2008年10月28日火曜日

73. 外湾へ


 二十四日、雨女さん不在にしてはあまり天気が宜しくない。
ふ「房総方面は天気悪くなさそうだから。あとはハレ女さんに期待しましょ」
ひ「ハレ女? あぁ、櫻さんね。こないだの探検の時も上天気だったもンね」
 秋葉原駅中央改札口を一旦出たはいいものの、外をブラブラするには条件厳しい春の日。再び五人そろって有人改札を通り、中でおとなしく二人を待つことにした。
 すでに小学校を卒業した六月だが、まだこども料金が適用されなくはない。しかしながら、18きっぷを使う以上、一人だけ半額という訳には行かないので、大人の仲間入りし、同一行程で動くことになる。最年少にして引率者。その行程は彼の手中にある。目的地までのこども往復運賃だと、18きっぷの一人あたり金額を下回ってしまうので、それ以上に動くルートを組み込めばいい。あまりに悪天候だと運転見合わせになってしまう路線なんかも含まれるが、パターンはいくつか設定済み。それでも晴れてくれた方がいいことには変わりない。
 「あっ、来た来た」
 「そういう時はキター!だよ」
 「何? 六月クン、ヲタクだったの?」
 「それを言うなら、電車男。ここアキバだし」
 「じゃ小梅は...」
 エル(HER)と言いかけて「エヘヘ」になってしまうのであった。顔合わせもそこそこに、エレベーターで六番線に向かう七人。ここから錦糸町へ、そして総武快速でひたすら木更津をめざす。

ふ「さてさて、業平さんは来るのかしら?」
ち「昨日のおつかれが残ってなければ、現われるとは思いますが...」
さ「文花さん、ケータイ、あ、車内じゃダメか」
 前方車両のクロスシートに首尾よく座を占めた七人である。仕事柄、今回テーマの一つ、工場への同行を希望していた業平のこと、現われないことはあるまい。席はただその人物が来るのを待ち侘びている。
 荒川を越え、江戸川を過ぎ、なおも席は空いたまま。天気が冴えないせいか、口数が少ない初音だったが、おもむろにケータイを取り出すと、
 「メール送ってみましょうか?」
 「そっか、その手があった」
 使い込んでいる訳ではないが、扱えないこともない。ただ余計なやりとりを増やしたくないだけ。そう、業平は誰かさんに譲ったことになっているからだ。櫻も千歳も白々としているが、文花は知らん顔。初音が器用に操作するのを感心しながら見ている。
 八人目の人物は、船橋を発車したところでようやく姿を見せた。
 「いやぁ、一本前の千葉行きに乗っちゃったもんだから。失礼しやした」
 「君津行きって言ったのに」
 「フライングだったら、まだいいっしょ?」
 「お姉ちゃんに報告しとく」
 「う...」
 姉が居ない時は弟の出番。しっかりダメ出しを実行している。弟どうしという点では息は合いそうだが、立場はどうも逆のようだ。ちなみにその姉君は言うと、
 「ま、晴れの席だから、バタバタ駆け込ませるのも悪いし」
 「そっか、蒼葉さんと弥生さん、おそろいで謝恩会...」
 「初姉もいずれはネ」
 「ちゃんと卒業しないと、ですよね」
 こちらは姉どうしのやりとり。何年前のことかは語らないが、かつて謝恩会に出たどうしの二人も昔の話で盛り上がっている模様。と、残る組み合わせはこうなる。
 「で、千兄さん、こないだのメールのことだけど...」
 「あ、その話、あとで三人でしよう」
 「贈る相手とは相談しなくていいの?」
 「やっぱり、そう、なのかな?」
 「小梅はその方がうれしい」
 いつものように頭が上がらないモードだが、口ぶりが優しげなのがいつもとはちょっと違う。
 「わかりました。姉御」
 「櫻さんが好きになるのわかる、な」
 「え?」
 幕張近辺は直線コース。快速列車は速度を上げる。その疾走音の高まりとともに会話は途切れた。
 機内持ち込みOKサイズのスーツケースが二つ。エアポート快速ならこれはごく当たり前の荷物だが、この列車の行き先は空港に非ず。持ち主が誤って空港に行ってしまう方が心配な位である。お喋り好きな方々には直通列車が望ましい。千葉を過ぎればひと安心である。

 十時四十五分、蘇我に到着。誰かさんと違い、この女性はちゃんと指定通り乗り込んできた。
 「あっ、南実さん!」
 初音がいち早く見つけ、一同も追随。いつになく晴れやかな登場に男性三氏はクラっと来ている。決して発車直後の揺れがそうさせた訳ではない。

 クロスシート席には空きが目立ってきた。スーツケースも通路に置かれるよりは持ち主の膝元がいいだろうし、自分が退けば、席替えも始まるだろう。六月は気を利かせてか早速移動開始。
 「あ、オイラ車窓眺めてるから」
 「じゃついでに男衆は別席へ。ね、千ちゃん」
 「あ、そう?」
 通路を挟んで斜め向かいだった文花と業平。話ができない位置合いではなかったが、お互い何となく距離を置いていて、これといった会話もないまま、この調子。小梅の紅一点席だったクロスシートに今は初音が移ってきて姉妹で横並び。スーツケースの侵入により、かえってゆとりがなくなってしまった手前、櫻は渋々ながらも嬉々として男衆席へ。南実は姉妹席に落ち着いた。

*参考:座席配置図(□は空席)
座席配置図(□は空席) 五井に着くと、六月はあるディーゼル列車に釘付け。姉妹はその鉄道名で盛り上がる。
 「へへ、小湊...」
 「親父はそれくらいでちょうどいいかもね」
 「そしたら小梅も? そりゃないんじゃん?」
 「じゃ逆に小、とっちゃう?」
 南実はえらくウケている。「ウメさんってことはないわね」
 にこやかな中にも一閃の翳? 心理面での気象もいい読みをしている初音のこと、これが何らかの予報につながったら大したものだが。
 養老川を越えるところで、皆々の目は川の流れ、干潟、そして漂着物に集まる。サギが飛んで行っても気付いたようなそうでないような。
 だからと言って無粋なツアー客だなどと言ってはいけない。黄色いのがパァっと広がればちゃんと反応はする。
 「菜の花、キレイね」
 「私には油の原料にしか見えなかったりして」
 「名前に花がつく割には華がないというか何というか...」
 やはり無粋だったりする若干一名であった。

 花に呼応するように、天気も良くなってきた。車両もゆったり、風景もゆったり。春の房総ツアーらしくて結構なのだが、どことなく居心地が良くない男女がいる。南実の件はまだ口外していない。当人とご一緒している分、余計に窮屈。ゆったりとは行かない千歳と櫻である。
 初音の視線が気になるも、時折虚ろな表情を見せる南実。小梅は察しているのかどうなのか、
 「ホラ、姉が先!って言ってるよ」
 「妹が先じゃ変でしょ。当たり前じゃん」
 「だから、駅名見てみ?」
 「あ...」
 姉をダシにこの通り。
 「石島姉妹、いいわぁ」
 えくぼが出れば大丈夫。一寸ホッとする小梅、そして初音である。

 バイパスと線路の間を流れる水路のような川は、おクサレ様が出てきそうな有様である。投げ込まれたと思しきバイクに陽射しが当たり、金属部分が反射する。
 「今日、もしかして暑くなる?」
 「その外湾の海に出てからじゃないと体感できないだろうけど、あったかい感じはするね」
 業平はその長袖をまくり始める。
 「これで日焼けしたら笑っちゃうけど」
 姉がいなけりゃ弟。今度はわざわざツッコミにいらした。
 「袖のウラを見せるなんて、さすがGoさんだね」
 「?」
 「次の停車駅は、ソデガウラー」
 アラサー三人、大笑い。
 「あのねぇ、駅名大喜利やってんじゃないんだからさぁ」
 「こういうのやると覚えやすいっしょ。お姉ちゃんも喜ぶよ」
 列車は小櫃(おびつ)川を渡る。すっかり行楽気分の皆々は今、ただ川の流れだけを見ていた。

