2007年10月23日火曜日

12. 夏至の夜は長く


 「それにしても、この青色、不思議ねぇ」 蒼葉が拾ってきたチューブは、櫻から文花の手に渡ったが、ひと調べするのに多少時間がかかったようで、金曜日になってようやくこの一言。
 「と、言いますと?」
 「これ、低濃度CODを測るパックテストなんだけど、緑がかった青にはなっても、こんな群青色みたいにはならないんだとかって」
 「化学的酸素要求量でしたっけ。化け学だけに、中で突然変異が起こったとか?」
 「パックテストを使った一斉調査が三日にあったから、その関係だとは思うけど、それでもそんなに日数経ってないしねぇ」
 時間経過で変色する可能性はある。それにしても腑に落ちない、ということのようだ。だが、櫻としてはその標本色の真贋の程よりも、「せっかくの調査も、調査用品がゴミになってしまってはいただけないですね」という思いの方が強かった。
 「ちょっと取扱が難しいから、うっかり落としちゃうこともあるんでしょ。このチューブの素材を生分解性にすれば、そういううっかりも少しは救われるかも知れないけど」
 何はともあれ、女性画家さんの作品に力を与えるきっかけにはなったんだから、良しとしたいところである。文花は証拠写真を撮ってから、パックテストの穴を塞ぐ。「じゃ、可燃ゴミに出しとくね」と席を立つ。そこへ現われた一人の男性客。「あ、いらっしゃいませ!」
 アシスタント(?)の八広(やつひろ)君には足を運ばせておいて、自身は今日が初来場。約束の午後六時にはちょっと早かったが、隅田千歳君、センターにお出ましである。
 ヒラヒラが目立つボリュームワンピースに透かし柄のニットという、フェミニンな着こなしのチーフにまず目が行き、櫻への挨拶がひと呼吸遅れる。「こんにちは、というか今晩は、というか、とにかく来ました。よろしくお願いします」 早々に舞い上がっている。データベース作業、大丈夫なんだろか。
 「隅田さんですね。矢ノ倉文花です。今日はわざわざすみません」 濃青のチューブを持ったまま、名刺を差し出す。千歳もマイバッグをガサゴソやって、一枚取り出し、
 「初めまして。櫻さんからいろいろ聞いてます。情報源チーフだって」
 「あら、そんな...」 櫻はカウンターで立ったまま、ちょっと拍子抜け。「じゃ、隅田様、こちらへ」 えらく慇懃(いんぎん)な口調で案内する。
 文花に会釈してから、開架式の棚のある方へ。情報閲覧用のノートPCを置いた円卓にはイスが複数あって、簡単な打合せができるようになっている。「櫻さん、挨拶し損なっちゃって、すみません。見違えちゃったもので」 文花の格好にもドキリとしたが、それ以上に櫻の服装の方がインパクト大だったのは言うまでもない。クリーンアップ向きのジーンズ+長袖シャツではなく、濃紺のカットソーに白のロングスカート。髪を部分的に束ねているのがこれまで見慣れている櫻だが、今日は束ねることなく、肩までかかるシャギー風。
 「え、私、普段はこうなんですよ」 毎度の如く、表情が急変する櫻嬢。すっかりにこやかになった。千歳君もその辺のご機嫌加減がわかってきたのか、本心が出やすくなったのか、照れ笑いは相変わらずだが、セリフ回しが上手くなったのは確かである。櫻の普段着は実はもうちょっとラフ。千歳が来るのに備え、蒼葉のアドバイスを受けつつ、グレードを上げていたのだが、「今日はおめかししました」とはあえて言わなかった。セリフ回しに関してはまだまだ櫻の方が上手らしい。
 文花は、自家製野菜を洗い場でひと洗いして、マイ包丁でザクザクやっている。その間、円卓の二人は、PC画面を見ながら早速打合せ中。
 「なるほど、確かにテーブルはできてますね。でも...」 データベースソフトを開いて、関係団体の名簿に当たる基礎情報をチェックする。元になるデータはあるものの、住所の表記がマチマチだったり、団体名に法人格の名称が入っていたりいなかったり、このままではソフトの機能を使いこなせないことを彼はまず見抜く。
 「団体情報が出ているホームページから引っ張ってきたり、表計算ソフトで入れ込んでたものを無理やりインポートしたもので」
