2008年8月12日火曜日

60. 蒼氓

二月の巻 おまけ

(前編)

 そして、九日。立春の週最後の日だと言うのに、雪もちらつく冬日である。外での実演となると、鍛錬や修養には適うかも知れないが、持続可能性という観点では疑問符が付く。が、今回の講座は幸い屋内。リアリティに欠けるきらいはあるが、寒さを気にせず、のびのびできる。ある意味、サスティナブルである。
 漂流・漂着ゴミの実態やクリーンアップの意義といった概論に当たる部分は、先月の協議第一幕で触れてあったので、その続きとなる本講座では軽くおさらいする程度。櫻が特に力を入れたかったのは、そのHOW-TO つまり、具体的な実践に関して、である。
 「何と言っても下見に次ぐ下見に尽きると思います。あとは大まかに段取りを決め、それを目に見える形、フローチャートでもいいですね。とにかく共有しやすく...」
 発起人とリーダーとで考え合わせてきた要領を集成したような説明が続く。センターお勤めの三人を除くhigata@のメンバーでは、八広と冬木が顔を出しているが、特に口を挟むでもなく、首を前後に振るか、メモを取るか、のどっちか。とにかくおとなしくしている。
 何となく座学スタイルになっているので致し方ないのだが、全体的にやはり静か。今のところは座学生、いや受講者と呼ぶしかないだろう。その受講生の数、実に二十余名。あいにくの天気にしては、よく集まった方なので、まずはよしとせねばなるまい。
 モノログから拾ってきたスクープ画像などを編集して、漂着物の取扱注意など、安全面の話題もちりばめたりしているが、現場にいないことにはどうにも臨場感が沸かない。会場のリアクションもいま一つと読んだ櫻は、
 「じゃ、実際に拾って調べて、というのをやってみましょうかね。どなたかケータイをお持ちの方はぜひデータ入力を」
 と、動きを伴う講習に早々と切り替える。拾うからには、そこに現物がなければならないが、ここは記録係 兼 アシスタントの腕の見せ所。隅田氏がちゃんと用意することになっていた。
 「普段は拾うのが専門の彼ですが、今日は事もあろうに逆のことをしています。慣れないことして腰を痛めないようにしてくださいね」
 先月、見本として持ち込んだ元漂着ゴミは、今は原形をとどめたまま「再使用」されている。ゴミとして処分される前にこうして役に立つのなら、これらをゴミと言っては失礼だろう。会場からは笑い声が聞こえるが、それは櫻の常套トークに対してであって、腰を屈める千歳の不格好を笑うものでないのはわかっている。それでも、どうにも居たたまれない。捨てる側に回るのは到底ムリ、というのを図らずも認識するアシスタント氏である。
 見本はあくまで見本。数的には不足感もある。だが、拾う、分ける、数える、入力する、という一連の動作を体験してもらう上では、必要十分な数だった。文花も八広も前に出てきて、ワイワイガヤガヤ。果たして座学の場は模擬現場へと一変した。
 清と緑が連れ立って現われた頃には、DUOの実演も済んでいて、今は市区によって異なる分別ルールの話になっている。
 「...なので回収スポットがどこにあるかがわかっていれば、自治体のルールを超えて、自分で持ち運ぶというのもアリな訳です。皆さんご存じのショッピングセンターでは、近々廃プラの回収を新たに始め、油に戻すデモなんかも時々やる予定だとか。詳しくは、フリーマガジンの二月号に、あ、エドさん、よければご紹介を」

 「そっか、そのマガジン? 情報誌だっけ。まだ見てなかったワ」
 「とりあえずそこでの取り組みは、全社の何とかレポートに載るから、そっから認知されるだろう、みたいなことが出てたな」
 「へぇ、あの若い皆さんが調べたことが、そうやって広まって...」
 「ただのゴミしろいじゃないってのはそういうことさ」
 「ゴミしろいとはまた、面白いことおっしゃるわねぇ」
 「ヘン、余計なお世話だ」
 後ろの男女が何やら騒々しいので、せっかくのPRタイムが宙ぶらりんになってしまった。
 「ま、いいや。三月号もどうぞよろしく。今日のお話も載りま... あ、そうだ写真!」
 ICレコーダーの方はぬかりなかったが、画像の方がうっかりだった冬木である。そんなこんなで後ほど、記録写真の受け渡しを含め、掲載記事の相談会が開かれることとなる。

