2007年9月4日火曜日

01. 河原桜と干潟と

三月の巻

 暖冬とは言っても花粉は飛ぶ。花粉が飛べば出かけるのも億劫になる。だが、その暖かさ加減が奏功したか、スギ花粉のピークが早まったようで、三月も半ばを過ぎたあたりから、幾分楽になった観あり。加えて近所の河川敷の桜の便りもチラホラで、外出解禁と桜開花が重なれば、出かけない手はあるまい。時は三月の二十五日。千歳は春の晴天に誘われるようにいそいそと河川敷へと足を運んだ。
 徒歩で十分も歩けば、その河原桜にお目にかかれるものの、今回のように条件がそろわないと足が向かない。花盛りの頃に、スギの粉が飄々と舞っていては、花見どころではないからである。まだほころび出したばかりの木々もあるが、パッと見た限りでは、桜色が目映いまでになっている。すでに花見客の姿もあって、心持ち開放的な気分に浸ってみる。用心のため、マスク越しではあるが、仄(ほの)かな桜の香りを楽しみつつ、旬の花色をしばし楽しんだ。わざわざ遠くに出かけなくても、ささやかながら近場で花見ができる、これもまたありがたいことである。
 荒川にはこうした桜並木がいくつかあるが、この土手上の桜は本数も手頃で、見晴らしもいい。桜の季節でなくても、日頃から訪れる人が多いのは、堤防からの眺めの良さも手伝っているようだ。花粉の季節が去り、桜が新緑に変わる頃には、千歳も時折、散策に来たりする。川辺でくつろぐ人は見慣れてはいる訳だが、花見客に出くわすのは実に久しぶりのような気がする。
 堤防から川の間の土地はそれなりに広くて、野球グランドもある。少年野球チームが試合をしているので、何気なく観戦していたら、特大ファウルボールが荒川方向に飛んで行く。一塁手が球を追って行ったのだが、ヨシの間に紛れてしまったか、程なく引き返してきた。他の観客もあまり関心がないようで、そのまま試合が進む。マスク姿で怪しまれる可能性は否めないが、この季節に外出しても平気であることに気を良くしている分、気付いたら川の方へ歩いていた。グランドを遠巻きにしながら、ヨシの間の細道を進む。すると他にも硬球やらテニスボールやら... 遠くからだとわからないものだが、こうして足を踏み入れてみると思わぬ発見があるものである。果たして、先の大ファウルボールかどうかはいざ知らず、その辺に転がっている一球・二球を人知れず外野方向に放って知らん顔を決め込んでみる千歳であった。
 ボールが出てきて驚いたのではなく、今度はホームランでも出たんだろう。俄かに歓声が上がるや、川の方では何らかの船がザァーという音とともに通り過ぎて行く。程なく、これまた思いがけず、波が打ち寄せる音が、先のザァーとはまた違う響きで届いてきた。川に波?と不思議に思った彼は細道をさらに分け入って、水際に逢着した。そこは確かに波打ち際で船尾からの波紋がまだ余韻を残し、チャプチャプ音を立てている。恰(あたか)も小さな浜辺のようになっていて、砂と波だけを見ていると海辺を想起させるような場所。水辺はちょっとしたカーブを呈していて、その湾曲は入り江の如く、上流からの砂が堆積するに都合よい様である。河口のみならず、こんな遡った界隈にも干潟ができるのだろうか。
 これでヨシを背景に、白砂が広がるような具合ならちょっとした人気スポットになる可能性はあるが、そうはならない厳然たる理由があった。波よりも干潟よりも千歳を驚愕させたのは、押し寄せ散らばるゴミの数々。ちょうど水位も低めで、降りてみても大丈夫そうだったので、高さ一メートルほどだが、岸から干潟へそろりとそろりと歩を進め、着地。所在無さげな砂地の感触が足裏から伝わる。砂が凹んで足をとられることはどうやらなさそうだ。降りてみてヨシの群生を見上げると、その高さにまず驚かされる。だが、目線を戻し、ヨシの根元を見遣れば、根を蝕む勢いのプラスチック系包装などのゴミ。その多さ、その絡みつく執念にはさらなら驚嘆を覚える。ジャーナリスト志向はないけれど、今はちょっとした物書きとしての自覚は出てきた千歳にとって、この目の前に広がる事実は、少なからず心揺さぶるインパクトがあった。季節的にはまだ早いはずだが、最近の温暖さ加減に心躍らされたか、バーベキューに興じた一行がいた模様。まさかこの干潟地で展開することはないだろうから、ここよりも上流の水際などでワイワイやったのだろう。干潟を覆うのは、紙皿、紙コップ、串に割り箸、肉類のトレイ、卵のパック、野菜屑、調味料の空き瓶、使い捨て食器ばかりではなかったようで、何を洗ったのか詰め替え洗剤の袋、当然のことながら、ビール類の空き缶、そしてカセットコンロ用のガスボンベなどなど。こうした出たての投棄品に加え、これまでの漂着ゴミのいろいろが渾然となって、まるでゴミの見本市のような有様である。袋類がやたら目に付くが、「百均」系の日用品もチラホラ。

