2008年12月2日火曜日

80. 漂着モノがたり


 展示を見学する客もそこそこいたが、その姿がなくなり、ステージともども片付けが済んだのは十七時過ぎ。その頃までには金森氏、寿(ひさし)ご三代、石島夫妻が、そして辰巳と太平の長身コンビも程なくご退場となった。お相手がいなくなり、つまらないことこの上ない文花ではあるが、おクルマゆえ呑みたくても呑めない。このやるせなさ、どう晴らしたらいいものか。
 河原桜の一隅に祝いの席が設けられるも、宴席世話係のご機嫌があまりよろしくないので、静かなスタートとなる。ともあれ、桜色舞うころ、桜の木の下で、である。櫻さんにとって、絶好のシチュエーションであることに違いない。
 ステージのふりかえりは追い追いするとして、まずは、
 「誕生日おめでとう!」
 だろう。アコースティック系楽器が手元にあれば話は変わってくるが、バースデイソングはやはり大合唱に限る。
 「皆さん、ありがとう...」
 通常ならこのまま一言頂戴するところだが、事情を知る一団は、発表云々を待つことにして、ひとまずパス。さっさと花見モードに切り替えてしまうのであった。
 さすがにケーキは用意できなかったものの、永代(ひさよ)が持ってきた手土産がある。クリームたっぷり系の逸品、櫻が目を輝かさない訳がない。と、おば様も自家製の品とやらを恭しく献上する。
 「やっぱり、桜と来ればこれでしょう」
 「桜餅? うへぇ」
 このリアクションに一番驚いたのは、緑ではなく彼氏。好き嫌い情報は云わば基本である。まだまだ知らないことがあった、というのが先ずショックだったようだ。
 「あれ、ダメだったんだっけ?」
 「へへ、葉っぱがちょっと...」
 コマツナ、千歳飴、桜餅... 誰しも苦手食品というのがあるものである。葉を取り除いてから、静々と頬張る櫻を見ながら、千歳は今、妙な感慨に耽っている。

 スーパーからの差し入れ飲料にはアルコール類も含まれる。このまま飲み進むと、発表がいい加減になってしまう虞があるので、そろそろ始めるのが良さそうだ。文花は気を取り直し、毎度のお節介を打つ。
 「では、宴もたけなわではございますが、ちょっとしたセレモニーをこの辺で。ね、隅田さん?」
 近くではイベント会社関係者の一部が打上げしている程度。花が減った今、辺りは至って静か。そこいらで遊んでいる六月と小梅の声が時々聞こえる程度である。
 千歳は普段よりちょっと良さげなバッグを持って来ていて、ガサゴソ。で、まず出てきたのは金色の仔豚?
 「あ、あれって」
 クリスマス専門店で買ってもらったブタコインである。櫻は白いのを付けてニッコリ。
 「ある時、このブタさんと目が合ってピンと来ました。ブタに何とかって言いますが、いや、あの女性(ひと)にはきっと似合うだろうなぁってね。それでご本人の希望を採り入れつつ、本場の人に聞いて調達したのがこちら」
 それは白色と淡い桜色の二色の真珠をつないだ首飾り。
 「そのブタさんから、いえ、僕からのプレゼント。改めまして、おめでとう!」
 「謹んでお受けします」
 「?」
 「あ、間違えた。ありがたく頂戴、します」
 彼と彼女でセリフがチグハグ。顔を見ながら思わず吹き出すも、櫻の方はちょっと様子がおかしい。微笑を湛えたその頬を伝うは真珠ほどの大粒の涙。西日が反射して、一瞬煌く。その輝きは真珠の如く、である。
ま「ハハ、こりゃ食品トレイ、いやいやバケツが要るワ」
さ「いえ、目にゴミが、うぅ」
あ「じゃ早速、拾って、調べなきゃ」
さ「もうっ! 蒼葉までぇ」
は「ホラホラ、櫻姉さん、スマイル、スマイル」
 こういう時、彼氏には相応の対処が求められる訳だが、ハンカチ等の代わりに予備の軍手を出しちゃう辺りが、千両役者たる所以である。
 「千ちゃん、ここは笑いをとる場面じゃないと思うけど」
 弥生から突っ込まれるのならわかるが、業平にこう云われちゃ詮方(せんかた)なしである。そうこうしてたら、涙も干(かわ)いたようで、ようやく先の続きに戻る。

 機嫌の良し悪しも何もない。文花はついもらい泣きしていたが、ここで我に返る。
 「じゃ、櫻さん、一言どーぞ」
 実はこれが終わらないと緊張から解放されることはない。今にして思えば、ステージなんて楽々。
 「え、えー...」
 それにしても、この緊張感の大きさはいったい? 櫻にしては珍しく言葉が進まない。と、一陣の風、そして、桜吹雪が彼女を後押しする。
 「桜はこの通り散ってまいりましたが、私達は今が満開...」
 次の言葉は、さすがに誰も予想していなかった。
 「結婚します!」
 千歳はピピと来るものがあったが、時すでに遅し。目が真珠、いや点になっている。
あ「あれ? プロポーズは?」
さ「これぞ千歳流プロセス短縮、なんちゃって」
 夕日が当たっているせいか、単に紅潮しているためかはわからないが、櫻は赤面しつつも、千歳の顔を見遣る。
ち「言いそびれちゃったかも知れないけど、異存ありません。ふつつか者ですが、よろしくお願いします」
さ「誕生日祝い=プロポーズ代わり、なんですよ、ね? まぁ、私からも千歳さんにはまた改めて。とびきりいいものを」
 満場の拍手は無論、祝賀の念を込めてのものではあるが、千歳にとってはまた違った聴こえ方が重なる。それは一連の恋愛プロセスの帰着点で、櫻が一発逆転をやってのけたことへの喝采...。
 万々歳ではあるが、ただ苦笑いするしかない千歳である。この際、千歳でも万歳でも何でもよかろう。
き「するってぇと、千住の桜が隅田の桜になる訳かい。風流だねぇ」
さ「いえ、表向きは別姓のままで、と」
 「千住千歳説は?」 弥生がニコニコしながら尋ねると、
 「千×千かぁ。チョーおめでたい感じすっけど、名前書く度にいろいろ言われそう」 舞恵が冷笑気味に答える。
 そのうち、メガだギガだと違う話になってきたが、詩人は努めて冷静。
八「漂流する恋、漂着する愛~」
ひ「漂着ラブかぁ。それで新作とか?」
さ「漂着? いえいえ、これからですヨ」
ふ「じゃ二人で漂流でもする気?」
さ「人生、川あり干潟あり、なんですの。漂流と漂着の繰り返し、かな。ね、千歳さん♪」
 いつもの談議かと思いきや、さりげなく名言めいたものが織り込んである。正にこれから、という文花にとっては、深く重いフレーズ。言葉に詰まるのも無理はない。
 「どったの矢ノ倉? クリームプリンならまだあるわよ」
 「エ? くりくり? ルフロンがどうかした?」
 「あぁ、そっか。気が利きませんで、失礼。今日はアタシが運転したげる。パァっとやんなさいな」
 「そうそう、ツマミもサカナもあるからさ。おふみさん、呑もうぜ」
 「へ? 魚?」
 「魚類が良けりゃ、今から釣ってくっけど」
 冗談だか本気だかよくわからないが、センセのおかげで段々と宴席らしくはなってきた。

ひ「ラブストーリーも興味深いけど、こうして皆さんが集まったのって、きれいにしたから、なのか、逆に集まったからキレイになったのか...」
ふ「その両方じゃないの?」
ひ「どっちにしても、BeautifulもWonderfulも、あとSmilefulも、みんなあるってことよね」
は「小梅も言ってましたけど、喜怒哀楽の舞台なんじゃないかって。いろんな表情に出会えるって意味でもその通りだなぁって思います」
ふ「喜怒哀楽ねぇ。でもそれって堀之内のこと?」
ひ「ま、できるだけ喜と楽で行きたいけど、マップ作る時はやっぱいろいろじゃないとね」
さ「学校周辺でやる時とか、声かけてくださいね」
ひ「えぇ、卒業生にもゲスト講師として来てもらうつもりだし。総合の授業、今期は楽しくなりそう。これもここに来たおかげで、かな」

八「おかげってことじゃ、自分なんかもう何て言ったらいいか。見かけは変わらないスけど、ひとまわり、いやそれ以上かな。とにかく大きくなれた気がします」
ち「いやぁ、とにかく宝木さんは縁起者だから。名前の持つ力、そこからの波及効果というか相乗効果も大きかったと思うな」
八「ハハ、お宝持ってやってきたって訳にはなかなか行かないスけどね。ま、ゴミもお宝ですし、あと何よりの宝はやっぱこのつながりというか、地域貢献力? 場力(ばぢから)って言った方がいいスかね。だと思いますよ」
 舞恵は何か言いたそうにしていたが、おとなしく傾聴することにした。八広(やつひろ)はその間を拝借して言葉を続ける。視線の先には、その最愛の女性。
 「とにかく、そのお力を借りつつ、さらなる成長、いや持続可能な成長を、と思う次第です。自分でこれなら、って時期が来たら、その時はルフロンと...」
 すっかりいい雰囲気になってしまった。こうなってくると、他の男女にも飛び火しそうな予感があったが、空気を変える人物が顔を出してくる。発表を聞いてたかどうかも怪しい。少なくとも今さっきまでは近所の打上げ席に居た。
 同じ木でも、宝でも春でもない。ただ季節外れな冬木氏である。
 「宝木君の話を継ぐなら、いわゆるゴミ問題ってのは人をつなげるためにあるようなとこもあるなぁって。どうです?」
 「出会い系って誰かも言ってたけど、それが目的化しちゃうのはちょっとどうかしら?」
 その出会い系のおかげで新たな展開を得た文花だが、思わず異議を唱える。
 「でも、避けるものじゃないってのは言えますよね。前向きに考え、受け止める。とにかく自分の問題として考えてもらう人が増えれば何かが変わっていく、そんな気がするんですよ」
 「ジャーナリズムの原点もその辺のような...」 ここは千歳が同調。
 「そう、情報誌でもね、そういうの打ち出せそうだなって。皆さんのご協力もあってここんとこ評判いいんですよ。で、強力な新人にも来てもらえたことだし、そろそろね。今月・来月あたりはちょいと趣向を変えた記事も出ますけど、硬派なとこもと思ってます」
 諸々の連携が効いてきて、ソーシャルの部分も明確になってきた。協賛の方も引き続き、より広域な枠組みで実現できそうだと言う。だが、今の彼の関心事はズバリこれ。
 「バンド、続けますよね?」
 「まぁ、この藍色バンドもあることだし」
 本日の立役者は悠々としたものである。業平がすっとぼけたことを言うので、話はそのまま脱線。
さ「これって、着けてるの忘れちゃいますね。それだけフィットしてたって言うか」
や「気が付いたら溶けちゃってたりして? そしたら正しく『Melting Blue』~」
 静物の青は、憂鬱のブルーに通じる。それが溶け出す時、これ即ち自然界にとっては憂いが溶け込むことを指す。だが、溶けるも解けるも同じと考えれば、ブルーは違った見方ができるのではないか。そう、解き放たれる青、である。
 作詞した本人から、その心をいま一度聞いたりなんかしていたら、空のブルーが変化してきた。初音はより鋭く天を観(み)、そして、一同の気を望む。
 「弥生さん、何かブルー入っちゃいました?」
 自分から言っておいて何だが、弥生はその解釈に嵌ってしまったようである。お天気姉さんは、そのブルー加減に真っ先に気が付いた。
 「前にも言ったけど、クリーンアップってさ、本来はなくていい取り組みなんだよね。目処がついたらやっぱり終わっちゃうのかな?」
あ「でも、その目処を立てるのが今度の仕事だとすると、ねぇ」
 この件でずっと話し相手をしてきた蒼葉が、そのジレンマを代弁する。
や「憂いがなくなるってのよーくわかるんだけど、淋しい気もするんです」
 乙女の感傷に唸ってばかりもいられない。酒の勢いも手伝って、文花はここぞとばかりに逆ツッコミを仕掛ける。
 「エ? 淋しい? そりゃないんじゃないの?」
 「あ...」
 かくして、新たな宣誓が。
 「皆さん、特にご両人のおかげで、いい仕事、いい人とめぐり合うことができました。今後ともソリューション志向でガンバリます!」
 拍手が鳴り止んだところで、再びフォローが入る。
 「まぁまぁ、弥生ちゃん。ソリューションもいいけど、程々にね。かつての誰かさんみたいにダーッて突っ走ると倒れちゃうから。ね、櫻... あれ?」
 その誰かさんは、緊張から解き放たれてしばらく経ったこともあり、違った意味で倒れ気味。桜に凭れかかりながら、彼に寄り添うようにしている。
 「ま、いいや。これからもあるがまま、つまり、C'est la vie. 自然に取り組みが拡がればいいんじゃないでしょうか」
ま「でも、流域画家としては、何か抱負みたいのってあるっしょ?」
あ「原色あふれる環境にしたいって、そんな想いはあるし、画業を通じてそれが少しでも実現するなら、と。でもね...」
 木の下に居る二人を見遣りながら、蒼葉は続ける。
 「積もる話の続きをしてからじゃないと、何とも。ね、お兄様、お姉様?」
み「フフ、絵でも音でも、とにかく今後が楽しみネ」
あ「おば様の文学の方も乞うご期待!ですよね」
み「何かこう、小さな世界から大きく広がる云々ってのを見出しちゃったのよねぇ。特に抑制に向けた布石ってのを改めて実感した。あとは愛の力...」
 木の下でダラダラしてる場合ではない。千歳も櫻も上体を起こして、耳を立てる。
 「ミステリーどこじゃないわね。お二人を主役にして書かせてもらうわ。玉野井史上初、純愛路線!」
 もう一人の作家先生が口を挟むのよりも早く、業平が反応する。
 「とにかくゴミを拾って、調べて、結ばれたカップルってそうそういないと思う。サクセスストーリーとして紹介すると、クリーンアップももっと活発になるかもね」
 「でもそれって本末顛倒だって、さっきおふみさんも...」
 「いやぁ、出会いがないとか嘆く前にさ、とにかく川だ干潟だ、なんだよ。でなきゃ、こんなステキな女性と会うこともなかった訳だし」
 「Goさんたらぁ」
 これがきっかけで、やれ「独身男女に捧ぐ」だ、「漂流 漂着 恋物語」だ、と喧(やかま)しくなる。
 「じゃあ、その純愛ストーリーは『二人の漂着モノがたり』とかでどうです?」
 何故か文花がまとめに入っている。そっちのけ状態の主役の二人は、木の下で再び漂泊の時を過ごすばかり。
八「抑制策としても、最大級の対策になりそうスね」
ひ「何だかなぁ。これまでの議論の積み重ねが飛ンじゃいそう」
ふ「積み重ねてきたから、こうなったとも言えるわね」

 漂泊中の二人のもとに舞恵が近づく。
 「モノログにしろ、モノがたりにしろ、二人で一つ、そんなモノってのもあるわよね。とにかくお二人には感謝感謝」
 「ルフロンも詩人さんねぇ」
 「今度はお絵描きも習うつもり。めざすは総合アーティスト、Art(アール) Le Frontヨ」
 三人が談笑しているところに、小梅と六月が戻ってきた。
 「あら、小梅さん、その袋、何?」
 「エヘヘ、いいもの、です。ネ?」
 「バースデイプレ...」
 余ったレジ袋を活用して何かを拾い集めてきたようだが、中味は不明。小梅は六月の口を塞ぐと、連れ出すように、その場を離れる。
 「あの二人のことだから、また何かしでかすつもりでしょ。まぁ、舞恵からはこちらを。今日のところはお誕生日プレゼント」
 「ありがと! 開けていい?」
 「エコプロだっけ? そん時の資料見せてもらって支店オリジナルで作ってみたのさ」
 それは再生プラでできたカード電卓だった。
 「ルフロンからって言うより、貴行からって感じ?」
 「ま、くれぐれも漂流させたりしないように」
 「試してみる価値はありそうだけど?」
 この調子で仲良し言い合いが続くと思われたが、緑が割って入る。
 「そっか、須崎の課長殿もカード流しちゃえばいいんだ」
 「そんな、おば様ったら」
 正直なところ笑えない櫻である。
 「拾得者が増えると当行粗品なくなっちゃうから、生分解するカードにそのうち切り替えますワ」
 「あーら、そしたらラブストーリー成立しなくなっちゃうじゃないの」
 奥様とおば様が言い合い出したが最後、周囲は傍観するしかあるまい。櫻は仲裁するのを諦め、ただにこやかに見守っている。

 「まぁまぁ、新著のご相談はまたゆっくり、ね」
 締めに入るつもりではなさそうだったが、文花はそのまま談話発表モードに。いわゆる中締め、ということらしい。
 「これは皆さんにも言えることだけど、それぞれの持ち味を自然に活かしあう、それでもってお互いに高めあう、そんな取り組みを、あ、隅田マネージャーに言わせると、プロセスね、とにかく実体験、勉強させていただきました。ありがとうございます、です。改めてお二人に大きな拍手を...」
 「そんな、私、私達の方こそ」
 「そうですよ、おふみさん」
 「まぁね、それはよーくわかってます。情けは人の為ならずって言うけど、自分でお節介焼いた分、ちゃんとごほうびが届くってね。お互いさまさま」
 一同何となくジーンとなっていて、それが言った本人に倍加されて返ってくるもんだから、どうしても言葉が途切れがちになる。
 「これからも、よろしく、ネ。で、お祝いは...」
 「矢ノ倉、その件、ちょい待ち! 要相談...」
 永代の一喝で、文花はいつもの調子に戻る。
 「あら、センターに農園コーナー作ってそのまま差し上げよっか、とか思ってたんだけど、ダメ? あ、言っちゃった」
 有志によるお祝いはまた別途。おそらくは野菜の詰め合わせか何かがまずは贈られることになりそうだ。

 「なんか、皆さんの話聞いてると面白くってしょーがないんですけど」
 「なんのなんの、石島姉妹もなかなかよ」
 「それは櫻さん効果だと思う。おかげで最近のお姉ちゃん、切り返しがすごくて」
 「そりゃどうも。まぁ、話芸ってのは重要なんよ。あとはパッション、ですよね。ルフロンさん?」
 「Ha-ha, Would you like to study Mae’s English again?」
 「Mae pleasure, なんちって」

 この後、英語、フランス語、中国語がしばし混ぜこぜになるも、再び英語に、そして、
 「So, we have a good idea, えー、ご結婚の暁にはですね、荒川特製の夫婦岩を...」
 「ホラね、お姉ちゃん、おかしいんです」
 「やっぱり記念切符かしらん?」
 「そしたら、京王線がいいよ」
 「六月クン、その心は?」
 「桜と千歳がつく駅があるからさ。急行だとひと駅。ヘヘ」

(参考情報→千歳と桜を結ぶ線

 そろそろ暗くなってきたが、宴は終わらない。
 「落ち着いたらまた多摩センター、じゃないやセンターに遊びに」
 「遊び?」
 姉御衆から突っ込まれてタジタジのプレ中学生である。
 「学びに行きます」
さ「そう来なくちゃ」
ふ「そんな学び盛りの六月君。ご入学を明日に控え、何か決意とかあれば、ぜひ」
 衆目集まるも、彼には緊張も何もあったものではない。眼鏡越しに炯眼(けいがん)キラリ、そして、
 「文集にもちょっと書いたけど、皆がニコニコ、いきいきしてればきっとゴミも、他のいろんな問題とかも減ってくと思う。だからまず自分から元気いっぱい、Go Hey!します」
 ご箴言(しんげん)をサラリ、である。
 しばらく手を叩いていた清だったが、
 「皆、いいこと言うねぇ。泣けてきたよ」
 止めた手を目頭に当てて、咽(むせ)いでいる。今度ばかりは冗言ではなかったようだ。が、先生からはやはり何かお言葉を頂戴しないことには締まらない。
 「...やっぱ大事なのは現場と実体験ってことかな。それが生きる力を育む。で、その力が川や自然をいきいきさせてく。そして、それがまた人に、ってさ。あと忘れちゃいけないのは自然は人に余計なことを押し付けたりはしない、ってこと。正にあるがまま。で、それをわかってる人はこれが自然と謙虚になる。ま、皆さんはその辺りは弁えてらっしゃるし、こちとら逆に教わったようなもんだから。今後もよろしく頼みます...」

 こんな感じで、話が尽きないもんだから、手元にはまだ飲料の残りがチラホラ。容器をしかと回収するためにもここは少しでも飲み進んでおきたいところ。
 「じゃまた、せーので」
 「ハーイ」
 主役の二人の音頭に合わせ、小梅と六月はその袋を高々と放り上げた。「乾杯!」の声が一段と大きく響き、舞い落ちてくる無数の花弁を揺らす。桜のリユース、大成功である。

 仮に人の心の中に何かが漂着した時、それを取り払おうとする心理が無意識にゴミを生むこともあるかも知れない。ゴミも多様なれば、人の動きも多様。目に見えない漂着はおそらく止められまい。人が生きている限りは続くのだろう。
 だが、ゴミの放出によって救われるのは一時しのぎというもの。場合によっては悪循環にもなり得る。むしろそんなゴミを片付ける方が、心の中に漂着するものを取り払うことにつながるのではなかろうか。クリーンアップを繰り返すことで元気になる、というのは決して大仰な話ではないのだ。
 岩はあくまでつなぎ役。ご当地ソングやメッセージソングの効果の程も今のところはわからない。だが、現場たる点や面が広がり、人の息遣いが少なからず感じられる場所が増えることで、何らかの抑えは利いてくるだろう。それはやがて、地域、流域へと、じっくりとゆっくりと拡がる。そして内なる漂着が止まる時、目に見える漂流や漂着も止まる...そんな道理もあるのではないか。
 それまでは、その都度、リセット、リフレッシュすればいい。スロー&緩やか、とはそういうものである。

 発起人による答辞のような挨拶が歓談の合間から聞こえてくる。再使用された桜吹雪の一部は風に乗り、グランドを越え、干潟に漂着、または川を漂流し始める。
 そんな桜花に交じり、ゴミの漂流、漂着も続く。そしてまた新たなストーリーが生まれる。

(完) *「ふたたび、○月の巻」に続く?


