2008年5月6日火曜日

45. 自然再生論

十二月の巻

 十二月というのは何も予定を入れないくらいが丁度いい、とは云うものの、これをやらないと年を越せない、ということもある。河川事務所か、はたまた其処(そこ)の一課長か、どこの発案かはいざ知らず、ヨシ原や干潟の保全のためとやらの再生工事の話が持ち上がって以来、どうにも落ち着かない日々が続いていた訳だが、今日は一つの決着を付ける待望の一日。センターの御三方は朝からせわしなく、昼食もそこそこに切り上げる状態。会議スペースや受付の準備をしていると、助っ人スタッフとして、先週決まったばかりの新たな理事候補男女一名ずつ、それに前々からの役員さんで、例の課題論文「流域考察」で合格を得た理事候補がやって来た。この方、ご年配ながらフットワークは良く、地域事情通、そしてちょっとした女流作家だったりする。論文が通らない道理がない。
 「あ、玉野井のおば様、いらっしゃい」
 「先生はまだ?」
 文花と一言二言交わし始めた矢先、当の先生がゆっくりと現われた。今日から師走なれど、走るほどいそがしくはない先生である。
 「よぉ、緑のおばさん、しさしぶりだなぁ」
 「ホホ、先週はごめんなさいね。三連休だったから、つい遠出しちゃってね」
 おばさんと言われても別に気を悪くすることなく、この通り余裕の返答ぶり。緑のおばさんてのが引っかかるが、何を隠そう、お名前が緑さんだからである。特にペンネームはないので、何かを書き著す時は、そのまま「玉野井 緑」で出している。同年代、かつ物書き同士、てことで、掃部のおじさんとは話が合うようだ。時は十三時、話を聞く会開会まではまだ三十分ある。
 理事候補の顔ぶれが固まってきたところで、櫻も徐々に打ち解けてきた。新しい候補二人と、受付のセッティングなどを今はしている。千歳は先週同様、プロジェクタ関係の調整に励む。河川事務所からは石島課長と、随行が一名いらっしゃるそうで、発表用資料はPCに入れ込んで来る旨、聞いている。配付用資料も当日持参だとかで、即ち事前には何の情報もない、ということ。何らかの予備知識があった方が進行上は円滑なのだが、出たとこ勝負というのも大いに臨むところである。コーディネーター役を仰せつかった千歳は、柄にもなく武者震いしている様子。スクリーンに映し出すPCデスクトップ画面のピントがさっきから合いそうで合っていないのですぐわかる。
 受付客第一号は、弟子のお嬢さんである。本日の役回りは言わずもがな、先生のアシストだが、少々気負いが見受けられる。受付表に名前を大きく書き過ぎて、
 「あらら、小松 南になっちゃった」
 「実が落ちちゃったって」
 「十二月ですもんね、いろいろ落ちる... って櫻さん、何よぉ」
 「エへへ、改めまして南実さん。あの私、何て言うか、お詫びしたいことがあって...」
 「あ、だったら、私も」
 受付でのほんの一コマなどと言っては不可(いけ)ない。実に実のある、奥深いやりとりなのである。だが、この続きは何だかんだで明日に繰り越されることになる。今日の会はそれだけ大波小波の何とやらだったのだ。
 開会十五分前、聴講者がポツポツ来るのに混ざって、河川事務所の二人が現われた。資料をギリギリまで仕込んだ甲斐があったか、これでバッチリ然とした堂々たる登場ぶりである。
 「やぁやぁ、掃部先生、今日はお手柔らかに頼みますよ」
 「ま、ちゃんと出てきたんだから、感心感心。来たからには、いい話聞かせてくれる、ってことだよな?」
 「今日の資料はちょっとした自信作でございます」
 いつもなら平身低頭になるところ、今回は屹然(きつぜん)と応じている。お付きの人物は、受付に配付用資料などをセットしつつ、配り始めた。千歳は預かったPCをプロジェクタにつないで試験投影中。舞台は整いつつある。
 この後、運営委員候補の男女二人、チーム冬木からも男女二人、十月の回の参加者なども集まり、開会定刻にはすでに三十余名に達していた。つまり会場はほぼ満席。