(参考情報→2007.3.20の漂着ゴミ

 そんなマーケットの中に、有り得ない一品が紛れていた。掘り出し物が見つかるのはフリーマーケットでは常識的だが、ここのはまた趣が異なる正に「掘り出し」である。まさかキャッシュカードを拾得することになろうとは! ICチップ付きなので、決して古い代物ではあるまい。ただ、自慢のICチップも川の水に浸ってしまっては、もう用を為さないだろう。口座番号もわかるし、落とし主の名前も明瞭。これは届け出た方がいいだろう。裏面を見ると「拾得された方はお近くの窓口へ」云々とある。ゴミの件は、また次の週末にでも、と気持ちを切り替え、この一枚を手に引き揚げることにした。気付いたら、何となく水位も上がってきている。この水位の変化にもまた意表を衝かれたところはあるが、あまり気にしていられない。再び陸に上がり、細道を戻る。すでに野球は終わっていて、花見客も閑散となっていた。日脚が伸びたとは云え、午後四時を回ればこんなものだろう。心なしか気温も下がってきたようだ。歩を早めつつも、カードを見遣る。「センジュ サクラ」さん、て何とも風流なお名前で... 桜の季節だけに、奇遇、いや何かのお導きのようにすら感じる。

 月曜日は定休日。朝から早速、その都市銀行の最寄りの支店に向かうことにした。気が急いたか、開店時間よりも前に着いてしまったが、そこは千歳君。通常の客とは立場が違うことから来る言い知れぬ余裕を愉しんでみるのであった。月末、いや年度末、しかも週明けと来れば、早めに来る客人も増える。シャッターが開くや、各人一斉にスタート、と相成った。番号カード発券機に並ぶ必要もなく、余裕綽々の彼は、係員に一言。「カードを拾得したのですが...」 初老の係員は、印籠を示され平伏する衆人が如き低頭ぶりで、「どうぞこちらへ」と奥の窓口へご案内。ちょっとした優越感を得るも、それも束の間。肝心の窓口の行員は、開店したてで机上整理中。不機嫌そうだ。座りかけて、ちょっと腰が引けたところで、カード拾得者とわかるや、態度豹変。にこやかに席を勧められ、ひと息。端末で落とし主を照合し始めた。紛失届は出ていたようだが、緊迫感はあまりなく、落としてからしばらく時間が経っていたようだった。これが拾得物であるための証明というのは特にないから、いくらでも疑われそうなものだが、それもなく、淡々と拾得日時と場所などを話した程度で済んでしまった。もっともこの時点ではまだゴミ拾いをするには至っていないから、単に水辺を通りがかって、としか言えず、場所は非日常的ながら、きっかけとしては平凡な点が千歳としては物足りなさを覚えていた。「よければご連絡先を」というのでふと我に返る。個人情報がどうの、と野暮なことを言うつもりもないし、悪いことをしている訳ではないので、きちんと書き記すことにした。聞き書きだと面倒なので、自書する。待てよ。ここで名前と電話番号だけだと、先方から電話を頂戴するのはいいとして、こちらがそのサクラさんの連絡先を残す術がないではないか。疑う訳ではないが、個人情報を悪用されるのも嫌だから、Eメールアドレスを記すことにして、先方からはメールをいただくことにしよう。fromアドレスがわかればお互い様、情報公開の担保になるだろう、などと咄嗟に思いついたのである。「今、ケータイを替えるところでして...」 番号ポータビリティを使えば、別に番号がわからなくなることはないのだが、携帯電話を所持するのを止めた千歳にとっては、苦し紛れの言い訳とともに、アドレスを託した。