  • タテ書き版PDF 漂着モノがたり

2008年11月25日火曜日

79. 霹靂、残響


 アンコールを受けての再入場。だが、オープニングと違って、これといった設定は考えてなかったので、散漫な入り方にならざるを得ない。何となく笑いも起きているようだが、至って温か。そして優しく大きな拍手が包む。
 ステージ挨拶に立つのは勿論この女性(ひと)
 「皆さん、ほんとにありがとうございます。こういうこともあろうかとちゃんと曲の方、用意してますので、ご安心を...」
 一つ年をとったことで、茶目っ気も些か控えめに。それでも古くから櫻を知る人物らを中心に小笑いは起こる。そして話が進むにつれ、その笑いは客席全体へ。カラオケ会でのエピソード、ASSEMBLYの名の由来、重低音志向な理由など、話しようによっちゃ、どれもウケそうなものばかり。本日の主役である以上、このまま延々とスピーチしてもらっても構わないのだが、旅立つ人をいつまでも引き止めていく訳にもいかない。話は途中から一転する。
 「さて、流域サックス奏者の南実さんですが、良き現場指導者であり、掃部先生をも唸らせる実力派研究者でもあります。この程、ご研究の成果が認められて留学されることになり...」
 配置に付いてリラックスしていた六人はこれを聞いて一斉に、
 「ナヌ?」
 空はまだまだ青いので、その名の通り、青天の霹靂(へきれき)に遭ったような状態に陥ることになる。実際に雷でも落ちてきたら、それは嵐を呼ぶ誰かさんのせい? だが、その陽気なルフロンさん、すでに髪にボサボサ観が戻っている。「ポケビ」ではしゃいだせいもあろうが、今受けた衝撃がそのまま髪を走った、ということのようである。

 「中盤でお聴きいただいた『晩夏に捧ぐ』は静かな想い、今からお届けする曲はその逆、と言いますか、前に出る気持ちを書いたものです。実はどちらも南実さんにちょっと関わりがありまして。ネ?」
 留学渡航の件は今明かされたが、この想いにまつわる話はまだ三人の内緒事項。櫻の振りに千歳はドキリとなるも、「という訳で、彼女への感謝と歓送の気持ちを込めて。『届けたい・・・』聴いてください」
 胸をなで下ろしつつ、そのまとめに感服するばかり。

 練習通りということであれば、ドラムがカウントを打って、元気良く始めるパターンになるのだが、半ば放心状態のメンバーの動きは鈍く、しばし間が空くことになる。が、自身の発言でこうなることを見越していた櫻は、ピアノソロで前奏を弾き始めた。時に強く時に柔らかいその旋律に、八人はついうっとり。そして櫻の手が止まり、残響が消え始めた時、思い出したようにカウントが打たれる。ここからはいつも通り。歌姫の声はいつになくよく伸びる。詞に込めた想いと歌唱が今まさに同調、そんな感じである。
 南実にもそれはよく届いているようで、思いの丈をサックスに吹き込んでいるようだ。その演奏、爽快にして壮快。勢いそのままにエンディングに突入するも、最後は蒼葉がウィンドベルをサラリ。動と静を織り交ぜた名曲がこうして完成するのであった。

 「じゃ、南実さんこれ」
 「千兄さん...」
 ガーベラ、スプレーマム、ミスカンサスといったところは市販品だが、それにさりげなく地場のスミレとオオジシバリが交ぜてあるところが憎い。
 舞台袖で、花束贈呈の様子を眺めていたシスターズは、
こ「あれぇ、櫻さんに渡すんじゃ?」
は「そういうことなら、コマツヨイグサにするんだった?」
こ「ってまだ咲いてないし」
 てな具合。少々面食らうも、ミッションを果たし、それが好い形で完結したことが何より嬉しかった。

(参考情報→地場の花々

 「南実さんに大きな拍手を」
 と櫻が呼びかけている間、南実の手をつい握ってしまうプレゼンター氏である。が、思いがけない彼女の握力にタジタジ。これじゃ拍手も握手もあったものではない。
 櫻からマイクを受け取ると、御礼の言葉もそこそこに曲紹介。
 「テーマは自然の恩返し、というか微笑み返しです」
 目に手を当てながら、南実は千歳にマイクを渡す。

 泣いてちゃいけない。ラストは『Smileful』である。メンバー六人もどことなく俯き加減ではあったが、千歳の「1,2,3…」で目が覚める。俄かにスマイル、南実もえくぼを作る。これは曲の為せる業なんだろう。
 永代はいつもの如く泣いたり笑ったりだったが、今は一緒に口ずさんでいる。「Smilefulぅ!」 どこでどう話が伝わったのか不思議だが、自分の思いつき単語が曲名になっているのがよほど嬉しかったようで、終始ニコニコ。先生の教え子諸君も思わず頬が緩む。客席にスマイルが広がっているのがステージからもわかるので、当曲のシンガーソングライターも至ってにこやか。Wonderful Beautiful Smilefulの順番をつい間違えてしまうが、そのまま笑って誤魔化してしまうのであった。
 「どうも、ありがとう! またお会いしましょう」とのセリフともども演奏は終了。大歓声残る中、『Pocket Beach』ボサノヴァver.が流れる。メンバーはASSEMBLY+Gの順番で並んでステージ前方へ。G氏は、バンドマネージャーを見つけると、その列に加える。そして一礼。
 「こまっちゃーん」に混じって、「おふみさーん!」と聞こえたのはこの時。文花のファンと思しき一行は、何とかつての職場の同僚連中だった。南実の一件で幾許かの動揺はあったが、これでさらに動揺加速? いやいや、事務局長はちゃっかり法人紹介用のリーフレットを手にしていて、それを振って堂々と応えている。が、そのままマイクを渡すと違う展開になってしまう。最後はしっかりバンマスに一言いただくのが順当だろう。
 「スタッフの皆さん、ご協賛いただいた各社・各位の皆様、そしてご来場いただいた皆々様、ありがとうございましたっ!」
 次回のステージは未定だが、この調子だと問合せは必至。スクリーンには関係先のホームページアドレスなどが映っているが、それだけじゃ心許(こころもと)ない気もする。

 知己どうしで雑談する場面もなくはなかったが、メンバーの気はそぞろ。いつしか、higata@メンバーの集会のような格好になっていた。
 「練習とか本番にね、支障が出ちゃマズイと思って」
 伏せていたのには然るべき理由がある。誰もそれを責めたりはしない。女性陣はただ涙目。男性陣も黙々。南実を囲んで静かな時間が流れている。
さ「そういう訳で、三人だけの話ってことにしてました。皆さん、ゴメン」
ま「それはそうと、歓送会とか、記念品贈呈とか、そういうのは?」
み「この後、発っちゃうから」
 ここで再び霹靂状態になったのは言うに及ばず。
 「記念品と言えるかどうかだけど、ご依頼の写真は持ってきたから...」
 それは蘇我駅で撮ったポートレート。ハガキサイズに伸ばしてあってご丁寧に額入りである。千歳はそれを取り出すと、櫻に託す。
 「ありがと、櫻姉、千兄」
 固い握手を交わす二人。櫻の顔が強(こわ)張っているのは言わずもがな、握力の差を体感したため、である。そのまま、メンバーおよび関係者、シスターズとも。即ち、握手会である。
 「あ、それでね、これを初音さんに」
 「え、ウソ?」
 今度はサックスの受け渡し式。
 「きっと上達すると思う」
 「大事にします。で、とにかく練習して、バンドメンバーに...」
 両親からの入学祝い品がこれで変更となった。楽器現物でなければ、教材、いや教室代か。リードは自分で買えばいい。ともあれ、新メンバーは満場一致で迎え入れられることになる。
ま「MをHにとか、この際、なしネ」
は「二代目南実とか。それとも、バンド活動中はMをいただいて舞恵にしちゃおっかな」
ご「ま、練習が先、かな」

ち「そういや出国する時に花束ってもしかして...」
さ「あ、逆外来?」
み「はぁ、それもそうか。じゃあ...」
 石島姉妹はキョトンとしているが、先の花束は櫻に渡る。
 「大事な発表、聞きたかったけど、これはお誕生日祝いってことで」
 「ハハ、ありがとう」

こ「なぁんだ、やっぱ櫻さん用?」
は「これぞリユース」
 シスターズ納得の帰結である。

 潮時を弁えている研究員は、清や緑との挨拶も至って軽め。名残惜しそうではあったが、最後は努めて快活。
 「現地で新しいアドレス取ったら、皆さんにお知らせします。higata@は継続ってことで」
 少しばかり風が出てきた。舞う花弁が増える中、南実は小走りで駅方面に向かった。これで夕日が照らす時間だったら、また目に何かが沁みることになるが、これ以上の演出は無用。彼女の後姿は常に絵になるのだった。

 しんみりした感じ漂う中だが、空気を変えるのは難しいことではない。
 「ところでルフロンさん、またいつものボサボサ調なんですけどぉ?」
 「おっかしいなぁ、ストレートにしたはずなんに...」
 「やっぱ、その方がアーティストぽくていいと思うよ。電撃を表現した感じ...」 一同の笑いとともに、八クンはバチバチ。その衝撃は電気のそれ以上である。

78. 流域ソングス


 ここで帰る組、付近を出歩いて戻ってくる組、午後から来る組、いろいろと出入りが生じる中、メンバーの動きもあわただしいような、そうでないような。
 「リズム隊は早めに配置の確認を。キーボードはその後で。不肖バンマスは、セッティングに立ち会うんで...」
 業平を除いては、ゆっくりお昼をとることも可能ではあるが、どうにも落ち着かない。弁当を用意する手もあったのだが、弁当容器類を拾った後でってのもどうか、ということで見送り。とりあえず、カフェめし店なり、商業施設なり、付近に散らばることになった。
 千歳はビンカン類を手に宅へ戻る。女性三人とご一緒だったが、
 「じゃあ、あたし達はここで」
 「本多ご兄弟と文花さんの軽食、調達して来ますんで。また後ほど」
 二人のじゃまにならないよう、ということもあってか、途中で弥生と蒼葉が抜ける。

 本日主役は歌姫である。千歳宅ですべきことがある。
 「今日は、白の日ですからね。どう?」
 「さすが、お姫様」
 デリランチをいただいた後、何やら思わせぶりな会話が少々。リラックスムードなのは結構だが、仕度は早めに、かつお忘れ物のなきよう、である。

 今日こうしてクルマで乗り付けてくることがわかっていたのなら、スーツケースを持って来てもらうには及ばなかった気もするが、その逆を考えると果たしてどうか。充電式掃除機も場所をとったが、トランクにはマニピュレーター用品一式が満載。高性能PCに音源系、リズム系、ミキシング系の機材等々である。そう、これがないとライブが成り立たない。コンパクトとは言ってもスーツケース二つを運搬する余地はなかった。
 冬木はゴミ調べを終えたくらいから、ステージイベントの方にかかりきり。イベント会社関係者と来るべき車両の位置をチェックしたりしていたが、専用の小型トラックはすでに河川敷道路をノロノロと進行中。金森工場と商業施設を経由してきた割に到着は早かった。こうなると業界関係者は昼食も何もあったものではない。惣菜パンを頬張りつつ、取り急ぎ電源オフの状態で機材を並べていた業平についても、やはり食事どころではなくなる。早いとこ機材を組んで、電気系統の点検を済ませないことには、なのである。

 試合が終わって、ひと休み。今は真上から降り注ぐ光線を浴びてジリジリしているグランド地面だったが、熱を遮るように諸処にタタミ大の板が敷かれていく。ASSEMBLYのステージだが、舞台を組み立てるのはさすがに大変なので、ここは一つシンプルに、平坦なステージセットで、となった。
 土台ができたら、次は動力系。目玉ではあるが、訴えるのはむしろ聴覚。必見かつ必聴、とでもしておこう。その音響関係には、予定通り再生エネルギーを補助的に使う試みが盛られる。油化装置→発電機は試行済みだが、未試用の系統がもう一つ。
 賛意と謝意を込めて、おなじみ商業施設が貸し出してくれたのは、何と余ったソーラーパネルである。この日射を少なからず演奏に活かせるなら、こんなに晴れ晴れしいことはないだろう。

 一部行員とランチを済ませてきた八広は、今やすっかり人気者。舞恵は呆れながらもどこか愉しげ。ちょうど、打楽器関係を設置し出したところである。
 「で、奥様がこしらえたアートがこちら」
 持ち込んでいた怪バッグを開けると、ペットボトルや空き缶を括りつけた流木アートが出現。行員各位、これにはビックリ某、である。
 「ただのアートじゃございませんから。叩くとご利益あるかも、よ」

 中堅どころとはいえ、業者の手は込んでいる。ステージの目処がつくとお次はパーテーションと長机を並べ出して、商業施設での新たな取り組み例をパネル展示し始めた。趣向が異なるのは、その位置づけか。「発生予防策見本市」との題字が控えめに掲げられ、生分解性容器包装プラスチックの利用拡大、店頭でのプラ回収と油化装置の実験状況などが情報誌誌面の拡大コピーとともに配される。
 午前中に拾ったゴミから、代表的な品目を陳列してもよかったのだが、再資源化フローが示しやすいものとして、ペットボトルや[プラ]表示品などが並ぶ。洗ってあるのでリアリティに欠けるきらいはあるが、一応採れたて。その横には参考出品として、東京湾外湾でサンプル回収した品々が置かれる。ギターよりもまずは展示。千歳らしい所作ではあるが、
 「川から海ってのはいいんだけど、いま一つ過程が見えないですよね、これじゃ」
 プロセス的に難があった。冬木も思わず首を捻る。
 「どこの出か、ってのをゴミが自己申告してくれりゃいいんだろうけど」
 解説シートも作っては来たのだが、実物を一目した限りでは脈絡がない感じ。結局、今日収集したゴミも袋詰めのまま展示して、「もしかすると荒川からも...」というのを加えることで落着した。
 机上スペースはまだ余裕がある。文花はそれをめざとく見つけると、
 「フリーマガジンが置いてあるなら、当センター発行のがあってもいいわよね」
 二月発行分の残部をちゃっかりクルマに積んでいた事務局長である。しかも新法人の簡易リーフレットのオマケつき。
 陽光は強いが、風は強くない。屋外での展示&配布には打ってつけ。かくして、ステージが開演するまでの間、ちょっとした前座が設けられ、そこそこの反響を得る。オープンなハコモノってのも時にはいいだろう。

 あれこれやってたら十四時を回っていた。PAや電気系統を含むステージの準備は概ね整うも、
 「櫻さん、まだ?」
 誰からともなく、主役の不在を問い始める。
 「ま、取り急ぎこちらを」
 冬木が配り出したのは、半年前にも使ったあの藍色の...
 「バンドだけに、ってか」
 「これが噂の」
 舞恵と八広は初めて手にするので、強度を試しながら遊び始める。引っ張っていたら飛び出してしまい、あろうことか、着いたばかりの女性の頭上に。
 「ルフロンたらぁ、何すんのよ」
 「まぁ、櫻姉...」
 笑いが起こる場面の筈が忽ちにして溜息モード。男性のみならず女性メンバーも息を吐いている。
 「この衣装でちゃんと弾けるか、練習してたんですの。遅くなりまして、すみま千さん、でした」
 歌手(カシュ)だから、という訳ではないだろうが、カシュクールのワンピースである。その鮮やかな白、実にドレッシー。

 開演は十五時だが、小ネタを挟むため、リハの時間は三十分程度。チューニングをざっと済ますと、あとはバンマスの指示通り。難しい系の難しい部分を重点的に、である。だが、あんまり念入りに演ると本番と変わらなくなってしまうので、ほんのサワリだけ。
 それでも熱は入っていた。従って気付くのが遅れた。河原桜の下、客席となる堤防斜面にはいつしか人、人、人。
 センターの関係者と会員各位、情報誌読者、手が空いたチーム榎戸メンバー、十月の回参加者など。トーチャンズ13も揃えば、六月、小梅、初音のクラスメートも来ている模様。カフェめし店常連客に弥生のバイト先スタッフ、さらには、
 「櫻ちゃーん!」
 ファンクラブがどうのというのは冗談のつもりだったが、何と応援団がいた。地域振興部署時代の関係各位、老若男女が声をかけ、手を振っている。
 「ハハ、いったいどっから伝わったんだか」
 「スターってのは違うわねぇ。ま、こっちも張り合い出るってもんだワ」
 舞恵としては親衛隊を連れてきたつもりだったが、残念ながら特に声援はなし。その行員連中はじめ、午前中の参加者もボチボチ戻って来た。寿、清、緑の年配トリオの近くには、なんと金森氏まで。油化装置の働きを見届けに来たフシもあるが、春の行楽ついで、ということらしい。髭をさすりながら、寛(くつろ)いでいるご様子。

 十五分前になった。メンバーが一礼して一旦退場すると、代わりにカラオケ大会(課題曲編)でかかった曲の一部が流れ始める。『チェリーブラッサム』『ブルースカイブルー』そして、
さ「まぁ『桜の木の下で』...」
や「エドさん、やるぅ」
 演出はこんなもんでは終わらない。トラックにくっついてきた宣伝カーは何と大型スクリーン搭載。横断幕代わりに「Go Hey with A S S E M B L Y」と表示され、メンバー名もしっかりローマ字表記で映し出される。冬木がどこまで手を回したのかは不明だが、イベント会社というのはやることが違う。これはもう立派なプロモーション。この際、司会や前振りは無用である。

(参考情報→宣伝カーも使いよう

 おそろいで商業施設へ出かけていた石島ファミリーは、BGM中に帰ってきた。元店員が連れてきたのか、スーパー店員も何人か顔を見せる。ちょっとしたミッションを仰せつかっていた姉妹は、その束を二人で大事そうに抱えながら開演を待つ。クラスメートとはちょっと距離を置き、ただただじっとしている。
 桜の木の下の聴衆は百人を軽く超えた。まだまだ増えそうではあるが、そろそろ...
さ「何だか、緊張してきちゃった」
ち「川の神様がついてるから、大丈夫」
ま「何よ、彼氏がついてりゃ、っしょ?」
 照明暗転とかがない分、まだ心穏やかだが、こういう時は”Breathe with breeze”の境地に倣って、深呼吸するに限る。
ご「ま、とにかく練習通り」
や「Let’s Go!!」
 一人多重コーラスが流れ出したら、開始の合図。文花と太平に見送られ、メンバーはステージへ向かう。ゆっくりと、そして足取り確かに。

 客席からはパラパラと拍手が起こり、その乾いた音がコーラスと重なっていく。配置に付くのは蒼葉を除く八人。前日のリハーサル通り、八広の渋く重いドラムを皮切りにイントロへ。演奏を徐々に厚くしながら、コーラスはフェイドアウト。と、「1,2,3...」の発声とともに、千歳はカッティングギターを鳴らす。ちょっとした歓声。出だしとしてはなかなか良好である。業平のマシンとのシンクロも無難にスタート。つまりここからがやっと本演奏。イントロは必然的に長くなる。

誰かが棄てた不要品(material)たち
風に飛び 流れに乗り
けれど旅は続かない

流れ着くその理由(わけ)は?
破片 断片(かけら) 残骸...
形をとどめながら発する声

波の音はクレッシェンド
物音はフォテシモ
瞳閉じれば 耳澄ませば
聴こえる
...

 あまり音合わせはしていなかったが、間奏では南実のサックスが見事に盛り上げる。その一方でスクリーンには、漂着物を映像化したものが静かに流れる。演奏とは別に何かが聴こえてきそうな、そんな気がするから不思議だ。詞を書いたアーティストさんは想いを込めてウィンドベルをなぞる。
 つなぎが懸案だったが、事前にPAと打合せしておいたのが利いた。『聴こえる』のラストに向けてもう一度多重コーラスを引用することで、今度は楽器の数を減らすフェイドが可能に。最後は八広のドラムのみが小さく打たれ、収束。そしてコーラスの余韻が残るところを『Melting Blue』のイントロが打ち破る。さらなる歓声、そして拍手。ご年配チームはその音響に驚くも、スクリーンに表示された曲名とテーマを見て納得。メッセージソングとあらばこれくらいの迫力は、と思うのだった。
 マシンが繰り出すリズムに生ドラムが同期する。聴衆は何となく肩を揺らし、その分厚いグルーヴに身を委ねているかのよう。歌詞、つまりメッセージは断片的にスクリーンに表れているが、曲そのものを体感することを通じて、漂う、流れる、砕ける、溶ける、といった一連の無常観が仮に伝わるのであれば、ミュージシャンとしてそれは無上の喜びである。
 言葉の重さとは裏腹に、軽やかな歌い回しで千歳は想いを紡いでいく。

行き場のない憂いがある
優しく受け止める流れがある

溶かしてしまえばそれでいい?
ただ拡がるだけ
見えなくなればそれでいい?
ただ形を変えているだけ

今日も何かが注ぎ込まれる
でも一瞬
三つ数えたら溶けて消えた
泡沫(あわ)と油膜(あぶら)を残して
...


 南実と弥生は、楽器を置いてコーラス参加。ボーカル同様、抑えが利いていて心地よい。二曲目にして客席との一体感は高まり、そのまま三曲目へ。マシンと言えどエンディングは凝っている。ダダダで終わる、と、再びミディアムスローな自動演奏が始まる。頭の鍵盤に続き、ドラムとベースが乗っかればあとはOK。『私達』である。
 作詞家としては自信の作でもあったようで、スクリーンにはその言葉の全てが投じられている。四月に入ってからは冬木と同じ職場で仕事をしてた筈だが、その隙にこのように歌詞なり字幕なりを提供していた、という訳である。ボーカリストとしては、表示されているのと違うことは歌えないので、妙なプレッシャーがかかったりするが、対照的にドラマーライター氏は実に軽快かつ重厚にリズムを刻んでいる。

想い一つ 心一つ
多くの言葉は要らない
ただそこにいる それだけ

誰かが口ずさめば
誰かが応える

Processが重なる
Promiseが叶う
私達
...


 バンドのテーマソングではあるが、そのサウンドは川のうねりに通じるものがある。ギターソロもサックスもアドリブ主体ではあるが、そのうねりにしっかり呼応。流れるような、がしかし、流されない音楽がここにある。

 プライベートコンサートのようなものなので、開演前にもこれといったアナウンスはなし。第一部三曲、一気に演奏しきってしまったが、通りがかり客も大勢になっているようなので、ここらでバンドや楽曲の意義などを紹介しておいて悪いことはない。ボーカリストはそのままマイクを手にご挨拶。
 「本日はようこそお越しくださいました。バンド名の意味など詳細はまた改めてご紹介しますが、我々、いや私達、皆、ここ荒川の干潟の一つでクリーンアップをしている面々でして...」
 調査型クリーンアップの手法、これまでの経緯などを話していると、スクリーンには何と十月の回の記録動画が流れてきた。苦笑しつつも、千歳はその心をしかと伝える。そして、
 「おかげ様で今日午前中に行ったクリーンアップで、一巡、つまり十二回分のデータを得ることができました。そのまとめは、センターのwebサイトで近日中に公開する予定、収集した実物なぞはステージ横の展示コーナーにまだありますので、後ほどまた」
 別に巻きを入れる人物がいたりする訳ではないのだが、講演会ではないので一旦切り上げて曲紹介へ。
 「少なくともあと五曲はお届けしたいと思います。スクリーンにも何らかの解説がまた出るとは思いますが、いずれもクリーンアップ関係曲だったり、流域ソングだったり、です。恥ずかしながら、全曲メンバーのオリジナルになります。曲を通して地域環境などに何となく思いを馳せてもらえれば幸いです。最後までどうぞごゆっくり、お楽しみください」
 千歳もさりげなく着替えてはいるが、他のメンバーはクリーンアップスタイルのままなので、誰が主役かは一目瞭然。だが、第二部の最初はこの方。
 「ASSEMBLYのYさんがご当地の呼吸感を歌います。空気を感じながら、リフレッシュしてください」
 客席での人の動きは皆無。拍手とともに、八広のドラムが鳴り響き、ベースが乗る。ベースにしては爽快感たっぷり、歌もその調子。ベース兼ボーカルという物珍しさもさることながら、弥生の情感あふれるパフォーマンスは客を魅了して止まない。マニピュレーターは本番中にもかかわらずクラクラ来ているが、生演奏主体なのでボロを出さずに済んだ。

新しい季節の声が聴こえる
拡がる空 飛行機雲
昨日までの溜息 Refreshするの
深呼吸すると感じる
川を渡る風 まるでBreeze

時には想いを強く 吹きつけたいけれど
きっと緩やかな方がいい この風のように

あなたともっと感じていたい
誰よりずっと分かち合いたい
So, please…

 偶然にも元スモーカーの二人、冬木と舞恵はお休み。聴衆と同じく、曲とともにリフレッシュしている最中である。
 会場の息遣いが聞こえてくる。さらには、空の、そして空気そのものの、呼吸が感じられる。青空コンサートにピッタリの一曲、『Breathe with breeze』であった。

 メドレーではないので、曲間にMCが入る。
 「ありがとうございましたぁ。では続いて、我らが櫻さんの登場です。拍手ーっ!」
 冬木はいま一度、スクリーンに映す画や字のチェックなどをしていて、オフ。MCを手短に終えると弥生は退場。代わりに舞恵が定位置に付く。ちょっとした静寂の後、その曲はキーボードが奏でるピアノの一音から始まった。
 リズミカルではあるが、どこか哀愁を帯びたその曲は、『Breathe~』とはまた違った魅力を持つ。歌姫の出で立ちは視覚的に魅せるものがあるが、歌世界が伴うことでその魅惑は増し、ビジュアルを超えた何かを感じさせる。

流れる夏雲
降りしきる蝉時雨
急かさないで

ときめき とまどい
揺れるけれど
不思議とブレーキがかかる

駆け引きは嫌い
でも素直になれない

変わるもの
変わらないもの
時は晩夏
夕立の音も気付かない
...


 晩夏を詠んだ一曲だが、今、舞台では桜が舞い、降りてくる。夏の雨、時間、降るも経(ふ)るも、思うところは同じ。積もる思慕は解き放たれ、桜花とともに風に乗る。そんな心情がそのまま歌唱に投影されたとあらば、心動かされない筈がない。そこに、それ以上に情を込めたサックスが絡むのである。名演奏とはおそらくこういうのを言うのだろう。
 フェイドアウトのようなエンディングが止むと、再び静けさが覆う。が、次の瞬間、ひときわ大きな拍手が沸き起こる。主演と助演の女性二人は、顔を見合わせて気付く。
 「やだなぁ、櫻姉ったら」
 「南実さんもウルウルじゃない」
 あんまり目を潤ませると、レンズ落下&コンサート中断とかになってしまうので、ぐっとこらえてMCに入る。
 「どうもありがとうございます。ここからは第三部。三曲続けて、詩人ドラマーさんの詞によるご当地ソング等々をお届けします。一曲目...」
 演出通り、ここからモデルさんが入ってくる。客席は再び騒然。
 「歌はASSEMBLYのAさんです」
 マイクは姉から妹に手渡される。
 「『Re-naturation』聴いてください」
 ステージには九人全員が揃う。スクリーンには再度、メンバーの名前がディスプレイされ、続いて詞の一部が流れる。

宙はキャンバス
空気にも色をつけてみる
現われる風景はどこかの記憶
引くことも足すこともない世界

表情も感情も同じ
あるがままでいい

いつかきっと時は来る
RE-naturation

望みつなげば
甦る
...


 モデルなれどファッションショーに出ることはないので、舞台慣れしていない蒼葉である。多少歌をトチってしまうも、そこはご愛嬌。スティックをすっ飛ばしてあわてるドラマーよりはマシである。
 早打ちの八広が手こずるんだから、やはりそれなりにアップテンポということなんだろう。ほぼメドレー状態で、山場となる『Down Stream』へ。変わり目のドラムが少々もたつくも、再生エネルギー系バッテリーも音(ね)を上げつつあったようで、マシンのリズムも適度に緩む。タメが生じたのはむしろ良かった。

街のざわめきを浮かべ
静かにたゆとうstream

陽炎の上を鷺がよぎる
風が抜け 葦が笑う

何事もなかったように
重く鈍く
海へと押し流す力
その拍動(vibration)が響く

slow down
cool down
@ this river’s down stream
La la…

 早々と仕上がった曲なので、歌も演奏も余裕が感じられる。「ラ、ラー...」は蒼葉もコーラスで入り、作詞者としては想定外の彩りが加わる。間奏手前、ドラムからパーカッションへの橋渡しもバッチリ。円熟した観のある楽曲は、今この現場以上に、リアルな音風景を広げる。サックスの好演がより立体感を高めていることもまた確かである。
 第三部三曲目、全体では八曲目、アンコール前ラストである。早いものでもうすぐ十六時。時間も時間だし、ここまでの七曲、小学生諸君には難解な印象もなくはなかった。とするとボチボチ... いや、お子さんを含め、誰一人席を立つことはない。だが、その陽気なナンバーが始まるや否や、その斜面を立ち上がる客がチラホラ。と思った瞬間、予想外の事態が起こった。「ポケビ」になったら、踊り出す客が出てきたのである。Dance Mixなのでアリと言えばアリなのだが、これにはメンバーもビックリ。見れば、中高生関係、十月の学生連中、さらには奥様親衛隊も、である。
 舞恵は早速、カウベルを叩きながら前へ。デュエットの二人も気を良くしてすっかりノリノリ。干潟や河原の元気がこの曲のテーマではあるが、そこに関わる人がこうして元気でイキイキというのが一番だろう。ご当地ソングは大盛況を博した。

緩やかな弧を描き
波に洗われるtideland
水玉弾けて 虹が架かったら
まるで楽園(パラダイス)

何もかも受け容れて
包み込む
小さくて大きな
Pocket Beach
皆の宝物
...