 「じゃ、バックアップとってから加工してみますね」
 櫻が目をパチクリさせている間、千歳は適度に解説を交えつつ、ソフト特有の機能を使って混在しているデータを切り分けていく。
 「これで住所部分は、都道府県とそれ以外に分かれました」
 次の十分程で、財団・社団・NPO法人などの法人格の部分を分離。基礎情報の形は整った。ニンジンとキュウリをスティック状にして、冷蔵庫に入れ終えた文花がここで同席。
 「基礎情報はこのテーブルでメンテします。あとは、その団体がどんな情報を持っているか、のテーブルを別に作ります」
 「そっか、一つのテーブルに全てを入れる必要はないんだ」
 文花という名前の割には何故か理系のチーフは、早くも構造的に理解したようで、テーブルとテーブルをリンクさせれば済むことを悟る。こうなると話は早い。
 各団体がどんな情報媒体を持っていて、どんなトピックや催事情報を載せているか、これをメンテするためのフォームを作り出す千歳。櫻も食い入るように画面を見つめつつ、時に「この項目はプルダウンで選べるとうれしいかも」と注文を入れるようになっていた。機転が利くという彼女の本分もあるが、これはやはり具体的に「こうしたい」というのがハッキリしている故だろう。団体名がうまく表示できるようになったので、「で、この名前をプルダウン項目として引用すれば、団体名を選んでから入力できるようになります。一から団体名を入れなくて済むから、それだけでも速くなるでしょう」 データ入力画面の団体名の枠の▼をクリックすると、基礎情報の中でメンテしておいた各団体の名称が一覧表示で出るようになった。
 「データベースソフトって、こういう使い方ができたのね」 文花はこれで十分といった口調で感心中。だが、櫻はなおも追加コマンドを申し入れる。「じゃ、あとは検索ボタンと印刷ボタンをお願いします」 デザイン画面を二人で指差しながら、マンツーマン状態のご両人。チーフは微笑ましいやら、羨ましいやらの心境で、帰り支度を始める。
 「データの入力がひと区切りついたら、団体の基礎情報とそのトピック情報なんかを連結させて、一つの表なりデータシートにすればいい訳です」 千歳君の実践講座、小一時間で終了。即効性のあるものをその場で作り込んでしまう技量、大したものである。
 「それじゃあとはその連結させたものをエクスポートして、webに?」
 「そうですね。しばらくはそれで試してみて、いずれは逆にメンテはwebで、ってのもいいかも知れません。その辺りのプログラミングは僕にはできませんが」
 「とにかく今回はこれでメドが立ちました。ありがとうございましたっ♪」
 そこへ「櫻さん!」 チーフが呼んでいる。
 「じゃ、この野菜スティックと、あと会議費でピザでもとって」
 「あ、それはどうも。じゃ、ちょっと」
 円卓に戻る櫻。
 「千歳さん、苦手な食べ物ってあります?」
 「いえ、特に。飴がダメなくらいです」
 「飴ですか? まぁいいや、では!」

 「ねぇ文花さん、得意のケータイで注文してくださいよ。ケータリング専用ケータイでしょ?」
 「まぁ私の場合、通話用よりも情報操作用だからね。で、隅田さん、大丈夫って?」
 「この半分ずつ組み合わせられるのがいいかも」
 「はいはい」
 意外とちゃっかりしている櫻。割と気前のいい文花。この二人の組み合わせもなかなかである。文花はキャンペーンとやらでおまけで付いてくるアイスもしっかりオーダーに組み入れていた。こういうお節介(?)は大歓迎である。
 「それにしても、イイ人見つけたわねぇ、櫻さん♪」
 「エッ? いやそんな、ハハハ」
 ここで下手に、まだちゃんと交際している訳じゃないとか言おうものなら、何をしてくれるかわからないので、言葉を濁して交わす櫻。うまくごまかせたかどうか。
 「じゃ隅田さん、ごゆっくり。またよろしくお願いします」と目配せして去っていくチーフ。午後七時過ぎ。変則シフトでのご帰宅である。夏至とは云え、さすがに暗くなってきた。窓の外、夜の帳(とばり)の色合いが櫻の濃紺に重なる。

 二人になったところで、いつになくドギマギする千歳君。「今日まだお時間ありますか?」という櫻の一言で、益々緊張が高まる。声が震えがち。