 「流域各所で同じような取り組みが為されてますが、手付かずのエリアもまだございます。実演を経て、コツをつかんでもらえれば、新しい会場を受け持つことも可能です。センター近隣でしたら、何かしらのサポートもできますし、ぜひ... で、その実演、つまり現場での講座を本当なら明日にでも、と思ったのですが」
 窓の外を見遣れば、先週に続く週末雪。どこまで降り積もるかが決行/中止の境目となるが、大事をとって見合わせる、そんな早めの判断も現場力のうちと言えなくもない。表向きの見合わせ理由は、この降雪、されどもう一つ理由はある。クリーンアップ~グリーンマップにつながるテーマについて、部会との兼ね合いで再検討する必要が実は生じていたのである。ある意味、雪のおかげでそんな内情を明かさずに済んだ訳だが、雪に甘んじてばかりもいられない。その分しっかり詰めて、明快なコンセプトのもと、プログラムを提供しようではないか。センターの、そして新法人の、今後の取り組みをより磐石(ばんじゃく)にするための試金石と考えればいい。
 文花と軽く打ち合わせてから櫻はこう切り出す。
 「クリーンアップ実践編については、寒さ和らいでから、というのもありますので、ここは一つ三月二日、潮はやや高めですが、午前十時か午後一時の集合、を考えております。詳しくはまた追い追い...」 
 質疑応答などを含めてもこの日の講座は、さらりと一時間半ほど。二日連続の講座ということであれば、それなりのボリュームになるのだが、間隔が空くことが決まった以上、これは単発プログラム。櫻としては不本意さもあったが、こうしたプロセスの間断もNPOならでは、である。

 冬木はひとまずレコーダー起こしをするんだとかで、そのまま会議スペースにこもっている。緑は図書館へ。清は千歳の席で、Comeonブログの機能強化に乗り出す。
 「ははぁ、そのコメントなんかも一覧で表示されるってか。これなら見落とすこともなさそうだ」
 「念のため、怪しいのが来ないようにブロックしておきます。その方が確実に見ていただけるでしょう」
 「ま、別に来る者は拒まずだけどよ。漂着大歓迎、だろ?」
 「いや、やっぱいかに予防するか、でしょう」
 干潟でもインターネットの世界でも、ゴミ対策は共通のようである。但し、ブロックと言っている限りは例の消波工事と次元としては変わらない。より遡った抑制策がスパムにも必要なのだ。

