2007年12月18日火曜日

22. ある晩夏の日に


 千歳の呼びかけに応じて、業平からの自己紹介メールがhigata@に流れたのはその翌日。ちゃっかり自営ビジネスの宣伝つきである。よせばいいのに、アフィリエイト募集中なんてことまで出ている。こういうのが来ると、次は弥生が反応しそうだったが、その前に櫻からの先制メールが入って来た。「...管理人と相談して、皆さんに自己紹介をお願いすることになりました。次は小松さん、いかがでしょう?(行き違いがあったら、ご容赦ください)」 いつものことながら、簡潔かつ丁寧な一筆である。櫻としてはこれでひと安心のようだったが、燃える想いの南実には、この程度の水を向けられたくらいでは鎮静することはない。むしろ、逆に火が点いてしまったようだ。誕生日から二週間後、職場からhigata@に一本を投じる。ここしばらく仕事から離れていたこと、メーリングリストも今週からやっと見出したこと、大学院を出てからはずっと今の機関にいること、などが綴られ、ここまでは無難な感じ。だが、末尾に来てそれが転じる。導火線の如き一文が添えられていた。「隅田さま、八月七日はありがとうございました」 一読する限りでは、単なる御礼なのだが、千歳と櫻のもどかしい関係性を知るメンバーが多いこのメーリングリストにおいて、この発信は並々ならぬインパクトを持っていた。その一文があまりに端的なので、憶測を呼ぶという点でも効果大。higata@上のルールには、二人の関係をどうこうしてはならぬ、なんてことは決めていない。だが、このように横槍を入れるのにメーリングリストが使われる、てのは想定外であった。小松南実、二十九歳。二十代最後の一年を迎えた女性というのはかくも手強いものなのか。
 幸い、このメールは櫻の職場アドレスには届かないようになっている。だが、ドラマの仕掛人(演出家か)のあの女性のもとにはしっかり着いていた。
 「櫻さん、八月七日の夜って何してた?」
 「二週間前ですよね。部屋でボーとしてたら、妹に説教されたのを覚えてます。でも、その日がどうかしたんですか?」
 「隅田さんとは一緒じゃなかったのね」
 「えぇ。あ、思い出した。千歳さん、今日来るんだった♪」
 文花の問いかけが少し気になるところだったが、今はすっかり舞い上がっている。
 「まぁ、あの調子なんだから、私の出る幕じゃないわね」
 焚き付けるのが本分の演出家としては、らしからぬご発言である。七日の夜は一人じゃなかったことを南実はその日のうちに自己申告している。そして、その時のお相手の名前が今回公表された。文花の予感は見事的中していたのである。こうなると誰かに言わずにはいられない。だが、いくら今そこにいるからと言って、櫻に告げていいものか。いいはずがない。二女も三女も一女にとっては大事な存在である。大事な二人を争わせる訳には... かくして、クシャミを我慢している時と同じような、何とも不可思議な顔になっている。
 「あぁ、ウズウズする。叫びたいよ、私ゃ」
 センターの責任者たる人物、器量と度量が求められる。文花は一応兼備しているようである。

 蒼葉はケータイで南実からのメールを受信。お騒がせの一文を見つけて、蒼白している最中だった。長文メールだと、ここまで来るのに時間を要する。ケータイメールだと読むのも何だし、発信するにも手間がかかってしまう。もどかしさが募る。
 「この小松さんて何者なんだろ。とにかく千さんに真相を確認しなきゃ。あと、PC用のメールアドレスもこの際だから作ってもらお」
 蒼葉からhigata@宛に発信がされるのはしばらく先になりそう? いやどうだろう。

