2008年4月1日火曜日

39. 視野広がる時

十一月の巻

 返信用封筒には自分の写真と添え書きが入っていた。「今度のクリーンアップの際、よければお兄さんの話、聞かせてもらえませんか...」 前後の文章は目に入らない。この一文が心に深く刻まれ、ここ十日ばかり落ち着かない日々を過ごしていた南実。今日もご自慢の電動車を駆ってやって来たが、気が付いたら十時までまだ十五分もある。よほど気がはやっていたんだろう。
 「隅田さん、早く来ないかな」
 前回リセットを完了した干潟だが、パッと見は良好な感じがするものの、崖側を覗くと案の定、ゴミ箱をひっくり返したような状態に逆戻りしている。時節柄、ヨシもその勢いを失い、朽ちたところを大物ゴミが押し寄せ、自然物が人工物に食われている、そんな有様である。南実には、リセット経過を確かめたかった、という以上に、千歳と早く話をしたい、という思いが強く、干潟の嘆きも届いていない様子。
 到着が早かった分、潮はまだ浅く、普段お目にかからない線まで干潟が拡がっている。水際スレスレの処には波が描いたらしい襞(ひだ)状の模様が残る。南実の心にもおそらくその襞が映っているのだろう。今はただ、佇んでいる。

 昨日は祝日だったため、千歳と会うのは八日ぶりになる。こちらも自転車をすっ飛ばしての現場入り。いつもと視界が異なるため、変な気分ではあったが、よく晴れた空、凛とした空気、柔らかな日射、そうした要素を視野いっぱいに取り込めることがただ嬉しかった。
 「千歳さん、どんな顔するかな」
 十分前に着いた櫻は、思いがけない先客に一寸(ちょっと)戸惑いを覚えるも、むしろ好機と考えた。
 「小松さん! おはよっ」
 物憂げな顔のまま振り向く南実。だが、そんな顔をしている場合ではない。
 「エッ? さ、櫻さん?」
 主導権を握った櫻は、強気に攻める。
 「千歳さんにアドバイスもらって、コンタクトにしたの。どう?」
 「てゆーか、何で今まで眼鏡だったんですか?」
 「まぁ、モテ過ぎちゃっても困るから、かな。ハハ」
 南実は何となく身構えている。攻守逆転とはこのことか。櫻の眼の鋭さにたじろぐばかり。ここで追い討ちをかけるべく、親展封書のことも問い質(ただ)してやろうと思ったその時、前回ドタキャンの二人が現われた。
 「大家好(da jia hao)! っても二人の場合は大家じゃないか」
 「櫻さん、小松さん、元気ぃ?」
 干潟が穏やかなのとは対照的に、女性二人には波が立ちかけていたが、こう来られては収めるしかない。
 「奥宮さん」
 「ルフロンでいいわよ、こまっつぁん」
 今まではストレートパーマだったが、今日は髪がクルクルしていてちょっぴりファンキーなルフロン嬢。いつになくニコニコしながら、そのクルクルを指でいじっていたが、思わず手が止まる。
 「って、そこにいるの本当に櫻さん?」
 八広はすでにのぼせ上がっている。いつものならそんな彼を小突くところだが、舞恵はただ目をパチクリ。櫻に釘付けになりながらそろそろと下りてくる。
 「ヤダ、チョー美人じゃん」
 「あら、そう? ルフロンもイイ感じよ」

 定刻の十時になった。今日は集まりが良くない。
 「そういや、彼氏はどうしたのよ」
 「さぁ、昨日は久々に土曜日お休みだったから、調子狂っちゃったんじゃないの?」
 「こういう時、ケータイがあればねぇ」
 「フフ、別に。なくても平気よ。以心伝心だし」
 「まぁ結構なこと。隅田さんもこんな美人が彼女だなんて、ねぇ?」
 仲良しの二人が会話してる間、南実と八広は飄然とゴミの散らかり具合を眺めていた。八広はひと呼吸遅れて、「あ、そうスね、ヘヘ」とはにかむ。
 「何よ、デレデレしちゃってぇ。舞恵はどうなのよ?」
 「ルフロンは美人というより、美の女神...」
 旨いことを言っても言わなくても、どつかれてしまう八クンであった。

