2008年10月7日火曜日

69. 三月の表白


 そんなこんなで、クリーンアップ~グリーンマップと続いた講座は、四月に再びクリーンアップ、五月は季節感たっぷりにグリーンマップ、つまり交互に開催すると良さそうだ、という話ともども、続行が決まった。テーマの融合と深化、そして点から面への期待を込めて、のことである。六の月は前年同様、環境の日にちなんだ一席を先生に受け持ってもらうが、クリーンとグリーンのまとめのような企画も設ける予定。と、これがたたき台となり、部会を軸とした年間計画のようなものも見えてきた。
 メーリングリストでの下打合せが活発になると、実際の会合に懸ける思いは強くなる。特にセンター運営協議会(未だ仮称)に至っては、利用者側の視点で委員があぁだこうだとやり合うもんだから、以前にも増して賑やか。平日夜間のセンター利用状況はこうした要素もあって好転していく。見方によっては利用者が利用者のために議論しているようなものなので滑稽でもあるが、内容は極めて真摯。来客サービスの充実、相談対応の拡充、は言わずもがな。ハコモノにしないための工夫や知恵は、それそのものが事業となる。いかに足を運んでもらうか、いかに館内を利用してもらうか、そしていかに「いきいき」してもらうか。当センターにおいては心配ご無用(?)ではあるが、そこにいるスタッフのイキもポイント。それには文花が考えるところの働きながら学ぶモデル、かつ、スロー緩やか大歓迎!式ワークスタイルがいかに実践されるか、にかかっている。情報提供というのは、スタッフの姿勢から発信されるものも含まれる、と言うんだから、見上げた事務局長殿である。
 拠点から現場か、現場から拠点か、の双方向性の話もある。木か森かに通じるこのテーマは、かつて清が称えた二人の理事のバランスに拠るところ大。千歳、文花、櫻の三人に何人かの役員・委員が加わって夜な夜な話し合うことも三月に入ってからはしばしば。総会議案の方も程よいバランスのもと、まとまりつつある。

――― 三月某日 ―――

 そんな或る日の夜である。千歳もいれば八広もいる、という会があった。ミーティング中もどこか落ち着きがなかったので、不思議に思っていた千歳は、散会後、八広に軽く声をかけてみる。
 「ハハ、確かにあんまし聞いてなかったスね。いえ、折り入ってご相談というか、そのぉ...」
 珍しいことがあるもんだ、と思い、ゆったりと聞き役に回る千歳。だが、きっかけが冬木と聞いて、些か面食らう。
 「そっかぁ... でも、それでいい、ん?」
 「いつまでもルフロンに甘える訳にも行かないですし。それに自分でそういう働き方も体験してみないことには偉そうなこと言えない、でしょうし」
 広告代理店とはいえ、一介の会社組織ではある。いわゆる社会人経験を積んでおいて悪いことはない。千歳はゆっくり、されど力強く、
 「勢いのあるうちって言うしね。応援しますよ」
 「あ、ありがとうございます。これも隅田さんのおかげ。程ほどにイケイケで、がんばります」
 「僕は何にも。宝木さんの実力さ」
 さん付けで呼ぶ、これはちょっとした餞(はなむけ)でもある。だが、これまでと接し方が変わるというのは互いに嬉しいような寂しいような、ではある。
 「四月からはあんまりお手伝いできなくなっちゃいそうスけど」
 「何の何の、今は自分でここに通ってるんだし。こっちが貴社情報誌のお手伝いすることになるかも知れないくらいだから」
 と言いつつ、カウンターを一瞥。思わず先輩と目が合う。
 「ま、ここではすでにアシスタントなんだな」
 「?」
 そのフットワークと文才を大いに発揮されたし。流域情報誌がより良質な媒体になることを確信する自称アシスタント氏であった。

――― 三月十四日 ―――

 十四日はあっと言う間にやって来た。翌日に事務的な一大イベントが控えていることもあり、午後からは臨時で千歳も出勤。用紙の白、ハガキの白、宛名ラベルの白、やたら白物とご縁があるのは他でもない。ズバリ、ホワイトデーだから、である。
 櫻ご贔屓の洋風居酒屋にて、ちょっとしたお返しディナーというのを一応セットしてあるので、今の時分はいつもの櫻先輩と隅田クンでいいのだが、さっきから違う意味でホワイト尽くしになっているので、二人とも白々となっている。
 「それにしても、植林木パルプって言っても白色度はそれなり?」
 「原木は? シラカバだったら、天然のままで十分白いと思うけど」
 「ハハ、残念。アカシアでした」
 「アカ、かぁ」
 と言っても、赤とか紅とかは無縁。今はひたすら総会向けの資料原稿をチェックしているので、時に補整用の赤が出てくる程度である。