 「皆さんこんにちは。今日から十二月。歳末ご多用のところ多くの方々にお越しいただき、ありがとうございます。」
 司会進行役は、櫻が務める。いつもなら気の利いたフレーズの一つや二つも出るんだが、会の性格上、粛々とやっている。否、素顔の櫻に注ぐ会場の視線が妙に熱いもんだから、不覚にも硬直してしまった、ということらしい。こういう時はさっさと開会挨拶に振ってしまった方がいい。
 「...行政担当者から直接お話を聞く機会というのもそうそうないと思います。今日はまずお話を伺って、その是非を皆さんで考えてもらいながら、よりよい案などを見つけていければ、というのが趣旨です。単に『反対』とか『中止』とかじゃなくて、対案なり協働プランなりを出していただく、といった感じになりますかね。当センターとしては、ちょっと硬派な催しですが、議論を通じて、体を温めてもらおうというのもございます。室温は予め低めにしてありますので、どうぞお気兼ねなく...」
 文花も随分と挨拶慣れしたものである。室温設定について文句を言う客もこれなら出るまい。沸く客席に一礼して着席すると、櫻とアイコンタクト。
 「あ、それでは早速、本日のお話『干潟とヨシ原の保全に向けた試み』について。石島課長、お願いします」 文花まで変な視線を送るもんだから、課長のプロフィール紹介がすっ飛んでしまった。ま、石島を知る人は、全体の三分の一はいるので、さしたる支障はなかろう。
 櫻が司会席に戻りかけた時、見慣れた青年が受付でウロウロしているのが目に入る。
 「八宝さん、いらっしゃい」
 「ヘヘ、毎度の遅刻、すんません」
 「今ちょうど説明会が始まったとこ。でも、席がねぇ... あ、受付に座っててもらえばいいんだ。二十分ばかりお願いしていい?」
 櫻は先週と同じようにカウンターから会場とスクリーンを眺めることにした。時折、配付資料に目を落としては、静かに溜息。対照的に課長の方は息巻きながら熱弁している。

 話の流れは概ね、一、荒川下流における自然再生の現況、二、その再生を妨げるゴミの実情、三、再生効果を上げつつある消波用造作物の紹介、そして、
 「今、当の干潟と同じような箇所を調査しているところです。調査のモデルとして最初に指定させていただいたため、一部に人手が入ってしまいましたが、まだ工事が本決まりになった訳ではありません」
 と弁解しながらも強気なことを仰る。「決まった訳ではないが、進める前提...」そんな言葉のウラが読み取れる。油断ならない。
 今のところ機材係の千歳は、スクリーンを監視しながらも、配付資料に入念に赤入れしている。さらにその傍らでは普段は円卓にあるおなじみのノートPCを起動させ、議論になりそうなポイントを打ち込んだりしている。いつでも投影できるようにプレゼンソフトを使うあたりはさすがである。それにしても、立場上、中立じゃなきゃいけないってのが悩ましい。頭の中では、言いたいことが漂流・漂着し出している。
 「で、今回の再生、つまり消波実験の要点は、次の三点にまとめられます」
 1.波からヨシ原を守る 2.干潟の安全性を確保する 3.ゴミの漂着をできるだけ遮断する これらが箇条書きでスクリーンに映し出される。千歳はすかさずそれらを打ち直して、唸る。「漂着を遮断?」

 単に話を聞くだけなら、ここで質疑応答が入って、おしまいになってしまうところだが、今回は違う。櫻があわてて駆け込んでくる。
 「は、失礼しました。石島課長、どうもありがとうございました。では一旦休憩に入ります。14:10からは対話の時間、進行役は当センターの情報担当 隅田に代わります。よろしくお願いします」