 遠くで引き波が生じているようで、何となくこだましてくるのがわかる。その波が発する波長とは必ずしも合っている訳ではないが、気分はすっかりビーチである。そして、当のビーチでは、ステージ同様、正に上げ潮状態。そろそろピークに達しようとしている。
 業平は間奏をわざと間延びさせ、即興演奏を引き出す。ここからはノリそのままにアドリブの世界。ソロをとる順に、千歳はメンバーを紹介する。「On Guitar エド冬木...」
 特にMC役を買って出ることもなく、淡々と裏方を務めてきたギタリストは、ここ一番でその本領を発揮。目立てるシーンが用意されているのはわかっていたため、セーブしてたというだけかも知れない。この際フライングしようが何をしようが文句はなかろう。「On Drums 宝木”八クン”八広」と振る。
 ソロプレイは、次の「On Percussion 奥宮”Le Front”舞恵」と「On Sax 小松南実」まで。「On Bass 桑川弥生」「On Keyboard 千住 櫻」「On Chorus 千住蒼葉」の歌手三人については、リズム隊が演奏を続ける上にフレーズを少々足す程度とした。それでも拍手は間断なく続く。
 「そして、Computer Manipulation 本多Mr. Go Hey!!」
 PCとPAではパフォーマンスのしようもないのだが、手を振っただけでちょっとしたどよめきが。彼は何だかんだで人気者(スター)である。
 再生エネルギーがどれだけ寄与したのかは結局のところ不明ながら、少なからず貢献したことは事実。盛り上がり過ぎて、冬木が弦を切ってみたり、ルフロンのお手製楽器が一部壊れたり、といったハプニングはあったが、電流がダウンすることはなく、無事、八曲乗り切った。満潮時刻とほぼ同じくして、予定演目は終了。九人はにこやかに手を挙げ、ひとまずステージを後に。喝采と歓声が今はこだましている。

 帰る客も多少はあったが、立ったままの客も大勢いる。どこからともなく、手を叩く音が鳴り始めると、たちどころにアンコールの手拍子に。
 そんな中をそろそろとステージへ進んでいくのはうら若き姉妹。
こ「じゃ千兄さま、これ」
は「ファンとしては、そのままお渡ししたいとこけど」
 今や姉妹にとっては羨望の千さんか。千歳はテレながらも、
 「正にハナムケ。ありがと」 思わず握手してしまうのであった。

2008年11月18日火曜日

77. 全員集合

四月六日の巻

 今年の桜はひと味違う。誰彼さんの加速のせいかも知れないが、開花も満開も早かった。そして四月に入ってからはとにかく晴れ続き。
 「こうやって自然に散っていくのって久々に見る気がする」
 「咲き出したと思ったら、雨とか風とかですぐね」
 「今日の佳き日まで、よく持ってくれたわぁ...」
 当の櫻さんもいつもと違う。本日は何につけ、おめでたい。

 サクラ花粉はいざ知らず、スギ花粉の飛散は収まった。もうマスクの要る要らないで悩むこともない。彼も彼女も素顔で河原桜界隈を闊歩している。
 始業式だったり入学式だったり、十代の面子にとって今日は一大イベントを明日に控えるドキドキな日でもある。六月も小梅も気持ちがはやるのか、それぞれの姉を連れて、やはり早々とやって来た。
は「六月君と言えど緊張するもんなんだねぇ」
や「なんのなんの、憧れの小梅先輩と同じ学校に行けるってのが嬉しくてしようがないだけでしょ?」
む「まぁね、今夜も眠れないと困るから、クリーンアップで汗かこうって訳さ」
こ「六月クンたら」
 姉の冷やかしを軽々と受け流しつつ、その偽らざる心情を語る。すでに中学生の域を超えた観もある。
 「体動かす前から汗かきそう。初姉、今って何℃?」
 「二十℃スね」
 気温の上昇顕著につき、その高温が干潟を正に干乾(ひから)びさせるかの如くとなっているが、本日は大潮。昼に向かっては、ただひたすら干いていくのである。干潟面はこのあと面白いように拡がっていくことになる。

 四人が準備体操などを始めたところで、ようやく櫻と千歳が干潟入り。
さ「皆さん、さすが若いわね」
や「あっ、本日主役のお二人さん」
ち「いや、主役はあくまで櫻さんだって」
や「ま、この晴天ですもんね。正にハレ女デー!」
 当地におけるここ一年、第一日曜の天気のことなら、お天気姉さんではなく千歳が知るところ。記憶の限り、ここまで晴れ上がった日はない。誕生日をしっかり快晴にしてしまう、そんなハレ女にホレボレするばかりである。

 定刻の十時前後、文花が本多兄弟を乗せておクルマで来場したのに続き、ぞろぞろと常連メンバーが集まってきた。いきいき環境計画の理事全員、さらに辰巳に永代に、
 「あ、ルフロンさん?」
 確か昨日まではファンキー調だった筈だが、いつの間にかストレートヘア。えらく楚々とした感じなもんだから、一同ビックリくりくり。しかもチームを率いてのご入場である。
 「ね、画伯、これがLe front au prin tempsヨ」
 今しがた着いたばかりの蒼葉をつかまえて、ちょっと自慢げ。
 「直訳すると、春の前? ま、陽気なルフロンってとこかしら?」
 「それはそうと、こちらの方々は?」 リーダーが知らないんだから、他の誰もわかりよう筈なし。
 「あ、そっか、ちゃんと言ってなかった。当行行員有志でございます。拍手!」
 二十代を中心に十人。地域貢献の一環で連れてきたんだとか。
 「ゴミを出さない、流さない、そのために金融機関としてできることは? 環境配慮につながる企業活動とかにお金を廻すことじゃん、てね。とにかく現場・現実・現物を見てもらえば、ふだんの仕事でちょっとでも意識してもらえるかもって。研修みたいなもんよ」
 寿(ひさし)をして奥様と言わしめるだけのことはある。魔法を使ったにしても大した統率力である。
 それはさておき、付き人の姿が見えないのが気になる。奥様はチームにレクチャーしていて特に気にするでもない。と、時間を置いて単身、八広が現われた。怪しげなバッグを背負ってるところからもどうも訳アリ。理由はさておき、とにかくよくぞ集まった!である。

 冬木はじきに顔を出す予定。となると、これでhigata@全員集合か? いやいや残念ながら一名不在。
 「ケータイつながらないみたいなんだけど、南実ちゃん、今日来るわよねぇ?」
 「電動車で楽器持って乗って来るのはちょっと、ってことじゃ...」
 他にもいろいろと支度があるに相違ない。真の理由を知るのは、なお千歳と櫻のみである。
 南実の代わりと言っては何だが、登場人物はまだまだ続く。すでにどこぞの試合は始まっているが、トーチャンズについては今日のところはOFF。暇を持て余して、ではないだろうが、監督とご夫人がお見えになる。さらには、寿も三世代で登場。あれよあれよで三十有余人が集結している。

 行員各位には受付台帳に記名してもらうことにし、その間、簡易スピーカーとマイクをセットする。十時十五分、開会。たまには司会進行役を代える手もあったが、
 「櫻姉のマイクパフォーマンス、楽しみにして来たんだから...」とのことで、ルフロンはパス。弥生も蒼葉も素っ気ない。「今日、主役でしょ?」と軽く交わされてしまった。
 「当地での調査、今回でめでたく十二回目を迎えます。一年間の集大成のつもりでひとつよろしくお願いしまーす!」
 十月の回のように大判紙での注意事項説明等はないが、大まかなところは口頭でOK。場慣れしたメンバーが半数を占めているので、まずもって事故等々は起こらないだろう。量の見立てからして、慣れたメンバーをいつものポケビに多く配し、下流側のプチビーチには新参チーム+メンバー数人、という割り振りで臨むことにした。手荷物をクルマに預けたら、いざ、四月の巻!である。

 一望する限り、そこそこの散らかりようではある。だが、お目付け岩の効果か、バーベキュー系は見当たらない。その散乱の要因は、此処ご当地を発生源とするものらしいことがわかってきた。干潟上でどうやって宴に興じるのかは詳細不明ながら、居心地が良くなってきたことは事実。状態のいいレジャーシート、濡れた跡のない仕出し系容器、乾いた感じの生ゴミなんかが放置してあるのは、正に動かぬ証拠である。
 「ここにも岩、置きますか? 環境計画の皆さん」
 「予備調査とやらで拓いたアクセス通路が元で、行楽客を招いてしまったんだとすれば、その道を塞ぐとかしても良さそうですね」
 千歳に悪気はなかったのだが、課長は少々トーンダウン。
 「まぁまぁ、その入口んとこに置きゃいいってことさ、な?」
 以前なら、口撃を受けていたところだが、今は先生に援(たす)けてもらっている。
 「では、夏場に向けて早速...」
 娘二人は頼もしく父を見ている。

 石島夫妻、清、緑はそのまま巡回に出た。寿と舞恵を含む行員チーム、本多兄弟、文花、弥生は下流側へ。
 「ちょいとズレちゃったけど、融資、明日ネ」
 「ほんと、助かります。奥様、女神様」
 「フフ、でも成果がイマイチな場合は、返済時の上乗せ額アップさせてもらうから、お心づもりを」
 「なんのなんの、成果を上積みして、上乗せ分ゼロにさせてもらいますから。ね、弥生さん?」
 「要するにしっかり稼げばいいんでしょ?」
 若手行員はせっせと手を動かし始めているが、引率者はこの通り。これも仕事の一環ということにしておこう。

 「八さん、ルフロンと一緒じゃなくていいの?」
 「え、まぁ、行員連中に、あれが彼氏?とかやられるのもちょっとなぁって思って」
 「逆に一目置かれると思うけど?」
 この女性を前にすると、どうしてもドギマギしてしまうのだが、それとこれとは話は別。
 「笑われちゃいそうだけど、ちょびと恥ずかしいってのもあって」
 「一端(いっぱし)の社会人なんだから、堂々としてればいいのよ。彼等よりも、私よりも、かな。とにかく社会経験は豊富なんだし」
 「蒼葉さんにそう言ってもらえると... 何か自信、出てきた」

 そんな二人を含め、ポケビには今、石島姉妹、六月、櫻、千歳、永代、辰巳がいる。後から講座受講者や総会参加者も加わったため、そこそこの人数に。干潟はゴミも受け容れるが、人だって同様。拒んだりはしない。退潮は進み、面積がまた広がる。受容するにちょうどいい広さになっている。
 片付けが進むほど、動きやすくなる。効果が実感できると、つい手を拡げたくなってしまうのは人の常か。水際を見遣ると、上陸するか進水するかで迷っているような袋の類がプカプカ。だが、下手に歩を進めれば、軟泥に足を掬われるのは必至。現場を知る男衆は、まだ経験の浅い面々に、手ほどきならぬ足ほどきを施す。この日射があれば乾くのも早そうだし、さらに水際が遠のけば何も案じることはない。安全かつ確実な回収を説く、千歳と八広である。こうした実地指導により、新たな会場を受け持ってもらえる人材が増えることになるなら御の字である。

 「春になるとヨシってのはまたしっかり立つもんですね、先生」
 かつての草分け道を閉ざすように、春ヨシが直立している。ここを抜けるとプチビである。
 「そりゃ事務所さんの手入れがいいからだろ?」
 清の予想外のお世辞に湊は転びかけるが、今、目の前にはちゃんと地に足つけてクリーンアップに励む人々がいる。
 「ま、考える葦とはよく言ったもんだけど」
 「ここにいらっしゃる方々は、考えながら動くヨシってとこね、カモンさん」
 行員諸君は、時にディスカッションしながら作業しているようだ。ここでのリーダー、ルフロンは、
 「お金の動きもそうだろうけど、暖かくなって人が元気に動き出すとゴミも増えるっていう訳さ。でも、その元気ってのは否定しきれんから、いかにしてゴミにしにくいモノを作ってもらうかってことに...わかる?」
 本業を通じた社会貢献論とでも言おうか。ボサボサ髪ではない分、説得力もアリアリ。さながら教官といった趣のLe front au prin tempsさんである。

 暖気にさらされていると、ゴミの臭気も漂うところ。だが、干潟が元気になってくれば、川の匂い、いや潮と言ってもいいかも知れない、一面には清々しい香気が立ち込め始めるのである。
 「残る花弁、さらわれる花弁、ムム」
 「Goさん、どしたの? 詩人ぶっちゃって」
 「この年になるとね、こういうの見てると儚くなっちゃって」
 「うら若き乙女を射止めておきながら、何ですか、そりゃ」
 晴天の中、ゆっくりと散っていた桜花は、風に舞い、川面を漂い、ビーチに寄せている。干潟を香り立たせていたのは、花弁のせいでもあった。これぞ春の薫り、恋の花がさらに彩りを添える。

(参考情報→散乱するのはゴミか桜か

 「で、業(Go)氏がとりあえず試作したのがこの充電式掃除機なんですがね」
 「使ってほしい人が来ないんじゃ致し方ないわね」
 「あの花弁、吸ってみますか?」
 「自然物はそのままでいいんですのよ、太平さん」
 無粋ではあったが、何となくほのぼのする会話がもう一つ。そろそろ引き揚げる頃合いとなる。

 目に付くのから取り掛かったため、いつもと順序が異なるポケットビーチ。その名に合わせて、ポケっとしていた訳ではない。広がる干潟を追うように、かつ足場を確認しながらの収集となったため、時間がかかってしまっただけの話である。
 流木、枯れ枝、草束の除去に入ったところで下流側の一行が帰ってきた。
 「あぁ、ちょうどいいや。これ使ってみる?」
 業平が見下ろした先には、姿を現したばかりの紙屑、というよりも粉状に近い紙片。縁起を担いで、まずは本日おめでたい人に試してもらうことにした。
 「そっかそっか、アドバイスした甲斐があったワ。これって、プレゼ...」
 うれしいのはわかるが、自分から申告することもあるまい。次には「今日でおいくつ?」なんて具合に聞かれるのがオチ。危ない危ない。掃除機の音でツッコミを遮断する櫻である。
 その粉ゴミは面白いように吸い込まれていく。十代姉妹や一部行員なんかも代わる代わる操作し、気が付けば吸殻から何から、見事にクリーンアップしてしまった。

 「あら、あっちもクリーンアップ?」
 「ハハ、走者一掃だな」
 掃除機が止んだと同時に、グランドからは一段と大きい歓声が聞こえ出す。遠くユリカモメの鳴き声が重なる。怖気(おじけ)づくようにカラスは退散。黒い羽を鈍く光らせながら、対岸へ羽ばたいていった。時は十一時近くである。
 上流側を千住姉妹、下流側を本多兄弟、分別教室が始まる。永代はクリーンアップをしながらも、辰巳をつかまえてマップの話で盛り上がっていたが、一段落したところで今度は卒業生にちょっかい。
 「桑川君、ちょっとちょっと」
 「何だよ先生、改まっちゃって」
 正直なところ、恩師と顔を合わせるのは照れくさいものがある。ぶっきらぼうな返事になってしまうのはその反動。
 「エへへ、今日もさ、結構フタ出てきたでしょ? どうするぅ?ってご相談」
 「後輩に譲るつもりだったけど」
 「ひとまず矢ノ倉んとこかな」

 話の流れで、今度はフタ談判に興じることになった。
 「ま、どっちにしても当センターで預かるワ」
 「じゃスーツケースもそのまま置いとこか」
 そろそろ集計作業が始まるところだが、女性どうしのお喋りは止まらない。
 「で、その六月君。文集でね、いいこと書いてたわよ」
 「永代先生と泣いて笑った日々、とか?」
 「お姉さんお兄さんに感謝!みたいな」
 「私も入るのかな?」
 「下手するとお母さん世代になっちゃうけど、彼に言わせると超姉御ってとこじゃない? とにかく読んでて思った。『受け止めてくれる人』の存在って大きいんだなぁって」
 「私なんかあの若い二人に環境教育を教わったようなもんだけど」
 「環境教育以上だったンじゃないの? お互いに」
 大船に乗ったような気持ちでここに来ていた、といったところだろうか。だが、いつまでも、という思いもあったようで、卒業文集にはその辺の宣言文も記されていたんだとか。六月も小梅も、勿論二人揃ってでもいいのだが、自分達で会場を持つようになれば、ここポケビからも卒業、ということになる。

 自然の営みというのは、時に象徴的な光景を作り出す。その若い二人の目の前には、枯れたヨシ、その根元から出てきた緑のヨシの芽。
 「ペットボトルがこのままじゃ育たないよね」
 「どうだろ、自力でどかしちゃう気もするけど」
 人の関与は最低限で、とは言ってもやはり放っておけない。
 「せっかく出てきたんだ。どっちも助ける」
 入り江も塞がれ、とっくに見分けはつかなくなっているが、この場所、修復した崖地である。元通りになって、春の息吹もこの通り。六月はようやく安堵の息をつく。

(参考情報→春のヨシ

 天から注ぐ陽光は勢いを増す。気温も二十二度を超えた。陽春の候である。となると、船の往来もなかなか激しいものがある。大きめの貨物船が波を引く。潮が退いているとは云っても、インパクトはそれなり。
 誰かさんがまた「キター!」とかやってたら、ついでにこの女性も来た。大波小波に、
 「あぁ、南実さん!」
 櫻の呼び方はある意味、正統派だが、他の女性からはこれがバラバラ。同性からもモテる証拠ではあるが、
 「ハハ、どう挨拶したものやら...」
 毎度のことだが、困っちゃうのであった。

 波が収まるのを見届けると、南実はいいことを提唱する。
 「皆さん、そのぉ、集計途中だとは思うんですが、今ちょうどピークくらいなんで、下りて記念測定しませんか?」
 「なーに? 測定って?」
 印象の違うルフロンに目を見張るも、動じないのが研究員。新たな調査のおつもりか。
 「そうですね、全員、行っちゃいますか」
 どれだけの広さになるかを実感するには、これが手っ取り早いんだとか。並び方は二の次。とは言っても、南実はちゃっかり千歳の隣、反対の隣は勿論、櫻。全体的には何となく男女交互になっているんだから、不思議なものである。
 手をつないで干潟を囲む。この人数でほぼ一周、てことはやはりそれ相応の広さなのである。
や「これじゃポケットじゃ済まないかもね」
ご「っても、タイトル変えられないし」
ふ「だいたい四十人だから、アラフォービーチかしらね」
 かつてのトライアングルが、今は横一線。真ん中の男は少々ドキドキしているが、至って円満である。
 「はぁ、これはこれは」 遅れ馳せながらタイムリー。冬木がここ一番で顔を出す。自分のケータイで撮影後、千歳デジカメ、南実ケータイ他、手前にいた人々からの撮影依頼が相次ぎちょっとした人気者。これで本人が写らないんじゃ気の毒なので、恩返しとばかり、八広が交代。
 永代はやっぱり一言、「Beantifulぅ」。手をつないだ時点ですでにウルウルしていたが、すっかり感極まっている。「先、生...」 六月はそんな先生が麗しく見えて仕方ない。

 段取りが前後した観はあるが、リセット後の記念撮影はこれで終了。拾い残しがあると、リセットとは言えなくなってしまうが、干潟の端々に及ぶ人の輪を作った以上、目は届いているものと信じたい。
 上流側につき、集計結果をまとめてみたら次のようになった。この数値を年間集計表に足し込めば、一年分のデータとして完結することになる。
 ワースト1(2):プラスチックの袋・破片/三十三、ワースト2(1):ペットボトル/二十七、同数ワースト2(-):フタ・キャップ/二十七、ワースト4(3):食品の包装・容器類/二十五、ワースト5(-):袋類/二十(*カッコ内は、三月の回の順位)
 掃除機で吸ってそのままになっている分を数え損なっているためか、前回ワースト4だったタバコの吸殻・フィルターは圏外。ワースト5だった紙片についても、粉々になったものは見届けているので、それをしっかり数えれば上位にランクインする筈。

(参考情報→2008.4.6の漂着ゴミ

 「Goさんがあとでちゃんとカウントすると言っておりますので、今のところは暫定値」
 「え、マジ?」
 機材を披露する度に、何故か予期せぬ手間を増やしてしまう発明家殿である。
 「ちゃんと、手伝いますよ。新入りはちゃんと雑用しないとネ」
 ケータイを操るだけがDUOではない。時には二人仲良く手作業ってのもいいだろう。

 雑貨が各種あれば、それに負けじとプラスチック容器の方も多彩である。コンビニ販売品と思しき類が中心だが、推し量るにこれは外形や意匠に競争原理がシフトしていることの表れではないか、となる。「中味での差別化が難しくなる、と今度は、見た目や意外性に訴えざるを得なくなる訳か...」 量は減ったがまだまだ。考察ネタは尽きそうにない。妙な安心感を覚える撮影係なのであった。
 千歳がスクープ系として記録したのは、そんなプラ容器コレクションと、その同類、プラ製寿司桶、高そうな卵の高級パックなど。あとは、浴室用イス、バスケットボール、当地初登場となるタイヤ、といったところ。某上流事務所のゴミ袋がまた出てきたら、イチ押し品になるところだったが、
 「フフ、今日は漂着してなかった?」
 「あったらあったで、使わせてもらうだけ」
 「気を利かせて流してくれたってことかも」
 sisters@発、higata@宛で、課長からの正直なコメントが流れたのは数週間前。恥ずかしながら云々というのはお決まりの文句、だが、それとセットでよく出てくる再発防止どうこうという句はなかった。この場合、再発防止ってのは確かに的外れ。流れてしまったものはどうしようもない。せいぜい流れ着いたらお使いください。そんなとこらしい。開き直りという心算はないんだろうけど、河川事務所ではその耐水性・耐久性が話題になったんだそうな。櫻と千歳は皮肉交じりに袋の話をしながら、袋詰めを始めている。

 「別に干潟がどっか行っちゃう訳じゃないんだし」
 「でも、ここでの取り組みって、拡散してって、そのうち手が届かないとこに、なんてことになりそうな」
 「点から面へってね。絵描く時も似たようなもんだから、それはそれでいいと思う」
 「そっか、大作とか?」
 「部分から全体、またはその逆の繰り返し。一枚できたら、今度は連作とかでさらに」
 「イメージ沸いてきた。あたしも頑張ろっ!」
 手作業を終えた弥生と、データ送信を終えた蒼葉が静かに語らう中、本多兄弟は行員一同環視のもと、再資源化関係の雑務に追われる。ワースト1と5は別として、2から4までは要リサイクル系である。慣れているとはいえ、ちとツライ。そこへ更なる資源物が搬入される。
ご「何だぁ、カンカン鳴ってると思ったら」
む「石が積んである辺りも手が届いたもんだから」
 人の輪にかからなかった、ということは捨て方も巧妙だったんだろう。今となってはカウント外だが、十代トリオは空き缶、といっても飲料缶ではなく、ペットのエサ缶らしきものを拾ってきた。その数、二十有数。十分、ワースト上位品である。
ま「ま、お日様、カンカンだし?」
み「いくら陽気がいいからって、ねぇ?」
き「ともかく五カンじゃ済まねぇな」
八「これはゴミステリー的にはどうですか?」
み「空っぽな上に、固めて捨ててあったってのがポイント。どっかのアーティストさんが何かを作ろうとして、やめちゃったとか...」
ま「ヤダわ、おば様ったら」
 謎は深まるも、とりあえず金属リサイクル行きは決定。漂流漂着品でないことは間違いないので、これも岩頼み。再発防止効果を期するのみである。

 掃除機は粒々も吸い上げてはいたが、もうとりまとめるには及ばない。南実はレクチャーを交えつつ、袋詰めに加わる。石島夫妻立会いのもと、参加者は引き続きステッカー貼りなどをしながら、ふりかえり。各自の体験や所感がその場で共有されることで、現場は息づく。そして今後、新たな場が生まれることで、面としての充実が図られることとなる。
 「ITグリーンマップ、楽しみネ」
 「現場情報の蓄積にもなるかもって、やってるうちに気付いたんだ。ここに行けば、誰かしら何かしらの取り組みがありますよって。環境計画的にもそれが一大テーマだし」
 「こんなものがここに?ってのもいいンでしょ」
 「地域に目を向けてもらうための一歩ですから、そりゃあもちろん」
 ここで、辰巳と寿チームの一報が入る。
 「え? ウナギを見た?」
 「えぇ、孫が水辺で」
 お孫さんは、手を拡げてその大きさを示している。あいにく証拠画像はないが、環境課の人間も証言してるんだから、間違いなかろう。
 「ま、ウナギだったらいっか。試しに投稿...」
 「なによ矢ノ倉、対象限定なン?」
 「魚の目撃情報はちょっと」
 干潟端では談笑が続くが、定例の拾って調べて...は、ひとまず終了。潮はいつしか上がってきていて、積石は波に洗われている。 もうすぐ正午である。

