2007年10月16日火曜日

09. Soar Away


 「隅田さんと千住さんて、どういう関係なんですか?」 電動アシスト車をスロー運転でこぐ南実が並走する業平に問いかける。
 「いやぁ、本人に聞かないとわかりません。仲間というか、知り合いというか。千歳君は会社去る時に別れちゃったきり、というのは知ってるけど、その後は... でも何でまた?」
 「え、いや別に...」 タイミング的には良かったが、さすがの業平君も「そういう小松さん、彼氏は?」とは聞けなかった。だが南実の問いかけ、大いに気になる。スーパーは商業複合施設の中にあるので、ランチには事欠かない。「食事でも...」と言いかけたところで、「じゃ、この後も流域調査しますんで。ありがとうございました!」 あっさり交わされてしまった。「お気を付けて」と手を振って、姿が見えなくなったところで一服。片手にタバコ、もう片方の手にはふくらんだ四十五リットル袋。三十男の哀愁が漂う?

 もう一方の三十男は、心なしかご機嫌斜めの女性とともに、河川敷を歩いていた。シチュエーションは違うが、こちらも哀愁モード? ともあれよく拾い、よく動いたせいか、空腹感が増し、例のイネ科植物が、イネ→お米→ごはんとお節介な連想を高めてくれる。
 「イネがお米に見てきました」
 「お腹、空きましたね。今日もカフェめし、ってことで!」
 少しにこやかになったかな。
 「そうそう、このイネ、刈られてたんですよね」
 「今日も刈っている人を対岸で見かけました。でもすぐ見えなくなってしまって...」
 「文花さんが言うには、『ネズミホソムギ』だろうって」
 「ムギですか?」
 「名前しか聞かなかったんで何とも言えませんが、花粉症のもとになるとか」
 名前がわかれば、あとは調べるのみ。一応刈られていない群生も撮っておくとしよう。すると「千歳さん、私も撮って♪」 思いがけず櫻の写真を撮る機会を得て、ドギマギする千歳だったが、ファインダーを覗くと俄か写真家よろしく、被写体を冷静に捉えていることに気付く。イネと云っても絵にはなる。ネズミホソムギはあくまで背景の一部。証拠写真ではなく、ここはもう河川敷の櫻さん、でいいのである。「じゃ、ネズミって言いますから、後を続けてください」 「ギ」は「一足す一は二」の「に」に通じるものがあるので、一応、撮影時の口元を作る上では有効。「小僧って言いそうになっちゃった。ハハハ」 その笑顔もいつか撮りたい、そして眼鏡を外した櫻も、と千歳は思うのだった。

(参考情報→ネズミホソムギ

 前回同様、ゴミステーションで袋を分ける。サドルやらプラスチックカゴやらを詰めた大物袋は不燃のカートにポイ。これで肩の荷が下りた感じ。ウキは細長くて尖(とが)っているので、そのまま捨てるには忍びない。いったん持って帰ることにした。
 「すぐ戻ります。自転車置いて待っててください」 千歳の部屋にはまだ通してもらえない。櫻はちょっとアンニュイな面持ち。「眩しい!」 梅雨入りはまだまだ先になりそうだ。晩春の陽射しが降り注ぐ。