 「え、えぇ、ローソクの謎も知りたいし」
 「フフ。そうなんですよ、ローソク... まぁ今日はキャンドルですね」
 千歳はまだ当惑気味。そんな千歳を見て、悦に入る櫻。めかしこんでいる分、余計に小悪魔みたいに映る。「そうだ、コーヒー淹(い)れますね」 席を立ったその時、千歳にとってはサプライズなゲストが登場。学生さん? ボレロ、チュニック、デニムパンツ、若くてチャーミングな感じの女性が駆け込むように入ってきた。
 「あ、弥生ちゃん、いらっしゃいませ!」
 「只今参上! ちょっと遅くなっちゃったけど」
 ドギマギが収まらないうちにこのサプライズ。千歳はノートPCの前で固まっている。
 「千さんですよね。初めまして!」
 「ハハ。よくご存じで。あなたはもしかして...」
 「桑川弥生です。設計仕様書、ありがとうございました」
 「五月六日に話が進んでたっていうのを聞いて、ビックリしましたよ。何かビビッと来たとか」
 「アンテナ高いもんで。キャッチし過ぎて困ることもありますが」
 才気煥発というか、お若くも頼もしい人人材が現われたものである。不意に漂着モノログがツッコミを受ける展開になり、今度はタジタジな千歳君。ブログにしては更新頻度が少ない、コメントスパム防止策をとって投稿を受け付けるようにすべき、などなど。内心冷や汗状況のところへ小悪魔さんがコーヒーポットを持って戻って来た。
「弥生ちゃん、千歳さんまで口撃対象にしちゃって」
「だって、こういう話できる人、少ないんだもん」
 ひとまずツッコミはここで収まった。櫻が救いの女神に見える千歳だった。
 「で、桑川さんには、例のケータイ画面の件でお越しいただきました」
 まだ開館時間中とはいえ、お客が来るでもないだろうから、このまま二人でどう過ごしたらいいものか、と思案していた彼は、ホッとするやら、肩透かしにあったような、の態。心中察するに余りある。だが、このタイミングで一席セットするあたり、さすがは櫻である。マネージャーは気を取り直して一言、
 「次回、デモができればと思ってるんですけど」
 「えぇ、今日はデモに備えて、データをストックする先のwebサーバの設定を、と思って」
 千歳が持っているドメインの中に、ディレクトリを分けて、弥生が入れるようにFTP設定することにした。
 「通常のCGIは動きますから」
 「了解。あとはサイトのアドレスですね。例の/wreckage/にしますか?」
 「テスト用だったら、多少ヘンテコなのでもいいと思うけど」
 櫻は先を見越したようで、
 「ま、国際的なデータカードを画面化したってことなら、英語名の方がいいかもね」
 コーヒーを啜る。カフェめし店のと似ているがより深みがある感じ。フェアトレード系のコーヒー豆をブレンドしたものだそうな。
 「文花さんのオススメです。淹れ方もいろいろ指導を受けまして」 飲み方も一言あるようで、ブラックで飲むのがベストだとか。だが、三人そろって何も入れない派だったので、先刻からしっかりベストな状態を堪能している。
 「ブラックと言えば、今日はブラックイルミネーションデーとかって?」
 「そうそう、東京タワーも単に消灯するだけなのに、逆説的な言い回しして」
 千歳は薄々とキャンドルの意味がわかってきた気がした。夏至に消灯って、聞いたことがある。
 「消灯じゃないけど、今日は架線事故で午前中電車停まっちゃって、とんだ災難でしたよ」
 「架線? 河川?」 千歳はとぼけたようなことを聞く。
 「さいたま新都心あたりで、架線が溶けて切れちゃって、停電ですって。埼京線も煽りを受けて、遅れる遅れる。講義に遅刻しちゃいました」
 「そんなに大停電だったんだ」 櫻は驚いた様子。弥生は飄々と「夜になってからの事故だったら、今日はキャンドルナイトってことで済んだかもね」 何ともシュールなジョークである。笑いごとではないが、一理ある。
 「ブラックジョーク、か」 千歳がポツリ。櫻と弥生は笑いをこらえている。「千さん、1,000点!」 弥生は自分が発した一言がまた可笑しかったようで、しばらくククとやっている。「笑ったらお腹空いちゃったぁ」
