2007年12月11日火曜日

21. 咲く・love


 待ちに待った旧七夕の日がやって来た。夏は何々の季節と言うが、四週間ぶりの再会となっては、何々も某もあったものではない。ただこの久々感とでも言うべき感覚は重要で、ドラマ的な心理を否応なく盛り上げる。待ち合わせは、センター下の図書館談話室。図書館でドキドキするシーンというのは学園モノでは一般的だが、まさかこの年になってそのシーンの当事者になるとは、である。約束の十四時まではまだ時間がある。談話室で一人黙々としているのは、本来バツの悪いものだが、己との対話だって談話のうちである。何を話そうか思案しつつ、ドキドキを楽しむ櫻であった。
 一刻も早く、という想いに押されて、千歳も定刻前に到着していた。ガラス張りのその一室に、目を閉じて深呼吸する一人の女性を見つけ、やはり胸高鳴るものを覚えるも、それが沈静するのを待つべく、何となくウロウロしているのであった。見方によっては不審者と思われても仕方ない。こういうシーンも学園モノにはありそうだが、彼の場合は退出させられる前に何とか次の行動に移ることができた。櫻は即座に席を立つ。
 「千歳さん!」
 さっきまで黙りこくっていた女性がいきなり声を上げたものだから、周囲の視線を集めることになる。千歳は「ハハ、参ったなぁ」とか言いながら、櫻に近寄ると、「お久しぶりです。櫻姫」 櫻は思わず飛びつきそうになったが、学園ドラマではないので、ブレーキをかける。今度は小声で「千歳、さん...」
 「外はまだ暑いので、ここで涼んでから行きますかね」
 櫻は放熱、いや放心状態。これが蒼葉の言っていた「ボー」なのか、と様子見しつつ、ゆったり構えることにした。ドキドキが収まるを確かめつつ、口を開く櫻。奥ゆかしい間合いである。
 「何か蒼葉があることないこと喋っちゃったみたいで、かえってご心配おかけしまして」
 「もう大丈夫ですよね。櫻ブログも絶好調のようだし」
 「ハハ。せっかく作ってもらったんですもの。あふれる想い、届けたい...です」
 その想いって?と聞き返したかったが、千歳もブレーキをかけてみる。蒼葉が見たらやきもきしそうなワンシーンである。
 「じゃ、今日はモノログネタの調査同行、よろしくお願いします」
 「てゆーか、デートでしょ。素直じゃないなぁ、千さんも。フフ」
 何とも返事のしようのない千歳はテレ笑い一つ、そそくさと先を急ぐ。春先に目撃し、その後も重点ゴミとして目を付けているバーベキュー関係の漂流ゴミの発生源を探るべく、橋よりも上流側にあるバーベキュー場を併設する公園へ、というのが今回のテーマ。五月に単身、調査しに行こうとしていたが、橋から掃部公を目撃して、干潟へ行ったりしたもんだから、その日は叶わず、以来ずっと棚上げになっていたのである。三カ月が経ち、今はシーズン真っ盛り。満を持しての現場偵察である。

 前日はぐっと気温が下がり、これじゃバーベキュー客も減か、とちょっと気を揉んだが、この日は一転して再猛暑となった。櫻はいつものクリーンアップスタイルとは似て非なる、あの晩夏のアウトドアファッションである。デニムのハーフパンツに、シャーリングのカットソー。暑いということもあるが、普段は長丈で隠している腕と脚が少々露わになっているのがポイントである。
 「今日の櫻さんのその衣装、もしかして『お上がり』とか」
 「あら、よくご存じで。どう? モデル並みでしょ」
 ここで下手に蒼葉と比較するのもどうかと思い、とにかく頷いて拍手を送る。二人とも自転車を手にしたまではいいが、なかなか走り出そうとせず、この調子。これはこれで微笑ましい光景である。
 小振りな麦藁帽を被り、多少なりとも日焼け対策を講じてはいるものの「まさかここまで晴れ上がるとはねぇ」と絶句する櫻。十四時半、日射はピーク。バーベキューの方は、読み通り、撤収組がチラホラ出始めた頃合いである。ひととおりの飲食が済んでからは、リバーバレー(?)に興じるグループ、キャッチボールをする男女、駆け足を競う親子、縁台将棋にギターの弾き語り、はたまたジャグリングの練習に余念がない諸兄など、広場では実に様々な過ごし方が展開されている。その一方で、まだダラダラと飲み食いを続けている若者グループも結構いて、そのラフな格好からして、半ば日光浴を楽しみながら、の様である。バーベキュー向けに用意されている囲いなども予め据え付けられているのだが、道具類は概ね自前で持ち込まれている。コンロや網も本格志向なら、テントやテーブルも立派なもの。レジャーシート組は少数で、デッキチェアでくつろぐスタイルが主流になっている。こうなると、バーベキューの方も気合いが入ったもので、焼肉・焼野菜のみならず、シーフード系のグリルあり、焼き鳥あり、さらには自家製ハムを燻しているところまである。どこかの屋台村に迷い込んだような趣である。当然のことながら、飲食に供される容器類、排出される袋類や生ゴミの量も並々ならぬこととなる。それらは傍らで数多(あまた)見受けられ、行く末が案じられて仕方ない。この人数にかかれば、一部が散乱・漂流することになるのも大いに納得となる。