 十二時半をとうに回った。カフェめし店は結構な賑わいで、店員もフル稼働。いつものバイトのお姉さんは千歳と櫻に気付いているのかいないのか、今日はにこやかに接客中。千歳は週替り丼、櫻は週替りデニッシュのワンプレート。席に着いてから、交互に手を洗いに行く。なんだかんだで時すでに十三時。
 「で、櫻さん、今の職場は長いんでしたっけ?」 千歳にしては単刀直入な切り出しである。
 「いえ、元々は市の職員です。今はそのセンターに出向中というか... この先、どうなるかわからないんですけどね」
 「でもセンターの運営は、いわゆる『NPO法人』が請けてるんでしたよね」
 「文花さんが公募でやってきて、法人化に備えて事務局長みたいな感じで業務を切り盛りしてるんですけど、センターを運営するためにそのNPOを作ったみたいなところがあって、やりやすいんだかそうでないんだか。私にはその辺はよくわからなくて」
 先月と同じく、食事の手が止まり出している二人。「どこかで聞いたことはあります。法人格を持っていないと運営業務を受託できないとか」
 「委託先としての受け皿を役所が作った、ってことなんでしょうね。今はまだ事業委託って形になってますけど、来年度は指定管理者とか競争入札とか... 文花さんも時々困った顔してます」
 高校生風お姉さんがやって来た。「お代わり、お持ちしましょうか?」 先刻から食事は進まないもののアイスコーヒーは飲み進んでいたご両人。今日は愛想もいいし、気が利くのはなぜ? 「ごゆっくりどうぞ」 なみなみと注がれたお代わりが来た。店員に会釈しつつ、櫻が続ける。「地域振興の部署にいたので、顔なじみの方が多いのはいいんですけど、その役員会ってのが悩ましいというか、知ってる人だけについハイハイってなってしまって...」 言いよどむ櫻。法人格を取得するにあたっては、理事会となる。無茶を言う理事がいなければいいのだが。
 「地域振興ですか。市職員としては花形ですよね。何か理由あってセンターへ?」
 「そこそこ競争率が高い中、入庁できたのはよかったんですけど、いわゆる中堅職員が少ない折だったので、若手に結構しわ寄せが来てまして。私、つい頑張っちゃって、地域を駆けずり回ってたら、眩暈(めまい)がし出して。あ、食べないとまた眩暈が」
 「大丈夫ですか?」
 「ハハハ、六月病かな。いやクリーンアップデーは元気ですから、私」
 どこまでが冗談なのかしら。聞き手役に慣れている千歳でもちょっと戸惑う場面だった。空腹だったのを思い出し、箸を進める。それはそうと、今日のカルパッチョ丼て何物なのやら。妙味な一品である。ふとソウギョのことを思い出して、「ギョッ」とするも、我ながらシャレにならず、一人苦笑する千歳だった。
 「どうかしました?」
 「いえ、こっちも眩暈がしたもので、連鎖反応かなって」
 櫻はブルスケッタを美味しそうに頬張っている。一段落したところで、心地よいBGMが耳に入ってきた。
 「ピアノとストリングス、いい感じの曲ですね」
 「あぁ、この曲、機内チャンネルでかかってたのと同じだ」
 「へぇ、機内?」
 「確か『Soar Away』ってタイトルで、正に飛行機向きだなぁ、って。印象的だったんで、あとでネットで調べてCD買いましたよ」
 「千歳さんて、音楽お好きな方?」
 「えぇまぁ... ギター弾いてた時期もありましたが、最近はカラオケで歌うくらい、へへ」