2008年11月11日火曜日

76. 泣いても笑っても


 日増しに緊張は高まるも、それが心地良く思えてくればしめたもの。だが、そういう時ほど過ぎるのは早い。今日は早くも週末、櫻にとっては誕生日前日である。ここまで来ればもう迷いも何もあるまい。彼女は朝からご機嫌。彼氏も釣られてデレデレ調。これじゃ仕事にならない?と案じたくもなるが、そんな二人を上回るのが今のこの人である。
 「おっはよ! お二人さん。今日もラブラブぅ?」
 センターとしても法人としても、元気をテーマに掲げる以上、事務局長が元気なのが何より一番ではあるのだが、いくら何でもテンションが高過ぎる。
 「ふ、文花さん、大丈夫、ですか?」
 「えぇ、そりゃもう、丈夫丈夫、グッジョブ!」
 全然、大丈夫じゃない。
 文花流の萌え~作戦が奏功したようで、兄君とはちょっとイイ感じになってきた。今日は待ちに待ったご来館日である。ハイテンションになるのも無理はない。そのフェミニンルックがversion upしていることからもバレバレ。アカウンタビリティ、即ち透明性が重要、とは言っても、これほどわかりやすい女性もそうそういないだろう。

 そして午後早々、弟、兄、新入社員の三人が連れ立ってやって来る。兄弟は申し合わせ通り、スーツケース持参での登場である。
 「まぁまぁ、わざわざおそれいります。太平さん、業平さん...」
 「あーぁ、おふみさんたらまたそんな格好して」
 「いいでしょ、私だってまだまだ若いんだから」
 兄君はすでにボーとなっている。果たしてこれで大事な打合せができるんだろうか。

ふ「えっと、DUOのメンテはこれまで時給換算でお支払いしてたけど」
ご「仕事となれば、一定額か報酬か、ですかね」
や「考えたんですけど、あたし、こっちに来る時は日当とかでいいかなって」
た「即戦力だから、試用期間とか要らないんだろうけど、融資があるとは言えしばらくは控えめ給料になっちゃう可能性があるもんで。報酬ってことにすれば、ある程度、まとまった額が入ると思ったんだけど」
 上背がある男が二人座ると、円卓も狭く感じる。だが、話を詰める上ではこの逼迫感は悪くない。見方を変えればラブラブ感も出てきそうだが、打合せ内容からして望むべくもないのである。
 ラブラブと言えばカウンターの二人が気になるが、やはりこちらもお預け中。議事録のチェックや役員就任承諾書の点検など、総会後の業務を淡々とこなしている。眠くなりそうな時間帯ながら、スタッフも客もバッチリ起きている訳だ。

 拡大版DUOの話がIT系だとすると、お次は実機系になるだろう。文花は業平に例の見立ての件を振る。
 「そうなんだよねぇ、やってできなくはなさそうだけど...」
 「業(Go)氏、ホラあそこ。再生工場は?」
 「金森さんとこか」
 見学・納品に行ったのが議案発送後だったこともあり、事業計画には特に盛り込まなかったが、フタ集めを当センターでも、で、その加工先・用途の次第では収益の一部を地域還元なんてプランも。
 「そしたら、あのスーツケースでまた往復、かな?」
 空の旅に連れて行ってもらえる日がまた遠のきそうなことだけは確かなようだ。

ふ「まだ早いかも知れないけど、お二人さん、今日はこの辺で。クリーンアップで使いそうな機材は私、準備しとくから...」
ご「リハーサル会場がもう使えるってことなら、早い方がいいかもね」
ち「いいんですか、事務局長?」
ふ「ま、明日のライブは考えようでは仕事の一環。代休よ。ガンバッテ!」
さ「ありがとうございますっ!」
 かくしてバンドマネージャーの計らいで、メンバーの四人はそろってお出かけ。櫻を除いて何かしらの担ぎ物があるので、まるで姫様とそのお付き、のような体裁である。だが、マスターはあくまで業平。しっかりケータイで確認を入れる。
 多重録音だけでも先に、ということで冬木は応じてくれた。
 「そんじゃ、Let’s go hey!」

 絵画展を観に来る客が少なからずいるが、円卓付近は静かなものである。
 「それにしても、矢ノ倉さん、スタッフ帰しちゃうなんて」
 「事務局長ですから。休暇を取らせるのも仕事のうちです」
 「そういうのはやっぱ就業規則できちんと」
 「ハイ、よろしくお願いします」
 労務関係の相談ということだったが、これでは逆手。ちゃっかり二人の時間を作ってしまう文花である。この調子だと規則があってもなくても、自分の恋路が優先されそうではある。

 だが、そんな気まぐれ裁量のおかげで、一行は早々とリハーサル会場に到着。当所(こちら)、冬木が斡旋してくれたイベント会社のスタジオである。ここの特長は、置いてある楽器や機材がそのまま移送できること。リハーサル後は専用のトラックに積んで、運び入れてくれるという。面倒見がいいことは、八広の一件で立証済みだが、ここまで来ると大人物。人の評価というのは変わるものだ。
 着くや否や、千歳は缶詰状態に。長丁場も予想されたが、併設のレコーディングセットの性能か、コーラスアレンジャーの力量か、はたまたボーカリストの技量か、とにかく三拍子揃ったようで、一人コーラスによる多重録音は短時間にしてはまぁまぁの仕上がりとなった。
 そのオープニングをちょっとした音量で再現していたら、繰上げ召集を受けたリズム隊が登場。
 「おぉ、カッコイイ」
 「ホレ、メンバー入場シーンなんだから、拍手拍手」
 八広はちょっと背筋が曲がっているが、舞恵は手を挙げてシャキシャキ。行進する訳ではないのでさほど気にする必要はなさそうだが、入場リハーサルも少しはやっておいた方が良さそうである。

 「じゃあ、蒼葉さんと小松さんが来る前に、軽く第一部の三曲を。曲順はメーリスで流した通り」
 「あいよ、舞恵はいつでもOK」
 「ドラムは...ちょい待ちで」
 とりあえず入場シーンは割愛して、多重コーラスから、ドラム、ベース、パーカッション、ギター、キーボードと重ねていくリハを始める。慣れないセットで少々手こずったが、一度乗っかればこっちのもの。八広の刻みはなかなか快調。それに乗じていきなり名演奏が繰り広げられる。
 ライブとなるとフェイドアウトが利かない。『聴こえる』の余韻を保ちつつ、いかに切り替えるか。ドラムの締めが聴かせどころになる。だが、そういう試行は後回し。マニピュレーターはさっさとインパクト系イントロを流す。「よしよし、とにかくつながればOK」 ドラマーはテンポチェンジについていけなかったらしく、ちょっと遅れ気味。一回目はリズムマシン頼りとなる。
 目玉の三曲目は、渋く乾いた感じ。この曲順に難色を示したメンバーもいたが、そのタイトルからして、不協和音を演じてはいけない。で、やってみたらこれが案外良かった。緩急という点でも打ってつけである。

 ひと休みして、第二部へ。ここでの二曲は特につなぎを意識することなく、一曲一曲緩やか~でいいので、メンバーも余裕。サックスをどう乗せるかが見えていないが、小編成なりの良さもある。今のままでも十分行けそうである。
 集合時刻には遅れて来るとのことだったので、この女性の出番に合わせて進行していたようなものだ。第三部からは、ASSEMBLYフルメンバーで三曲立て続けの予定。蒼葉はちゃんと合わせてきた。
 駆けつけで一曲ってのはカラオケでもそうそうないだろう。だが、歌姫の妹というだけあって、さらりと歌い上げる。メドレーに近い形で曲は流れ、再びボーカルは千歳に。ここまでの七曲、概ね良好。そして待望の盛り上げ曲へ。
 「七曲目からの流れを考えてのアレンジ。明日はちゃんとつなぎますんで」
 各自ダウンロードして試聴済み。総会のバタバタはあったが、ボーカルのご両人もここ数日間で多少の練習はできている。だが、音合わせは今回が初。どこか肩に力が入っているメンバーである。
 リズムマシンのカウント後、八広と舞恵が同時に入る。突飛ではあるが、曲はロケットならぬ『ポケットビーチ』、Dance Mixである。ノリノリだが、まだギクシャク。そんな中、サックス奏者がやっとこさ到着。
 「な、なんだぁ?」
 「あ、こまっつぁん、どう?」
 パーカッションをフィーチャーする用になっているので、音風景が南米のようになっている。夏女としては大いに共鳴するところだが、テーマ曲としてこれでよかったのかどうか。
 兎にも角にも練習あるのみ。南実が揃ったところで、改めて第三部の通し。再生、流れ、ビーチ...この連鎖、このグルーヴ感は正に川のうねりに通じる。情景を描きながら、情感を込めながら演奏を繰り返すメンバーであった。

 さて、ポケビの新versionでは、間奏にブレイクが入る。
 「ソロっつぅか、アドリブの練習してみよっか」
 「順番は?」 弥生が問うと、
 「ギター、ドラム、パーカッション、ベース...かな?」 先陣を切りたい人がさっさと答える。
 こうなるとボーカルの二人の出る幕がなさそうだが、
 「ま、メンバー紹介する係も要るでしょうから」
 ひとつ当日のお楽しみ、ということにしておこう。

 アンコールの二曲は、軽くおさらいする程度。ただし、鍵盤奏者は物足りなかったか、
 「イントロ、アドリブしていい?」
 何か思うところがあるのだろう。だが、これはアンコールの拍手が鳴り止んでからのちょっとした仕掛けと関係ある話。そしてそれは三人だけの内緒事項。
 とりあえずメドが立って、喜んでいるのは五人。残る三人はにこやかながらも心なしかしんみり。泣いても笑っても、もう明日の話なのである。

2008年11月4日火曜日

75. 新たなカウントダウン

ふたたび、四月の巻

(予告編)

 低気圧のイタズラで朝から強い風が吹いているが、総会開催を見送らせる程のことはない。今日は特別に千歳も早くから加わって、三人体制で着々と準備に当たる。エイプリル何とかの日ではあるが、至って本気モード。漫談も閑談もない。ただ風の音が聴こえるばかり。いや、そうでもないか。
 「今日、記念日なのにね」
 「まさか一年後にこういうことになるとは思いもよらなかったけどね」
 「あら、私はそんなことなくってよ」
 「へ?」
 「エイプリルフール!」
 一年後もこの通り、櫻にしてやられてしまう隅田クンであった。
 「はいはい、お二人さん、当日資料の点検、まだでしょ?」
 「ふ、文花さん! あ、あれ」
 櫻はここぞとばかりに小作戦を決行。
 「窓の外、ク、クラゲが...」
 「ん?」
 「はは、ひっかかったぁ!」
 「やぁね、レジ袋じゃない」
 「え?」
 からかうつもりがこの通り。強風が舞い上げた半透明な一枚がヒラヒラと泳いでいるではないか。
 「痛み分けってとこね。さ、続き続き!」
 「な、なんで...」
 珍しくクラゲのようになっている櫻だった。今日の司会進行、大丈夫だろうか。

 建物三階には大きめの会議室があって、百人は入れる。ここが本日の舞台である。午後からは理事や運営委員も顔を揃え、十四時の開会に向け総力が結集される。三十分前には受付開始。並行して会場のセッティングは進んだ。そして、その時を迎える。
 「ただいまより、特定非営利活動法人『いきいき環境計画』の設立総会を始めさせていただきます。本日は多数お集まりいただき、誠に...」
 主催者人員を含め、七十人は集まっている。センターとしては大入りの部類である。そして、この数とは別にご来賓が招かれている。辰巳の上位上司、櫻がかつてお世話になった地元の長とでも呼ぶべき人物、そして、娘二人から小人物呼ばわりされているあの人、の三氏である。うち、代表してお一人に挨拶に立ってもらう。岩を安置した功あっての抜擢か、いやそればかりではない。
 「本日付けで地域連携を進める部署に異動になりました、河川事務所の石島でございます。環境計画の皆さんにはいつもお世話になり...」
 異動初日、初仕事が総会臨席とは上出来である。これからは地域の、流域の、とにかく広報よりも広聴が最たる務めになる。皆さんのお声を拝聴しないことには仕事にならない、そんな部署。本人の意向かどうかはいざ知らず、お上(かみ)がやるにしてはなかなか粋な人事である。ありきたりではなく、一定の体験(曲折?)に裏打ちされた含蓄ある挨拶になっていることからも適材適所であることがわかる。が、こういういい時に限って、娘達は不在。拍手が盛大だったのが救いである。

(本編)

 会員総数百五十余りのうち、半数近くが出席。書面参加も加えれば軽く百は超える。二分の一で可のところ、これはもう三分の二ライン。総会成立の要件は余裕で達せられたことになる。その数の確認が司会者から発せられたら、ここからは議案に沿って粛々と、である。が、その前にすべきことがある。一旦、事務局長にバトンタッチ。
 「式次第にもございますが、議長は正会員からの立候補で選出、となります。どなたか、いらっしゃいましたら...」
 この集まり具合なら、我も我も、となりそうではある。だが、それでは文花のシナリオが崩れてしまう。出てほしい、されど... 法人運営で悩ましい点の一つだろう。
 予定通り、率先しての挙手はなかったので、ひと呼吸置いてから、一人のご婦人が手を伸ばす。旗を持たせたら、なおよかったが、そこまでの演出は無用。
 「では、玉野井様にお願いします。ご異論なければ皆様、拍手を」
 さすがは作家先生であらせられる。咳払い一つで会場は忽ち粛然となった。「緑のおばさん、やるな」 囃し立てたい気持ちを抑え、清はただ溜飲を下げる。機材を担当する千歳も些か硬直気味。プロジェクタのスイッチを押しかけて手を止める。

 雛壇等はないのだが、次第では議長登壇となっている。その壇上、即ち長机からマイクを通して第一声。
 「議事の記録、議事録署名は、議長の裁量で...」
 この出だし、文花と打ち合わせた通りなのだが、記録係として想定していた八広は本日が晴れの出勤初日につき、叶わず。公募で加わった理事と運営委員から一人ずつ充てられた。議事録署名人は、公募以前の理事三人、文花、千歳、清が仰せつかる。
 第一号議案スタート、のその時である。見慣れないスーツ姿の女性が会場後方に現われた。
 この方も出勤初日なのだが、八広と違っていきなり裁量労働ゆえ、自由が利く。COOと相談、というよりは談判でもして駆けつけてきたんだろう。弥生嬢である。
 「はぁ、間に合ったぁ」
 風のせいで、幾分無造作ヘアになっているが、それはあふれる気鋭ゆえ、と映る。どこかのアーティストさんの場合と大違い。櫻と文花は笑いをこらえながら目配せする。
 女性議長の仕切りに従い、事務局長が説明する。一号:設立趣旨、二号:活動報告、そして議案の三号は、練りに練った事業計画。プレゼン資料の方も気合いが入っている。
 「予めお席に置かせてもらいましたが、当法人のリーフレット案もあわせてご覧ください。あと、簡単ではありますが、環境情報サイト”KanNa”とITツールβ版のチラシもご用意しましたので、そちらも...」
 スクリーンには、そのリーフレットにあるのとほぼ同じ図、模式図や体制図が映し出される。事業の三つの柱、その相関関係、部会の位置付け案に、理事の分担案、言うなればTo-Beモデルのお披露目である。議案にも勿論載ってはいるが、この日に向け、さらなる視覚(visual)化を施し、より磨きをかけてあるのでインパクトは十分。独壇場とはこのことか、今ここに登壇しているのは文花その人である。
 が、話せば話すほど、こみ上げてくるものがある。名月の日に団子をいただきながら、に始まり、そのデザインを巡っては大いに議論もした。干潟端で一人作図なんかもしたっけか... 自らの歩みを振り返ることになる訳だから、感極まるのは当然。どうも声の出が悪くなったと思ったら、うっすら涙目になっている。嗚咽しそうになるのを堪え、事務局長はひと息。そして、続ける。
 「設立趣旨のところでもお話ししましたが、スローかつ緩やか、がテーマです。工程表はあくまで目安。皆さんと一歩一歩と思っています。あとは、木と森、点と面の行ったり来たり、で。多様な視点、現場感覚、なども大事にしながら、一人一人の環境計画、その実践をお手伝いできれば、と...」
 議決をとるのは後なのだが、ここでちょっと大きな拍手が起こる。文花は頭を下げたまま動けなくなってしまった。
 「えぇっと、ご質問の時間はまた後ほど。続いて収支と予算に移りたいのですが、矢ノ倉さん?」
 晴れの舞台ではあるが、いつも通りナチュラルメイクなので、目の周りがボロボロとかにはなっていない。まだ少々目が赤いが、
 「あ、ハイ。では前年度の会計報告を申し上げます」
 年度途中からでも費目を精査した甲斐あって、収支も予算も項目立ては瞭然。舞恵に手伝ってもらった成果がここぞとばかりに活かされる。当然ながら、監査の方も問題なし。寿(ひさし)がすっと立ち上がって、活動報告と収支報告の間に不整合がないこと、法人に移行するに際して障害となる不備等はないことなどをスラスラ。名監事にして名調子。会場を唸らせる。
 第五号は予算案になる。これまでの財源は主に役所からの単純委託に負っていたが、本年度からはそれが改まる。引き続き受託することが前提になってはいるが、それだけでは心許ないため、先に紹介した各種計画に基づく自主事業等見合いも盛り込んであるのがポイント。独立した財源の比率をそこそこ高めてあるのは、これまでの実績に寄せる自負と、今後の取り組みに対する自信の表れ。何より、その法人の気概を数字で示す上でこれは要目なのである。
 会費収入も然りだが、講座や教室の類、アフィリエイトに企業協賛にネットを介した寄付まで、その見込み収入源は多様。
 「従来の営利追求型組織の中には、非営利要素を模索する動きが出て来ています。そうした団体とのクロスオーバーと言いますか、協業ですね。こちらは非営利組織ですが、経費に当たる部分はできるだけ利益で賄えるようにして、安定的な財源は本来の社会的なミッションに回したい、ということでして...」

(参考情報→営利と非営利のクロスオーバー

 DUOを当て込んだ部分は大きいが、KanNaについても期待は大。本会で定款が通れば、個人会員制度が確立され、これまで団体専用だったKanNaの個人向けサービスが始められる。情報流通を促すことがその主たるねらいだが、会員管理がネットでできるようになるメリットもまた大きい。
 その会費は、そんな性格を反映して情報登録料に近い形になっているが、ボランティア保険の加入料も込みになっているところが秀逸。万一に備える、つまり現場に出やすくする配慮を伴わせている訳である。文花流儀のお節介を汲みつつも、ひとえにこれは理事会の創意であり総意なのであった。
 弥生は自分の仕事が広がりつつある予感に身震いしながらも、気合いたっぷりにメモを取っている。社会人としてのスタートを切るのに、こんな相応しい場はあるまい。
 「おふみさん、ありがと...」 その謝意には実に様々な思いが込められている。トライアングル中は張り合っていたが、今は何とも畏れ多く思う。文花の器量・度量に惚れ惚れするばかり。
 辰巳はどうだろう。
 「事務局長、スゴイな」
 惚れ惚れしている向きもありそうだが、賓客の上司ともども、ただ見守るばかり。感想の一つや二つは良さそう? いや立場上、いかなる発言も控えざるを得ないのが実際である。委託主が一言発しようものなら、法人自立の妨げと受け止められる可能性は否めない。NPOに対する弁えがある分、こうした苦渋が生じる訳だが、そこは妙味として味わえばいいだけ。不惑の境地とはこういうものである。

 「ではここまでの五つの議案を通して、ご質問などありましたら、お願いします」
 より一体感のある、的確な質疑応答を期するのであればこの手に限る。初めての総会にしては実に手際がいい。ただし、法人とは言っても会社のそれとは違うので、想定問答なんかは特段用意していない。ここが場力の見せ所、ぶっつけ本番である。
 出席者の数が多いのは決して見掛け倒しではなかった。法人の為を思っての真っ当な質問がいくつか出てくる。役所との関係・その透明性、会員に期待される役割、受託先の開拓予定・将来性... 事業そのものよりも、体制面や運営面、つまりシステマチックな話に傾いた感じ。主に文花が答えるが、必要に応じて千歳や他の理事がフォローしつつ、こなしていく。
 質疑をふくらませて事業のデザインを、という目論見もなくはなかったが、街なり川なり現場に出た方が話は早いのかも知れない。ただし、せっかく会員が集ったのに何もしないでは勿体ない。
 「えっと申し遅れましたが、今日はこの後、二階に移動していただくとですね、実はちょっとした仕掛けがございまして。意見交換などもそこでまた...」
 基調講演や祝辞紹介といったセレモニー要素を設けなかったのには理由があった。センターにお招きし、何らかの紹介をするのが、何よりのセレモニーということだったのである。
 開会から一時間余りが経過。ここで一旦議決が為される。書面参加は、ごく少数の反対が見受けられる以外は、賛成か議長一任。あとは出席者次第となる。緊張の一瞬? いやいや、ここまでじっくり丁寧に積み重ねてきただけのことはあって、会員各位は極めて好意的なのであった。
 パッと見はいわゆる賛成多数なので数え上げる程のことはないのかも知れないが、議事録に記録する都合もあり、しっかりチェック。櫻はカウンタ(もともとはセンター備品)を使い、カチカチ。PCに打ち込んでプロジェクタにその数を映す手もあったが、ここでの出番はホワイトボードとマーカー。ライターを自認する千歳が書き止めていく。
 多少の数の違いはあるが、第一号から第五号まで、会員総数の九割方の賛成を以って承認。予算案も案が取れて、予算になる。
 専従費が通ったことで、文花は今年度より晴れて給与制に。至って控えめな数字に抑えてはあるが、契約待遇からはこれでおさらば。法人の自立=自身の自立、この両立が一つのテーマだとすると、大いに張り合いも出よう。

 議決の要件(承認に要する人数比)に関しては、定款にその定めがあるが、設立総会に関しては従来の会則に則る形としてある。仮に次の議案である定款案が否決されるようなことがあっても、ここまでの議決は有効。定款が承認された後は、その次の議案からは定款に基づいて、となるが、その要件は同一につき、どちらでもいいと言えばいい話になる。
 六号:定款、七号:役員選任、いずれも重要議決。だが、特定非営利活動促進法に定める法人の活動の種類についての問いがあった程度で、定款の方は意外とあっさり通ってしまった。役員の決め方については、早速その定款に従う形となるが、議案別紙として提示した候補者(名簿掲載者)が承認されれば、事実上、理事会発足!となるため、どの定めによってどうこう、というものでもない。ただし、その中から代表、副代表を互選云々という点については、何条の何項により、となるのでもっともらしくなる。
 役員、つまり理事の選考過程については、透明性が高かったためか質疑なし。理事全員、ひとまず前列に並び一礼。そのまま承認の栄に与る。あとは理事の中から、我こそは!という人物が現われれば正に互選手続きが取られることになる訳だが、総会進行中に内輪であぁだこうだとなることはまずないので、予定通りの人選で落ち着くことになる。
 「では、理事が承認されたところで、本総会の議案は全て終了、当法人の設立に向け、大きな一歩が踏み出されたことになります。皆様のご協力、感謝申し上げます」
 満場の拍手を以って、議長は一応降壇。代表、副代表、事務局長の割り振りについては、議決事項ではないため、今この時を以って立席理事会で決める。

(参考情報→議長降壇

 「玉野井議長、どうもありがとうございました。では、互選の結果がまとまり次第、事務局長の方からお願いします」
 拍手の余韻が冷めないうち、がその心得。万感の思いとともに文花はマイクを握りしめる。
 「僭越ながら、事務局長職の任を受けることになりました、私、矢ノ倉より、ご紹介させていただきます。情報担当理事 隅田千歳...」
 担当理事の紹介に続き、注目の副代表理事、即ち、
 「玉野井 緑でございます。そして代表理事、あ、その前に監事、入船 寿...」
 事務局長については順当、だが、副代表も女性ということで、いくらかどよめきも起こっているようだ。だが、当法人ではごくごく自然な話。そして、
 「失礼しました。代表理事、掃部...」
 清か清澄かどちらで呼ぶか考えていなかったので、ちょっと間が空く。演出としては絶妙である。「...清、でございます」
 会場は再び満場の拍手。このまま代表理事よりご挨拶、と行けば筋書き通りだったが、如何せん運営委員がまだだった。全員は揃っていないものの、前に出て来てもらってペコリ。櫻もその一人である。
 司会の位置に戻るのも何なので、櫻はそのまま一言。
 「矢ノ倉事務局長、どうもありがとうございました。では、運営委員、理事を代表しまして、掃部より最後にご挨拶を。先生、もとい代表、よろしくお願いします!」
 一度マイクを持たせたら、そう簡単には終わらない。だが、これが楽しみで集まった会員はきっと多いに違いない。俄かに、待ってました!という雰囲気になってきた。