(参考情報→河川敷でのバーベキュー例

 「最近のバーベキューって、何か凄まじいですね」
 「勿論楽しんでやってるんでしょうけど、いかに本格的にやるかって方にエネルギーが注がれてる感じもします」
 調査なのかデートなのか、定かではないが、少なくともレジャーに来た訳ではないこの二人は、批評家然、かつ漫然と広場を散策するのであった。
 幸い、今この時間に片付けている皆々は、その分別については怪しい面も散見されるものの、自分が出したものはきちんと持ち帰る、という一点において極めて真っ当である。犯人探しをするつもりはないが、何かしらの因果関係がここにありそうな以上、もうちょっと調べを進めたい。捨てられそうな場所に先回りすることにした。
 この辺りには自然地も干潟もない。ただ傾斜のある護岸が川と陸を隔てるばかりである。その斜めの護岸にちょっとした間隙があると、ヨシならまだしも、セイタカアワダチソウなんかがヒョロヒョロと根を下ろし、草陰を作ったりする。さらにはアレチウリなる厄介な外来植物が陸地にちょっとでも蔓延(はびこ)ってたりすると、それも忽ち護岸に侵入してきて、セイタカと連係した日には、そりゃあもう。人目が届きにくい恰好の一隅を作り出してしまうのである。これは推論だが、不届き者は、そのセイタカを目印に、根元に袋入りのゴミなんかを放置する。高潮になれば、川の水が護岸を洗うなんてのは訳ないことなので、そのゴミ袋も容易(たやす)く流されていく。干潟に生ゴミ入りのレジ袋が漂着するのは、こういう図式によるのではないか、と。

(参考情報→アレチウリの脅威

 事実、この日はそんな草陰において、飲食の不始末と思しき袋入りのゴミが見つかった。ペットボトルと使い捨てカップの詰め合わせである。初めてゴミ箱干潟を目にした時の衝撃を思い起こしながら、デジカメで記録する千歳。その脇で櫻は、露骨に積み棄ててあった炭の塊を発見し、
 「自然に還るってことなのかも知れないけど、これじゃあんまりね。公然というか平然というか、私が捨てました、って開き直ってる感じ」
 「スミに置けないって、こういうことを言うんですよ」
 「隅田さんたら、やだワ」
 どこまでが洒落なのかわからないお二人さんであった。そんなダジャレを冷やかすように、川面からパシャパシャ音がする。覗き込んでみるとハゼの群泳である。時折、体を跳ねつかせるものの、その魚影は黒く、何ハゼだかは識別できない。これもひとまず撮影し、別途、掃部先生に鑑定してもらうことにした。紙燈籠の件もあるし、どこかで先生とお目にかからないといけない。メーリングリストに先生も入れられればいいのだが。
 護岸上にはさらに、花火の棒が散らかってたり、カセット式コンロのガス缶が転がってたり、漂着ではなく、明らかにその場に放置されたと思われるゴミが見つかった。これでまたプロセスの一端が把握できた、という点では喜ばしいものの、大いなる悲哀も感じてしまう千歳なのであった。ポイ捨ても積もり流されまた積もり、その結果があの干潟なのである。今日は櫻以上に憂いな表情になっていることは自分でもわかっている。だが、しかし...
 「あーあ、千さんがブルーになっちゃった。心はいつもサクラ色、じゃなかったの?」
 「え、あぁ、失礼しました。発生原因がこれで少しわかったんだけど、じゃどうすれば防げるかなぁ、ってね」
 「捨てるのも人、拾うのも人、って清さん言ってた。ひとまず拾える分だけでも拾いましょ」
 さすがはリーダー、用意のいいことに大きめのレジ袋を持ち合わせていた。いっそアレチウリも引っこ抜いて帰りたいところだが、今日のところはこの護岸で目に付くゴミを片付けるのみである。広場の一角にある水場でひと休みしているカラスが居る。よく見ると、何かの食べ残しを嘴(くちばし)に挟んでいる。片付け係はここにもいるぞ、と言わんばかり。少女が一人その威張ったカラスに向かって「やい」とか「おい」とか、挑発しているから可笑しい。
 「あの子、度胸あるわね」
 「カラスも全く動じないねぇ」
 「小梅嬢はカラスが怖くて干潟に近寄れなかったって前に言ってたけど、それが普通よね。ああいう勇ましい子が増えると、カラス減るかしら?」
 十五時になった。カラスにとってはおやつのつもりだったんだろう。