 キョトンとしていた行員は、何かを思い出したように「よければこちらを」と紙袋を差し出す。いわゆる粗品と呼ばれるものだが、小市民な千歳は嬉しそう。新しく口座開設する時よりもよほど豪華である。一礼して店を出て、袋の中味を一瞥。ポケットティッシュ、メモ帳が複数、加えて携帯ストラップ。ケータイを持ってても持ってなくても、自動的に進呈されてしまう訳か。苦笑しつつも、ちょっとした幸福感に浸る彼の足取りは軽く、商店街に出たついでに、いつもより少々贅沢な朝食でも、とプランを立てるのだった。

 自称「ライター」、と云っても、それだけでは心許ないので、より実働的にwebデザインなども手がける千歳のPCには、仕事柄、いろいろなEメールが飛び込んでくる。自分でドメインを持っている都合上、迷惑メールをブロックするのもメールサーバ上でやってのける。それでもあまり過度にブロックしてしまうとオファーを逃すことにもなりかねないので、匙加減が悩ましい。という訳で程々に規制しているのだが、火曜日の夕方になって、件名「ありがとうございました」、差出人「千住 ●」(●はなぜか文字化け)さんからの一通が届く。「あっ!」
 何らかの文字化けがあるとはじいたりするのだが、このメールはしかと届いた。本文の末尾には、確かに「千住 櫻」とある。キャッシュカードの落とし主さんからである。銀行から連絡が行って、こうしたメールが届くのに一日半。電話だったら、その日のうちだったかも知れないが、行き違いになるよりは確実だ。はやる気持ちを抑えつつ、本文に目を通す。銀行から連絡を受け、ひと安心したこと。拾得された方のメールアドレスを教えてもらったこと。アドレスはこれでよろしい?という念押し。そして、拾われた時の状況を聞きたい、といった内容で、末筆には御礼が遅くなったことと、「略儀ながら、Eメールにて取り急ぎの御礼まで」との一言。メール自体は簡潔ながら実に丁重な一通を頂戴したものである。いやはや。
 こんなしっかりしてそうな人が何でまたキャッシュカードを、しかも川に流してしまうような状態で紛失してしまったのか... 何かかき立てられるものを感じた彼は、気ぜわしくも言葉を選ぶように一文一文、書き並べていく。仕事が一段落したようなしていないような夕刻ではあったが、柄にもなくこの櫻さんへの返信を優先していたのである。
 「ご丁寧なメール、こちらも恐縮」「実害は出ていないようで何より」といった感じでまずは切り出す。次に状況説明だが、よせばいいのに地図情報サイトのURLを引用しつつ、この十字あたりに「干潟」があって斯く斯く然々(しかじか)、と毎度のことながら長文に。物書きってのは長く書けばいい訳ではないのは重々承知しているはずなのだが、どうも気が収まらないらしい。落とした理由を尋ねたいのはヤマヤマだったが、ここはグッとこらえて、その代わりにちょっとした提案を試みた。この有様は放っておけないので、ひとまず試験的にゴミ拾いをしようと考えている旨、書き加え、「四月一日(日) 午前十時」に、と勢いで日時を設定してしまった。天候次第、ではあるが、まぁ何かあればメールで連絡できるだろう、と深く考えないままにメールを返信。気付いたらすっかり暗くなっていた。