 「代表理事を引き受けるにあたっては、いろいろ思うところがありました。事務局長さんに担がれたところもなくはないですが、巡り合わせと言いますか、ご縁と言いますか、とにかくその思うところを整理してみたら、これがハマった訳でして...」
 ハマったものの一つにハコモノがあった。お引き受け後ではあったが、自ら課題論文を書きながら、思いは深まり、「ハコとは何ぞや」「ソフトとしてのハコモノってのは有り得るのか」てな自問を経て、自分なりの地域再生論と結びついたんだという。あとは、現場でのあれこれ、センター主催の講座なんかも励みになり、何より自身がいきいきしてきたことに触れ、次にこう語る。
 「多くを口にしなくても、いつの間にか浸透してるっていうか、何だか先回りして取り組まれてるような気がして、気味悪いくらいで。事務局長からはセンセ呼ばわりですが、何の何のこっちの方が学ばせてもらってる感じで、志学の心境ですわ。アラウンドサーティーならぬ、アラウンド、トゥエンティー? とでも言ってやってください」
 さっきまで厳かに総会をやっていた場とは思えない。賑やかなショーが繰り広げられている。いきいき以上である。
 「で、櫻さん、時間はまだよろしい?」
 「え? えぇ。客席の皆さん、いかがですか?」
 総会屋も来なければ、自説自論を唱える人もいなかった。総会の進行が円滑だった分、時間にはゆとりがある。議決時を上回る大きな拍手で、掃部トークの続行が承認された。

(参考情報→自説&自論

 「質問にも出ましたが、改めて当会のスタンスを述べさせてもらうとしましょう」
 場を持つ強み、それを示す意義、そんな話から、地域貢献の場としてのモデル、関わり方や働き方のモデル、さらには、
 「傍目からは行政下請け機関のように見られるかも知れません。が、そこが逆に狙い目でもあります。行政とのつきあい方モデルってのを提示するには好都合な訳です。いいようには使わせない。逆に甘えたりもしない。と、これは矢ノ倉さんのモットーでもありますが。な?」
 事務局長は大きく頷いて笑みを浮かべる。代表はちょっとドキリ。
 「ご、ご存じの通り、掃部清澄と言えば、行政とツノを交えるので有名ってとこでしょう。北風と太陽で言うなら、北風派。ま、近年も相変わらずツノを尖らしたくなる事例は多々ございますが...」
 決められたことはやろうとする、変なことが決まってしまうとそれも対象になる、逆に決められたこと以上のことができない自縛、職務専念義務、日当やら手当やら、そして、
 「個の判断が尊重されない構造と言いますか、組織の判断優先になっちゃうのも仕方がないんでしょうかね。ただ、組織は守れるが、地域は守れない、ってことでは困る。かと思えば、時に『どうだ!』てな感じで余計な手出しをしてくれちゃう。手を出す前に話を聞いてくれりゃと思うんですがね。有識者だけが専門家じゃあない。大事なのは現場を知ってるかどうか。市民、こどもたち、いくらでも話は出てきます。そんな対話の場を提供するのも当会の役目かも知れませんが」
 話は市民活動への支援にも及ぶも、これは委託主へのメッセージとも取れる。サポートの仕様を間違えると、単なる邪魔にしかならないこと、ニーズがつかめないとか接点が見出せないとか言う前に、自分で飛び込んでみてはどうか、といったこと、
 「わざと複雑なこと考えんのも役所の悪いところでしょうかね。単純に言ってしまえば、手弁当になりがちな要素をちょっと助けるだけだっていい。で、あとは口を出さない。中にはそんなサポートなり地域貢献が在職中にできなかった罪滅ぼしのつもりか、退職してから自分でNPO法人を『立ち上げ』? ま、団体起こしをする方も居られるようですが」
 さながら講演会の様相を呈してきた。が、話はそろそろ集約方向へ。
 「つきあい方を話すつもりがついつい。で、その北風を南風に変えてもいいんじゃないかって、思うようになった次第ですわ。行政側も話を聞くと、いろいろと事情や背景がある。となると、お互いに思い違いを減らすにはその辺を共有するって言うか、理屈を理解するって言ったがいいかな...」
 自負やプライドがあるのはお互い様。組織は建前で、大事なのは実は己の自負心とか尊厳とか。だとすると、それを損ねないような配慮が市民側にも必要なんじゃないか。
 「行政、いやお役人を意固地にしないための話術っつぅか、仮に行政側の失敗、と思われるようなことがあっても、それを担当者にしっかり受け止めてもらえるように、ま、語りかけるってとこでしょうな」
 このくだり、そう十二月の講座がもとになっている。表向きの活動報告とはひと味違う、議案を超えた何か、これはエッセンスのレビューである。千歳とアイコンタクトをとる清。今度は千歳がドキリ?
 「という訳で、さまざまなモデルを試行しながら、皆さんと一緒に学んでいきたいんであります。まぁ、自分では余計なことをするつもりはないんですが、時には老婆心、じゃねぇや、老爺心でもって、南風を吹かそうと。な、石島課長殿?」
 ご来賓は誰一人途中退席しなかった。湊にしても、これは天晴な話である。皮肉ではない。称賛であり、激励。それが代表挨拶には込められていた。
 「そうそう、協働論とか今の話はですね、新著でご覧いただけますんで。どうか、しとつよろひく」
 締めが今しとつ(?)だったが、大喝采が包む。「カモンさん、さすがねぇ。ホホ」
 終了予定時刻、十六時になった。

 法務局だ、登記だ、というのがまだ残っている。だが、法人格を取得できれば、事業は継続できる。ちょっと甘えた感じにはなるが、今年度は指定管理者で受託することが決まった。下請けでないとすると、物申す管理者ということになりそうだが、それが通用するかどうかは不明。モデルづくりだと考えればカドは立たないだろうし、語らいで以って乗り切るというのもあるだろう。
 法人スタート=受託開始、となるため、正式な手続きはまだ先。櫻は引き続き出向、ということでひとまず落ち着いた。
 「じゃあ、櫻さん、今後ともよろしくネ」
 「あ、こちらこそ。事務局長殿!」
 「ヤダわ。今まで通りでいいってば」
 「矢ノ倉ぁ?」
 「何よ、櫻ぁ」
 今更ではあるが、思いがけない共通点があることを知って、ノラクラやっている。名物二人娘改め、クラクラシスターズ、ここに誕生か。
 いやいや、もとは三人娘である。事業計画上、その三人目の存在がまた大きくなってきた。まだ流動的ではあるが、土曜日非常勤の線も有り得る。
ふ「そしたら、五日に皆で決めますか」
や「まずは隔週で、かな。週休一日ってのも...」
 とりあえず、働き方モデルの試行がまた一つ加わることになりそうだ。

 事務局長はこんな感じで人事の雑談をしているが、センターは大賑わい。他の役員や委員は部会の紹介を含め、館内のオリエンテーリング中。絵画展は会議スペースに移っているが、こちらも大入り。
 「で、こちらがそのリセット後の干潟を描いたものです。おかげ様で準大賞を頂戴しまして...」
 先週末に戻って来たこの作品。総会開催に間に合った以上、持って来ない手はないだろう。センターの留守番がてら、展示替えをしていた蒼葉だが、準備が終わるや否やのこの人だかりに仰天。画家自らによるガイダンスツアーを始めざるを得なくなってしまった、という訳である。男衆の目線が必ずしも絵画に向いていないのが引っかかるが、ここは一つモデルつながり、ということで大目に見よう。
 その展覧会場の入口に何気なく置いてあったチラシがきっかけで、そこに居合わせた千歳は六日のイベント紹介方々、BGMを流すことになる。デモ用のCDはセンターにもある。スローで緩やかな曲が館内の一隅を漂い始め、賑わいを程よく中和していくのだった。

 弥生はまだお仕事モード。今日はこのために来たようなものかも知れない。いつもの円卓でPCを操作しつつ、IT版グリーンマップを披露している。個人会員のIDを使えば、すぐにでも参加可能、というところまで仕上がっているというんだから大したもの。ただし、ゴミ調査結果(DUO経由)との連動はまだまだ構想段階。
 「地図情報を読み込んでから、テンプレートを呼び出すってのがわかんなくって...」
 「まぁ、お仕事としてじっくり取り組んでもらえれば、それで」
 「って、どっちの仕事?」
 「両方、かな? これぞコラボレーション!」
 この件も五日に話し合った方が良さそうではある。

 外はまだ明るいが、客はポツポツと帰って行って、センターには一抹の静けさが。会議スペースでは作品鑑賞を兼ねた臨時理事会が開かれていて、そこから時々歓声が聞こえる程度。
 「じゃあ弥生ちゃん、これ」
 「あたしが使ったらマズイ?」
 「六月君の入学祝いのつもりだったんだけど」
 「入社祝いはなしってか?」
 「あ...」
 「なーんてね。でも悔しいから、姉貴からのお祝いってことにしちゃおっと」
 弥生流エイプリルフール、なのであった。

 総会終わって気分爽快!?といった面持ちの文花である。何はともあれ肩の荷が下りたのは確か。一方、まだ下りないのはご両人。嬉しい愉しい、けれど... 絵でも音でも表現しようがない、この緊張感。
 重大発表に向け、カウントダウンが始まる。

74. 時は満開


 総会成立の見通しは立った。プレゼン資料を含め、当日に向けた準備も概ね良好。KanNaの最新情報、部会の紹介媒体、拡大版DUOの予告といったあたりをどこまで用意するかが詰め切れていないが、総会終了後でも間に合いそうなものは別に、と意に介さない。矢ノ倉事務局長にしては珍しく悠長に構えているが、
 「ま、出たとこ勝負ってところもあるし、皆さんの場力(ばぢから)で乗り切れるでしょ」
 それだけ貫禄が増したという訳である。櫻と千歳も慣れたもので、
 「じゃ、あとは一日(ついたち)に早めに来れば、ってことで」
 「定時で失礼して、よろしいですかね」
 てな具合。二十九日、晴。閉館時間になってもまだ明るさが残る。二人が愉しげにしているので、アフター6のご予定をつい尋ねてしまう文花だったが、あとの祭り。
 「はぁ、二人で夜桜でございますか...」
 とっくに公認、今は合鍵の間柄である。これ以上は何も言うまい。

 二人で自転車を押しながら、やって来たのは河原の桜。場所柄、花見客でわんさとなるようなことはない。花を見つつ、程々の静寂が楽しめる。
 「サクラ花粉症の方は平気?」
 「だから、あの日はたまたまで。あ、でも櫻さんが放つ、こう何て言ったらいいのかなぁ」
 「やぁね、私、花粉なんて出さないわよ」
 フェで始まる何とやらにメロメロ、ということを言いたいようだった。
 「フフ、やっとそういうのに敏感になられたようで」
 それもそうなのだが、実はさらに感度が上がっていた彼氏である。ほぼ満開の桜を見上げる彼女に、とっておきの言葉を投げかけてみる。
 「櫻さん、そのぉ...」
 「ん? なーに?」
 「だ、大事な話があるんだけど...」
 すでに贈り物の詳細については打合せ済みである。となると、大事な話って?
 「まぁ、四月一日だと真実味が薄れちゃうもんね。でも今聞いちゃうのももったいないし...」
 小悪魔ぶりを自ら楽しむように、はぐらかす櫻。だが、胸の内は正直なところドッキドキである。サプライズとまでは行かないが、いつの間にやらしっかり加速してきて、今や逆転に近くなっている。
 まだ開ききっていない花もある。櫻は返事をためている。
 「櫻さん的には、誕生日に聞かせてほしい、かも」
 「じゃ記念品と一緒にね」
 「お言葉だけでもすっごいプレゼントになりそうだけど?」
 「ハハ、改めてきちんと、考えておきます」
 「ちゃーんとお返事しますから」
 彼の肩に頭を乗せてみたら、ようやくチラホラ花弁が下りてきた。お互い緊張が解けた瞬間。だが、
 「向こう一週間、いろんな意味でドキドキが続きそう」
 「私も同じ。でもプレバースデイウィークとしてはお誂(あつら)え向き、かな」
 夜桜は二人を否応なく盛り上げてくれる。この流れからすると、今夜も...。
 「今日はどうしよっかな」
 「...(ドキ)」
 「何かね、『そうかそうか』って喜んでたと思ったら、最近の蒼葉ったら、つまんなそーな顔することが多くて、その...」
 「一人じゃ寂しいとか? ま、そうだろね」
 「曲の続きは家で練習します。また明日もお目にかかることですし」
 何とも風流なお二人さんなのであった。

* * * * *

 三カ月ほど前は午後だったが、本日はそこそこ早めの午前。18きっぷで仲良く品川で降り、向かう先は昼桜。第一京浜を南下し、八ツ山橋を渡り、北品川駅を過ぎればここからは前回の逆ルート。かねてからの約束通り、御殿山にやって来た。
 「時の将軍様が大衆の娯楽のために植えた桜の一つ。他には飛鳥山、小金井、あと...」
 「どこ?」
 「隅田! 川、よ」
 満開の桜を見上げつつ、満面の笑顔。
 「詳しいね、櫻さん」
 「そりゃね、サクラのことなら櫻さん」
 もっともだ。

 三十代男女が山なら、十代男女は里である。こちらも約束通りではあるが、乗り物主体のちょっと変わったデート。
 「じゃここからはこれで有人改札を通ります。姉御は700円のこっち」
 「六月クンは?」
 「350円。小児用」
 「ズルーイ!」
 「もちろん、お代はいただきません。誘ったのオイラだし」
 これが小児のやることか。実の姉がいたらつっこまれそうな場面ではある。
 混雑極まる開業初日の日暮里駅。二人はこれから川を越える旅に出る。

 突き当たりを左に折れると下り坂。どうやら品川に戻るつもりはないようだ。
 「道を間違えてなければ川に出ると思うけど」
 「そしたらまたゴミ調べ?」
 「たまにはお一人でどーぞ」
 「櫻姉ぇ」

 ライナーとともに、何かが動き出そうとしている。卒業後入学前という時期がそうさせるのかも知れないが、少年の心は昂り、揺れる。だが、西日暮里から先はほぼ真っ直ぐ。タイヤで走ることもあり車両は思ったほど揺れない。このギャップがたまらない。
 「どったの? 乗り物酔い? な訳ないか」
 「初めて乗るから勝手がわかんなくって」
 「六月クンでもそういうもんなんだ」
 あいにく先頭席は確保できなかったが、ある程度並んだ甲斐あって、進行方向二人掛け席をゲットすることはできた。隣には愛しの女性。どう言葉を発するか、その勝手がわからないだけなのである。
 想い出の地、熊野前、足立小台と続く。荒川が見えてきた。本線本日のハイライトである。
 「オイラ、いや僕、姉、いや小梅さんのことが...」
 「フフ、そう来ると思った。でもそのセリフ、今はとっといた方がいいよ」
 「エ?」
 「入学したら、気持ち変わるかも知れないし」
 「姉御ぉ...」
 西新井橋から小梅がスケッチした首都高速。その上を越えるんだから結構な高さである。右手遠くにはその西新井橋。荒川ビューが広がる。だが、六月の目には入らない。気分はすっかり川流れ~。

(参考情報→荒川を越えるライナー

 「まぁまぁ、そんなふったりとかしないから。勉強の合間にデートとか...エへへ」
 「やったぁ!」
 すっかりイイ雰囲気になってしまったので、このまま終点まで向かうことになった。途中駅での乗り降りは自由なのだが、六月はもうどうでもよくなっていた。

 若いのが荒川を越えたその時、同じく川を越える二人がいる。ただし、こちらは徒歩。
 「さすがにノーマーク。何て読むの?」
 「普通に読むと、いき橋?」
 「まぁ、いいや。イキイキ、イケイケ、Let’s Go!」
 目黒川に架かるちょっと立派なその橋。名は居木(いるき)橋である。見下ろしたところで干潟はない。当然ながら漂着も、ない。ゴミがないばかりに素通りされてしまう川、それっていったい?

 これから乗るのは中距離列車。その性格上、クロスシートはある。が、混み合うことが予想されるため、駅弁という訳にも行くまい。大崎で早めの昼をとり、ノラリクラリ。十三時台のグリーンとオレンジの速いのに乗ったら、あとは一気に小田原へ。
 桜がお目当てではあるが、二人にとってはその行程、その緩急を楽しむのをまた良しとしている。従って、お城を見ても、花々を観ても、感慨があるようなないような状態。これじゃ小田原に失礼な気もするが、
 「マップを作るつもりでしっかり廻るってことならね、また見る目も違ってくるんでしょうけど」
 「ケータイ使ってIT版グリーンマップ、ってのもアリ?」
 「その場で撮影して投稿、かぁ」
 桜色の話題も出たかも知れないが、マップと来れば緑だ橙だ、である。そして十五時過ぎ。ホームにはその色の線が入った車両が滑り込んでくる。予定調和とはこういうことを言うのだろう。東海道線の旅は続く。

 「一度降りてみたかったんだ」
 「何かドラマチック...」
 川がつく駅名ながら、ホームからは相模の海が広々と見渡せる。今日は花冷えしそうな日和ゆえ、海もどことなく寒々とはしているが、二人にとってはそれが好都合に働く。

(参考情報→小田原&根府川

 「風はそんなにないけど、寒い、かな?」
 「そうね、特にここ、とか」
 人影はない。もともと無人駅みたいなものなので、いくらでもドラマチックな演出は可能。が、彼はちょっと躊躇いを見せる。別にじらすつもりはないのだが、何かが近づいているのを察知したのである。特急列車が通過していったのはその一分後。
 「ハハ、あぶないあぶない」
 「もうっ、じれったいなぁ」
 花も、いや海も恥らう三十路のラブシーンは、あくまで列車の通過後。目を閉じていると、潮の香りで辺りが満たされていくのがわかる。今、彼女の唇はすっかり桜色。色男は憎いことをするものである。

 あたたかいものがよく出るのは、気温のせいばかりではないだろう。おなじみカフェめし店では、人気のニコニコパンケーキの注文が相次ぎ、お姉さんは大いそがし。BGMのスローな感じに救われる恰好になっている。
 デモ用のCDをシャッフルしてかけているので曲順不定。『晩夏に捧ぐ』に続いて『ポケットビーチ』が流れ出す。と、耳障りがいいので、お客からの問合せもチラホラとなり、パンケーキと一緒に来週のステージイベントのチラシを渡す場面も出てくることになる。店ではちょっとしたプロモーションが行われていた。

 「あーぁ、何だかポケットって言うよりロケットって感じ?」
 「もうちょいかな。おかげでだいぶイメージに近づいてきたけど」
 「多分、ブラス系入れると、もっとノリノリになると思う」
 「あんまり飛んでっちゃうのもどうか、と」
 「あたしはついて行きますよ♪」
 四月からは職場となる場所で、しかも業務用のPCを使ってこの調子。こちらでは、違うversionのポケビがプログラミングされている最中だった。COOに言わせると、これも研修の一環なんだとか。大いにツッコミどころではあるが、社員候補生はただニコニコしながら、励んでいる。
 その気になれば、熱海へ行って戻ってというのもできなくはないが、今日のところは根府川どまり。そして小田原からは再び特別快速に揺られる。加速の加減が心地良い。今の二人同様、と言っていいだろう。

2008年10月28日火曜日

73. 外湾へ


 二十四日、雨女さん不在にしてはあまり天気が宜しくない。
ふ「房総方面は天気悪くなさそうだから。あとはハレ女さんに期待しましょ」
ひ「ハレ女? あぁ、櫻さんね。こないだの探検の時も上天気だったもンね」
 秋葉原駅中央改札口を一旦出たはいいものの、外をブラブラするには条件厳しい春の日。再び五人そろって有人改札を通り、中でおとなしく二人を待つことにした。
 すでに小学校を卒業した六月だが、まだこども料金が適用されなくはない。しかしながら、18きっぷを使う以上、一人だけ半額という訳には行かないので、大人の仲間入りし、同一行程で動くことになる。最年少にして引率者。その行程は彼の手中にある。目的地までのこども往復運賃だと、18きっぷの一人あたり金額を下回ってしまうので、それ以上に動くルートを組み込めばいい。あまりに悪天候だと運転見合わせになってしまう路線なんかも含まれるが、パターンはいくつか設定済み。それでも晴れてくれた方がいいことには変わりない。
 「あっ、来た来た」
 「そういう時はキター!だよ」
 「何? 六月クン、ヲタクだったの?」
 「それを言うなら、電車男。ここアキバだし」
 「じゃ小梅は...」
 エル(HER)と言いかけて「エヘヘ」になってしまうのであった。顔合わせもそこそこに、エレベーターで六番線に向かう七人。ここから錦糸町へ、そして総武快速でひたすら木更津をめざす。

ふ「さてさて、業平さんは来るのかしら?」
ち「昨日のおつかれが残ってなければ、現われるとは思いますが...」
さ「文花さん、ケータイ、あ、車内じゃダメか」
 前方車両のクロスシートに首尾よく座を占めた七人である。仕事柄、今回テーマの一つ、工場への同行を希望していた業平のこと、現われないことはあるまい。席はただその人物が来るのを待ち侘びている。
 荒川を越え、江戸川を過ぎ、なおも席は空いたまま。天気が冴えないせいか、口数が少ない初音だったが、おもむろにケータイを取り出すと、
 「メール送ってみましょうか?」
 「そっか、その手があった」
 使い込んでいる訳ではないが、扱えないこともない。ただ余計なやりとりを増やしたくないだけ。そう、業平は誰かさんに譲ったことになっているからだ。櫻も千歳も白々としているが、文花は知らん顔。初音が器用に操作するのを感心しながら見ている。
 八人目の人物は、船橋を発車したところでようやく姿を見せた。
 「いやぁ、一本前の千葉行きに乗っちゃったもんだから。失礼しやした」
 「君津行きって言ったのに」
 「フライングだったら、まだいいっしょ?」
 「お姉ちゃんに報告しとく」
 「う...」
 姉が居ない時は弟の出番。しっかりダメ出しを実行している。弟どうしという点では息は合いそうだが、立場はどうも逆のようだ。ちなみにその姉君は言うと、
 「ま、晴れの席だから、バタバタ駆け込ませるのも悪いし」
 「そっか、蒼葉さんと弥生さん、おそろいで謝恩会...」
 「初姉もいずれはネ」
 「ちゃんと卒業しないと、ですよね」
 こちらは姉どうしのやりとり。何年前のことかは語らないが、かつて謝恩会に出たどうしの二人も昔の話で盛り上がっている模様。と、残る組み合わせはこうなる。
 「で、千兄さん、こないだのメールのことだけど...」
 「あ、その話、あとで三人でしよう」
 「贈る相手とは相談しなくていいの?」
 「やっぱり、そう、なのかな?」
 「小梅はその方がうれしい」
 いつものように頭が上がらないモードだが、口ぶりが優しげなのがいつもとはちょっと違う。
 「わかりました。姉御」
 「櫻さんが好きになるのわかる、な」
 「え?」
 幕張近辺は直線コース。快速列車は速度を上げる。その疾走音の高まりとともに会話は途切れた。
 機内持ち込みOKサイズのスーツケースが二つ。エアポート快速ならこれはごく当たり前の荷物だが、この列車の行き先は空港に非ず。持ち主が誤って空港に行ってしまう方が心配な位である。お喋り好きな方々には直通列車が望ましい。千葉を過ぎればひと安心である。

 十時四十五分、蘇我に到着。誰かさんと違い、この女性はちゃんと指定通り乗り込んできた。
 「あっ、南実さん!」
 初音がいち早く見つけ、一同も追随。いつになく晴れやかな登場に男性三氏はクラっと来ている。決して発車直後の揺れがそうさせた訳ではない。

 クロスシート席には空きが目立ってきた。スーツケースも通路に置かれるよりは持ち主の膝元がいいだろうし、自分が退けば、席替えも始まるだろう。六月は気を利かせてか早速移動開始。
 「あ、オイラ車窓眺めてるから」
 「じゃついでに男衆は別席へ。ね、千ちゃん」
 「あ、そう?」
 通路を挟んで斜め向かいだった文花と業平。話ができない位置合いではなかったが、お互い何となく距離を置いていて、これといった会話もないまま、この調子。小梅の紅一点席だったクロスシートに今は初音が移ってきて姉妹で横並び。スーツケースの侵入により、かえってゆとりがなくなってしまった手前、櫻は渋々ながらも嬉々として男衆席へ。南実は姉妹席に落ち着いた。

*参考:座席配置図(□は空席)
座席配置図(□は空席) 五井に着くと、六月はあるディーゼル列車に釘付け。姉妹はその鉄道名で盛り上がる。
 「へへ、小湊...」
 「親父はそれくらいでちょうどいいかもね」
 「そしたら小梅も? そりゃないんじゃん?」
 「じゃ逆に小、とっちゃう?」
 南実はえらくウケている。「ウメさんってことはないわね」
 にこやかな中にも一閃の翳? 心理面での気象もいい読みをしている初音のこと、これが何らかの予報につながったら大したものだが。
 養老川を越えるところで、皆々の目は川の流れ、干潟、そして漂着物に集まる。サギが飛んで行っても気付いたようなそうでないような。
 だからと言って無粋なツアー客だなどと言ってはいけない。黄色いのがパァっと広がればちゃんと反応はする。
 「菜の花、キレイね」
 「私には油の原料にしか見えなかったりして」
 「名前に花がつく割には華がないというか何というか...」
 やはり無粋だったりする若干一名であった。