(参考情報→アカシア紙

 そろそろひと休み、と手を止めていたら、赤い花にまつわる女性が現われた。
 「あら、南実ちゃんじゃない。どしたの?」
 「えぇ、調べ物方々これを」
 「またご親展、ですか。いるわよ本人」
 「え、ウソ?」
 会議スペースで漂白、いや漂泊の時を過ごしていた櫻と千歳が顔を出す。こちらの三角形は今は安定的なので、多少のビックリはあっても綽然(しゃくぜん)の態。
み「ちょっと千さんお借りします」
さ「あ、ハイ」
 当の千歳は、義理某のお返し代わり、南実とのティータイムの件を思い出し、
 「じゃ近場で。すぐ戻ります」
 「あら、当館ご利用じゃなくて?」
 文花は少々解せない風ではあったが、櫻がゆったり珈琲タイムに入っているので、構わないことにした。
 「櫻さんも進化したわねぇ。前だったら、送り出したりしなかったと思うけど」
 「今は勤務時間中ですから。二人のことだから、お仕事絡みでしょ? だったら別に」
 「何かまた親展... あ、いやいや」
 「ま、とにかく信じてるんで」
 十四日にわざわざ、しかも外で、である。全く気にかからないと言えば嘘になるが、これが不思議と思ったほどではない。期せずして心境の変化を悟る櫻なのであった。

 クリーム増量が可能なシュークリームを扱うお店では、ちょっとした喫茶も可能。センターからも程近いこの店に千歳は南実を案内する。
 「お返しの件、忘れてた訳じゃないんだけど、つい連絡しそびれちゃって」
 「いえ、普通なら社交辞令レベルですから。こちらこそ押しかけちゃったみたいで、すみません」
 「で、お話っていうのは?」
 「そ、そうでしたね」
 アイスティーとシュークリームのセットを前にして、南実の動きが止まる。あわててシューを割ったら、クリームがこぼれ出て来た。
 「あ、ツブツブ。これってバニラビーンズでしたっけ」
 牽制球という訳ではないが、直球でもない。南実にしては珍しい揺れのようなものを感じる。千歳はシューには手を付けず、ひとまずアイス抹茶を口に含む。そして待つ。
 「そのぉ、何となく予感はあったんだけど、例の論文がえらく高い評価をいただいてしまいまして...」
 「それは良かった。じゃまた祝賀会でも」
 「えぇ、自分としては喜ぶべきなんでしょうけど、おまけと言うか何と言うか、提携してる米国の研究機関に交換留学、みたいな賞を与(あず)かっちゃって」
 「留学、ですか」
 「で、この話、皆にしちゃうと、バンドのこととか含めてひと騒ぎになりそうだから、どうしよっかって考えてたんです」
 「いつからってのは、もう決まって?」
 「四月の早いうちに、なんです」
 「そっかぁ」
 清はもとより、higata@メンバーも、勿論、文花先輩にも内緒にしていたんだと言うから、相当な逡巡があったに違いない。クリームが皿に流れるに任せ、南実は話を続ける。
 「このまま黙ってた方がいいか、それとも...」
 「四月六日までは平気ですか」
 「最初で最後の出演になりそうだけど、皆とステージには立ちたいです。だからそれまでは何とか。当日はあわただしくなるでしょうけど」
 「演奏に支障、いやメンバーが動揺しない範囲で、こっちで対応考えてみます。一任してもらえれば、だけど」
 「私からはとてもとてもなんで。助かります」
 胸のつかえがとれたか、アイスティーを半分くらい飲み進む南実。ストローを使っていると、そのえくぼが強調される。向き合う異性は思わず息を呑み、胸がつかえたような感覚に陥る。
 「櫻さんとはそろそろ、ですか?」
 「え? いやぁ...」
 「今ならまだ許されるかな。私のこと、名前で呼んでほしいんだけど」
 「南実さん? て」
 「南実、で、お願い」
 女性の名前を呼び捨て... 自称小心者である千歳にとってこれは難題である。抹茶の緑を見遣りながら、内心「こまっちゃうなぁ」状態。ただ、それを言葉にしては、白けてしまう。ここは一つクールにシリアスに行きたい。
 「あ、ありがと、うぅ...」
 かつては実兄にそう呼ばれていたんだろう。千歳の発した三文字は、彼女にとって何よりのプレゼントになった。
 「そうか。櫻って呼ばないもんね。私ったらまたムリなお願いを。あ、そうそう」
 南実はエアキャップ入り封筒を差し出すと、
 「ワレモノなんで、郵送するのやめたんです。で、文花さんに預かってもらうつもりだったんだけど、ハイ! 私の気持ち」
 受取人はゆっくりとその一品を取り出す。それは何と、
 「レジンペレットハート?」
 「京(みやこ)さんから逆に教わりまして。こないだ集めた分とあわせて、完成です。隙間を埋めるの大変だったけど」
 人工物でも想いは伝わる。それは見事なまでの赤いハートだった。
 「プラスチックは丈夫さがウリだけど、脆くもある、かな?」
 「そうです。こう見えても南実は繊細ですから。大事にしてね」
 調べ物がどうというのは口実だったようだ。南実はセンターには戻らず、そのまま最寄駅方面へと去って行った。スプリングコートが南からの風にゆらめく。その姿をしばし眺め入る千歳だったが、ふと我に返る。「そうだ、お土産!」