 プロジェクタをつなぎ替え、ワイヤレスマイクを点検し、赤入れ資料を読み返す。こういう状況だと、櫻も近寄り難いようで、何となく距離を置いている。南実としては話しかけに行くチャンスではあるが、やはり緊張感を保つように先生の隣でスタンバイモード。八広は何とか席を見つけて腰を下ろす。程なく会場は静まり、第二幕「対話」が始まる。
 「この時が来るのを心待ちにされていた方も多いと聞きます。ここからは、対案・対話タイムです。私、隅田が進めさせていただきます」
 特にツカミをどうこうするでもなく、千歳も無難な感じで切り出す。だが、期するものがあったようで、次に面白いことを持ちかけた。
 「早速ですが、現時点での意識調査をさせていただきます。工事の是非はヌキにして、『消波』そのものの必要性を問いたいと思います。必要だと思われる方は、石島さんのいらっしゃる側へ、必要でないと思われる方は、その逆側へ。どっちとも言えない、という方は様子を見ながら両者の中間あたりに、それぞれお席を移動してもらえるでしょうか」
 スクリーンには、要と否とで矢印を振り分けた図が大写しになっている。なかなか手筈がいい。
 「ご面倒かけました。ご意見を整理していく上で、目に見える形にしておこうと思いまして... 今のところ必要派の方が多いようですね。では、不要派の方からご質問なり対案を、と思いますが、一応、ポイントに沿って、ということでお願いしましょうかね」
 第一幕で提示された三つのポイントが再度スクリーンに現われる。対案が出たところで、ここに書きなぞらえようという設定である。まずは、1.波からヨシ原を守る について、不要派の挙手を求める。手が一斉に挙がるようなことがあればヒヤヒヤものだろうが、こういう時はえてして静かなものなので、多数派の石島課長は悠然と見守っている。
 「では、ここは代表して、掃部さんにお願いしてよろしいでしょうか」
 小さく手を挙げてはいたので、指名しやすかったのは確か。コーディネーター席の隣、スクリーンの直下に座ってもらい、一席持ってもらうことにした。
 「結論から申しまして、1.については『波が来ても平気』、2.については『し潟は安全を確保するためにある訳ではない』、ということです。3.はまた後で議論するとして、とにかく消波するには及ばない、というのが当方の見解であります」
 対立構図を作るつもりはなかったが、乗っけから単純論法で「反対」が示されたようなものである。歩み寄りを促すつもりはないが、溝を埋めていく必要はある。コーディネーターの腕の見せ所だろう。千歳はひとまずスクリーン上に先生の言い分を書き足していく。
 「で、石島さんにお尋ねしたいのは、法的根拠でございます。察するに自然再生推進法ってとこだとは思いますが」
 まだまだ余裕の石島氏は軽く一言、「左様でございます」
 「皆さん、ここで『推進法』てのがクセ者な訳です。再生を推進てのはどういうことか。工事の上塗りを推し進めるような名称だったのがそもそもの間違い。自然を生かした川づくりと言いながら、コンクリの廃材を再利用したコンクリでもって、新たに護岸を作っちまったなんて笑えない話もある。廃材利用=環境配慮って勘違いがまかり通って、自然再生が自然再破壊になっちゃった。そんな不自然な例が後を絶たないんだそうです。とにかく新しく何かを造るっていう発想をどうにかしてほしい、ってのがあります」
 ここで課長が挙手、千歳は前方に来るよう勧める。
 「不適切例は重々承知しております。今回の実験は、あくまで多自然型のアプローチです。流域の粗朶(そだ)や石を使って沈床を設け、それ自体が自然の一部になるように配慮しています。ヨシ原、干潟、消波ブロックが一帯となって、多様性を醸成することを目指そうと...」
 「いやいや、それでも人工物には変わりはないさ。だいたい何であそこに設ける、し、必要があるのかが不透明。理由が後付けな感じがしてよ。つうか、場当たり的なんだよ。ま、バチ当たりと紙しと重(え)ってとこだな」
 「対応が後手になったらなったで、いろいろ仰るでしょ。早めに手を打つ、ってのもあるんですよ」
 「今まで知らなかったんだろ。急に何だよって話さ」