 十九時四十五分、宅配ピザが到着。「え、アイスも?」 ミニカップはちゃんと三つある。さすがチーフである。Mサイズながら、三人で食べるにはちょうどいい大きさの半々ピザが届いた。
 「シーフード系とこっちは野菜たっぷりversionね」
 「わぁ、美味しそう。ラッキー!」
 「千歳さんには本当は謝金をお渡ししなきゃいけないんでしょうけど、今日はこれでいいですか?」
 「あ、そんな謝金だなんて。逆にこんなご馳走してもらっちゃって」
 何とも低姿勢な千歳君。弥生は謝金が引っかかっている様子。
 「千さん、何かお仕事されたんですか?」
 データベースソフトで加工した連結データをwebに載せる話、その後はwebでデータ入力・加工して、そのまま掲載する仕掛けにしたいこと、などを説明。
 「そうか桑川さんなら、プログラム作れるんだ」
 「規模が大きくなるかも知れませんね。まぁ、謝金次第ですが... 何ちゃって」
 櫻はセンターのドアを閉め、「キャンドルナイト実施中(20:00~)」という簡素な表札を貼り出しに行った。コーヒーの残りを注いで、円卓の中央に細長いキャンドルを一つ立てる。センターの非常用の備品のようだが、まぁ使い切る訳ではないので、OKなんだろう。
 「千歳さん、キャンドルは?」
 「こんなので良かった?」 それは蜜蝋でできたキャンドルだった。二千年問題に備えて、非常用として買ったものだが、どこかの環境イベントの出店で見つけた一品、というのが彼らしい。めでたく点灯デビューである。

(参考情報→キャンドルナイト

 「あと、そうだ。暗くする前に...」 ノートPCのディスクトレーを開ける櫻。「これ、かけますね」
 多少冷めても味わいのあるコーヒーと、熱々のピザ、それに歯ごたえのある棒状の野菜。長さの違う二本のキャンドルの灯りを囲んで、三人で静かに語らう。「このスティックも美味しい」「自家製有機農法だそうだから」「へぇ、文花さんがねぇ」 卓上ではピアノとストリングスを中心にした心地良い楽曲が流れ、キャンドルの炎を揺らす。何とも趣深い夏至の夜である。ピザというのは概して手元や口元がペタペタになるので、明るい中で食すると品行が露わになってしまい、特に出逢って間もない男女がシェアするには不向きなメニューとされていたりする。だが、今日は暗い中なので関係なし。強いて苦言を呈するなら、オニオンとイカが同じように白光りして得体が知れないことくらいか。自分で何を食べているのかが近づけてみないとわからないところがキャンドルナイトの楽しみの一つとも言える。
 「ところで私、二人の間にいるんですけど、いいんですか?」 ピザをいち早く食べ終えた弥生は二人をからかうように質問する。
 「大人をからかうんじゃなーいの」 櫻は妹をたしなめるような調子で一言呟いて、アイスを取りに行った。
 「え、千さん、櫻さんて彼女でしょ?」
 思わず吹き出しかけて、キャンドルライトを消しそうになった。何でそういう話に? 「蒼葉ちゃんがそんなようなこと言うから」 炎を前にしながら、冷や汗が出てくる千歳君。
 「ま、蒼葉さんには今度ちゃんと言っておくから、また彼女に聞いてみて」
 「はぁ」
 櫻は呆れたような、でもどことなく愉快そうな顔をして、ミニカップを並べていく。
 「お好きなのどーぞ!」
 「レディファーストでお二人から」
 「弥生ちゃんは罰として、苦いヤツね」 眼鏡に炎が反射して、ちとコワイ。でも、今夜の櫻はいつもと感じが違う。つい見とれる千歳。
 弥生には抹茶、櫻はアズキ、千歳には、
 「千歳さん、これでいいですか?」 ハッとする彼、見つめる彼女。カスタードだった。「やったぁ」 どうやら彼の好物だったらしい。櫻は嬉しそう。弥生は抹茶味を舌に塗り込めながら「やっぱりこの二人、そういう関係じゃん」と思うしかなかった。大人の味とはこういうものか。
 CDはランダムでかけていて、三十分経ったところで、櫻が暗譜した曲になった。弥生はおとなしく耳を傾けている。「では、本日のキャンドルナイトはこれにて終了」
 「Soar Away」を聴き終えたところで、お開きとなった。