 十一時十五分、目的地の一、木更津に着く。
 「本当なら皆で行ければいいんだろうけど...」
 「まぁ、この件に関しては永代先生と六月君がメインだから」
 「あとで六月クンから話聞くから、小梅も別に」
 「ま、その分、業平君にしっかり勉強してきてもらうということで」
 文花はすでに業平にスーツケースを託し、悠々としている。メンバーは決まった。その四人が向かうのは言わずもがな、前々から話していたペットボトルのフタ(またはキャップ)再生工場である。干潟で集めた分だけなら、ここまで大げさにはならなかったかも知れない。級友らの協力もあって、この通りスーツケース二つ分にまで増えてしまった、という次第。
 運搬効率を考えるなら、もっと持ち込んでもいい気はする。だが、数の多い少ないは二の次。文花の関心事は、その実用性や環境貢献度である。良さそうならセンターでも、と思っていて、その見極めに業平の目利きが欠かせないと踏んだ。三角形のコントロールも然りだが、人を操るのはもともとお上手。手玉に取っている訳ではない。双方の利に適うようにさりげなく仕向けてしまうところが流石なのである。
 四人を乗せたタクシーが去り、五人が残る。本日付の改札印を五つ押した18きっぷは小梅の手にあるため、この五人でどこかに行って戻ってくる、という手もあるが...。
 「とりあえず、十三時三十八分発に乗れるように、なんだけど、お昼の時間もとらなきゃいけないし」
 「駅弁もあるわよ、千歳さん」
 「そっか、そりゃいいね、でも何処に行くかにもよる...シスターズ、どう?」
 「何か、あれって? クルリって読むんスか?」
 「ハハ、クルクルくりくり...」
 「久留里線かぁ。時刻表で調べてみよっか」
 潮時を読むのが得意なだけに、時刻表も楽勝のようである。ここから先は南実が行程担当。
 「行くだけ行って戻ってくるってんでよければ。そのくるりクルクルまでは行けないけど、手前の駅までね。何があるかはお楽しみ」
 「フフ、ルフロン、どうしてるかなぁ」
 代わりにクシャミをしたのは千歳だった。
 「雨のち、だから平気かと思ったけど、やっぱりマスクしよ」
 「千兄さんのはね、サクラ花粉症だよ」
 「へ?」
 「なんてね。でも途中で早咲きをチラホラ見かけたんだ。だから...」
 「そう? 蕾が多かった気がしたけど」
 「ねぇ櫻姉、蕾と言えば?」
 「『チェリー・ブラッサム』♪」
 駅弁の話はどこへやら、南実と櫻ですっかり盛り上がっている。どんな形であれ花は花。マスクのおかげで会話には加わりにくくなっている千歳だが、華に囲まれていることに変わりはない。冴えないながらも羨ましいシチュエーションである。

 それぞれお昼を済ませ、木更津で再び合流。例のスーツケース、今は軽々としている。
 「じゃわたくしめはこれで。何なら二つとも持って帰りますけど」
 「ありがと、業平さん。総会の時でもいいし、ま、いつでも。で、いい? 堀之内」
 「矢ノ倉のとこに預けておいてもらえれば。助かります」
 「四月になったらセンターにお持ちします。兄貴も連れて」
 「まぁ...」
 八人は下り列車で南へ向かい、その数分後、空港帰りではない旅行客が上り列車で千葉へと向かう。

 「へぇ、久留里線乗ったんだ。いいなぁ」
 「駅弁はその馬来田(まくた)駅で」
 「食った食った、てか」
 「そ、駅弁はやっぱ駅で食べなきゃね」
 二人の卒業生のやりとりを聞きながら、永代は楽しげ。だが、
 「オイラとしては、あれを届けてやっと卒業できた感じかな」
 「よかったね、六月クン」
 「これも先生のおかげ。ありがとうございました」
 「ン? いえいえ、こちらこそ」
 とか言いながら、ジーンとなってしまう。
 「あーぁ、また先生泣かしちゃって」
 さすがの六月もこれにはあたふた。だが、トンネルをいくつか抜けるうちに永代の涙は乾いていた。
 「で、フタって結局どうなっちゃうの?」
 「何かね、ボードにしてた。再生品とは思えないような立派なヤツ」
 「へぇ...」

 社会科見学のような話が交わされている隣りでは、
 「ハハ、千歳駅があるぅ」
 「行ってみる?」
 見慣れない路線図を見ていれば、それだけでちょっとした郷土学習になる。
 「房総半島一周とか、またの機会かな。今日は南実さんと帰りに、ね、話したいことあるから...」
 「櫻姉...」

 いつしか単線区間を走っていて、景色も緑が目立ってくる。海の近くを走っている筈なのだが、
は「富津岬は西南に四・五km」
こ「海水浴場は四kmかぁ」
 青堀で下車すると、ちと大変。若いとは言っても、この距離を歩くのは覚悟が要る。より海に近づくため、一行が選んだのは次の駅だった。
ふ「さ、皆さん着きましたよ」
 十四時六分、目的地の二、大貫に降り立つ。
ち「で、上りも下りもだいたい五十分後ですね。あんまり余裕ないですが、今日はとにかく視察するだけなんで」
さ「拾わないし?」
ち「サンプルは持ち帰るつもりだけど」
 時間は限られている。何せ一時間に一本ペースで、次を逃すと十六時台。18きっぷを使いこなすためにも何としても戻ってこなければ。
 こういう時に限って、然るべき現地案内がなかったりするのはどう考えればいいのやら。事前確認を怠ったツケと言われればそれまでだが...。
 「はいはい、これでOK?」
 「文花さん、さすが!」
 ケータイで地図情報を出してもらうも、あぁだこうだの珍道中。片道十分強、少々迷うが何とかたどり着く。

 「おぉ、海だぁ」
 「といっても、東京湾」
 櫻に揚げ足をとられた恰好の千歳だが、微動だにせずその煌きを見つめている。光放つ波は八人を迎え入れるかのように優しく、眩い。
 浜辺と道路の間には結構な段差があるが、十代の三人は難なく降下して早々と駆け出す。遠くの波打ち際ではウミネコの群れが羽を休めているが、全くあわてる素振りはない。静かである。
ふ「パッと見はね、beautifulなんだけど...」
ひ「風が飛ばしちゃった後、とか?」
み「まぁ、とにかく近くに行ってみましょう」
 低気圧が去った後ゆえ、まだ風が残る。体感温度的には肌寒い感じ。ひと足早く浜入りした櫻と千歳は、ここへ来てやっとモードチェンジする。
 「城南島、思い出すなぁ」
 「今日はあいにく二人きり、じゃないけど」
 「あら、私は別に皆がいても平気だけど?」
 波打ちの線に合わせて様々な漂着物が転がっているのは城南島と同じ。違うのは砕けた貝殻が多いこと。足を取られるような目立ったものはないのだが、彼氏はよろめく。

 「大姉御、今の気温は?」
 「だから六月君、その呼び方さぁ」
 何となくふてくされているが、満更でもない。
 「ン? あぁ、小梅とお姉ちゃんの年令のちょうど間くらい」
 まだまだお若い大姉御、である。
こ「ちょっと寒い?って感じるくらいかな」
む「ま、動けば平気っしょ」
 若人が率先して動き出したので、大人もあわてて同調する。よろけている場合ではない。
 ガラス片や燃え殻が散在しているのは即ち、その場で投棄・焼却されるケースが多いことを物語る。だが、それは岸壁寄りの話。波打ちとテトラポッドの間、そしてそのテトラポッドの内側には、正に海ならではの漂着ゴミが見受けられる。近づかないとわからないのは、川辺も海辺も同じである。
 「川から流れてくる、というよりも外洋から? どっちだろ?」
 南実研究員は図りかねている。とにかく集めるだけ集め、調べるだけ調べるに限る。が、時すでに十四時半。
さ「ペットボトル、プラスチック系、容器包装類... 川と変わらない気もするけど」
ふ「ロープと、あとフロートね。これは干潟、いやポケビじゃ見ないでしょ?」
む「硬いプラスチック片が多いのも特徴?」
み「そうね。でも発生源は内陸だと思うな」
ち「今の六さんなら、何の製品とか、材質とかわかるんじゃ?」
む「包装類なら分別できるかも知れないけど...」
 この間、初音はDUOを使って概数を入力している。その傍らで永代先生は、
 「それにしても、またフタがいっぱい出てきたことで」
 とお手上げの態。だが、生徒は手を上げない。
 「また持ってく?」
 小梅は現地調達したレジ袋に放り込み始めた。
 「今日のところは途中で廃棄かな」
 「空き缶入れみたいに、専用の回収箱があればいいのにね」
 以前にも誰かが言っていた。アフターケアとはこのことだろう。