 櫻は今のところあまり浮き沈みなく、穏やかに過ごしている。ちょっぴりドキドキしてきたのは十八時になってからである。早番の文花は櫻を気遣ってか、定刻通りセンターを後にする。外に出ると、噂の人物がちょうど到着したところだった。この間のバーベキュー場偵察で、自身もバーベキュー状態になってしまった千歳君である。その日は気付かなかったが、日が経つにつれ、ヒリヒリしてきて自分でも痛々しい。
 「あら、隅田さん、ひと月ぶりね。また灼けた?」
 「どうも荒川は日光浴に適しているようで」
 「ま、色男ってのはそういうもんよ」
 「あの、櫻さんいらっしゃいますよね?」
 「待ちくたびれて、机で伏せてるわ。早く行ってあげて」
 千歳は約束通り、スチロール箱ごと紙燈籠を持って来ていた。すれ違いざま、チーフが呼び止める。
 「その箱、何? 残暑見舞い?」
 「えぇ、活きのいいヤツ(魚)を持って来ました。ご覧になります?」
 「ヤダ、遠慮しとく。でも、今の言い種(ぐさ)、誰かに似てる。そう、櫻さんそっくり!」
 「あ、矢ノ倉さんもそのうち自己紹介メール、お願いしますね。じゃ」
 引き止めたついでである。この際だから、お節介しておこう。
 「隅田さん、そのメールのことだけど、ちょっといい?」
 「あ、はい」
 「まだ見てないかも知れないけど、今日南実ちゃんから発信があってね。八月七日のこと、書いてあったんだけど...」
 文面について軽く説明する文花。千歳はさほど驚くこともなく、フンフンと頷くばかり。
 「そうですか。ま、あの日はレジンペレットを渡すだけ、と思ってお会いしたら、食事に誘われちゃって。正直、焦りました」
 「まぁ、そんなことだろうと思ったわ。櫻さんまだメール見てないみたいだから、先に事情を話しておいた方がいいかもね。こういうのって、後でわかるとショックだから」
 文花の恋愛経験が如何ほどのものかは不明だが、人生において数年は先輩なので、こういう助言も出るのだろう。これはお節介ではなく、千歳にとって実に有意義な示唆となった。
 「ありがとうございます。箱の中味は御礼代わりってことでご査収ください」
 「はいはい」
 文花はその場では受け流したが、ふと立ち止まる。「ご査収? 魚を?」