 花に呼応するように、天気も良くなってきた。車両もゆったり、風景もゆったり。春の房総ツアーらしくて結構なのだが、どことなく居心地が良くない男女がいる。南実の件はまだ口外していない。当人とご一緒している分、余計に窮屈。ゆったりとは行かない千歳と櫻である。
 初音の視線が気になるも、時折虚ろな表情を見せる南実。小梅は察しているのかどうなのか、
 「ホラ、姉が先!って言ってるよ」
 「妹が先じゃ変でしょ。当たり前じゃん」
 「だから、駅名見てみ?」
 「あ...」
 姉をダシにこの通り。
 「石島姉妹、いいわぁ」
 えくぼが出れば大丈夫。一寸ホッとする小梅、そして初音である。

 バイパスと線路の間を流れる水路のような川は、おクサレ様が出てきそうな有様である。投げ込まれたと思しきバイクに陽射しが当たり、金属部分が反射する。
 「今日、もしかして暑くなる?」
 「その外湾の海に出てからじゃないと体感できないだろうけど、あったかい感じはするね」
 業平はその長袖をまくり始める。
 「これで日焼けしたら笑っちゃうけど」
 姉がいなけりゃ弟。今度はわざわざツッコミにいらした。
 「袖のウラを見せるなんて、さすがGoさんだね」
 「?」
 「次の停車駅は、ソデガウラー」
 アラサー三人、大笑い。
 「あのねぇ、駅名大喜利やってんじゃないんだからさぁ」
 「こういうのやると覚えやすいっしょ。お姉ちゃんも喜ぶよ」
 列車は小櫃(おびつ)川を渡る。すっかり行楽気分の皆々は今、ただ川の流れだけを見ていた。

 十一時十五分、目的地の一、木更津に着く。
 「本当なら皆で行ければいいんだろうけど...」
 「まぁ、この件に関しては永代先生と六月君がメインだから」
 「あとで六月クンから話聞くから、小梅も別に」
 「ま、その分、業平君にしっかり勉強してきてもらうということで」
 文花はすでに業平にスーツケースを託し、悠々としている。メンバーは決まった。その四人が向かうのは言わずもがな、前々から話していたペットボトルのフタ(またはキャップ)再生工場である。干潟で集めた分だけなら、ここまで大げさにはならなかったかも知れない。級友らの協力もあって、この通りスーツケース二つ分にまで増えてしまった、という次第。
 運搬効率を考えるなら、もっと持ち込んでもいい気はする。だが、数の多い少ないは二の次。文花の関心事は、その実用性や環境貢献度である。良さそうならセンターでも、と思っていて、その見極めに業平の目利きが欠かせないと踏んだ。三角形のコントロールも然りだが、人を操るのはもともとお上手。手玉に取っている訳ではない。双方の利に適うようにさりげなく仕向けてしまうところが流石なのである。
 四人を乗せたタクシーが去り、五人が残る。本日付の改札印を五つ押した18きっぷは小梅の手にあるため、この五人でどこかに行って戻ってくる、という手もあるが...。
 「とりあえず、十三時三十八分発に乗れるように、なんだけど、お昼の時間もとらなきゃいけないし」
 「駅弁もあるわよ、千歳さん」
 「そっか、そりゃいいね、でも何処に行くかにもよる...シスターズ、どう?」
 「何か、あれって? クルリって読むんスか?」
 「ハハ、クルクルくりくり...」
 「久留里線かぁ。時刻表で調べてみよっか」
 潮時を読むのが得意なだけに、時刻表も楽勝のようである。ここから先は南実が行程担当。
 「行くだけ行って戻ってくるってんでよければ。そのくるりクルクルまでは行けないけど、手前の駅までね。何があるかはお楽しみ」
 「フフ、ルフロン、どうしてるかなぁ」
 代わりにクシャミをしたのは千歳だった。
 「雨のち、だから平気かと思ったけど、やっぱりマスクしよ」
 「千兄さんのはね、サクラ花粉症だよ」
 「へ?」
 「なんてね。でも途中で早咲きをチラホラ見かけたんだ。だから...」
 「そう? 蕾が多かった気がしたけど」
 「ねぇ櫻姉、蕾と言えば?」
 「『チェリー・ブラッサム』♪」
 駅弁の話はどこへやら、南実と櫻ですっかり盛り上がっている。どんな形であれ花は花。マスクのおかげで会話には加わりにくくなっている千歳だが、華に囲まれていることに変わりはない。冴えないながらも羨ましいシチュエーションである。

 それぞれお昼を済ませ、木更津で再び合流。例のスーツケース、今は軽々としている。
 「じゃわたくしめはこれで。何なら二つとも持って帰りますけど」
 「ありがと、業平さん。総会の時でもいいし、ま、いつでも。で、いい? 堀之内」
 「矢ノ倉のとこに預けておいてもらえれば。助かります」
 「四月になったらセンターにお持ちします。兄貴も連れて」
 「まぁ...」
 八人は下り列車で南へ向かい、その数分後、空港帰りではない旅行客が上り列車で千葉へと向かう。

 「へぇ、久留里線乗ったんだ。いいなぁ」
 「駅弁はその馬来田(まくた)駅で」
 「食った食った、てか」
 「そ、駅弁はやっぱ駅で食べなきゃね」
 二人の卒業生のやりとりを聞きながら、永代は楽しげ。だが、
 「オイラとしては、あれを届けてやっと卒業できた感じかな」
 「よかったね、六月クン」
 「これも先生のおかげ。ありがとうございました」
 「ン? いえいえ、こちらこそ」
 とか言いながら、ジーンとなってしまう。
 「あーぁ、また先生泣かしちゃって」
 さすがの六月もこれにはあたふた。だが、トンネルをいくつか抜けるうちに永代の涙は乾いていた。
 「で、フタって結局どうなっちゃうの?」
 「何かね、ボードにしてた。再生品とは思えないような立派なヤツ」
 「へぇ...」

 社会科見学のような話が交わされている隣りでは、
 「ハハ、千歳駅があるぅ」
 「行ってみる?」
 見慣れない路線図を見ていれば、それだけでちょっとした郷土学習になる。
 「房総半島一周とか、またの機会かな。今日は南実さんと帰りに、ね、話したいことあるから...」
 「櫻姉...」

 いつしか単線区間を走っていて、景色も緑が目立ってくる。海の近くを走っている筈なのだが、
は「富津岬は西南に四・五km」
こ「海水浴場は四kmかぁ」
 青堀で下車すると、ちと大変。若いとは言っても、この距離を歩くのは覚悟が要る。より海に近づくため、一行が選んだのは次の駅だった。
ふ「さ、皆さん着きましたよ」
 十四時六分、目的地の二、大貫に降り立つ。
ち「で、上りも下りもだいたい五十分後ですね。あんまり余裕ないですが、今日はとにかく視察するだけなんで」
さ「拾わないし?」
ち「サンプルは持ち帰るつもりだけど」
 時間は限られている。何せ一時間に一本ペースで、次を逃すと十六時台。18きっぷを使いこなすためにも何としても戻ってこなければ。
 こういう時に限って、然るべき現地案内がなかったりするのはどう考えればいいのやら。事前確認を怠ったツケと言われればそれまでだが...。
 「はいはい、これでOK?」
 「文花さん、さすが!」
 ケータイで地図情報を出してもらうも、あぁだこうだの珍道中。片道十分強、少々迷うが何とかたどり着く。

 「おぉ、海だぁ」
 「といっても、東京湾」
 櫻に揚げ足をとられた恰好の千歳だが、微動だにせずその煌きを見つめている。光放つ波は八人を迎え入れるかのように優しく、眩い。
 浜辺と道路の間には結構な段差があるが、十代の三人は難なく降下して早々と駆け出す。遠くの波打ち際ではウミネコの群れが羽を休めているが、全くあわてる素振りはない。静かである。
ふ「パッと見はね、beautifulなんだけど...」
ひ「風が飛ばしちゃった後、とか?」
み「まぁ、とにかく近くに行ってみましょう」
 低気圧が去った後ゆえ、まだ風が残る。体感温度的には肌寒い感じ。ひと足早く浜入りした櫻と千歳は、ここへ来てやっとモードチェンジする。
 「城南島、思い出すなぁ」
 「今日はあいにく二人きり、じゃないけど」
 「あら、私は別に皆がいても平気だけど?」
 波打ちの線に合わせて様々な漂着物が転がっているのは城南島と同じ。違うのは砕けた貝殻が多いこと。足を取られるような目立ったものはないのだが、彼氏はよろめく。

 「大姉御、今の気温は?」
 「だから六月君、その呼び方さぁ」
 何となくふてくされているが、満更でもない。
 「ン? あぁ、小梅とお姉ちゃんの年令のちょうど間くらい」
 まだまだお若い大姉御、である。
こ「ちょっと寒い?って感じるくらいかな」
む「ま、動けば平気っしょ」
 若人が率先して動き出したので、大人もあわてて同調する。よろけている場合ではない。
 ガラス片や燃え殻が散在しているのは即ち、その場で投棄・焼却されるケースが多いことを物語る。だが、それは岸壁寄りの話。波打ちとテトラポッドの間、そしてそのテトラポッドの内側には、正に海ならではの漂着ゴミが見受けられる。近づかないとわからないのは、川辺も海辺も同じである。
 「川から流れてくる、というよりも外洋から? どっちだろ?」
 南実研究員は図りかねている。とにかく集めるだけ集め、調べるだけ調べるに限る。が、時すでに十四時半。
さ「ペットボトル、プラスチック系、容器包装類... 川と変わらない気もするけど」
ふ「ロープと、あとフロートね。これは干潟、いやポケビじゃ見ないでしょ?」
む「硬いプラスチック片が多いのも特徴?」
み「そうね。でも発生源は内陸だと思うな」
ち「今の六さんなら、何の製品とか、材質とかわかるんじゃ?」
む「包装類なら分別できるかも知れないけど...」
 この間、初音はDUOを使って概数を入力している。その傍らで永代先生は、
 「それにしても、またフタがいっぱい出てきたことで」
 とお手上げの態。だが、生徒は手を上げない。
 「また持ってく?」
 小梅は現地調達したレジ袋に放り込み始めた。
 「今日のところは途中で廃棄かな」
 「空き缶入れみたいに、専用の回収箱があればいいのにね」
 以前にも誰かが言っていた。アフターケアとはこのことだろう。

 千歳は時計を気にしつつも、いつものスクープ撮影に入る。
 「発泡系の大きいのはさっき撮ったし、あとは...」
 ウレタン片、長靴、特大の洗剤ボトルと続く。せっかくなので、海辺ならではの貝、アーティスト嬢が喜びそうな棒切れなど自然物も。海外漂着物が出てくれば、特ダネ級だったが、残念ながらゼロ。漂着ライターが収集できたのがお慰みである。
 埋没物までは手が回らなかったが、さすがにこれは見逃せまい。
 「ここって管轄?」
 「さぁ、どうでしょ? 撮っておいてもらえば、親父、いや小湊さんにお伝えします」
 川を出て、内湾を漂い、岬を廻って漂着してきたのだろうか。それは某河川事務所の警告看板であった。
ち「持って帰りたいのはヤマヤマだけど」
は「看板自体に『あぶない』って書いてあっちゃ、ひきますよね」
 千歳はライターの他に、硬質プラのいくつか、チューブにロープ、玩具や雑貨の類なんかを証拠品として押さえていた。次回講座は未定だが、おそらくは小ネタとして披露することになるのだろう。

 「南実ちゃん、行くわよ」
 「あ、ハーイ」
 レジンペレットもなくはなかったが、今日のところは断念。そんな余念が彼女を引き止めていた、と思うのが真っ当か。否、旅立つ前にしかと内房の海を目に焼き付けておきたかった、これが南実の真意である。
 潮騒がどこか寂しげに聴こえる。

 櫻が先に歩いているのをいいことに、千歳は姉妹をつかまえると、
 「で、そのぉ、真珠のことなんだけど」
 あくせくしている割には何とも悠長なことを聞いている。
は「伊勢の生まれですからね、多少は」
ち「じゃ、今度はお母様宛にメール...」
こ「櫻さんにもちゃんと聞いてからね」
 今度はウィンクしながら、この一言。小梅には本当に頭が上がらない。

 行きとは違い、十分弱で駅に着く。ただし、当駅ICカードが使えないため、
 「えぇと京葉線...」
 南実がもたつくことになる。一行が跨線橋を歩いていると、双方向から列車が入ってきた。つまりギリギリセーフである。
 「じゃあ五人様、青春して来てくださいね」
 「お互い様でしょ、櫻さん」
 下りに続き、上り。ほぼ同時刻に発車する。そして到着時刻も同じ。行き先は上下で別なれど、である。
 十五時四十四分、青春五人様は館山に、アラサーの三人は蘇我に着く。
 「それじゃお姉さん、お兄さん、当日よろしくお願いします」
 「ヤダなぁ、お姉さんだなんて」
 「って、どーしても呼びたくて。あ、そうだ」
 座席にはその姉と兄。南実はホームに居る。
 「千兄さん、写真撮ってもらっていいですか?」
 発車時刻まで、まだ数分ある。窓をさらに開け、千歳はシャッターを押す。
 「私、この駅、好きなんです。よかった」
 蘇我の駅名標とともに南実の笑顔が映える。その笑顔、その残像を残し、列車はゆっくり走り出した。手を振る姿が小さくなる。
 「蘇我かぁ、つまり再生?」
 「南実さん、あの時も『retour(ルトゥール)』だったし...」 違う私、新しい私... 彼女の心境が今はよくわかる。

2008年10月21日火曜日

72. 本番二週間前


 Go Hey with ASSEMBLYとしての二度目のセッションは、三月らしい陽気の中、行われる。その暖かさのせいではないだろうけど、集まりが芳しくない。今のところスタジオ入りしているのは先行カップルと新(?)カップルの四人のみ。
 「こまっつぁんは自主トレするって言うし、エド氏は追い込み時期だから遅れて来るのはしゃあないけど、頭の三人、A・S・Sはどうなってるん?」
 「蒼葉ちゃんのケータイ、鳴らしてはいるんだけど...」
 「SSのお二人は昨日ご出勤だった訳だし、きっとおつかれなんスよ」
 業平は黙々とPCとPAの調整中。この際、この四人で音の基盤強化をしっかり図るのが良かろう、と踏んでいる。Kb(キーボード)、G(ギター)、V(ボーカル)は基盤の上に乗せるというのが彼なりのイメージ。バンマスは的確に指示を出す。
 「じゃ、三人が来るまで『私達』と、えっと、breeze...」
 「『Breathe with breeze』よ、Goさん♪」
 「行ってみよう!」
 十四時過ぎスタートで、まずはこの二曲。重低音をとにかく固めていく。『私達』の方はオケだけではあるが、独特のうねりが強調され奏者は心地良さげ。弥生の持ち歌についてはその完成度が益々高まり、歌唱の方もバッチリ。あんまり想いを込めすぎて、誰彼さんを倒してしまってはいけないが、歌の心と同じく、呼吸を整えつつ、程よく抑えつつなので大丈夫。息も合っていることなのでまず問題ないだろう。
 三曲目、とりあえずリズムマシンでイントロを流しながら、ドラムとベースをどこから入れるかを試行していた矢先である。タイミングよく、ASSの三人が入室してくる。
 「あ、新曲?」
 「何かいいかも...」
 「すみません、でございました。あ、そのまま続けて」
 登場順に一言ずつ。四人の気が散らないようにおとなしく入ってきたつもりだったが、何故かマシンが不意にストップ。メンバーの視線は一斉に業平に向かう。
 「なぁんだGoさん、イイ感じだったのにぃ」
 「いやいや、ちょっと閃くものがあってさ」
 バンマスが言うには、①最初にマシンでリズムを打つ、②その間、メンバー入場、③配置に付いたらドラム、ベース、パーカッションと重ね、④千歳のギター、櫻のキーボードが乗る、⑤生演奏主導になったところで、歌が入り、マシンは裏打ちに切り替え...
 「って訳で、あんまり曲順考えてなかったんだけど、これならオープニングいけそうじゃん、て、今」
 「ハハ、確かに入場してる感じした。遅れてきた甲斐あった、かな?」
 「たく、櫻姉ったら、心配かけといてそりゃないんでねーの?」
 「ゴメンゴメン。三人でね、積もる話などしながら、お昼とってたまではまだよかったんだけど、パンケーキの代わりの差し入れどうしよって、そこからちょっと...」
 「ドーナツは相変わらずでとてもとても。で、急遽」

(参考情報→行列系ドーナツ

 蒼葉が差し出した箱を開けると、
 「ワッフルだ、やったぁ」
 弥生は遅れた理由も何もなくただ上機嫌。引っかかっているのは八広である。
 「その、積もる話って何スか?」
 「ヘヘ、まぁそれはまた追い追い、ね?」
 千歳は姉妹を横目に見ながら一寸あわてる。櫻に取り繕ってもらいたいところだが、
 「あら? 千は急げじゃなかったの?」
 おやつの時間にはまだ早かったが、さっさとワッフルを口にして、話を封印してしまう千歳であった。

 「で、ルフロン、タイトルは?」
 「昨日、画伯の展覧会鑑賞して思いついた。もともと画から何かが聴こえたのが始まりだから」
 その題とは即ち『聴こえる』。
 「画家冥利に尽きますワ。でも、その感性、さすがは自称アーティスト」
 「いいや、ルフロンは魔女っ娘だから、聴覚も特殊なだけで...」
 「フン、このバチあたりっ!」
 本日の八クン、逃げ足速く、バチ!とは行かなかった。スタジオ内には笑い声が、聴こえる。

 そのオープニング曲はひとまず後回し。頭の三人が揃ったので、それぞれのボーカル曲を通してみることになった。『届けたい・・・』『Down Stream』『Re-naturation』の三曲、順不同である。今となっては、もはやウォーミングアップ代わり。メドレーでつないだりしない限り、どの順番で持ってきてもすんなり行けそうだ。
 アンコールも含めて全十曲を演奏するとして、まだあまり通し練習をしていないのは四曲。
 「食後で眠くならないように、難しいのからやろか」
 演奏順未定ながら、ここで千歳のメッセージソングに取り掛かることになる。とりあえずは楽曲データ主体で、各自練習した範囲で生(ナマ)をかぶせる程度。作曲者だけは手本を示す必要もあり、しっかり歌とギターを乗っけている。とにかくこの曲に関しては演奏もさることながら、そのメッセージをメンバーで共有できるかどうかがカギ。現場に居ずして臨場感をどれだけ高められるかもポイントになるだろう。言わば課題曲である。
 特にパートを持たない蒼葉を除き、各奏者は段々青息状態になってきた。いくらタイトルがそうだからって、これじゃ正に、
 「ま、『Melting Blue』を地で行くと、こうなるってことで」
 「わ、笑えないんですけどぉ」
 これではメッセージ以前の問題か。伝えようとする想いが強ければ強い程、空回りしてしまうこともある。これが何かの極意に通じる云々を千歳はいま一度かみしめてみる。
 「ま、ここらでまたひと休み。舞恵の癒しソングでもどう?」
 千歳編曲のボサノヴァversionが流れてくる。その淑やかで軽やかな調べに癒されながら、思い浮かべるは風、波、リセット後の情景...
ま「ご当地ソングって言うと俗っぽくなっちゃうけど、これ一応干潟のテーマ曲」
さ「タイトルってまだだっけ?」
ま「干潟に名前があればね、そのまま曲名にしてもいっかなって思ってたんだけどさ。ねぇ八クン?」
八「higataで通用しちゃってたから、特に考えてなかったんスよね。何かないでしょか?」
 ここからはBGMそっちのけで、毎度お決まりのディスカッション。干潟に冠する語句として「五カン~」「蒼茫~」といった説示的なものから、「いきいき~」「再生~」など主題的なものまで。オーソドックスなところでは「漂着~」「受け容れ~」、発起人とリーダーに敬意を表するなら、
さ「CSR干潟? 何だかなぁ」
や「咲くlove干潟は?」
さ「弥生ちゃん、あのねぇ...」
 ワンテンポ遅れて千歳がのたまう。
 「CSRと言えるかどうかわからないけど、地元企業とかとタイアップして『ネーミングライツ』で名前付けるのも良さそうだね。あ、でもそれじゃ曲名が企業名になっちゃうか」
 「当行で良ければ? なーんてね。てゆーか、そういう話は石島トーチャンに確認しないとダメなんでないの?」
 「あくまで愛称でしょ? 自由でいいと思う。だからもっと、そうhigata以外の選択肢もね。特に『ひ』を発音しなくて済むようにしてもいいかなって」

(参考情報→川辺や干潟にネーミングライツ?

 蒼葉のこの提案で方向性が変わる。第一声は、先刻から唸っていた人物が発する。
 「千ちゃんが発見者だとすると、千干潟。でも千と干て漢字で書くとそっくりだから、なぁ...」
 「Goさん、何が言いたいのぉ?」
 「いっそ、『ちがた』ってのは? 先生もそれなら」
 「不採用!」
 当の千歳の意見も何もなく、弥生がバッサリ言い放つ。業平は頭を掻きながらも何だか嬉しそう。BGMはリプレイを続けている。
 「何とかビーチ、って前にルフロン言ってなかったっけ?」
 「まぁね、歌詞の中にもそれは入ってる。でも○○ビーチのままなんよ」
 意外と決まらないものである。さっきは青息、今は溜息。と、そこへ...
 遅れ馳せながら、冬木が駆け込んで来た。目に付くのは、おなじみのポケットの多いジャケット。弥生がピピと来たのは言うまでもない。
 「弟も言ってたけど、流れ着くものを収容する、つまり入れ物であること。それでそのカーブした感じ、あと何となくカワイイとこ、『ポケットビーチ』なんていかが?」
 「略して『ポケビ』? いいかも。さっすがご融資対象」
 冬木はポケットに手を当てつつ、ポケーっとしている。曲名のヒントを提供した功、小さからず。こういう時は堂々と振る舞っていて構わないのだが、自覚がないんじゃしようがない。

 「はぁ、この曲がウワサの。で、ポケビですか」
 「曲名はいいとして、考えてたのは順番なんですよ。アンコールがかかったら、ラストにしっとりやるか、とも思ってたんだけど」
 業平が引き続き唸っていたのは、全体進行の件でだった。このversionのままだと、これと言ったアレンジは要らず、小編成でOK。だが、ラストは全員でパッと盛り上げて締めたいというのが本音。
 「僕は最後の最後にBGMとして流してもいいと思うな」
 「いやぁ、せっかく詞があるんだし、歌の分担も決まってるんだから。やっぱ別テイク作るかな。ねぇ、弥生嬢」
 「ん?」
 かくして、タイトルの割には重厚でノリノリなのが新たに用意されることになる。
 「譜面データを展開して」
 「プログラムし直せばいいんだもんね♪」
 月末に仕上げて楽曲データをダウンロードできるようにすれば手筈は整う。四月第一週に各自耳に入れておいてもらって、あとは前日のリハーサルで調整。ぶっつけ本番に近いが、こういうのも現場力のうちと考えれば、自ずと士気も高まる。
 冬木がそろったところで、改めてオープニング曲の練習に入る。先の業平の提案通り、イントロ長めで、徐々に音が厚くなる入り方で試奏してみる。なかなかイイ感じではある。
 「そうだなぁ、いいんだけど、オープニングだからなぁ」
 何故か冬木がブツブツ。ステージ担当でもあるので、出だしのインパクト!というのが頭にあるらしい。
 「一人多重コーラスで始めるってのはどう? 隅田さんにやってもらって録音したのを流す」
 「え、僕が?」
 「かぶせるのはちょっとした仕掛けでできます。コーラスワークは多少心得あるんで、この『聴こえる』のサビから拾うってことで何とか。僕が口ずさむから、それに沿って何音節か入れてもらえば」
 「そっか、カラオケ自由曲でもコーラス系でしたね」
 「ポケットつながりで言えば『Pocket Music』の世界」
 「あぁ、達郎アカペラか」
 いよいよ盛り沢山になってきた。スロー&緩やかに反しない範囲で、と行きたいところではあるが。

(参考情報→一人多重コーラスによるオープニング

 「さて、残るはワッフル、じゃないや『Smileful』だっけ?」
 「それと櫻さんの感動作『晩夏に捧ぐ』」
 共有できてはいるが、実際に演奏するのは今回初。ただし、曲順によっては、必ずしも全員が練習するには及ばない。
ご「ちょっとリスキーだけど、①聴こえる、②Melting~、③Down Stream それとも...」
さ「緩急をつけた組み立てになってればいいと思う」
ち「女性ボーカルを連続させると華やいだ感じにできると思うけど」
や「ならその最初はあたし!」
あ「エーッ? 私よ」
八「後半から蒼葉さんが颯爽と出てくると、演出的にはいいかも」
ふ「アンコール前をどう盛り上げてくか、ってのはあるからね。それはアリ」
ま「舞恵は?」
ご「ずっと後ろじゃつまらない?」
ま「ま、自分なりに演出考えるし」
 順番と出入りについては、higata@で引き続き議論することとなった。今日のところは、『聴こえる』『Melting Blue』『Down Stream』『Breathe with breeze』『Re-naturation』『私達』『届けたい・・・』『Smileful』をひと流しして終わり。すでに六時近くになっている。