 クシャミをしながらせかせかと堤防上を歩く男性がいる。お噂の通り、調子が狂ってしまっている千歳は、自転車の点検を怠ったばかりにこの体(てい)たらく。十月最後の土曜日、つまり三度目のセンター出勤日のこと。台風が近づく中、自身の自転車で何とか漕ぎつけたのは良かったが、舞恵と八広のご来館、というのが今考えると事態の伏線だったことに気付く。八広はともかくも、雨女、いやこの時は嵐女さんが来たばっかりに、雨風は益々激しさを増し、悪天候の中を自転車で帰ることになった訳である。台風を甘く見てはいけない。そのツケは彼の自転車に災いをもたらした。今朝、八日ぶりに走らせようと思ったら、後輪がペタンコ! 空気を入れてもNGだったので、仕方なく徒歩と相成った。正にトホホである。
 そんな彼の遥か前方では、石島姉妹が先行中。逆に後方からは何やら大きなバッグを担いだ女性が付いて来る。
 「千さーん!」
 目がいい画家さんは、遠くから千歳を見つけて呼び止める。
 「あ、蒼葉さん」
 「ヘヘ、ちょうど良かった。これ持ってくださる?」
 画布を立てかける三脚である。こんな大荷物じゃバスに乗って来るしかあるまい。「想像じゃ限界があるんですよ。今日はちゃんと原色を見極めようと...」 その熱心さに胸打たれる千歳である。さっきまで早足だったが、ペースが落ちている。

 「はぁ、やっと着いたぁ」
 「あ、ルフロンさん!」
 十代姉妹が着いた時、四人は分担を決めたばかり。まだ始まっていないことがわかり、姉妹はゆっくり干潟入りする。
 「初姉、小梅嬢、ご来場!」
 「久しぶりスね。今日は大丈夫なんですか?」
 「見ての通りよ」
 「でも、髪の毛が...」
 「いいでしょ。特にこの辺のウェーブがポイント。干潟に来る波を表現してみたんよ」
 「この間の台風でクルクルになっちゃったのかと思った」
 「まぁこの娘ったら」
 初音を小突く舞恵。この二人、十月に一度顔を合わせたきり。三週間ぶりの再会なのだが、実に息が合っている。

 河原の桜は、十一月に入ってもなお緑を保っている。ここのところ、すっかり見落としていたが、画家と歩いているとさすがいろいろなものに目が行くようになる。
 「七ヶ月前は満開を過ぎたくらいだったかな」
 「千さんと姉さんは今が満開?」
 「いやいや、咲き始めじゃない?」
 「そうなんだ... ま、三十路の恋は遅咲きってことね」
 「蒼葉嬢は? まぁ聞くまでもないだろうけど...」
 「私のこと聞いてどうするの? 櫻さんに怒られちゃうわよ」
 実はフランスにいて、最近は音信不通なんて話をしたところで、どうにかなるものでもない。今は姉の恋を応援するのみ、である。

 櫻の眼鏡レス事件はまだ尾を引いていて、肝心のクリーンアップがなかなか始まらない。千歳と蒼葉が現れても、
こ「ね、言った通りでしょ?」
は「蒼葉さんのお姉さんだから、ひょっとすると、とは思ってたけど、溜息出ちゃう...」
さ「初姉まで、ヤダなぁ。干潟とか川をよーく見ようと思って、そうしたの」
ま「うそうそ、彼氏をバキューンてやるためよ。ホラ噂をすれば...」
 「あ、櫻姉! な、何で?」
 櫻がそそくさと出て行ってしまったので、何か怪しい?と思っていた蒼葉だったが、この展開にはさすがに驚かない訳にいかない。
ち「遅くなりましたぁ、あ、櫻さん。ついにコンタクトデビューですか」
ま「何か張り合いないなぁ」
さ「いいのよ。素顔の櫻さん、慣れっこなんだから」
 視線で照準を合わせれば、それでイチコロ... な訳ないか。
 南実はずっと複雑な顔をしていたが、千歳が近づいて来るとすまし顔に。目を合わせるようなそうでないような。待たされた分、余計に歯痒い。「あっ、隅...」と言いかけて、「すみません」になってしまうのだった。