(参考情報→不自然な川づくり

 段々ヒートアップしてきて、これはこれで観衆としては見応えがあっていいのだが、調整役としては看過できない。
 「ちょっと本旨から反れてきたようなので、1.2.について整理します。自然志向の造作物であることはわかりました。ただ、それが本当に自然にとっていいものなのかどうか、そこを突き詰める必要がある、そんなとこでしょうか」
 「これは小生の持論でありますが、基本的には自然に対しては余計なことはしない。するなら最低限の手助け程度でいい。そして新たに何かを造ったり加えたりというのは避け、あるがまま、本来のままを活かす。そういうことだと思います」
 「本来の」は、十一月の回で画家の蒼葉からも出たフレーズ。そこをどう論破するかがポイントだったが、わかっていた割には詰めが甘かった課長である。反証する前に、千歳にひと区切り付けられてしまった。
 「自然再生の本来的意義についての議論を深めたいと思います。ここらで質問などありましたら、お願いします」
 こういう展開だと、手も挙がりやすくなってくる。必要派からは、人が介在するレベルはどう見極めるのか、不要派からは、人為的に造った自然地もこの際見直した方がいいんじゃないか、両派からそれぞれ含蓄ある質疑が出された。千歳はそれらをさっさと打ち込んで、スクリーンに投じる。
 「河川事務所としては、市民・住民の皆さんの声によって動くことが多(おお)ございます。要望にお応えしていくのが優先なので、レベル等は設けておりません」
 「そこだよ、お役所が何でも言うこと聞いてたら、御用聞きと同じじゃないか。これは要望を出す側にも問題があんのかも知れないが、何らかの原則を設けてそれに照らして対応するのが筋だと思う。小生の原則論は、あくまで自然の都合優先。人間のご都合で自然に手を出すってのは邪道な訳さ。どっかでしっぺ返しを喰うのがオチよ。レベルってことなら、自然が自力で回復するための最低線だろな。外来種をどかしたり、下草刈りしたり、そうそうゴミの除去もな」
 一気呵成に畳み掛ける。だが、その次の問いについては、鷹揚(おうよう)な答えが返ってきた。
 「ま、造っちまったもんは仕方ない、という見方もあります。人為であっても自然は自然。長年経過すれば一定のシステムが出来上がってるでしょうから、それをわざわざ壊すこともない。要するにそれを以って反省材料とするか、懲りずに続けるか、そこが分かれ目な訳ですわ」
 課長は青白い顔になっていたが、これで少し回復した。メリハリの利いたトークは掃部節の真骨頂。だが、フンフンと頷く向きが多いと見るや、ここでズバッと持論の最たる部分を持って来る。
 「造っては壊し、壊しては造り、そういう時代ではありません。自然再生を進めるのであれば、むしろ壊し放しでいい。人工物がなくなれば自然てのは勝手に再生するもんです。再生の名を借りた新たな施しは無用。自然の声に耳を、自然の都合に目を、です。これは地域・流域の皆さんにも言えることですがね」
 早くもまとめのような話が出てしまった。ここで要否について意識調査をすると、要らない派があっさり増勢することだろう。あまりにも自明なので、千歳はあえてポイントの三つ目に話を向けることにした。
 「さて、自然再生に際して障害になる漂流・漂着ゴミですが、消波ブロックがそれを防ぐというのはちょっとどうかな、とも思います。進行役という立場上、意見を申し上げるのは憚られるのですが、再生工事を進めるためにゴミを引き合いに出しているような印象は否めません。自然再生論とはまた違った視点で、要否を問う必要を感じます。いかがでしょう?」
 ここは先に石島課長が陳述を始める。
 「先ほどの掃部さんの話を継ぐとすると、ゴミもあるがままでいいってことになろうかと。最低線ということで人が除去する必要は説かれてましたが、漂着するものの中には流木や枯れ枝なんかもあります。人工物と自然物を選別する手間は馬鹿にならないでしょう。ならばいっそ、となる訳です。ゴミの流れ着く量が抑えられれば、干潟やヨシ原に棲む生き物にとっても快適でしょうし」
 説得力があるような、そうでないような。だが、元来そういう役割のためのブロックでないことは明らか。後付け観が拭えない。
 先生も大いに一言あるのだが、弟子がいち早く手を挙げた。
 「それは異議アリです。漂流・漂着は自然の摂理。ゴミもこの際、流れ着いてもらっていいんです。あるがままとは言っても、拾わなくていいとは言っていない。人が出したものは人が片付ける。それが最低ラインの手助けです。そもそも、目立つゴミが防げればそれでいいってことはありません。粒々、いや細かいプラスチックゴミなんかはブロックしきれないでしょう。生き物にとって特に脅威になるのはそうした細かいゴミの方です。ブロックできないなら尚のこと要りません」