 口元は白くなかったが、黒い粒々が残っていた。
 「なーに食べてきたの、隅田クン?」
 「え、あっ、ハハ。これです。どーぞ!」
 「何だかなぁ。おやつタイム過ぎちゃってるけど? ま、許して進ぜよう」
 文花と櫻は円卓でジャンボシュークリームを頬張る。口の周りがどうなってようとお構いなし。
 「やっぱホワイトデーは、こうでなきゃ」
 「さすがはダーリンね」
 「文花さんは? 今日はどなたかとご一緒じゃ?」
 「バレンタインにこれと言ったことしてないから。でも相談に乗ってもらったおかげで、ある人にはそれが効果的だったみたい」
 「て、私そんな。ただ、抑えた感じも時には必要って、そう言ったまで」
 クリームが口の中に広がるのを楽しんでいる間は会話もひと休み。
 「いずれトライアングルは解消すると思う。そのうち弥生嬢にもちゃんと...」
 「はぁ。何か文花さん、変わりましたね」
 「ちゃんと自分にもお節介焼こうと思ってね」
 千歳はカウンターから白唇の女性二人をボンヤリと見ている。
 「二人には話しておいた方がいいか、いやまずはやっぱり...」
 今夜の話題が一つ増えるも、その順番が悩ましい。この手の段取りはまだまだ不得手なマネージャーである。

 訊かれる前に話しておいた方がいいと考えるのは、自己弁護のようにも捉えられる。やましいことがなければ別に後でもいい筈なのだが、肩の荷を早く降ろしたいというのが正直な気持ちだった。最初の一杯が赤ワイン、というのも偶然というよりは必然。
 「小松さん、留学するんだって」
 乾杯して早々の第一声がこれ。あまりの突拍子のなさにさすがの櫻も目が点。
 「それって、ドッキリネタ?」
 「何でも論文のご褒美だとかで。でも誰にも話してなかったんだって」
 「第一報が千歳さん、なんだ...」
 段取り失敗か?とドキドキするも、
 「ま、その次が櫻さんてことならいっか。南実さんらしいというか、相変わらずヤキモキさせてくれるワ」
 ワインを一気に飲み干すと、とりあえず笑顔に戻る。
 「で、彼女なりに気を遣って、内緒にしておきたいって言うんだけど、いきなり皆の前から去ってしまうのもどうか、ってね。で、櫻さんにまずご相談と思ったんだ」
 「フーン...」
 話してくれたのは良しとしよう。だが、よりによってホワイトデー、相談内容は他の女性。胸中は複雑である。と、不意に先のクリーンアップでのちょっとしたやりとりが思い出される。
 「そうか、それであんな言い方してたんだ...」
 途端に想いが込み上げて来る櫻。こうなると、この場での対応協議は難しい。
 「とりあえず保留。千歳さんにお任せ、とは言っても本人は多分そっと静かに、が本望だと思う。彼女、あぁ見えても繊細だし、ネ?」
 本人の口からも同じ言葉を聞いていたので、千歳も承服する。だが、櫻は然るべき一計を考え始めていた。自分の誕生日ではあるが、お祝い対象者は多い方がいい。晴れ晴れと送り出そう、それには何を贈ろう... ご相談の一件がいつしか自問モードになっている。

 メインの大皿パスタ、海鮮の某が運ばれて来るも、どこか心ここに在らずの彼女である。彼は具のバランスを考慮しつつ、小皿に取り分け始める。クルクルやりながら一寸ためらいを見せるも、ホワイトソースから立ち上る湯気は、熱と弾みを与えて止まない。そう、ホワイトデーだから聞けることがある。この場を措いて他にないだろう。
 「ねぇ、さ、櫻さん。イクラとイカだとどっちが好き、とかってある?」
 「え? そうねぇ、粒々と輪っか、よね...」
 先読みされたかのような返しが来た。こうなったら話は早い。直球あるのみ。
 「質問、変えます。真珠と指環、どちらも丸いですが、お好みは?」
 「千歳、さん...」
 櫻にとってはサプライズに近い衝撃だった。この問いの意味するところ、わかり過ぎて困るくらいである。
 「って、いつからそんな加速するようになっちゃったのぉ?」
 と言いつつも、実はあまりによく出来たプロセスなものだから、うっとりしている。櫻は、フォークでゆっくりとお好みの方を指す。南実のことが頭をよぎるが、今は彼女に感謝したい気持ちでいっぱい。
 話の順番はどうやらこれで良かったようだ。