(参考情報→コメントスパムをどこで抑えるか

 本日の受講者の何人かは、なおセンター内に残っているが、特に接客対応は要さない。という訳で、文花と櫻は円卓に居て、八広を加えた三人で話し合いを始めている。
 「とりあえずね、講座を開くことに関しては理事会で決まってるからいいのよ。連続性を持たせるってのもごもっとも。ただ、ホラ、秋にお月見しながら話したでしょ。調査研究と情報提供を進めることで普及啓発、って件。仮に探訪部会と現場部会ってのをそのまま立てるとなると、どっちも調査研究色が強いから、何かバランス的にどうかなって。部会行事って点でもOKなんだけど、そこをね、もうちょっと詰めながら講座テーマを決められたら。それが一つ...」
 と、これは事務局長らしいご見解である。
 「もう一つ、あるってことですか?」
 「まぁ、も一つは私見もあるから、あとでカウンターの二人も交えてゆっくりネ。まずはそのバランスに関して」
 すでに十六時近くになっているが、日が伸びてきたこともあって、長丁場を厭(いと)わない構えを見せる文花。ただ、雪は幾らか多めに、かつ重くなっているので、外はまだまだ明るい、とは言えない状態。八広はそんな高密度な雪模様を見ながら、
 「定款上、その三つの柱については明記するとしても、組み合わせとか優先順位までは書かないですよね。とにかく試行してみてから、でいいんじゃないスか?」
 重い、でも軽やか、そんなご提議が突いて出る。
 「でもね、そろそろデザインしとかないと、って思って。NPOでも法人ともなれば模式図みたいのって要るでしょ。だから...」
 「バランス重視ってことなら、調査研究も情報提供も一部会ずつになりますよね」
 「じゃ、最初は探訪と現場は一緒、ってのはどうスか?」
 「それだと部会の世話役が大変じゃない?」 文花は櫻に視線を送る。
 「ハハ、また過剰何とか...。それはどうも、おそれいります」 本人もよくわかっている。
八「情報系って部会活動というよりは、事務局機能に近いから。いや待てよ、季刊誌?の編集チームを部会にすれば...」
さ「それなら、kanNaの新着情報もね」
ふ「取材がメインってことかしら? となると、探訪も現場も同じよね」
 ホワイトボードは近くにあるものの、いつものようにマーカーを走らせる気にならない。ボード同様、頭の中も真っ白? 文花は窓の外がホワイトボードのようになっているのを見て、さらにトーンダウンしてしまった。
 「掛け持ちが増えるのはいいような、そうでないような、ですね」 櫻もつい同調して嘆息モード。誰彼さんとの過ごし方に関わる話でもあるのがまた悩みどころである。
 「ま、ここは一つ編集チームの二人にも来てもらいましょう」 見かねた八広はフットワーク良くカウンターに向かう。と、ちょうど一段落ついた清と千歳が呑気にやって来る。
 「どしたい、おふみさん。顔が白いぜ」
 「もともと色白、ですから...」
 いつもなら、「あら」とか「ホホ」とかが付くのだが、それがない。さすがのセンセも硬直せざるを得なくなる。不覚にも自分の顔が白くなってしまうのだが、これを面白いと言ってはいけない。
 「じゃあ、その雪合戦の前だか後だかにお二人さんが思いついたテーマとやらをもいっぺんお聞かせ願うとしますか。おすみさん、どうぞ」
 今日の午前中にも話をしたのだが、思っていた程、文花が乗ってこなかったので、不可解に感じていた千歳である。その心を聞き出したいところだったが、こう来られては逆に従うしかない。
 櫻が頷くのを確かめながら、千歳は思うところを語る。そして、文花が引き取る。
 「そのぉ、地域が関わるってのをどう表現するか、なのよ。地域振興ならともかく、一応環境系なんでね、ひと工夫ほしいなって」
 「地域と自身の関わりを見つめて、意識してもらう、その連鎖で予防につなげる、その辺の概念はいいんですよね?」 千歳はまだ釈然としていない。
 「えぇ、もちろん。ただ、地域、関わり、ってなるとどうしても人つながりとか、交流要素とかがね...」
 櫻は薄々感づいてはいたが、まだ口にはしない。文花と初めて顔を合わせた時、本人が俯きながら話していたことが思い出される。
 「人あっての環境、いろいろな関係あっての地域、それはわかってるつもり。私が言いたいのはね、『人』を前面に出すと、入りにくくなっちゃう人もいるんじゃないかってことなの。交流好きな人が寄って集まっての地域活動、ってそれでもいいんだろうけど、反面、本来の取り組みがおろそかになる? そんな話も聞く。だからできるだけそうならないように、こっちは人選も含めて考えてきたつもり。僭越ではありますが...」
 ここまでの積み上げや自負があるからこそ、言い切れることがある。higata@の面子にしたって、集まればワイワイとなるにはなるが、そのワイワイを楽しむのを前提に干潟に来る訳ではないのである。お互いのペースなり都合を尊重できているからこそ、顔を出す出さないでどうこう言い合うこともない。それぞれのスタンスで環境貢献する場、というのが共通認識になっている。交流主体ではないのである。
 「事務局長のお話、わかります。定款には例の特定非営利活動の分野を選んで載せますけど、交流ってのは特にない。全分野共通の要素と言えなくもないですが、まずはその特定の活動ありき、そう言いたいんでしょうね。だから、交流を前面に出す必要はないし、割り切るところは割り切っていいと思います。同感ス」
 「交流交流で気疲れしちゃ、何のための活動だかわからなくなっちゃいますもんね」

