゃらないようなことを言ってたし、ある時「今は、し(ひ)とり身」とかこぼしていたので、とりあえず違うということにしておこう。)
 「本多さんとは、アフィリエイトがご縁で知り合いまして、今日は自分の仕事を兼ねて下見というか、体験させてもらおうと思い...」
 石島母に続くサプライズに加え、アフィリエイトという用語に面食らうことになる面々。六月を除く男性諸氏と、弥生、舞恵はある程度わかっているが、十代を含むその他の女性五人は、言葉は聞いたことがあるかな?程度。六月は受付名簿とペンを手に、南実と冬木のもとへ。
 「ま、難しい話はあとにして、お名前どうぞ!」
 少年はすっかり逞しくなって、この通り。千歳の下には南実の名前が続き、締めは冬木。
 「小松さんからだいたいの事情は聞きました。名前とお顔はこれで一致させればいいんですね」 冬木は名簿をしばらく眺めつつ、
 「『漂着モノログ』の隅田さん、あと『さくらブログ』の櫻さん...」
 アフィリエイトをやるだけのことはあって、なかなかのweb通である。まるで点呼をとられているようだったが、
 「当クリーンアップの発起人、こちらが隅田さん。私は進行係の千住です。よろしくお願いします」
 櫻が気丈に応じた。だが、
 「あのぉ、宝木さんて、イニシャルは?」
 リーダーの挨拶もそっちのけで、勝手に話を進めている。この調子じゃ一向に作業に入れない。
 「あぁ、Y.T.ですよね。八月のモノログの投稿、読みましたよ」
 筆力のある八広が書いた一編を転載した甲斐あってか、モノログのアクセスは確かに増えている。それはそれで結構なこと。だが、管理人(ここではブロガー)は千歳である。投稿者の方をまず持ち上げるというのも失礼な話である。
 そんなお騒がせさんを招聘したのは業平である。立場上さすがにマズイと思ったか、
 「榎戸さん、そういう話は終わってから、ってことで」
 空気を変える、どころではなかった。巷に云うKYなヤツとは、こういう人間のことを指すようだ。千歳はカチンと来たまま、固まっている。
 千歳と連動しているつもりはなかったが、南実の登場もあって、櫻も何となく強張(こわば)った感じになっている。とても本調子とは言えない。「じゃ、皆さんそろったところで始めますか。と言っても、初めての方がいらっしゃるから...」 さすがのリーダーも手こずっている。実施手順とか注意書きとか... すぐに配れるものを用意するとか、大きく掲示したものがあってもいい。そんな必要性を認識する場面であった。