 十時十五分、ようやくリーダーが点呼をとり始める。
 「えっと、今日はこれで全員、でしょうか?」
ち「Mr. Go Heyは、バーコードスキャナの研究で手が放せない、とのことです」
あ「弥生嬢はその業平さんから楽曲データだかをもらって、おこもり中」
こ「六月クンは、大宮で鉄道三昧中、だと思いまーす」
 文花は連休を使って行楽ドライブ。冬木からはhigata@に律儀に連絡があった。
 「では、八人ですね。今回はリセット2回目、よろしくお願いします」
 「ねぇねぇ櫻さん、今日はマイクパフォーマンスやんないの?」
 「この前はオープンイベントだったから、ちょっと司会やっただけで、そんな...」
 「なぁんだ、楽しみにしてたのになぁ」
 higata@でもすっかり評判になっていたので、舞恵はその再現を大いに期待していたのだったが。先月ここに来られなかったことを改めて悔いてみる。

 「それにしても、やられたぁって感じだね」 千歳は抜かりなく撮影を開始する。
 「先週の台風の仕業かしら?」 櫻は視野の全てを使い、現場を目に焼き付ける。
 その台風通過中の日、センターには小梅も遊びに来てくれていた。幸い、嵐女さんが来る前だったので、まだ雨風が弱い時分のこと。濡れずに済んだ「千住桜木ブルーマップ」には、代表的なゴミがしっかり描き足してあった。櫻がブルーになっているのを見て発奮したか? いや、そればかりではない。小梅は現実を直視していたからこそ、描けたのである。ゴミをネガティブに捉えることなく、そこから何かを見出そうとする気概... それは手がかりやツールとしてのマップではなく、地域に勇気を与える表現媒体そのものになっていた。小梅からもらった鋭気をそのままに、今、目の前に散らばるゴミと対峙する櫻と千歳。何も言わなくても、気持ちは一つである。
 もう一人の表現者、蒼葉は邪魔にならないようにと、干潟を見下ろす位置に三脚と折り畳み式ベンチをセットする。このまま、画業に勤しむもよし、見張り役を務めるもよし。だが、蒼葉は迷う。果たして片付ける前を描くべきか、それとも後か。どっちも現実であり、メッセージを有する点で変わらない。「いや、題材はあくまで『自然本来の姿』。とにかくもう一度リセットしよう」 蒼葉は未完成の油絵を取り出しかけて、また戻す。クリーンアップ参加者は多い方がいい。

 慣例に従い、エリアごとに班分けなどをしても良かったのだが、手慣れたメンバーが集まったからにはその必要はなし。それぞれに役割を考えながら、今は品目別分担で動いている。最初から手分けすれば、再分類する手間が省けるというもの。回を重ねるごとに進化しているのが窺える。
 ルフロン嬢は、缶やらプラボトルやらを専門に集めている。今日は特に少数派になっている男性二人は、大型シートやポリタンクや作業服など、大きめ系を担当。これまで干潟中央に打ち寄せてきたゴミが逆流するのを止めてきた、通称「防流堤」は今や完全に埋没し、その役目に終止符が打たれた。その堤があったらしい場所にはヨシの束が覆いかぶさっている。南実はそこでいつもの作業を励行。束を除けると出るわ出るわ。個別包装関係、吸殻、硬質プラスチック破片、そして粒々。喜々としてスコップで拾っていた研究員だが、思わず息を呑む。「ありゃりゃ、発泡スチレン粒だぁ」
 前回拾い損なった発泡スチロール破片がさらに微細化して散々な状態になっているのである。ヨシが絡め取っているからまだいいと言えなくもないが、それにしても...。とにかく袋に放り込んで、バケツ水を使った選別は後回し、である。南実のこうした一連の所作を何気なく見ていた千歳だが、何かを払拭したい一心が彼女を動かしているんじゃないか、そんな意を強くしている。