(参考情報→少女 vs カラス

 調査はこれで終了なのだが、デートの方はどうなんだろう。集めたゴミは千歳が持って帰るのはいいとしても、そのまま彼の宅へ、という訳にはまだいかない。お目にかかりたいとか言って誘い出しておきながら、ちゃんとプランを考えていなかった千歳君。管理するものではないけれど、こういうのもプロセスのうち、である。ちゃんと練っておかないと不可(いけ)ない。櫻はその辺を見透かしたように機転を働かせ、「私、初音さんとこ見て来ます。一応、店の外で待ってますね」ということになった。
 受験を控えていることもあり、初音は通常は十四時上がり。だが、この日は珍しく厨房設備を使ってパンケーキなどを作っていた。お客が少ないこともあるが、こういう店の使い方があってもいい。言わば店員特権である。
 「多く作り過ぎちゃったけど、ま、いっかぁ」と何セットか手にして厨房から出てくると、外から中の様子を窺う女性が目に留まる。「あ、櫻さん?」 櫻も気が付いたようで、手を振っている。姉という立場では同じ二人の対面である。こちらも四週間ぶりのこと。
 「初音さん、いないかなぁって、見てたんだ。よかったよかった」
 「今日はたまたま残ってたんスよ。もう帰ろかなって」
 「あら残念。あ、この間は伊勢名物、ありがとうございました」
 「いえいえ、本当はちゃんとお礼しないといけないのに、取って付けたみたいで。今日はお一人、ですか?」
 「いや、ある人と一緒だったんだけど、へへへ」
 ここで千歳が現れると、二人の関係がより公然となってしまうのだが、よく考えると、五月の回で初音にはしっかり認識されているのである。今更、どうこうでもあるまい。
 「隅田さん、でしょ。あ、そうそう、よければこれどうぞ」 セットの一つを取り出して、手渡す。
 「あら、パンケーキ。初音さん作ったの?」
 「私こういうの苦手なんスけど、お店で働いてるのに、手に職がつかないのももったいないな、と思って。ま、自由研究品です。添加物なし」
 「アツイうちにどーぞ!」とか言いながら、またしてもさっさと走って行ってしまった。袋くらいくれても良さそうだが、この店は原則、簡易包装である。「確かにホカホカね」
 初音とは対照的に、ノロノロと千歳が戻って来た。
 「どうしたんですか、その包み?」
 「ついさっき、初音嬢からもらったんですよ。ここに来た甲斐がありました」
 と言っても、これを持ち込んでお茶するのも気がひける。初音としてはここでどうぞ、ということだったのかも知れないが、作った本人がいないことにはちょっとねぇ。
 という訳で、店頭にあったフリーペーパーでもうひと包みして、センターに向かうことにした。カフェではなく、公的施設。やはりちょっと変わったデートである。