 千歳は時計を気にしつつも、いつものスクープ撮影に入る。
 「発泡系の大きいのはさっき撮ったし、あとは...」
 ウレタン片、長靴、特大の洗剤ボトルと続く。せっかくなので、海辺ならではの貝、アーティスト嬢が喜びそうな棒切れなど自然物も。海外漂着物が出てくれば、特ダネ級だったが、残念ながらゼロ。漂着ライターが収集できたのがお慰みである。
 埋没物までは手が回らなかったが、さすがにこれは見逃せまい。
 「ここって管轄?」
 「さぁ、どうでしょ? 撮っておいてもらえば、親父、いや小湊さんにお伝えします」
 川を出て、内湾を漂い、岬を廻って漂着してきたのだろうか。それは某河川事務所の警告看板であった。
ち「持って帰りたいのはヤマヤマだけど」
は「看板自体に『あぶない』って書いてあっちゃ、ひきますよね」
 千歳はライターの他に、硬質プラのいくつか、チューブにロープ、玩具や雑貨の類なんかを証拠品として押さえていた。次回講座は未定だが、おそらくは小ネタとして披露することになるのだろう。

 「南実ちゃん、行くわよ」
 「あ、ハーイ」
 レジンペレットもなくはなかったが、今日のところは断念。そんな余念が彼女を引き止めていた、と思うのが真っ当か。否、旅立つ前にしかと内房の海を目に焼き付けておきたかった、これが南実の真意である。
 潮騒がどこか寂しげに聴こえる。

 櫻が先に歩いているのをいいことに、千歳は姉妹をつかまえると、
 「で、そのぉ、真珠のことなんだけど」
 あくせくしている割には何とも悠長なことを聞いている。
は「伊勢の生まれですからね、多少は」
ち「じゃ、今度はお母様宛にメール...」
こ「櫻さんにもちゃんと聞いてからね」
 今度はウィンクしながら、この一言。小梅には本当に頭が上がらない。

 行きとは違い、十分弱で駅に着く。ただし、当駅ICカードが使えないため、
 「えぇと京葉線...」
 南実がもたつくことになる。一行が跨線橋を歩いていると、双方向から列車が入ってきた。つまりギリギリセーフである。
 「じゃあ五人様、青春して来てくださいね」
 「お互い様でしょ、櫻さん」
 下りに続き、上り。ほぼ同時刻に発車する。そして到着時刻も同じ。行き先は上下で別なれど、である。
 十五時四十四分、青春五人様は館山に、アラサーの三人は蘇我に着く。
 「それじゃお姉さん、お兄さん、当日よろしくお願いします」
 「ヤダなぁ、お姉さんだなんて」
 「って、どーしても呼びたくて。あ、そうだ」
 座席にはその姉と兄。南実はホームに居る。
 「千兄さん、写真撮ってもらっていいですか?」
 発車時刻まで、まだ数分ある。窓をさらに開け、千歳はシャッターを押す。
 「私、この駅、好きなんです。よかった」
 蘇我の駅名標とともに南実の笑顔が映える。その笑顔、その残像を残し、列車はゆっくり走り出した。手を振る姿が小さくなる。
 「蘇我かぁ、つまり再生?」
 「南実さん、あの時も『retour(ルトゥール)』だったし...」 違う私、新しい私... 彼女の心境が今はよくわかる。

2008年10月21日火曜日

72. 本番二週間前


 Go Hey with ASSEMBLYとしての二度目のセッションは、三月らしい陽気の中、行われる。その暖かさのせいではないだろうけど、集まりが芳しくない。今のところスタジオ入りしているのは先行カップルと新(?)カップルの四人のみ。
 「こまっつぁんは自主トレするって言うし、エド氏は追い込み時期だから遅れて来るのはしゃあないけど、頭の三人、A・S・Sはどうなってるん?」
 「蒼葉ちゃんのケータイ、鳴らしてはいるんだけど...」
 「SSのお二人は昨日ご出勤だった訳だし、きっとおつかれなんスよ」
 業平は黙々とPCとPAの調整中。この際、この四人で音の基盤強化をしっかり図るのが良かろう、と踏んでいる。Kb(キーボード)、G(ギター)、V(ボーカル)は基盤の上に乗せるというのが彼なりのイメージ。バンマスは的確に指示を出す。
 「じゃ、三人が来るまで『私達』と、えっと、breeze...」
 「『Breathe with breeze』よ、Goさん♪」
 「行ってみよう!」
 十四時過ぎスタートで、まずはこの二曲。重低音をとにかく固めていく。『私達』の方はオケだけではあるが、独特のうねりが強調され奏者は心地良さげ。弥生の持ち歌についてはその完成度が益々高まり、歌唱の方もバッチリ。あんまり想いを込めすぎて、誰彼さんを倒してしまってはいけないが、歌の心と同じく、呼吸を整えつつ、程よく抑えつつなので大丈夫。息も合っていることなのでまず問題ないだろう。
 三曲目、とりあえずリズムマシンでイントロを流しながら、ドラムとベースをどこから入れるかを試行していた矢先である。タイミングよく、ASSの三人が入室してくる。
 「あ、新曲?」
 「何かいいかも...」
 「すみません、でございました。あ、そのまま続けて」
 登場順に一言ずつ。四人の気が散らないようにおとなしく入ってきたつもりだったが、何故かマシンが不意にストップ。メンバーの視線は一斉に業平に向かう。
 「なぁんだGoさん、イイ感じだったのにぃ」
 「いやいや、ちょっと閃くものがあってさ」
 バンマスが言うには、①最初にマシンでリズムを打つ、②その間、メンバー入場、③配置に付いたらドラム、ベース、パーカッションと重ね、④千歳のギター、櫻のキーボードが乗る、⑤生演奏主導になったところで、歌が入り、マシンは裏打ちに切り替え...
 「って訳で、あんまり曲順考えてなかったんだけど、これならオープニングいけそうじゃん、て、今」
 「ハハ、確かに入場してる感じした。遅れてきた甲斐あった、かな?」
 「たく、櫻姉ったら、心配かけといてそりゃないんでねーの?」
 「ゴメンゴメン。三人でね、積もる話などしながら、お昼とってたまではまだよかったんだけど、パンケーキの代わりの差し入れどうしよって、そこからちょっと...」
 「ドーナツは相変わらずでとてもとても。で、急遽」

(参考情報→行列系ドーナツ

 蒼葉が差し出した箱を開けると、
 「ワッフルだ、やったぁ」
 弥生は遅れた理由も何もなくただ上機嫌。引っかかっているのは八広である。
 「その、積もる話って何スか?」
 「ヘヘ、まぁそれはまた追い追い、ね?」
 千歳は姉妹を横目に見ながら一寸あわてる。櫻に取り繕ってもらいたいところだが、
 「あら? 千は急げじゃなかったの?」
 おやつの時間にはまだ早かったが、さっさとワッフルを口にして、話を封印してしまう千歳であった。

 「で、ルフロン、タイトルは?」
 「昨日、画伯の展覧会鑑賞して思いついた。もともと画から何かが聴こえたのが始まりだから」
 その題とは即ち『聴こえる』。
 「画家冥利に尽きますワ。でも、その感性、さすがは自称アーティスト」
 「いいや、ルフロンは魔女っ娘だから、聴覚も特殊なだけで...」
 「フン、このバチあたりっ!」
 本日の八クン、逃げ足速く、バチ!とは行かなかった。スタジオ内には笑い声が、聴こえる。