(参考情報→Soar Away

 千歳としてはここで音楽談議に持ち込むのも悪くないと閃いたが、あくまで櫻の話を聞くのが主題と思い直し、話の続きを振る。インタビュアーとしての力量やいかに?
 「音楽の話はまたのお楽しみ、ってことで、よければさっきの話の続き、聞かせてもらえませんか?」
 「上司が見かねて、センター勤務の話を持って来てくれました。千住さんなら適応力あるから、打ってつけだろうって」
 「櫻さんの例は過剰適応の側面もあるでしょうけど、できる人に仕事が集中してしまうことの典型のようにも思えますね」
 「過剰適応、ですか?」
 「それだけ性に合っていた、そして周りもついつい櫻さんに頼ってしまった、とか」
 櫻はひと呼吸おいて「そうですね。でも、頑張り過ぎたというよりも、地域を盛り上げるというのはどういうことなのか、わからなくなっていた、というのも大きかったかも知れません」 千歳がCSR(Corporate Social Responsibility)に疑問を覚えたのと符合しそうな話である。役所が進める地域振興も、公共性第一とはいえ、何かに駆り立てられる要素があったのだろう。「ハコモノを作って、経済的に活性化させてどうの、という論調がどうにも納得できなくて。私は何かこう無形のもの、情動的なもの、そういう要素が地域にはまず欠かせないんじゃないかって、強く思うようになったんです」 さらに続けて「千歳さんのお話じゃないですけど、公務員にこそ成果主義という推進論と、それこそ成果優先にしたら、益々目に見える形や仕掛けばかりが先行してかえってコストアップになってしまうんじゃないかっていう慎重論と二面性があるなぁって...」 櫻の考え、なかなか含蓄がある。インタビュアーは思わず固唾を呑む。BGMは相変わらず、穏やかな音色の佳品が流れているが、二人の耳にはあまり届いていない。コーヒーを飲む手も止まったまま。
 「幸い、文花さんはそのあたりの心得がある人で、ソフト面重視。どうすれば良質な情報提供ができるか、どうすれば地域の皆さんに喜んでもらえるかって。今は基本的には二人であぁだこうだってやってます。ただ...」
 「法人運営の件ですか?」
 「それもあるけど、データベースソフトを今ひとつ使いこなせてないのが、ちょっとねぇ。千歳さん、お得意なんですよね?」
 地球環境問題云々に強い文花と、地域情報通の櫻との間で、うまく情報の連携がとれるようにしないと、お客が求める情報に総合性が持たせられないのではないかという、ちょっと高度なお悩みだった。大人向けの総合的な学習をめざすということか。「単に地球が危ないというよりも、具体的に近所の某でこんな異変が、といった情報が全体的な話とつながれば説得力も増すし、大手企業のCSR情報の他に、地元の会社でも同じような社会貢献事例があればそれもあわせて紹介することで社会的な機運も高まるとか。著名な団体が発信する情報と地元団体が発信する手書き情報なんかをデータベースで一体化させるのがまずは先決ですかね」 千歳はすっかり感服。こんなニーズがあったとは!
 またしてもスローフードな二人。十四時を過ぎたところで、ようやく食べ終え、二杯目のコーヒーもやっと半分ほどに。お若い店員さんは十四時上がりで、二人の席をひと目見て店を出て行った。
 「データベースについては何となくわかりました。あとはいかに生きた情報を早く伝えるか、ですね」
 「はぁ、するとwebで?」
 「まずデータベースで情報基盤を作り込んでから、それをwebに移して、その後のメンテはホームページで、てのはどうです?」
 具体的なプランはまたの機会ということにして、
 「遅番の日の方がいいですかね?」
 「じゃメールで日程調整しますか」
 櫻の顔がぐっと晴れやかになった気がした。よかった、よかった。
 五月三十日はゴミゼロの日だったけど、荒川のゴミゼロはいつになるやら、なんて他愛のない話をしつつ、戻る二人。明後日、六月五日は環境の日である。
 「センターでは何か催しとかされるんですか?」
 「環境負荷を減らすため、休館にします」
 「またぁ」
 「フフ。ちょっとしたゲストをお迎えして、講座を開きます。千歳さん、いらっしゃいます?」
 「あいにく別件の会合があって... そうだ、ちょっとまた待っててもらっていいですか?」
 千歳はあるCDを持って戻って来た。
 「さっきの曲が入ったCDです。お貸しします」
 「ありがとう! ございます♪」

 「『サロン・ド・カノン』、へぇー」 ご丁寧に売られている時と同じプラ包装がかぶせてある。「千さんらしい、というか。音楽に対する思い入れがそれだけあるってことかな」 橋の途中でジャケットを眺める櫻。どうにも危なっかしいが、今回は無事だった。

 千歳はウキを眺めつつ、仕様書をより手早く仕上げもらうべく、地元自治体の分別ルールとデータカード項目の対照表作りに入っていた。データカード全品に可燃・不燃の別などを加え、データカード以外の品目が分別ルールに載っていたら、それをさらに書き足してみる。発生源別というのが曖昧になってしまうが、家庭ゴミがどのくらい河川で散乱・漂着するものかを見るには、これでひとまず良さそうだ。小一時間ほどで表がまとまる。善は急げ、Go Hey!である。その後は引き続き、モノログの更新作業。と、その前に画像のチェックとトリミング... 千歳君の日曜日は盛り沢山。南実と櫻が写っている画像に目が留まる。「やっぱり櫻さんかな」 おやおや?