 休館日でもこうして施設を使えるというのは職員の特権である。邪魔が入らないようにと、櫻は中から施錠する。どうやら千歳に対しては、不信も何もないようだ。むしろ「これで二人きり、フフ」てな具合である。小悪魔復活、か。
 パンケーキを皿に載せ替え、冷蔵庫にキープしておいたアイスコーヒーを注ぐ。櫻にとってはちょっといい時間である。プラン不十分の千歳だったが、ここに来るのは想定内だったようで、ドギマギするでもなく、割と飄々としている。八広がお世話になっている情報コーナーを周回し、気になるCSRレポートをパラパラ繰ったり、勝手知ったる何とやら、である。櫻としては、センターを完全に私用で使うのもどうかと思い、打合せするような感じで、話を進めることを思いついた。光熱費に見合うだけの成果が得られればいい。
 「それじゃチーフに倣って、議題を書き出すとしますか」 櫻は話したいことが多々あるところ、それらを整理するように、ホワイトボードに書き並べていく。
 かくして、①これまでのクリーンアップデータの整理、②十月の定例クリーンアップに向けて、③メーリングリストの活用法、④その他... というのが挙がった。
 「他にございますか?」
 「あ、掃部先生との連絡のとり方、ってのお願いします」
 「まだありませんこと?」
 「櫻さんに聞きたいことがあるんですが、ひととおり終わってから、ですね」
 デート中の会話に議題も何もあったものではないのだが、これがこの二人の流儀。地域や環境に向ける視点が揃っている以上、こうした話題が何より楽しいようである。さて①の件だが、五月から八月まで、自由研究デーの分も含めると、これまでにすでに五回分のゴミデータが蓄積されている。清書したデータカードもあるが、途中からメールでデータが届くようになったので、今は表計算のファイルに全データが収めてある。横に集計すればすぐにでもこれまでの累計と総合順位が出せるのだが、「そのうちクイズを兼ねてメーリングリストに流そうと思って」なんだそうな。データカードに関しては発起人は櫻なので、ここはお任せ。楽しみに待つとしよう。
 次に②である。七夕デートの際、少々話題には上ったが、検討するのは今日が初めて。荒川での一斉クリーンアップの要領に合わせつつも、干潟特有の注意事項もあるだろうから、それをまとめてみてメーリングリストで協議しよう、ということがまず決まる。あとは一般参加者を募るかどうかだが、モノログの掲示板機能が有用である以上、それを使うのが妥当だろう、と相成った。逆を言うと、広く呼びかけることはしないが、モノログを見た人に限っては参加も可能、という募集形態に、ということである。なかなかの妙案である。「当日その場でボランティア保険の手続きしようとすると何かと大変だから、参加希望者には予め最寄の社会福祉協議会とかで加入してもらうように呼びかけましょう」 そんな話も含めて、これもメーリングリストに付されることに。

(参考情報→ボランティア保険は事前に

 ③については、①と②で十分に活用されそうな気はするが、櫻の意図としては「お互いまだ知らないこともあるだろうから、自己紹介し合うのもいいし、あとは連絡網機能として、流域とかで何か異変があったら知らせ合うとか、ね」 コーディネートに長ける櫻ならではの発案である。パンケーキはなかなか美味だったようで、二人ともペロリと平らげていたが、食べ終えたことを失念するくらいテンポ良く話し合っている。「あれ、いつの間に食べちゃったんだろ?」 実際のデートシーンでもこういうことはありがちか。

 「メーリングリスト参加者で、面識がない可能性があるのは、宝木氏と桑川さん・小松さんの組み合わせ、ですかね。彼はセンターには何度か顔出してるでしょうから、矢ノ倉さんとは面識ありますよね?」
 「あの、意外かも知れないけど、蒼葉と小松さんもお互い面識ないですよ」
 「さすがはリーダー。確かに自己紹介、必要ですね。そういや、業平も初対面の人いるかも知れない」
 めでたく開設の運びとなったメーリングリスト(higata@~)は、参加者の名前を記した案内と簡単なルールをセットにしたものを千歳がまず流したのに続き、八広から早々にモノログネタとしてこういうのはどうだ、というのが軽く流れ、さらに櫻からはご挨拶方々、センターの夏休み入り前日の来客記録と同休業案内が出され、といったところ。出足としてはまあまあだったのだが、お盆休みを挟んだこともあり、その後は早くも小休止状態になっていた。メーリングリスト管理人として、ここはテコ入れが必要との認識は持っている。一つ業平に自己紹介を振って、再点火させるとするか。
 「じゃ私は小松さんに水向けてみる」
 彼女からのメーリングリスト第一報が発信されるのに先んじてのひと振り。先手を打てば、手強い文面が来るのを少しは予防できるのではないか、という読みである。櫻も十分手強い。
 二人して、二杯目のアイスコーヒーを飲み終える。あとはその他の議題。ここまで来れば、フリーディスカッションでも良さそうな気がするが、「掃部先生、月に一度はここにいらっしゃいます。何か渡すものとかあれば、お預かりしますけど」と一応、追加議題に沿った話をしている。「メーリングリストを通じてチーフに聞いてみて、先生が来る日時がハッキリしたら、皆にも集まってもらいますか、ね」 higata@、なかなか使い勝手が良さそうである。
 業務連絡を兼ねた打合せはここまで。時間にして一時間弱。メールのやりとりだけでは埋まらないものである。ここで千歳はいつものようにバッグをゴソゴソやり出すと、
 「この場で演奏できないけど、お約束の自作曲、持って来ましたよ」
 「エ? メモリカードに」
 「対応するプレーヤーとかメモリオーディオがないと聴けないですよね。じゃ」
 円卓上のPCのスロットに挿し込んでみる。ここから聴けなくもないのだが、
 「データをアップロードしとくんで、このURLを打ってダウンロードしてみてください。ご自宅でじっくり、ね」
 とりあえず二曲分だそうな。ギターでアウトラインを作ってから、PCでリズムやらベースやらを打ち込んで、そこに再度ギターをかぶせ、あとはおまけの音色をPC音源でもって加えていったんだとか。キーボードで作った曲もあるのだが、あえてギター曲にした。メロディーラインは櫻に託そう、ということらしい。鍵盤で電子的に採譜して、そのデータを業平に渡すと、また違った楽曲になるとも言う。
 「で、タイトルは?」
 「ボーカルを入れられるように作ってはあるんですが、詞がないことにはタイトルも付けられないし。櫻さんのいつもの鋭い感性で付けてください」
 「了解です。ピアノで音を拾ううちに思いつく、かな」
 休業中はピアノの練習に励んでいたこと、だがあまりの暑さに今度こそバテ気味だったこと、といった話、国際イルカ年だというのに、迷いイルカが助けられなかったのはどうしたことだ、とか、ペルセウス座という割には思いも寄らない場所に流星が出てくるので、ろくに願い事ができなかったとか、話題は尽きない。まだまだ日は長い。彼と彼女の時間はゆっくり流れて行く。
 「千歳さん、聞きたいことがあるって、何ですか?」
 「あの、『咲く・ラヴ』って、何か特別な意味がおありなんでしょうか? ずっと気になってて」
 ひと呼吸おいてから、櫻はニヤリ。よくぞ聞いてくれました、とでも言いたげな風である。
 「そんな、わかってるくせにぃ。櫻さんて人がいて、誰かさんに想いを寄せてる訳ですよ。それをちょっとひねっただけ。原題はあくまで『さくらブログ』」
 「モノログからもリンク張っていいですか?」
 「だって、今日のバーベキュー場の件、千歳さん載せるでしょ。私もちょっと書こうかなって思ってるんで、ねぇ...」と俯き加減。だが、すぐに顔を上げると、「リンク張って、見る人が見たら『あ、この二人』ってなっちゃいますよ。私は構いませんけどね。エヘヘ」とのこと。これで晴れて相互リンク、となりそうだ。