 そのオープニング曲はひとまず後回し。頭の三人が揃ったので、それぞれのボーカル曲を通してみることになった。『届けたい・・・』『Down Stream』『Re-naturation』の三曲、順不同である。今となっては、もはやウォーミングアップ代わり。メドレーでつないだりしない限り、どの順番で持ってきてもすんなり行けそうだ。
 アンコールも含めて全十曲を演奏するとして、まだあまり通し練習をしていないのは四曲。
 「食後で眠くならないように、難しいのからやろか」
 演奏順未定ながら、ここで千歳のメッセージソングに取り掛かることになる。とりあえずは楽曲データ主体で、各自練習した範囲で生(ナマ)をかぶせる程度。作曲者だけは手本を示す必要もあり、しっかり歌とギターを乗っけている。とにかくこの曲に関しては演奏もさることながら、そのメッセージをメンバーで共有できるかどうかがカギ。現場に居ずして臨場感をどれだけ高められるかもポイントになるだろう。言わば課題曲である。
 特にパートを持たない蒼葉を除き、各奏者は段々青息状態になってきた。いくらタイトルがそうだからって、これじゃ正に、
 「ま、『Melting Blue』を地で行くと、こうなるってことで」
 「わ、笑えないんですけどぉ」
 これではメッセージ以前の問題か。伝えようとする想いが強ければ強い程、空回りしてしまうこともある。これが何かの極意に通じる云々を千歳はいま一度かみしめてみる。
 「ま、ここらでまたひと休み。舞恵の癒しソングでもどう?」
 千歳編曲のボサノヴァversionが流れてくる。その淑やかで軽やかな調べに癒されながら、思い浮かべるは風、波、リセット後の情景...
ま「ご当地ソングって言うと俗っぽくなっちゃうけど、これ一応干潟のテーマ曲」
さ「タイトルってまだだっけ?」
ま「干潟に名前があればね、そのまま曲名にしてもいっかなって思ってたんだけどさ。ねぇ八クン?」
八「higataで通用しちゃってたから、特に考えてなかったんスよね。何かないでしょか?」
 ここからはBGMそっちのけで、毎度お決まりのディスカッション。干潟に冠する語句として「五カン~」「蒼茫~」といった説示的なものから、「いきいき~」「再生~」など主題的なものまで。オーソドックスなところでは「漂着~」「受け容れ~」、発起人とリーダーに敬意を表するなら、
さ「CSR干潟? 何だかなぁ」
や「咲くlove干潟は?」
さ「弥生ちゃん、あのねぇ...」
 ワンテンポ遅れて千歳がのたまう。
 「CSRと言えるかどうかわからないけど、地元企業とかとタイアップして『ネーミングライツ』で名前付けるのも良さそうだね。あ、でもそれじゃ曲名が企業名になっちゃうか」
 「当行で良ければ? なーんてね。てゆーか、そういう話は石島トーチャンに確認しないとダメなんでないの?」
 「あくまで愛称でしょ? 自由でいいと思う。だからもっと、そうhigata以外の選択肢もね。特に『ひ』を発音しなくて済むようにしてもいいかなって」

(参考情報→川辺や干潟にネーミングライツ?

 蒼葉のこの提案で方向性が変わる。第一声は、先刻から唸っていた人物が発する。
 「千ちゃんが発見者だとすると、千干潟。でも千と干て漢字で書くとそっくりだから、なぁ...」
 「Goさん、何が言いたいのぉ?」
 「いっそ、『ちがた』ってのは? 先生もそれなら」
 「不採用!」
 当の千歳の意見も何もなく、弥生がバッサリ言い放つ。業平は頭を掻きながらも何だか嬉しそう。BGMはリプレイを続けている。
 「何とかビーチ、って前にルフロン言ってなかったっけ?」
 「まぁね、歌詞の中にもそれは入ってる。でも○○ビーチのままなんよ」
 意外と決まらないものである。さっきは青息、今は溜息。と、そこへ...
 遅れ馳せながら、冬木が駆け込んで来た。目に付くのは、おなじみのポケットの多いジャケット。弥生がピピと来たのは言うまでもない。
 「弟も言ってたけど、流れ着くものを収容する、つまり入れ物であること。それでそのカーブした感じ、あと何となくカワイイとこ、『ポケットビーチ』なんていかが?」
 「略して『ポケビ』? いいかも。さっすがご融資対象」
 冬木はポケットに手を当てつつ、ポケーっとしている。曲名のヒントを提供した功、小さからず。こういう時は堂々と振る舞っていて構わないのだが、自覚がないんじゃしようがない。

 「はぁ、この曲がウワサの。で、ポケビですか」
 「曲名はいいとして、考えてたのは順番なんですよ。アンコールがかかったら、ラストにしっとりやるか、とも思ってたんだけど」
 業平が引き続き唸っていたのは、全体進行の件でだった。このversionのままだと、これと言ったアレンジは要らず、小編成でOK。だが、ラストは全員でパッと盛り上げて締めたいというのが本音。
 「僕は最後の最後にBGMとして流してもいいと思うな」
 「いやぁ、せっかく詞があるんだし、歌の分担も決まってるんだから。やっぱ別テイク作るかな。ねぇ、弥生嬢」
 「ん?」
 かくして、タイトルの割には重厚でノリノリなのが新たに用意されることになる。
 「譜面データを展開して」
 「プログラムし直せばいいんだもんね♪」
 月末に仕上げて楽曲データをダウンロードできるようにすれば手筈は整う。四月第一週に各自耳に入れておいてもらって、あとは前日のリハーサルで調整。ぶっつけ本番に近いが、こういうのも現場力のうちと考えれば、自ずと士気も高まる。
 冬木がそろったところで、改めてオープニング曲の練習に入る。先の業平の提案通り、イントロ長めで、徐々に音が厚くなる入り方で試奏してみる。なかなかイイ感じではある。
 「そうだなぁ、いいんだけど、オープニングだからなぁ」
 何故か冬木がブツブツ。ステージ担当でもあるので、出だしのインパクト!というのが頭にあるらしい。
 「一人多重コーラスで始めるってのはどう? 隅田さんにやってもらって録音したのを流す」
 「え、僕が?」
 「かぶせるのはちょっとした仕掛けでできます。コーラスワークは多少心得あるんで、この『聴こえる』のサビから拾うってことで何とか。僕が口ずさむから、それに沿って何音節か入れてもらえば」
 「そっか、カラオケ自由曲でもコーラス系でしたね」
 「ポケットつながりで言えば『Pocket Music』の世界」
 「あぁ、達郎アカペラか」
 いよいよ盛り沢山になってきた。スロー&緩やかに反しない範囲で、と行きたいところではあるが。

(参考情報→一人多重コーラスによるオープニング

 「さて、残るはワッフル、じゃないや『Smileful』だっけ?」
 「それと櫻さんの感動作『晩夏に捧ぐ』」
 共有できてはいるが、実際に演奏するのは今回初。ただし、曲順によっては、必ずしも全員が練習するには及ばない。
ご「ちょっとリスキーだけど、①聴こえる、②Melting~、③Down Stream それとも...」
さ「緩急をつけた組み立てになってればいいと思う」
ち「女性ボーカルを連続させると華やいだ感じにできると思うけど」
や「ならその最初はあたし!」
あ「エーッ? 私よ」
八「後半から蒼葉さんが颯爽と出てくると、演出的にはいいかも」
ふ「アンコール前をどう盛り上げてくか、ってのはあるからね。それはアリ」
ま「舞恵は?」
ご「ずっと後ろじゃつまらない?」
ま「ま、自分なりに演出考えるし」
 順番と出入りについては、higata@で引き続き議論することとなった。今日のところは、『聴こえる』『Melting Blue』『Down Stream』『Breathe with breeze』『Re-naturation』『私達』『届けたい・・・』『Smileful』をひと流しして終わり。すでに六時近くになっている。