 家事を済ませた後、櫻は品目ごとの数字と再度にらめっこ。「データカード、コピーとっとかないと」 残り少ないカードの一枚に今日の成果を一応清書する。途中、思い出したようにカノンのCDをかけてみるのだったが... 『Soar Away』が流れる頃、櫻は夢見心地の状態。頭の中で、五月のツバメが滑空する。リラクゼーション効果が勝ったか、それともよく動き回ったためか、机に伏すようにうたた寝する姉君。妹君のご帰還はその後しばらくしてのことだった。
 「返事がないと思ったら、寝てましたか。何かイイ曲かかってるし...」 優しい(?)妹は、目覚ましをセットして、姉のお目覚めを待つことにした。夏至に向かって日脚は伸びるばかり。櫻姉が食卓に現れた午後六時、まだ外は明るかった。
 「あれ、蒼葉。いつ帰ってたの?」
 「二時間前だけど」
 「やだ、私、何時間寝てたんだろ」
 「今日もめいっぱい、だったとか?」
 「催眠効果があったみたいね、あのCD」
 CDの話、ピアノを弾く夢の話、しばし盛り上がる姉妹。
 「ところで蒼葉、もしかして灼けた?」
 「晩夏のファッションていう割には、半袖スタイルで屋外にいたから。急にあんなに晴れるなんてね」
 とはいえ、撮影がタイトだったせいか、お土産にちょっとしたお弁当を持たされたようで「じゃ、今夜はこれで」 しっかり二箱置いてある。さすがは愛妹。

 同じ頃、まだまだ元気な南実嬢は、暗くなる前にもう一箇所、干潟らしきところでの微細ゴミ調査を敢行しようとしていたが、潮も満ちている上、足元も手元も覚束なくなってきたので、やむなく退却することにした。「午前中に一箇所、午後は三箇所どまりか...」 二箇所目で運良くバケツを拾ったおかげで調査はスムーズにできた。反面、思いがけずいろいろなパターンの細々ゴミが浮かんで来るものだから、ジッパー袋が不足。五箇所目を調べる前に実はすでに袋は使い切っていたことに今気付いた。研究員としては不覚、と思いつつも、今日の収穫は何と言っても最初に集めたレジンペレット。これをまずはしっかり数えることが次につながる、と気持ちを引き締める南実研究員だった。ペダルの踏み込みにも力が入る。つい加速してしまい「キャ」。河川敷とは云え、ライトを点けるのはお忘れなく。

 その気になればPP、PEなどの成分ごとに分けられるのだが、データカード上はあくまでレジンペレットでひと括り。芝の欠片を取り除きながら、純粋にペレットの粒のみを数えていく。サンプルとして、二つ三つのヨシ束に付着していたものとその周りに筋状に落ちていた分を持って来たのだが、その数、実に六十三。六月三日の数合わせか?
 ケータイで撮影した画像をPCに移す。お三方の名刺に書いてあるアドレスを頼りに、早速メールを発信。儀礼的な文言はそこそこに、レジンペレットの報告、道中での調査の概況、添付画像の紹介など。このあたり、なかなか手際がいい。移動途中、昼食は適当に済ませていたが、夜はまだ。すでに八時を回っていたが、没頭するとそれどころではないようだ。漂着モノログをチェックしてみる。「隅田さん、早業だぁ」 だが、撮ってもらった写真がトリミングされていて、ウキだけの大写しになっているのが面白くない。あとはブログ文面の末尾に、Thanks toで三人のイニシャルが出ている程度。コメント投稿しようにも、受付機能を持たせてないから、まどろっこしさが募る。「これでさっき送った写真が載らなかったら、直接メールしちゃお」 南実がそんな風にモノログを観ていることなど、当の千歳君は知らぬ存ぜぬ、である。

 忘れちゃいけないのが業平君。南実にさっさと帰られてしまった居たたまれなさを引きずりながらの一人ランチは侘しいものがあった。千歳と櫻に付いてけばよかった、と思い返しつつも、そのやるせない思いを仕様書にぶつけること数時間。千歳からの対照表が届いてからは、益々熱が入り、こちらも夜の食事そっちのけ状態。ひと息ついて、メールをチェックしたのは深夜近く。南実からの同報メールが来ていてまずビックリ。そしてその添付画像の一つを見て「おぉ!」と感嘆符。そこには業平の勇姿(?)が写っていたのである。「これって隠し撮り?」 そわそわする業平。仕様書が一段落した後で良かったようで。

 六月三日の夜は更けていく。梅雨前線はまだ足踏みしていて、荒川流域には届いていない。