 その道の研究員に実証的な発言をされては元も子もない。要る派にも援軍がいればいいのだが、これで益々分が悪くなって来た。
 「な、石島さんよ、要は生き物全体の為にはどっちがいいかってことよ。し潟に到達する量は確かに減るだろうよ。でも、流した先はどうなのさ。東京湾、太平洋、ってどんどんゴミは流れてっちゃう。一部はどっかの海辺に流れ着くだろうけど、それならできるだけ発生源に近いところで回収した方がいい、って。違うかい?」
 分が悪いことは承知しているので、ここはなだめるような口調で言って聞かせる。だが、それでは解決にならない。対案が求められる。
 「対案ということではどうでしょう? 流すのはNG、回収するのは大変、となると、どうすればゴミそのものを減らせるか、って話になりそうですが」
 クリーンアップの発起人とリーダーはこの催しの主催者側スタッフなので、ここぞというところでの発言ができないのが何とももどかしい。千歳としては「回収するのは大変だけど、慣れてしまえば...」というのが正直なところ。文花も現場で鍛えている以上、説得力ある発言は十分可能だろう。だが、やはり口を挟めない。
 どっちつかずの席にいた緑のおば様の手が挙がった。これには千歳も意表を衝かれた。
 「ちょっと話が変わっちゃうかも知れないけど、ゴミが流れてると魚なんかも迷惑よね。ホラ、六月の講座で先生教えてくれたじゃない。ソウギョだっけ? あれが干潟に打ち上がっちゃうのも、実はゴミが原因だったりするんじゃ?」
 先生はちゃんとその時と同じフリップを持って来ていたが、それは南実の隣に置いてある。気付いた弟子がパラパラめくって、その一枚を会場に示して見せる。照明をやや落としてあるのでハッキリは見えないが、文花もしかと凝視している。
 「死因は水関係だとは思いますけど、解剖してみないとわかりません。中から微細ゴミが見つかったら... あ、ところでブロックがあると、大魚が打ち上がるのも止めちゃいますね。そしたら、鳥がついばみに来られない、かも」
 「し潟は、食物連鎖の舞台だからなぁ。不本意な死に方でも、それならまだ浮かばれるってもんよ。ま、魚なんかの為を思って、水の良し悪しにも神経尖らしてる国交省さんなんだから、やっぱゴミを流して済ますてのは理屈に合わんわな。あの溶ける燈籠だって、水質汚染になるからってんで回収することにしてんだろ?」
 「あ、ハイハイ。仰せの通りでございます。そこまで言われちゃ、しがたないです」
 いつもの平謝り調になってきた石島のトーチャンである。「しがたない」と茶化すのが精一杯。
 一家言を有する八広がここでようやく口を開いた。千歳としては、待ってました、である。
 「ゴミを減らす、つまり発生抑制策については、やはり河川事務所としても打つ手はあると思います。いわゆる美化清掃ってことではずっと続いてますし、ボランタリーな活動で拾い集めたものについてのサポートもある。でも、それはあくまで対症療法。もっと踏み込んで、もっと遡って、出させないところに力を入れてほしいです。抑制というか予防スね」
 「省庁横断型とか、自治体連携型とか、そういうのって難しいものなんでしょうか。海のゴミは基本法とかで動きが出てきましたけど、河川の方は今ひとつ見えない。水面や川底の清掃、不法投棄物の処理、そうした大規模な作業は勿論評価できるんですが、あくまで管轄する河川において、管轄者として、ですよね。それと並行、いや予防の方により重点を置けば、そうした作業も減らせる。そのためには、いろんな省庁や団体や市民と組んで、かと」 南実がフォローする。さすが、higata@メンバーである。
 「皆さん、ありがとうございます。ゴミを減らす話については、実際にどんなゴミがどれくらい、というのをお見せしながら改めて。より具体的に解決策を探る場を別途設けたいと思います。ということで、今回の実験の是非に話を戻します。今聞いていて思ったのは、こんなところです。どうでしょうね」
 スクリーンには、木・林・森、それになぞらえる形で、干潟・川・海、と文字が並んでいる。「つまり、一部だけではなく全体、全体だけではなく一部。双方向から見る目が大事なのではないか、と。川も一つのシステムとして捉えると、どこか一部だけ良くしても効果が上がらないのは明白でしょう。ゴミの対策も部分的にではなく、全体で。自然再生についても然り。総合的な視点で考えた時、今回の消波実験はどういう意味を持つのか... その辺の説明はいかがでしょうか、石島さん?」
 「場当たり、思いつき、そんな風に思われても仕方ないですね。システム論はごもっともです。その観点、確かに欠落しておりました」
 少々酷ではあるが、ここで改めて聴衆の意識を探ることにした。だが、休憩を挟みながら、とすることで、場の空気を緩めてみる。スクリーンには「15:15 再開」と投影された。