(参考情報→発泡スチレンはお早めに

 千住&石島姉妹は、その他もろもろを一気に掻き集めている。大小硬軟様々の袋類、破片類、容器類。あと目立つのはフタ&キャップ。飛ばされやすい、浮きやすい、そういう性質のゴミが漂着し易いことを現場は語りかけてくる。

 「あれ、何スかねぇ?」
 「何かのシートのようにも見えるけど」
 回収作業は、干潟面から斜面に移っていく。男衆の目線は今は水平である。と、横倒しになったヨシ、その隣に本日最大級の大物が打ち上がっているのを見つける。
 「ゴムボート? な、なんでまた?」
 「ま、とりあえず証拠写真スね」
 「正に漂着ってか」
 女性陣が見守る中、千歳と八広はそのクタクタのボートを陸上へ引き揚げることに成功。除(ど)けたらいい塩梅で道が拓けた。いつもの通路とは別に一本。それは湾奥の近傍に当たるため、仮に干潟の中央でゴミを集積した場合、この新ルートを使えば搬出し易くなる。台風増水でヨシが弱っていたところに、漂着ボートが被さり、草分け道のようになったという顛末。

(参考情報→こんなボートも打ち上がる

 十時半を過ぎた。ここまで快調なペースで来ていた八人だったが、さすがに遅々としてきた。全体的に弱った感じのヨシ群は、その密集度を下げていて、「拾ってくれ」と言わんばかり。前回隠れていたと思われる飲料容器や細々(こまごま)した袋片が露見している。こういう時は、ひと呼吸おいて態勢を整え直すに限る。すると、そんな状況を見計らったかのように、意外な男女が近づいてきた。
 「皆さんどうも」
 「おっ、二人ともやってるな。大丈夫か」
 新ルートを伝って下りてきたのは、何と石島夫妻である。
 「珍しいわねぇ、二人して。そっちこそ大丈夫かぁ」
 長女は早速からんでいるが、次女は弁えたもんで、
 「母の京(みやこ)です。蒼葉さん、初めてですよね?」
 と顔つなぎ。この立ち居振る舞い、櫻に近いものを感じる。見よう見まねもあるが、おそらくはこれが小梅の素性なんだろう。
 それにしても何の躊躇もなく、拓けた道から現われた、というのが引っかかる。夫妻が通った後を注意深く見てみると、マーキングした杭が。これが何らかの標(しるべ)だとすると、この通路も実は人為的に整備されたものか... じゃいったい何をしようって? ちょっとした推理を働かせてみる千歳である。