(参考情報→特定非営利活動の種類

 前職での経験からもっと突っ込んだ話をしても良さそうなところだが、櫻としてはこの一言でまずは十分。だが、経験談ということなら、この女性も同じ。再び文花が語り始める。
 「交流好きな人達の中に、さぁこれからって人が入れるか。交流を求めてくる人なら問題はないでしょう。でも、そうじゃない人は? 多分疎外感ていうか、それは違うって思うはず。人付き合いが苦手で、環境分野に入ってくる人もいるのよ。個人的な意見かも知れないけど、一人でもできるのが環境活動。つながれば確かに大きいけど、それは派生的なものじゃないか、ってね」
 これまで黙って聞いていた清がここでゆっくりと話しかける。
 「蒼茫って知ってるかい? 名のない草でも、しっかり根を張って、滔々(とうとう)と広がっていくことで力を増すってこと。人間も同じ。無名な市民が寄り添って支え合って、地域や社会を形成する。それには個々の黙々とした取り組みが第一。名誉とか勲章とかは要らない。しとり静かに、さ。な?」
 「ありがと、センセ。でもそのソウボウって、漢字は?」
 清はマーカーを手に力強くしたためる。
 「蒼茫、または蒼氓。こっちの民の字が入ってる方がしっくり来るかな。この蒼は、画家のお嬢さんの名前と同じ、だったよな」
 「えぇ、くさかんむり、です」
 青葉でも碧葉でもなく、櫻の愛妹は蒼葉である。誇らしいやら羨ましいやら、櫻は軽く応答する。