 第二幕、いやここからは第三幕である。予定では、十六時終了が目標。何らかの結論、落としどころを示すための大事な幕。大方の予想はついている。それでも、全員が納得の行く合意が得られることが肝要。対立の構図を残さず、うまく幕引きできればいいのだが...。
 「さて、どうやら要らない派の方が増えた気も致しますが、要る派の方もいらっしゃいます。これまでの議論を踏まえて、ご意見なりコメントなり、いかがでしょうか。ではまず、要る、の方」
 要る派の意見として出たのは、遊び場や憩う場とするなら安全面は確保すべき、との積極的理由と、あって悪いものじゃないから、といった消極的理由。要らない派についてはあえて聞くまでもないところだったが、特に強く主張されたのは「進め方が良くない」という点だった。プロセスマネジメント的にも、今回の実験話は問題ありと見ていた千歳だったが、同じように見る向きは来場者にもあった訳だ。心動かされるも、心境は複雑。こうなると、自然再生論やシステム論をいくら積んでも、河川事務所の所為(せい)や作為を根本的に変えるには至らない可能性が出てきた。ここは結論を急がない方がいいかも知れない。
 中間派の席は会場中央にはなく、第二幕開始時とは逆方向に大きく傾いていて、八広も緑も依然そこに居る。代表して八広が云うには、「とにかく皆で現場検証してから、じゃないスか?」 緑のおば様も小首を振っている。
 明日はその検証日に当たる訳だが、方向性は決めておいてから臨みたい。検証結果によっては変更あり、としながらも、この時点での暫定合意案としては、
  1. ヨシ原の一部は復元する(崖崩れを修復することで、干潟の安全を保つ)
  2. 干潟は原則ノータッチ(本来の姿を尊重する)
  3. 漂着ゴミは受け容れる(とにかく回収・分別等を続ける、抑制・予防も考える)
 となり、消波実験はひとまず凍結することとなった。これで一件落着には違いないのだが、この合意形成の過程で、思いがけず新たな論点が浮き上がる。プロセスの読み違え?と言ってはマネージャーに気の毒だ。こうした対話の場においては、むしろ必然。それだけ議論が活発になっている、ということである。①消波以前に増水時の対策が先ではないか、②引き波禁止の指定はできないのか、③干潟に通じる道を整備する(クリーンアップをしやすくする一助)のは、やはり人間都合になるのか...

