2008年8月19日火曜日

61. 耐寒と体感の間で

二月の巻

 そんなことになってるとは知るべくもない掃部先生は、翌朝になってやっとブログを開けている。が、新着欄を見て、目が点。早々とコメントが、しかも何本も。
 「そっか、小松のお嬢さん、書き上げたか。ま、俺の指導があったところで、どうこうなるもんでもねぇだろし。しかしなぁ...」
 どことなく恨み節な一文が見受けられ、さすがの先生もたじろがざるを得ない。コメントスパムは除外できても、文章の調子を見分けてブロックするなんてのは不可能である。どう返事したらいいものか悩んでいる間に、空はすっかり晴れ上がる。雪解けのスピードも速まっていた。

 十日の干潮は昼過ぎの予想。昨日の雪が午後早々になくなっていれば、クリーンアップは実施できた可能性がある。もともとこの日は空けてあった訳だから、何もしないよりは出かけた方がいい。千歳は最低限のグッズを持って、干潟に向かうことにした。
 グランドコンディションはいいとは言えないが、思っていた程グジャグジャということもなく、脇道についても同じ。見た目は明らかな泥道なのだが、足を取られることもさほどなく、その適度なぬかるみが心地良いくらいである。
 最高気温は十度。実に昨日の倍だとか。そのせいか、干潟一面にすでに雪はなく、奥まったところに若干の残雪を見るばかり。雪がないということはこれ即ち、
 「ハハ、どうしたものか...」
 となるのも無理はない状態。先週、下見というか予備調査はしてあるので、覚悟はできていたつもりだが、現物を目の当たりにすると、少なからず萎(な)えてしまうものである。
 「一人静かに、か...」 清の格言を思い起こしつつ、千歳は気持ちを入れ直す。そして一歩一歩、慎重に斜面を下っていく。何はともあれ、お天気だし、小春日和といってもいいくらいである。返す返すも、順延にしてしまったことが惜しまれるが、今日のところは原点回帰と思えばいい。まずは目に付く大物から、いやたまにはペットボトルをポイポイやるのもいいだろう。いやいや、あの袋ゴミが邪魔だ... 着手してるんだかそうでないんだか、とにかく腰を屈めたその時である。後方から聞き覚えのある声がした。
 「あわわ...」
 「?」
 振り返れば、辛うじて着地に成功した女性が一人立っている。
 「千歳さん、こんちはっ!」
 「って、櫻さん、どうして?」
 「それはこっちのセリフ。昨日、長丁場だったんだから、ゆっくり休んでればいいのに」
 「本当は櫻さんとデートしたかったけど、お疲れだろうな、って遠慮してたんだ。ま、とりあえず、こっち来て正解」
 「はいはい、そりゃどうも。それにしても、二月だってのに相変わらずね」

 かくして四月以来となる「千と櫻のゴミ調べ」が、執り行われることとなる。一人より二人とはよく言ったもので、千歳は俄然ペースが良くなる。ひととおりの撮影を終えると、まずは障害物の除去から取り掛かる。何故かバスケットボール大のブイの如き一物が転がっていたが、とっとと陸方向にシュート。あとはシート類から板材から、じゃまっけなのをテキパキと運び出す。櫻は、いつものようにポイポイ作戦を始めるが、干潟面に放るのは止め、河川事務所が切り拓いたルートの上方に放り上げている。この時期、ヨシが陸地を塞ぐこともないので、最初から陸揚げが可能なのである。千歳はその手際の良さに感心しつつも、手を止めることはしない。当地常設となったプラスチックカゴの中に、放り投げるのに向かない容器包装系なんかを次々と収容しては、陸地でガサガサ。十二月の回で文花が始めて、先月は蒼葉が引き継いだ。そして今回は千歳。プラカゴは見事にリユースされている。
 体が温まってきたところで、小休止。干潟奥の残雪ももう判別つかなくなっている。
 「まだ雪って残ってるんじゃないかって思ったのに...」
 「午前中は潮が満ちてたはずだから、川の水で解けちゃったんだよ、きっと」
 「そっかぁ。でももし満潮時に氷点下になったら、どうなっちゃうんだろ?」
 「ゴミごと氷結?」
 「そしたら、一気に運べちゃうかも」
 「まさか。全部が全部氷漬けにはならないでしょ」
 「ハハ、せっかく暖かくなったのに。何だか寒くなってきちゃった」
 干潟deデートというのはアリかも知れないが、さすがにこのタイミングで体を寄せ合って、なんてことはしない。
 「一応、耐寒クリーンアップですもんね。我慢しなきゃ」
 千歳としては、体感の方を取りたかったようではあるが、さ、続き続き!

 雪に埋もれていたせいか、硬めのプラスチック片は何となく脆(もろ)くなっていて、容器包装プラに至っては、ゴワゴワである。二人が合流して三十分ほどが経ち、今は品評しながらカウント作業に入ったところ。言うまでもなく、ケータイを持っていないのはお互い様なので、櫻が念のため用意してきたデータカードに手書きしていくことになる。思えば、五月はこのスタイルだった。
 「全然出番がなかった訳じゃないけど、何か懐かしい感じ」
 「櫻さんのいいものシリーズ第一弾だもんね」
 「いいもの、か...あっ、そうだ思い出した!」
 急遽、作業は中断。彼女は彼氏に小声で話しかける。
 「蒼葉が言うには、ちゃんと千歳さんには伝えてあるからって、そのぉ...」
 「あ、そうそう蒼葉さんから。えぇ何でも十五日は空けとくように、って」
 「十四日から十五日にかけて、ってことなんだけど、いいかなぁ?」
 「とりあえず、櫻さんにお任せします」
 「よかった。ちなみに十四日は、ちょっと加算して二十万点記念日ってことにしてありますんで。いいもの、もあるし。フフ」
 櫻の一日一千がまだまだ続いていたことが、千歳にはビックリだった。だが、それ以上のビックリがその日には仕組まれている。