(参考情報→"氓"という字

 「そんな氓、というか市民一人一人を応援する、そういうスタンスってことですか」 千歳も漸く文花の云わんとすることがわかってきた。初めて干潟に立った時のことが思い出される。一人ででも何とかしたい、その時はそう思っていた。それがいつしか結構な人数が関わるようになり、行政や企業への働きかけにもつながるようになっている。これといったお題目はなくとも、こうして続いているのは何故か。人どうしのつながりもあるが、各人が環境に寄せる思いがまずあって、その思いが逆に人をつないでいるから、ではないのか。はじめに人ありきだったら、こうはならなかったかも知れない。
 「なんて言うか、ステップみたいのってあるのよ。それはおすみさんだってご承知の通りでしょ。純粋に環境に対して何かしたいって人が少しずつ自分で関わりとかを見出していく、そんなイメージ、かしら」
 「市民団体の中には、いかに会員や関係者との間で交流を促すかに力を注いでるとこもありますけど、かえって持続しないというか。緊張感もなくなってきますしね。だから、対人(ヒト)じゃなくて対環境ってことが明確になってるのはいいと思いま、スよ」
 部会のバランスをどうするか、というのがまだ詰め切れていないが、持論を受け止めてもらえたことで、いつもの顔色に戻って来た文花である。だが、
 「そうそう、文花さんと初めてお会いした時は、本当に箱入りな感じで、奥ゆかしかったですもんね。で、当時仰ってたのが、人と人よりもまずは人と環境、って」
 てなことを櫻が言うもんだから、ちょっと冷や汗。
 「まあね。でもここに来て、でもって皆さんと接するようになって、その両方が大事って思うようになった。だから余計ね、緩やかなのがいいなって。皆さんがイケイケで、交わるのが第一とかそんな感じだったら、ひいてたかも」
 自身の成長過程がわかるからこそ、こうした発言も出るのだろう。文花の変化はここにいる四人もわかっているつもり。言葉の余韻に浸りつつ、まったりとしている。が、長くは続かない。
 「文花さん、そう言う割にはよくちょっかい出して、人を翻弄してるじゃないですかぁ。何か矛盾してるんですけど」
 「元研究員ですからね。試すの好きなのよ。悪うございましたね。ホホ」
 櫻がけしかけ、いつもの漫談が始まる。
 「ま、人がつながるにはお節介がなくちゃな。おふみさんはその点バッチリ。シシ」
 「だから、私のはあくまでさりげなく、ですってば。大事なのはそう、ステディ感よ、ね? お二人さん?」
 「って急に振られても...」 千歳は当惑気味。
 「とにかく、入りやすい表現って何かあるでしょ? スローで着実な関わり方ってのをこう...」 楽しくもあり、もどかしくもあり、の文花。少々間が空くも、
 「いい意味で緩やか、だから続く活動、てことスかね」 八広が継ぐと、
 「スロー、緩やか大歓迎。あなたの環境計画、応援します。とかってどう?」 櫻がいつもの機転でズバッとまとめる。
 主役はあくまで個人。自身のペースで現場へ行くなり探訪するなりして、環境や地域との関わりを見出す。そのプロセスを計画と言い表せば、ステディな感じも印象付けられる。そんな趣旨だそうな。
 「部会共通のテーマってことね。何かいいかも」
 ホワイトボードに大書して、復唱する。すっかり満足げな事務局長である。かくして、探訪・現場は統合せずにそれぞれ試行、編集チームについては、会を重ねる中で緩やかに部会化していく、ということが決まる。
 今後の取り組みの主題、そしてその伝え方が固まってきた。あとは、点を面に広げる、クリーンアップで言うなら、いつもの干潟以外のスポットへの展開、がある。今日の講座ではそのプランの一端が紹介された訳だが、拙速だった観はある。そう、あわててはいけない。先刻決まったようなテーマで以ってじっくりと、明快な動機とともに取り組んでもらうのが何よりである。
 リセットの繰り返しはまだまだ続くだろう。そのためにはいかに気力を保つかがカギとなる。スローで緩やかはその極意とも言える。
ふ「じゃあ、あとは理事会でまた... って次回、いつだっけ?」
き「定例ってことにしてなかったんだな。でも、監事さんが来る日に合わせるとかって言ってなかったか?」
ふ「先月、ルフロン来なかったから、日程調整しそびれちゃって。総会の議案も作んなきゃいけないのに。どうしましょ?」
さ「今からだったら、二週間後でいいんじゃないですか? ルフロン、その日は来ることになってるし」
 と、この反省を受け、総会までの理事会日程と作業の段取りの両案が、この後、事務局長から発信されることになる。



(後編)