 何とかコーディネーターっぽくまとめてきた千歳だったが、こうも話が分岐してくると、さすがに収拾がつけにくい。スクリーン上には辛うじてその三点が表示されているが、解決案を書き足す予定の右向き矢印が付されたところで膠着している。一つ一つディスカッションしていくか。
 「これらの論議は、消波実験の要否とは切り分けて、河川事務所としての見解をまず伺う、ということで、よろしいでしょうか、ね」
 ご来館当初の威勢の良さが失せて、ローテンションなトーチャンである。是非は問わないので、ただ思うところを述べてほしいだけ。だが、萎縮してしまうと口も開けにくくなるもの。「そう、ですね。今夏のような増水があると、消波も何もないですね。正に水系全体で考えないといけません。いわゆる治水に関しては公共事業が欠かせない訳ですが、自然再生と対立する面が出てくるので、なかなか... 今はわざと氾濫させるのも治水のうち、という考え方も出ていますが、現実問題、『あるがまま』ってことでは通用しないもんですから」
 このくらい弱気な方が同情も得られるというものである。先生はこの答弁を受けて、
 「いや、川ってのは生き物なんだから、そういうリスクはつきものさ。昔からそこに住んでる人間だったら、それは当たり前として受け止める。人がいい気になって、川をコントロールしようとするから役所も苦労するんだ。川の動きに合わせて人も動けばいい。ま、氾濫しやすい場所をわざと造る手もあるけどな」 穏便に返すのであった。
 引き波禁止については、他の箇所も含め、再度検討すると言う。干潟へのアクセスについては、明日実地を見てから、と相成った。冬場はヨシも減退しているから、あえて整備するでもなかろう、というのが大筋の見方ではある。
 終了予定時刻まで、あと十分余り。通常ならこの辺りでまとめに入れば丁度いいのだが、「進め方が良くない」の件が引っかかっていた千歳は、まとめ代わりに新たな問題提起を試みる。
 「さて、本来でしたら結論の確認に入るところですが、少々お時間をいただいて、違う角度から今回の実験話の背景を探ってみようと思います。お題はちょっとシビアかも知れませんが、こんな感じで」
 大写しになったのは、何と『なぜ、役所が良かれと思ってすることは、理解が得られにくいのか』。これには石島氏も付き人も苦笑せずにはいられない。第二幕から第三幕の間に退席した客は数人いたが、この場ではそれはなし。会場はどこからともなくどよめきが起きている。
 同情ついで、という訳ではないが、この際、石島課長の気が済むように、もっと突っ込んで話を聞こう、という千歳ならではの配慮である。こうした探りはインタビュアー経験が生きるようだ。早々に切り出してみる。
 「進め方についてのご苦言がありました。私見を述べさせてもらうなら、プロセスが示されないうちに、既成事実のように進めてしまう、それが一因ではないか、と。体質的な要素も大きいように思います。どうでしょう?」
 「まぁ、予算枠にちょっとした空きがございまして、それなら、という感じでした。下半期に入ってましたので、今年度中となると急がないといけません。拙速ってヤツですね」
 自戒気味に答える課長である。肩の力が抜けている分、今は滑舌である。
 「あのぉ、例えば新しいものを造る方が手っ取り早いとか、点数を稼ぎやすいとか、そういうのってどうなんスか?」 八広がさらに突っ込む。記者会見のようなノリになってきた。
 「そういう連中もいるにはいます。でも、小職の場合はちょっと動機が異なりまして、そのぉ...」 再び言い淀んでしまった。
 「お差し支えなければ、教えていただけませんか。記憶には残るでしょうけど、記録には残しませんから」 会場は心なしか和んでいる。話をしやすい空気を作るのもインタビュアーのお役目である。
 「公務員の分際で誠に面目ないのですが、これでも娘が二人おりまして、姉妹そろって当の干潟を大いに気に入っておるんです。長女は干潟の話題をきっかけに会話してくれるようになりましたし、次女も原体験が良かったのか、元気を取り戻しました。それで、娘たちがもっと安全かつ快適に過ごしてもらうにはどうしたらいいだろう、って、ま、勝手な親心なんですが、ね」
 私情を挟みたくても挟めない、公務員の悲哀を感じさせるエピソードである。千歳はまさかこんな裏話があろうとは予想もつかなかったので、ちょっとしたお手柄ながら、拍子抜け。清と緑がパチパチと手を打つと、拍手は会場全体に広がった。インタビュアーに向けられた分もあるだろうが、娘を想うトーチャンへの賞賛が主であることは疑いない。
 「何だよ、いいとこあんじゃんか。それを先に言ってくれなくちゃ、な」
 櫻も思わず声を上げる。
 「石島さん、姉妹には伝えたんですか?」
 「まさか。親の情はさりげなく、です。ダメですかね?」
 「じゃ私がいずれ。明日ご一家でお越しになれば話は早い気もしますが。あ、お姉さんは受験勉強中でしたね」
 「ハハ、勘弁してください。今回は凍結になっちゃった訳だし、お恥ずかしい限り」
 「いいんですよ。その気持ちが大事。確かにお伝えします。トーチャンの話、良かったよって」

