2008年5月27日火曜日

49. くりすます近づく


 冬至当日。巷では三連休の初日だが、センターは開館日。天気が今ひとつパッとしないのは、この姉さんの仕業だろうか。午後三時、階下からザワザワと声が聞こえてくる。
 「ちわっス! 皆、元気ぃ?」
 「いらっしゃい。雨女さん、と八宝さん。あ、小梅さん...」
 「ヘヘ、今日から冬休み。塾お休みだし、遊びに、いや勉強しに。そしたら、偶然お二人と」
 「勉強? 冬休みの宿題とか?」
 「それは明日から。今日はマップ関係の情報を、と思って」
 「それはそれは。じゃ、情報担当の隅田クン、お願い」
 「はい、先輩。ではお嬢様、こちらへ」
 千歳は小梅を円卓に案内すると、いきなりweb講習スタイルに持ち込む。グリーンマップ関係の情報は紙媒体もなくはないが、全国や各国での実例をすぐに呼び出すにはやはりインターネットに限る。しかし、どうも様子がおかしい。
 「ところで小梅さま、僕のどこがいいって、櫻さんから聞いた話、まだ覚えてる?」
 「エ? まだ聞いてなかったんですかぁ? 本当にスローだ」
 「一つは聞いたけど、あとはお得意の笑顔で誤魔化されちゃって」
 「そのスローなところと、一緒に居ると和むところ... あ、言っちゃった」
 検索サイトをパタパタやっていた千歳の早手が止まる。小梅は舌を出しつつ、カウンターを見遣る。当の櫻さんはにこやかながらも、クリスマスの飾り付けがどうのこうのと舞恵と議論しているところ。
 「そっかぁ、そしたら和ませて差し上げないと...」
 「大丈夫ですよ。そのままで。櫻さん、千兄さんと居る時、いつも楽しそうだもん」
 「クーッ、グッと来るねぇ」
 今日のこの「クーッ」は過去二回のとは違う。兎にも角にも、小梅にはやられ放しの千兄であることには変わりない。
 「あ、スローマップだって。いつの間に作ったんですか?」
 「はぁ、函館かぁ。僕にピッタリ?」
 PCに向かってるのにスローな千歳というのも珍しい。

 ハコダテが出てきたところで、ハコモノ論好きなハコ入り娘さんと八クンはと言うと、
 「で、法人名はどんな感じになりそうスか?」
 「何となく絞ってはみてるんだけどね...」
 文花は得意のマーカーでボードに候補名を書き並べていく。いきいき地域、エコミュニケーション、環境ソリューション、地域元気、さらには、Area Social Responsibilityなんてのまで出てきた。
 「これと組み合わせる下の名称は、協会、ネットワーク、プラットフォーム、あとプランニングとか」
 「プランニング... 計画にしちゃってもいいんじゃないスか。例えば、地域元気計画、略称は『地元』」
 「NPO法人 地元? ちょっとなぁ。ちなみにセンセは『NPO法人 五カン』なんてどうだ、とか仰ってたけど、それもねぇ」
 「自分だったら、やっぱ『現場』とか『場力(ばぢから)』とか入れちゃうかも、です」
 「『場』と来たか。ルフロンにbaクンて云われてるだけのことはあるわ」
 「baは八なんスけどね、そう言われてみると確かに相通じるものが」
 こんな状況なので、年内の決定は難しそうだ。どっちにしても名称募集は仕事納めの日まで。正式決定は次回の理事会で、となる。

 「で、監事の件なんですけどね」
 舞恵は早速、候補者リストを持って来ていた。都合三名。
 「どの方もいつでもOKって感じなの?」
 「別に非常勤とかで入ってもらう訳じゃないですよね。監査とか会合とかに出てくる分にはどなたも平気でしょう」
 「すると、後は地元通とか、市民活動に理解があるとか、かぁ」
 「会ってお話されますよね。年明けたら都合に応じて連れてくるようにしますワ」
 銀行としても社会貢献に力を入れつつある分、話が通りやすくなっているようだ。舞恵の一存でそこまで可能というのが俄かには信じ難い事務局長。だが、それにはちょっとした裏話があったりする。一つお楽しみである。