 何かとグレード感ある持ち物が多い冬木は、最新式のポータブルPCを今日は持って来ていて、記録した音声を拾いながら、記事を打っていた。講座終了から一時間超が経過。大まかな記事が上がったところで、円卓にのこのこやって来る。
 「えっと、隅田さん、写真の件ですが、今よろしいですか?」
 「あ、これで見ますか? それとも...」
 メモリをどっちに挿し込むかが分かれ目。
 「って、櫻さんが情報誌に載っちゃう、ってことですよね」
 「まぁ、ご本人次第でもありますが...」
 「櫻さん、どう?」
 「私の肖像権については、マネージャーに任せてありますから。何ちゃって」
 その記録媒体を手にマネージャーは悩んでいる。ここで冬木に画像ファイルごと渡してしまっていいものか。交換条件という訳ではないが、ここらで一つその情報誌の意義などを再度確認させてもらって、納得が行ったら渡す、そうしよう、と思った。
 清は図書館へ、文花はカウンターでカタカタやっている。都合、円卓には四人。会談が再び始まる。
 「で、榎戸さん、その読者層とか、反響とか、その辺を一度お伺いしたかったんですけど、よければ教えてもらえませんか?」
 「はぁ、そう来ましたか」
 こういう問いが来るのは織り込み済みではあったが、ちょっと面食らった恰好の冬木。だが、悪い気はしない。
 「ま、大人のための、ってことで始めたんですけど、おかげで硬派な感じになってきたもんで、ご年配とか、熱心な学生さんとか、あとは流域在住の会社員、そんな方々に多く読まれてるようですね。反響としてはまあまあなんですが、駅や街頭で配られてるのと比較すると、それほど盛り上がってるとも言えなくて」
 「同じフリーマガジンでも、そこは性格が違う訳ですから。ターゲットにしっかり届いていれば、それでいいように思いますけど...」
 「いえね、そこが無料配布ゆえの難しさなんですよ。レスポンスがあったとしても、それだけじゃ費用対効果みたいのがちょっとね。媒体の認知度を調べるだけじゃ物足りないし。どれだけ流域の役に立ってるか、それが指標化できればいいんだけど」
 徐々に熱くなってきているのが自他共にわかる。千歳としては聞き役に徹した方がいいのは承知しているのだが、ことメディアの話となると思うところが多々あるので、そういう訳にも行かない。と、そうした空気を察してか、八広がひと捻(ひね)り入れてきた。
 「誰でも手にできる媒体ってのもクセモノで、あんまりそれが流行っちゃうと、持ってる情報がステレオタイプになる惧(おそ)れってありますよね。公共性が高いネタならまだしも、そうでもないようなのが感覚的に常識化してしまうのってコワイ気がします。その点、エリア限定、かつ一定の社会性がある情報誌だったら、それがご当地の力になる、って違いますか?」
 「えぇ、まぁそれが狙いではあるんですが...」
 煙をくゆらせてないと落ち着かないようで、誰に向かって喋ってるんだかわからないような態度になっている。それでもそこは一介の編輯(へんしゅう)者。然るべき所志は持ち合わせているものである。落ち着きを取り戻すように、その心を述べ始めた。
 「隅田さん、宝木さんもそうでしょうけど、マスメディアに対する反骨心みたいのが僕にもあってね。特にどうかと思うのは、編集権だなんだを盾に情報操作みたいなことするケースかな。マスならマスの社会的責任みたいのってあるでしょ。どうもそれが曲解されて驕りにつながってる気がするんだ。だから、こっちはそういうことがないようにできるだけ現場に忠実に、小部数でもいいから、とにかくSocial Responsibilityに適う媒体をってね」
 驕りとは言わないまでも、突っ走る傾向がある点では、冬木だって人のことは言えない。その辺りを指摘したい気もなくはなかったが、そんな気概の裏返しと考えれば許せなくもない。千歳は、これまでの冬木のお騒がせ、つまり、ある時はフライング、またある時は自己本位取材、はたまた...と一連の出来事を思い返しつつも、どこか内面的に通底するものを感じ、今は穏やかに耳を傾けている。
 「まぁ、現場もそうだし、higata@の皆さんからも。とにかく学ぶところが多々あって、自分なりに姿勢を正してきたつもりです。なんで、ここんとこ行き過ぎ!とかってないですよね」
 カウンターに目を転じたら、図らずも文花と視線が合ってしまった。話がどこまで聞こえていたかは不明だが、首を何となく傾げているところを見ると、少なからず耳に入っていたようだ。だが、顔は怒っていない。冬木はホッと息を吐(つ)く。
 「ところで、さっきの反骨の話ですけど、榎戸さんのブログってやっぱそうした精神論みたいのがあって、あんな硬めな感じなんスか?」
 「秋頃見た時は、グッズ紹介とか、それこそモノログ風で、アフィリエイト向きだなぁって思ったけど、今は違うんで?」
 「業界人ぽい路線て言うか、ツボみたいのがあるんだよね。最初はその辺を狙ってたから、割とウケてたんだけど、情報誌を担当するようになってから、そんなんでいいのかって、気が変わってきた。本多さんとこもそうだけど、漂着~とか、咲くlove~とかを見つけて、ちゃんとしたメッセージを発信してる人が流域にいるんだってことがわかってね。情報誌は情報誌で一石を投じるつもりでやってるけど、自分自身が発信源になるってのも試してみたくなったんだ。隅田さんが見たのは、きっと気が変わりだした頃くらいのじゃないかな」
 咲くloveの櫻さんは、途中まで話を聞いていたが、ジャーナリスト鼎談(ていだん)になってきたところで中座。とりあえず五人分のコーヒーを淹(い)れている最中である。
 「でもって、漂着の現物見てたら、モノの運命ってのは果かないもんだ...そう思うようになって、無常かつ無情とでも言うか、三十路半ばの境地と言うべきか。最近は例のフローチャートも参考にしながら、ここをこう変えれば、もっと有意義な製品になるんじゃないかって、提言型が中心かな。今は単なるモノ紹介じゃないですよ」
 鼎談というよりも、ブロガー冬木のトークイベントのようになってきた。
 「今月号のCSR記事と、オーバーラップするとこもありそうですね」
 フローチャートの話が出たことで、千歳にはピンと来るものがあった。自分で掘り下げてもよかったのだが、ここは記事担当者自ら語ってもらうとしよう。
 「スーパーの場合、売り手っていう意識が強い分、自社ブランド品を扱ってても作り手って意識は弱い。だから、モノ全体の流れとか、モノの末路とか、それを現物でしっかり示す必要があったんです。そういう意味で、先月のは上出来でした。CSRを担当してた時分は、どっか空虚っていうか、パフォーマンスチックだなぁとか思いながら、お相手してたんだけど、この間のは違ってた。市民と一緒に社会的責任を果たしていこうってのが感じられた。何かこう、つかえてたのが取れた、そんな気がしましたね」
 「提言ベースで臨んだのが良かったのかも知れないスね。ま、こっちとしてはステイクホルダーとしての言い分を伝えたまでですが」
 「おかげで、今後の見通しとかもしっかり引き出せたし。あれを読んで、流域企業も捨てたもんじゃないな、って思ってもらえれば...」
 「なーるほど」 千歳は大いに納得する。