 蛍光灯が眩しい。スイッチを入れて戻って来た櫻だったが、小娘さんがすかさず、
 「櫻さん、口紅はみ出てる!」 ここでの口紅とはつまり、ピザソースのことである。
 「え、ヤダ」 洗い場に走って行く。滑稽ではあるが、エレガントな櫻嬢。弥生も親しみを込めてツッコミを入れているのがわかる。
 引き際を弁えている弥生嬢はひと足先に帰途に。今度は本当に照明を落として、施錠する櫻。千歳は先に下りて、建物入口で待っている。センターは二階、一階は図書館。図書館も閉館時間になったようで、一部を残して灯りは消えている。
 今回は二人とも自転車。帰る方向は真逆なので、建物を出るとすぐに手を振らないといけない。
 「じゃ、千歳さん、これお返しします。いろいろとありがとうございました」
 「いえいえ、楽しい時間を過ごさせてもらいました。こちらこそ感謝×2です」
 櫻は何か言い足りなさそうだったが、「じゃまた!」とさっさとペダルを踏んで街灯の列の向こうに消えてしまった。彼は「ま、次は七月一日。一週間ちょっとか」とサバサバした面持ちで、橋の方向へゆっくりこぎ出す。CDはご丁寧に小さな袋に入れられている。ちょっとしたメッセージと一緒に。

 六月三日に撮らせてもらった櫻の写真は、しっかりプリントアウトしてあって、今日渡すつもりだったのだが、舞い上がっていたせいか、失念してしまった。ま、またメールする時にでも、備忘を兼ねて一筆入れておくとするか、と思い直し、袋からCDを取り出す。名刺サイズのメッセージカードが一片、滑ってきた。「おぉ!」
 「またいらしてくださいね。スタッフ一同(?) 心よりお待ち申し上げております。ところで、七月七日は七夕ですが、川の日でもあります。千歳さん、当日のご予定は? さくら」との走り書き。千歳が外で待っている間に書いたのだろうか、筆跡が生々しい感じ。前半は櫻流の社交辞令だが、後半は? 櫻の想いの一端を感じずにはいられない千歳だった。何となく紅潮しているのが自分でもわかる。まだキャンドルに照らされているかのようである。「七日、何時にどこにしたものか...」 いつしか心の中では笹の葉が想起され、音を立て始めた。想いがサラサラと移ろっていく。

 「櫻姉、遅いじゃん!」 一人キャンドルナイトを実践中だった蒼葉は、退屈しきった声で姉の帰り端に一言浴びせた。濃いめの茶髪がキャンドルに灯されて金色に見える。妹ながら、つい溜息が出てしまう。「へへ、ちょっとね。あ、このキャンドルも使う?」 千歳に要否を確認しそびれてしまった一本を差し出す。姉妹で銘々ローソクを立て、見張り番をすることにした。終了予定の二十二時まであと二十分。
 「蒼葉はいつからキャンドルとにらめっこしてたの?」
 「九時からだけど。本当は真っ暗にしておいて、姉さんが帰ってきたら灯して驚かそうと思ったんだけどね」
 キャンドルナイトの違う愉しみ方を知っている妹君。でもそれじゃ、夏を涼むためのどこかのアトラクションである。苦笑いしつつも、言葉少なの姉君。「そう言えば、千さんに掃部先生の話、しそびれちゃったなぁ。でもきっとメールが来るだろうから、その時でいいか」 そんなことを心で呟いて、また薄笑い。
 「櫻姉? 大丈夫?」 今日の出来事を聞きたくて仕方ない蒼葉だったが、ノロけられてもフォローできないから、控えることにした。「まぁ、いずれ自分から話してくれるでしょ」 よく出来た妹である。
 「隅田さんのこと気になるのわかる気がする。私が聞いてもいいけど、南実ちゃんだったら自分で聞けるでしょ?」 ケータリング注文用ケータイで、珍しくメール機能を使っている矢ノ倉さん。帰りの電車内での一コマである。南実にしては仕掛けが遅い観もあるが、遠回しながら確実な線を狙って、情報屋の先輩に探りを入れてもらった、という訳である。文花は千歳と面会してから返信するつもりだったので、夏至当夜になってようやくの一報。二十二日に向けて日は伸びていったが、人の気も長くなるかというと、そうでもない。南実はきっとシビレを切らしていただろう。その辺を見越した上で、あえて短文メールを打ってはぐらかす。後輩思い(?)でもあるチーフである。