 「えっと、帰り際に恐縮ですが、その今回のステージイベントのチラシって、どうしましょ?」
 「情報誌では軽く予告流しますけど」
 「いえ、初音さんがね、お店に置きたいって言うんで」
 「私、作ろっか。楽器練習とかないんだし」
 「じゃ画伯ぅ、得意の静物画つきで、ネ」
 「はいはい。じゃあムシュエディさん、その予告と合わせるんで、文面教えてください」
 メンバーが片付けに入っている間、文面どうこうでやりとりが交わされる。が、ちょっと怪しい?
 「で、蒼葉さんにもご相談がありまして」
 「はぁ」
 かれこれ半年近く、言い出せずにいた話。
 「五月号にぜひ。勿論、女性陣と一緒に」
 「アハハ、そういうことでしたか。詳細はステージ終わってから、でもいいですよね」
 また一つ、ちょっとした企画が動き出すことになる。五月はそう、青葉の季節である。

2008年10月14日火曜日

71. ギャラリーにて


 ひと段落ついたことで、事務局長にも余裕が生まれる。月曜にはおクルマで千住宅に乗りつけ、展示に付される各種絵画を搬出。そのまま千住姉妹とセッティングし、準備は完了。予告通り火曜日には開催される運びとなる。
 総会資料とともに本展案内も届き出した頃だが、KanNaの新着情報にも出たためか、順調な滑り出し。新たな客層の掘り起こしにもなったようだ。

 漂着静物画に関連して、モノログからピックアップして引き伸ばした写真、何となく保管しておいたリアル漂着物なんかも、その週のうちに補足展示されていく。さらには先にまとめた「いきいきいろいろマップ」に、四姉妹で作った初代マップも並べられ、館内はすっかりギャラリー状態に。賑やかなモードのまま週末へ。そして二十二日。

 今週到着分の総会出欠ハガキの整理を終えた昼下がりのこと。生徒と児童が、それぞれの姉を連れてご来館になる。いつものようにお約束は果たされた。
 「あ、六月君。初姉もご卒業、おめでとう!」
 卒業式を終えた翌日なので、気抜けしたような引き締まったような不思議な面持ちの六月。千歳を除いて、周りは女性ばかりな上、そのお姉様方から一斉に拍手を受けたもんだから、余計に顔の作り方がわからなくなっている。当然、返礼も何もあったものではない。
 「あのぉ、一応あたしも卒業組なんですけどぉ」
 姉は弟のことよりも、自分のフォローが先。だが、
 「弥生ちゃんは先週だかちゃんとお祝いしてもらったでしょ? その...」
 「おふみさん、そ、それはまだ」
 「そりゃあない、っしょ?」
 「六月はいいのっ」
 この掛け合いで、トライアングル解消方向とやらの謎が解けてきた。櫻と千歳は大きく頷く。
 「まぁまぁ。今日はお祝いとか特にないけど、ゆっくりしてってね。さてそろそろ...」
 文花の読み通り、十四時ちょうどにその人物は現れた。前後に常連の二人を伴って、というのが彼らしいと言おうか。
 「下でモタモタしてたから連れて来たさ」
 「ほんと、そっくりスね」
 本多兄弟の件は、higata@でも話題になっていたので、初対面でもすぐにわかったと言う。当の兄も、このカップルについては縁結びエピソードともども既知の通り。もたついてはいたが、すぐに打ち解けたようで至ってにこやかである。だが、第一声はズバリ、
 「あ、桑川さん」
 笑顔だったのはこのせいだったか。されど、
 「ども、CEO殿」
 かつての舞恵のようにツンツンとまでは行かないが、ちょっとつれない感じで弥生は応じる。
 「って、呼んだの私よ、お兄様。ま、いいや、ひとまず三人で」
 文花は穏やかな中にも冷ややかさを秘めた口調。傍目からは、新たな三角形(?)と映るが、文花と弥生の間では何らかの諒解がすでに成立している。おそらくわかっていないのはCEO氏だろう。
 矢印の向きをうまく変えていけるかどうか、それは今後の打合せ次第。社業に影響が出ないよう、端的に云えば兄弟喧嘩が生じないよう、そんな配慮をしながらというのが少々悩ましいが、楽しくもある。駆け引きと言っては不可ない。二人娘なりのコラボレーションであり、ソリューションなのである。

 ルフロンと八広は、絵画展その他の見学中。醒めた中にもどこか情感のこもったその青の世界に改めてインスパイアされているようだ。口数が少ない。
 「こういうデコもアリかぁ...」
 「環境関係の施設で絵画って、ありそうでなかった、かもね」
 「でもって、画伯ったらデッサン教室やるんだとか」
 「ハハ、五月開講かぁ」
 副賞を元手に、然るべき場所で教室を開く予定だった蒼葉だが、極めて低予算で開講できる運びとなった。今回の展覧会はその予告も兼ねてのこと、なかなか手筈がいい。
 「舞恵も自作楽器か何か展示して、ついでにえっと」
 「あぁ、漂着物アート教室?」
 「そうそう、ルフロン風Art Decoさ」
 「アールデコボコにならないように、あっ」
 つい口が滑るも、ボコボコにされるようなことはない。ギャラリーでは淑女でありたい。その辺の心得、さすがは奥様、である。

 「ねぇ櫻さん、ステージイベントのチラシってないんスか?」
 「明日集まるから、そん時に相談かな」
 「明日、かぁ。パンケーキ持って...って、ダメじゃん」
 「パンケーキ、人気だもんね。残念...」
 「今日も、あ、そろそろ行かなきゃ」
 こういう時、待ったをかけるのはこの女性しかいない。
 「あとで売れ残り食べに行くし」
 「大丈夫です。いらっしゃる頃には完売にしておきますから。意地悪ルフロンさん」
 「たく、どっちが意地悪なんだか」
 「フフ、ちゃんと釜、いや専用容器でとっときますヨ」

 桜開花の便りが届き始めた時分である。いろいろなものが花開き出すのは自然界も、そして人もきっと同じ。
 「姉御、三十日って空いてる?」
 「何? 誘ってんの?」
 「オイラと川、越えてみない?」
 千住桜木ブルーマップを眺めながら、六月が問う。小梅は当時の帰途を思い出し、手を打つ。
 「そっか、あそこか。乗った!」

 似たような会話がもう一つ。
 「ルフロン、三十日ってさ」
 「年度末だし、多分干物みたいになってると思うけど、練習だよネ」
 「特に新曲、ご自身作詞のね」
 「今日ここでまたイメージ膨らんださ。物が語りかけるような、そんな音、めざす」

 その作曲者は、ルフロンの詞と蒼葉の絵を重ねながら、どう歌い込むかを思案中。顔なじみ客が続いてもお相手することなく、ずっとデスクに張り付いていた千歳は、少しばかり息をつく。
 「どう、千歳さん、KanNaちゃんの更新、OK?」
 「団体分はね、何とか。でも今度は会員の分だよね。ID割り振る前に名簿データ調えなきゃ」
 「あぁ、あっちでそのIDがどうのこうのって」
 「例のITマップに投稿するのに使う、って話だと思う」
 「KanNaもDUOも、でしょ? 応用範囲広そうね」
 「ねらいは課題解決型市民の底上げ、ってとこかな」

(参考情報→1つのIDで複数の機能を使う

 カウンターでは何となく仕事系の話が交わされている。話はその延長で、センターのパンフレット、新年度用入会申込書といった新調ネタに。そしてさらに開花の話題へと転じる。やっといつもの二人らしくなってきた。
 「三十日、御殿山の桜、観に行きます?」
 「それもいいけど、前夜は? つまり夜桜」
 「まぁ...♪」
 件(くだん)の三人はまだ円卓に居て、同じく花開いている最中である。各カップルと違うのは議論の花、である点。それはそれで粋である。