 櫻は文花にコーヒーを供しつつ、カウンターで愚図っていた。
 「ねぇ、文花さん、彼氏が同じ職場ってやっぱ歯がゆいってゆーか、何か考えちゃうんですけど」
 「あら、そう? 一緒に語り合ってればいいのに」
 「編集者としてこっちも思うところがあるから、かえって入りにくくて...」
 「じゃ、私がお相手、いや、たまには相談に乗ってもらおうかしら」
 「?」
 十四日が近いだけに、どうやらその手の件らしいのだが...。

 「さらに現場に足を運んでもらえれば言うことなかったんですが、あいにくの雪続きじゃね。その三月二日に来てもらうってんでよければ、また声かけしますけど」
 「あ、聞いてきますね」
 千歳がカウンターに向かったところで、冬木は八広に相談話を持ちかける。
 「宝木さん、彼女からその、何かいいお話とか聞いてませんか?」
 「いい話? これと言って特に。あ、でもバレンタインデーに『もしかすると朗報があるかもぉ』とかって言ってたような」
 「OK。じゃ、奥宮さんからまずお耳に入れてください」
 「はぁ...」

 一方、カウンターでは
 「今、女どうしのお話中なのよねぇ。あとでネ、千歳さん」
 「そりゃ失礼...」
 「あ、これ持ってって。ちょっと冷めちゃったかも知れないけど」
 浮かぬ顔でトレーを運ぶ千歳。待たされてる訳ではないのだが、すっかりウエーター(waiter)である。