 帰り際、ルフロンは再び櫻に絡んでいる。
 「だから、エコなX’masてのをここで提案すりゃいいんよ」
 「図書館てゆーか、当建物を代表して一階のロビーにツリーがちゃんとあったでしょ。センターはいいのよ。LEDだってチカチカやればそれだけ電気も食うんだし」
 「ブログに出てたじゃん。その何とか装置で油取って、発電すりゃあさ」
 やっぱりお飾りが好きなルフロンは、このシーズンを措(お)いて他にいつ当所をデコるのか、という論調。対する櫻は、エコを発信する施設だからこそあえてシンプルに、という路線を譲らない。エコとデコ、果たして調和し得るのか。
 「まぁまぁ、二人とも。お客さんが笑ってるわよ」
 円卓脇では八兄と千兄が明後日の予定だか何だかを話し合っているが、それはスルー。カウンターでの応酬に聞き耳を立てていた小梅は、検索を中断してクスクスやっている。
 「しょうがないなぁ。これならいいでしょ」
 ボードを反転させると、カラーマーカーで以って器用に一本の小振りな木を描き出す。都合よく・黒と各色揃っているので、デコも容易。大きめの赤リボンが利いている。ツリーを中心にクリスマス装飾風のイラストが散りばめられると、忽ちそれらしいムードになるから不思議だ。立体ではないが、これは快作。
 「あとはアルファベットを並べれば完成です。じゃ、さっきモメてたお姉さん達、どーぞ」
 櫻がMERRYと書いたまでは良かったが、舞恵は何を思ったか、
 「くりすます、と」
 「ちょっと、アルファベットって、イラストレーターさんご指定だったのに」
 「この方がカワイイじゃん」
 「それじゃ何か、クリがおすまししてるみたい」
 仲直りになったんだか、そうでないんだかよくわからないが、即席イラストのおかげで場が和んだことには違いない。小梅は「くり」のところに、すまし顔の栗を付け足して、さらなる笑いを誘う。
 一年で最も短い日が沈みつつあったが、雨雲に隠れていてはわからない。ただ、日没時刻になったことは認識できたので、三時からの来客の動きがあわただしくなる。
 「んじゃ、初姉んとこ行って来るし」
 「あ、よろしくお伝えくださいまし。小梅さんは、どちらへ?」
 「一緒に行きます。英会話、面白そうだし」
 「そっか。でもその先生が『くりすます』なんて書いてんだから、思いやられるワ」
 「フン。ほんとはHappy Holidayでいいんよ。櫻姉が先にMERRYなんて書いちゃうから」
 「Holiday? そりゃ当館は明日から休みだけど。クリスマス当日はホリデーじゃないもん。おあいにく様」
 「ま、いいや。続きはまた明日ネ」
 「はいはい。クルクルくりくりルフロンさん」
 漫談になりそうでならないのがこの二人の掛け合いの特徴。仲が良いことの裏返しであることは皆わかっているので、誰も止めたりはしない。それにしても、クルクルにくりくりとはまた言ってくれたものである。これでリズム合わせ中に、ビックリはまだしもギックリとかがあったら笑えないが。

* * * * *

 日頃の行いが善いせいか、午後になったら晴れてきた。だが、せっかくの好天もスタジオ入りしてる間は関係なし。十四時から十七時までの三時間で、四曲は最低通してみよう、というから欲張りなようなそうでないような。取り急ぎ、まずは楽曲データを流してみる。ここでの仕切りは勿論、Mr. Go Hey!!
 「一、二曲目は千ちゃん作曲、三、四曲目は不肖業平の作です。全面的に編曲などもしてますが、業平作については弥生嬢のアレンジが一部入っております」
 「へへ、恥ずかしながら。すでにお聴きいただいてるとは思いますが」
 「まずは音がちゃんと出ないことには...」
 いつもなら、ここらでツッコミが入るところだが、今日は控えめな弥生嬢である。
 タイトルが決まっているのは一曲目の『届けたい・・・』のみ。二曲目は八広の詞が付いたところまでは行ったが無題。業平作曲分は、一応流域環境なんかをモチーフにはしているが、詞も題もまだ。てな訳でとにかく音合わせが優先ということになり、今日の日を迎えた十人である。楽器を持って来ているのは、千歳(G(guitar))、弥生(B(bass))、舞恵(一部軽量のPerc(パーカッション))程度。小道具関係で言えば、八広のスティック、業平のハイスペックノートPCといったところ。冬木はピック、南実はリードを隠し持ってたりするが、どうやら必要に応じて、ということらしい。鍵盤楽器はスタジオ常設なので、櫻はその手の持ち物はなし。蒼葉と文花はオーディエンス役ということになる。
 櫻はすぐにでも合わせられるのだが、やはりおとなしく口ずさむ程度。リズムセクションの二人も空打ちこそしているが、肩を揺らすにとどめている。作曲者の千歳は、アンプからの音像が鑑賞に堪え得るかどうかをチェックしている様子。