 石島のトーチャンは、一人いそいそと下流側へ歩き出す。過日、父とひと悶着やった次女はここぞとばかりについて行く。今日は決戦である。
 「な、小梅、波を防ぐの造らないとこうなっちゃう訳さ」
 想い起こすのは、夏休みの自由研究のあの日。六月がヨシを引っ張って崩してしまった崖部分である。一旦は増水時に運ばれてきた土砂やらで修復したように見えたのだが、ヨシともども軟弱になっていたためか、えぐりとられるような地形になっている。
 「でも、それじゃ波と一緒にゴミもブロックしちゃうじゃん」
 「ゴミは所詮ゴミさ。水に流すって言うだろ。昔は川に捨てるのなんて当たり前だったんだし」
 「ダメなの! ゴミにも心。拾ってあげなきゃかわいそう。海に流れてっちゃったら、大変なんだし」
 南実先生の話が頭に入っている分、言うことが違う。父、いや河川事務所課長は、職務上、ムキになってくる。
 「ヨシとかカニとかのためにも、ゴミは来ない方がいいんだろ? それにお前達だって、拾う手間が省けるってもんだ」
 崖崩れはあっても、カニの巣穴は健在。だが、その穴には容器片が吸い込まれている。これ見よがしで勢いづく課長。
 「この目で見たんだもん。あんな変なの置いたら干潟がなくなっちゃうよ。ヤダヤダ!」
 そっちが課長なら、こっちは河川利用者である。小梅も負けちゃいない。畳み掛けるように「これ見てみ?」。
 ポシェットから取り出したのは、西新井橋下流右岸、丸太堰やら瓦礫ネットやらと、それらの効なく打ち寄せられた漂着ゴミの数々。ブルーマップを見せに行った際、千歳から預かった証拠写真である。
 「あ...」
 長女に罵られるのは日常茶飯だが、可愛い次女にもこの通りやり込められたら父権も何もあったものではない。掃部先生がその場に居ない分、まだ助かっている。

 同じ頃、当の先生は別の現場にいた。ただし、単独巡回中ではなく、かつてのお仲間と一緒。
 「なぁ、金森氏」
 「...」
 「返事ぐらいしろよ」
 「あぁ、何だ」
 濃いめのサングラス、髭はボウボウ。人相がハッキリしない上に寡黙なこの男。名は金森旭(かなもり・あきら)、生まれは下町某所。清とは同業だったが、リストラだか何だか、とにかく辛酸を舐めることになり、野宿生活を余儀なくされた時期もあったそうな。だが、不法投棄ゴミを元手に、家内製静脈産業を打ち立てるに至り、今では零細ながらも一工場の主となった。ゴミともども自分自身も再生させてしまった武勇伝的な人物である。「この世にゴミはない」とまでは言い切っていないと思うが、廃品を循環させるのが得意技。今日は清に連れられて、西新井橋の下にブツの物色に来たという訳。(千歳のモノログ「千住桜木編」をチェックして来たというから、先生も侮れない。)

 「どうだ、何とかならねぇか?」
 「こうも泥かぶってちゃあな。洗濯機なんかはバラせばいいから汚れててもどうってことねぇけど、オレっちの領分じゃねぇから...」
 「他の電気製品もだが、よっぽどうまくやらねぇ限り、骨折り損だもんな」
 「中国じゃパソコンやらゲーム機やらの基板をよ、硫酸で溶かして金属取り出してるっていうじゃねぇか。危なっかしくて聞いてらんねぇよ」
 「それにゃ日本製も含まれてるって聞くぜ」
 「ま、前みてぇに筐体だかボロ布だか、単純で扱いやすいのがいいな。ここに散らばってるのは今日のところは願い下げ。昔はそんなことも言ってらんなかったけどな。ワハハ」
 本業の話となると饒舌になる旭であった。

(参考情報→E-wasteを出さないために

 「それにしても、家主はどこ行っちまったんだろな」
 四人が当地を訪れてから二週間が経っているが、どうやらテントに変化はない。推察の通り、廃屋になってしまっているようだ。