 「えっと、帰り際に恐縮ですが、その今回のステージイベントのチラシって、どうしましょ?」
 「情報誌では軽く予告流しますけど」
 「いえ、初音さんがね、お店に置きたいって言うんで」
 「私、作ろっか。楽器練習とかないんだし」
 「じゃ画伯ぅ、得意の静物画つきで、ネ」
 「はいはい。じゃあムシュエディさん、その予告と合わせるんで、文面教えてください」
 メンバーが片付けに入っている間、文面どうこうでやりとりが交わされる。が、ちょっと怪しい?
 「で、蒼葉さんにもご相談がありまして」
 「はぁ」
 かれこれ半年近く、言い出せずにいた話。
 「五月号にぜひ。勿論、女性陣と一緒に」
 「アハハ、そういうことでしたか。詳細はステージ終わってから、でもいいですよね」
 また一つ、ちょっとした企画が動き出すことになる。五月はそう、青葉の季節である。

2008年10月14日火曜日

71. ギャラリーにて


 ひと段落ついたことで、事務局長にも余裕が生まれる。月曜にはおクルマで千住宅に乗りつけ、展示に付される各種絵画を搬出。そのまま千住姉妹とセッティングし、準備は完了。予告通り火曜日には開催される運びとなる。
 総会資料とともに本展案内も届き出した頃だが、KanNaの新着情報にも出たためか、順調な滑り出し。新たな客層の掘り起こしにもなったようだ。

 漂着静物画に関連して、モノログからピックアップして引き伸ばした写真、何となく保管しておいたリアル漂着物なんかも、その週のうちに補足展示されていく。さらには先にまとめた「いきいきいろいろマップ」に、四姉妹で作った初代マップも並べられ、館内はすっかりギャラリー状態に。賑やかなモードのまま週末へ。そして二十二日。

 今週到着分の総会出欠ハガキの整理を終えた昼下がりのこと。生徒と児童が、それぞれの姉を連れてご来館になる。いつものようにお約束は果たされた。
 「あ、六月君。初姉もご卒業、おめでとう!」
 卒業式を終えた翌日なので、気抜けしたような引き締まったような不思議な面持ちの六月。千歳を除いて、周りは女性ばかりな上、そのお姉様方から一斉に拍手を受けたもんだから、余計に顔の作り方がわからなくなっている。当然、返礼も何もあったものではない。
 「あのぉ、一応あたしも卒業組なんですけどぉ」
 姉は弟のことよりも、自分のフォローが先。だが、
 「弥生ちゃんは先週だかちゃんとお祝いしてもらったでしょ? その...」
 「おふみさん、そ、それはまだ」
 「そりゃあない、っしょ?」
 「六月はいいのっ」
 この掛け合いで、トライアングル解消方向とやらの謎が解けてきた。櫻と千歳は大きく頷く。
 「まぁまぁ。今日はお祝いとか特にないけど、ゆっくりしてってね。さてそろそろ...」
 文花の読み通り、十四時ちょうどにその人物は現れた。前後に常連の二人を伴って、というのが彼らしいと言おうか。
 「下でモタモタしてたから連れて来たさ」
 「ほんと、そっくりスね」
 本多兄弟の件は、higata@でも話題になっていたので、初対面でもすぐにわかったと言う。当の兄も、このカップルについては縁結びエピソードともども既知の通り。もたついてはいたが、すぐに打ち解けたようで至ってにこやかである。だが、第一声はズバリ、
 「あ、桑川さん」
 笑顔だったのはこのせいだったか。されど、
 「ども、CEO殿」
 かつての舞恵のようにツンツンとまでは行かないが、ちょっとつれない感じで弥生は応じる。
 「って、呼んだの私よ、お兄様。ま、いいや、ひとまず三人で」
 文花は穏やかな中にも冷ややかさを秘めた口調。傍目からは、新たな三角形(?)と映るが、文花と弥生の間では何らかの諒解がすでに成立している。おそらくわかっていないのはCEO氏だろう。
 矢印の向きをうまく変えていけるかどうか、それは今後の打合せ次第。社業に影響が出ないよう、端的に云えば兄弟喧嘩が生じないよう、そんな配慮をしながらというのが少々悩ましいが、楽しくもある。駆け引きと言っては不可ない。二人娘なりのコラボレーションであり、ソリューションなのである。

 ルフロンと八広は、絵画展その他の見学中。醒めた中にもどこか情感のこもったその青の世界に改めてインスパイアされているようだ。口数が少ない。
 「こういうデコもアリかぁ...」
 「環境関係の施設で絵画って、ありそうでなかった、かもね」
 「でもって、画伯ったらデッサン教室やるんだとか」
 「ハハ、五月開講かぁ」
 副賞を元手に、然るべき場所で教室を開く予定だった蒼葉だが、極めて低予算で開講できる運びとなった。今回の展覧会はその予告も兼ねてのこと、なかなか手筈がいい。
 「舞恵も自作楽器か何か展示して、ついでにえっと」
 「あぁ、漂着物アート教室?」
 「そうそう、ルフロン風Art Decoさ」
 「アールデコボコにならないように、あっ」
 つい口が滑るも、ボコボコにされるようなことはない。ギャラリーでは淑女でありたい。その辺の心得、さすがは奥様、である。

 「ねぇ櫻さん、ステージイベントのチラシってないんスか?」
 「明日集まるから、そん時に相談かな」
 「明日、かぁ。パンケーキ持って...って、ダメじゃん」
 「パンケーキ、人気だもんね。残念...」
 「今日も、あ、そろそろ行かなきゃ」
 こういう時、待ったをかけるのはこの女性しかいない。
 「あとで売れ残り食べに行くし」
 「大丈夫です。いらっしゃる頃には完売にしておきますから。意地悪ルフロンさん」
 「たく、どっちが意地悪なんだか」
 「フフ、ちゃんと釜、いや専用容器でとっときますヨ」

 桜開花の便りが届き始めた時分である。いろいろなものが花開き出すのは自然界も、そして人もきっと同じ。
 「姉御、三十日って空いてる?」
 「何? 誘ってんの?」
 「オイラと川、越えてみない?」
 千住桜木ブルーマップを眺めながら、六月が問う。小梅は当時の帰途を思い出し、手を打つ。
 「そっか、あそこか。乗った!」

 似たような会話がもう一つ。
 「ルフロン、三十日ってさ」
 「年度末だし、多分干物みたいになってると思うけど、練習だよネ」
 「特に新曲、ご自身作詞のね」
 「今日ここでまたイメージ膨らんださ。物が語りかけるような、そんな音、めざす」

 その作曲者は、ルフロンの詞と蒼葉の絵を重ねながら、どう歌い込むかを思案中。顔なじみ客が続いてもお相手することなく、ずっとデスクに張り付いていた千歳は、少しばかり息をつく。
 「どう、千歳さん、KanNaちゃんの更新、OK?」
 「団体分はね、何とか。でも今度は会員の分だよね。ID割り振る前に名簿データ調えなきゃ」
 「あぁ、あっちでそのIDがどうのこうのって」
 「例のITマップに投稿するのに使う、って話だと思う」
 「KanNaもDUOも、でしょ? 応用範囲広そうね」
 「ねらいは課題解決型市民の底上げ、ってとこかな」

(参考情報→1つのIDで複数の機能を使う

 カウンターでは何となく仕事系の話が交わされている。話はその延長で、センターのパンフレット、新年度用入会申込書といった新調ネタに。そしてさらに開花の話題へと転じる。やっといつもの二人らしくなってきた。
 「三十日、御殿山の桜、観に行きます?」
 「それもいいけど、前夜は? つまり夜桜」
 「まぁ...♪」
 件(くだん)の三人はまだ円卓に居て、同じく花開いている最中である。各カップルと違うのは議論の花、である点。それはそれで粋である。

70. カウントダウンが始まる


 ここまで来たら設立するしかない。だが、その成否は総会にかかっている。押し気味ではあったが、事前の準備は整った。今日はこれまでに募った会員各位への議案発送大会である。当センターが得意とするIT系やりとりで以って、議案はwebから、出欠届もEメール等で、というのも一応案内はしてあるのだが、何せ設立総会である。現物主義で確実に、となると、紙なりハガキなりが物を言う。発送件数はそれほどではないものの、資料のボリュームがそれなりなもんだから、出て来られる役員・委員は総出、かつ朝からバタバタ。
 この際、higata@関係者にも手伝ってもらいたいところだったが、舞恵は年度末が近いこともあり、自主的に休出、八広は冬木と打合せだか何だかで揃わない。第三土曜日なので、本来なら第三の男が来て然るべきではあったが、お嬢さんのアタックが利き過ぎたか、ご欠席。
 「ま、業平さんは仕方ないわね。でも、弥生嬢は? 召集かけといたんだけど」
 「ケータイかけてみたらどうですか?」
 ライバル関係にある二人ゆえ、あまりお勧めできる話じゃなかった? 櫻は言ってから気が付くも、
 「そっか、かけてみよ」
 あっさり受け容れられてしまったので、キョトンである。文花がピピとやり出すと、その通話先の女性がタイミングよく入ってきた。
 「こんちはっ。遅くなりました」
 「あ、今ちょうど。ちょっといい?」
 昨夜の余韻覚めやらず、櫻も千歳も今ひとつキレがない。あのライバルどうしがすっかり睦まじくなっているのは何故? まして、業平が昨日どっちと過ごしたか、なんてことはわかりよう筈がない。
 「で、どうだった? うまくいった?」
 「あ、えぇ、おかげ様で。でも今日来ないんですか...」
 「心配ならいいわよ。会いたいでしょ?」
 「おふみさんたらぁ」
 聞き耳を立ててはいたが、笑い声しか聞こえなかった。今や先行カップルで通る二人は、
 「ま、こっちも内緒事項あることだし」
 「何か新展開があったんでしょうね。いずれ自分から話したくなるでしょうから、その時まで。フフ」
 手の方がお留守になりそうだが、ちゃんと動いている。職員というのはそういうものである。

 総会に係る書類を封筒の中に詰め込むところまでは、午前中に終えることができた。続きの作業は午後から再開。封を閉じ、業者指定の宛名ラベルを貼り、引き取りを待つ、それだけ。今は四人が残り、館内でランチタイム。
 「本当はもっと早く出したかったけど」
 「季刊誌その他、前から予告はしてたんだから、いいんじゃないですか?」
 「ま、あとはメールで一斉案内か...」
 「じゃ例の送信方法で。ネ、隅田クン?」
 「へ? あぁ、本人情報確認欄付き、のこと?」
 まだちょっとボーッとなっている千歳だった。すると、
 「Bonjour!」
 春らしい装いでモデルさんがやって来た。誰彼さんは声が出ない。櫻お手製のデリに手を伸ばしつつも、ボー。いや、beauと言いたいようである。
 「あら、手伝いに来てくれたの?」
 「絵画展のチラシ、一応作ってきたんで、もしよければ一緒に、と思って」
 「蒼葉ちゃん、やるぅ!」
 「そっか、同封物...」
 女性四人が集まれば賑やかになるのは至極当然。居心地は悪くないのだが、ここは女性どうしで語らってもらうのがよかろう。
 「じゃ僕はメールの設定始めてますんで」
 気を利かせて移動する。カウンターの隅っこに居る隅田クンである。

 この際、DUOの案内を同封しても良さそうだったが、
ふ「拡大版のメドが立ってからでもいいかな」
や「とりあえず、当日資料は用意します。初仕事として」
 とのこと。あとは、
さ「まだQRコードはないけど」
ふ「せっかくまとめたんですもの」
 原版はカラーだが、今回はモノクロ。A3ヨコに広がるは先週の成果である。
さ「ま、塗り絵として使ってもらうのもアリですね」
ふ「となると、グリーンもオレンジもないわねぇ」
あ「そこは人それぞれでしょう。感覚、感性、感情...」
や「表題は? いろいろマップ?」
さ「それにいきいきを足す」
あ「ひらがなで書くと、きいろ、って」
ふ「でも、グリーンとオレンジで共通する色ってもしかして黄色?」
 話が尽きないので、とりあえずは表題なしで、その仮まとめマップは発送されることになった。
 「封しないでおいて良かったですね」
 「ま、こういうのはできるだけ引き付けて、ってことなのよね。他にチラシとか、大丈夫かしら?」
 「四月六日イベントは?」
 文花を横目に弥生が一言。
 「そうねぇ... クリーンアップは講座の一環だから一応案内出したけど、ステージの方よね」
 「ま、あんまりお客さん増えちゃうとプレッシャーが...」
 「あら、櫻さんらしくないわねぇ」
 「いえ、あんまし派手にやりたくないかな、って。音響関係も一部はお天気次第だって言うし」
 電気系統には、再生エネルギーを組み入れる予定ゆえ、音量にも制約が生じる見込み。それに見合った客数というのも自ずと控えめになる。だが、櫻はこれとは別の理由で、セーブをかけようとしていた。「彼女が演奏に集中してもらえるように、心置きなく旅立てるように...」

 「それじゃ皆様、今日はどうもでしたっ!」
 文花は発送前の箱々を前に、笑顔満面。
 「残るは当日の段取り?ですね。もうちょっと詰めないと」
 らしいことを述べるのはこの人、千歳である。
 「会員から立候補が出なければ、女性議長を立てる、あとはその人の仕切り次第ではあるけど...」
 「って、おふみさんが?」
 「まさか。事務局長はね、議案説明役なのよ。議長からのご指示で淡々と...」
 「フーン」
 「弥生ちゃん、勤務初日だけど来る? 起業家としては設立総会って勉強になると思うけど」
 「あ、ハイ! でも、一応COO(最高執行責任者)と相談します」 議事の記録は新理事で交代しながら、議事録署名は代表が一筆入れればあとは一人か二人か、そんな話が少々。兎にも角にも、発送が済めばこっちのもの。あとは総会成立に必要な出席者、または書面参加が得られればいい。かくして総会までのカウントダウンが、始まる。

2008年10月7日火曜日

69. 三月の表白


 そんなこんなで、クリーンアップ~グリーンマップと続いた講座は、四月に再びクリーンアップ、五月は季節感たっぷりにグリーンマップ、つまり交互に開催すると良さそうだ、という話ともども、続行が決まった。テーマの融合と深化、そして点から面への期待を込めて、のことである。六の月は前年同様、環境の日にちなんだ一席を先生に受け持ってもらうが、クリーンとグリーンのまとめのような企画も設ける予定。と、これがたたき台となり、部会を軸とした年間計画のようなものも見えてきた。
 メーリングリストでの下打合せが活発になると、実際の会合に懸ける思いは強くなる。特にセンター運営協議会(未だ仮称)に至っては、利用者側の視点で委員があぁだこうだとやり合うもんだから、以前にも増して賑やか。平日夜間のセンター利用状況はこうした要素もあって好転していく。見方によっては利用者が利用者のために議論しているようなものなので滑稽でもあるが、内容は極めて真摯。来客サービスの充実、相談対応の拡充、は言わずもがな。ハコモノにしないための工夫や知恵は、それそのものが事業となる。いかに足を運んでもらうか、いかに館内を利用してもらうか、そしていかに「いきいき」してもらうか。当センターにおいては心配ご無用(?)ではあるが、そこにいるスタッフのイキもポイント。それには文花が考えるところの働きながら学ぶモデル、かつ、スロー緩やか大歓迎!式ワークスタイルがいかに実践されるか、にかかっている。情報提供というのは、スタッフの姿勢から発信されるものも含まれる、と言うんだから、見上げた事務局長殿である。
 拠点から現場か、現場から拠点か、の双方向性の話もある。木か森かに通じるこのテーマは、かつて清が称えた二人の理事のバランスに拠るところ大。千歳、文花、櫻の三人に何人かの役員・委員が加わって夜な夜な話し合うことも三月に入ってからはしばしば。総会議案の方も程よいバランスのもと、まとまりつつある。

――― 三月某日 ―――

 そんな或る日の夜である。千歳もいれば八広もいる、という会があった。ミーティング中もどこか落ち着きがなかったので、不思議に思っていた千歳は、散会後、八広に軽く声をかけてみる。
 「ハハ、確かにあんまし聞いてなかったスね。いえ、折り入ってご相談というか、そのぉ...」
 珍しいことがあるもんだ、と思い、ゆったりと聞き役に回る千歳。だが、きっかけが冬木と聞いて、些か面食らう。
 「そっかぁ... でも、それでいい、ん?」
 「いつまでもルフロンに甘える訳にも行かないですし。それに自分でそういう働き方も体験してみないことには偉そうなこと言えない、でしょうし」
 広告代理店とはいえ、一介の会社組織ではある。いわゆる社会人経験を積んでおいて悪いことはない。千歳はゆっくり、されど力強く、
 「勢いのあるうちって言うしね。応援しますよ」
 「あ、ありがとうございます。これも隅田さんのおかげ。程ほどにイケイケで、がんばります」
 「僕は何にも。宝木さんの実力さ」
 さん付けで呼ぶ、これはちょっとした餞(はなむけ)でもある。だが、これまでと接し方が変わるというのは互いに嬉しいような寂しいような、ではある。
 「四月からはあんまりお手伝いできなくなっちゃいそうスけど」
 「何の何の、今は自分でここに通ってるんだし。こっちが貴社情報誌のお手伝いすることになるかも知れないくらいだから」
 と言いつつ、カウンターを一瞥。思わず先輩と目が合う。
 「ま、ここではすでにアシスタントなんだな」
 「?」
 そのフットワークと文才を大いに発揮されたし。流域情報誌がより良質な媒体になることを確信する自称アシスタント氏であった。

――― 三月十四日 ―――

 十四日はあっと言う間にやって来た。翌日に事務的な一大イベントが控えていることもあり、午後からは臨時で千歳も出勤。用紙の白、ハガキの白、宛名ラベルの白、やたら白物とご縁があるのは他でもない。ズバリ、ホワイトデーだから、である。
 櫻ご贔屓の洋風居酒屋にて、ちょっとしたお返しディナーというのを一応セットしてあるので、今の時分はいつもの櫻先輩と隅田クンでいいのだが、さっきから違う意味でホワイト尽くしになっているので、二人とも白々となっている。
 「それにしても、植林木パルプって言っても白色度はそれなり?」
 「原木は? シラカバだったら、天然のままで十分白いと思うけど」
 「ハハ、残念。アカシアでした」
 「アカ、かぁ」
 と言っても、赤とか紅とかは無縁。今はひたすら総会向けの資料原稿をチェックしているので、時に補整用の赤が出てくる程度である。

(参考情報→アカシア紙

 そろそろひと休み、と手を止めていたら、赤い花にまつわる女性が現われた。
 「あら、南実ちゃんじゃない。どしたの?」
 「えぇ、調べ物方々これを」
 「またご親展、ですか。いるわよ本人」
 「え、ウソ?」
 会議スペースで漂白、いや漂泊の時を過ごしていた櫻と千歳が顔を出す。こちらの三角形は今は安定的なので、多少のビックリはあっても綽然(しゃくぜん)の態。
み「ちょっと千さんお借りします」
さ「あ、ハイ」
 当の千歳は、義理某のお返し代わり、南実とのティータイムの件を思い出し、
 「じゃ近場で。すぐ戻ります」
 「あら、当館ご利用じゃなくて?」
 文花は少々解せない風ではあったが、櫻がゆったり珈琲タイムに入っているので、構わないことにした。
 「櫻さんも進化したわねぇ。前だったら、送り出したりしなかったと思うけど」
 「今は勤務時間中ですから。二人のことだから、お仕事絡みでしょ? だったら別に」
 「何かまた親展... あ、いやいや」
 「ま、とにかく信じてるんで」
 十四日にわざわざ、しかも外で、である。全く気にかからないと言えば嘘になるが、これが不思議と思ったほどではない。期せずして心境の変化を悟る櫻なのであった。

 クリーム増量が可能なシュークリームを扱うお店では、ちょっとした喫茶も可能。センターからも程近いこの店に千歳は南実を案内する。
 「お返しの件、忘れてた訳じゃないんだけど、つい連絡しそびれちゃって」
 「いえ、普通なら社交辞令レベルですから。こちらこそ押しかけちゃったみたいで、すみません」
 「で、お話っていうのは?」
 「そ、そうでしたね」
 アイスティーとシュークリームのセットを前にして、南実の動きが止まる。あわててシューを割ったら、クリームがこぼれ出て来た。
 「あ、ツブツブ。これってバニラビーンズでしたっけ」
 牽制球という訳ではないが、直球でもない。南実にしては珍しい揺れのようなものを感じる。千歳はシューには手を付けず、ひとまずアイス抹茶を口に含む。そして待つ。
 「そのぉ、何となく予感はあったんだけど、例の論文がえらく高い評価をいただいてしまいまして...」
 「それは良かった。じゃまた祝賀会でも」
 「えぇ、自分としては喜ぶべきなんでしょうけど、おまけと言うか何と言うか、提携してる米国の研究機関に交換留学、みたいな賞を与(あず)かっちゃって」
 「留学、ですか」
 「で、この話、皆にしちゃうと、バンドのこととか含めてひと騒ぎになりそうだから、どうしよっかって考えてたんです」
 「いつからってのは、もう決まって?」
 「四月の早いうちに、なんです」
 「そっかぁ」
 清はもとより、higata@メンバーも、勿論、文花先輩にも内緒にしていたんだと言うから、相当な逡巡があったに違いない。クリームが皿に流れるに任せ、南実は話を続ける。
 「このまま黙ってた方がいいか、それとも...」
 「四月六日までは平気ですか」
 「最初で最後の出演になりそうだけど、皆とステージには立ちたいです。だからそれまでは何とか。当日はあわただしくなるでしょうけど」
 「演奏に支障、いやメンバーが動揺しない範囲で、こっちで対応考えてみます。一任してもらえれば、だけど」
 「私からはとてもとてもなんで。助かります」
 胸のつかえがとれたか、アイスティーを半分くらい飲み進む南実。ストローを使っていると、そのえくぼが強調される。向き合う異性は思わず息を呑み、胸がつかえたような感覚に陥る。
 「櫻さんとはそろそろ、ですか?」
 「え? いやぁ...」
 「今ならまだ許されるかな。私のこと、名前で呼んでほしいんだけど」
 「南実さん? て」
 「南実、で、お願い」
 女性の名前を呼び捨て... 自称小心者である千歳にとってこれは難題である。抹茶の緑を見遣りながら、内心「こまっちゃうなぁ」状態。ただ、それを言葉にしては、白けてしまう。ここは一つクールにシリアスに行きたい。
 「あ、ありがと、うぅ...」
 かつては実兄にそう呼ばれていたんだろう。千歳の発した三文字は、彼女にとって何よりのプレゼントになった。
 「そうか。櫻って呼ばないもんね。私ったらまたムリなお願いを。あ、そうそう」
 南実はエアキャップ入り封筒を差し出すと、
 「ワレモノなんで、郵送するのやめたんです。で、文花さんに預かってもらうつもりだったんだけど、ハイ! 私の気持ち」
 受取人はゆっくりとその一品を取り出す。それは何と、
 「レジンペレットハート?」
 「京(みやこ)さんから逆に教わりまして。こないだ集めた分とあわせて、完成です。隙間を埋めるの大変だったけど」
 人工物でも想いは伝わる。それは見事なまでの赤いハートだった。
 「プラスチックは丈夫さがウリだけど、脆くもある、かな?」
 「そうです。こう見えても南実は繊細ですから。大事にしてね」
 調べ物がどうというのは口実だったようだ。南実はセンターには戻らず、そのまま最寄駅方面へと去って行った。スプリングコートが南からの風にゆらめく。その姿をしばし眺め入る千歳だったが、ふと我に返る。「そうだ、お土産!」

 口元は白くなかったが、黒い粒々が残っていた。
 「なーに食べてきたの、隅田クン?」
 「え、あっ、ハハ。これです。どーぞ!」
 「何だかなぁ。おやつタイム過ぎちゃってるけど? ま、許して進ぜよう」
 文花と櫻は円卓でジャンボシュークリームを頬張る。口の周りがどうなってようとお構いなし。
 「やっぱホワイトデーは、こうでなきゃ」
 「さすがはダーリンね」
 「文花さんは? 今日はどなたかとご一緒じゃ?」
 「バレンタインにこれと言ったことしてないから。でも相談に乗ってもらったおかげで、ある人にはそれが効果的だったみたい」
 「て、私そんな。ただ、抑えた感じも時には必要って、そう言ったまで」
 クリームが口の中に広がるのを楽しんでいる間は会話もひと休み。
 「いずれトライアングルは解消すると思う。そのうち弥生嬢にもちゃんと...」
 「はぁ。何か文花さん、変わりましたね」
 「ちゃんと自分にもお節介焼こうと思ってね」
 千歳はカウンターから白唇の女性二人をボンヤリと見ている。
 「二人には話しておいた方がいいか、いやまずはやっぱり...」
 今夜の話題が一つ増えるも、その順番が悩ましい。この手の段取りはまだまだ不得手なマネージャーである。

 訊かれる前に話しておいた方がいいと考えるのは、自己弁護のようにも捉えられる。やましいことがなければ別に後でもいい筈なのだが、肩の荷を早く降ろしたいというのが正直な気持ちだった。最初の一杯が赤ワイン、というのも偶然というよりは必然。
 「小松さん、留学するんだって」
 乾杯して早々の第一声がこれ。あまりの突拍子のなさにさすがの櫻も目が点。
 「それって、ドッキリネタ?」
 「何でも論文のご褒美だとかで。でも誰にも話してなかったんだって」
 「第一報が千歳さん、なんだ...」
 段取り失敗か?とドキドキするも、
 「ま、その次が櫻さんてことならいっか。南実さんらしいというか、相変わらずヤキモキさせてくれるワ」
 ワインを一気に飲み干すと、とりあえず笑顔に戻る。
 「で、彼女なりに気を遣って、内緒にしておきたいって言うんだけど、いきなり皆の前から去ってしまうのもどうか、ってね。で、櫻さんにまずご相談と思ったんだ」
 「フーン...」
 話してくれたのは良しとしよう。だが、よりによってホワイトデー、相談内容は他の女性。胸中は複雑である。と、不意に先のクリーンアップでのちょっとしたやりとりが思い出される。
 「そうか、それであんな言い方してたんだ...」
 途端に想いが込み上げて来る櫻。こうなると、この場での対応協議は難しい。
 「とりあえず保留。千歳さんにお任せ、とは言っても本人は多分そっと静かに、が本望だと思う。彼女、あぁ見えても繊細だし、ネ?」
 本人の口からも同じ言葉を聞いていたので、千歳も承服する。だが、櫻は然るべき一計を考え始めていた。自分の誕生日ではあるが、お祝い対象者は多い方がいい。晴れ晴れと送り出そう、それには何を贈ろう... ご相談の一件がいつしか自問モードになっている。