70. カウントダウンが始まる


 ここまで来たら設立するしかない。だが、その成否は総会にかかっている。押し気味ではあったが、事前の準備は整った。今日はこれまでに募った会員各位への議案発送大会である。当センターが得意とするIT系やりとりで以って、議案はwebから、出欠届もEメール等で、というのも一応案内はしてあるのだが、何せ設立総会である。現物主義で確実に、となると、紙なりハガキなりが物を言う。発送件数はそれほどではないものの、資料のボリュームがそれなりなもんだから、出て来られる役員・委員は総出、かつ朝からバタバタ。
 この際、higata@関係者にも手伝ってもらいたいところだったが、舞恵は年度末が近いこともあり、自主的に休出、八広は冬木と打合せだか何だかで揃わない。第三土曜日なので、本来なら第三の男が来て然るべきではあったが、お嬢さんのアタックが利き過ぎたか、ご欠席。
 「ま、業平さんは仕方ないわね。でも、弥生嬢は? 召集かけといたんだけど」
 「ケータイかけてみたらどうですか?」
 ライバル関係にある二人ゆえ、あまりお勧めできる話じゃなかった? 櫻は言ってから気が付くも、
 「そっか、かけてみよ」
 あっさり受け容れられてしまったので、キョトンである。文花がピピとやり出すと、その通話先の女性がタイミングよく入ってきた。
 「こんちはっ。遅くなりました」
 「あ、今ちょうど。ちょっといい?」
 昨夜の余韻覚めやらず、櫻も千歳も今ひとつキレがない。あのライバルどうしがすっかり睦まじくなっているのは何故? まして、業平が昨日どっちと過ごしたか、なんてことはわかりよう筈がない。
 「で、どうだった? うまくいった?」
 「あ、えぇ、おかげ様で。でも今日来ないんですか...」
 「心配ならいいわよ。会いたいでしょ?」
 「おふみさんたらぁ」
 聞き耳を立ててはいたが、笑い声しか聞こえなかった。今や先行カップルで通る二人は、
 「ま、こっちも内緒事項あることだし」
 「何か新展開があったんでしょうね。いずれ自分から話したくなるでしょうから、その時まで。フフ」
 手の方がお留守になりそうだが、ちゃんと動いている。職員というのはそういうものである。

 総会に係る書類を封筒の中に詰め込むところまでは、午前中に終えることができた。続きの作業は午後から再開。封を閉じ、業者指定の宛名ラベルを貼り、引き取りを待つ、それだけ。今は四人が残り、館内でランチタイム。
 「本当はもっと早く出したかったけど」
 「季刊誌その他、前から予告はしてたんだから、いいんじゃないですか?」
 「ま、あとはメールで一斉案内か...」
 「じゃ例の送信方法で。ネ、隅田クン?」
 「へ? あぁ、本人情報確認欄付き、のこと?」
 まだちょっとボーッとなっている千歳だった。すると、
 「Bonjour!」
 春らしい装いでモデルさんがやって来た。誰彼さんは声が出ない。櫻お手製のデリに手を伸ばしつつも、ボー。いや、beauと言いたいようである。
 「あら、手伝いに来てくれたの?」
 「絵画展のチラシ、一応作ってきたんで、もしよければ一緒に、と思って」
 「蒼葉ちゃん、やるぅ!」
 「そっか、同封物...」
 女性四人が集まれば賑やかになるのは至極当然。居心地は悪くないのだが、ここは女性どうしで語らってもらうのがよかろう。
 「じゃ僕はメールの設定始めてますんで」
 気を利かせて移動する。カウンターの隅っこに居る隅田クンである。

 この際、DUOの案内を同封しても良さそうだったが、
ふ「拡大版のメドが立ってからでもいいかな」
や「とりあえず、当日資料は用意します。初仕事として」
 とのこと。あとは、
さ「まだQRコードはないけど」
ふ「せっかくまとめたんですもの」
 原版はカラーだが、今回はモノクロ。A3ヨコに広がるは先週の成果である。
さ「ま、塗り絵として使ってもらうのもアリですね」
ふ「となると、グリーンもオレンジもないわねぇ」
あ「そこは人それぞれでしょう。感覚、感性、感情...」
や「表題は? いろいろマップ?」
さ「それにいきいきを足す」
あ「ひらがなで書くと、きいろ、って」
ふ「でも、グリーンとオレンジで共通する色ってもしかして黄色?」
 話が尽きないので、とりあえずは表題なしで、その仮まとめマップは発送されることになった。
 「封しないでおいて良かったですね」
 「ま、こういうのはできるだけ引き付けて、ってことなのよね。他にチラシとか、大丈夫かしら?」
 「四月六日イベントは?」
 文花を横目に弥生が一言。
 「そうねぇ... クリーンアップは講座の一環だから一応案内出したけど、ステージの方よね」
 「ま、あんまりお客さん増えちゃうとプレッシャーが...」
 「あら、櫻さんらしくないわねぇ」
 「いえ、あんまし派手にやりたくないかな、って。音響関係も一部はお天気次第だって言うし」
 電気系統には、再生エネルギーを組み入れる予定ゆえ、音量にも制約が生じる見込み。それに見合った客数というのも自ずと控えめになる。だが、櫻はこれとは別の理由で、セーブをかけようとしていた。「彼女が演奏に集中してもらえるように、心置きなく旅立てるように...」

 「それじゃ皆様、今日はどうもでしたっ!」
 文花は発送前の箱々を前に、笑顔満面。
 「残るは当日の段取り?ですね。もうちょっと詰めないと」
 らしいことを述べるのはこの人、千歳である。
 「会員から立候補が出なければ、女性議長を立てる、あとはその人の仕切り次第ではあるけど...」
 「って、おふみさんが?」
 「まさか。事務局長はね、議案説明役なのよ。議長からのご指示で淡々と...」
 「フーン」
 「弥生ちゃん、勤務初日だけど来る? 起業家としては設立総会って勉強になると思うけど」
 「あ、ハイ! でも、一応COO(最高執行責任者)と相談します」 議事の記録は新理事で交代しながら、議事録署名は代表が一筆入れればあとは一人か二人か、そんな話が少々。兎にも角にも、発送が済めばこっちのもの。あとは総会成立に必要な出席者、または書面参加が得られればいい。かくして総会までのカウントダウンが、始まる。

2008年10月7日火曜日

69. 三月の表白


 そんなこんなで、クリーンアップ~グリーンマップと続いた講座は、四月に再びクリーンアップ、五月は季節感たっぷりにグリーンマップ、つまり交互に開催すると良さそうだ、という話ともども、続行が決まった。テーマの融合と深化、そして点から面への期待を込めて、のことである。六の月は前年同様、環境の日にちなんだ一席を先生に受け持ってもらうが、クリーンとグリーンのまとめのような企画も設ける予定。と、これがたたき台となり、部会を軸とした年間計画のようなものも見えてきた。
 メーリングリストでの下打合せが活発になると、実際の会合に懸ける思いは強くなる。特にセンター運営協議会(未だ仮称)に至っては、利用者側の視点で委員があぁだこうだとやり合うもんだから、以前にも増して賑やか。平日夜間のセンター利用状況はこうした要素もあって好転していく。見方によっては利用者が利用者のために議論しているようなものなので滑稽でもあるが、内容は極めて真摯。来客サービスの充実、相談対応の拡充、は言わずもがな。ハコモノにしないための工夫や知恵は、それそのものが事業となる。いかに足を運んでもらうか、いかに館内を利用してもらうか、そしていかに「いきいき」してもらうか。当センターにおいては心配ご無用(?)ではあるが、そこにいるスタッフのイキもポイント。それには文花が考えるところの働きながら学ぶモデル、かつ、スロー緩やか大歓迎!式ワークスタイルがいかに実践されるか、にかかっている。情報提供というのは、スタッフの姿勢から発信されるものも含まれる、と言うんだから、見上げた事務局長殿である。
 拠点から現場か、現場から拠点か、の双方向性の話もある。木か森かに通じるこのテーマは、かつて清が称えた二人の理事のバランスに拠るところ大。千歳、文花、櫻の三人に何人かの役員・委員が加わって夜な夜な話し合うことも三月に入ってからはしばしば。総会議案の方も程よいバランスのもと、まとまりつつある。