 「見ての通り、先だっての増水で大量の漂流・漂着があって、この有様です。今日はちょっと違う方法を試してみましょう。ね、櫻さん?」
 櫻の機転が利けば、初めてでもそうでなくてもできる手法を思いつくと踏んだ千歳である。
 「あ、あの横倒しになっている草をまず除けないと、ですよね。男性の皆さん、お願いします。で、引き揚げた後に残ったものを女性チームでとにかく袋に入れましょう。数えるのはここの草がないところで」 千歳が思い描いていたのと同じような方法論がちゃんと出てきた。これぞ以心伝心である。いつもなら干潟上で仕分けたり、数えたりできるのだが、名無し草が跋扈(ばっこ)している以上、干潟では困難。陸揚げ&陸上作業、いざトライアルである。干潟と陸を結ぶ通路は、冠水した割にはしっかり確保されていて、むしろ通りやすくなっていた。通行アクセシビリティとでも言おうか。これは作業要諦の一つである。
 千歳が予備の軍手を配る間、櫻はレジャーシートを広げ、回収用の袋は女性がそれぞれ手にして行く。京は娘の安全を気にかけ、一緒に干潟に下りる覚悟だったが、思わぬ異臭に足が止まる。「ソウギョっていうか、ハクレンですね。腐乱しちゃって...」 南実は平然としているが、他の女性メンバーはさすがに硬直している。今回は五十糎超の大物。白身が露出していて、ハエがたかっている。「文花さん、ご欠席で良かったぁ」 櫻は一大リスクを回避できたことの方が大きかったようで、ハエもハクレンも眼中になかった。調子が戻って来たところで、すかさず指示を飛ばす。「さて、通路を確保するにはこれ何とかしたいですね。魚馴れしているお二人さん、お願いします!」
 六月の回でソウギョと対面した経験が買われ、千歳と業平が出動。八広は舞恵の前に出て、彼女をかばうようにしているが、ちょっと腰が引けている。その後ろでさらにビビッているのは、先刻まで威勢の良かった冬木である。現場を知ることで、人は謙虚になっていく。これで少しは言うことを聞くようになるだろうか。
 増水で流れ着いたらしい、長めの枝を一つずつ手に取る。二人で魚の頭と尾の方に枝を添え、「せーの」で押し出す。川に還(かえ)して差し上げよう、ということなのだが、
 「身が崩れそうだ」
 「ここから先はR25指定かな」
 舞恵は規制年齢ではなかったが、八広ともども背を向けている。八広以下、五人の男女は目を伏せる。冬木はビクビクやりながらも「これも取材のため」と薄目で様子を見守る。
 かくして、六月の回の四人がこのハクレンの川送りに立ち会うこととなった。枝で静かに押し出したつもりだったが、思いがけず腐敗が進んでいて、身も骨もバラバラになってしまい、跡形なし。ただ、蛋白源として重宝されただけのことはあって、その肉の厚みは目を見張るものがあった。清に詳細報告をする手前、デジカメをスタンバイモードで片手に持っていた千歳は、川に還っていくその体躯を克明に収めることに成功した。
 「では、皆さん合掌!」 業平がかけたそのひと声は、憂愁を誘いつつも、心に静かに響くものだった。小梅に続き、初音も合掌。桑川姉弟は黙祷の構え。冬木は己が名の如く、ただ立ち尽くしている。京はレジャーシートに腰を下ろし、姉妹の厳粛かつ真摯な様子を見つめる。「あの子たちったら...」 この干潟で何がなされ、なぜ子どもたちがここに来るのか、母は悟ったようである。

(参考情報→ハクレン(推定)の遺骸

 草と水の匂いが辺りを包む。いつになく粛々としたムードの中、現場慣れした(または、してきた)十人が動き始める。今回の実質的スタートは十一時過ぎ。文花が初めて当地に訪れた時のような、どことなくフェミニンなファッションの石島母には作業をお願いするに忍びない。シート上でそのまま荷物番をお願いすることにした。冬木は一応、草運び班だが、軍手をしたまま、まだ呆然としている。「さ、榎戸さん、情報誌やるからには何事も体験ですぜ」 業平が誘導し、何とか配置につく。千歳と八広のコンビは、早くも三束目を搬出中。着手してわかったことは、この名無し草の塊が幾層にも横たわっていて、たっぷり水分を含んでいる、ということ。これじゃ干潟の浄化作用も何もあったものじゃない。とにかく早く除去して、干潟の呼吸を回復させると同時に、クリーンアップするためのフィールドを確保しなければいけない。こいつがのさばっている間は、ペットボトルなんかをポイポイやる訳にも行かないのである。櫻の作戦、今のところ順調である。だが、
 「それにしても、長いし、重いし、土木作業みたいスね」
 「ま、エクササイズだと思って、励むんですな」
 「クリーンアップって、やっぱ体育会系?」
 と来れば、強肩のあの人の出番。早速、硬球やテニスボールなんかをビュンビュン放り投げている。京は頭上を遥かに飛んでいくボールを見ながら、「まぁ、あのお嬢さん、スゴイわねぇ」と、感心中。受付名簿を見ながら、顔と名前を確かめ、「小松さんか。野球とかやるのかしら?」てな調子で、悠長にやっている。監督の妻らしいご発言だが、スカウト担当ではない。ただ、惚れ惚れしているだけのようだ。
 そんな南実と距離を置いていた櫻だったが、男性陣が往復している隙を縫って、通路よりも上流側、その強肩女性がいる一角にやって来た。夏休み初日が初戦とすると、夏休み最終日にして決戦となる。ここで決着させよう、ということか。
 「小松さん、higata@ではいろいろと...」
 「私、お二人の反応を試してたんですけど、まぁうまく交わされたというか、二人とも大人だなぁって」
 流し気味の球を櫻が放ったとすると、南実の投球は実に対照的。またしても直球で応えてきた。これはキャッチボールと云えるのかどうか。
 「この間は言いそびれちゃったけど、千歳さんとはそういう仲です」
 「そういう、か。わかってますよ。両想い、なんでしょ。私のは花火みたいなものだから、いいんです。暑さ過ぎれば何とやら、とも言うし」
 「小松さん...」
 キャッチボールの手が止まったような感じになった。「両想い」、それが確認できたのは、今思えば南実が焚き付けてくれたおかげ、なのではないか。