 「一つお聞きしたいんですが、今手伝ってる市民メディアって、その張り合いとかって点でどうですか?」
 「載せてもらわないことには原稿料とか入りませんからね。励みにはなりますが、緊張感もあります。正に張り合いスね。ただ、バイトと掛け持ちですから、時間的な制約とか、いろいろと」
 千歳はコーヒーを置きつつ、会話に加わる。
 「まぁ、市民メディアとて万能じゃないですからね。有望な人は自分のブログで発信すれば済むってんで転出しちゃうもんだから、逆にRSSで取り込み直したり。ステップアップの場として考えてもらってもいいんですけどね。放っておくと、そう空洞化現象、みたいな」
 「宝木さんはそんな有望な一人?」
 「そうですね。だからいつでもブログ作るよって、進言はしてるんですが」
 「ま、その有用性ってのはわかるんですけど、何とも捉えどころがないってのと、ケータイで手軽にできちゃうってのが逆に引っかかってて。やってみないことには何とも言えないスけど、情報消費者のターゲットにはなりたくないってのもありますね」
 「そうだね。消費されるだけの情報ってのはヤだね。確かに」
 「近年のヒットチャートじゃないですけど、一時的に盛り上がって、すぐしぼんじゃう、そういうのは御免だな、と」
 フムフムと冬木はただ頷いている。どうやら見込んだ通り、ということらしい。

 千歳としても、冬木の心意気は十分わかったので、櫻の肖像権がどうこうと意地悪を云う心算は毛頭ない。相応の志に則(のっと)った記事になることがわかれば、多言は要さないのである。
 「予定稿はきっちりメーリスに流しますから」
 「それはいいですね」
 千歳はここでやっとマイカップに注いでもらったコーヒーを一口含む。
 「あ、甘っ」
 「え、隅田さんのブラックじゃなかったんスか?」
 「櫻さんの仕業だ、うぅ」
 加糖コーヒーは飲めない口ではなかったが、久々のドッキリネタにしてやられて、開いた口が塞がらない彼氏。そこへ彼女がすまし顔で問いかける。
 「千歳さん、どう?」
 「どう?って、あのねぇ」
 「別に飴を溶かして入れた訳じゃないんだし。ちょっとね、今日は甘味が足りないんじゃないか、って思ったから。フフ」
 二口三口と試す。渋面ながらも、そのシロップの甘さで思わず頬が緩んでしまう千歳であった。
 「ハハ、二人見てるといいですねぇ。記事にはツーショットで出しますか?」
 「いや、今回の講座はリーダーにスポットを当てていただいて」
 「あら、千歳さん、いいんですの? また櫻さんのファン、増えちゃうわよ」
 「ちょっとした有名人の彼氏ってことで、こっちも誇らしいってもんですよ」

 とまぁ、ホットな議論にホットな掛け合いがなされてる訳だが、雪はあくまでクールに降り続く。とうに暗くなっておかしくない時間帯なのだが、その雪の白が反射するのか、窓の外は不思議な明るさを保っている。雪が弱まるまでは帰れない、というのもあるが、まだ明るいからいいや、というのもあって、冬木も八広も残っている。
 ブログを見ながらコーヒーブレイクというのは、当センターらしい活用法ではある。円卓のPCでは話題のEdy’s社会派ブログや、新装なったComeonブログが展開され、即席コメントが交わされる。
 「で、先生のブログは今日めでたく、一般的なスタイルに変えたところです。コメントとかあったら、ぜひ」
 「これでやりとりできますかね」
 「やってできなくはないと思いますけど...」
 「では、早速」

 講座はコンパクトだったが、その先が長かった。何だかんだで十七時半まで談議は続き、その一連が講座のような態となる、それでも誰かさんに言わせると、緩やかかつスローなんだそうだ。いやはや。
 この日この後、higata@には、次回クリーンアップの予定、情報誌来月号の予定稿PDF、そしてComeonブログの紹介が流れることになる。コメント機能については、南実の申し出による故、本来なら彼女が第一報を打つべきところ、開けてみた時はすでに遅し。
 「ちっ、榎戸さんに先を越されるとは...」
 ようやっと論文の補整が終わり、安穏としていたところである。どうせなら仕上がる前に用意してほしかった、というのもあるが、Comeonブログ管理人からの今回の案内を見た上でコメントを入れ始めるのが筋だろう、と思う。すっかり憤慨モードになってしまった南実は、
 「またしてもフライング? 頭来た。私も打とっ!」 鬱憤を晴らすように、立て続けにコメントしちゃうお弟子さんなのであった。