――― 三月某日 ―――

 そんな或る日の夜である。千歳もいれば八広もいる、という会があった。ミーティング中もどこか落ち着きがなかったので、不思議に思っていた千歳は、散会後、八広に軽く声をかけてみる。
 「ハハ、確かにあんまし聞いてなかったスね。いえ、折り入ってご相談というか、そのぉ...」
 珍しいことがあるもんだ、と思い、ゆったりと聞き役に回る千歳。だが、きっかけが冬木と聞いて、些か面食らう。
 「そっかぁ... でも、それでいい、ん?」
 「いつまでもルフロンに甘える訳にも行かないですし。それに自分でそういう働き方も体験してみないことには偉そうなこと言えない、でしょうし」
 広告代理店とはいえ、一介の会社組織ではある。いわゆる社会人経験を積んでおいて悪いことはない。千歳はゆっくり、されど力強く、
 「勢いのあるうちって言うしね。応援しますよ」
 「あ、ありがとうございます。これも隅田さんのおかげ。程ほどにイケイケで、がんばります」
 「僕は何にも。宝木さんの実力さ」
 さん付けで呼ぶ、これはちょっとした餞(はなむけ)でもある。だが、これまでと接し方が変わるというのは互いに嬉しいような寂しいような、ではある。
 「四月からはあんまりお手伝いできなくなっちゃいそうスけど」
 「何の何の、今は自分でここに通ってるんだし。こっちが貴社情報誌のお手伝いすることになるかも知れないくらいだから」
 と言いつつ、カウンターを一瞥。思わず先輩と目が合う。
 「ま、ここではすでにアシスタントなんだな」
 「?」
 そのフットワークと文才を大いに発揮されたし。流域情報誌がより良質な媒体になることを確信する自称アシスタント氏であった。

――― 三月十四日 ―――

 十四日はあっと言う間にやって来た。翌日に事務的な一大イベントが控えていることもあり、午後からは臨時で千歳も出勤。用紙の白、ハガキの白、宛名ラベルの白、やたら白物とご縁があるのは他でもない。ズバリ、ホワイトデーだから、である。
 櫻ご贔屓の洋風居酒屋にて、ちょっとしたお返しディナーというのを一応セットしてあるので、今の時分はいつもの櫻先輩と隅田クンでいいのだが、さっきから違う意味でホワイト尽くしになっているので、二人とも白々となっている。
 「それにしても、植林木パルプって言っても白色度はそれなり?」
 「原木は? シラカバだったら、天然のままで十分白いと思うけど」
 「ハハ、残念。アカシアでした」
 「アカ、かぁ」
 と言っても、赤とか紅とかは無縁。今はひたすら総会向けの資料原稿をチェックしているので、時に補整用の赤が出てくる程度である。

(参考情報→アカシア紙

 そろそろひと休み、と手を止めていたら、赤い花にまつわる女性が現われた。
 「あら、南実ちゃんじゃない。どしたの?」
 「えぇ、調べ物方々これを」
 「またご親展、ですか。いるわよ本人」
 「え、ウソ?」
 会議スペースで漂白、いや漂泊の時を過ごしていた櫻と千歳が顔を出す。こちらの三角形は今は安定的なので、多少のビックリはあっても綽然(しゃくぜん)の態。
み「ちょっと千さんお借りします」
さ「あ、ハイ」
 当の千歳は、義理某のお返し代わり、南実とのティータイムの件を思い出し、
 「じゃ近場で。すぐ戻ります」
 「あら、当館ご利用じゃなくて?」
 文花は少々解せない風ではあったが、櫻がゆったり珈琲タイムに入っているので、構わないことにした。
 「櫻さんも進化したわねぇ。前だったら、送り出したりしなかったと思うけど」
 「今は勤務時間中ですから。二人のことだから、お仕事絡みでしょ? だったら別に」
 「何かまた親展... あ、いやいや」
 「ま、とにかく信じてるんで」
 十四日にわざわざ、しかも外で、である。全く気にかからないと言えば嘘になるが、これが不思議と思ったほどではない。期せずして心境の変化を悟る櫻なのであった。

 クリーム増量が可能なシュークリームを扱うお店では、ちょっとした喫茶も可能。センターからも程近いこの店に千歳は南実を案内する。
 「お返しの件、忘れてた訳じゃないんだけど、つい連絡しそびれちゃって」
 「いえ、普通なら社交辞令レベルですから。こちらこそ押しかけちゃったみたいで、すみません」
 「で、お話っていうのは?」
 「そ、そうでしたね」
 アイスティーとシュークリームのセットを前にして、南実の動きが止まる。あわててシューを割ったら、クリームがこぼれ出て来た。
 「あ、ツブツブ。これってバニラビーンズでしたっけ」
 牽制球という訳ではないが、直球でもない。南実にしては珍しい揺れのようなものを感じる。千歳はシューには手を付けず、ひとまずアイス抹茶を口に含む。そして待つ。
 「そのぉ、何となく予感はあったんだけど、例の論文がえらく高い評価をいただいてしまいまして...」
 「それは良かった。じゃまた祝賀会でも」
 「えぇ、自分としては喜ぶべきなんでしょうけど、おまけと言うか何と言うか、提携してる米国の研究機関に交換留学、みたいな賞を与(あず)かっちゃって」
 「留学、ですか」
 「で、この話、皆にしちゃうと、バンドのこととか含めてひと騒ぎになりそうだから、どうしよっかって考えてたんです」
 「いつからってのは、もう決まって?」
 「四月の早いうちに、なんです」
 「そっかぁ」
 清はもとより、higata@メンバーも、勿論、文花先輩にも内緒にしていたんだと言うから、相当な逡巡があったに違いない。クリームが皿に流れるに任せ、南実は話を続ける。
 「このまま黙ってた方がいいか、それとも...」
 「四月六日までは平気ですか」
 「最初で最後の出演になりそうだけど、皆とステージには立ちたいです。だからそれまでは何とか。当日はあわただしくなるでしょうけど」
 「演奏に支障、いやメンバーが動揺しない範囲で、こっちで対応考えてみます。一任してもらえれば、だけど」
 「私からはとてもとてもなんで。助かります」
 胸のつかえがとれたか、アイスティーを半分くらい飲み進む南実。ストローを使っていると、そのえくぼが強調される。向き合う異性は思わず息を呑み、胸がつかえたような感覚に陥る。
 「櫻さんとはそろそろ、ですか?」
 「え? いやぁ...」
 「今ならまだ許されるかな。私のこと、名前で呼んでほしいんだけど」
 「南実さん? て」
 「南実、で、お願い」
 女性の名前を呼び捨て... 自称小心者である千歳にとってこれは難題である。抹茶の緑を見遣りながら、内心「こまっちゃうなぁ」状態。ただ、それを言葉にしては、白けてしまう。ここは一つクールにシリアスに行きたい。
 「あ、ありがと、うぅ...」
 かつては実兄にそう呼ばれていたんだろう。千歳の発した三文字は、彼女にとって何よりのプレゼントになった。
 「そうか。櫻って呼ばないもんね。私ったらまたムリなお願いを。あ、そうそう」
 南実はエアキャップ入り封筒を差し出すと、
 「ワレモノなんで、郵送するのやめたんです。で、文花さんに預かってもらうつもりだったんだけど、ハイ! 私の気持ち」
 受取人はゆっくりとその一品を取り出す。それは何と、
 「レジンペレットハート?」
 「京(みやこ)さんから逆に教わりまして。こないだ集めた分とあわせて、完成です。隙間を埋めるの大変だったけど」
 人工物でも想いは伝わる。それは見事なまでの赤いハートだった。
 「プラスチックは丈夫さがウリだけど、脆くもある、かな?」
 「そうです。こう見えても南実は繊細ですから。大事にしてね」
 調べ物がどうというのは口実だったようだ。南実はセンターには戻らず、そのまま最寄駅方面へと去って行った。スプリングコートが南からの風にゆらめく。その姿をしばし眺め入る千歳だったが、ふと我に返る。「そうだ、お土産!」