 「八十年代アイドル歌謡曲に通じるものを感じるわぁ。いいかも」
 最初は音響にビビっていた文花だったが、自身のカラオケレパートリーと通じるものを感じたようで、好感触。これに実際の歌が乗ると、どうなるか。聴衆の反応がすぐに得られるのはライブセッションのいいところである。
 「じゃ一曲ずつ演(や)ってくとしますかね。各員、配置にどうぞ。ベースは抜いちゃいます。リズム隊は、クリック音だけでいい? 櫻さんは、と...」
 「鍵盤の練習、先にします。OFFでお願いします」
 「了解。で、千ちゃんは?」
 「鍵盤とぶつかっちゃうかも知れないから、今は聴き役に回ります」
 男性二名と女性三名、この組合せが楽器側と聴衆側それぞれにできる。按分としては良好である。各奏者からスタンバイOKの合図が出る。八広はヘッドホンを付け、カウントを打つ。業平が難なく同期させて一曲目スタート。弥生のベースが少々危なっかしかったが、影の練習の成果あって、無難に間奏のとこまでは行った。
 「この曲、ソロって何が入るんだっけ、千歳さん」
 「ギターソロは想定してないから、櫻さんがシンセで。または、サックス?」
 南実は自分に向けて指差すと、「え? そうなんだ」
 弥生が気を利かせて、「あ、デモ用があるから。今、持って来ます。でも、リード...」
 「実は持って来たんだ。本体だけ貸してもらえれば」
 「やったぁ、サックス。いいぞ、こまっつぁん!」
 何故かルフロンが大喜び。デモで仮想管楽器ソロは聴いていたが、楽曲が陽気な割にはインパクト不足と感じていた。やはり生に限る、ということらしい。
 リードは多少使い込んであるものの、別の管に馴染ませるのには時間もかかる。吹き込んで暖める必要もあるのでそれは尚更。南実がウォーミングアップしている間、歌姫は徐々に鍵盤とヴォーカルの同時進行を始めていた。ソロが入らない状態で間奏も流し、「届けたい・・・」 一つの形を見るに至る。

 サックス奏者を交えての通しに入ったのは、スタジオ入りしてから四十分後のこと。仮に一曲五十分で音合わせができたとしても、やはり三時間ではキツイということになる。まして聴き慣れた一曲目でこれだけ時間がかかるとなると...
 だが、ここぞで何かをやってくれる南実嬢は、しばらく吹いていないとか言ってた割には、仮ソロの進行に近い形であっさりと吹きこなして魅せる。孤高さが売りでもある人物ゆえ正にソロ向き。ソロはソリチュードに通じ、時に翳を伴うものではあるが、ここでは逆。脚光を浴びるため、と言っていい。その力強い演奏は、強肩・豪腕に加え、彼女の肺活量が並みでないことをも証明した。
 という訳で、割とすんなり一曲目は音合わせができた次第。十五時になる手前である。この後は一曲四十分ペースで行けば、予定通りこなせることになる。果たして?

 二曲目は櫻が当初手こずっていたダンサブルナンバー。コード進行をピアノ主体に変えるversionにアレンジし直したため、今の櫻にはどうということはない。より重く響くピアノ音を選んで、ベースに重ねる。
 出だし順調、かに見えるも、業平が調子に乗ってイントロを長めにしたもんだから、リハーサルはイントロ部分で一旦ブレイクとなる。弥生は手を休め、まずは内蔵音源のベースを流すことに。かくして楽器側には、業平、櫻、八広、舞恵、そして千歳が回る。
 元々はカッティング調のギターを鳴らしながら歌う想定で作った曲だったが、そのギタリスト氏は自前のギターを冬木に預けて、リードボーカルに専念することにした。もう一度イントロから。千歳は深呼吸してから最初の歌詞をマイクに乗せる。初めて彼の歌声を聴く文花の顔と言ったら、そりゃもう、である。千歳は一寸(ちょっと)笑みを浮かべるも、そのまま歌世界へ。ドラムを叩いている詩人さんが書いた詞だが、流域を訪ね回っている際に得た情感を散りばめているとかで、歌ってみると実にしっくり来る。歌詞カードを見ながらではあるが、とにかく歌唱に集中できているので、時に情景を思い描くこともできる。
 歌を介して詞が視覚化されたならしめたもの。蒼葉嬢はずっと目を閉じて聴き入っている。が、心の中で画が浮かんでいるのかどうなのか。一つ画家さんにも感想を聴いてみたいものである。
 テンポが速い分、サックスで即興、というのはさすがに難しい。となると、今度はこの人の出番である。
 「一応、ピックは持って来たんで、ちょっとやってみましょっか」
 「普段はコード進行専用で使ってるんで、弦がビックリしちゃうかも知れませんね」
 アンプに通さない状態で何となくシャカシャカ弾いていた冬木だったが、間奏のとこでギターソロを入れようじゃないか、という提案を出してきた。干潟では何かとお騒がせな彼のこと、一部のメンバーはどうせフライングとか我が道系とか、とあまり期待してなかったのだが...。
 曲者というのはやはり一味違うものである。エフェクタを使っていないせいもあるが、抑えが利いていてなかなかの好演ではないか。ルフロンはコンガを叩くのを止めている。決してこんがらがっている訳ではない。
 弥生が入ったり、八広が抜けたり、何回か通しで演ってみた。画家さんは云う。「何か川の流れが見えた気がした...」 この蒼葉の一言により、曲名が決まる。名作(?)『Down Stream』の誕生である。