 その後、櫻からの返事は特になく、「ちと書き過ぎ?」と自問する千歳だったが、かつて買いためた炭酸カルシウム入りの四十五リットル袋を引っ張り出したり、ヨレヨレになっていた長靴を探し当てたりと余念がない。あとは軍手か、などと仕事の合間に淡々と準備を進めるのであった。収集したゴミは、マンションの集積所に出せば済むだろう、という計略。可燃と不燃に分ければ文句もあるまい。でもどうやって運ぶんだろう?


四月の巻

 四月一日は、年度始めで緊張感高まる特別な日だが、ウソをついてもいい日、ということになっている。緊張感を和らげる配慮なのだろうか。よくできたものである。年度の初めも終わりも特にない生活になじんでしまうと、四月一日だからどうこう、というのはなく、単に何かを始めるには打ってつけ、という程度の心積もりだった。
 スギ花粉はだいぶ収まったようで、マスクなしでもいけそうだ。ただゴミ拾いの最中に思わぬ異臭と遭遇する可能性もあるだろうから一応、小袋に入れて持って行く。「備えあれば何とやら」が信条の千歳だが、この日ばかりはあれもこれも、という訳にはいかないのは先週図らずも「下見」したことによってわかっているので、珍しく必要最低限で臨むことにした。貴重品は携行せず、四十五リットル袋一組(五枚入り)、軍手、タオル、マスク、それにデジカメ(仕事柄)、これらを何かの環境イベントでもらった肩掛けバッグに入れ込んで出発。長靴は見送った。時刻は九時四十五分。天候は晴れ。午前中の降水確率は十%。風速二メートル。まずまずである。
 河原桜は満開を過ぎた頃合で、水際の方にも花弁がチラホラ舞ってくる。風雅な午前十時、といきたいところだが、たどり着いたその先は、先週と相も変らぬゴミ箱干潟。心なしか量が増えていると感じるのは、花見系と思しき、すなわち、コンビニ弁当やら飲料用ペットボトルが加わっているためか。人工物に目をとられて、あまり意識していなかったが、枯れたヨシの枝も溜まるところには溜まっていて、さらに袋やら破片類と絡まって、見るからに収拾つかない。のっけから収集意欲が萎えてしまう彼だったが、まずは用意したゴミ袋の一つを取り出し、不燃と思われるゴミから手を付け始める。辺りを殺風景たらしめているのは、袋類が主因か。これが減ればパッと見は良くなるかも知れない。という訳で、一点集中で片端から袋を拾い始めるのであった。今日は野球の試合もないし、船が通る時間帯でもないようで、遠く鉄橋を渡る列車の通過音が耳に入る程度。別に気が散ると分別を間違えるとか、そんな心配は無用なのだが、この静けさはゴミ拾いには打ってつけかも知れない。大小、種類を問わず、黙々と袋を拾い集める。砂まじりのレジ袋をつまみ上げ、ヤレヤレと息をついたその時、「あわわ...」「!?」 振り返ると、いかにもゴミ拾いスタイルの女性が段差を降りようとして、バランスを崩しかけていた。着地して一言、
 「隅田さんですよね?」
 「あ、もしや千住さん?」
 「はい!」 桜とともに、ではなかったが、ともかく季節柄ピッタリの櫻さんが現れた。十時十分を回ったところだが、確約ではない話だけに、これは十分定刻レベルだろう。妙なところに感心する千歳。そして、何の違和感もなく当たり前のように当地にやって来た櫻。メールの印象では楚々とした感じを想像していたが、そんな要素に何となく茶目っ気が加わり、でもゴミ箱を前にして、動じることがない。櫻さんていったい?