 千歳の足音が近づく。櫻のドキドキが高まってきた。カウンターの影に隠れてるんだから、なおさらである。
 「あれ? 櫻さん...」
 誰もいないセンターだが、照明は点いているし、空調も稼動中。櫻は出るに出られなくなっている。
 「接客担当の千住 櫻さん、いらっしゃいませんか? ご不在なら帰りますよ」
 「あー、ごめんなさい。ここです」
 カウンターから静々と立ち上がってきた。
 「いらっしゃいませ」
 「かくれんぼですか?」
 「いえ、眼鏡を落としちゃって。捜してたんです」
 本当はビックリさせようと隠れていたのだが、ここは失敗。言い訳としてはもっともなような、そうでないような。ドキドキはまだ続いている。
 「持って来ましたよ。お土産...ってほどでもないか」
 フタを開けると、例の紙燈籠が寝そべっている。さらに劣化が進んだ感じである。
 「はぁ、こんな風に溶けちゃうんですか」
 「拾った当初は、ちゃんと筒状になってたんですけどね。乾燥させなかったもんだから」
 「ハハ、今の私みたい」
 「へ?」
 要するに緊張が解けたことと、誰かさんといるとこんな感じになってしまう、ということを言いたかったようだ。だが、センターにいる間はどうしても敬語会話になってしまう。これは緊張云々とは別の話。忠実に接客している証しなのである。
 「いえ、何でもございません。じゃ、そのまま窓際に置いといてください。明日から日光浴させます」
 七夕の時に櫻が用意した水溶性短冊も、どうやら同じメーカーのものらしかった。
 「あの感じだと、あまり環境に良くなさそう。溶けて水に流れちゃえばいい、てもんじゃないんですね」
 「でも、どの程度の影響があるんでしょう?」
 「パックテストで調べてみましょうかね。文花さんにまた聞いてみます」
 「短冊ならOKだと思いますけど、ね」
 「雨に流れたか、風に溶けたか。川に迷惑がかからなかったのなら、いいですが。でも、私の願い、一つは叶いましたよ」
 さっきから、カウンターで対面する形で語り合っている。センターでの接客スタイルとしてはこれでいいのかも知れないが、この二人、今は彼氏と彼女のご関係ではなかったか。
 今度は千歳がドキドキする番が来た。
 「あの、小松さんからのメールって、今日ご覧になりました?」
 「いえ、まだ。自己紹介メール、ですよね」
 「僕もまだ見てないんで何とも言えないんですけど、櫻さんに先に話をしておこうと思って」
 八月七日は、南実と会っていたこと、すぐに帰るつもりだったが断り損ねて会食することになったこと... 文花に話したのと同じように事情を説明する。そして、
 「意中の人は櫻さんだって、その時、キッパリ申し上げました」
 「え? 二週間前にそんな風に?」
 「櫻さんがどう思ってるか、は別にして、とにかく正直なところを伝えたんです」
 「つまり、小松さんを振っちゃったんですね。彼女、モテ系なのに、あーぁ」
 櫻はすまし顔で、我関せずのような口ぶり。千歳は思いがけないリアクションに焦りを募らす。そう言えば、櫻からちゃんと返事を聞いてなかったような...
 「私が千さんを振っちゃったら、どうするの?」
 「紙燈籠みたいになっちゃうでしょうね」
 「ウソウソ。この間のお返しよ。フフフ」
 千歳は本当にフニャフニャになっていた。極度に緊張していたところ、一気に解放されたのだから仕方ない。櫻は笑いをこらえつつも、真顔で続ける。
 「正直に話してもらって、櫻はうれしうございます。私、千歳さんを信じます。でもちょっと悔しい」
 千歳の腕はよく灼けていて、皮が一部剥がれかけていた。その皮をペリペリとやり出したのだから、彼が面食らったのは言うに及ばず。四月に初めて会った時の櫻さんの印象は「面白い人だなぁ」だった。そんなことを今更ながら思い返してみる。
 一応、櫻はまだ勤務中。千歳は帰り支度を始める。だが、彼女は彼をそう易々とは帰させない。
 「八月七日って小松さんの誕生日だったんですってね。文花さん、お祝いがどうのって。今思い出しました」
 「そう、だったんだ...」
 千歳は少し心が動いた。南実の性格なら、自分の誕生日を堂々と明らかにしそうなものである。それをあえて伏せていた、というのが実に健気というか、意外な一面を見た気がしたのだ。
 「あら、本人言ってなかったの。まぁ、千さん善いことしたじゃない。一日一善、よね」
 櫻はすっかり余裕の構え。千歳は引っかかるものがあったが、気を取り直して、
 「そう言えば、櫻さんの誕生日っていつですか? 三月?」
 「千歳さんと初めて会った日は、二十代最後の週の初日でした。その五日後が三十路最初の日」
 「それはそれは。お祝いしそこなっちゃいましたね。失礼しました」
 「いいえ。二十代のうちに出逢えてよかったです。それで十分」
 改めて櫻への想いを認識する千歳。櫻と来れば「咲く」だが「萌え」も有り得る。境地としては蒼葉の時よりもピッタリ来るようだ。そんな彼の萌える想いを察してか、彼女ははぐらかすようにアナウンスを入れる。
 「今日はちょっとトーンダウンしちゃったけど、プラス千点かな。ちなみに十万点になりますと、いいものを進呈します。お楽しみに」
 櫻得意の「いいもの」は応用範囲が広い。楽しみではあるが、いったいいつの間にそんな査定が始まってたんだか。
 「私の場合、一日一千(いちせん)なんです。四月から七月までは七回お会いしたんで、七千点。で、一昨日からは毎日千点ずつにしました。今日で一万点ですよ」
 千歳はすっかり帰る気が失せている。見計らったように櫻はさらに一言。
 「今日この後、引き続き当館をご利用いただくと、さらに千点、どう?」
 「櫻さんには敵わないなぁ。ま、女性一人残して帰ったら、大幅減点になりそうだから、ね」
 いざという時は非常ベルを鳴らせば、一階の図書館から職員が駆けつけてくれることになっているのだが、彼氏に傍にいてもらえるなら、それに越したことはない。