 蒼葉には遠慮は要らない。だが、食事当番は守りたい。櫻の表情に憂いが浮かんできた。離れがたい旧七夕の織姫と彦星に容赦なく夕暮れが迫る。そして帰りを急かすように遠雷が響く。図書館はすでに閉館時間を過ぎ、暗くなっている。
 櫻に交際相手がいないことは先だっての蒼葉とのやりとりでわかっていた。だが、それを本人に聞いて確かめるほど野暮なことはない。千歳はドキドキしながらも、自転車を動かす。今日のところはここまで、か。
 櫻が彼を引き止めたのは、その時である。
 「ち、千歳さん、私も聞きたいことが、あります」
 次の瞬間、剛速球を投げ込んできた。南実を凌ぐ勢いである。
 「おつきあいしてる人っているんですか?」
 ちょっと考えて、彼は答える。
 「えぇ、いますよ」
 「エ、うそ?」
 「ここに、ね」
 櫻は俄かに信じられない様子だったが、
 「もう、意地悪ぅ。う、う...」
 泣き顔になってしまった。眼鏡越しだが、目が潤んでいるのがわかる。千歳は再び蒼葉の言葉を思い出す。泣き出しちゃうかも、とはこのことだったのか。櫻は眼鏡を外しかけたが、すぐ手を止めた。
 「今度はいつ逢えますか?」
 「九月二日じゃ、また先になっちゃいますね」
 「本気で泣いちゃいますよ」
 「近々、紙燈籠持って来ますから、その時、また」
 櫻はブレーキをかけるのを止めていた。日中の暑さは和らいでいたが、彼女は逆に熱くなっている。
 「じゃ、明後日! 千歳さん来るまで待ってます」
 「わかりました。櫻姫」
 姫はドキドキが収まらない。このままだと本当に彼に飛びつきそうだったが、意地悪な彼は自転車に跨り、走り出してしまった。
 「あぁ、ドキドキした。どうなるかと思った」
 どうやら彼にも事情があったらしい。櫻のあふれる想いへの処し方がわからなくなっていたのである。
 セミは鳴いているらしかったが、二人には届いていなかった。櫻も今頃になって気付く。
 「あーぁ、何か切ない。これで蜩(ひぐらし)だったら、もっと切なくなりそう」 櫻の方もノロノロと走り始める。こらえていた涙が線になって頬を伝う。心地良い涙である。七夕の日、ヨシに吊るしたもう一枚の短冊に込めた願い... 今夕、それが叶った、そんな気がした。佳(よ)き哉(かな)、である。