 「さ、リーダー、あっちで若手女性陣がまごついてるみたいだから、行って差し上げたら?」
 「あ、ハイ。行ってきます!」 南実の誠実さが身に染みてきた。川から吹く風もまた染み入るよう。干潟を洗う波は今日は至って穏やかである。
 引き返す途中、六月とすれ違う。少年は、草束を運び出す途中でこぼれ落ちる小ゴミを集める特命を担当していた。袋に入れては、陸上の草のないところにパサパサ落とし、また搬出路に向かう、の繰り返し。「やるわね」「えへへ」 お互い眼鏡越しだが、目元が笑っているのがわかる。

 男衆四人はピッチが上がってきて、厄介そうな分については搬出を終えた感じ。今は草束を干す作業に勤しんでいる。乾いてほぐれてきたら、何かが出てきそう。その時は勿論、「あー、早く粒々やりたい」と呟いている人の登板となる。櫻が少し手分けして持って行ったものの、上流側のゴミは彼女が一手に片付けていたので、四十五リットル袋は満杯寸前。それでも肩が強いだけあって、重さは感じていない模様。体力あっての研究員、ということか。
 一方の若手女性四人衆は、下流の方から徐々に干潟中央部に歩を進めていたものの、手持ちの袋が何となく重みを増していて、ペースが落ちている。よくよく見ると、弁当やら空き缶を詰め合わせたレジ袋だったり、雑誌をヒモで括ったものだったり、重量級のものが入っている。これじゃ仕方ない。舞恵に至っては、スプレー缶のコレクション。名無し草とは別のエリアですでにこれだけの収穫である。草が除かれつつある干潟の中央(湾奥)の方も、埋没ゴミが露見してきて、見本市状態になっている。
 「皆さん、一旦、陸揚げしましょう。袋から出して、また拾う、その往復ってことで。重そうなのは男性チームに任せますかね」
 舞恵はハッとする。「なぁんだ、千住さんてしっかり者じゃん」
 そんな彼女の足元には、なぜか鉄筋らしき棒が数十糎程度、突き出て刺さっていたのだが、それには気付かず、代わりにある物体が目に留まる。その黒っぽさ故、目立たなかったが、潮が退いて存在が明るみに出た。
 「なんじゃこりゃ? あら、お財布!」
 拾い上げてひっくり返したところ、小銭を入れる口に詰まっていた砂の塊が落ちてきて、スニーカーにべっちょり。前回と違って、サンダル履きじゃなくてまだよかった。が、不運は続く。うっかりその場に置いてしまった袋には、いい角度で鉄筋棒が刺さり、持ち上げたが最後、穴は開くは、スプレー缶が出てくるは、散々になってしまった。
 一連の顛末を見ていた櫻は、「奥宮さんて意外とおっちょこちょい?」 と苦笑しつつ、首を捻る。第一印象というのは当てにならない。印象のカウンター、いやクロスオーバーが生じた瞬間である。
 彼氏にHELPを求めるまでもなく、石島姉妹がさっさとフォローしている。初音は吹き出すのをこらえながら問いかける。
 「大丈夫スか? 奥宮さん」
 「いいのよ。財布に大金入ってたから」
 姉妹が覗き込もうとすると、「んな訳、なーいじゃん」と来た。前回のような無愛想な顔をチラつかせるも、次の瞬間には高笑いである。天候に応じて機嫌が変わる初音もいい勝負だが、この突飛なお姉さんの表情の変化には敵わない。今回は幾分チャラチャラが減った感じのルフロンだが、初音としては十分、ファッションリーダー的存在に映る。そんな見た目のインパクトもさることながら、人を惹きつける何か、つまり、より内面的な部分に関心は移っていった。「空気の動きが天気になる。てことは、心の動きは表情、とか...」