 前の席にいた石島課長と掃部先生は、プロジェクタの光を受けながら、握手を交わす。どこまでどう合意形成が図れたのかよくわからなかったが、終わりよければ何とやら。千歳は最後に、「長々とありがとうございました。もう一度、よき父、石島湊さんに大きな拍手を」と締めることで、まとめとした。河川行政がこれで変わるかどうかは定かではないが、担当者の話を掘り下げて聞くことの重要性が認識できたのは大きい。

 「という訳で、明日も今日と同じ一時半から、場所はその干潟になりますが、続きを行いたいと思います。検証が済んだら、実態調査を兼ねたクリーンアップをします。軍手、レジ袋をお持ちの上、濡れても平気な靴でいらしてください。石島姉妹は来られないかも知れませんが、二人のためにも安全・快適な環境にしていこうと思います。ちなみに隅田氏はクリーンアップの発起人、私、千住はリーダー役をしております。今日は仲介役という立場上、二人とも発言を控えておりましたが、明日はしっかり議論に加わろうと思いますので。よろしくお願いします!」
 南実の潮時情報により、十二月のクリーンアップは午後開催というのが前々から流れていた。小梅は塾のため参加見送り。トーチャンズの試合予定はないので、父君は出て来れる見込み。ま、とにかく明日、である。
 予定よりオーバーしているが、十六時十五分を回ったところで、文花事務局長より事務連絡が入る。センターの活動をサポートしてもらうための会員募集(仮入会)の件、ついでに創設準備中の運営団体名(NPO法人正式名称)募集の件、環境ナビゲーションサイト「KanNa」のPR、そして、
 「今日の討議で話がありました、ゴミを減らす協議については、来年一月十二日午後の開催を予定しております。その後も地域課題解決イベントのようなものを毎月第二土曜日に定期開催していくつもりです。皆さんどうぞよろしく」
 「って文花さん、いつの間に?」
 「今、思いついたの」
 「あのぉ、プロセスが不透明なんですけど」
 「ま、皆さん、こういうことがないように、って。悪いお手本でした。失礼」
 「せっかく温まったのに、今のでヒヤっとしてしまいました。おっと、おあとがよろしいようで」
 いつもの掛け合いを以って、無事終了。拍手はしばらく続く。起立して頭を下げていた千歳はそのまま動けずにいた。
 湊、文花が握手を求めて近づいてくる。ちょっといいシーンである。

 閉館まではまだ時間があるので、理事と運営委員の新候補各位、清、緑、八広、文花が議論の続きをしている。特に新理事のお二人は質疑で活躍したこともあり、言動に注目が集まる。今は脱ハコモノ論に興じているようだ。
 「議論を現場に引き継ぐってのは、何かこう突き抜けた感じでいいスね」 八広が寸評を入れると、
 「必ずしもハコがなくても、ってこと。人が集まればそこで何かが生まれる、それも現場。で、現場を焚き付けることで地域が元気に、かな?」 文花が軽くまとめる。
 「でも、おふみさんはハコ入りなんだろ。ハコがないと困るんでないの?」 先生がからかうも、
 「いえ、ハコは卒業です。これからは私も外に出ます」 見事な宣誓で答えてみせた。事務局長にこう言われては、他の面々も動かない訳には行くまい。在来の、あるがままの環境を守る、サポートは最低限、これは川に限らず、どんな自然環境に対しても当て嵌まりそうなこと。明日はひとまず身近な干潟でそれを確かめることになる。

 という訳で、会議スペースでは八人が雑談中。南実は一人円卓で、Comeonブログを見ながら議論のおさらいなどをしていたが、未だコメント投稿機能が付いていないため、もどかしさが募るばかり。論文ネタを探すことを思いつくと、下の図書館へ。センター閉館まで文花を待つことにした。カウンターにはいつもの二人。一応、明日の段取りなんかを打合せしているのだが、
 「やぁやぁ、隅田クン、今日はご苦労でした」
 「ハハ、まとめが今ひとつ、でしたが」
 「いやいや、立派なもんですよ。さすがはマネージャー殿って感じ。惚れ直しましたワ」 脱線しているような、そうでないような... 千歳は温まるどころか熱くなっている。櫻は顔が火照っている。勤務時間中というのが悩ましい、いや恨めしいお二人さんなのであった。

  • タテ書き版PDF 自然再生論(前編) 自然再生論(後編)
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