 先生はいなくても、代弁者はちゃんといる。小梅に代わって、課長を囲むは、アラサーのお三方である。巡視船ツアー中に質問してきたのと同じ顔ぶれ。石島湊、崖崩れよりもまず己れを案ずるのが先だったか。
 「いえ、皆さんその... まずは下調べ、ということでこの間、踏み込んだまででして」
 「いいも悪いも、話を聞かないことには何とも。説明会のようなものはあるんでしょうか?」 千歳もちょっとカリカリ来ている。
 「それもそうなんだけど、引き波禁止にすれば済む話じゃないんですか?」 と南実はツアー中の質問の延長で提案する。
 「それがその、自然再生する場合、何らかの緩衝物を設ける必要が出てしまうもんで、それだけじゃ」
 「そもそもここがどうして対象なのか、対象になろうとしているのか、過程が不透明な気がしますねぇ」
 「勝手に対象にして、余計な工事されちゃ、川が気の毒ですよ」
 河川事務所の所管に当たるのかも知れないが、課長も知っての通り、ここは皆の干潟である。千歳と南実の相次ぐ攻勢に、表情が虚ろになってきた湊である。
 「こうしましょうよ。河川事務所のお考えを聞く会をとにかく設ける。場所は中立性を考えて、当センターで。推進派とそうでない派に分かれる可能性はありますが、あえて両方の立場を強調してぶつけることで、一致点を見出す、そんなやり方... どうです?」
 櫻がコーディネーターらしい仕切りで、ピンチの課長にひと息ついてもらう。
 「そうだねぇ。でも対立構図を作っちゃうと、両者譲らず、最後はお流れ~ってリスクも出てくるよ」
 「その辺りはコーディネーター次第じゃないですか? 千歳さん...」
 「え、僕が?」
 「発起人なりのお考えで、まとめちゃえばいいんですよ、ね?」
 櫻と話していたら、流れでそういうことになってしまった。だが、コーディネートは未知数ながら、プロセスマネジメント手法で、ということなら策はある。議論もプロセスありき、しっかり流れを整えさえすれば。論点をハッキリさせながらも、対立を煽らず、合意点を探る、そんな組み立ては十分可能な筈だ。
 あとは、公務員どうしで具体的に段取りを決めてもらえばいい。手間がかかりそうな書状関係も心配は要らないだろう。確実な線を狙うなら、文花と辰巳のラインで河川事務所に登壇依頼を出せばOK。
 「でも、文花さん、いそがしいだろうしな」
 役員選考が一段落した辺りに設けるか。だが、後手に回ると工事が既定路線に乗ってしまう虞(おそれ)もある。課長職にどれほどの権限があるのかは不明だが、ここは何とか凍結の旨、確約がほしい。が、湊はすでにその場を離れ、消えつつある水際の襞模様を観察している。ちょっと淋しげではあるが、家族がそろってる手前、気丈に振る舞わないといけない。トーチャンはツライ。
 そんな父には目もくれず、姉妹はさっきからしりとりをしていた。再生工事 → 潤滑油 → 指サック → 靴下 と続いている。
 「た、タバコの吸殻」
 「何で、らにするのよ。こで止めなさいよぉ」
 「ら、あるじゃん、ホレそこ」
 「ははぁ、ラーメン、の袋」
 「せっかく、んで引っかけようと思ったのに。ろ? 労働者、じゃダメか」
 しりとりにかけては、千住姉妹も名人だが、石島姉妹もいい線行ってる。梱包用のストラップバンドは落ちているが、今日はロープが見当たらなかった。小梅がつなぐのに窮するのも仕方ない。

 さて、他の労働者各位は、と言うと、石島夫人と蒼葉は、拾い終えた品々をより細かく分類している最中。舞恵と八広は、しりとりの合間を縫って、さっきの続き。ヨシが発するSOS要請に係るゴミを可能な限り引っ張り出している。前回ドタキャンの無念を晴らすような気合いの入れよう。舞恵は無意識のうちに無表情になっていた。
 「ルフロン、顔が怖いよぉ」
 「女神さまに向かって、そりゃないでしょ!」
 「うへぇ、益々コワイ」
 女神さんは、二リットル級のプラボトルを手にすると、隣人の臀(でん)部に一発。
 「あら、いい音」
 きっとご加護があることだろう。
 十一月四日、十一時四分。余裕の進行と思っていたが、お騒がせトーチャンの一件もあり、そうでもなかった。11.4 11:04...「いいよ、いいよ」と誰かが云ったような、そんな気がした。