 十一時半になった。段取りが奏功したか、草の塊は完全に除かれ、重量ゴミも概ね引き揚げられた。干潟の表面、つまり砂地が現われてきたのは好かったが、まだまだ散乱ゴミが残る。草の下敷きになっていた、という点では埋没ゴミだが、もともとは増水時の漂流ゴミ。同じゴミでも表現が変わるものである。
 春先と違い、紙皿や紙コップは見当たらなかったが、調味料のプラボトル、レトルトの袋、カップ味噌なんかが転がっているのを見るにつけ、夏のバーベキュー大会の名残というのは容易に察しがつく。バーベキュー広場での実態調査を想い起こしつつ、一つ一つ丹念に撮影していく千歳。それにしても、弁当屋のごはん容器はまだわかるが、ミニ納豆の容器が落ちているというのはちょっとなぁ。バーベキューと言えば、高カロリー食が中心だろうから、少しは健康を配慮してのことなのか。それなら最初から食材を考えればいいのに... 撮影係の手は止まったまま。その傍らで進行係は、撮影を終えた分からテキパキと袋に放り込みながらも、特に少年と少女から目を離さないようにしている。拾っている最中に大波が来たら、と思うと気が気でない。進行も大事だが、それ以上に欠かせないのは、注意・監視である。

 京を除く十一人、総がかりで漂流&散乱ゴミを拾い集めた結果、干潟表面はほぼ更地になった。残るは、業平と八広の手で前回築かれた防流堤よりも奥である。例の草に覆われていたのがよかったか、はたまたその堤に加勢するように板や丸太状の流木がうまい具合に横付けされたのがよかったか、草と木が絶妙に絡まり、より強固な堤になっている。(これを、自然による自然な工事、というかどうかは定かではない。) その強化された防流堤は、巧みにゴミをキャッチし、思惑通りの役目を果たしていた。だが、その役目の万全さが裏目となり、参加者の溜息を誘うこととなる。

(参考情報→流木は干潟の奥をめざす

 「いやはや、まだまだあるねぇ」 と業平が嘆き節を漏らせば、
 「何かいい装置ないんですか。大口吸引機とか」 と弥生がいつものツッコミ。
 「実機は得意だけど、資金がないことにはねぇ」
 世にはそうした吸引装置というか、吸引車なるものがあるが、何でもかんでも吸ってしまえ、というのも乱暴な話。今の業平が作るとしたら、生態や環境に配慮したタイプか。ま、期待せずに待つとしよう。
 タイムキーパー役を思い出した櫻がここで合図する。
 「今回はあの板というか壁というか、その奥は見送ることにしましょう。また増水することがあったら面目ないですが、とにかくブロックしてくれることを信じて、ということで」

 時は十一時四十五分。いつもより押している感じはあるが、次に控えるは分類とカウントである。量が量だけに気が遠くなりそうだったが、何と六月君が気を利かせてくれていた。皆が往復している間、ここでコツコツと大まかな仕分けを済ませていたのである。あとは今持ち寄った各自の袋にあるものを再度分ければいい。
 「やるじゃん」
 「グッジョブって言ってよ」
 小梅は少年をちょっと見直したようだ。娘二人を憂う必要がなくなったためか、いつしかうたた寝気味だった石島母は、皆がワイワイやり出したので、目が覚めた。
 「あ、ママ。こっち来て見てみぃ」
 長女に促されるまま、干潟が見下ろせる場所へ。
 「まぁ!」
 ここからではゴミゴミした湾奥は見えないので、今はとりあえず見違えるような光景が広がる。ここだけ見る限りは正にプチビーチである。母の気が干潟に行っている間、娘たちは経験者らしく、要領よく飲料容器の分類を進める。冬木はプラスチック製と発泡スチレン製の別がつかないらしく、南実に教えを請いながら静々と作業している。分類が終わったところから、櫻と舞恵が手分けして計数を始める。櫻はおなじみのカウンタでカチカチやっているが、相方は目をパチパチ、である。さすがのルフロンも今回の目計算にはご苦労されているようで、そのパチパチは数えるための筈だが、お疲れの瞬(まばた)きも混ざっているようだ。
 「奥宮さん、人差し指なしで数えられるの?」
 「えぇ、カウンター業務なんで」
 「何だかなぁ。それ言うなら、計算係のcounterでしょ。あ、でも窓口にいて、会計もやってたら、ダブルカウンターか」
 「counter @(at) counterね」 こういうやりとりをカウンターの応酬と言うらしい?