 三曲目はミディアムスローながら重厚な一曲、四曲目は弥生アレンジにより多少メロディアスになったが、やはりドラムとベースが要になるダンスチューン。詞がまだなので、歌い手も決まっていないが、今日のところは、ギターとベースがどこまで対応できるかが見所。千歳と弥生はヘロヘロになっているが、リズム隊はてんで元気。八広は勢い余ってクリック音を飛ばすくらいのノリである。極秘特訓した甲斐はあった。ルフロンも余裕たっぷり。蒼葉にウィンドベルをいじってもらったり、文花にはカウベルを叩かせたり、メンバー総出のセッションを仕立てるのに一役買う。
 難度の高い曲ながら、二曲とも一応の音合わせはできた。閉場時間まで残り少々。詰め切れてない部分を話し合う面々である。三曲目はグランドピアノ系のおまけを足し、間奏にはサックス、歌は千歳に頑張ってもらおう、ということで仮決定。四曲目は、千歳はギター専門というのはすんなり決まるも、ボーカルをどうするか、で引っかかる。本来なら櫻で行くところ、鍵盤は欲しい、されど歌いながらはちと困難、ということで難航しているのである。だが、曲調が些か艶(なまめ)かしいこともあって、この女性にお願いすることにした。
 「そうねぇ、『キャットウォーク』に似た感じあるし、歌えるかも」
 「んじゃ、蒼葉さん想定で詞、書きます!」
 八広は毎度の如くデレっとしながらも威勢がいい。舞恵は珍しくノーリアクション。「ま、えーわ」だそうな。洒落で済ませられるくらい、今の彼女にはゆとりがあるということである。
 最年長の女性が一言。「それにしても皆、達者ねぇ。特に楽曲データよね。あそこまでいつの間に仕込んだんだか」
 「昔、作っておいたのを復刻したようなもんなんで。一からだったら、とてもとても」
 「隅田さん作も?」
 「業平君ほど持ち合わせはないですが、やっぱりストックしてあるのを加工して、再生した次第です」
 「再生か。そうよ、再生。いいじゃない。無題の曲は一つそれをテーマにしたら?」
 聴衆の声は貴重である。ニーズに応えてこそ、詞も生きるというもの。八広は舞恵に早速尋ねてみる。
 「reviveって再生?」
 「そりゃ、蘇生だワ。自然再生ってことなら、renaturationなんてどう?」

 楽器や機材を片付けるメンバーを横目に、モデルさんがガタガタと動き出す。こっちはこっちで大荷物である。
 「蒼葉さん、そのスーツケース。これからどちらへ?」
 事情を知らない業平が引き止めるように訊ねる。
 「あ、半蔵門線で押上まで出て、そっから京成線で...」
 ルートを訊いている訳ではなかったのだが、いきなりパリとは言えないから説明が長くなる。
 「えっ、エールフランス? 今から?」
 「フライトは十時前なんだけど、クリスマス時期ですからね。早めに出ます。皆さん、よい年末年始を。櫻姉は留守番よろしくネ。Salut!」
 「はいはい。Bon voyage!」

 「やっぱモデルさんは違うわ」 八広がまたトボけたことを言うので、今度ばかりはルフロンも黙っちゃいない。
 「ったく。明日、覚えてらっしゃい!」 手持ちのマラカスで彼氏の腰の辺りをひっぱたく。これぞくりくりルフロンのギックリ攻撃である。思いがけず強力な一撃だったので、八クン、ビックリ!となる。

 弥生と文花が同じ場に居る手前、業平としては下手に明日の話はできない。ここへ来てモテモテなのはいいが、トライアングルの当事者になってしまった、というのはいただけない。そんなことなど知る由もない年長さんと年少さんは今は仲良く談笑中。
 「そっか、おふみさん、明晩はちゃんと予定入ってるんだ」
 「そういう弥生嬢は?」
 「明日になったら... ま、成り行き次第じゃないでしょか」 傍らで聞き耳を立てていた業平は、自分の名前が出なくてひとまずホッとしていたが、成り行き云々というのを聞いて、目を白黒させている。こうした駆け引きはノリでは対処できない。どうする? どうなる?