 「えっと、硬いプラスチックが十九、プラスチック・袋片が六十八、これが今日のワーストかぁ。小っちゃい袋が三十四、容器包装系が二十一、フタ・キャップは三十... あれ、インク切れ?」
 再生プラ製のボールペンは、決して粗悪品ではないのだが、それなりに使い込んでいたらしく、インクの出が悪くなっていた。相方は、軍手、ゴミ袋、デジカメは持って来ていたが、筆記具は不所持。
 「漂着ボールペンって、なかったっけ?」
 「書ければいいけど」
 思わぬアクシデントには、思わぬ客人というのがつきもののようである。川伝いに現われたのは、この女性。
 「あーら、お二人さん、今日も仲良くゴミ調べ?」
 「あ、おば様。ちょうどよかった、何か書くものお持ちですか?」
 「えぇ、先月頂戴したのが...」
 懐中時計ならぬ、懐中ボールペンが出てきたが、どこかで見覚えのある一品だったりする。
 「緑さん、それってもしかして」
 「貴方、持ってっていいって仰ったから。なかなか書き心地よくてよ」
 「ハハ、そりゃよかった。いえ、昨日も見本品広げて見せたんですけど、ボールペンなかったから、あれ?って」
 「これで続きが書けます。ありがとうございます」
 「て、御礼云われてもねぇ。ま、漂着物も捨てたもんじゃないってことね」

 残る集計結果は、発泡スチロール片/二十九、ペットボトル/四十五、ビン/十九、吸殻/十六、漂着ライター/十二、木片/十一など。十に満たない細々した品目も多岐に亘り、何と先月よりも総数は多いことがわかってしまった。
 「これであの枯れ枝をどかしたら、もっととんでもないことになる?」
 「そうだね、残念ながらリセットとは行かなかったけど、今日はちょっとね」

(参考情報→2008年2月上旬の漂着ゴミ(その1)

 仕分けされたゴミだけですでに手一杯。これらをとにかく袋詰めしないといけない訳だが、その前に再資源化系の処置が立ちはだかる。
 「で、今日はどうなさるの?」
 「洗って乾かしてって、冬場だとツライですよね。どうしよ...」
 「じゃ、これを使いなさいな」
 緑は、現場検証シーンとかで出てきそうなフィット感のあるゴム手袋を取り出す。
 「素手じゃ拾えないものもいろいろあってね」
 「現物を手にとって、それを作品にってことですか?」 千歳はわかったようなそうでないような聞き方をする。
 「軍手だと感触が得にくいもんで。ま、仕事柄って言うか、しっかり描写しないといけないから。オホホ」
 櫻が洗い場に向かったところで、緑は補足説明する。
 「例えば、鳥の骨格とか、こないだなんかオトナのオモチャが落ちてたわ。素手じゃ何ざましょ?」
 「それをあの手袋で?」
 「ホホ、内緒内緒」
 オトナのオモチャっていったい? モノによっちゃ、あらぬものが付着してたりするんじゃないのか。
 「河原で何やってんだかって思ったけど、作品のインスピレーションとしては良かったワ。一人か二人か、はたまた...」
 これ以上はやめておいた方が良さそうだ。千歳は絶句したまま、である。

(参考情報→2008年2月上旬の漂着ゴミ(その2)

 「今日はハレ女の面目躍如。あとはお天道様に任せて、と」
 「じゃあ、おばさんはまた探検に出るとするわね」
 「ほんと、助かりました。あ、ボールペンも」
 緑は半乾きのゴム手袋をはめると、引き続き川伝いに歩いて行った。今度は何を手に取るおつもりだろうか。女流作家の後姿を見送りつつ、千歳は唸る。「作家さん自身がミステリー? ムム」

 食品トレイ数点、ペットボトル十数本、そして新たに取り扱いを始めた廃プラを三十枚前後、これらを二人して商業施設の回収スポットに持って行くことが決まる。ビンと缶については可燃や不燃ともども、ひとまず詰所脇に置き、別途、千歳が持ち帰るということにした。二月のクリーンアップは、これにて終了? いや、今回の調査結果をhigata@で共有しないことには終われない。
 「ケータイ版DUOのありがたさ、か」
 「PC版だってあるじゃない?」
 「ハハ、そうでした」
 「立ち会っちゃおっかな...」
 ティータイムも何もあったものではない。商業施設からはトンボ帰り。三時には送迎バスに揺られる二人である。ビンと缶は小春の陽射しを浴びていたまではよかったが、引き取り手が現われないとなれば事態は暗転。薄暗い中、寒風にさらされることになる。

 やりとりが一段落した頃、文花から「Happy Valentine!」メールが発信された。櫻に相談した結果かどうかはいざ知らず、この一件には義理も本命もなく、バレンタインギフト用の代金をチャリティーに回す云々とのおことわりが述べられていた。higata@にわざわざ書いてよこすものでもない気はするが、これは彼女なりに気を遣ってのこと。かくして業平は拍子抜け。弥生は嬉々となる。 バレンタインデー当夜、直接行動に出ている弥生にアドバンテージが付されそうだが、どうなんだろう? 否、文花は南実以上に策士であることを忘れてはいけない。週末、何かが起こりそうな予感...。