 メインの大皿パスタ、海鮮の某が運ばれて来るも、どこか心ここに在らずの彼女である。彼は具のバランスを考慮しつつ、小皿に取り分け始める。クルクルやりながら一寸ためらいを見せるも、ホワイトソースから立ち上る湯気は、熱と弾みを与えて止まない。そう、ホワイトデーだから聞けることがある。この場を措いて他にないだろう。
 「ねぇ、さ、櫻さん。イクラとイカだとどっちが好き、とかってある?」
 「え? そうねぇ、粒々と輪っか、よね...」
 先読みされたかのような返しが来た。こうなったら話は早い。直球あるのみ。
 「質問、変えます。真珠と指環、どちらも丸いですが、お好みは?」
 「千歳、さん...」
 櫻にとってはサプライズに近い衝撃だった。この問いの意味するところ、わかり過ぎて困るくらいである。
 「って、いつからそんな加速するようになっちゃったのぉ?」
 と言いつつも、実はあまりによく出来たプロセスなものだから、うっとりしている。櫻は、フォークでゆっくりとお好みの方を指す。南実のことが頭をよぎるが、今は彼女に感謝したい気持ちでいっぱい。
 話の順番はどうやらこれで良かったようだ。

* * * * *

 同日夜、もう一つのディナー席は、面接のような、兄妹の会食のような、一風変わった雰囲気を醸し出していた。
 「どしたのGoさん? あ、いけない、業平COO殿」
 「いやぁ、兄貴がボーッとなるのわかるな、って」
 「CEOはいいの。今日はGoさんのためにおめかししてきたんだから」
 数日前が誕生日だったので、お祝いを兼ねてのこの席。主役は白のシフォンワンピースにテーラードジャケットで臨む。ジーンズ姿に見慣れている業平にとって、これは事件。兄同様、萌える想いの何とやらになっている。共同代表は不在ながら、先ほど一次面接は済ませた。今はどちらかと言うと逆面接状態である。
 「で、桑川さんを採用しようと思った動機は?」
 「その才気、突破力、最近ご無沙汰だけど、ツッコミ力、それと...」
 「と?」
 「例の持ち歌かな」
 「それは採否と関係ないんじゃん?」
 実は来るステージに向け、最低でも自分の歌はきっちり完成させたいと意気込んでいた弥生。ベースの猛特訓に加え、歌唱の方も磨きをかけていて、その成果をしっかり自己流ミキシングにてデータ化。これも自己アピールのうち? とにかくCOO、否、バンマスに送っておいたのである。
 「いやぁ、あれは良いよ。歌もベースも、何かこう主張する感じがしてね」
 「DUOとおんなじ。そこにある空気を誰かと一緒に、ってこと。主張というより、或る乙女の願い、かなぁ...」
 出逢ってからしばらくは、ツッコミ甲斐があるとの理由で惹かれていた。その後は、その重厚な音づくりに惚れ惚れ。芸は身を扶(たす)くと言うけれど、業平にとってこれは意想外な展開。だが、そんな彼も今は彼女の音楽性に惚れつつある。
 「で、タイトルは?」
 「breathe, breeze とか。ルフロンさんとまた協議しますけど♪」
 まがりなりにもホワイトデーなので、お豆腐料理中心。でもって改まった席でもあるので、掘り炬燵式の個室にいるご両人である。湯豆腐が上がったところなので、フーフーやりながら、そのbreatheとbreezeの心を語り合っている。しばらく経ったら、互いに深呼吸。弥生は喉元の熱さが和らぐのを待って、ちょっとした問いを試みる。
 「何かあって、仮にあたしがひきこもっちゃったりしたら、Goさんならどうする?」
 「そうだなぁ、一緒にこもる、かな」
 「え?」
 空間的にはおこもり状態のようになっているので、すでに疑似体験しているような感覚。業平はいつになく重い口調で語る。
 「時にはね、充電するのも大事。兄貴だってそう。前向きなひきこもりってのもあるんだよね。だから別に引っ張り出したりはしない。一緒に...」
 「業平さん...」
 聞けば、太平も失恋だか何だかで外に出て来られなくなった時期があったんだとか。業平は意を決して共同ひきこもりを決行。起業アイデアはその間に練ったのだと言う。
 「そっかぁ、良き理解者だぁ。これなら仕事で失敗しても平気ネ」
 「なーに、失敗してなんぼだから。平気も何も、平平さ」
 かくして弥生は直接行動の帰結を図る。
 「ねぇねぇ、あたしのケータイ鳴らしてみて」
 着メロは勿論、業平原曲、弥生編曲の持ち歌である。
 「おぉ、そう来たか」
 「じゃそのまま。ここ個室だけど、一応ネ。乙女はマナーを守らないと...」
 と言い残し、室外へ。
ご「もしもーし」
や「何か逆だけど、告白していい?」
 直接だが間接的。さすがに面と向かっては言えなかったようだ。だが、このアプローチ、ものの見事に彼に刺さった。
 「ハハ、いろんな意味で『採用』!」
 「あ、あとね、おふみさんからいいヒントをいただいたんです。もしもし?」
 アルコールはそれほど入っていない筈だが、室内に戻ると、業平はヘナヘナ。杏仁豆腐の方がずっとシャキっとしている。
 「あ、ゴメン、何だっけ?」
 「拡大版DUO 頑張りマス。よろしくネ」 DUOは広く、そして大きく。入社日が待ち遠しい。

2008年9月30日火曜日

68. 色とりどり

ふたたび、三月の巻 おまけ

 晴天が続くのはいいとしても、スギ花粉も勢いを増すとあっては、喜んではいられない。合鍵効果もあって、櫻とはすっかり仲睦まじく過ごしているものの、今ひとつ冴えない千歳である。今日もマスク着用でのご出勤。午後はマップ講座が控えているが、あいにく実地には出られそうもない。
ふ「私も同行させてもらうわね」
さ「じゃ、千歳さんはお留守番」
ち「おとなしく、KanNaのメンテでもしてます(トホホ)
 講座のスタートは十四時。先月の情報誌に櫻の写真が載ったのが利いたのかどうなのか、いつになく男性客がそこそこ増えているのが引っかかる。男女半々にして、会場はほぼ満席。年齢層のバランスも悪くない。文花は上機嫌である。
 「定刻になりましたが、ゲスト講師の到着が遅れてまして。先に白地図配りますね」
 センターを中心とした周辺地図が厚手の紙に刷ってある。アシスタント的に入っていた蒼葉、そして受付にいた舞恵が配る係を買って出る。清も開講前に来ていたが、今は受付にポツン。千歳はカウンターで待機中。
 「矢ノ倉、ゴメン。あ、皆さん、スミマセン」
 目にも鮮やかなオレンジのドレスコートを身にまとい、その女性は現われた。
 「って、どしたの?その衣装」
 「あ、それはまた、あとで」
 人前に出るってんで、おめかしして来た堀之内先生である。衣装選びに手間取ったとは言え、講師が遅れて来ては示しがつかない。だが、
 「えっと、堀之内と申します。皆さんのお手元に、あ、配られたとこですね。今のところは見ての通り、何色でもないンですが、これがどんな色に変わっていくか、それが今日の見どころです」
 さすがは現役教諭、ツカミを心得ている。男性客に気を良くしたというのも手伝ったようで、その後の挨拶も極めて闊達。遅刻を帳消しにして余りある。たちどころに聴衆を惹き込んでしまった。
 先生にくっついて来たか、引率して来たかはさておき、小梅と六月も姿を見せる。千歳には軽く会釈しただけで、そそくさと会場後方へ。この二人は惹き込まれて云々ではなく、単に恩師の一挙一動が気になって仕方ない、ということのようだ。
 得意の出だしを持って行かれてしまった格好になった櫻だが、講座の趣旨説明というお役目があるので、流れとしてはこれで良かったかも知れない。千歳と一緒に作り込んできたプレゼン資料に沿って、グリーン(またはブルー)マップの意義、これまでのトライアル状況、そして、
 「あくまでご自身で地域を見つめ直していただくための道具みたいなものです。ちょっとした発見が一つでもあれば十分、と思います。今日はひとつお気楽に...」
 心構えが述べられる。だが、少しはヒントというか視点がないことには漠然としてしまうので、
 「で、堀之内先生、そのご衣装、もしかしてテーマカラー?ですよね」
 つまり、安全面や防犯面に着目する場合は、オレンジ。環境面や地誌面ということならグリーン。そんな色分けが設定されていたのである。ゲスト講師として永代をお招きしたのは他でもない。文花お得意の手回しである。
 オレンジはOKなのだが、グリーン関係者がまだお見えになっていない。清が受付に残っているのは、然るべき理由があった。
 「あら、櫻ちゃんの話、終わっちゃった?」
 「何だ、招かれざる客人が来たぜ」
 「アンタ、Come onさんでしょ。来いって言うから来たんじゃない」
 おなじみグリーンのトレンチコート。探偵さんの御成りである。
 「いえね、課長殿とつい長話しちゃって、その... あら、いない?」
 師匠が受付で張っているもんだから恐縮している。辰巳はセンター出入口でコソコソしていたが、緑に見つかり万事休す。清も少々曇り顔である。
 「たく、また縁談でも持ちかけようってか」

 オレンジマップの解説が終わろうとしている時、グリーンの人が入って来たもんだから、参加者は一様に目をパチクリ。オレンジの印象が強かったが、このグリーンも負けず劣らず、である。チーム分けする上で、こんなにやりやすいこともないのだが、見た目の色に引きずられてしまうというのもどうかと思う。ちなみにグリーン担当の櫻は、紺系のスタンドカラーコートを羽織るところ。ブルーとは言い得ないかも知れないが、この色も十分着目に値する。オレンジか、グリーンか、はたまたブルーか... 講座名こそグリーンマップだが、描く人によっては正に色とりどりのマップになり得る。三人の女性の外套色は、そんな多彩かつ多様なマップの側面を実は暗示していたのである。
 蒼葉はブルー、もといグリーンチームへ。清、緑、舞恵も続く。櫻も含め、年長のお姉様方に惹かれる部分もなくはなかったが、彼にもう迷いはない。六月は小梅と同じ、オレンジチームに加わった。
 いつもと違って、引率するのが子ども達ばかりではないため、多少のやりにくさもある。頼りにしていいのかどうかが微妙ではあるが、旧知の若い二人が同行することになったため、今は平常心を保っている永代である。
 コースの確認が済むや否や、早速、引率者の足を引っ張るは別の旧知の一人。
 「前から気になってたんだけど、須崎さんとおひささんて、ただの知り合い? それとも...」
 「やぁね、矢ノ倉ったら。その質問のためについて来たの?」
 辰巳は、何でもない鋪石にいきなり足を取られてしまう。
 「足元注意、と」
 マップにチェックするフリして苦笑い。俄か三角形のような様相になっているが、いい歳してどうこうやるでもない。この際、隠し事はなし、である。
 「まさか、ご両人がそんな間柄だったとはねぇ」
 「小柄な女性はつい長身男性に惹かれちゃうから。若かった、ってことかしらン?」
 「でも、今のダンナさん通して知り合ったんでしょ? 何か順番おかしくない?」
 「ま、世の中、いろんな三角形があるから、ね?」
 今度は正真正銘、歩道に妙な凹みがあって、転倒しかける長身の君。永代は何事もなかったように喚起する。
 「はいはい、皆さん、こういうとこ、要チェックですからね!」
 十数人の一団は、思い思いに印を付け出した。辰巳は半ば呆然としつつも、立ち位置をキープする。目印としては格好の人物。転びかけてもただでは...の図である。

 拉(ひし)げたガードレール、電柱に無造作に括られたステ広告、意味不明な落書き... 街中には負の側面が多々散らばる。だが、しかと目を向ければ好ましい要素も見つかる。注意を促すばかりがオレンジの役割ではない。心温まる色彩でもあるのだ。
 「先生、ここの舗装...」
 「また随分とシブイオレンジ色ねぇ」
 「古タイヤを砕いたのが入ってんだって」
 ちょっとした案内板を見つけると、六月は早速伝達する。
 「それはまたよくできたことで。てことは、足に負担がかからないってか」
 「でも、これって何使って塗装したんだろ?」
 「天然のオレンジじゃないよね」
 クッション性という点で人に優しく、廃材リサイクルという点で環境配慮に適う。だが、塗料は? 有機溶剤を使わないといった対応は可能だが、そこまで万全を尽くすのは難しいだろう。永代は自分のコートの色と見比べながら、ちょっと後ろめたい気分になる。我が教え子ながら、環境感度がこうも高いとやはりやりにくい。

(参考情報→再生材舗装

 小梅は持ち合わせのパステルで、地図上の該当部分を塗装してみるが、どうもピンと来ていない様子。色もしっくり来ないが、この弾力をどう表現したものかと思案していたのである。そんな姉御を見て弟分が動かない筈がない。
 廃材の宿命だろうか。接着不十分なのが都合よく転がっていた。その渋橙の一片を手に取ると、
 「これ、こすりつけてみたら?」
 「そう来たか。ま、あとで貼り付けてもいいかな」
 イラストレーターの地図は、すでに賑やかなことになっていたが、素材をそのまま援用するとなれば立体感が加味されよう。
 「観察、描写、でもってあの発想かぁ。総合の時間にお招きしちゃおっかな」
 小梅が母校の教壇に立つ日はそう遠い話ではなさそうである。

 メモを取ったり、ケータイで撮影したり、他の参加者もそれ相応のことをしているが、目に付くのはセンターオリジナルのアイコンシールを貼る動作。!とか?とかここまで本意でないシールの出番が多かったが、この若い二人のやりとりを見て、スマイルマークを貼る人がチラホラ出てきた。感情表現ツールとしての有用性、ここに在り。永代はちょっと目をこすりつつ、
 「smilefulぅ... て、そんな単語ないか」
 花粉がどうとかではない。単にウルウルしてきただけ...。

 環境課のご所属ゆえ、今は仕事として地域環境をチェックしている辰巳である。高い目線を使うだけでなく、足元にも目を配っていて、実にマメマメしい。氏の注意がそっちに行っているのを確かめると、永代はおもむろに、
 「で、矢ノ倉は? お相手ってどうなったン?」
 旧友ともなればパターンは読めている。文花は軽く、
 「お相手って、何のさ?」
 と往なしてみる。
 「ある人から聞いたわよ。トボけてもムダ」
 「おかしいな。情報錯綜させてたつもりなんだけど、バレちゃった?」
 独特の駆け引きを展開する二人。マップも何もあったものではないが、段差や凹凸にはちゃんと反応している。器用なもんである。
 「せいぜい見習わなくちゃ。街歩きの極意というか危機管理能力というか」
 辰巳の地図は文字で埋まっていたが、察するに余禄というか、はみだしメモの比率が多くなっているようである。

 一方、グリーンの方は想定通り、探偵さんが大活躍していた。花粉が飛んでようが何のその。一見変装用ともとれるそのマスク姿も一興ながら、良いも悪いも何でも題材に仕立ててしまうもんだから、参加者を飽きさせないのである。
 「ようござんすか? 悪さする連中は死角がお好き。言っとくけど三角じゃないわよ。でもってお子さんたちも人目が付かないところが大好き。とここで良からぬ接点ができちゃう」
 脈絡がよくわからないが、ここで取り出したるは虫眼鏡。
 「そこで重要になるのが、地域住民の目。別にこれ使ってジロジロやんなくてもいいけど、皆が視てるってのをふだんから定着させるってことよね」
 佇まいとしては悪くない裏路地に行き着いた。角地の家屋に人気はない。周囲の目が届きにくい好例である。
 「ちょうど目玉のシールがあるわね。じゃこれを...」
 櫻はシール同様に目を見開くと、
 「おば様、それは[すばらしいながめ]ですってば」
 「あら、要監視じゃなくて?」
 シールは使いよう、ではあるのだが、グリーンマップ的にはちと困る。どっちかと言うとオレンジマップ的アプローチ。
 「まぁ、古い民家がお好きな方にとっては、絶景かも知れませんから」
 いつもの機転を利かせる櫻。ひとまずOKということになった。
 アイコンシールの使い方を紹介しつつ、マップ初体験者にガイダンスする櫻。こっちが入門編だとすると、緑は応用編といったところか。
 「おじさんも面白いけど、おば様も愉快ネ。他にもお道具あるんでしょ?」
 「あとはこれ」
 「双眼鏡?」
 「オペラグラス。探偵さんはこれで十分。遠くも近くも、とにかく視点を駆使して観察・監視...」
 「あと、感受もな」
 三カンを唱えるは勿論この人、清である。
 「で、環境の環と」
 「関係の関で」
 「わかった、カンカンカンカンカン♪」
 何せ叩いて鳴らすのがこのお姉さんの領分である。感性にピタっと来たらしく、五カンを見事音にしてみせた。
 「監事さんから聞いてたけど、奥様も面白いこと」

 カンつながりか、カントウタンポポが路傍で見つかる。
 「おたまさん、虫眼鏡」
 「ハイハイ、また道草でございますか」
 清は機に乗じて、在来種探しをしていたが、折りよくいいのを見つけてニヤリ。アスファルトの隙間から生え出るそのタンポポの鑑定を試みる。
 「いやぁ、やっぱ地モノは根性あるわ。間違いない」
 摘んで漬(ひた)して、という選択肢もあったが、ここはそっと見守ることに。櫻は[固有植物]系統のシールを貼り、さらにスマイルを書き足した。
 蒼葉は付かず離れずでキョロキョロ。春の画材を探していただけなのだが、ちょっと挙動が怪しい。
 「ちょいとそこの美人さん、お探し物ですかい?」
 「あ、ルフロン。ねぇ、何かイイ素材ってない?」
 「絵描きさんがそんな。公園とかじゃつまらんてか」
 「住み慣れた町だから、どれ見ても何かインパクトなくてね」
 「インパクト的には、蒼葉ちゃんの動きが一番かも。さっきから目立つ目立つ」
 「干潟同様、自称うろつく女ですから」
 「それじゃ不審者とニアリーじゃん。お巡りさんから尋問されても知らんぞい」
 「魔女さんも十分アヤシイと思うけど」
 話がとりとめなくなっているが、地域においては目と並んで口も物を言う。怪しい人物を見かけたらとにかく声かけするに限る。これも応用編のうち、だろう。緑に言わせると、
 「グリーン防犯とでも呼んでもらいましょうか。ゴミのポイ捨て予防にもつながるかも知れないし」
 おば様はこの通り上々だが、あおば様の方は結局どうだったんだろう?

 「あーぁ、千歳さん大丈夫かな?」
 「やっぱケータイ要るんじゃない? お姉さま」
 「フフ、私の思いは電磁波だか電磁界より強いんだから」
 「そりゃ結構なことで。でも二人で春のお散歩ができないってのはお気の毒ネ」
 センターでは、屋内でもぬかりなくマスクな男が留守番中。花粉の侵入についてもしっかりReduce(予防・抑止)を図っている訳だが、さすがにウワサ云々は防ぎようがない。
 クシャミがこだまするセンター午後四時である。

 地図も行動半径も同じだったが、両チームが接触することはなかった。一時間半に亘る探訪・調査を終えた一行は、帰還時刻になって漸く再会を果たす。
 「皆さん、おつかれ様でした。ではチームごとにふりかえりなどお願いします。あ、先にコピー、取らせてください」
 ひととおりの情報共有が済んだら、成果発表!と行きたいところだが、何せこの人数である。一人一人のオススメスポットなどを披露してもらうには時間が足りない。とりあえず優先すべきは一つのマップに集約すること。言うなれば、オレンジとグリーンの融合である。
 「そっか、くっつけると人にも環境にも、ってなるんだぁ」
 「ねぇ、六月クン、グリーン+オレンジって言えばさ」
 「ハハ、湘南電車かいな」
 「え? 湘南新宿ラインじゃなくて?」
 湘南マップと命名してもよさそうだが、車両と違って色鮮やかな訳ではない。グリーンマップのグリーン=よりどりみどり、と捉えるのが順当だろう。そして両者に共通して言えるのは、あくまでAs-Isレベルである、ということ。
 「現状認識は深めていただけたと思います。本来ならさらに『どうしたらもっと良くなるか』といった理想像のようなものも描いていきたいところなんですが、それはまたの機会に譲ります。今日のところはそうですね。残りの時間でもう一度、全体のおさらいなどを」
 参加者アンケートも配られ始め、お開きの時間が近づく。もっとゆったりと、例えば大白地図に付箋を貼って議論し合うというのがあれば、共有・融合ももっとやりやすかったのではないか... 櫻は違った意味でふりかえりをしている。
 だが、行事主催の責任者はその辺をしっかり見越していた。本日のまとめは、清でも緑でも永代でもない。文花である。
 「地域との関わりに気付く、関わりを築く、その一助になれば、というのが今回の趣旨でございました。この『気付く』と『築く』は、環境教育などで使われる言い回しですが、環境に限ったことではありません。お一人お一人が日常生活の中で認識してもらうだけでいい、もしかするといいことあるかも、ってそんなキーワードだと思います。で、当センターとしてもですね、その『築く』のために、皆さんに描いていただいたマップをとにかくまとめてみようと思ってます。せっかくなのでオレンジとグリーン共通のチェックポイントには、QRコードを付けて、何らかの情報を入手できるように、あとはですね...」
 ホワイトボードに走り書きしながら、現役教諭のような仕切りを見せる。これといったプレゼンツールはないものの、聴衆は釘付け。
 「白地図も各種そろえてダウンロードできるようにしますけど、環境情報センターらしい仕掛けをちょっと」
 これには、櫻も千歳もビックリ。
 「投稿型共同制作マップ?!」
 文花は再びボードにサラサラ。
 「覚えやすいように、ITグリーンマップとしておきましょう。インターネットをお使いの方はぜひこちらで今日の続きなどを」

(参考情報→地図+QRコード

 地元企業など、スポンサー情報と連携させれば起業ネタ。あの兄君、実はこういうのがお得意だった。とりあえずはスポンサー抜きのベータ版だが、基本的な機能は同じ。ログイン後、マップを読み出し、ピンポイントでコメントや画像を入れることができる。
 地域がいきいきするなら、それは流域ベンチャーの望むところでもある。試供品扱いにて無償で暫定リリースしてくれたんだとか。
ち「そっか、本多兄にね」
さ「い、いつの間に?」
 永代が考えていたのとまた違う人物が今は文花の意中。移り気と言えばそれまでだが、両者にとっての実益を考えているところが只ならない。それにしても出会ってから一週間も経たないうちによくもまぁ、である。
 文花の口からは出なかったが、千住姉妹や千歳はちょっとした可能性を見出していた。それは、To-Beモデルにも応用できる?ということ。投稿が増えればそれはそれで盛り上がるが、そこに各自の理想が加われば言うことなし。地域の元気にもつながり得るのではないだろうか。つながりを築く、の深意に今、気付く三人である。
 IT不得意でも大丈夫。気が向いたらセンターへ。特に土曜日はオススメ。そんないつもの思いつき付け足しもあり、会場は納得のムード。千歳はただ「ハハ、さすが」。脱帽、いや脱マスクである。
 予定時刻を過ぎ、十七時半近くになっていた。それでも講座運営についてどうこう言われることはない。回収した参加者アンケートを見る限り、評価は概ね良好。上出来である。

 清、緑、辰巳の因縁トリオは、明るいうちはまだ動くとかで、早々とご退場。蒼葉と舞恵は何となく館内に残って雑談中。他の面々は次の通り。
さ「今日はありがとうございました。またいつでも...」
ひ「卒業式とかあるし、何より二十四日もあることだし、ネ」
ち「お二人も次は二十四日、かな?」
こ「初姉、ヒマそうだからその前に一度連れてきます」
む「じゃオイラも」
ふ「そしたら、弥生お姉さんもね。お願いしたいこともあるし」
 千歳と櫻はドキとしつつも、その真意を探ってみる。三月中ならまだ時間の融通も利くだろうから、接客とか議事とかサポートしてもらえるなら、二人としてもありがたいところ。だが、待てよ、IT絡みというのも大いに有り得る。お互いピピと来た。
 「ねぇ、千歳さん、さっきのITグリーンマップって」
 「ゴミ情報もインプットできるよね」
 「やっぱし、そう思う? でも弥生ちゃんだったら、きっと...」
 「DUOにマッピング機能を搭載して、とか? となると、『どんなゴミがいくつ』だけじゃなくて『いつ、どこで』ってのが加わって、しかも画像付きで出せる可能性が出てくるね」
 「漂着モノログも合流しちゃったりして」 誕生月というのは、否応なく充実が図られるものである。弥生も決して例外ではない。