* * * * *

 同日夜、もう一つのディナー席は、面接のような、兄妹の会食のような、一風変わった雰囲気を醸し出していた。
 「どしたのGoさん? あ、いけない、業平COO殿」
 「いやぁ、兄貴がボーッとなるのわかるな、って」
 「CEOはいいの。今日はGoさんのためにおめかししてきたんだから」
 数日前が誕生日だったので、お祝いを兼ねてのこの席。主役は白のシフォンワンピースにテーラードジャケットで臨む。ジーンズ姿に見慣れている業平にとって、これは事件。兄同様、萌える想いの何とやらになっている。共同代表は不在ながら、先ほど一次面接は済ませた。今はどちらかと言うと逆面接状態である。
 「で、桑川さんを採用しようと思った動機は?」
 「その才気、突破力、最近ご無沙汰だけど、ツッコミ力、それと...」
 「と?」
 「例の持ち歌かな」
 「それは採否と関係ないんじゃん?」
 実は来るステージに向け、最低でも自分の歌はきっちり完成させたいと意気込んでいた弥生。ベースの猛特訓に加え、歌唱の方も磨きをかけていて、その成果をしっかり自己流ミキシングにてデータ化。これも自己アピールのうち? とにかくCOO、否、バンマスに送っておいたのである。
 「いやぁ、あれは良いよ。歌もベースも、何かこう主張する感じがしてね」
 「DUOとおんなじ。そこにある空気を誰かと一緒に、ってこと。主張というより、或る乙女の願い、かなぁ...」
 出逢ってからしばらくは、ツッコミ甲斐があるとの理由で惹かれていた。その後は、その重厚な音づくりに惚れ惚れ。芸は身を扶(たす)くと言うけれど、業平にとってこれは意想外な展開。だが、そんな彼も今は彼女の音楽性に惚れつつある。
 「で、タイトルは?」
 「breathe, breeze とか。ルフロンさんとまた協議しますけど♪」
 まがりなりにもホワイトデーなので、お豆腐料理中心。でもって改まった席でもあるので、掘り炬燵式の個室にいるご両人である。湯豆腐が上がったところなので、フーフーやりながら、そのbreatheとbreezeの心を語り合っている。しばらく経ったら、互いに深呼吸。弥生は喉元の熱さが和らぐのを待って、ちょっとした問いを試みる。
 「何かあって、仮にあたしがひきこもっちゃったりしたら、Goさんならどうする?」
 「そうだなぁ、一緒にこもる、かな」
 「え?」
 空間的にはおこもり状態のようになっているので、すでに疑似体験しているような感覚。業平はいつになく重い口調で語る。
 「時にはね、充電するのも大事。兄貴だってそう。前向きなひきこもりってのもあるんだよね。だから別に引っ張り出したりはしない。一緒に...」
 「業平さん...」
 聞けば、太平も失恋だか何だかで外に出て来られなくなった時期があったんだとか。業平は意を決して共同ひきこもりを決行。起業アイデアはその間に練ったのだと言う。
 「そっかぁ、良き理解者だぁ。これなら仕事で失敗しても平気ネ」
 「なーに、失敗してなんぼだから。平気も何も、平平さ」
 かくして弥生は直接行動の帰結を図る。
 「ねぇねぇ、あたしのケータイ鳴らしてみて」
 着メロは勿論、業平原曲、弥生編曲の持ち歌である。
 「おぉ、そう来たか」
 「じゃそのまま。ここ個室だけど、一応ネ。乙女はマナーを守らないと...」
 と言い残し、室外へ。
ご「もしもーし」
や「何か逆だけど、告白していい?」
 直接だが間接的。さすがに面と向かっては言えなかったようだ。だが、このアプローチ、ものの見事に彼に刺さった。
 「ハハ、いろんな意味で『採用』!」
 「あ、あとね、おふみさんからいいヒントをいただいたんです。もしもし?」
 アルコールはそれほど入っていない筈だが、室内に戻ると、業平はヘナヘナ。杏仁豆腐の方がずっとシャキっとしている。
 「あ、ゴメン、何だっけ?」
 「拡大版DUO 頑張りマス。よろしくネ」 DUOは広く、そして大きく。入社日が待ち遠しい。