 口元は白くなかったが、黒い粒々が残っていた。
 「なーに食べてきたの、隅田クン?」
 「え、あっ、ハハ。これです。どーぞ!」
 「何だかなぁ。おやつタイム過ぎちゃってるけど? ま、許して進ぜよう」
 文花と櫻は円卓でジャンボシュークリームを頬張る。口の周りがどうなってようとお構いなし。
 「やっぱホワイトデーは、こうでなきゃ」
 「さすがはダーリンね」
 「文花さんは? 今日はどなたかとご一緒じゃ?」
 「バレンタインにこれと言ったことしてないから。でも相談に乗ってもらったおかげで、ある人にはそれが効果的だったみたい」
 「て、私そんな。ただ、抑えた感じも時には必要って、そう言ったまで」
 クリームが口の中に広がるのを楽しんでいる間は会話もひと休み。
 「いずれトライアングルは解消すると思う。そのうち弥生嬢にもちゃんと...」
 「はぁ。何か文花さん、変わりましたね」
 「ちゃんと自分にもお節介焼こうと思ってね」
 千歳はカウンターから白唇の女性二人をボンヤリと見ている。
 「二人には話しておいた方がいいか、いやまずはやっぱり...」
 今夜の話題が一つ増えるも、その順番が悩ましい。この手の段取りはまだまだ不得手なマネージャーである。

 訊かれる前に話しておいた方がいいと考えるのは、自己弁護のようにも捉えられる。やましいことがなければ別に後でもいい筈なのだが、肩の荷を早く降ろしたいというのが正直な気持ちだった。最初の一杯が赤ワイン、というのも偶然というよりは必然。
 「小松さん、留学するんだって」
 乾杯して早々の第一声がこれ。あまりの突拍子のなさにさすがの櫻も目が点。
 「それって、ドッキリネタ?」
 「何でも論文のご褒美だとかで。でも誰にも話してなかったんだって」
 「第一報が千歳さん、なんだ...」
 段取り失敗か?とドキドキするも、
 「ま、その次が櫻さんてことならいっか。南実さんらしいというか、相変わらずヤキモキさせてくれるワ」
 ワインを一気に飲み干すと、とりあえず笑顔に戻る。
 「で、彼女なりに気を遣って、内緒にしておきたいって言うんだけど、いきなり皆の前から去ってしまうのもどうか、ってね。で、櫻さんにまずご相談と思ったんだ」
 「フーン...」
 話してくれたのは良しとしよう。だが、よりによってホワイトデー、相談内容は他の女性。胸中は複雑である。と、不意に先のクリーンアップでのちょっとしたやりとりが思い出される。
 「そうか、それであんな言い方してたんだ...」
 途端に想いが込み上げて来る櫻。こうなると、この場での対応協議は難しい。
 「とりあえず保留。千歳さんにお任せ、とは言っても本人は多分そっと静かに、が本望だと思う。彼女、あぁ見えても繊細だし、ネ?」
 本人の口からも同じ言葉を聞いていたので、千歳も承服する。だが、櫻は然るべき一計を考え始めていた。自分の誕生日ではあるが、お祝い対象者は多い方がいい。晴れ晴れと送り出そう、それには何を贈ろう... ご相談の一件がいつしか自問モードになっている。

 メインの大皿パスタ、海鮮の某が運ばれて来るも、どこか心ここに在らずの彼女である。彼は具のバランスを考慮しつつ、小皿に取り分け始める。クルクルやりながら一寸ためらいを見せるも、ホワイトソースから立ち上る湯気は、熱と弾みを与えて止まない。そう、ホワイトデーだから聞けることがある。この場を措いて他にないだろう。
 「ねぇ、さ、櫻さん。イクラとイカだとどっちが好き、とかってある?」
 「え? そうねぇ、粒々と輪っか、よね...」
 先読みされたかのような返しが来た。こうなったら話は早い。直球あるのみ。
 「質問、変えます。真珠と指環、どちらも丸いですが、お好みは?」
 「千歳、さん...」
 櫻にとってはサプライズに近い衝撃だった。この問いの意味するところ、わかり過ぎて困るくらいである。
 「って、いつからそんな加速するようになっちゃったのぉ?」
 と言いつつも、実はあまりによく出来たプロセスなものだから、うっとりしている。櫻は、フォークでゆっくりとお好みの方を指す。南実のことが頭をよぎるが、今は彼女に感謝したい気持ちでいっぱい。
 話の順番はどうやらこれで良かったようだ。

* * * * *

 同日夜、もう一つのディナー席は、面接のような、兄妹の会食のような、一風変わった雰囲気を醸し出していた。
 「どしたのGoさん? あ、いけない、業平COO殿」
 「いやぁ、兄貴がボーッとなるのわかるな、って」
 「CEOはいいの。今日はGoさんのためにおめかししてきたんだから」
 数日前が誕生日だったので、お祝いを兼ねてのこの席。主役は白のシフォンワンピースにテーラードジャケットで臨む。ジーンズ姿に見慣れている業平にとって、これは事件。兄同様、萌える想いの何とやらになっている。共同代表は不在ながら、先ほど一次面接は済ませた。今はどちらかと言うと逆面接状態である。
 「で、桑川さんを採用しようと思った動機は?」
 「その才気、突破力、最近ご無沙汰だけど、ツッコミ力、それと...」
 「と?」
 「例の持ち歌かな」
 「それは採否と関係ないんじゃん?」
 実は来るステージに向け、最低でも自分の歌はきっちり完成させたいと意気込んでいた弥生。ベースの猛特訓に加え、歌唱の方も磨きをかけていて、その成果をしっかり自己流ミキシングにてデータ化。これも自己アピールのうち? とにかくCOO、否、バンマスに送っておいたのである。
 「いやぁ、あれは良いよ。歌もベースも、何かこう主張する感じがしてね」
 「DUOとおんなじ。そこにある空気を誰かと一緒に、ってこと。主張というより、或る乙女の願い、かなぁ...」
 出逢ってからしばらくは、ツッコミ甲斐があるとの理由で惹かれていた。その後は、その重厚な音づくりに惚れ惚れ。芸は身を扶(たす)くと言うけれど、業平にとってこれは意想外な展開。だが、そんな彼も今は彼女の音楽性に惚れつつある。
 「で、タイトルは?」
 「breathe, breeze とか。ルフロンさんとまた協議しますけど♪」
 まがりなりにもホワイトデーなので、お豆腐料理中心。でもって改まった席でもあるので、掘り炬燵式の個室にいるご両人である。湯豆腐が上がったところなので、フーフーやりながら、そのbreatheとbreezeの心を語り合っている。しばらく経ったら、互いに深呼吸。弥生は喉元の熱さが和らぐのを待って、ちょっとした問いを試みる。
 「何かあって、仮にあたしがひきこもっちゃったりしたら、Goさんならどうする?」
 「そうだなぁ、一緒にこもる、かな」
 「え?」
 空間的にはおこもり状態のようになっているので、すでに疑似体験しているような感覚。業平はいつになく重い口調で語る。
 「時にはね、充電するのも大事。兄貴だってそう。前向きなひきこもりってのもあるんだよね。だから別に引っ張り出したりはしない。一緒に...」
 「業平さん...」
 聞けば、太平も失恋だか何だかで外に出て来られなくなった時期があったんだとか。業平は意を決して共同ひきこもりを決行。起業アイデアはその間に練ったのだと言う。
 「そっかぁ、良き理解者だぁ。これなら仕事で失敗しても平気ネ」
 「なーに、失敗してなんぼだから。平気も何も、平平さ」
 かくして弥生は直接行動の帰結を図る。
 「ねぇねぇ、あたしのケータイ鳴らしてみて」
 着メロは勿論、業平原曲、弥生編曲の持ち歌である。
 「おぉ、そう来たか」
 「じゃそのまま。ここ個室だけど、一応ネ。乙女はマナーを守らないと...」
 と言い残し、室外へ。
ご「もしもーし」
や「何か逆だけど、告白していい?」
 直接だが間接的。さすがに面と向かっては言えなかったようだ。だが、このアプローチ、ものの見事に彼に刺さった。
 「ハハ、いろんな意味で『採用』!」
 「あ、あとね、おふみさんからいいヒントをいただいたんです。もしもし?」
 アルコールはそれほど入っていない筈だが、室内に戻ると、業平はヘナヘナ。杏仁豆腐の方がずっとシャキっとしている。
 「あ、ゴメン、何だっけ?」
 「拡大版DUO 頑張りマス。よろしくネ」 DUOは広く、そして大きく。入社日が待ち遠しい。