 自己紹介メールをメーリングリストに流すのもいいが、この二人に限っては、お互いにちゃんと自己紹介しあった方がいいのではないか。それに気付いたご両人は、どちらからともなく、紹介を始め、気が付くと十九時を回っていた。
 「いけない、仕事しなきゃ」
 「じゃ、僕はPC借りて、作業してます」
 このタイミングで良かったのかどうなのか。二人が配置に戻った時、階下から早い足音が近づいて来た。確かに女性一人じゃ心細い。
 「櫻姉、いる?」
 駆け込んできたのは姉想いの妹である。
 「あら蒼葉、どしたの?」
 「もう、千さんたらひどいじゃない。八月七日のこと、知ってた?」
 「まぁまぁ。あちらにいらっしゃるから、お気が済むまでどーぞ!」
 「エッ? あ、千さん...」
 千歳はちょうどwebメールをチェックしていたところで、蒼葉からの一件(詰問メール)を正に開くところだった。本人が来れば話は早いが、メールのやりとりで済むなら、その方が心理的には楽とも言える。だが、この一件はそういう訳にはいかない。
 「蒼葉さん、こんばんは。五日はお世話様でした」
 櫻に続き、千歳も悠然としているので、かえって不審に思う蒼葉。今日の装いは、七日の南実によく似ている。それが彼を少しこわばらせるのだが、とにかく話を進めないといけない。今日はこれで三度目である。メーリングリストで何かあった時のフォローは、このように直截(ちょくせつ)的な形でも行われる。管理人はツライ。
 「なぁんだ、そういうことだったの」
 「蒼葉さんから話を聞いてたから、勇気を出して言い切ることができたんだ。感謝してます」(と言いながらも、内心はちょっと複雑)
 「あ、ハハ。私、言い過ぎちゃったかな、って。でも、櫻姉、本当に元気になりました。逆八月病って感じ」
 円卓での座談は、こうして丸く収まった。続いて、蒼葉からのご要請の件に移る。ここにPCが置いてあるというのは実に好都合であった。
 「じゃ、aoba@でいいですか?」
 「いえ、aoba1010@がいいです」
 「はぁ、千と十?」
 「千住蒼葉ですから。1010。語呂合わせです」
 「これ、エルオーエルオー(lolo)と間違えないようにしないと」
 「私のこと知ってる人は間違えないと思うんで。迷惑メール対策にもなるし」
 こうして、蒼葉のPC用アドレスは即日設定され、メーリングリストにもこのアドレスで登録し直し、となった。
 「このwebメールを使えば、今すぐにでも送受信できますよ」
 「へぇ、さすがは千さん。姉さんの彼氏にしとくのもったいなかったりして」
 「何か言ったぁ?」
 「いいえ。ちゃんと姉さんの長所と短所をお伝えしてるとこですから」
 「余計なこと喋ったら承知しないわよ!」
 こんな具合で、晩夏の夜は更けていく。三人寄れば何とやら、か。
 「良くも悪くも、あのノリが姉さんなんです」

 櫻は彼と食事でも、と考えていたようだが、千歳の方はもともと早く帰るつもりだったから、案外素っ気ない。「もしかして、私、じゃましちゃった?」と蒼葉が気にかけるのももっともである。
 「あ、千歳さん、今度は曲のこと、相談させてくださいね」
 「そうだった。忘れてた」
 櫻は弁えたもので、今日は彼の想いなり生い立ちなり、いろいろと知ることができたので、これで十分と思い直していた。一昨日同様、自転車で反対側へ走り始める千歳。前回と違うのは、あわててその場から抜け出さずに済んでいることだろうか。これは櫻自身が想いを上手にコントロールできたことが大きいとも言える。妹の手前、というのもあったかも知れない。蒼葉はおじゃまどころか、実にさりげなく二人の想いを調整する役を担っているのであった。

 「姉さん、曲って?」
 「へへ、二人だけの秘密♪」
 「まぁ、お熱いこと。暑いのは残暑だけにしてほしいワ」 その一曲を口ずさむ櫻。サビのところは、「届けたい・・・」とか歌っている。はてさて?